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3巻
3-2
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女性はハッとなり、己の側を横切った姿を追って背後を振り返る。しかし、既にラウラリスの姿は人混みに中に埋もれており……少しして人の絶叫が辺りに響き渡った。
またも人垣が割れると、そこには地に伏した男とその腕を捻り上げているラウラリスの姿があった。捻られている側の手には、貨幣が詰まっていると思われる袋が握られている。
「私の目の前でスリをしようなんざ、三百と八十年早いんだよ‼」
微妙に具体的な年数である。それはともかく、ラウラリスはあの人混みの中、先ほどの騒ぎに乗じて悪さを働こうとしていた者を目敏く見つけていたのだ。恐るべき高性能悪人センサーである。
ラウラリスは周囲に声をかけ、盗まれた者を見つけると取り返した財布を渡してやった。
それから、腕を捻ったまま盗人を無理矢理立ち上がらせると「さて、どうしたものか」と呟く。
と、甲冑の集団を目にしてこれ幸いと笑みを浮かべ、彼らのほうへと近付いていった。
「悪いけど、これを引き取っちゃくれないかね。私はこの後に予定があるんだよ」
「…………」
可憐な少女からの〝お願い〟だが、実質的には後始末の押しつけだ。献聖教会の騎士達もお願いを無下にもできず、かといって素直に引き受けるのもまた躊躇われた。その最中にも、盗人は腕を捻られた痛みに顔を顰めながらもどうにか抜け出そうと藻掻く。
面倒になったラウラリスは騎士達に聞こえないよう、盗人に囁きかけた。
「――二度と腕が使い物にならなくなってもいいのか?」
鈴の音色のように美しい声をして、死神の宣告にも等しい語りかけであった。途端に盗人の顔から血の気が引き、即座に抵抗を止めた。代わりにガタガタと震え始め、盗人の体中から滝のような冷や汗が流れ出す。頭が理解するよりも先に、躰が屈服したのだ。
震え上がる盗人を見て、ラウラリスは満足気に頷いた。
「うん、素直でよろしい。じゃ頼んだよ」
「……ええ、その犯罪者はこちらで引き受けましょう」
半ば勢いに押される形ではあったが、盗人の身柄を受け取る女性。ラウラリスが腕を押すと、盗人は顔に恐怖を浮かべたまま、一刻も早く彼女から離れるため進んで甲冑達に拘束された。それらの様子を一瞥してから、女性騎士は改めてラウラリスのほうへと顔を向けた。
「見事なお手前でした。目で追うのがやっとというのは、いつぶりかわかりません」
「そりゃどうも」
「貴様っ、デュラン様に失礼な態度をっ」
褒め言葉にラウラリスが素っ気なく対応した途端、女性の背後にいた騎士達がいきり立った。どうやら、この女性は他の騎士達を率いるかそれに類する地位にいるようだ。だが女性自身がさっと手を上げて制すると、騎士達は素直に引き下がった。
「部下が申し訳ありません。気を悪くされましたら、彼らに代わって私が謝罪します」
「別に気にするほど細い神経してないから」
むしろ、悪鬼羅刹と称されても鼻歌交じりで聞き流せるくらいに極太い神経の持ち主である。
「じゃ、私はこれで」
「せめてお名前を――」
「ラウラリス。根無し草の賞金稼ぎさ」
女性が呼び止めるもラウラリスは軽く名乗って後ろ手を振り、人混みの中に消えていった。
「ちょ、ちょっとラウラリスさんっ⁉」
その後を、長剣を両手でどうにか抱えたアーキナがよろつきながらも慌てて追いかける。
二人が消えた方角をしばらく眺めたまま、この女性騎士――デュランは佇む。ラウラリスは背を向けていたので気が付いていなかったが、彼女が名乗ったときにデュランは僅かながら驚きの表情を浮かべていた。
「……デュラン様、いかがなさいましたか?」
部下の一人が尋ねると、デュランは首を横に振った。
「いえ、今は良いでしょう。それよりも、盗人をハンターギルドに引き渡しましょう」
「畏まりました」
盗人の様子は相変わらず。騎士に拘束されたまま、凍えるように躰を小刻みに震わせていた。
その様を見て、騎士達は抵抗しないことに楽を覚えるよりも、不気味さを感じるほどであった。
「なるほど、噂には聞いていましたが、どうやら単なる眉唾というわけでもなさそうですね」
部下達に聞こえぬように、デュランは口元をほころばせて呟いた。
◆◆◆
――朝。閉じられたカーテンの隙間から差し込む陽光。
仄かな光を瞼に感じ、ラウラリスは天蓋付きのベッドから身を起こした。
「あー、よく寝た」
欠伸で開いた口を手で塞ぎながら、グッと伸びをする。
単なる日常的な寝起きの様子であるはずなのに、清純と妖艶の相反する二つが両立する奇跡の調和を演出していた。もしこの場に芸術家がいれば、この光景を目に焼き付け、生涯の情熱を注いで作品を生み出すことであろう。
ラウラリスはここ一週間ほど、アーキナが手配した宿で生活していた。案内されたのは、ラウラリスの想定よりも一ランクか二ランクほど上の宿であり、彼女も驚きを隠せなかった。
ロビーの受付に赴いた際、従業員とアーキナは何やら顔見知りの対応であった。
過去に何度もこの宿を利用しているのだろう。いわゆるお得意様というやつだ。
――こんな高級宿のお得意様になるほどの商人。
いい加減にアーキナの正体が気になるところであったが、問いかけたところで「単なる一介の商人ですよ」と笑って答えるだけだ。
ラウラリスにとって、彼は転生してから出会った人間の中で最も謎の多い人物かもしれない。
謎は謎として、彼が厚意で宿を手配してくれたのには違いなかった。
ラウラリスは素直にその厚意に甘え、この一週間を優雅に生活しているのである。
「さ、今日も元気に悪党をとっちめるかい」
従業員が部屋に運んできた朝食に舌鼓を打ち、装備を調えてからラウラリスは気力充分で町に繰り出した。
