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3巻

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 女性はハッとなり、おのれそばを横切った姿を追って背後を振り返る。しかし、既にラウラリスの姿は人混みに中に埋もれており……少しして人の絶叫が辺りに響き渡った。
 またも人垣が割れると、そこには地にした男とその腕をひねり上げているラウラリスの姿があった。ひねられている側の手には、貨幣が詰まっていると思われる袋がにぎられている。

「私の目の前でスリをしようなんざ、三百と八十年早いんだよ‼」

 微妙に具体的な年数である。それはともかく、ラウラリスはあの人混みの中、先ほどの騒ぎに乗じて悪さを働こうとしていた者をざとく見つけていたのだ。恐るべき高性能悪人センサーである。
 ラウラリスは周囲に声をかけ、盗まれた者を見つけると取り返した財布を渡してやった。
 それから、腕をひねったまま盗人ぬすっと無理矢理むりやり立ち上がらせると「さて、どうしたものか」とつぶやく。
 と、甲冑かっちゅうの集団を目にしてこれ幸いと笑みを浮かべ、彼らのほうへと近付いていった。

「悪いけど、を引き取っちゃくれないかね。私はこの後に予定があるんだよ」
「…………」

 れんな少女からの〝お願い〟だが、実質的には後始末の押しつけだ。献聖けんせい教会の騎士達もお願いをにもできず、かといって素直に引き受けるのもまた躊躇ためらわれた。その最中にも、盗人ぬすっとは腕をひねられた痛みに顔をしかめながらもどうにか抜け出そうとく。
 面倒になったラウラリスは騎士達に聞こえないよう、盗人ぬすっとささやきかけた。

「――二度と腕が使い物にならなくなってもいいのか?」

 鈴のいろのように美しい声をして、死神の宣告せんこくにもひとしい語りかけであった。途端に盗人ぬすっとの顔から血の気が引き、そくに抵抗を止めた。代わりにガタガタと震え始め、盗人ぬすっとの体中から滝のような冷や汗が流れ出す。頭が理解するよりも先に、からだ屈服くっぷくしたのだ。
 震え上がる盗人ぬすっとを見て、ラウラリスは満足気にうなずいた。

「うん、素直でよろしい。じゃ頼んだよ」
「……ええ、その犯罪者はこちらで引き受けましょう」

 なかば勢いに押される形ではあったが、盗人ぬすっとがらを受け取る女性。ラウラリスが腕を押すと、盗人ぬすっとは顔に恐怖を浮かべたまま、一刻いっこくも早く彼女から離れるため進んで甲冑かっちゅう達に拘束こうそくされた。それらの様子を一瞥いちべつしてから、女性騎士は改めてラウラリスのほうへと顔を向けた。

「見事なお手前でした。目で追うのがやっとというのは、いつぶりかわかりません」
「そりゃどうも」
「貴様っ、デュラン様に失礼な態度をっ」

 め言葉にラウラリスがなく対応した途端、女性の背後にいた騎士達がいきり立った。どうやら、この女性は他の騎士達をひきいるかそれに類する地位にいるようだ。だが女性自身がさっと手を上げて制すると、騎士達は素直に引き下がった。

「部下が申し訳ありません。気を悪くされましたら、彼らに代わって私が謝罪します」
「別に気にするほど細い神経してないから」

 むしろ、あっせつと称されても鼻歌交じりで聞き流せるくらいに極太ごくぶとい神経の持ち主である。

「じゃ、私はこれで」
「せめてお名前を――」
「ラウラリス。根無し草フリーの賞金稼ぎさ」

 女性が呼び止めるもラウラリスは軽く名乗って後ろ手を振り、人混みの中に消えていった。

「ちょ、ちょっとラウラリスさんっ⁉」

 その後を、長剣を両手でどうにかかかえたアーキナがよろつきながらも慌てて追いかける。


 二人が消えた方角をしばらくながめたまま、この女性騎士――デュランはたたずむ。ラウラリスは背を向けていたので気が付いていなかったが、彼女が名乗ったときにデュランはわずかながら驚きの表情を浮かべていた。

