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2巻
2-2
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男たちが武器を抜いたのを見計らって、ラウラリスは長剣の柄に手を添える。
「騒ぎにしたくないのは、なにもあんたたちに限った話じゃぁないんだよ」
ラウラリスの表情は天敵を前に怯える小動物ではなく、逆に獲物を狙う肉食獣のようだ。
「堅気の人間を巻き込むのは気が引けるからね。ここでなら、多少は暴れられるってもんだ」
ラウラリスがこの場所に来たのは、男たちから逃げるためではない。男たちを人目につかないところまで誘い込みたかったから。
「関わっちまった以上は、見過ごせない性質でね。洗いざらい吐いてもらうよ」
ラウラリスから発せられる殺気に、男たちはようやく自分たちの過ちに気がついた。
自分たちは獲物を狙う狩人だと思っていたが、本当は自分たちこそがラウラリスに狙われる側であったのだと。
ラウラリスから力尽くで金属札を奪うか、あるいは撤退するか。男たちは判断に惑う。
その気の迷いが仇となった。
――いや、『彼女』の目の前に現れた時点で手遅れだった。
「逃がしゃしないさ」
ラウラリスは長剣を抜くと、一瞬で男たちに肉薄した。彼らがラウラリスの接近に気がついた時には、すでに彼女は剣を振るっていた。
――その後一分足らずで、その場に立っているのはラウラリスだけとなっていた。
「もうちょいと鍛え直さないとね、私も。昔はこの程度、一振りで終えられたってのに」
背中の鞘に長剣をおさめながら、ラウラリスは不満げにボヤく。
彼女の言っていることは決して誇張ではなく、紛れもない事実。全盛期の彼女であれば、剣の一振りだけで相手の身も心も根刮ぎ屈服させることが可能であった。
地に伏している男たちの、命に別状はない。剣で斬られてはいるが、どれもが浅い傷だ。
だが、転がっている彼らの剣は半ばで折れており、彼ら自身も意識を失っている。
新しい躰を手に入れて、数ヶ月が経った。だが、相手を殺さない程度に無力化することはできても、相手の意識を保ったまま、生かさず殺さずの絶妙な塩梅で加減するのはまだ難しい。
「ま、やっちまったもんは仕方がないか」
己の未熟さは一旦棚に上げる。今のラウラリスにとってなによりも重要なのは、謎の金属札だ。
「どうやら、思っていた以上に面倒な代物らしいね」
彼女は肩を落とす。結果的に、面倒事を自ら引き当ててしまった。
今回の人生は自由に生きたい。だから、なるべくしがらみを持たないためにギルドにも所属せず、フリーの賞金稼ぎとなった。
それなのに、しがらみはゴメンだと言いつつも、自分で引き寄せていれば世話はない。
かといって、ここで全てを無視して、再びぶらりと旅を続ける気にもなれなかった。
謎の金属札と怪しげな襲撃者。ここに来てラウラリスは、より強いキナくささを感じ始めていた。
「……こいつらがなにかを持ってりゃいいんだが」
長剣を振るいはしたが、男たちを気絶させたのは蹴りや肘鉄による当て身。
とはいえ打ち込んだ感触からして、並みの人間なら半日は意識を取り戻さないだろう。とても話を聞けるような状態ではない。
だが、なにも手掛かりは男たちの話だけではない。男たちの身元に繋がるようななにかか、金属札に関わるなにかしら、あるいはそのどちらもが見つかれば、大きな手掛かりとなる。
ラウラリスは、男たちの懐をごそごそと探り始めた。
「おぉ、結構持ってるじゃないのさ。今日は実入りが良いねぇ、うひひひひ」
男たちの財布から中身を奪い取るババァ。これは、本人的には襲われたことに対する迷惑料だ。命を奪わなかっただけでもありがたいと思っていただきたい。
