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3巻
3-3
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引き抜く動作そのままに長剣を袈裟斬りに振るうラウラリス。
一息で躰を斜めに断たれ、男は己の身に起こったことを理解できず、視界が意志とは関係なくズレていくのを呆然と眺める。
「巻き添えだろうが、殺気を向けてくる相手に容赦してやれるほど私はお人好しじゃないよ」
どちゃりと、物言わなくなった人の上半身が地面に落ちる音がする。
ようやくこの場にいる全ての人間が、ラウラリスの現在位置を認識した。
「え――?」
デュランを含め、騎士たちは一瞬状況を呑み込めなかった。
ラウラリスから意識を外したわけではないのに、気が付けば彼女は襲撃者たちの目前へと肉薄していたのだ。まさに刹那の踏み込みであった。
それは襲撃者たちも同じだった。仲間の一人を瞬時に斬殺されたことを認識できずにいた。
だが事実を認識すると、咄嗟にラウラリスから飛び退くように全員が離れた。
彼らもラウラリスの底知れぬ強さの一端は感じ取れたはずだが、それ以上に退く気はないようだ。
彼女から距離を取りはしたものの、逃そうという気配はなかった。
「やれやれ、ここで終わってくれりゃぁ楽だったんだが、ちと高望みしすぎか」
宿の受付でデュランの顔を見たときに胸中に生じた嫌な予感。
それがまさに的中したことをラウラリスは確信してしまった。
この状況をただ単に脱するならば簡単。たとえこの十倍の人数に囲まれていようとも、ラウラリス一人だけであれば、ほぼ無傷で逃走することは可能だ。
「…………はぁ」
ラウラリスはチラリとデュランを横目で見た。
もしここでラウラリスが逃げれば、当然デュラン達を放っておくことになる。
おそらく彼女達だけでも、この状況を打破することは可能だろう。しかしこの人数を相手にすれば、あるいはあの中の誰かが死ぬかもしれない。以前に顔を合わせたときは、瞬く間に別れた、今日も数えるくらいしか言葉を交わしていない程度の繋がり。部下の騎士達に至っては、まともな会話すら成立していない。
「それでも、ここで死なれちゃ寝覚めが悪すぎる」
結局のところはいつも通り。
――ラウラリスは見過ごすことはできない。
「困った性分だよ、本当に」
己の性分に呆れながらも、ラウラリスは改めて剣を強く握りしめた。
第三話 いつもの〝見過ごせない〟
ラウラリスという少女について、デュランは事前に知っているつもりだった。
可憐な見た目に反して身の丈と同じ長剣を得物とし、銀級ハンターでさえ手こずるような手強い危険種をも一人で討伐するほどの実力者。訪れた先々の町で賞金が賭けられた悪党を次々と捕縛していく手腕。
――しかし、目の前の光景はデュランの想像をはるかに超えていた。
「フ――ッッ」
ラウラリスが剣をひとつ振るえば、それだけで誰かが斬り捨てられる。
構えた武器も、身につけていた防具も関係がない。剣筋の延長上にあるもの全てを一刀で両断していく。
それだけならまだ良い。力任せの剣捌きで相手を防御ごと叩き伏せていくのは、大振りな得物の戦いぶりとしては決して間違ったものではない。
だが、ラウラリスのあの動きはいったい何なのか。
力任せと呼ぶには鮮麗であり、鮮やかと呼ぶには豪胆すぎる。静と動という、二つの相反する要素が合一する矛盾を孕んだ剣だ。
あんな小柄な躰で――人間の身体構造であのような動きが可能なのだろうか。
――一方で、ラウラリスも少し驚いていた。
献聖騎士達の練度はなかなかのものだ。互いが互いをフォローする、集団戦を前提とした訓練を積んできたのだろう。それでいて個々の技量も悪くない。しかし、その中でひときわ目を引くのはやはりデュランだ。
特別に速いわけでも、力強さを秘めているのでもない。ただ非常に動きが繊細なのだ。
「…………」
剣を振りかざして向かってくる敵に対し、デュランは柔らかく一歩を踏み込む。たったそれだけで相手の刃から逃れるのだ。
すれ違いざまに剣を一閃すれば、確実に相手の致命傷を狙う。死角からの攻撃に対しても、彼女は事前に攻撃が来るとわかっていたかのようにゆらりと躰を動かし、振り向きざまの一刀が逆に敵を切り伏せていく。
まるで薄氷の上を迷わず進み続けるかのごとき体捌きだ。
僅かに踏み外せば極寒の水中に身を落とすであろう脆い道程を、一度も道を違わず歩いていく――ラウラリスはそんな印象を受けた。
ラウラリス達が双方の戦いに少なからず意識を傾けていられるのは、彼女達の実力がこの戦いの場においてはそれだけ群を抜いていたからだ。およそ二十名近くもいた襲撃者達は、ほどなくして全てが打ち倒された。その中で最も多く敵を撃破していたのはやはり、デュランとラウラリスであった。
最後の一人を切り捨て、剣を担ぎながら周囲を見回すラウラリス。
辺りに散らばるのは、戦いに巻き込まれて破壊されたテーブルや食器の破片、倒れ伏し物言わなくなった乱入者達。それと、本体と分離した人間の手足や頭だ。献聖騎士の面々は全員が己の足でしっかりと立っていた。
「もしかして、私がいなくてもなんとかなったんじゃないか?」
「いいえ、ラウラリスさんが敵の目を強く引きつけてくれていたおかげで、一人の被害も出さずに済みました」
ラウラリスは当然として、デュランや他の騎士達にも目立った傷はない。
強いて言えば騎士たちの鎧に僅かに傷が増えている程度であったが、デュランに至っては呼吸の乱れもなく、鎧は戦いが始まる前と全く同じ綺麗なままであった。
(献聖騎士団ってのは、単なるお飾りの騎士団ってわけじゃなさそうだね)
ラウラリスは感心してから、うつ伏せに倒れた襲撃者の一人の側で足を止めた。
「ほら、起きな」
ぞんざいに胴を蹴飛ばすと、襲撃者が仰向けの体勢になり咳き込む。襲撃者の負傷具合は、今すぐ動き出すことはできないが、かといって致命傷ではない絶妙な塩梅。無論、運が良かったわけではなく、ラウラリスがそうなるように狙って倒したのだ。