「……デュラン様、いかがなさいましたか?」

 部下の一人がたずねると、デュランは首を横に振った。

「いえ、今は良いでしょう。それよりも、盗人ぬすっとをハンターギルドに引き渡しましょう」
かしこまりました」

 盗人ぬすっとの様子は相変わらず。騎士に拘束こうそくされたまま、こごえるようにからだを小刻みに震わせていた。
 その様を見て、騎士達は抵抗しないことに楽を覚えるよりも、不気味ぶきみさを感じるほどであった。

「なるほど、うわさには聞いていましたが、どうやら単なる眉唾まゆつばというわけでもなさそうですね」

 部下達に聞こえぬように、デュランは口元をほころばせてつぶやいた。


   ◆◆◆


 ――朝。閉じられたカーテンのすきから差し込む陽光ようこう
 ほのかな光をまぶたに感じ、ラウラリスは天蓋てんがい付きのベッドから身を起こした。

「あー、よく寝た」

 欠伸あくびで開いた口を手でふさぎながら、グッと伸びをする。
 単なる日常的な寝起きの様子であるはずなのに、清純と妖艶ようえん相反あいはんする二つが両立する奇跡の調和を演出していた。もしこの場に芸術家がいれば、この光景を目に焼き付け、生涯しょうがいの情熱をそそいで作品を生み出すことであろう。
 ラウラリスはここ一週間ほど、アーキナが手配した宿で生活していた。案内されたのは、ラウラリスの想定よりも一ランクか二ランクほど上の宿であり、彼女も驚きを隠せなかった。
 ロビーの受付に赴いた際、従業員とアーキナは何やら顔見知りの対応であった。
 過去に何度もこの宿を利用しているのだろう。いわゆるお得意様というやつだ。
 ――こんな高級宿のお得意様になるほどの商人。
 いい加減にアーキナの正体が気になるところであったが、問いかけたところで「単なる一介いっかいの商人ですよ」と笑って答えるだけだ。
 ラウラリスにとって、彼は転生てんせいしてから出会った人間の中で最も謎の多い人物かもしれない。
 謎は謎として、彼がこうで宿を手配してくれたのには違いなかった。
 ラウラリスは素直にそのこうに甘え、この一週間を優雅に生活しているのである。

「さ、今日も元気に悪党をとっちめるかい」

 従業員が部屋に運んできた朝食に舌鼓したつづみを打ち、装備を調ととのえてからラウラリスは気力充分で町にり出した。
 アーキナはアーキナで仕事があるということで、宿を紹介された後に別れて以降、顔を合わせてはいない。宿泊代金は既にまとめて払っているようで、その辺りに関しては問題なかった。
 ラウラリスとしては居心地が良いので、アーキナが払った代金分の期間が過ぎたら、自腹でもうしばらく過ごしても良いかもと考えていた。既にそのくらいのたくわえはあり、むしろ金の使い道としては健全であろう。昼間はギルドが募集を出す手配犯を捕まえ、夜は宿で出てくる高級料理を楽しみ、そして寝床に入り次の朝を迎える。それがここしばらくのラウラリスのルーティーンであった。