……このババァ、悪党の金は自分の金と思っている節がある。
それはさすがに言いすぎだが、少なくとも自分で仕留めた悪党に関しては根刮ぎ奪い取ることに一切の躊躇いを持っていないのは、確実である。
それはともかく、下衆な笑みを引っ込めたラウラリスは、真面目に男たちの懐を検めていく。
「お、こいつは……」
男の懐から出てきたのは、模様こそ大分違うが、彼女の持つものとよく似た金属札であった。
「ああ、こいつはシンプルだ。さすがに私でもわかる」
金属札をひらひらと手で弄びながら、男に気の毒げな視線を向ける。
「なんか悪いことしちまったね。札を切る前に片をつけちまったみたいだ」
ラウラリスが抜き取った金属札は、男にとっては文字通りの『切り札』だったのだろう。
他の男たちも持っていないか探ってみるが、出てきたのはこの一枚のみであった。
「つか、懐に大事にしまってちゃ意味ねぇってのに。札の切り方をわかってない素人ってことか……」
あるいは単なる『お守り』として持っていたのか。
「とりあえず、こいつもいただいておこう」
やっていることは完全に強盗であるが、ラウラリスは気にしない。
それからラウラリスは男の胸元を眺め、そこに提げられているペンダントに目を留めた。見れば、他の男たちも同じペンダントをしている。
路地裏は周囲の建物で日光が遮られ、視界が悪い。ラウラリスは詳しく見ようとペンダントの鎖を引きちぎり、手元に寄せる。
すると、彼女は嫌なものを偶然見つけてしまったように、表情を曇らせた。
「獅子の頭に鷲の躰。でもって蛇の尻尾……か。思わせぶりな組み合わせだねぇ、こいつは」
ペンダントに施されたデザインは、彼女の記憶に色濃く残っているものに酷似していた。
他の男たちのペンダントも、やはり同じデザインだ。
「もう嫌な予感しかしないよ、私は。これ絶対、超絶に面倒なことになってるパターンだ」
ラウラリスはがっくしと肩を落とし、頭を垂れた。できることなら、一刻も早くこの町を出て、今見たことを全て忘れてしまいたい。なにも知らないまま、気楽な旅を続けていたい。
だが、ラウラリスは見過ごせない。
すぐにこの場を去るつもりだったが、どうにかして男たちから話を聞く必要が出てきた。
次にラウラリスが顔を上げた時、気のいい老婆を宿した少女の顔は、そこになかった。
「……骨の一本でもへし折りゃ、嫌でも目を覚ますだろう」
相手が悪党であろうとも、ラウラリスは必要以上に痛めつけることを良しとしない。
けれども必要があるのならば、どれほど残虐な行為も躊躇わない。
己の『善』のために、悪を選んだ女帝がそこにいた。
だが、ここで男たちに幸運が訪れる。
こちらに近づく人の気配を感じ取り、ラウラリスは忌々しげに舌打ちをした。
「……ちっ、時間切れか」
表通りから離れているだけあり、この付近に人気はほとんどない。けれども、全くないわけでもない。まだ太陽も高い位置にある頃であり、誰かが通りかかってもおかしくない。
今ここで男の腕を折れば、その激痛で絶叫が響くのは、火を見るより明らか。たとえ口を塞いだとしても、男が暴れる物音を抑えるには限度がある。不審に思った人が、興味を持ってこちらに来る可能性もある。
その現場を第三者が目撃すれば、なんと思うだろうか。
いくらラウラリスが正当防衛を主張したところで、それを素直に信じてもらえるかは不明だ。
警備隊か自警団か、ともかくこの町の治安維持の組織が出張ってくれば、いよいよ騒ぎが大きくなる。仮にラウラリスへお咎めがなくとも、治安組織に目をつけられる。そうなれば、この件に関して動くことが難しくなるだろう。
人の気配を感じてから数秒の間に、ラウラリスは決断した。
「よし、逃げよう」
最低限の情報は得られた。これ以上を望むのは贅沢というもの。
