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3巻
3-1
しおりを挟む第一話 跳躍ババァ
旅は道連れ、世は情け――と初めて口にしたのはいったい誰であろうか。
世の中を渡っていくには互いに支え合う人情が大切であり、旅では連れがいるほうが心強い。
「まさかこんなところであんたと顔を合わせるとは思ってもみなかったよ」
陽気に笑うこの少女。名前をラウラリス・エルダヌス。
可憐な容姿に秘めた魂は、三百年前に世界征服を目論んだ悪の皇帝。けれどもその真意は自らに数多の憎悪を集めることによって世界の団結を促し、勇者に討たれることで世界平和を実現することであった。
本来であればそこで人生の幕を引くところ、神に功績を認められたことで新たな肉体を得て、今の世に転生を果たしたのである。
今は女帝という宿命から解放され、自由気ままに第二の人生を謳歌中だ
「それはこちらの台詞ですよ。世間というのは、案外と狭いものかもしれませんね」
陽気に笑うラウラリスの隣にいるのは、馬車の御者席に座る行商人。彼は、ラウラリスが新たなる人生を始めて間もない頃に知り合った、あの商人であった。次なる町を目指して岩場の街道を進んでいたラウラリスだったが、その途中で馬車に乗っていたこの商人に声をかけられたのだ。
意外すぎる再会に些か驚くラウラリスに、商人は自分の馬車に乗っていかないかと提案したのだ。
寝食以外はほぼ一日中歩き通しでも全く問題ないラウラリスであったが、楽ができるならそれに越したことはない。提案を素直に受け入れ、彼の隣に腰を下ろした次第である。
「あれからどうだい、景気のほうは」
「ぼちぼち、と言ったところですかね。特別に何かが売れたわけでもなく、かといって特別に売れなかったわけでもありません」
「にしちゃぁ、結構な荷物を積んでるね」
ラウラリスが背後の荷台を振り向くと、堆く積み上がった木箱の山だ。その全てが行商人の扱う商売品なのであろう。それに、馬車の周囲には幾人もの武装した男たち――ハンターが警護をしている。ラウラリスの見立てでは、それなりに腕の立つ人員が揃っている。
以前、不幸にもラウラリスにちょっかいを出して捕まったガマスという盗賊がいた。あの程度なら問題なく撃退できるくらいの実力はあるだろう。これだけのハンターを雇うとなれば、かなりの金額が求められる。それを〝ぼちぼち〟の稼ぎでまかないきれるのだろうか。
「もしかして、アンタって結構やり手の商人だったりするのかい?」
「少なくとも、明日の飯に困るような稼ぎはしていない、とだけ言っておきましょうか」
ラウラリスの問いかけに、商人は調子を変えずにとぼけた風に返す。人当たりは良さそうだが、単なるお人好しではなさそうな雰囲気だ。もっとも、商人というのは、おおよそが腹に一物を抱えている者ばかり。この行商人はその中でも比較的、善人の部類に入るほうであろう。
「おい嬢ちゃん」
行商人と話に花を咲かせていると、付近を歩くハンターの一人がラウラリスに声をかけてきた。
「随分とでっかい〝お守り〟を持ってんな、アンタ」
「お守りって、これのことかい」
ラウラリスは荷台の縁からはみ出ている鞘入りの長剣を叩いた。
「他に何があるってんだよ。旅人が護身用に剣を持つってのはよくある話だが、嬢ちゃんのそりゃちょいとデカすぎだろ」
「立派なお守りだろ?」
ラウラリスは悪戯っ子のような笑みを浮かべる。ハンターは何かを言いたげな風であったが、肩を竦めて首を横に振った。常識的に考えて、人間の背丈に匹敵する金属製の長剣を年若い娘が背負えるはずがない。ラウラリスの長剣が、外見はそれなりに整えてはいるが、中身は木製かもっと軽い素材で作られた〝ハッタリ〟であると判断したのだろう。