   第二話 困った性分のババァ


 あるときは、町でマフィアまがいの集団をたばねている荒くれを。またあるときは、非合法な取引に手を出しているもとめを。またまたあるときは、町から少し離れた位置にひそんでいた盗賊の一団を。
 ラウラリスは悪人を見つけ出す抜群の嗅覚きゅうかくをもって、かたぱしから手配犯をばくしていった。中にはラウラリスの姿を目にしただけであっなく降参こうさんし、お縄につく者もいた。
 剣姫の名前は、ハンターのみならず悪党たちの間にも広がっているようで、顔はわからなくとも、れんな容姿に不釣り合い過ぎる長剣の組み合わせで、目の前にいる人物がどういった存在なのか気が付いてしまうのだ。
 ある意味手間がはぶけていると言えなくもなかったが、有名になるということは相応そうおうの弊害も出てくる。
 剣姫の名は町に蔓延はびこる悪党の耳にも届いており、それに対する反応は様々だ。
 ラウラリスのれつ手腕しゅわんを単なる噂話と断じてのんに構えていた者。
 あるいは強い警戒心を抱き、迎えとうと構えていた者。
 残念ながら、どちらも前述の通りラウラリスの手によって、今頃はハンターギルドの牢屋で冷たい飯を食べていた。
 当然、それらとは違った行動に出た者もいる。――ここにも一人、行動を起こしている者がいた。誰もが寝静まった深夜。おくの明かりはほとんどが消えており、町を照らすのは空にきらめく星々のみ。そんな夜の町の更に裏側。星明かりすらさえぎられる路地裏を走る一人の男がいた。
 明かりのない道を足音を立てず進むその動きから、彼が〝素人しろうと〟でないのは明らかであった。
 察しの通り、ギルドで手配されていた犯罪者の一人である。
 罪状は行為。経験の浅い新人ハンターに対し、あくな装備や薬を高性能な品としょうして売りつけ、利益を上げているのだ。
 備品の仕入れもハンターの大事な技術の一つ。未熟なうちに手痛い失敗をするのは、ある意味で通過儀礼。
 しかし、この犯による被害はこの町に限らず他の場所でも多発しており、命を落としたハンターもいる。その悪質な犯行から、この犯は銅級相当そうとうとしてギルドから手配されていた。
 そもそもこの男は、前の町でも手広く仕事をしすぎてギルドに目を付けられ、ハンターが本格的に動く前に逃げ出したのだ。そしてこの町でまたもや行為をり返していた。
 だが、ラウラリスのうわさを聞きつけると、一旦行為を中断。うわさしんを確かめるために、しばらく身をひそめていた。その間に、町の悪党が次々と姿を消していく――というか捕まっていく――のをたりにし、いよいようわさうそいつわりはないと判断した。
 よって、彼が取った行動とはこれまで通り。危険がおのれに近付く前に町から逃げ出すことであった。町の出口が見え始め、男はその口のはしが上がるのだけは止めようがなかった。またもや逃げおおせた、と心の中でつぶやいた。
 ――ビュンッ。
 ふと突風とっぷうが吹き、風にあおられ男は思わず目をつむってしまう。
 閉じたまぶたこすり、再び目を開いたとき。誰もいなかったはずのそこに、突然

「はい、悪党一名ご案内――ってね」

 町の出口。ちょうど男が向かっていた道の中央。
 身の丈ほどの長剣を背負った少女が腕を組み、ふうどうどうたたずんでいたのだ。
 男はわずかにほうけたが、すぐに理解する。
 ――あれが剣姫であると。
 男の行動は早かった。
 頭の中に浮かんだ疑問をそくに思考の片隅かたすみに追いやり、きびすを返し来た道を戻る。この町の路地は把握済み。逃走ルートは全て頭の中に叩き込んでいる。このようしゅうとうさこそが、男をこれまで逃げ延びさせていた大きな要因であった。
 男の取った行動はおそらく最適解さいてきかいであっただろう。められたものではないが、人によっては「見事」としょうさんされていたかもしれない。
 だが、最適解さいてきかいが必ずしも正解に辿たどくとは限らない。どれほどの最善手を取ったところで、どうしようもない現実というものは存在する。男の目の前に現れたのは、そういった〝じんしん〟であった。
 来た道を振り向いた次の瞬間、男の背にすさまじい衝撃しょうげきおそう。
 背骨がきしみを上げ、もしかしたら折れるのではと思うほどの痛みが生じる。次に意識がハッキリしたとき、男はうつ伏せの格好で地にしていた。
 ハッとなり、痛むからだをどうにか動かしその場からのがれようとするが、それよりも先に背中を誰かしらに踏みつけられ、その場に射止められる。
 誰が踏んだかはもはや問うまでもないだろう。
 ――ギンッ‼
 それでもなおものがれようとく男の耳元に、かんだかい音が響く。
 ビクリと肩を震わせ、恐る恐ると視線を横に向けると、自分の顔をうつし出すはがねの刀身がすぐそばに突き刺さっていた。

「頭蓋にこいつらいたくなけりゃ、大人しくするこった」

 男の背を踏みつけ、その顔のすぐ横に剣を突き刺したラウラリスがげる。
 ――ようやく観念したのか。男は抵抗を止めると、どうにか顔を動かし少女に目を向ける。
 どうしてここにお前がいる――男の視線はそう物語っていた。
 ラウラリスは天使のようなあっの笑みを浮かべた。