別に情けをかけた、というわけでもない。
この襲撃者たちはデュランの命を狙っており、そのことはデュラン自身も承知していた。しかし、撃退したとしてもデュランが素直に事情を話してくれるとも限らない。可能性の話ではあるし、あるいは素直に説明をしてくれるかもしれない。
ただ、万が一を想定して尋問できる人間を生かしておこうとしたのだ。
「さぁ、ちゃっちゃと話してもらおうか。そこの騎士様を殺しにきた目的ってやつを」
威圧を込めた言葉と共に、長剣の刃を襲撃者の首筋に添える。
下手に黙りを決め込めば、即座に首と胴体が泣き別れになると言外に伝えた。
――けれども、ラウラリスは一つ読み違えていた。
襲撃者は忌々しげにラウラリスを睨み付けるが、続けて浮かべたのは勝ち誇ったような笑み。
そして……次の瞬間には苦悶の表情になる。
ガクガクと躰が震え始めると、口から血の混じった泡が漏れ出す。躰の震えが止まると、それっきり襲撃者は動かなくなった。
「ちっ、口の中に毒でも仕込んでたか」
情報が漏れぬよう、事前に用意していた毒を服用し、尋問の前に自ら命を絶つ。皇帝時代にもよく見た光景だが、まさかこの平和なご時世で見せられるとはラウラリスも予想外だ。
「いや、ちょっと待てよ?」
この平和な世界であっても、ひときわ物騒な集団の存在をラウラリスは思い出した。
崇める存在への、異様なまでの忠誠心。目的のために、己の命すら顧みないその有様。
――彼女は過去にそれらと遭遇していた。
ラウラリスは物言わなくなった襲撃者の懐を調べる。そして、想像通りの代物が出てきたことに顔を顰めた。
「……ったく今日は厄日だね、本当に」
彼女の手にあったのは、獅子と鷲と蛇が混ざり合った獣の意匠が彫り込まれたペンダント。
三百年もの昔に滅亡した悪の帝国の復活を目論む犯罪集団――『亡国を憂える者』に所属することを表す紋章であった。
乱入者――『亡国』の襲撃者達との戦闘で、小洒落た食堂は見るも無残な状態になっていた。
こんなところで落ち着いた話ができるはずもなく、デュランは場所を移すことを提案した。
「後処理に関しては部下を走らせ、騎士団の者を手配します。宿への賠償金もこちらがお支払いしましょう」
しばらくして献聖騎士団の人員が来ると、デュランは幾つかの指示を出して後を任せる。
それからラウラリスと幾人かの騎士達を連れてその場を後にした。向かった先は、予想通り献聖教会の建物であった。既に日も落ちているが、灯された明かりに照らされ、教会は静謐な存在感をあらわにしていた。
「来客用の応接室で話をしましょう。あそこなら出入り口も頑丈ですし警備もしやすい」
そのまま教会の中を進むと、礼拝堂と思わしき大きな部屋の前を通りかかる。長椅子が並び奥には説法を説くための祭壇。その更に奥の壁には、一つの像が建っていた。
「……顔がない?」
ラウラリスも多くの宗教を知っているわけではない。ただ一般的に、信奉する対象を像に投影し、祈りを捧げるのがこの手の宗教のあり方だと思っていた。
だが、そこに鎮座していたのは、剣を正面に構えた首のない女性の像であった。
「そういえば、ラウラリスさんは我らが女神のことはご存じなかったのでしたね」
「まぁ、ね」
デュランは像の目の前まで来ると、膝を突き祈るように両手を組んだ。
他にいた騎士たちも同様に像に祈りを捧げる。
ラウラリスは祈りを捧げることはなかったが、膝を突いたデュランの隣に立つ。デュランは祈りを捧げたまま語り出した。
「献聖教会は元々、高貴の出であった『ある女性』が、世の混迷を嘆く人々へ無償の施しを行った事が発祥とされています」
おそらく、最初は『宗教』という枠組みではなく、慈善団体のようなものだったのだろう。
「その女性は己の身を顧みず、自己を犠牲にしながらも他者に尽くし、最後は命を落としました。彼女の死後、遺された人々は彼女の献身を忘れず、そしてその救いを決して絶やしてはならぬと、女性を『献身の女神』として崇拝し、献聖教会の礎を築いたと伝わっています」
「なるほどねぇ」
献聖教会というのは、およそ『人神』と呼ばれるもの――人が没した後に、その人物を神として祀る信仰形態なのだ。
「この首なしの像がその『献身の女神』ってことか。にしちゃぁ、首がなかったり剣を持ってたりと妙な格好をしてるねぇ」
ラウラリスの記憶にある限り、人や獣を神として崇める宗教はあれど、首なしの偶像に祈りを捧げるようなものはなかったはずだ。
「……っと、これはさすがに失礼だったか」
「いえ。初めて教会を訪れる方々は、皆様似たような反応をされますから」
デュランは気を悪くする素振りも見せずに話を続けた。
「生前の彼女は、自身が崇拝の対象になることを嫌い、常に顔を出さなかったそうです。そして、迫り来る脅威に対しては自らが先頭に立ち、剣を携えて危機に立ち向かったと」
――力なき献身に意味はなく、献身なき力にもまた意味はない。
心だけの献身では脅威に立ち向かえず、献身のない力では真に人を救うことはできない。
戦前の献身の女神の行いに倣い、献聖騎士団は組織されたのである。
「献聖騎士団の歴史についてはまた今度。今は別の話を先にしましょう」
祈りを終えたデュランは立ち上がり、ラウラリスを連れて礼拝堂を後にした。
応接室に到着すると、デュランは配下に出入り口の警備を命じ、ラウラリスだけを連れて中に入った。
デュランはラウラリスに着席を促しながら己も対面に腰を下ろした。
「まずは改めて謝罪を」
そう言ってデュランは頭を下げた。
「こちらの事情に無理矢理巻き込むような形になって、大変申し訳ありません。まさか奴らがああも大っぴらに仕掛けてくるとは思ってもいませんでした」
「道理とか常識とか、まるで通じない連中だからね。無理もないよ」
同情を口にしてから、ラウラリスは肩を竦めた。
