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第九話 卑怯者
しおりを挟むアズハスの両膝が崩れ、地面にぶつかる。倒れるのはどうにか堪えたようだが、剣は既に手からこぼれ落ちており、穿たれた胸元の傷口からは少なくない量の血が流れ出ていた。今すぐ瀕死になるような傷ではなかったが、かといって満足に動けるほどの軽傷でもない。
「随分と頑張ったが、俺を殺るには年期が足りなかったな」
モミジは片刃の剣をアズハスの首筋につき付けた。恐ろしく切れ味のある切先は、触れただけで肌に血の球を浮かばせる。遠くへ弾いた浮遊する剣たちも彼の周囲に戻っていた。
激痛に苛まれる中、アズハスは屈辱に身を焦がした。
あの状況下、あのタイミングで繰り出された斬撃にしては傷が浅すぎる。悔しいながらも認めざるをえない見事な技量を持つ男が、手元を狂わせたとも考えにくい。
とすれば──。
「……情けを……かけたつもりですか?」
息も絶えだえながら、アズハスは顔を上げた。モミジは、相変わらず不敵な笑みを浮かべたままだ。
「──聖剣の所在を聞くつもりなら無駄ですよ。たとえ我が身が滅しようとも、あなたのような反逆者に誰が教えるものですか」
「あ、やっぱり? 基本的に『聖騎士』に選ばれるやつらって生真面目なのが殆どだからなぁ。……まぁ、お前さんはまだ〝本当の意味〟で『聖騎士』にはなっちゃいないようだが」
最後の呟きは独り言であり、アズハスの耳には届かなかった。
「さて、悪いが骨の二、三本は折らせてもらうぜ。これ以上うろちょろされると以降の動きが面倒くさくなるんでな」
魔導器使いは〝細胞活性〟の恩恵で、常人を超える身体能力を有する。当然、肉体の頑強さはもとより自然治癒能力も優れており、アズハスの負っている怪我も一週間もすれば完治し、傷跡すら残らないだろう。加えて、魔導器の中には〝治癒〟の能力を秘めた個体も存在しており、これを併用すれば一日も経たずに完治する。
だが、これもやはり程度の問題だ。重傷を負えばそれだけ復帰できるまでの時間が加算されていく。
「とりあえず、後遺症が残らない程度にしておくから、痛いだろうけど勘弁な?」
我ながら身勝手な台詞だなと思いつつ、モミジは剣の峰を聖騎士に叩き込もうとした。
しかし、モミジが剣を振り下ろすよりも早く、彼の周囲を浮遊する七つの剣が迫り来る〝脅威〟に対して反応した。
──ガギンッ!
硬質な音ともに、モミジの視界に火花が舞い散った。浮遊する《月読》の一本が、遠方より放たれた『弾丸』の射線上に割り込んだのだ。
「──ッ、時間を食いすぎたな。もう追いついて来やがったか」
舌打ちの後に、モミジは弾丸が飛んできた方角を睨みつけた。視線の先、かなり遠くの廃屋の屋根上に人影を見つけたる。
屋根上の人影は、身の丈ほどの棒状の物を構えていた。
その先端が、跳ねあがった。
「──ッとぉ!」
とっさにモミジは《月読》を操作する。浮遊する三本の剣が三角形を描く、とそこに〝魔力の壁〟が出現。弾丸が魔力の壁に着弾すると、大きな爆発が巻き起こった。
《撃鉄・カラドボルグ》。
魔力を炸薬として大口径の弾丸を発射する、リィンが愛用する銃剣型魔導器だ。通常弾の他にもモミジが──《月読》が防いだような『炸裂弾』など、放てる弾種は複数ある。
ただ、この場にはモミジのほかに傷付いたアズハスが居る。彼女が本気の砲撃を行えば、辺り一面は平原になる程の被害を被る。巻き込むのは必至。今の『炸裂弾』も防がれることが前提であり、役割は〝囮〟。
リィンの狙いは、アズハスからモミジを引き剥がす事だ。
「コクエモミジィィイイイイイイッ!!」
遥か頭上から、鋭くも激しい気迫が降り注いだ。
「やっぱりそう来るよな」