アーキナはアーキナで仕事があるということで、宿を紹介された後に別れて以降、顔を合わせてはいない。宿泊代金は既にまとめて払っているようで、その辺りに関しては問題なかった。
ラウラリスとしては居心地が良いので、アーキナが払った代金分の期間が過ぎたら、自腹でもうしばらく過ごしても良いかもと考えていた。既にそのくらいの蓄えはあり、むしろ金の使い道としては健全であろう。昼間はギルドが募集を出す手配犯を捕まえ、夜は宿で出てくる高級料理を楽しみ、そして寝床に入り次の朝を迎える。それがここしばらくのラウラリスのルーティーンであった。
第二話 困った性分のババァ
あるときは、町でマフィア紛いの集団を束ねている荒くれを。またあるときは、非合法な取引に手を出している元締めを。またまたあるときは、町から少し離れた位置に潜んでいた盗賊の一団を。
ラウラリスは悪人を見つけ出す抜群の嗅覚をもって、片っ端から手配犯を捕縛していった。中にはラウラリスの姿を目にしただけで呆気なく降参し、お縄につく者もいた。
剣姫の名前は、ハンターのみならず悪党たちの間にも広がっているようで、顔はわからなくとも、可憐な容姿に不釣り合い過ぎる長剣の組み合わせで、目の前にいる人物がどういった存在なのか気が付いてしまうのだ。
ある意味手間が省けていると言えなくもなかったが、有名になるということは相応の弊害も出てくる。
剣姫の名は町に蔓延る悪党の耳にも届いており、それに対する反応は様々だ。
ラウラリスの苛烈な手腕を単なる噂話と断じて暢気に構えていた者。
あるいは強い警戒心を抱き、迎え撃とうと構えていた者。
残念ながら、どちらも前述の通りラウラリスの手によって、今頃はハンターギルドの牢屋で冷たい飯を食べていた。
当然、それらとは違った行動に出た者もいる。――ここにも一人、行動を起こしている者がいた。誰もが寝静まった深夜。家屋の明かりは殆どが消えており、町を照らすのは空に煌めく星々のみ。そんな夜の町の更に裏側。星明かりすら遮られる路地裏を走る一人の男がいた。
明かりのない道を足音を立てず進むその動きから、彼が〝素人〟でないのは明らかであった。
察しの通り、ギルドで手配されていた犯罪者の一人である。
罪状は詐欺行為。経験の浅い新人ハンターに対し、粗悪な装備や薬を高性能な品と詐称して売りつけ、利益を上げているのだ。
備品の仕入れもハンターの大事な技術の一つ。未熟なうちに手痛い失敗をするのは、ある意味で通過儀礼。
しかし、この詐欺犯による被害はこの町に限らず他の場所でも多発しており、命を落としたハンターもいる。その悪質な犯行から、この詐欺犯は銅級相当としてギルドから手配されていた。
そもそもこの男は、前の町でも手広く仕事をしすぎてギルドに目を付けられ、ハンターが本格的に動く前に逃げ出したのだ。そしてこの町でまたもや詐欺行為を繰り返していた。
だが、ラウラリスの噂を聞きつけると、一旦詐欺行為を中断。噂の真偽を確かめるために、しばらく身を潜めていた。その間に、町の悪党が次々と姿を消していく――というか捕まっていく――のを目の当たりにし、いよいよ噂に嘘偽りはないと判断した。
よって、彼が取った行動とはこれまで通り。危険が己に近付く前に町から逃げ出すことであった。町の出口が見え始め、男はその口の端が上がるのだけは止めようがなかった。またもや逃げ果せた、と心の中で呟いた。
――ビュンッ。
ふと突風が吹き、風に煽られ男は思わず目を瞑ってしまう。
閉じた瞼を擦り、再び目を開いたとき。誰もいなかったはずのそこに、突然彼女が現れた。
「はい、悪党一名ご案内――ってね」
町の出口。ちょうど男が向かっていた道の中央。
身の丈ほどの長剣を背負った少女が腕を組み、威風堂々と佇んでいたのだ。
男は僅かに呆けたが、すぐに理解する。
――あれが剣姫であると。
男の行動は早かった。
頭の中に浮かんだ疑問を即座に思考の片隅に追いやり、踵を返し来た道を戻る。この町の路地は把握済み。逃走ルートは全て頭の中に叩き込んでいる。この用意周到さこそが、男をこれまで逃げ延びさせていた大きな要因であった。
男の取った行動はおそらく最適解であっただろう。褒められたものではないが、人によっては「見事」と称賛されていたかもしれない。
だが、最適解が必ずしも正解に辿り着くとは限らない。どれほどの最善手を取ったところで、どうしようもない現実というものは存在する。男の目の前に現れたのは、そういった〝理不尽の化身〟であった。
来た道を振り向いた次の瞬間、男の背に凄まじい衝撃が襲う。
背骨が軋みを上げ、もしかしたら折れるのではと思うほどの痛みが生じる。次に意識がハッキリしたとき、男はうつ伏せの格好で地に伏していた。
ハッとなり、痛む躰をどうにか動かしその場から逃れようとするが、それよりも先に背中を誰かしらに踏みつけられ、その場に射止められる。
誰が踏んだかはもはや問うまでもないだろう。
――ギンッ‼
それでもなおも逃れようと藻掻く男の耳元に、甲高い音が響く。
ビクリと肩を震わせ、恐る恐ると視線を横に向けると、自分の顔を映し出す鋼の刀身がすぐ側に突き刺さっていた。
「頭蓋に剣を食らいたくなけりゃ、大人しくするこった」
男の背を踏みつけ、その顔のすぐ横に剣を突き刺したラウラリスが告げる。
――ようやく観念したのか。男は抵抗を止めると、どうにか顔を動かし少女に目を向ける。
どうしてここにお前がいる――男の視線はそう物語っていた。
ラウラリスは天使のような悪鬼の笑みを浮かべた。
「そろそろ頭の回る奴が動き出す頃合いだと思っててね。昨日からこの辺りを張ってたのさ」
男は目を見開き、言葉を失った。悪党の絶望が色濃い表情に、ラウラリスはいたく満足気だ。
「わざわざそっちからホイホイ来てくれるんだから、捜す手間が省けるってもんだ」