「私としちゃぁ不本意の極みだが、『亡国』の連中とはちょいとあってね。連中が絡んでるとなると、アンタの依頼ってのを無下にするわけにはいかなくなっちまった」
『亡国を憂える者』――その『亡国』とは、他ならぬ三百年前に滅んだエルダヌス帝国を指す。そのエルダヌス帝国をかつて治めていたラウラリスからしてみれば、身から出た錆――と呼ぶには言い掛かりに近いものがあるが、かといって黙って見過ごすのは性分に反していた。
「……申し訳ありません」
もう一度謝罪を口にするデュランに、ラウラリスは鋭い視線を向けた。
「『亡国』の馬鹿どもが襲ってきた理由。それと、アンタが私に頼みたい依頼。どちらが先でもいいから、きっちりと説明してもらいたいね」
目を瞑り、僅かに思案してからデュランは頷いた。
「本来であれば承諾を得てからお話しするつもりでしたが、このような事態になれば、もう隠し立てするわけにもいきませんね。わかりました、全てお話しいたします」
小さく間を置いてから、デュランは口を開いた。
「まず最初に誤解を解いておきたいのですが、この依頼に違法性はありません。これは我らが信奉する女神に誓って断言いたします」
意外な言葉にラウラリスはちょっと面食らう。
「私みたいなはぐれ者に依頼を出すから、てっきり――」
「当初は我々もハンターギルドに依頼を出すことを考えていましたが、現時点で我々が考慮していた条件に最も適していたのがあなただったのです」
「その条件ってのは?」
「女性であること、そして私に匹敵する技量を持っていることです」
なるほど、その条件でいえばラウラリスほどの適任者はそうはいないだろう。
「……技量に関しては、私など足元にも及ばぬ腕達者だったようですが」
「おだてたって、皮肉しか出てこないよ」
「私もそれなりの腕だと自負していますが、上には上がいることを痛感した次第です」
ラウラリスの目からしても、デュランの若さであの技量を持っていることは驚きだ。単に繊細な動きというだけではない。僅かに間違えば命を失うような状況に身を置いてなお、己を絶対に見失わない強靱な精神力がなければできない体捌きだ。
ついラウラリスの分析癖が顔を出すが、今は蓋をしておく。
「それに、あの状況でラウラリスさんは我々を見捨てなかった。それを加味して、あなたをおいて他にはいないと私は結論を出しました」
「高く見積もってもらってありがとよ。じゃぁそろそろ本題に入ろうじゃないか」
「その前に一つだけ」
「まだ何かあるのかい?」
「これから話す内容は、依頼の承諾如何を問わず他言無用にお願いします。下手に話が外部に漏れれば、あらぬ混乱を招きかねませんので」
デュランの真剣な表情を受けて、ラウラリスは頷いた。デュランは改めて話し始める。
「今回ラウラリスさんにお願いしたいのは、さる御方の身辺警護です」
「さる御方……ねぇ。具体的にどこのどなたで?」
「ラクリマ・ピーズリ枢機卿です」
実際に献聖教会という組織がどのような構造をしているかは不明だが、『枢機卿』という役職にはラウラリスも聞き覚えがあった。
「枢機卿ってのは、ものすごく偉い人ってイメージがあるんだけど」
「具体的には、女神様を信奉する者たちの頂点に『教皇』がいらっしゃり、その教皇様を補佐する三名の枢機卿がいます。ラクリマ様はその三名のうちのお一人です」
ラウラリスはグッと、ソファーに深くもたれ掛かった。これまでの出来事と今の話を統合して、これからの展開がだいたい予想できてしまったからだ。話を聞きたくないような気持ちはあれど、ここまで聞いておいてさよならをするわけにもいかない。悩ましさを抱きつつも、ラウラリスは先を促す。
「そのラクリマさんの護衛と、アンタが『亡国』の奴らに狙われたことは、どう関係してんだい?」
「『亡国』の者たちは、あろうことかラクリマ様のお命を狙っています。私が襲われたのはおそらく、あの方の身辺警護の責任者だからです」
「本命はラクリマさんで、アンタを狙ったのはその下ごしらえみたいなもんか」
デュランがグッと拳を作り力を込めた。
「私を狙う分には一向に構いません。ですが、ラクリマ様の身に何かがあれば、それこそ献聖教会という組織が揺るぎかねません」
教会内での重要人物というのもあるのだろうが、ラウラリスにはデュランの抱く義憤にはラクリマ個人への思い入れもあるように見えた。
「そりゃぁ、中枢の一人が死んだら大変だろうね。後釜とか色々と」
「話はそう簡単ではありません。実は教皇様が先日、とある宣言を教会全体に発したのです」
献聖教会の現教皇は特に病もなく健康体ではあるものの、任期は長く既にかなりの高齢である。
そのため、次期教皇を近いうちに発表する旨を発したのだ。
「代々の教皇様はそのときの枢機卿から一人が選ばれます」
「三人いる枢機卿は誰もが教皇候補ってわけか」
今の時期にその教皇候補の一人が殺されでもすれば、献聖教会は大混乱に陥るだろう。
「それが『亡国』の奴らに狙われてる理由かい?」
「正確なところはわかりませんが、教皇様が次期教皇の選出を発表してから、ラクリマ様に対して幾度かの襲撃がありました。これが無関係であるとは考えにくい状況です」
ラクリマ当人は無事だが、警護に当たっている献聖騎士団の人員には負傷者も出ている。
「詳細を調べるため、襲撃に加担した『亡国』の一員を捕縛し、尋問しようとしたのですが」
「……ああ、そうしたらさっきみたいに自決するか、『狂戦士』になるかのどちらかってわけか」
『亡国』を相手にする面倒さはラウラリスも嫌と言うほど味わっている。
理性と命を引き換えに、圧倒的な身体能力を得て死ぬまで戦い抜く〝狂戦士化〟が最たるものだ。
「献聖教会は信者数も多く、礼拝で集まった者たちを狙ったテロ行為もこれまで何度もありました」
『亡国を憂える者』たちは、三百年前に帝国が滅んで以降に生じたあらゆるものに対して敵愾心を抱いている。人が多く集まる場所に対して破壊行為を仕掛け、多くの者を傷付ける。
