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第6章
エピローグ 三百年前の過ち
しおりを挟む「王妃様、謁見に時間がかかりました事をお許しくださイ」
「構いません。あなた方の多忙は私が一番存じていますから」
奇しくもラウラリスがケインに呼び出されていた同日同じ頃に、アイゼンは主である王妃の元に参上していた。
王妃の部屋にいるのは、部屋の主とアイゼンのみ。小間使いの類も排除し、室内にいるのは二人だけだ。だが問題はなかった。なぜなら王妃とともにあるのは、国内最強格の実力を有した騎士なのだから。
アイゼンが王妃の元に参上したのは、先日に行われた作戦の報告を行うためである。
既に概要は王妃に伝えられていたが、仔細については近衛騎士隊隊長であるアイゼンが直々に伝えることになっていた。少し間が空いたのは、実働員であり最大目標であるパラスの確保した当人ということで、各所への報告書の作成で手間がかかったからである。
「まずはお疲れ様でした。此度はあなたの尽力が大きかったと聞いています」
「もったいなきお言葉、恐悦至極にございまス。ですガ、私一人であればこれほどの成果は得られなかったでしょウ。部下たちの奮闘もありますシ、何よりも心強い人物がおりますれバ」
労いに頭を下げながらも、アイゼンは王妃からの褒め言葉を小さく首を左右に振った。
「……例の剣姫ですか」
剣姫ラウラリスは謎の多い女だ。
ある時期から唐突に名がで始めると、各地で起こった事件の解決に多大な貢献をしている。しかし、王妃の力をもってしても名が出る切っ掛けとなった危険手討伐以前については、まるで出てこなかった。
初対面時の対応は、思い返せばあまりの失態だった。我が子可愛さのあまりに冷静さを失ってしまった。王どころか王妃である己を前にし、僅かたりとも気圧されぬ胆力の持ち主。
夫である王は彼女に対して一定の信用を既に抱いているようだが、王妃としては警戒を抱かざるを得ない相手である。
「率直に聞きましょう。あの女を目の当たりにして、どう感じましたか?」
「手綱を握るのハ、まず不可能な類でありましょウ」
「はっきり言うのですね」
「心の内には揺るがぬ芯を持っている故ニ。その信条と相反しない限りハ、良好な関係を結べるかト」
裏を返せば、抱く信条と相反する行いを現せば、彼女は相手が誰であろうとも──それこそ一国家が相手でも躊躇いなく牙を向くと、アイゼンは語った。
「我が王妃様直属近衛騎士隊の隊員たちが総出になって挑めバ、ようやく手傷を負わせられるといったところでしょウ。噂に違わヌ、あるいはそれ以上に卓越した剣技の持ち主でス」
「あなたがそこまで……」
近衛騎士隊の隊長が発した忌憚のない称賛に、王妃は眼を細めた。己が最も信を置く武人から出た言葉を疑う余地はない。隊員たちは王妃が見定めアイゼンが認めた者が属する国内屈指の精鋭部隊だ。思っていたよりも遥かに高い評価に彼女は驚きは隠せなかった。
「問いましょう。あなたであれば彼女に勝てますか?」
「怖ながラ、無傷は難しくとも十中八九の勝利は揺るがぬかト」
王妃直属近衛騎士隊隊長が兜越しに淡々と述べる言の葉は、絶対なる自信の裏返し。万が一に剣姫が王国に剣を向けたところで、打倒できる確固たる意思表明。
「とはいエ、私を除けバ、あの女傑に勝ちうるのはかの獣狩りを率いる男を置いて他にはありませン。私の知る限リ、ではありますガ」
「シドウ・クリュセですか。……王の贔屓も困ったものです」
獣狩り──獣殺しの刃は、代々の王が直轄する諜報組織。王より直々に『無法の許可』を得たその影なる権力は、非公式な組織でありながらも国内最高峰と言っても過言ではない。
『無法の許可』は、王の権威がまだ行き届いていないエフィリス建国初期──旧帝国滅亡した時期であれば有用であっただろう。だが、王の権威が行き届いた昨今の治世では明らかに過剰な強権だ。国内上層部でも彼の組織を嫌う者は少なくはない。
「どうにかするにしても今はいいでしょう。アイゼン」
「ハッ、こちらニ」
名を呼ばれたアイゼンは王妃の求めているものを察し、両手で掲げて彼女の前に差し出す。
鎧に覆われた手に乗せられていたのは、札の形をした呪具であった。
受け取った王妃は不備がないかを確認し頷くと、表面をなぞると光が宙に舞う。やがては円形に輪郭を取ると、ここではないどこかを映し出した。