――行動を完全に読まれていた。
罠が待ち受けているなどとは露知らず、のこのこと剣姫に捕まりにきたようなもの。この瞬間に、詐欺犯として手配されていた男は、完膚なきまでにプライドを叩き潰され、項垂れたのであった。
◆◆◆
「ぜひとも我がギルドに登録を! 今なら銀級待遇でお迎え……」
「はいはい。そういうの良いから。じゃぁね」
「あっ、ちょまっ」
職員の言葉を遮り、ラウラリスはさっさと報酬を受け取るとギルドを後にした。詐欺犯を捕まえてから更に数日が経過。
その間にも幾人かの手配犯を捕まえたものの、ギルドに引き渡すたびに執拗な勧誘がラウラリスを待ち受けていた。
当初は銅級待遇でということだったのに、今では銀級からスタートという話にまで発展していた。それだけラウラリスがハンターギルドの間でも有名になり始めているのだろう。
更にどこから漏れたのか、エカロを含む『亡国を憂える者』の壊滅にラウラリスが関わっていた件もひそかに噂されている。
事件に関わったギルドの誰かしらがちらっと漏らしたのか。人の口に戸が立てられないのは彼女も重々承知しており、仕方がないことだとわかっている。だとしても、こうも熱烈な誘いが繰り返されてはさすがに辟易としてしまう。
「ま、この町の小悪党は粗方捕まえたし、あとはノンビリと観光でもするか」
楽天的に考えながら、ラウラリスは宿へと歩を進める。そろそろ日も暮れる頃合いだ。
――しかし、彼女に平穏は訪れなかった。
宿に到着し、入り口の扉を開く。正面には受付があり、従業員と誰かが話していた。
「ですから、宿泊されているお客様の情報をお教えするわけには……」
「なら、彼女が戻ってくるまで、しばらく待たせてもらっても構いませんか?」
「それにしたって、他のお客様のご迷惑に――」
従業員と話しているのは、どこか見覚えのある甲冑姿の集団だ。先頭の女性とそれに付き従うように後ろに控える三人の男。
――ラウラリスがこの町に来た当初に出くわした献聖教会――そこに所属する騎士達であった。更に言うならば、先頭にいるのはあの時に騎士たちを率いていた女性騎士だ。
「奇妙な偶然もあったもんだねぇ」
ラウラリスは他人事のようにぼやいた。
困り果てた様子の従業員が視線を彷徨わせていると、宿に戻ってきたラウラリスの姿を視界に捉える。おそらく無意識ではあろうがハッとした表情になった。それを見た甲冑姿――献聖教会の騎士達が揃って背後を振り向いた。
ラウラリスと視線が交わると、中央の女性騎士はニコリと笑った。
――これは面倒なパターンだ……ラウラリスはそう直感した。
「失礼、宿を間違えました」
思わず真面目な口調になり、回れ右。今し方入ってきた扉から再び外に出ようとする。
「お待ちしていました、ラウラリスさん」
ラウラリスが扉のドアノブに手を掛ける直前、女性がその名前を口にした。
――もはや人違いでは押し通せない。
ラウラリスは嘆くように顔を上げ、次に俯きながら深くため息を吐く。
ポリポリと頭を掻いてから、観念して躰の向きを元に戻した。
「私になんの用だい? あいにくと私は……」
「ハンターではない――ええ、もちろん存じ上げていますとも。ああ、前にお会いしたときは名乗る時間もありませんでしたね」
女性騎士はラウラリスの前まで来ると、手を差し出した。
「デュラン・セインク。未熟な身ではありますが、献聖騎士団で部隊長を任されております」
「……ラウラリス。根無しの賞金稼ぎだ」
名乗った女性騎士の手を握り返しながら、ラウラリスはこれから面倒が起こる予感を肌に感じていた。
時間も時間であるし、話をするにしてもまずは食事をしてからということになった。
「ふぅ……とりあえず腹七分目ってところか。やっぱりこの宿が出す料理は美味い。ついついフォークとナイフが進んじまうよ」
食堂のテーブル席で、上品な仕草で口元をナプキンで拭うラウラリス。食べ始めてから食べ終えるまでの動作は何もかもが完璧であり、マナーのお手本を実演しているかのようであった。
「…………」
ラウラリスの食べる様子を見ていた献聖教会の騎士たちは見惚れて――はおらず、むしろ呆然としていた。
何故ならば、ラウラリスがそれまで食事していたテーブルの上には、幾重もの皿が積み上がっていたのだ。
――二人前どころか、優に五人前は超えていそうなほど。もちろん、全てラウラリスが一人でたいらげた料理だ。
最初は人数を呼んで皆で食べると思っていたのだろう。料理を運ぶ従業員達は、ラウラリスが一人で何人前もの料理をあれよあれよと消化していく様を見て戦慄していた。
それはともかく、積み重なった皿を従業員が運び出し、代わりに置かれた食後のお茶を飲む。
ラウラリスがカップをテーブルのソーサーに置いた音で、騎士達はハッとなる。
「それで、私に用ってのはなんだい?」
女性騎士――デュランは呆けていた己を誤魔化すように軽く咳払いをしてから話を始めた。
「実は、あなたの腕を見込んで仕事を頼みたいのです」
「やっぱりその手の話か」
デュランの用件は半ば予想通りであり、だからこそラウラリスは宿の入り口でついたようなため息をもう一度こぼした。
その態度に、彼女の背後に立ったまま控える騎士達がピクリと反応するが、デュランが小さく手を上げて制止する。
「……あまり、乗り気ではないようですね」
「実際に乗り気じゃないからね」
ラウラリスがあえてハンターではなく、フリーの賞金稼ぎになったのは、こういった指名依頼を避けるため。組織や権力者に縛られるのを嫌ったからだ。
いや、ハンターであろうとなかろうと、今回ばかりは話が違った。
実のところ、ラウラリスは『宗教』というものと あまり関わり合いになりたくないのだ。
「悪いがお断りさせてもらうよ」
「……まだ依頼の内容をお話ししていないのですが?」