「…………ん?」
そんなやり取りをしていると、ふとラウラリスが周囲を見渡した。
「どうかしましたか?」
唐突に辺りを見渡すラウラリスに、行商人が聞く。
それに対して、ラウラリスは困ったようにポリポリと頭を掻いた。
「やれやれ、なんでこういつもスンナリといかないのかねぇ。もしかして、何かに取り憑かれてるんじゃないだろうね」
「それはいったいどういうこと――」
商人が追及しようとしたところで、周りにいたハンターたちの表情が急に険しさを帯びた。
「馬車を停めろ!」
ハンターの一人が発した鋭い声に、商人は数秒の間を要してから、慌てて手綱を引き馬車を停めた。
ハンター達は各々が武器を手に取ると、馬車を守るように構える。
行商人は落ち着きなさげにキョロキョロと視線を彷徨わせる一方で、隣のラウラリスは平然と座っていた。やがて――岩場の陰から、次の瞬間には巨大な蜥蜴が多数飛び出してきた。
――跳躍蜥蜴。
発達した後ろ足が特徴の、大きな蜥蜴の形をした危険種。その脚力は一足で地上から二メートル以上も高らかに舞うほど。それらが一斉に、馬車とそれを囲うハンターたちに襲いかかった。
「ど、どうやら運悪く危険種の群れと遭遇してしまったみたいですね」
その運の悪さはもしかしたら自分が原因かもしれない、とラウラリスは申し訳ない気持ちになる。
取り憑いているとなればおそらくは、自分に新たな人生を与えてくれた存在だろう。
普通に考えれば幸運を呼び寄せそうなものだが。
(ああでも、あの神様の御加護なら、面倒事まで一気に引き寄せそうだ)
人をおちょくることに人生を……いや神生を懸けていそうなあの困った神様なら、行く先々で何かしらに巻き込まれる己の悪運にも納得だ。
「いやぁ、跳躍蜥蜴程度ならここにいる面子でも十分に対処できるだろうさ」
跳躍蜥蜴の強さはさほどではない。前足は殆ど発達しておらず、鋭い牙も持っていない。攻撃はほぼ全てが、強靭な後ろ足による蹴り。その脚力から繰り出される蹴りは、人間の骨をへし折るには十分すぎるものであり、当たり所が悪ければ致命傷となる。
だが、仕掛ける際は必ず強く踏み込む予備動作があり、それさえ見誤らなければ直線的な跳び蹴りが来るだけだ。避けるのは容易い。唯一、群れに遭遇した場合には、死角から攻撃を仕掛けられる恐れがあるが、ハンター達もそれは重々承知していた。
襲い来る跳躍蜥蜴を馬車から引き離すように立ち位置を変え、かつ常に己の死角を意識し不意打ちを避けている。
中にはあえて隙を晒し、飛びかかってくる危険種を返り討ちにする者もいた。
「なかなかに腕の良い奴らを揃えたね」
「こ、この近辺には危険種の出没が多く確認されていましたから。それを前提にハンターを雇ったのですよ。単なる杞憂で終わるのが一番良かったのですが」
ハンター達の堅実な戦いぶりに落ち着いてきたのか、商人は胸に手を当てながら言った。
「取り越し苦労が一番って発想は好きだよ。そしてその備えに躊躇なく金を出すところもね」
「私に商売のイロハを叩き込んでくださった方から、口を酸っぱくするほど仕込まれましたから。……それにしても随分と平然としてますね」
「修羅場は慣れてるからね」
そういえば、と戦っている一人のハンターが思い出す。危険種が襲ってくる直前に見せたラウラリスの反応。
もしかしたら彼女はハンター達よりも明らかに早く危険種の接近に気が付いていたのでは……?しかし、その疑問を口にするよりも早く事態が急変した。
「ぐあぁっ……‼」
ハンターの悲鳴が響いてきた。そちらを見やると、跳躍蜥蜴と同じ形をしながら他の個体より一回り以上も巨大な危険種が立っていた。
