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第6章

第三十話 勇者の血脈

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「ラウラリスさん、ちょっと何を」
「いいから黙って剣を構えてな。あ、ここちょっと痛むよ」

 ゴリッ!

「あうっ!?」
「声を我慢する必要はないさ。こっちも遠慮はしないからね」
「そんなご無体な──」

 グキッ!

「うひぃっ!?」

 ラウラリスが行っているのは、指導と呼ぶにはいささか語弊がある。

 剣を構えるように命じたアベルの躰を触ると、各部を軽く叩いたり揉んだりと、有り体にいえば整体の真似事をする。

 疑問を挟みはするものの、アベルはラウラリスにされるがままを維持していた。

 もっとも、その顔は痛がりつつも赤くなりっぱなしだ。思春期の少年が、年頃の美しい女性に好き勝手に身体中を触られていれば意識しない方が無理というもの。もちろんラウラリスはその辺りは考慮しつつも、言ってやらないのが優しさである。

 ほんのちょっぴり、少年を揶揄いたいお姉さんな気持ちがあったのは否定できない。

(いやあれだ、これはちょっとイタいぞ)

 調子に乗りそうな己をラウラリスは自粛した。外見は美少女だが中身は八十を超えている老婆ババァなのだ。年若い少年を弄って楽しむとか倒錯し過ぎている。

 危ない趣味に目覚めたら溜まったものでは無いと、ラウラリスは努めて冷静になりながら 施術を続けた。

 しばらくして、ラウラリスはパンパンと手を叩きながらアベルから離れる。

「大体はこんなもんだろうよ。んじゃぁ、試しに振ってみな。軽くでいいよ」
「は、はい。わかりました。──セイッ」

 真上に掲げた剣を振り下ろすアベル。言われた通りに軽めの一振りであったが、それだけでアベルは驚きを浮かべた。これまで行っていた振りとは質が異なっていると実感できたのであろう。

「あんまり使っていなかった筋力をほぐして、歪みも矯正して関節の可動域を広げた。これだけでも結構変わるもんだろう?」
「これだけって……」

 アベルはそのまま縦振りや横振り、刺突を行う。熟練にはやはり程遠い動きではあったが、確実に先ほどより上質の域にあった。

「もしかして……ラウラリスさんは剣士だけではなく医師でもあったのですか」
「そんなご大層なもんじゃぁないさ。ただ、人体の構造についちゃ詳しい方でね。けど、こいつは本命前の軽い仕込みみたいなもんだ」 

 本命──という一言に、アベルは少し緊張を抱く。

 今の時点でも十分に驚いているのに、この先があるのか。いったいどのような指導が行われるのか、期待と不安が押し寄せている。

 固唾を飲むアベルに、ラウラリスは言った。

「王子。足で剣を振ってみな」

 ………………………。

「…………えっと」

 唐突に出てきた意味不明の指示に、アベルは疑問を提示するか迷い言い淀む。もっともその反応も予想済みで、ラウラリスは愉快げに笑う。

「はっはっは、意地悪過ぎたね。さすがにこれだけじゃわからないか。つまりは、足の力で腕を動かすイメージで剣を振ってみろってことだ」
「は……はぁ…………なるほど?」

 より具体的に聞こえるがやはり理解が及ばず、アベルは語尾に疑問符を付けてしまう。

「とりあえず、やれるだけやってみな。できたら褒めてやる」

 ラウラリスの意図は計りかねるが、きっと何かしらの意図があるのだろうと己を納得させ、アベルは剣を構えた。

 無言で剣を正眼に構えるアベルを、ラウラリスは腕組みをしながら見据える。

(実際のところ、コレ・・ができりゃぁ本当に大したもんだが)

 はてさてどうなるかな、とラウラリスは黙ってアベルを見守る。

「足の力を……腕に。足から……剣に」

 ラウラリスの指示を幾度も反芻し、どうにか剣を持ち上げようと四苦八苦する。意味がわからないと不貞腐れるのではなく、示された課題の本質をどうにか理解し、躰に反映しようと集中している。