「だからだよ。下手に話を聞くと、余計なゴタゴタに巻き込まれそうだからね」
フリーの賞金稼ぎへの直接の依頼という時点で、厄介事の匂いがプンプンする。
つまりは、ギルドのような正式な組織には通しにくい仕事内容である証左だ。
「そこをどうかお願いできないでしょうか? 報酬は弾みますよ?」
「あいにくと金には困っちゃぁいないよ。とりあえず、ここの美味い料理をあと十人前ほど食っても余裕があるくらいにはね」
冗談なのか本気なのか、判別しにくい返しである。
一応、全部が真実であるのだが、そこにツッコミを入れる猛者はこの場にはいなかった。
「デュラン様。やはりこのようなどこの馬の骨とも知れぬ者に、あの件を頼むのはどうかと」
部下らしき騎士の一人がデュランに進言する。〝馬の骨〟呼ばわりに関しては、ラウラリスは気にならない。対外的に見れば、自分はギルドに所属していない身元不明者なのだ。
「それについては既に話し合ったはずです。現状では彼女以上の適任者はいません」
「ですが……」
なおも言葉を続けようとする部下の騎士だったが、デュランの目配せにしぶしぶ口を閉じた。
デュランは改めてラウラリスに目を向ける。
「どうやらラウラリスさんは宗教というものに良い感情を抱いていらっしゃらないようですね」
「ちょいと宗教ってのには嫌な思い出があるってだけさ。あんたたちが信奉する某に対しては何も思っちゃいないよ」
ラウラリスは、『宗教』というものを真正面から否定するつもりはなかった。
別にどこかの誰かが何かしらを信じるのは良い。
個人の自由であるし、宗教を通じて神やそれに類する何かを信じることは心の拠り所となり、生きる上での活力となり得ると理解していた。
同時に、時と場合によっては宗教というものがどれほど面倒な存在になり得るかも過去の経験から重々承知していた。
デュランの言葉に対応が芳しくなかったのはこれが原因だった。
「……ラウラリスさんは神の存在を信じていないと?」
「ちょっとお嬢さん、馬鹿を言っちゃぁいけないよ」
デュランの残念そうな様子に、とんでもないとばかりにラウラリスは言った。
「この世で私ほど神様を信じてる人間はいないだろうよ。これでも日々感謝してるくらいだ」
ちょっと愉快犯じみたちょっと困った神様ではあったが、それでもラウラリスは己に新たな人生を与えてくれた神には感謝していた。
実際に神の手で新たな人生を得た女性の言葉は説得力が違う。
デュラン達は知る由もなかったが、ラウラリスの物言いにはそれだけの力がこもっていた。
「とはいえ、私の信じる神様とあんたらの信じる神様は違うだろうけどね」
「既に別の宗教を信仰されていると?」
「個人的な恩みたいなもんさ。それを宗教として信仰しているのは私一人だけかもね」
「そうですか……」
気落ちした風のデュランに対して、ラウラリスは安堵に近しい気持ちを抱いた。
(どうやら、面倒なタイプの宗教家ではなさそうだ)
部下の騎士たちはともかく、デュランはラウラリスが嫌う類いの人間ではなかったようだ。
「話がズレたね。そんなわけで、あんたらからの依頼を請け負うつもりはない」
「……残念ですがこの話はここまでとしましょう。お時間を取らせて申し訳ありませんでした」
「こっちこそ、無駄足をさせて悪かったね」
互いに言葉を述べてから、デュランが席を立ち上がった。これで話は終わり。次の瞬間から彼らは赤の他人になる。
――しかし、それを許さぬ事態が彼女たちを襲う。
ザワリと、ラウラリスの頬を嫌な気配が撫でた。それは経験則からくる彼女の勘だった。
「ちっ、これだから嫌だったんだよ!」
ラウラリスは苛立たしそうに吐き捨てながら、椅子を倒す勢いで立ち上がり、側に立て掛けておいた長剣を取る。いきなり剣を取った少女の様子に、乱心したのかと警戒心を抱く献聖騎士の面々。
だが、ラウラリスの視線は彼らにではなく、食堂の窓に向けられていた。
いったい何事なのかと、彼らも釣られて窓の外に目を向ける。
次の瞬間、食堂の窓を突き破り武器を持った複数の人影が飛び込んできた。
突然の出来事に、食堂にいた他の客達は思わず硬直する。
しかし、女性客の一人が悲鳴を上げると、途端にそれが伝播し、混乱が広まった。
我先にと出口に殺到する客たちだったが、乱入者たちはそれらには目もくれない。
狙うのはただ一点。ラウラリスとデュランたちがいるテーブルにのみ視線が注がれていた。
より正確に言うのならば、乱入者たちの明確な殺気と武器の切っ先は、デュランに集まっていた。
「おい、こいつらはおたくらの客か?」
長剣を背負い、その柄を握るラウラリスは、やや尖った声色でデュランに問いかける。
「……申し訳ありません、どうやらそのようです」
謝罪を口にしつつ、デュランも腰に帯びた剣の柄に手を添えた。部下の騎士達も同様に、いつでも抜剣できる構えを取った。
「確認しときたいんだが、おたくらの宗教って武器と殺気を人様に向けるのが挨拶代わりじゃないよね?」
「さすがにそれは偏見が過ぎるのですが!」
「冗談だよ。真に受けなさんな」
軽口を叩くラウラリス。
「つまり、こいつらはアンタらの命を頂戴しに来たってことで間違いない?」
「…………」
デュランから返事はない。ただ、その険しい表情がラウラリスの言葉を肯定していた。
「ふむ、なるほどなるほど」
ラウラリスは乱入者――否、襲撃者たちに向けて言葉を放った。
「あんたらがここの騎士様とどんな間柄かは知らんが、私は無関係だ。ここはひとつ見逃しちゃくれんかね」
まさかの見捨てる発言にデュラン達がギョッとする。だが、襲撃者達は言葉を返すことなく、その殺気の矛先をラウラリスにも向けた。どうやら交渉は決裂のようだ。
「そうか――」
ラウラリスは小さくため息をこぼす。
「――残念だよ」
そして、襲撃者たちの目前で剣を振りかぶっていた。
――斬ッ!