それは、所持者の視界を『記録』し、他者に見せるための『映像再生』の呪具。国内に数えるほどしかない貴重な呪具であり、存在自体も極秘事項とされている。
アイゼンは王妃の指示によりパラス確保の作戦が開始されてからずっとこの呪具を使い、その一部始終を記録し続けていたのだ。
(随分と剣姫殿を意識してらっしゃるようダ)
王妃の傍で膝をつくアイゼンは、内心に抱く。
平時であれば、王妃はアイゼンの報告だけで納得していた。自身が王妃様より信頼を得ているという自負がある。ただ今回に限って、己に貴重な呪具を持たせる次第だ。る。おそらく、当人は無自覚であろうが、ラウラリスという少女周りに限ってどこか反応が過剰であった。
果たしてそのことについて指摘をするべきか。
アイゼンが小さく答えに迷っている最中、映像はパラスに遭遇した時点──亡国の騎士と対峙した頃に差し掛かっていた。
映し出される過去のラウラリスは、一刀の元に騎士の一人を両断していた。
「──────」
その光景を目の当たりにした途端、王妃が剣呑な空気を醸し出す。
映像を見据える目は大きく見開かれ、呪具を持つ手は小刻みに震えている。開いたもう片方の手は、首元から下がっているペンダントをキツく握りしめ、皮膚が破れて血が滲み出しそうなほど。彼女がこのような反応を表したところを、アイゼンはいまだかつて見たことがなかった。
やがてラウラリスがパラスの半分を潰し、アイゼンに後を任せて部屋を去ったところで、映像が止まる。
王妃はずっと無言を貫いたまま。けれども、胸中に荒ぶる激情を飲み込み、押さえ込んでいる様が、傍のアイゼンにもヒシヒシと伝わっていた。
「──アイゼン」
「ハッ」
今日まで幾度も名を呼ばれてきたが、これほどまでに感情が含まれていない呼ばれ方は初めてであった。役割を失い殆ど動かなくなった喉奥が凍りつくような感覚に陥る。
だが──。
「あなたの忠誠はどこにありますか?」
「我が身はあなた様──セルディア王妃殿下に捧げておりますれバ」
アイゼンの抱く忠誠心に一点の曇り無し。王妃に『アイゼン』という名を与えられた日から変わらず。一度命じられればたとえ誰であろうとも全力を持って剣を向ける覚悟があった。
「その言葉、信じさせてもらいましょう」
──バギンッ!
ガラスが割れるような音が響く。根源は他の誰でもない、王妃の手にあった呪具を割り砕かれ、破片が床にこぼれ落ちた。破片が手のひらに突き刺さり、血が滴り落ちるも、王妃は痛みに表情を歪める素振りすら無かった。
溢れ出すほどの静かな激情は、今はなりを顰めていた。だがそれは決しておさまったからではない。一片たりとも外に漏らさんとし、内側では先ほど以上の激しい感情が暴れていた。それが貴重であるはずの映像再生の呪具を握りつぶしたのだ。
「アイゼン。あの剣姫の戦う様を見て何を感じました?」
先ほどの問いかけと近しく、けれども非であるのはアイゼンにも分かった。
しばしの時間を要し、剣姫が亡国の騎士を切り捨てた瞬間に思いを馳せながら言葉を作る。
「年齢に削ぐわぬ濃密な殺気を放つ様ニ、驚きを隠せませんでしタ。まるデ、戦場を生き抜いた老獪な兵を思わせまス」
「他には?」
「他…………ですカ」
「いえ、無いなら構いません」
顔の見せぬ兜を傾げるアイゼンに王妃は首を左右に振ると、血濡れた己の手を見ながら口をひらく。
「これは果たして千載一遇の好機か、あるいは絶無僅有の危機か」
胸元の首飾りをなぞりながら、王妃は譫言のようにぼやく。
「普通に考えれば理の埒外。けれども、あれが私の想像通りであるならば──なるほど、『亡国』などという愚かな集団に敵愾心を向けるのも道理」
王妃の言葉を、アイゼンは何も理解できない。
理解しようとも思っていなかった。
先ほども彼自身が述べたように、アイゼンの忠誠は王妃殿下に捧げられている。たとえどのような命令であろうとも、一度下されれば身命を賭して果たすまでであった。
「あなたが何者であれ、いかほどを成そうとも、私は『三百年前の過ち』を正す。必ずや、あの時の清算を果たしましょう」
深い決意を宣言した王妃の胸元で、首飾りが爛々と光った。
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