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第6章
第四十九話 拭えぬ違和感
しおりを挟む小さくラウラリスに頷きを見せてから、アイゼンは改めて女騎士に目を向ける。
「随分と余裕ね」
「逆にそちらハ、あまり落ち着いてはいないようだナ」
「性格は合わなくても同志には変わりなかった。それを殺されれば仕方がないでしょう」
女騎士の声色こそは変わらず落ち着いたもの。けれども剣に込められた感情の荒々しさは、受け止めているアイゼンに伝わっていた。
「でも良いわ。彼のおかげで、剣姫は少しの間はまともに動けない。迅速にあなたを処理できれば私一人でも」
「できるト、本気で思っているのカ?」
「やれなければ死ぬのはこちらでしょうに」
アイゼンが剣を振り切り、女騎士を弾き飛ばす。明らかに膂力負けであったが、あえて力に逆らわずに己から飛び退いていた。己よりも体格の良い相手との戦いも多く経験しているとわかる動きであった。
距離が空いたところで、切先を揺らしながら女騎士は口をひらく。
「……人が入り乱れる戦場でならともかく、少数戦の場に全身鎧を着込んでくるなんて──正気かしら?」
「王妃殿下より賜った鎧ダ。あまり馬鹿にされては困ル」
あからさまな挑発をうけ、冷静に答えながらもアイゼンは飛び出した。あるいはまだろくに動けないラウラリスから女を引き離そうという考えもあったのだろう。
「忌々しい国の犬どもめ」
落ち着いた雰囲気に反して女騎士の剣は苛烈であった。明確な殺意を刃に乗せて斬撃を放っている。荒々しいだけではなく、不意に撃たれる刺突は的確にアイゼンの鎧の隙間を狙っており、ただ速度任せの剣士でないことがよく伺えた。
自身の剣で女騎士の刃を受けながら、アイゼンが兜の奥で口をひらく。
「惜しいナ。ラウラリス殿のセリフではないガ、出会いが違えば、我が近衛騎士団に誘いたいほどダ」
「お褒めに預かり光栄だけれど、私の忠誠は既に皇帝陛下へ捧げている。あなたもせめて、その命を皇帝に捧げなさい」
「此の身も敬愛せし王妃殿下に捧げていル。あの方の許し無くして無駄にはできン」
圏内に下手に足を踏み入れれば塵芥の如く引き裂かれるほどに、苛烈に刃が入り乱れている。
激しい剣の応酬を、呼吸を整えながら離れた位置で見据えるラウラリス。
(軽く見積もっても今の私と同等。あるいはシドウに匹敵するか)
ラウラリスが切り伏せた男騎士と同じく、女騎士もまた一流の使い手に違いなかった。以前に亡国内での武闘派と称される男と戦ったことがあったが、あれよりも数段上の使い手だ。
その一流の使い手が振るう剣戟を、アイゼンは全身鎧とは思えないほどの卓越した動きで捌き切る。時に荒っぽく、時に穏やかに。見るたびに印象が変わるほどの無尽の剣が翻る。
(薄々と分かっていたが──)
いかに軽量化を図っていたとしても、全身を鎧で固めていればかなりの重量となる。それは足音の響き具合でも分かっている。にも関わらず、アイゼンの動きは軽装のラウラリスに匹敵するかそれ以上に機敏かつ自在。ただの力自慢ではあの動きを成し得るのは不可能だ。
アイゼンの動きはほぼ間違いなく、全身連帯駆動のそれであるとラウラリスは推測していた。
女騎士の振るう数多の斬撃や刺突を、鎧の表面にかすり傷一つも許さずに受け切る技量は、一流の域には到底収まり切らない。どんな状況であろうとも『理詰めの剣』を振るえる、全身連帯駆動の使い手特有のものだ。
(なのにどうしても違和感が拭えん)
ラウラリスの中には妙な不和が生じていた。己の中にある経験と、実際に眼にする情報が綺麗に合致しない。全身を鎧で覆っているが故でもあるのだろうが、それだけでは無いとラウラリスの勘が囁いている。
得てして、こうした直感は正しいことがもっぱら。問題なのは、感じている当人ですら説明するには時間が掛かったり、重大な情報を忘れていたりすることだ。
悩ましさを抱くラウラリスが見守る中、戦いの流れが推移する。
「このっ、皇帝陛下に仇なす俗物がっ」
明確な力量の差を理解したことで、女騎士の表情に焦りの色が濃くなっていた。己の剣になまじ自信や誇りがあっただけに、こうも容易く迎え撃たれている現実が耐え難くなっているのだろう。
だが、この程度のことで動揺を剣に纏わせるような者であれば、一流とも呼べる領域に足を踏み込むことすらできない。
──ギンっ!
一際強く剣が重なり合い、女騎士が押し返される。追撃に踏み込むアイゼンであったが、それよりも早くに女が彼に向けて得物を投げた。
「ぬっ!?」
アイゼンは即座に反応し向かってくる剣を弾き飛ばす。けれども、腕を振り抜いた時には女騎士の姿は彼の正面から消え失せていた。
自身の投げた剣とアイゼン自身の腕。加えて、顔を全て覆う兜という要素が生み出した死角に潜り込んだ女騎士。アイゼンの背後を取り、懐に忍ばせていたナイフを翻し鎧の隙間を狙う。全身鎧の弱点を付く、起死回生の一手。
しかしその切先は彼に届くことはなかった。
振り向きもせず、いつの間にか逆手で握られていた鞘によって阻まれていた。
「────ッ!?」
「酔狂デ、この鎧を纏っているわけでは無イ」
アイゼンにとって、視界から消える程度では意味がない。意識的な死角に潜り込むほどでなければ効果は薄い。
「この──っっ」
「終わりダ」
ナイフを手放し離れようとした女騎士。
だがそれよりも遥かに早く、強く踏み込んだアイゼンの一閃が早かった。
胴を深く薙がれ、夥しい量の血潮を溢しながら女騎士が膝を折った。
「……帝陛──、……申し訳──」
片割れと同じく、女騎士は喉奥から込み上げる血で溺れながら床に倒れた。
事切れた騎士を、アイゼンは一瞥する。
「来世でハ、良き主に恵まれる事を祈ろウ」
兜の奥から微かに覗く眼には、どことなく憐憫が浮かんでいるように、ラウラリスには感じられた。
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