またも人垣が割れると、そこには地に伏した男とその腕を捻り上げているラウラリスの姿があった。捻られている側の手には、貨幣が詰まっていると思われる袋が握られている。
「私の目の前でスリをしようなんざ、三百と八十年早いんだよ‼」
微妙に具体的な年数である。それはともかく、ラウラリスはあの人混みの中、先ほどの騒ぎに乗じて悪さを働こうとしていた者を目敏く見つけていたのだ。恐るべき高性能悪人センサーである。
ラウラリスは周囲に声をかけ、盗まれた者を見つけると取り返した財布を渡してやった。
それから、腕を捻ったまま盗人を無理矢理立ち上がらせると「さて、どうしたものか」と呟く。
と、甲冑の集団を目にしてこれ幸いと笑みを浮かべ、彼らのほうへと近付いていった。
「悪いけど、これを引き取っちゃくれないかね。私はこの後に予定があるんだよ」
「…………」
可憐な少女からの〝お願い〟だが、実質的には後始末の押しつけだ。献聖教会の騎士達もお願いを無下にもできず、かといって素直に引き受けるのもまた躊躇われた。その最中にも、盗人は腕を捻られた痛みに顔を顰めながらもどうにか抜け出そうと藻掻く。
面倒になったラウラリスは騎士達に聞こえないよう、盗人に囁きかけた。
「――二度と腕が使い物にならなくなってもいいのか?」
鈴の音色のように美しい声をして、死神の宣告にも等しい語りかけであった。途端に盗人の顔から血の気が引き、即座に抵抗を止めた。代わりにガタガタと震え始め、盗人の体中から滝のような冷や汗が流れ出す。頭が理解するよりも先に、躰が屈服したのだ。
震え上がる盗人を見て、ラウラリスは満足気に頷いた。
「うん、素直でよろしい。じゃ頼んだよ」
「……ええ、その犯罪者はこちらで引き受けましょう」
半ば勢いに押される形ではあったが、盗人の身柄を受け取る女性。ラウラリスが腕を押すと、盗人は顔に恐怖を浮かべたまま、一刻も早く彼女から離れるため進んで甲冑達に拘束された。それらの様子を一瞥してから、女性騎士は改めてラウラリスのほうへと顔を向けた。
「見事なお手前でした。目で追うのがやっとというのは、いつぶりかわかりません」
「そりゃどうも」
「貴様っ、デュラン様に失礼な態度をっ」
褒め言葉にラウラリスが素っ気なく対応した途端、女性の背後にいた騎士達がいきり立った。どうやら、この女性は他の騎士達を率いるかそれに類する地位にいるようだ。だが女性自身がさっと手を上げて制すると、騎士達は素直に引き下がった。
「部下が申し訳ありません。気を悪くされましたら、彼らに代わって私が謝罪します」
「別に気にするほど細い神経してないから」
むしろ、悪鬼羅刹と称されても鼻歌交じりで聞き流せるくらいに極太い神経の持ち主である。
「じゃ、私はこれで」
「せめてお名前を――」
「ラウラリス。根無し草の賞金稼ぎさ」
女性が呼び止めるもラウラリスは軽く名乗って後ろ手を振り、人混みの中に消えていった。
「ちょ、ちょっとラウラリスさんっ⁉」
その後を、長剣を両手でどうにか抱えたアーキナがよろつきながらも慌てて追いかける。
二人が消えた方角をしばらく眺めたまま、この女性騎士――デュランは佇む。ラウラリスは背を向けていたので気が付いていなかったが、彼女が名乗ったときにデュランは僅かながら驚きの表情を浮かべていた。
「……デュラン様、いかがなさいましたか?」
部下の一人が尋ねると、デュランは首を横に振った。
「いえ、今は良いでしょう。それよりも、盗人をハンターギルドに引き渡しましょう」
「畏まりました」
盗人の様子は相変わらず。騎士に拘束されたまま、凍えるように躰を小刻みに震わせていた。
その様を見て、騎士達は抵抗しないことに楽を覚えるよりも、不気味さを感じるほどであった。
「なるほど、噂には聞いていましたが、どうやら単なる眉唾というわけでもなさそうですね」
部下達に聞こえぬように、デュランは口元をほころばせて呟いた。
◆◆◆
――朝。閉じられたカーテンの隙間から差し込む陽光。
仄かな光を瞼に感じ、ラウラリスは天蓋付きのベッドから身を起こした。
「あー、よく寝た」
欠伸で開いた口を手で塞ぎながら、グッと伸びをする。
単なる日常的な寝起きの様子であるはずなのに、清純と妖艶の相反する二つが両立する奇跡の調和を演出していた。もしこの場に芸術家がいれば、この光景を目に焼き付け、生涯の情熱を注いで作品を生み出すことであろう。
ラウラリスはここ一週間ほど、アーキナが手配した宿で生活していた。案内されたのは、ラウラリスの想定よりも一ランクか二ランクほど上の宿であり、彼女も驚きを隠せなかった。
ロビーの受付に赴いた際、従業員とアーキナは何やら顔見知りの対応であった。
過去に何度もこの宿を利用しているのだろう。いわゆるお得意様というやつだ。
――こんな高級宿のお得意様になるほどの商人。
いい加減にアーキナの正体が気になるところであったが、問いかけたところで「単なる一介の商人ですよ」と笑って答えるだけだ。
ラウラリスにとって、彼は転生してから出会った人間の中で最も謎の多い人物かもしれない。
謎は謎として、彼が厚意で宿を手配してくれたのには違いなかった。
ラウラリスは素直にその厚意に甘え、この一週間を優雅に生活しているのである。
「さ、今日も元気に悪党をとっちめるかい」
従業員が部屋に運んできた朝食に舌鼓を打ち、装備を調えてからラウラリスは気力充分で町に繰り出した。
アーキナはアーキナで仕事があるということで、宿を紹介された後に別れて以降、顔を合わせてはいない。宿泊代金は既にまとめて払っているようで、その辺りに関しては問題なかった。