そんな奴らからすれば、教会という組織は格好の的であろう。
「もちろん、それらの脅威から信者達を守護するのが我ら献聖騎士団の役目。常に教会には献聖騎士たちが駐在し、警護に当たっています」
本当に煮ても焼いても食えない奴らだね、とラウラリスは呆れ果てるしかなかった。
「ですが、特定の個人を執拗に狙うということは、これまでは殆どありませんでした。それが、よりにもよってラクリマ様に……」
ギリッと、またもデュランは感情をあらわに歯を噛みしめた。
ラクリマという枢機卿がそれほどまでに大事なのか。
「まぁ、事情はさておき、実はちょっと疑問があったんだがね」
「あ……失礼しました。疑問とはなんでしょうか?」
熱くなっていたことに気が付き、小さく謝罪の言葉を述べてからラウラリスに問い返すデュラン。
「腕達者の女性を探してたって話だが――なんでわざわざ女を探してたんだい? 護衛なら男でいいだろ」
「……ああ、失礼しました。てっきりラクリマ様をご存じであるという前提で話を進めていました」
説明不足を詫びるデュラン。
「献聖教会における現枢機卿は三名。そのうちのお二人は女性でいらっしゃいます」
「……じゃぁ、そのラクリマって枢機卿も……」
「はい、ラクリマ・ピーズリ枢機卿は女性でいらっしゃいます。そしてラクリマ様こそが、我が献聖騎士団の総長であらせられるのです」
そう言うデュランは、どこか誇らしげな様子であった。
献聖騎士団の総長とは、つまりはデュラン直属の上司ということ。
「私が言うのも妙な話だが、騎士団の総長が女ってのは珍しそうだねぇ」
「少なくとも献聖騎士団の発祥は献身の女神です。歴代の献聖騎士団団長には何度も女性が就任していますし、私のように女で部隊長を任されている者もいます」
常識的に考えれば、男性と女性のどちらが身体的に優れているかはもはや問うまでもない。男と女が闘えば普通は男が勝つ。
けれども、その生まれ持った身体的な差を補ってもなお、あり余る能力を持つ者が存在することをラウラリスは当然知っている。
――かつての皇帝時代、帝国の頂点に君臨していた女帝ラウラリスはもはや言うに及ばず、皇帝直属の部下である四天魔将の一人も女であった。
他にも、帝国軍においては女性でありながらも優れた才覚を発揮した者は何人もいた。そのことを考えれば、献聖騎士団の総長が女性であるという事実も、少しだけ珍しいという程度でしかなかった。
「たしかに、女の身辺警護となりゃぁ男だとどうしても限界があるか……なるほどねぇ」
細かい話はまだあるだろうが、最初に提示したラウラリスの疑問に対する解は得られた。
「それで……いかがでしょうか?」
緊張した面持ちのデュランが、問いかける。ラウラリスは腕を組み、考えを巡らせる。
――もっとも、『亡国』が絡んでいる以上、答えは最初から決まっているも同然であった。
「良いだろう。アンタの依頼、引き受けようじゃないか」
「本当ですか⁉」
「ただし!」
身を乗り出さんばかりのデュランを、ラウラリスはピシャリと制止した。
「まずはその枢機卿に直に会って話がしたい。護衛対象の人となりを知らにゃ守りようがない。それと期間は決めさせてもらうよ。一カ所に留まり続ける気は今のところないんでね」
「それはもちろんですとも。では、よろしくお願いいたします」
「ああ、よろしく」
かくして、ラウラリスは新たな依頼を引き受けたのである。
ラクリマがいるのはここから離れた町のようだ。
出発の前にラウラリスはアーキナの手配してくれた宿に一度出向き、謝罪を述べた。
直接的に非はなかったが、彼女があの宿を利用していなければ先の被害は出なかったのだ。
幸いにも、宿のほうには必要十分な損害賠償金が献聖教会から支払われたようで、謝罪に来たラウラリスに宿側からの苦言はほとんど出てこなかった。もしアーキナが宿に来るようなことがあれば礼と謝罪の伝言を頼み、ラウラリスはデュランと共に町を出た。
目的地に向かう間に目立った出来事はなかった。強いて言えば何度か危険種と遭遇したが、同行していた献聖騎士団の団員達が瞬く間に仕留めていった。
少し前にアーキナの馬車を護衛していたハンターたち。純粋な戦闘力という点に限れば、団員達は彼らを上回る実力を見せていた。
もっとも、ハンターにはそれ以外にも討ち取った危険種の処理などの能力も求められるため、どちらが総合的に優れているかは一概に判断できない。
宿場町をいくつか挟んで一週間程度の道程を消化し、大きな町へと辿り着いた。
「話には聞いてたが、なかなかに賑やかな場所だね」
「この町には教会の大きな支部がありますから。それを一目見ようと訪れる信徒もいます」
馬車の窓から顔を出すと、町のどこからでも姿が確認できる大きな建物が見えた。
あれがラウラリスが今まさに向かっている献聖教会の聖堂だ。
「王都にある本山はあれよりデカいのかい?」
「そうです。山の中腹にそびえ立つ大聖堂は、たとえ信徒でなくとも一見の価値はあります。王都を訪れた際はぜひご覧になってください」
「ああ、機会があればそうさせてもらうよ」
ラウラリス達を乗せた馬車はそのまま聖堂へと入っていった。
馬車で移動している最中に、ラウラリスはデュランから細かい事情を色々と聞かされた。
デュラン達がラウラリスを見つけた町にいたのは、いわば視察のようなものだった。
各所に点在する献聖教会の支部が正常に運営されているかを確認するための任務。
どれほど誠実を心掛けていたとしても、魔が差す者はどうしても出てくる。
教会の人間も例外ではなく、それを防ぐために抜き打ちで訪問先に視察を行うのだとか。
だがその任務とは別に、デュランはラクリマの護衛が務まる人材を探すようにと、ラクリマ当人から密かに命じられていた。ただこちらはあくまでもついでという風だったとか。
「ラウラリスさんを見つけられたのは本当に偶然でした。各地にいるハンターたちの間で『剣姫』の噂が流れていることは耳にしていましたが、実際にお会いできるとは思っていませんでしたよ」