その正面の少し離れた位置には倒れたハンターがおり、手に持っていた剣は半ばから歪んでいた。
体格が良く力に優れた個体が群れを率いる存在になるのは、野生動物に限った話ではない。
あの大きな跳躍蜥蜴が、馬車を襲っている危険種たちを率いている長だった。
「マズい! 手の空いてる奴はフォローしろ!」
誰かが声を張り上げるが、それに応答が出る前に跳躍蜥蜴の長が甲高い奇声を発し、他の個体の跳躍を大きく超えた跳躍を見せる。その降下先にいるのは、未だ倒れたままのハンター。急いで立ち上がろうと藻掻くが、直前に受けた蹴りの衝撃が躰に残っており、足に力が入らないのだ。
――やられる! 誰もがそう思ったとき、一陣の風が地を駆け抜ける。
――ガギンッッッ‼
次の瞬間に響いたのは、ハンターの躰が潰れる音ではなく、硬質な物体の反響音であった。
「さすがに目の前で死なれちゃ寝覚めが悪いからね。手を出させてもらったよ」
そう言ったのは他でもない、ラウラリスであった。長剣を背負うように構え、跳躍蜥蜴の長が繰り出した上空からの跳び蹴りを見事に受け止めていたのだ。自分よりも一回りも若く小柄な少女が成した現実を受け止めきれないのか、倒れたままのハンターは目を瞬かせるだけで動かない。
それは、御者席に座っていた商人も同じだった。彼はラウラリスと己の隣を何度も交互に見る。
彼女はたしかに近くに座っていたはずなのに、気が付けばあの場所にいた。
忽然と姿を消し、そして現れたようにしか思えなかった。
「――って、いい加減に退きなっ!」
怒声を発しながら、ラウラリスは片足で地面を踏みつけた。
その衝撃は躰を通して剣へと伝わり、跳躍蜥蜴の大きな躰を吹き飛ばした。
「アンタもだよ! そこにいられると邪魔だっての!」
倒れているハンターに焚き付けるような台詞を浴びせる。
我に返ったハンターはビクリと肩を震わせると、大慌てで立ち上がりその場から離脱した。
「ったく。手間が掛かる」
ふんっ、と鼻を鳴らしてから、ラウラリスは背後の跳躍蜥蜴へと振り向いた。
長はラウラリスを強大な敵と認識したようで、血走った目でラウラリスを見据えていた。
「いいよ、掛かってきな。相手になってやるよ」
ラウラリスは挑発を述べながら長剣を構えた。
言葉は通じずとも、己が侮られていると感じたのか。跳躍蜥蜴の長は大きく叫び声を上げると高らかに跳躍した。ハンターを潰そうとした時よりも更に数段高い位置にまで舞い上がる。
しかし――
「はい、いらっしゃい」
――――ッッ⁉
跳躍蜥蜴の長は驚愕した。
何故ならば、高々と舞った自身と同じ目線に、ラウラリスの目があったからだ。
彼女は跳躍蜥蜴の長と同時に踏み切り、それと同じ高さまで跳んだのだ。
「存分に恨みな」
ラウラリスは呟き、剣が翻った。少しの間を置いてラウラリスが地面に着地すれば、背後で落下する二つの物体。跳躍蜥蜴の胴体と、それから首を断たれた頭部であった。長の死が引き金となり、生き残っていた跳躍蜥蜴は残らずその場から逃げ出す。危険種の去って行く姿を見送ってから、ラウラリスは長剣を鞘に収めた。それから調子を確かめるように己の手を開閉させる。
「調子は完全に戻ったかね」
『亡国を憂える者』との一件。最後の最後に無理をした反動は、ラウラリスの躰にかなりの負荷を与えていた。そのダメージが抜け切ったのを、今の動きで実感した。(ま、それでも全盛期にはほど遠いけど)と内心付け足しながら。
「あ、アンタ……」
ハンターの一人が震える指でこちらを指さしていた。ラウラリスの長剣を〝お守り〟と揶揄したあのハンターだ。
「まさかアンタ、あの『剣姫ラウラリス』かっ⁉」
「……いや誰よそれ?」
なんだか知らないところで妙な広まり方をしているラウラリスであった。
