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第6章

幕間 獣殺しのよもやま話

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 本部を離れていた間に溜まっていた仕事に一区切りをつけたケインは、シドウの部屋に赴いていた。

「それで、ラウラリス君の作業は捗っているのかい?」
「なにせ二十年分ですからね。噂レベルの与太話から模倣犯による事件まで、亡国と僅かでも接点があるならなんでも構わず読み漁ってます。時間は掛かるでしょう」

 ラウラリスが資料室に篭り始めてすでに三日が経過しており、ケインがシドウとこうして話している今も作業を進めている。全てを終えるにはまだまだ先だ。

 驚嘆すべきはその集中力。補佐兼監視を任せているクリンによれば、作業中は一度たりとも資料から目を離すことなく、情報の記された資料に目を通し続けているらしい。

「私も少し覗いてみたが、鬼気迫るほどの没入ぶりだったよ。一応、君が声を掛けてはいるらしいが」
「ええ。こちらが手を出さないと、それこそ飲まず食わずで続けそうなほどです」

 仕事の合間を縫って、ケインが朝昼と差し入れを資料室に持って行っている。夜になればクリンにも休息が必要であるために、ラウラリスを外に連れ出して宿に戻している。無理やりにでもそうしなければ、本当に飲まず食わずに加えて『寝ず』も加わりそうなほどだ。

「まるで献身的な通い妻だな」
「………………」
「過ぎた冗談だったか。忘れてくれ」

 シドウは両手をあげて降参のポーズを取ると、冷たい眼差しを向けていたケインは視線を切り溜息を漏らした。どうして己の周りにはこうも癖の強い人間が多いのだろうか、という嘆きも含めて。そういう人間ほど有能であるのが尚更にタチが悪い。

「それで、彼女ラウラリスの進捗を伝えに来たのが本題ではあるまい」

 こうやって人の行動を読むあたりがまさにそれだ。シドウの察しの良さが時折に嫌になってくる。もっとも、ケイン関してはそれだけではないのだが──。

「大方、ラウラリス君と剣を合わせた感想を聞きに来たんだろう?」
「……ええ。その通りです」
「やはり、お前には隠せないか」

 ラウラリスと剣を合わせて、シドウは彼女の人となりを評価はした。けれどもそれは、感じた全てを口にしたわけでは無い。当人の手前あえて伏せた点もあり、ケインはそれが気になっていた。

 シドウは椅子の背もたれに躰を傾けると目を瞑った。剣を通して伝わってきたラウラリスの軌跡を己の中で反芻しているのか。それとも──。

「獣殺しの総長である身として、これから口にすることはおいそれと部下には聞かせられん。ケイン、今から私が話す内容は口外するな」
「了解しました。全て俺の胸の内に留めておきます」 
「いいだろう」

 机の上で手を組むと、シドウは厳格な表情で口を開いた。

「私はこれまで、敵味方問わずに多くの者と刃を交えてきた。その中で、もっとも強く印象に残っているのは、獣殺しの刃を統率していた先代の総長だ」
「確か、総長がハンターであった頃に出会ったと、以前に聞いたことがありますが」
「既に一つの分野においては『頂点』にいた私だ。一角の者だという自負は多少なりともあったがね。世には上がいるというのを思い知らされたよ」

 機関に所属する構成員の過去は、仲間同士であってもほとんどが伏せられている。大半の者は産まれながらのものとは別の名前を名乗っている。遡って身辺が明かされれば、それが足枷になりかねないからだ。シドウが元はハンターであり、最上位である『金剛級』であったと知るのは、ケインを含めれば他には機関の内外においても片手指ほどの人数しかいない。

「既に老齢に差し掛かっていたにも関わらず、先代の振るった剣にはとてつもない『重さ』が秘められていた。後に知らされた国の闇を背負う重責の一端を味わい、表の世界で粋がっていた己を猛烈に恥じたよ。果たして、今の私があの重さに匹敵するものを背負えているか、常に自問自答する日々だ」

 前置きはここまでだ、とシドウは言葉を切った。

 しばしの沈黙を挟み。 

「ラウラリス君の剣を受けた時、背筋が震えた。あの先代よりも遥かに重い一撃が、この世に存在していたのかとね」

 シドウの口から言葉に、ケインは息を呑んだ。

 獣殺しの刃の最強たる総長は、己の手の平を見据える。握っていたのは模造剣であり、相手は鞘に入ったままの長剣。だが、受け止めた感触は今もありありと残っていた。

「私よりも半分も生きていないような少女が、どのような軌跡を辿ればあれほどのモノを背負えるのだろうな」

 ケインが薄々と感じていた以上のものを、シドウはラウラリスの剣から味わった。想定を遥かに超えた物が出てきたことに、戦慄を禁じ得なかった。

「だからこそ不可解だ。裡に宿す強大さに反し、肉体が脆弱すぎる。精神と肉体の釣り合いがあまりにも取れていな
い。若い躰に数多の戦場を経た老兵の魂が宿っていると言われたら、素直に信じてしまいそうだ」
「――ッ」