「そろそろ頭の回る奴が動き出す頃合いだと思っててね。昨日からこの辺りをってたのさ」

 男は目を見開き、言葉を失った。悪党の絶望が色濃い表情に、ラウラリスはいたく満足気だ。

「わざわざそっちからホイホイ来てくれるんだから、捜す手間がはぶけるってもんだ」

 ――行動を完全に読まれていた。
 罠が待ち受けているなどとはつゆ知らず、のこのこと剣姫に捕まりにきたようなもの。この瞬間に、犯として手配されていた男は、かんなきまでにプライドを叩きつぶされ、うなれたのであった。


   ◆◆◆


「ぜひとも我がギルドに登録を! 今なら銀級待遇でお迎え……」
「はいはい。そういうの良いから。じゃぁね」
「あっ、ちょまっ」

 職員の言葉をさえぎり、ラウラリスはさっさとほうしゅうを受け取るとギルドを後にした。犯を捕まえてから更に数日が経過。
 その間にも幾人いくにんかの手配犯を捕まえたものの、ギルドに引き渡すたびに執拗しつような勧誘がラウラリスを待ち受けていた。
 当初は銅級待遇でということだったのに、今では銀級からスタートという話にまで発展していた。それだけラウラリスがハンターギルドの間でも有名になり始めているのだろう。
 更にどこかられたのか、エカロを含む『亡国ぼうこくうれえる者』の壊滅かいめつにラウラリスが関わっていた件もひそかにうわさされている。
 事件に関わったギルドの誰かしらがちらっとらしたのか。人の口に戸が立てられないのは彼女も重々承知しており、仕方がないことだとわかっている。だとしても、こうも熱烈な誘いがり返されてはさすがに辟易へきえきとしてしまう。

「ま、この町の小悪党は粗方捕まえしょっぴぃたし、あとはノンビリと観光でもするか」

 楽天的に考えながら、ラウラリスは宿へとを進める。そろそろ日も暮れる頃合いだ。
 ――しかし、彼女に平穏へいおんは訪れなかった。
 宿に到着し、入り口の扉を開く。正面には受付があり、従業員と誰かが話していた。

「ですから、宿泊されているお客様の情報をお教えするわけには……」
「なら、が戻ってくるまで、しばらく待たせてもらっても構いませんか?」
「それにしたって、他のお客様のご迷惑に――」

 従業員と話しているのは、どこか見覚えのある甲冑かっちゅう姿の集団だ。先頭の女性とそれに付き従うように後ろに控える三人の男。
 ――ラウラリスがこの町に来た当初に出くわした献聖けんせい教会――そこに所属する騎士達であった。更に言うならば、先頭にいるのはあの時に騎士たちをひきいていた女性騎士だ。

「奇妙な偶然もあったもんだねぇ」

 ラウラリスはごとのようにぼやいた。
 困り果てた様子の従業員が視線を彷徨さまよわせていると、宿に戻ってきたラウラリスの姿を視界にとらえる。おそらく無意識ではあろうがハッとした表情になった。それを見た甲冑かっちゅう姿――献聖けんせい教会の騎士達が揃って背後を振り向いた。
 ラウラリスと視線がまじわると、中央の女性騎士はニコリと笑った。
 ――これは面倒なパターンだ……ラウラリスはそう直感した。

「失礼、宿を間違えました」

 思わず真面目な口調になり、回れ右。今し方入ってきた扉から再び外に出ようとする。

「お待ちしていました、ラウラリスさん」

 ラウラリスが扉のドアノブに手を掛ける直前、女性がその名前を口にした。
 ――もはや人違いでは押し通せない。
 ラウラリスは嘆くように顔を上げ、次にうつむきながら深くため息をく。
 ポリポリと頭をいてから、観念してからだの向きを元に戻した。

「私になんの用だい? あいにくと私は……」
「ハンターではない――ええ、もちろん存じ上げていますとも。ああ、前にお会いしたときは名乗る時間もありませんでしたね」

 女性騎士はラウラリスの前まで来ると、手を差し出した。

「デュラン・セインク。未熟な身ではありますが、献聖けんせい騎士団で部隊長を任されております」
「……ラウラリス。根無しフリーの賞金稼ぎだ」

 名乗った女性騎士の手をにぎり返しながら、ラウラリスはこれから面倒が起こる予感を肌に感じていた。


 時間も時間であるし、話をするにしてもまずは食事をしてからということになった。

「ふぅ……とりあえず腹七分目ってところか。やっぱりこの宿が出す料理はい。ついついフォークとナイフが進んじまうよ」

 食堂のテーブル席で、上品な仕草で口元をナプキンでぬぐうラウラリス。食べ始めてから食べ終えるまでの動作は何もかもが完璧であり、マナーのお手本を実演しているかのようであった。