ラウラリスとしては居心地が良いので、アーキナが払った代金分の期間が過ぎたら、自腹でもうしばらく過ごしても良いかもと考えていた。既にそのくらいの蓄えはあり、むしろ金の使い道としては健全であろう。昼間はギルドが募集を出す手配犯を捕まえ、夜は宿で出てくる高級料理を楽しみ、そして寝床に入り次の朝を迎える。それがここしばらくのラウラリスのルーティーンであった。
第二話 困った性分のババァ
あるときは、町でマフィア紛いの集団を束ねている荒くれを。またあるときは、非合法な取引に手を出している元締めを。またまたあるときは、町から少し離れた位置に潜んでいた盗賊の一団を。
ラウラリスは悪人を見つけ出す抜群の嗅覚をもって、片っ端から手配犯を捕縛していった。中にはラウラリスの姿を目にしただけで呆気なく降参し、お縄につく者もいた。
剣姫の名前は、ハンターのみならず悪党たちの間にも広がっているようで、顔はわからなくとも、可憐な容姿に不釣り合い過ぎる長剣の組み合わせで、目の前にいる人物がどういった存在なのか気が付いてしまうのだ。
ある意味手間が省けていると言えなくもなかったが、有名になるということは相応の弊害も出てくる。
剣姫の名は町に蔓延る悪党の耳にも届いており、それに対する反応は様々だ。
ラウラリスの苛烈な手腕を単なる噂話と断じて暢気に構えていた者。
あるいは強い警戒心を抱き、迎え撃とうと構えていた者。
残念ながら、どちらも前述の通りラウラリスの手によって、今頃はハンターギルドの牢屋で冷たい飯を食べていた。
当然、それらとは違った行動に出た者もいる。――ここにも一人、行動を起こしている者がいた。誰もが寝静まった深夜。家屋の明かりは殆どが消えており、町を照らすのは空に煌めく星々のみ。そんな夜の町の更に裏側。星明かりすら遮られる路地裏を走る一人の男がいた。
明かりのない道を足音を立てず進むその動きから、彼が〝素人〟でないのは明らかであった。
察しの通り、ギルドで手配されていた犯罪者の一人である。
罪状は詐欺行為。経験の浅い新人ハンターに対し、粗悪な装備や薬を高性能な品と詐称して売りつけ、利益を上げているのだ。
備品の仕入れもハンターの大事な技術の一つ。未熟なうちに手痛い失敗をするのは、ある意味で通過儀礼。
しかし、この詐欺犯による被害はこの町に限らず他の場所でも多発しており、命を落としたハンターもいる。その悪質な犯行から、この詐欺犯は銅級相当としてギルドから手配されていた。
そもそもこの男は、前の町でも手広く仕事をしすぎてギルドに目を付けられ、ハンターが本格的に動く前に逃げ出したのだ。そしてこの町でまたもや詐欺行為を繰り返していた。
だが、ラウラリスの噂を聞きつけると、一旦詐欺行為を中断。噂の真偽を確かめるために、しばらく身を潜めていた。その間に、町の悪党が次々と姿を消していく――というか捕まっていく――のを目の当たりにし、いよいよ噂に嘘偽りはないと判断した。
よって、彼が取った行動とはこれまで通り。危険が己に近付く前に町から逃げ出すことであった。町の出口が見え始め、男はその口の端が上がるのだけは止めようがなかった。またもや逃げ果せた、と心の中で呟いた。
――ビュンッ。
ふと突風が吹き、風に煽られ男は思わず目を瞑ってしまう。
閉じた瞼を擦り、再び目を開いたとき。誰もいなかったはずのそこに、突然彼女が現れた。
「はい、悪党一名ご案内――ってね」
町の出口。ちょうど男が向かっていた道の中央。
身の丈ほどの長剣を背負った少女が腕を組み、威風堂々と佇んでいたのだ。
男は僅かに呆けたが、すぐに理解する。
――あれが剣姫であると。
男の行動は早かった。
頭の中に浮かんだ疑問を即座に思考の片隅に追いやり、踵を返し来た道を戻る。この町の路地は把握済み。逃走ルートは全て頭の中に叩き込んでいる。この用意周到さこそが、男をこれまで逃げ延びさせていた大きな要因であった。
男の取った行動はおそらく最適解であっただろう。褒められたものではないが、人によっては「見事」と称賛されていたかもしれない。
だが、最適解が必ずしも正解に辿り着くとは限らない。どれほどの最善手を取ったところで、どうしようもない現実というものは存在する。男の目の前に現れたのは、そういった〝理不尽の化身〟であった。
来た道を振り向いた次の瞬間、男の背に凄まじい衝撃が襲う。
背骨が軋みを上げ、もしかしたら折れるのではと思うほどの痛みが生じる。次に意識がハッキリしたとき、男はうつ伏せの格好で地に伏していた。
ハッとなり、痛む躰をどうにか動かしその場から逃れようとするが、それよりも先に背中を誰かしらに踏みつけられ、その場に射止められる。
誰が踏んだかはもはや問うまでもないだろう。
――ギンッ‼
それでもなおも逃れようと藻掻く男の耳元に、甲高い音が響く。
ビクリと肩を震わせ、恐る恐ると視線を横に向けると、自分の顔を映し出す鋼の刀身がすぐ側に突き刺さっていた。
「頭蓋に剣を食らいたくなけりゃ、大人しくするこった」
男の背を踏みつけ、その顔のすぐ横に剣を突き刺したラウラリスが告げる。
――ようやく観念したのか。男は抵抗を止めると、どうにか顔を動かし少女に目を向ける。
どうしてここにお前がいる――男の視線はそう物語っていた。
ラウラリスは天使のような悪鬼の笑みを浮かべた。
「そろそろ頭の回る奴が動き出す頃合いだと思っててね。昨日からこの辺りを張ってたのさ」
男は目を見開き、言葉を失った。悪党の絶望が色濃い表情に、ラウラリスはいたく満足気だ。
「わざわざそっちからホイホイ来てくれるんだから、捜す手間が省けるってもんだ」
――行動を完全に読まれていた。
罠が待ち受けているなどとは露知らず、のこのこと剣姫に捕まりにきたようなもの。この瞬間に、詐欺犯として手配されていた男は、完膚なきまでにプライドを叩き潰され、項垂れたのであった。
◆◆◆