考えてみれば当然の帰結だ。町を訪れると、その都度近辺で悪事を働く手配犯を片っ端から捕まえ、時には腕利きのハンターでさえ苦戦する危険種をたった一人で討伐する。
更には、どこから漏れたかは不明だが、捕縛推奨が銀級である『亡国を憂える者』の幹部が率いる一派を壊滅に追いやったという話も囁かれ始めている。
当人にその気はなくとも、嫌というほど目を引く行動力である。可憐で麗しい姿とは裏腹の凄腕の剣士であることから、『剣の姫様』的な意味が混ざり合って『剣姫』という二つ名が本人の与り知らぬところで定着していたのだ。
「私は姫って柄じゃぁないんだがね!」
商人に雇われていたハンターに一連の話を聞いたラウラリスは、盛大にツッコミを返した。外見はともかく、内面は八十を超えたババァなのだ。しかも元皇帝。とてもではないが「姫」などという呼び名が似合うとは思えなかった。
ちょっとした遭遇戦があったことを除けば馬車は順調に道程を消化し、無事に目的地の町へと辿り着いた。
「では、こちらが依頼達成の証明書です」
「良いのか? 恥ずかしい話だが、俺達は剣姫のお嬢さんがいなけりゃヤバかったぜ?」
「だとしても、あなた達はあなた達のできる限りで仕事をしてくれた。それに、見通しが甘かったのは私も同じですから」
ここまでの道のりで遭遇するであろう危険種の強さを前もって想定し、それに適した強さのハンターを雇ったつもりであった。しかし実際に現れた危険種は行商人の想定を超えており、結果的にはハンター達をも危険に晒すこととなってしまった。これはもはや行商人の失態なのだ。ハンターへの報酬はその謝罪も含めていた。
「……本音を言えば助かる。今回の依頼で仲間の装備が壊れちまってな」
ハンターは行商人から一枚の紙を受け取った。ギルドが発行している書類だ。これに依頼主がサインをし、ギルドに提出することによって依頼の完了が証明され、報酬が支払われる仕組みになっている。特殊な製法とインクで作成された書類で、偽造をすれば罰則として一発でギルドから追放される。書類の内容を改めて確認し、大事に懐に収めて、ハンターはラウラリスのほうを向く。
「あんたにも世話になった。この恩は忘れねぇ」
「そうかい。ま、死なない程度に頑張りな」
ハンターたちは彼女に頭を下げてから、馬車から離れていった。
「じゃ、私もこれで失礼するよ。ここまで乗せてくれてありがとよ」
「いやいや! ちょ、ちょっと待ってください!」
ラウラリスが長剣を背負って去ろうとすると、行商人は大慌てで制止した。
「ハンター達に言った言葉に嘘はありませんが、今回無事にこの町に辿り着けたのは間違いなくあなたのおかげです! そのお礼をまださせてもらってませんよ⁉」
「なんだ、そんなことかい。あの程度、馬車の乗車代金だよ」
これは何も善意から出ただけの台詞ではない。ラウラリスの中では、危険種の撃退と馬車に乗せてもらったことはほぼ等価であった。むしろ、以前に乗せてもらった件も含めて代金を払うつもりすらあったのだ。
「だとしてももらいすぎですよ! ……このまま黙ってあなたを行かせてしまっては、私の商人としての沽券に関わります。何かお礼をさせてください」
「……そこまで言うなら」
今時珍しいくらいに律儀な商人だね、とラウラリスは内心で感心した。彼女の中での「今時」は三百年ほど昔のことかもしれなかったが、それはいいとして。
「けどあいにく、金にはあまり困っちゃいないんだよねぇ。これ以上あっても嵩張って邪魔になっちまうし」
金というのは、ある一定以上の量になると純粋な重荷になる。そのためラウラリスは、行く先々で余分に貯まった金は、なるべくその町で使い切るようにしていた。ちなみに、主な金の消費先は特産グルメの食べ歩きである。そんな事情を知らずとも、行商人はしばし考えると妙案を思いついたのか首を縦に振った。