「…………」

 ラウラリスの食べる様子を見ていた献聖けんせい教会の騎士たちはれて――はおらず、むしろ呆然ぼうぜんとしていた。
 ならば、ラウラリスがそれまで食事していたテーブルの上には、いくもの皿が積み上がっていたのだ。
 ――二人前どころか、優に五人前はえていそうなほど。もちろん、全てラウラリスが一人でたいらげた料理だ。
 最初は人数を呼んで皆で食べると思っていたのだろう。料理を運ぶ従業員達は、ラウラリスが一人で何人前もの料理をあれよあれよと消化していく様を見て戦慄せんりつしていた。
 それはともかく、積み重なった皿を従業員が運び出し、代わりに置かれた食後のお茶を飲む。
 ラウラリスがカップをテーブルのソーサーに置いた音で、騎士達はハッとなる。

「それで、私に用ってのはなんだい?」

 女性騎士――デュランはほうけていたおのれを誤魔化すように軽く咳払せきばらいをしてから話を始めた。

「実は、あなたの腕を見込んで仕事を頼みたいのです」
「やっぱりその手の話か」

 デュランの用件はなかば予想通りであり、だからこそラウラリスは宿の入り口でついたようなため息をもう一度こぼした。
 その態度に、彼女の背後に立ったまま控える騎士達がピクリと反応するが、デュランが小さく手を上げて制止する。

「……あまり、乗り気ではないようですね」
「実際に乗り気じゃないからね」

 ラウラリスがあえてハンターではなく、フリーの賞金稼ぎになったのは、こういった指名依頼を避けるため。組織や権力者に縛られるのを嫌ったからだ。
 いや、ハンターであろうとなかろうと、今回ばかりは話が違った。
 実のところ、ラウラリスは『宗教』というものと あまり関わり合いになりたくないのだ。

「悪いがお断りさせてもらうよ」
「……まだ依頼の内容をお話ししていないのですが?」
「だからだよ。下手に話を聞くと、けいなゴタゴタに巻き込まれそうだからね」

 フリーの賞金稼ぎラウラリスへの直接の依頼という時点で、厄介やっかい事のにおいがプンプンする。
 つまりは、ギルドのような正式な組織には通しにくい仕事内容であるしょうだ。

「そこをどうかお願いできないでしょうか? 報酬ほうしゅうはずみますよ?」
「あいにくと金には困っちゃぁいないよ。とりあえず、ここのい料理をあと十人前ほど食っても余裕があるくらいにはね」

 冗談なのか本気なのか、判別しにくい返しである。
 一応、全部が真実であるのだが、そこにツッコミを入れるはこの場にはいなかった。

「デュラン様。やはりこのようなどこの馬の骨とも知れぬ者に、あの件を頼むのはどうかと」

 部下らしき騎士の一人がデュランに進言しんげんする。〝馬の骨〟呼ばわりに関しては、ラウラリスは気にならない。対外的に見れば、自分はギルドに所属していない身元不明者なのだ。

「それについては既に話し合ったはずです。現状では彼女以上の適任者はいません」
「ですが……」

 なおも言葉を続けようとする部下の騎士だったが、デュランのくばせにしぶしぶ口を閉じた。
 デュランは改めてラウラリスに目を向ける。

「どうやらラウラリスさんは宗教というものに良い感情を抱いていらっしゃらないようですね」
「ちょいと宗教ってのには嫌な思い出があるってだけさ。あんたたちが信奉しんぽうするなにがしに対しては何も思っちゃいないよ」

 ラウラリスは、『宗教』というものを真正面から否定するつもりはなかった。
 別にどこかの誰かが何かしらを信じるのは良い。
 個人の自由であるし、宗教それを通じて神やそれに類する何かを信じることは心のどころとなり、生きる上での活力となりると理解していた。
 同時に、時と場合によっては宗教というものがどれほど面倒な存在になりるかもから重々承知していた。
 デュランの言葉に対応がかんばしくなかったのはこれが原因だった。