「ぜひとも我がギルドに登録を! 今なら銀級待遇でお迎え……」
「はいはい。そういうの良いから。じゃぁね」
「あっ、ちょまっ」
職員の言葉を遮り、ラウラリスはさっさと報酬を受け取るとギルドを後にした。詐欺犯を捕まえてから更に数日が経過。
その間にも幾人かの手配犯を捕まえたものの、ギルドに引き渡すたびに執拗な勧誘がラウラリスを待ち受けていた。
当初は銅級待遇でということだったのに、今では銀級からスタートという話にまで発展していた。それだけラウラリスがハンターギルドの間でも有名になり始めているのだろう。
更にどこから漏れたのか、エカロを含む『亡国を憂える者』の壊滅にラウラリスが関わっていた件もひそかに噂されている。
事件に関わったギルドの誰かしらがちらっと漏らしたのか。人の口に戸が立てられないのは彼女も重々承知しており、仕方がないことだとわかっている。だとしても、こうも熱烈な誘いが繰り返されてはさすがに辟易としてしまう。
「ま、この町の小悪党は粗方捕まえたし、あとはノンビリと観光でもするか」
楽天的に考えながら、ラウラリスは宿へと歩を進める。そろそろ日も暮れる頃合いだ。
――しかし、彼女に平穏は訪れなかった。
宿に到着し、入り口の扉を開く。正面には受付があり、従業員と誰かが話していた。
「ですから、宿泊されているお客様の情報をお教えするわけには……」
「なら、彼女が戻ってくるまで、しばらく待たせてもらっても構いませんか?」
「それにしたって、他のお客様のご迷惑に――」
従業員と話しているのは、どこか見覚えのある甲冑姿の集団だ。先頭の女性とそれに付き従うように後ろに控える三人の男。
――ラウラリスがこの町に来た当初に出くわした献聖教会――そこに所属する騎士達であった。更に言うならば、先頭にいるのはあの時に騎士たちを率いていた女性騎士だ。
「奇妙な偶然もあったもんだねぇ」
ラウラリスは他人事のようにぼやいた。
困り果てた様子の従業員が視線を彷徨わせていると、宿に戻ってきたラウラリスの姿を視界に捉える。おそらく無意識ではあろうがハッとした表情になった。それを見た甲冑姿――献聖教会の騎士達が揃って背後を振り向いた。
ラウラリスと視線が交わると、中央の女性騎士はニコリと笑った。
――これは面倒なパターンだ……ラウラリスはそう直感した。
「失礼、宿を間違えました」
思わず真面目な口調になり、回れ右。今し方入ってきた扉から再び外に出ようとする。
「お待ちしていました、ラウラリスさん」
ラウラリスが扉のドアノブに手を掛ける直前、女性がその名前を口にした。
――もはや人違いでは押し通せない。
ラウラリスは嘆くように顔を上げ、次に俯きながら深くため息を吐く。
ポリポリと頭を掻いてから、観念して躰の向きを元に戻した。
「私になんの用だい? あいにくと私は……」
「ハンターではない――ええ、もちろん存じ上げていますとも。ああ、前にお会いしたときは名乗る時間もありませんでしたね」
女性騎士はラウラリスの前まで来ると、手を差し出した。
「デュラン・セインク。未熟な身ではありますが、献聖騎士団で部隊長を任されております」
「……ラウラリス。根無しの賞金稼ぎだ」
名乗った女性騎士の手を握り返しながら、ラウラリスはこれから面倒が起こる予感を肌に感じていた。
時間も時間であるし、話をするにしてもまずは食事をしてからということになった。
「ふぅ……とりあえず腹七分目ってところか。やっぱりこの宿が出す料理は美味い。ついついフォークとナイフが進んじまうよ」
食堂のテーブル席で、上品な仕草で口元をナプキンで拭うラウラリス。食べ始めてから食べ終えるまでの動作は何もかもが完璧であり、マナーのお手本を実演しているかのようであった。
「…………」
ラウラリスの食べる様子を見ていた献聖教会の騎士たちは見惚れて――はおらず、むしろ呆然としていた。
何故ならば、ラウラリスがそれまで食事していたテーブルの上には、幾重もの皿が積み上がっていたのだ。
――二人前どころか、優に五人前は超えていそうなほど。もちろん、全てラウラリスが一人でたいらげた料理だ。
最初は人数を呼んで皆で食べると思っていたのだろう。料理を運ぶ従業員達は、ラウラリスが一人で何人前もの料理をあれよあれよと消化していく様を見て戦慄していた。
それはともかく、積み重なった皿を従業員が運び出し、代わりに置かれた食後のお茶を飲む。
ラウラリスがカップをテーブルのソーサーに置いた音で、騎士達はハッとなる。
「それで、私に用ってのはなんだい?」
女性騎士――デュランは呆けていた己を誤魔化すように軽く咳払いをしてから話を始めた。
「実は、あなたの腕を見込んで仕事を頼みたいのです」
「やっぱりその手の話か」
デュランの用件は半ば予想通りであり、だからこそラウラリスは宿の入り口でついたようなため息をもう一度こぼした。
その態度に、彼女の背後に立ったまま控える騎士達がピクリと反応するが、デュランが小さく手を上げて制止する。
「……あまり、乗り気ではないようですね」
「実際に乗り気じゃないからね」
ラウラリスがあえてハンターではなく、フリーの賞金稼ぎになったのは、こういった指名依頼を避けるため。組織や権力者に縛られるのを嫌ったからだ。
いや、ハンターであろうとなかろうと、今回ばかりは話が違った。
実のところ、ラウラリスは『宗教』というものと あまり関わり合いになりたくないのだ。
「悪いがお断りさせてもらうよ」
「……まだ依頼の内容をお話ししていないのですが?」
「だからだよ。下手に話を聞くと、余計なゴタゴタに巻き込まれそうだからね」
フリーの賞金稼ぎへの直接の依頼という時点で、厄介事の匂いがプンプンする。
つまりは、ギルドのような正式な組織には通しにくい仕事内容である証左だ。