「この町にはどのくらい滞在の予定で?」
「さぁね。一週間はいるだろうけど……一ヶ月とまではいかないだろうさ」
これまでいくつかの町を訪れてきた経験から、ラウラリスはざっくりと計算した。
――この町に蔓延る手配犯達が全て捕縛されるまで、残り一ヶ月未満である。
「なるほどなるほど。ちなみに、宿泊先のアテは?」
「まだ決めちゃいないが……それがどうしたよ?」
「でしたら、私が懇意にしている宿屋などはどうでしょうか? 事前の予約が必要な宿なのですが、今回のお礼と言うことで私がそちらを手配しましょう。もちろん、滞在中の宿泊費用はこちら持ちということで」
「そりゃ助かるが……そこまでしてもらって良いのかい?」
なんだか、今度は逆にラウラリスがもらいすぎているような気がしてきたが、行商人は否定した。
「いえ、私の中では正当な対価です。得た商品には正当な支払いを。受けた恩には相応の礼を。……どうか私を助けるとでも思って、この提案を受けて頂けませんか?」
「そんじゃあ……お言葉に甘えるとしようかね」
ラウラリスはもらえるものはしっかりと頂戴する派である。加えて、商人の沽券に関わるというのならば、受け取らなければ彼に失礼であろう。そこでふと、ラウラリスは気が付いた。
「そういやぁ、今の今までアンタの名前を聞いてなかったね。あ、私の名前は――」
「ラウラリスさんですね。いえ、知ったのはハンターの方々の話を聞いた、つい先ほどなのですが。まさかあの時知り合った方が噂の美少女剣士とは」
ぺこりと頭を下げてから、行商人は改めて名乗った。
「申し遅れましたが、私はアーキナ・イショウ。しがない商人です。以後、お見知りおきとご贔屓をお願いいたします」
◆◆◆
ラウラリスが足を踏み入れた町は賑わっているようで、人通りは多かった。
ちらほらと出店もあり、香しい匂いが空気に溶け込んでいた。
「活気があるってのは良いことだねぇ。その場にいるだけで楽しい気持ちになる」
「なんだかテロリストの一集団が壊滅したという噂です。おかげでこの辺りの治安が良くなったとかなんとかで、商人達も結構集まっているらしいですよ」
「そりゃ結構なこと。……手間を掛けた甲斐があったもんだ」
後半はアーキナに聞こえないようにぽつりと付け足した。
話を変えるようにラウラリスは口を開いた。
「ところで、紹介してくれる宿屋ってのは飯は美味いのかね?」
「もちろんですよ。それを目当てで泊まりに来る貴族がいるほどですから」
「良いね。ご当地グルメを楽しむのが私の旅の大きな楽しみだからね」
「きっと、ご期待に沿えると思いますよ」
話を弾ませながら道行く二人。
――さて、既にお察しの者も多くいるだろうが、ラウラリスが行く先には常に騒動がある。本人の望む望まざるに関わらず、もはやこれは彼女がそういった星の下に生まれたとしか言いようがなかった。決して、どこぞの愉快犯な神様が意図したものではない。
そして今回もその星の巡り合わせが訪れた。歩いていた二人の前で、ふと人の流れが止まっていた。首を傾げるアーキナ。
「……見世物でもやっているのでしょうか?」
「それにしちゃぁ……あんまし明るい雰囲気じゃぁなさそうだ」
ラウラリスは困ったように頭を掻く。
経験則から言って、面倒事が起きている予感があった。
「うん、ちょいと見てくるよ」
「え? ――って、ラウラリスさんっ⁉」
背中にアーキナの慌てた声を受けながら、ラウラリスは流れが止まった人混みの中へと突入した。
背丈ほどの長剣を背負っているとは思えない体捌きで、誰にぶつかるでもなくスルスルと人混みの間を進んでいく。そうして人垣を抜けた先には、半ば予想通りの光景が広がっていた。