デュランから聞かされた話に、ラウラリスが若干嫌そうな顔になったのは余談である。
一息で躰を斜めに断たれ、男は己の身に起こったことを理解できず、視界が意志とは関係なくズレていくのを呆然と眺める。
「巻き添えだろうが、殺気を向けてくる相手に容赦してやれるほど私はお人好しじゃないよ」
どちゃりと、物言わなくなった人の上半身が地面に落ちる音がする。
ようやくこの場にいる全ての人間が、ラウラリスの現在位置を認識した。
「え――?」
デュランを含め、騎士たちは一瞬状況を呑み込めなかった。
ラウラリスから意識を外したわけではないのに、気が付けば彼女は襲撃者たちの目前へと肉薄していたのだ。まさに刹那の踏み込みであった。
それは襲撃者たちも同じだった。仲間の一人を瞬時に斬殺されたことを認識できずにいた。
だが事実を認識すると、咄嗟にラウラリスから飛び退くように全員が離れた。
彼らもラウラリスの底知れぬ強さの一端は感じ取れたはずだが、それ以上に退く気はないようだ。
彼女から距離を取りはしたものの、逃そうという気配はなかった。
「やれやれ、ここで終わってくれりゃぁ楽だったんだが、ちと高望みしすぎか」
宿の受付でデュランの顔を見たときに胸中に生じた嫌な予感。
それがまさに的中したことをラウラリスは確信してしまった。
この状況をただ単に脱するならば簡単。たとえこの十倍の人数に囲まれていようとも、ラウラリス一人だけであれば、ほぼ無傷で逃走することは可能だ。
「…………はぁ」
ラウラリスはチラリとデュランを横目で見た。
もしここでラウラリスが逃げれば、当然デュラン達を放っておくことになる。
おそらく彼女達だけでも、この状況を打破することは可能だろう。しかしこの人数を相手にすれば、あるいはあの中の誰かが死ぬかもしれない。以前に顔を合わせたときは、瞬く間に別れた、今日も数えるくらいしか言葉を交わしていない程度の繋がり。部下の騎士達に至っては、まともな会話すら成立していない。
「それでも、ここで死なれちゃ寝覚めが悪すぎる」
結局のところはいつも通り。
――ラウラリスは見過ごすことはできない。
「困った性分だよ、本当に」
己の性分に呆れながらも、ラウラリスは改めて剣を強く握りしめた。
第三話 いつもの〝見過ごせない〟
ラウラリスという少女について、デュランは事前に知っているつもりだった。
可憐な見た目に反して身の丈と同じ長剣を得物とし、銀級ハンターでさえ手こずるような手強い危険種をも一人で討伐するほどの実力者。訪れた先々の町で賞金が賭けられた悪党を次々と捕縛していく手腕。
――しかし、目の前の光景はデュランの想像をはるかに超えていた。
「フ――ッッ」
ラウラリスが剣をひとつ振るえば、それだけで誰かが斬り捨てられる。
構えた武器も、身につけていた防具も関係がない。剣筋の延長上にあるもの全てを一刀で両断していく。
それだけならまだ良い。力任せの剣捌きで相手を防御ごと叩き伏せていくのは、大振りな得物の戦いぶりとしては決して間違ったものではない。
だが、ラウラリスのあの動きはいったい何なのか。
力任せと呼ぶには鮮麗であり、鮮やかと呼ぶには豪胆すぎる。静と動という、二つの相反する要素が合一する矛盾を孕んだ剣だ。
あんな小柄な躰で――人間の身体構造であのような動きが可能なのだろうか。
――一方で、ラウラリスも少し驚いていた。
献聖騎士達の練度はなかなかのものだ。互いが互いをフォローする、集団戦を前提とした訓練を積んできたのだろう。それでいて個々の技量も悪くない。しかし、その中でひときわ目を引くのはやはりデュランだ。
特別に速いわけでも、力強さを秘めているのでもない。ただ非常に動きが繊細なのだ。
「…………」
剣を振りかざして向かってくる敵に対し、デュランは柔らかく一歩を踏み込む。たったそれだけで相手の刃から逃れるのだ。
すれ違いざまに剣を一閃すれば、確実に相手の致命傷を狙う。死角からの攻撃に対しても、彼女は事前に攻撃が来るとわかっていたかのようにゆらりと躰を動かし、振り向きざまの一刀が逆に敵を切り伏せていく。
まるで薄氷の上を迷わず進み続けるかのごとき体捌きだ。
僅かに踏み外せば極寒の水中に身を落とすであろう脆い道程を、一度も道を違わず歩いていく――ラウラリスはそんな印象を受けた。
ラウラリス達が双方の戦いに少なからず意識を傾けていられるのは、彼女達の実力がこの戦いの場においてはそれだけ群を抜いていたからだ。およそ二十名近くもいた襲撃者達は、ほどなくして全てが打ち倒された。その中で最も多く敵を撃破していたのはやはり、デュランとラウラリスであった。
最後の一人を切り捨て、剣を担ぎながら周囲を見回すラウラリス。
辺りに散らばるのは、戦いに巻き込まれて破壊されたテーブルや食器の破片、倒れ伏し物言わなくなった乱入者達。それと、本体と分離した人間の手足や頭だ。献聖騎士の面々は全員が己の足でしっかりと立っていた。
「もしかして、私がいなくてもなんとかなったんじゃないか?」
「いいえ、ラウラリスさんが敵の目を強く引きつけてくれていたおかげで、一人の被害も出さずに済みました」
ラウラリスは当然として、デュランや他の騎士達にも目立った傷はない。
強いて言えば騎士たちの鎧に僅かに傷が増えている程度であったが、デュランに至っては呼吸の乱れもなく、鎧は戦いが始まる前と全く同じ綺麗なままであった。
(献聖騎士団ってのは、単なるお飾りの騎士団ってわけじゃなさそうだね)
ラウラリスは感心してから、うつ伏せに倒れた襲撃者の一人の側で足を止めた。
「ほら、起きな」
ぞんざいに胴を蹴飛ばすと、襲撃者が仰向けの体勢になり咳き込む。襲撃者の負傷具合は、今すぐ動き出すことはできないが、かといって致命傷ではない絶妙な塩梅。無論、運が良かったわけではなく、ラウラリスがそうなるように狙って倒したのだ。
別に情けをかけた、というわけでもない。