 以前、ケインはラウラリスの過去を調べようと試みたことがある。だが結果はほとんどないに等しかった。ある時期から唐突に現れた途端に現れた活躍を始めている。分かっていること言えば、全身連帯駆動の使い手でありラウラリスという名前であること。

 だがここで一つ、漠然とした考えが浮かんだのだ。

 かつて、全身連帯駆動を極め、まさしく最強無敵と名高い者が存在していた。

 ──ラウラリス・エルダヌス。

 もしかすれば、あの少女はかの悪逆皇帝の生まれ変わりなのでは、と。

 思い浮かんでからしばらくは頭から離れず、だが時を置くごとに薄れていった。常識的に考えればあり得ない。

 だが今、シドウの口から語られた話は、捨てたはずの可能性を呼び覚ますには十分であった。

「……ならばなぜ許可を」

 自身の中に生じた『あり得ない可能性』を振り払うように、ケインは問いかける。得体の知れない人間に、シドウが資料閲覧の許したことに疑問を抱く。

「重かろうが軽かろうが、ラウラリス君が善の類に属する人間とは思ったからな。それに、法は軽んじても仁義には篤いと見た。であるなら、下手に突っぱねるよりは協力し、味方に引き入れた方が得策だと判断したまでだ」

 正体が知れずとも、人となりが正しく、そして有用であれば活用するまで、ということだ。

 シドウの人を見定める眼力には確固たる実績がある。何より『総長』の判断だ。彼が下した決断であるのならこれ以上ケインが口を挟むものでも無かった。

 と、ケインとシドウは揃って部屋の入り口に目を向ける。少しの間を置いて扉をノックする音。シドウが許可を出すと、入ってきたのはケインの補佐官であるアマンであった。

「失礼しますよっと──って、なんだお前もいたのか」
「人の顔を見るなり随分だな」
「いんやぁ、てっきりラウラリスちゃんとよろしくやってるのかと思って」

 相変わらずの軽口にケインはきっと睨みつけるが、アマンは肩を竦めた。

「冗談だ。ここにくるまでにちょいと資料室を覗いてきたよ。無事に総長から許可をもらえたようで何よりだ」

 アマンはケインの肩を叩いて側を通り過ぎ、シドウの前までくると手に持っていた書類の束を机の上に置いた。

「ご命令の通り、『例の会議』に参加する面子は全員調べておいた。かなり急ぎの仕事だったから難儀したぜ。あ、残業代はよろしく」
「検討しておこう」

 シドウが書類に目を通す最中、アマンはケインに目を向ける。

「んで、俺が入ってきた時に神妙な雰囲気だったけど、何を話してたんだ? まぁラウラリスちゃんのことについてだろうけどさ」
「お前……どうしてそうも目敏いんだ」
「このくらいの観察眼を持ってなきゃ情報屋なんてやってられねぇよ」

 アマンはクククと笑いを漏らした。彼は物腰も雰囲気も軽いが、執行官の補佐役として非常に優秀な人間でもある。情報収集能力に秀でており、任務に赴くケインの相方として、これまで数多くの仕事をこなしてきた実績を持つ。

「ケインに口外厳禁を命じた。相手がお前であろうともな。深くは詮索してくれるな」
「……あ、そ。ならもう聞かないさ」

 直前まで抱いていた好奇心を、アマンは即座に切り捨てた。知るだけでも命を失いかねない情報ものがあることは、骨身の髄まで身に染みているからだろう。

「そうだアマン。これから一つ、急いで頼みたい案件がある。『例の会議』に間に合わせてもらいたい」
「──って今から!? おいおいおい、こう見えても俺ほとんど三徹なんだぜ。もういい加減に家に帰って眠りてぇんだが」

 泣き言を漏らすアマンであったが、よくよく見ると目元の隈がかなり濃い。言う通り、不眠不休で働いていたに違いない。執行官の補佐であるだけあり、不真面目そうに見えて職務には至極真面目なのがアマンという男の美点であった。

「なに、簡単な事だ。会議の出席枠を一つ増やすだけでいい。面目はそうだな──『助言役アドバイザー』とでもしておいてくれ。もちろん、特別手当もつけよう」
代表席・・・を今から増やせってんなら無理だが、そのくらいならまぁ……」 

 アマンは顎に手を当てて独り言を呟き始めた。早くも命令を遂行するための段取りを頭の中で組み立て始めているようだ。

 一方、アマンへの指示を傍で聞いていたケインは総長の真意を悟ると頭を抱えた。

「……に借りを作ることになりますよ」
「つまりは無償タダではないということだ。であるなら、普通に頼むよりかは引き受けてくれる芽はあるというものだ」

 果たしてこの男シドウには何が見えているのだろうか。間違いないのは、ケインの溜息が止む日はしばらく来ないということだけであった。
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