人集りの中心にぽっかりと開いた空白地帯。
その中心で二人の若者が睨み合っていた。
両者共に顔から血を流し、痣をいくつも拵えている。
誰がどう見ても、若さ故の衝動に身を任せた喧嘩であった。
「むぅ……どちらもズブの素人だね」
拳の握り方から足の位置まで何から何までなってない。おそらく、歩いていて肩がぶつかったとか足が引っかかったとか、きっかけとしてはその程度であろう。
「若いからやんちゃしたいのはわかるけど、何もこんな道のど真ん中でやらかすことないだろうに。やるなら路地裏に行け、路地裏に」
ラウラリスは腕を組んで、呆れたようにため息をついた。あまりにも忌憚のない物言いに、付近にいた者たちがぎょっとした目をラウラリスに向ける。それは当事者達の耳にも届いていたらしく、二人の若者が揃ってラウラリスのほうを向いた。怒りさえ含んでいそうな若者二人の視線を集めるも、当のラウラリスは鼻を鳴らすだけだ。むしろ、掛かってくるなら存分に相手をしてやると言わんばかりの態度だ。
なお、ラウラリスが喧嘩の仲裁に入る場合、基本的には「とりあえず両方(拳で)黙らせてから話を聞く」というスタンス。今まさにそれが実行されようとしていた。
ところが、ラウラリスが拳を握るよりも早くこの場に割って入る姿があった。
「そこまでです!」
喧騒溢れる町中でも凜と通る声に、ラウラリスの立っている位置とは逆側の人垣が左右に割れる。
道のように開かれた人々の間から現れたのは、見事な甲冑を着た集団だった。先頭を歩くのは、兜を脇に抱えた女性だ。歳はおそらく二十の半ば辺りだろうか。
「ここは往来ですよ! 今すぐ争いを止めなさい!」
女性がぴしゃりと言い放つと、若者二人はばつの悪そうな顔になる。
苛立ちは収まらなくとも、これ以上騒ぎを起こす気はなくなったのか、人垣を押し退けながらこの場を去って行った。衝動をぶつけ合っていた若者二人の代わりに、甲冑を着た集団が人垣の中心に立つ。すると雰囲気は打って変わり、色めき立つような空気が広がっていた。
「……何なのさ、あれ」
「あれは献聖教会の騎士団でしょうね」
いつの間にか人垣の間を抜けてきたアーキナが、甲冑の集団を見て言った。
「ケンセイキョウカイ?」
「おや、ご存じないですか。王都のほうでは割とメジャーなんですが……辺境ではあまり有名ではないのかもしれませんね」
献聖教会――それは献身奉仕の心こそが世を照らす光であると信じる教えである。
「この町にも献聖教会の建物があるはずです。私は信徒ではありませんが、品物を卸したことは何度かありますね」
「献身奉仕ってお題目なのに、なんで騎士団なんだ? 武装して奉仕ってどうなんだい?」
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わかるようなわからないような、と首を捻るラウラリス。だがその瞬間、唐突に彼女の視線が鋭くなった。
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ラウラリスはアーキナの返事を待たず、長剣の留め金を外して彼に放り投げた。反射的に受け取ったアーキナだったが、その重量に倒れ込みそうになる。背後からの悲鳴を耳にしつつ、ラウラリスは人垣の開いた空間を一直線に突っ切る。当然、中心部にいた甲冑の集団とすれ違う。その強烈な加速を目で捉えられた者は殆どいない。すれ違った甲冑達でさえ、大半が「突風が吹いた」程度に認識しかできなかった。
――ただ唯一、顔をあらわにしている女性は別であった。
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