この襲撃者たちはデュランの命を狙っており、そのことはデュラン自身も承知していた。しかし、撃退したとしてもデュランが素直に事情を話してくれるとも限らない。可能性の話ではあるし、あるいは素直に説明をしてくれるかもしれない。
ただ、万が一を想定して尋問できる人間を生かしておこうとしたのだ。
「さぁ、ちゃっちゃと話してもらおうか。そこの騎士様を殺しにきた目的ってやつを」
威圧を込めた言葉と共に、長剣の刃を襲撃者の首筋に添える。
下手に黙りを決め込めば、即座に首と胴体が泣き別れになると言外に伝えた。
――けれども、ラウラリスは一つ読み違えていた。
襲撃者は忌々しげにラウラリスを睨み付けるが、続けて浮かべたのは勝ち誇ったような笑み。
そして……次の瞬間には苦悶の表情になる。
ガクガクと躰が震え始めると、口から血の混じった泡が漏れ出す。躰の震えが止まると、それっきり襲撃者は動かなくなった。
「ちっ、口の中に毒でも仕込んでたか」
情報が漏れぬよう、事前に用意していた毒を服用し、尋問の前に自ら命を絶つ。皇帝時代にもよく見た光景だが、まさかこの平和なご時世で見せられるとはラウラリスも予想外だ。
「いや、ちょっと待てよ?」
この平和な世界であっても、ひときわ物騒な集団の存在をラウラリスは思い出した。
崇める存在への、異様なまでの忠誠心。目的のために、己の命すら顧みないその有様。
――彼女は過去にそれらと遭遇していた。
ラウラリスは物言わなくなった襲撃者の懐を調べる。そして、想像通りの代物が出てきたことに顔を顰めた。
「……ったく今日は厄日だね、本当に」
彼女の手にあったのは、獅子と鷲と蛇が混ざり合った獣の意匠が彫り込まれたペンダント。
三百年もの昔に滅亡した悪の帝国の復活を目論む犯罪集団――『亡国を憂える者』に所属することを表す紋章であった。
乱入者――『亡国』の襲撃者達との戦闘で、小洒落た食堂は見るも無残な状態になっていた。
こんなところで落ち着いた話ができるはずもなく、デュランは場所を移すことを提案した。
「後処理に関しては部下を走らせ、騎士団の者を手配します。宿への賠償金もこちらがお支払いしましょう」
しばらくして献聖騎士団の人員が来ると、デュランは幾つかの指示を出して後を任せる。
それからラウラリスと幾人かの騎士達を連れてその場を後にした。向かった先は、予想通り献聖教会の建物であった。既に日も落ちているが、灯された明かりに照らされ、教会は静謐な存在感をあらわにしていた。
「来客用の応接室で話をしましょう。あそこなら出入り口も頑丈ですし警備もしやすい」
そのまま教会の中を進むと、礼拝堂と思わしき大きな部屋の前を通りかかる。長椅子が並び奥には説法を説くための祭壇。その更に奥の壁には、一つの像が建っていた。
「……顔がない?」
ラウラリスも多くの宗教を知っているわけではない。ただ一般的に、信奉する対象を像に投影し、祈りを捧げるのがこの手の宗教のあり方だと思っていた。
だが、そこに鎮座していたのは、剣を正面に構えた首のない女性の像であった。
「そういえば、ラウラリスさんは我らが女神のことはご存じなかったのでしたね」
「まぁ、ね」
デュランは像の目の前まで来ると、膝を突き祈るように両手を組んだ。
他にいた騎士たちも同様に像に祈りを捧げる。
ラウラリスは祈りを捧げることはなかったが、膝を突いたデュランの隣に立つ。デュランは祈りを捧げたまま語り出した。
「献聖教会は元々、高貴の出であった『ある女性』が、世の混迷を嘆く人々へ無償の施しを行った事が発祥とされています」
おそらく、最初は『宗教』という枠組みではなく、慈善団体のようなものだったのだろう。
「その女性は己の身を顧みず、自己を犠牲にしながらも他者に尽くし、最後は命を落としました。彼女の死後、遺された人々は彼女の献身を忘れず、そしてその救いを決して絶やしてはならぬと、女性を『献身の女神』として崇拝し、献聖教会の礎を築いたと伝わっています」
「なるほどねぇ」
献聖教会というのは、およそ『人神』と呼ばれるもの――人が没した後に、その人物を神として祀る信仰形態なのだ。
「この首なしの像がその『献身の女神』ってことか。にしちゃぁ、首がなかったり剣を持ってたりと妙な格好をしてるねぇ」
ラウラリスの記憶にある限り、人や獣を神として崇める宗教はあれど、首なしの偶像に祈りを捧げるようなものはなかったはずだ。
「……っと、これはさすがに失礼だったか」
「いえ。初めて教会を訪れる方々は、皆様似たような反応をされますから」
デュランは気を悪くする素振りも見せずに話を続けた。
「生前の彼女は、自身が崇拝の対象になることを嫌い、常に顔を出さなかったそうです。そして、迫り来る脅威に対しては自らが先頭に立ち、剣を携えて危機に立ち向かったと」
――力なき献身に意味はなく、献身なき力にもまた意味はない。
心だけの献身では脅威に立ち向かえず、献身のない力では真に人を救うことはできない。
戦前の献身の女神の行いに倣い、献聖騎士団は組織されたのである。
「献聖騎士団の歴史についてはまた今度。今は別の話を先にしましょう」
祈りを終えたデュランは立ち上がり、ラウラリスを連れて礼拝堂を後にした。
応接室に到着すると、デュランは配下に出入り口の警備を命じ、ラウラリスだけを連れて中に入った。
デュランはラウラリスに着席を促しながら己も対面に腰を下ろした。
「まずは改めて謝罪を」
そう言ってデュランは頭を下げた。
「こちらの事情に無理矢理巻き込むような形になって、大変申し訳ありません。まさか奴らがああも大っぴらに仕掛けてくるとは思ってもいませんでした」
「道理とか常識とか、まるで通じない連中だからね。無理もないよ」
同情を口にしてから、ラウラリスは肩を竦めた。
「私としちゃぁ不本意の極みだが、『亡国』の連中とはちょいとあってね。連中が絡んでるとなると、アンタの依頼ってのを無下にするわけにはいかなくなっちまった」
