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第6章
第五十一話 予感
しおりを挟むアイゼンは半狂乱に狼狽えているパラスに歩み寄ると、彼の纏っていた服の一部を引きちぎって紐状にし、切断面を縛り上げた。
「太腿から斬らなかったのハ、せめてもの情けカ。最低限の冷静さハ、ギリギリで持ち合わせていたようだナ」
大きな血管が走っている太腿からの出血は、まさに命に関わる重傷となる。ラウラリスが知らない筈がなく、膝下から斬ったのはパラスを生かすという目的そのものは忘れていなかったからだ。
「聞きしに勝る女傑であるナ。あの長物にして見事な断ち筋だ」
相手に痛みすら与えず、まるで本の図解を見ているかのように滑らかな断面。
肉体が『斬られた』という認識をしばらく忘れ、斬り落とされてから出血にまで時間がかかるほど鮮やかな技であった。アイゼンが布で縛り上げたところで、ようやく斬り口から血が滲み出してきたほどである。おかげで彼の鎧がほとんど血で汚れずに済んだのは、果たして僥倖だったのか。
アイゼンが右腕を処置し終えたところで、パラスから何ら反応が返ってこなくなった。精神的なショックが強すぎて意識を失ったのだろう。
「これほどまでに卓越した剣技を身につけるにハ、並大抵の経験では説明がつかン」
己以外に聞くものがいなくなったところで、アイゼンは呟いた。
「どのような地獄を見れバ、あれほどまでに濃密な殺気を宿せるのカ」
あの時にラウラリスに向けた言葉は、なんら冗談ではなかった。もし仮に、死角からあれほどの殺気を浴びせられれば、アイゼンは反射的に剣を抜き放ち斬り掛かっていた。そう確信させるほどのものであった。
「なるほド、王妃様が気にかけるだけのことはあル。帰還次第、仔細を報告せねばならン」
と、その時、人の気配が生じた。
目を向ければ別働隊を率いていた青年──ケインとヘクトが部屋に入ってくる所であった。
「パラスを確保したようだな」
「無事だったカ。首尾の方はどうなっていル?」
「施設の大半は制圧したと見て良いだろう。戦闘員や信者の無力化も並行して進捗中だ。こちらも間も無く終わるだろう。俺たちは先ほど、この部屋の場所を聞いて駆けつけたわけだが」
事切れた亡国の騎士たちを一瞥したケインが歩を進める。だが、アイゼンの傍で気絶しているパラスを目に顔を顰めた。
近づいてようやく、パラスのそばで転がっている右の手足が視界に入ったのだ。
「あららぁ。派手にやっちゃって。さっきのラウラリスちゃん、表情がやばかったからねぇ」
斧槍を担ぐヘクトはパラスの惨状に「うへぇ」と滅入っていた。彼らが場所を聞いた相手はラウラリスだったようだ。二人とも多少なりとも予想はしていたが、実際に目の当たりにしたのは予想よりも酷い状況だったらしい。
「…………そいつは生きているのか?」
「命に別状はなイ。話を聞ける状態になるのは少し先になるだろうガ」
傷の縫合もそうだが、精神への衝撃がかなり大きい。戦いの素人がラウラリスの殺気を正面から受け止めてタダで済むはずがない。目を覚ましたところで泣き叫ぶか逆に茫然自失となるかのどちらかだ。
ケインは苛立ちを発しながら頭を掻いた。
「まったくあの女は……どうしてこう毎度やらかすんだ」
どうせ何かやらかすと思っていたが、案の定であり軽く想像を超えてくる。覚悟はあっても、甘んじて受け入れられるかは別問題だ。頭が痛くなってくる。
「そう言ってくれるナ。ラウラリス殿がいなければ、危なかったかもしれン」
アイゼンは亡国の騎士二人に目を向けた。
「あの二人を私一人で相手にすれバ、負けはしなかっただろうガ確実に手間取っていタ。もしかすれば目標を取り逃がす猶予を与えていた可能性もあル」
ケインは亡国の騎士たちに近づき、様相を改めると表情に真剣味が増した。
「……こいつらの顔に覚えがある。戦闘に特化した信者の中でも、特に要注意人物として報告が上がっていた。幹部や重要人物の確保に向かった『機関』の人員が、幾人もこの二人に返り討ちにあったようだ」
「そいつをわけなく斬っちゃうあたりがラウラリスちゃんだよねぇ」
万全とは言い難い今のヘクトでは荷が重かったであろう。ケインであっても容易く突破できる相手ではない。アイゼンとラウラリスが揃っていたからこそ、無事──ではないがパラスの確保に成功できたとも言えた。
「彼女の名誉のために言っておくガ──」
「ああいい。あいつがキレた理由については、こちらもおおよそ把握している」
ラウラリスへの擁護を重ねるアイゼンに、ケインは首を横に振った。
「あの女の気性については、それなりに分かっているつもりだ」
ケインたちの部隊でも、洗脳された子供が保護に回ろうとしたハンターに襲い掛かったのだ。幸い、獣殺しの構成員が咄嗟に割って大事には至らなかったが、一人が怪我で戦線を余儀なくされていた。
「だからといって全てを許しては他の者に示しがつかん。あれには俺からきつく言っておく」
「なんだか親御さんみたいな立場になってないか、ケイン」
「あんな娘を持った覚えはない!」
「ちょっと場を和ませようとしただけだから。そんなに怒るなよ」
いきりたつケインに手を挙げて降参のポーズをとるヘクト。と、彼はもう一度、亡国の騎士たちへと目を向けた。
「ところで、あんな強い奴らがパラスの護衛に回されてたのが気になるんだよねぇ。この作戦って極秘裏に進めてたし、奇襲だった筈だろ? もしかしてバレてた?」
「それはなイ。現にこの建物にいた戦闘員や信者は、どれも我らの強襲に浮き足立っていタ」
「亡国側も、襲撃は読めなくとも、備えはしていたのだろう」
ヘクトの素朴な疑問と予測を、アイゼンとケインが否定した。
「亡国の中にも、機に聡いものがいるのかもしれんな。近々、事が大きく動くことを察知していたか」
「そしてそれが、此度の作戦で現実味を帯びたわけダ」
「つまりは、これからもっと忙しくなるってわけだ」
この合同作戦に関わるものは皆、ある種の予感を抱いていた。
前哨戦は終わり、これ以降は本格的に王国は亡国を憂える者と構える事になる。
──長きに渡った平和の世で、久しく行われていなかった大規模な闘争が巻き起こるのだと。
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