「そこをどうかお願いできないでしょうか? 報酬は弾みますよ?」
「あいにくと金には困っちゃぁいないよ。とりあえず、ここの美味い料理をあと十人前ほど食っても余裕があるくらいにはね」
冗談なのか本気なのか、判別しにくい返しである。
一応、全部が真実であるのだが、そこにツッコミを入れる猛者はこの場にはいなかった。
「デュラン様。やはりこのようなどこの馬の骨とも知れぬ者に、あの件を頼むのはどうかと」
部下らしき騎士の一人がデュランに進言する。〝馬の骨〟呼ばわりに関しては、ラウラリスは気にならない。対外的に見れば、自分はギルドに所属していない身元不明者なのだ。
「それについては既に話し合ったはずです。現状では彼女以上の適任者はいません」
「ですが……」
なおも言葉を続けようとする部下の騎士だったが、デュランの目配せにしぶしぶ口を閉じた。
デュランは改めてラウラリスに目を向ける。
「どうやらラウラリスさんは宗教というものに良い感情を抱いていらっしゃらないようですね」
「ちょいと宗教ってのには嫌な思い出があるってだけさ。あんたたちが信奉する某に対しては何も思っちゃいないよ」
ラウラリスは、『宗教』というものを真正面から否定するつもりはなかった。
別にどこかの誰かが何かしらを信じるのは良い。
個人の自由であるし、宗教を通じて神やそれに類する何かを信じることは心の拠り所となり、生きる上での活力となり得ると理解していた。
同時に、時と場合によっては宗教というものがどれほど面倒な存在になり得るかも過去の経験から重々承知していた。
デュランの言葉に対応が芳しくなかったのはこれが原因だった。
「……ラウラリスさんは神の存在を信じていないと?」
「ちょっとお嬢さん、馬鹿を言っちゃぁいけないよ」
デュランの残念そうな様子に、とんでもないとばかりにラウラリスは言った。
「この世で私ほど神様を信じてる人間はいないだろうよ。これでも日々感謝してるくらいだ」
ちょっと愉快犯じみたちょっと困った神様ではあったが、それでもラウラリスは己に新たな人生を与えてくれた神には感謝していた。
実際に神の手で新たな人生を得た女性の言葉は説得力が違う。
デュラン達は知る由もなかったが、ラウラリスの物言いにはそれだけの力がこもっていた。
「とはいえ、私の信じる神様とあんたらの信じる神様は違うだろうけどね」
「既に別の宗教を信仰されていると?」
「個人的な恩みたいなもんさ。それを宗教として信仰しているのは私一人だけかもね」
「そうですか……」
気落ちした風のデュランに対して、ラウラリスは安堵に近しい気持ちを抱いた。
(どうやら、面倒なタイプの宗教家ではなさそうだ)
部下の騎士たちはともかく、デュランはラウラリスが嫌う類いの人間ではなかったようだ。
「話がズレたね。そんなわけで、あんたらからの依頼を請け負うつもりはない」
「……残念ですがこの話はここまでとしましょう。お時間を取らせて申し訳ありませんでした」
「こっちこそ、無駄足をさせて悪かったね」
互いに言葉を述べてから、デュランが席を立ち上がった。これで話は終わり。次の瞬間から彼らは赤の他人になる。
――しかし、それを許さぬ事態が彼女たちを襲う。
ザワリと、ラウラリスの頬を嫌な気配が撫でた。それは経験則からくる彼女の勘だった。
「ちっ、これだから嫌だったんだよ!」
ラウラリスは苛立たしそうに吐き捨てながら、椅子を倒す勢いで立ち上がり、側に立て掛けておいた長剣を取る。いきなり剣を取った少女の様子に、乱心したのかと警戒心を抱く献聖騎士の面々。
だが、ラウラリスの視線は彼らにではなく、食堂の窓に向けられていた。
いったい何事なのかと、彼らも釣られて窓の外に目を向ける。
次の瞬間、食堂の窓を突き破り武器を持った複数の人影が飛び込んできた。
突然の出来事に、食堂にいた他の客達は思わず硬直する。
しかし、女性客の一人が悲鳴を上げると、途端にそれが伝播し、混乱が広まった。
我先にと出口に殺到する客たちだったが、乱入者たちはそれらには目もくれない。
狙うのはただ一点。ラウラリスとデュランたちがいるテーブルにのみ視線が注がれていた。
より正確に言うのならば、乱入者たちの明確な殺気と武器の切っ先は、デュランに集まっていた。
「おい、こいつらはおたくらの客か?」
長剣を背負い、その柄を握るラウラリスは、やや尖った声色でデュランに問いかける。
「……申し訳ありません、どうやらそのようです」
謝罪を口にしつつ、デュランも腰に帯びた剣の柄に手を添えた。部下の騎士達も同様に、いつでも抜剣できる構えを取った。
「確認しときたいんだが、おたくらの宗教って武器と殺気を人様に向けるのが挨拶代わりじゃないよね?」
「さすがにそれは偏見が過ぎるのですが!」
「冗談だよ。真に受けなさんな」
軽口を叩くラウラリス。
「つまり、こいつらはアンタらの命を頂戴しに来たってことで間違いない?」
「…………」
デュランから返事はない。ただ、その険しい表情がラウラリスの言葉を肯定していた。
「ふむ、なるほどなるほど」
ラウラリスは乱入者――否、襲撃者たちに向けて言葉を放った。
「あんたらがここの騎士様とどんな間柄かは知らんが、私は無関係だ。ここはひとつ見逃しちゃくれんかね」
まさかの見捨てる発言にデュラン達がギョッとする。だが、襲撃者達は言葉を返すことなく、その殺気の矛先をラウラリスにも向けた。どうやら交渉は決裂のようだ。
「そうか――」
ラウラリスは小さくため息をこぼす。
「――残念だよ」
そして、襲撃者たちの目前で剣を振りかぶっていた。
――斬ッ!
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