『亡国を憂える者』――その『亡国』とは、他ならぬ三百年前に滅んだエルダヌス帝国を指す。そのエルダヌス帝国をかつて治めていたラウラリスからしてみれば、身から出た錆――と呼ぶには言い掛かりに近いものがあるが、かといって黙って見過ごすのは性分に反していた。
「……申し訳ありません」
もう一度謝罪を口にするデュランに、ラウラリスは鋭い視線を向けた。
「『亡国』の馬鹿どもが襲ってきた理由。それと、アンタが私に頼みたい依頼。どちらが先でもいいから、きっちりと説明してもらいたいね」
目を瞑り、僅かに思案してからデュランは頷いた。
「本来であれば承諾を得てからお話しするつもりでしたが、このような事態になれば、もう隠し立てするわけにもいきませんね。わかりました、全てお話しいたします」
小さく間を置いてから、デュランは口を開いた。
「まず最初に誤解を解いておきたいのですが、この依頼に違法性はありません。これは我らが信奉する女神に誓って断言いたします」
意外な言葉にラウラリスはちょっと面食らう。
「私みたいなはぐれ者に依頼を出すから、てっきり――」
「当初は我々もハンターギルドに依頼を出すことを考えていましたが、現時点で我々が考慮していた条件に最も適していたのがあなただったのです」
「その条件ってのは?」
「女性であること、そして私に匹敵する技量を持っていることです」
なるほど、その条件でいえばラウラリスほどの適任者はそうはいないだろう。
「……技量に関しては、私など足元にも及ばぬ腕達者だったようですが」
「おだてたって、皮肉しか出てこないよ」
「私もそれなりの腕だと自負していますが、上には上がいることを痛感した次第です」
ラウラリスの目からしても、デュランの若さであの技量を持っていることは驚きだ。単に繊細な動きというだけではない。僅かに間違えば命を失うような状況に身を置いてなお、己を絶対に見失わない強靱な精神力がなければできない体捌きだ。
ついラウラリスの分析癖が顔を出すが、今は蓋をしておく。
「それに、あの状況でラウラリスさんは我々を見捨てなかった。それを加味して、あなたをおいて他にはいないと私は結論を出しました」
「高く見積もってもらってありがとよ。じゃぁそろそろ本題に入ろうじゃないか」
「その前に一つだけ」
「まだ何かあるのかい?」
「これから話す内容は、依頼の承諾如何を問わず他言無用にお願いします。下手に話が外部に漏れれば、あらぬ混乱を招きかねませんので」
デュランの真剣な表情を受けて、ラウラリスは頷いた。デュランは改めて話し始める。
「今回ラウラリスさんにお願いしたいのは、さる御方の身辺警護です」
「さる御方……ねぇ。具体的にどこのどなたで?」
「ラクリマ・ピーズリ枢機卿です」
実際に献聖教会という組織がどのような構造をしているかは不明だが、『枢機卿』という役職にはラウラリスも聞き覚えがあった。
「枢機卿ってのは、ものすごく偉い人ってイメージがあるんだけど」
「具体的には、女神様を信奉する者たちの頂点に『教皇』がいらっしゃり、その教皇様を補佐する三名の枢機卿がいます。ラクリマ様はその三名のうちのお一人です」
ラウラリスはグッと、ソファーに深くもたれ掛かった。これまでの出来事と今の話を統合して、これからの展開がだいたい予想できてしまったからだ。話を聞きたくないような気持ちはあれど、ここまで聞いておいてさよならをするわけにもいかない。悩ましさを抱きつつも、ラウラリスは先を促す。
「そのラクリマさんの護衛と、アンタが『亡国』の奴らに狙われたことは、どう関係してんだい?」
「『亡国』の者たちは、あろうことかラクリマ様のお命を狙っています。私が襲われたのはおそらく、あの方の身辺警護の責任者だからです」
「本命はラクリマさんで、アンタを狙ったのはその下ごしらえみたいなもんか」
デュランがグッと拳を作り力を込めた。
「私を狙う分には一向に構いません。ですが、ラクリマ様の身に何かがあれば、それこそ献聖教会という組織が揺るぎかねません」
教会内での重要人物というのもあるのだろうが、ラウラリスにはデュランの抱く義憤にはラクリマ個人への思い入れもあるように見えた。
「そりゃぁ、中枢の一人が死んだら大変だろうね。後釜とか色々と」
「話はそう簡単ではありません。実は教皇様が先日、とある宣言を教会全体に発したのです」
献聖教会の現教皇は特に病もなく健康体ではあるものの、任期は長く既にかなりの高齢である。
そのため、次期教皇を近いうちに発表する旨を発したのだ。
「代々の教皇様はそのときの枢機卿から一人が選ばれます」
「三人いる枢機卿は誰もが教皇候補ってわけか」
今の時期にその教皇候補の一人が殺されでもすれば、献聖教会は大混乱に陥るだろう。
「それが『亡国』の奴らに狙われてる理由かい?」
「正確なところはわかりませんが、教皇様が次期教皇の選出を発表してから、ラクリマ様に対して幾度かの襲撃がありました。これが無関係であるとは考えにくい状況です」
ラクリマ当人は無事だが、警護に当たっている献聖騎士団の人員には負傷者も出ている。
「詳細を調べるため、襲撃に加担した『亡国』の一員を捕縛し、尋問しようとしたのですが」
「……ああ、そうしたらさっきみたいに自決するか、『狂戦士』になるかのどちらかってわけか」
『亡国』を相手にする面倒さはラウラリスも嫌と言うほど味わっている。
理性と命を引き換えに、圧倒的な身体能力を得て死ぬまで戦い抜く〝狂戦士化〟が最たるものだ。
「献聖教会は信者数も多く、礼拝で集まった者たちを狙ったテロ行為もこれまで何度もありました」
『亡国を憂える者』たちは、三百年前に帝国が滅んで以降に生じたあらゆるものに対して敵愾心を抱いている。人が多く集まる場所に対して破壊行為を仕掛け、多くの者を傷付ける。
そんな奴らからすれば、教会という組織は格好の的であろう。
「もちろん、それらの脅威から信者達を守護するのが我ら献聖騎士団の役目。常に教会には献聖騎士たちが駐在し、警護に当たっています」
