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第6章
プロローグ 別離
しおりを挟む煌めく月明かりの元、一組の男女が向き合っていた。
精悍な顔つきの青年と、明かり少ない夜の中でも煌めく銀髪の女性。
もしこの場に他の誰かが居合わせれば、恋愛物語の一幕にも見えただろう。それほどまでに二人の距離は近く触れ合っていた。
けれども、両者が浮かべていたのは憂であった。
これは、とある男女の別れなのだ。
身も心も通わせ合った二人の別離の時であった。
「……行かないでくれ、と言っても聞いてはくれないようだね」
「予め、この日が来ることは前もって告げていたはずよ」
惜しむ感情を向ける男であったが、女性は首を横に振った。
「全てを投げ打って、このままあなたといるのも悪くないと考えたことは、一度や二度ではないわ。本音を言えば、今も心の片隅ではそれを願っている自分がいる」
偽らざる未練を口にしながらも、女性の鮮やかな紅の瞳に宿る決意は揺るがない。
「それでも、君は行くのだろう」
女性の迷いない頷きから、尊い小さな願いを捨て去るほどの覚悟が伝わってくる。
深く息を吸い込み、青年はゆっくりと息を吐く。どうにかして落ち着きを取り戻さなければきっと、彼は目の前にいる女性を力強く抱きしめてしまっていた。だがそれを女性は望んではいないのだと分かっている。
「気がついていた。時折に見せる顔は、ここではない遥か遠くを見据えていたと」
出会った頃から彼女は告げていた。
時がくれば自分は去ると。
だが青年は心のどこかで願っていた。
「もしかしたら、一緒に過ごしているうちに考え直してくれるんじゃないかって思いもしたけれど……君が背負っているものはそんな生優しいものではなかったらしい。僕はとんだ甘ちゃんで大馬鹿野郎だ」
自嘲し表情を苦悶に歪める青年であったが、女性は優しく彼の頬に手を添えた。
「あなたと出会ってからの日々は、本当に楽しかった。これほど人生を楽しんだことはかつてなかったわ」
日々を全力で生きてきた。
ただの一人として、ただの女として。
生まれて初めて、誰かを愛することができた。
「許されないと分かってはいても、叶うのであれば愛する人の子を成し、共に寄り添い育みたいとさえ願ってしまったわ」
零れ落ちる涙は、男と歩んだ時間の愛おしさ。決別する哀愁の証明であった。
「私のことを忘れて──なんて言えない。ずっと心の片隅にでも留めておいてほしい。昔に、『私』という女がいたということを覚えていてほしい」
「君は……酷い女だな」
頬に添えられた女性の手に、青年は己の手を重ねる。
「己の身を明かさず、別れの理由も晒さず、秘密を残したまま去ってしまう。僕に一生消えない傷跡を残して」
伝わる温もりに心が満たされるが、別離の冷たさと空虚を予感させるものでもあった。
「次は、私のような悪い女に捕まっては駄目よ。ずっとあなたと寄り添ってくれる、優しい女と結ばれなさい」
「君は……どうなんだい?」
「私は──どうでしょうね」
この後に及んでの返しに、あっけに取られた青年は間を置くと吹き出し心底おかしそうに笑い声を発した。
「君はやはりとんでもない『悪女』だな。君のような悪い女を愛するなんて、一生に一度きりで沢山だ。……次はもっと良い人を見つけるよ」
男と女は、最後に口付けを交わした。
唇を離した時、二人は笑みを浮かべた。
最後に残る愛しい人の顔が、せめてそうであって欲しかったから。
「さようなら、私の愛する人」
「さようなら、僕の愛した人」
身を離し、二人は背を向け離れていく。
一歩一歩を踏み締めるたびに、両者は離れていく。
──歴史の片隅に埋もれた、小さな悲恋の閉幕であった。
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