声に反応したのではなく、予め想定してた。仮に声に反応してから動いたのでは、到底間に合わなかった。浮遊剣の二本を頭上で交錯し、上空から振り下ろされた〝刃〟を受け止めた。
直上から強襲者──ミラージュへ、モミジは若干疲れたような目を向けた
「いくらなんでも早すぎだろうさ」
刀を持つミラージュが、凶悪な顔付で剣を押し込む。今の一撃は、超高度から急降下した大上段。躰ごとなので上段とは言い難いが、風力と重力の後押しによる加速からの斬撃はまさに壮絶。仮に《月読》の強度が鋼鉄程度であれば、たとえ二本で防ごうとも容易く両断されていただろう。
「忘れたのか。私は風使いだ。アレだけ激しくやり合っていれば、風が伝えてくれる!」
風を司る魔導器の使い手は、彼女の言葉の通りに空気の流れや震動を通して離れた場所の情報を得る術に長けている。スピードと切れ味の他に、諜報能力に秀でているのが風使いの総じた特徴とも言えた。
「そうだった──なッ」
二本の剣に噛み合う刀を強引に押しかえす。力任せに弾き飛ばされたミラージュだったが、風を纏うことで見事な体捌きを見せた。
そして、着地したのは地に膝をついたままのアズハスのそばだった。ミラージュは彼の腰を掴み、風力を操りその場から一気に離脱。モミジから大きく距離を離した。
「御無事ですか」
「無事とは言い難いけど……少なくとも命はあるよ」
「何よりです」
確認を取るミラージュは、一時もモミジから視線を外さない。遠くで銃を構えるリィンも、片時も油断なく彼に照準を合わせる。
「おいおい、そんな目で見るなよ。アレだ、正当防衛って奴だ」
「どの口が言うか」
「こんな口だ──と、いかんいかん。戯言はとりあえず置いておくとして」
モミジは手の内にある《月読》を残し、周囲に浮かぶ剣を全て消去した。
「どういうつもりだ」
怪訝そうに問うミラージュに、モミジはからかうように言った。
「どうもこうもだ。もう少し柔らかく頭を使うのをお勧めするね」
「馬鹿にしているのか貴様ッ」
「だったら聞くが、俺とこの場でやり合うか?」
「それこそ、聞くまでも無いだろう!」
今にも飛び出さんとするミラージュを制止したのは、矛の先にあるモミジだった。
「どうかな。よく考えてみな」
混じりッ気のない殺気をぶつけられながら、モミジの喋り様はやはり冷たい。
「確かに、お前さんとリィンが組んだら、もしかしたら俺と互角にやりあえるかも知れないな。その事は、仮にもお前さんたちと組んでいた俺がよく知ってる。けど──」
モミジは剣の切っ先を持ち上げ、指し示す。
「〝足手まとい〟が居るこの状況で、お前さんがたは本気を出せるのか?」
「──ッ!」
ミラージュは唇の端を噛んだ。この場で足手まといと言えば、アズハスに他ならない。当の本人には自覚があっただろうが、改めて指摘され悔しげに呻いた。
「頭は冷えたようだな。俺は卑怯者なんでね。相手に弱点があれば、進んで利用するぜ。人数差がある戦いでの基本だからな」
倒せる者から倒すと言う意味もあるが、ミラージュとリィンは必ずアズハスを庇う様に戦う筈。当然動きは鈍る。モミジにとっては絶好の狙い目だ。
「今の所は引けよ。俺もそっちが来ない限り戦わねぇさ。これ以降、俺の前に立ちふさがるってんなら話は別だがな」
モミジが最後の一本を手放すと、剣は地面に落ちる前に形を失い魔力へと還元され、魔素となって霧散した。
「そんじゃな。遠からずまた会うことになるだろうけどさ」
モミジは後ろ手を振りながらその場を揚々と去って行った。
剣を油断なく構え、鋭い視線を向けていながらも、ミラージュはその場を一歩も進む事が出来なかった。ギシリと、今日で何度目になるか分からない歯ぎしりが、小さく響いた。
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