本当に煮ても焼いても食えない奴らだね、とラウラリスは呆れ果てるしかなかった。
「ですが、特定の個人を執拗に狙うということは、これまでは殆どありませんでした。それが、よりにもよってラクリマ様に……」
ギリッと、またもデュランは感情をあらわに歯を噛みしめた。
ラクリマという枢機卿がそれほどまでに大事なのか。
「まぁ、事情はさておき、実はちょっと疑問があったんだがね」
「あ……失礼しました。疑問とはなんでしょうか?」
熱くなっていたことに気が付き、小さく謝罪の言葉を述べてからラウラリスに問い返すデュラン。
「腕達者の女性を探してたって話だが――なんでわざわざ女を探してたんだい? 護衛なら男でいいだろ」
「……ああ、失礼しました。てっきりラクリマ様をご存じであるという前提で話を進めていました」
説明不足を詫びるデュラン。
「献聖教会における現枢機卿は三名。そのうちのお二人は女性でいらっしゃいます」
「……じゃぁ、そのラクリマって枢機卿も……」
「はい、ラクリマ・ピーズリ枢機卿は女性でいらっしゃいます。そしてラクリマ様こそが、我が献聖騎士団の総長であらせられるのです」
そう言うデュランは、どこか誇らしげな様子であった。
献聖騎士団の総長とは、つまりはデュラン直属の上司ということ。
「私が言うのも妙な話だが、騎士団の総長が女ってのは珍しそうだねぇ」
「少なくとも献聖騎士団の発祥は献身の女神です。歴代の献聖騎士団団長には何度も女性が就任していますし、私のように女で部隊長を任されている者もいます」
常識的に考えれば、男性と女性のどちらが身体的に優れているかはもはや問うまでもない。男と女が闘えば普通は男が勝つ。
けれども、その生まれ持った身体的な差を補ってもなお、あり余る能力を持つ者が存在することをラウラリスは当然知っている。
――かつての皇帝時代、帝国の頂点に君臨していた女帝ラウラリスはもはや言うに及ばず、皇帝直属の部下である四天魔将の一人も女であった。
他にも、帝国軍においては女性でありながらも優れた才覚を発揮した者は何人もいた。そのことを考えれば、献聖騎士団の総長が女性であるという事実も、少しだけ珍しいという程度でしかなかった。
「たしかに、女の身辺警護となりゃぁ男だとどうしても限界があるか……なるほどねぇ」
細かい話はまだあるだろうが、最初に提示したラウラリスの疑問に対する解は得られた。
「それで……いかがでしょうか?」
緊張した面持ちのデュランが、問いかける。ラウラリスは腕を組み、考えを巡らせる。
――もっとも、『亡国』が絡んでいる以上、答えは最初から決まっているも同然であった。
「良いだろう。アンタの依頼、引き受けようじゃないか」
「本当ですか⁉」
「ただし!」
身を乗り出さんばかりのデュランを、ラウラリスはピシャリと制止した。
「まずはその枢機卿に直に会って話がしたい。護衛対象の人となりを知らにゃ守りようがない。それと期間は決めさせてもらうよ。一カ所に留まり続ける気は今のところないんでね」
「それはもちろんですとも。では、よろしくお願いいたします」
「ああ、よろしく」
かくして、ラウラリスは新たな依頼を引き受けたのである。
ラクリマがいるのはここから離れた町のようだ。
出発の前にラウラリスはアーキナの手配してくれた宿に一度出向き、謝罪を述べた。
直接的に非はなかったが、彼女があの宿を利用していなければ先の被害は出なかったのだ。
幸いにも、宿のほうには必要十分な損害賠償金が献聖教会から支払われたようで、謝罪に来たラウラリスに宿側からの苦言はほとんど出てこなかった。もしアーキナが宿に来るようなことがあれば礼と謝罪の伝言を頼み、ラウラリスはデュランと共に町を出た。
目的地に向かう間に目立った出来事はなかった。強いて言えば何度か危険種と遭遇したが、同行していた献聖騎士団の団員達が瞬く間に仕留めていった。
少し前にアーキナの馬車を護衛していたハンターたち。純粋な戦闘力という点に限れば、団員達は彼らを上回る実力を見せていた。
もっとも、ハンターにはそれ以外にも討ち取った危険種の処理などの能力も求められるため、どちらが総合的に優れているかは一概に判断できない。
宿場町をいくつか挟んで一週間程度の道程を消化し、大きな町へと辿り着いた。
「話には聞いてたが、なかなかに賑やかな場所だね」
「この町には教会の大きな支部がありますから。それを一目見ようと訪れる信徒もいます」
馬車の窓から顔を出すと、町のどこからでも姿が確認できる大きな建物が見えた。
あれがラウラリスが今まさに向かっている献聖教会の聖堂だ。
「王都にある本山はあれよりデカいのかい?」
「そうです。山の中腹にそびえ立つ大聖堂は、たとえ信徒でなくとも一見の価値はあります。王都を訪れた際はぜひご覧になってください」
「ああ、機会があればそうさせてもらうよ」
ラウラリス達を乗せた馬車はそのまま聖堂へと入っていった。
馬車で移動している最中に、ラウラリスはデュランから細かい事情を色々と聞かされた。
デュラン達がラウラリスを見つけた町にいたのは、いわば視察のようなものだった。
各所に点在する献聖教会の支部が正常に運営されているかを確認するための任務。
どれほど誠実を心掛けていたとしても、魔が差す者はどうしても出てくる。
教会の人間も例外ではなく、それを防ぐために抜き打ちで訪問先に視察を行うのだとか。
だがその任務とは別に、デュランはラクリマの護衛が務まる人材を探すようにと、ラクリマ当人から密かに命じられていた。ただこちらはあくまでもついでという風だったとか。
「ラウラリスさんを見つけられたのは本当に偶然でした。各地にいるハンターたちの間で『剣姫』の噂が流れていることは耳にしていましたが、実際にお会いできるとは思っていませんでしたよ」
デュランから聞かされた話に、ラウラリスが若干嫌そうな顔になったのは余談である。
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