 改めてになるが、現時点でのアベルには剣士としての素養は見受けられない。

 だが、もしラウラリスの考えが正しければ──。

 アベルが剣を構え始めて一分か二分か──あるいはそれ以上が経過した頃か。

 ピクリとも動かなかった剣ではあったが、ある時を境にゆっくりと動き始める。まるで切先に重しを乗せたかのような鈍重さではあるものの、しかし着実も持ち上がり始める。

「足から膝に。膝から腰に、腕に手に──剣に」

 もはや王子は己が何を口にしているかわからないほどに没頭していた。繰り返し繰り返し呟き、集中力が躰の全域に広がっていくのが傍目からでもみて分かる。

 ついに切先が天を向く。

 アベルが発する尋常ならざる集中力が空気にまで伝わり、張り詰めた緊迫感が溢れ出す。この場はもはやただの中庭にあらず、戦場にも等しい空気が漂っていた。

 不意に風が吹き、どこからか木の葉が舞い上がる。うちの一枚が、奇しくも王子の目の前に飛来する。

「──────ッッッッ」

 王子は木剣を振り下ろした。

 ──ビュオンッッ!

 木剣が、空を断ち切る。

 刃がないはずのツルギは、宙を舞う木の葉を真っ二つに両断していた。

 風が止み、あたりから音が消える中、手を叩く音が響く。

 ラウラリスは緩やかな拍手を送っていた。

「お見事」

 一部始終を離れた位置で見守っていた護衛たちは、信じられないような光景を目の当たりにし言葉を失っていた。

 彼らの中には、王子に剣術の指南を行った者もいる。それゆえに、彼がどの程度の実力であるのかは把握しており、もちろん剣士としての特別が才能がないことも理解していた。

 だが、王子が放った今の剣筋はおそらくは剣士が目指すべき極地。躰の全てを余さず一振りに注ぐ理想の形。まだまだ荒削りでありながらも、その片鱗を垣間見るには十分すぎるものであった。

「さすがだな。あやつが目にかけるだけはあるということか」

 王子とラウラリスを見る王は実に面白そうであった。

「がっ……はぁ……げほっ……げほっ……」

 王子はその場にへたり込む。全身から汗を吹き出し、激しく咳き込む。今の一振りで、残っていた体力の殆どを消耗し、息を吸うことすらままならないと言った具合だ。集中している最中は呼吸をすることさえ忘れていたのだろう。

「焦らなくていい、落ち着いて呼吸を整えな」

 傍にしゃがみ込んだラウラリスが肩に手を置くと、アベルはゆっくりと頷く。 

 目に涙を浮かべながら、力が入らず震える手を見る顔には驚きと共に達成感があった。

 自分でも感じられたのだろう。今の一振りたただの一振りにあらず。己の中に存在するあらゆるものが繋がり、これまでで最も力のある剣を表すことができたのだと。

 そのまましばらく呼吸が回復したアベルは、ラウラリスの手を借りて立ち上がると感激したふうに言った。

「凄いですねラウラリスさん! 言われた通りにやっただけなのに──凄いです!」
「凄い凄いって……本当にすごいのは言われた通りにやれちまった王子だよ。私はちょっとばかしの切っ掛けを与えたに過ぎない」

 アベル王子の躰に軽く矯正を施し、指針となる助言アドバイスを一言。ラウラリスが行った事といえばこれだけだ。そしてこれだけで、アベルは見事に全身連帯駆動を用いた一振りを実現してみせた。

(もしかしたらって思ってたわけだが、ここまですんなりいくとはねぇ……)

 冗談抜きにして、ラウラリスは驚いている。表面上は指南役としての冷静を取り繕ってはいたが、心のうちでは掛け値なしに舌を巻いていたのだ。

 ラウラリスは、受け継がれる勇者の血統というものを強く実感させられた。
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