「……ラウラリスさんは神の存在を信じていないと?」
「ちょっとお嬢さん、馬鹿を言っちゃぁいけないよ」

 デュランの残念そうな様子に、とんでもないとばかりにラウラリスは言った。

「この世で私ほど神様を信じてる人間はいないだろうよ。これでも日々感謝してるくらいだ」

 ちょっと愉快犯じみたちょっと困った神様ではあったが、それでもラウラリスはおのれあらたな人生を与えてくれた神には感謝していた。
 実際に神の手であらたな人生を得た女性ラウラリスの言葉は説得力が違う。
 デュラン達は知るよしもなかったが、ラウラリスの物言いにはそれだけの力がこもっていた。

「とはいえ、私の信じる神様とあんたらの信じる神様は違うだろうけどね」
「既に別の宗教を信仰されていると?」
「個人的な恩みたいなもんさ。それを宗教として信仰しているのは私一人だけかもね」
「そうですか……」

 気落ちした風のデュランに対して、ラウラリスはあんに近しい気持ちを抱いた。

(どうやら、面倒なタイプの宗教家ではなさそうだ)

 部下の騎士たちはともかく、デュランはラウラリスが嫌うたぐいの人間ではなかったようだ。

「話がズレたね。そんなわけで、あんたらからの依頼をけ負うつもりはない」
「……残念ですがこの話はここまでとしましょう。お時間を取らせて申し訳ありませんでした」
「こっちこそ、無駄足をさせて悪かったね」

 互いに言葉を述べてから、デュランが席を立ち上がった。これで話は終わり。次の瞬間から彼らは赤の他人になる。
 ――しかし、それを許さぬ事態が彼女たちをおそう。
 ザワリと、ラウラリスのほおを嫌な気配がでた。それは経験則からくる彼女のかんだった。

「ちっ、これだから嫌だったんだよ!」

 ラウラリスはいらたしそうに吐き捨てながら、を倒す勢いで立ち上がり、そばに立て掛けておいた長剣を取る。いきなり剣を取った少女の様子に、乱心らんしんしたのかと警戒しんを抱く献聖けんせい騎士の面々。
 だが、ラウラリスの視線は彼らにではなく、食堂の窓に向けられていた。
 いったい何事なのかと、彼らも釣られて窓の外に目を向ける。
 次の瞬間、食堂の窓を突き破り武器を持った複数の人影が飛び込んできた。
 突然の出来事に、食堂にいた他の客達は思わず硬直する。
 しかし、女性客の一人が悲鳴を上げると、途端にそれがでんし、混乱が広まった。
 我先にと出口に殺到さっとうする客たちだったが、乱入者たちはそれらには目もくれない。
 狙うのはただ一点。ラウラリスとデュランたちがいるテーブルにのみ視線がそそがれていた。
 より正確に言うのならば、乱入者たちの明確な殺気と武器のさきは、デュランに集まっていた。

「おい、こいつらはおたくらの客か?」

 長剣を背負い、そのつかにぎるラウラリスは、やや尖った声色こわいろでデュランに問いかける。

「……申し訳ありません、どうやらそのようです」

 謝罪を口にしつつ、デュランも腰に帯びた剣のつかに手を添えた。部下の騎士達も同様に、いつでも抜剣ばっけんできる構えを取った。

「確認しときたいんだが、おたくらの宗教って武器と殺気を人様に向けるのが挨拶あいさつ代わりじゃないよね?」
「さすがにそれは偏見が過ぎるのですが!」
「冗談だよ。真に受けなさんな」

 軽口を叩くラウラリス。

「つまり、こいつらはアンタらの命をちょうだいしに来たってことで間違いない?」
「…………」

 デュランから返事はない。ただ、そのけわしい表情がラウラリスの言葉を肯定こうていしていた。

「ふむ、なるほどなるほど」

 ラウラリスは乱入者――いな、襲撃者たちに向けて言葉をはなった。

「あんたらがここの騎士様とどんなあいだがらかは知らんが、私は無関係だ。ここはひとつ見逃しちゃくれんかね」

 まさかの見捨てる発言にデュラン達がギョッとする。だが、襲撃者達は言葉を返すことなく、その殺気の矛先ほこさきをラウラリスにも向けた。どうやら交渉は決裂のようだ。

「そうか――」

 ラウラリスは小さくため息をこぼす。

「――残念だよ」

 そして、襲撃者たちの目前で剣を振りかぶっていた。
 ――ざんッ!


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