「命拾いしたな、お前ら」
女帝時代のラウラリスは、帝国軍の総司令官でもあった。当然、表沙汰にできない暗部も知り尽くしている。その中には、人間から情報を絞り尽くす手段も含まれている。
そのため、どのような方法で男たちに情報を吐かせようか、考えていたのだが。
血も涙もない悪逆非道な女帝の威圧に晒された男たちは、意識を失いながらも顔を蒼白にし、苦しげに呻いた。恐らくは、生かさず殺さずの地獄に叩き落とされた悪夢を見ていることだろう。
ラウラリスは、現場に己の痕跡が残っていないか素早く確認すると、その場を去った。
――そのほんの十数秒後、人目を忍んでいちゃこらしようと路地裏に入り込んだ一組のカップルが、倒れた男たちを発見したのだった。
第二話 獣の紋章とババァ
男たちの襲撃があった後、ラウラリスは尾行を気にしながら、比較的質の良い宿に泊まった。
安宿の店員は、職務に対しての意識が低い。平気で泊まっている客の情報を売る。
逆に高い宿の店員は、よほどの相手でない限りは客の情報を外部に漏らそうとはしない。そんなことをすれば宿の評判が下がって客足が遠のき、給料に影響が出るからだ。
ラウラリスが目をつけた宿に身を隠した時点で、彼女への尾行はなかった。
それから二日ほどラウラリスは宿から一歩も出なかったが、誰かが彼女の宿泊している部屋に押し入ってくるようなこともなかった。
この二点から、金属札を狙っていた輩の仲間は、ラウラリスの所在を掴めていないことがわかる。あるいは、宿の店員から情報を引き出せるほど、立場のある輩ではなかったということだろう。
「私の所在を掴みながら、慎重に行動してるって話かもしれないが……」
経験からすると、ああいう者は目の前に餌があれば必ず食いつくタイプだ。でなければ、ガマスを引き渡した日の内に仕掛けてなどこない。
「ま、これ以上は考えても仕方がないね」
考えてもキリがないことは、問題が起こってから対処するのがラウラリスのやり方だ。
そして、ラウラリスは今、とある店の前に立っていた。
行動を起こした彼女が訪れたのは、町の骨董品屋だ。
「邪魔するよ」
店内に一歩足を踏み入れると、埃っぽいにおいが鼻孔を刺激した。陳列棚には壺やら絵画やらが並べられており、店の奥にあるカウンターには壮年の店主が座っている。
「……いらっしゃい」
新たな客が年若い娘だと見て、店主は興味を失ったように視線を逸らし、片肘をつく。
この手の店を利用するのは一部の好事家くらいで、とてもではないがラウラリスのような少女が来る場所ではない。単なる冷やかしとでも思ったのだろう。
ラウラリスに対して、誰もが似たような反応をする。彼女が今持っている長剣を購入した店だってそうだった。もう慣れたものだ。
こういう場合は、さっさと本題に入るに限る。ラウラリスはカウンターの前まで歩くと、その上に二枚の金属札と貨幣が詰まった革袋を置いた。店主はそれを見て、目を丸くする。
「この二枚の金属札を鑑定しておくれ。こっちの袋は鑑定料と口止め料だ」
ラウラリスは淡々と用件を告げた。目をパチクリさせた骨董品屋の店主だったが、はっと我に返ると恐る恐る革袋を手に取り、中身を確認する。そして、改めて大きく目を開いた。相場よりもかなり多い額が、袋の中におさまっていたからだ。
「言っただろう、口止め料も入ってるって。私がこいつの鑑定を依頼したということは、秘密にしてほしい」
「……わかった。約束しよう」
店主は咳払いをし、居住まいを正すと、拡大鏡を取り出して金属札の検分を始めた。
「ほぅ……こいつはなかなか面白い品だな。どこで手に入れたんだ?」
「野盗の親玉と犯罪組織の下っ端からぶん取ってきた」
「はっはっは、そりゃ凄いな」
ラウラリスの説明を冗談だと思ったのか、店主は軽快に笑った。
それから彼は最初の気怠げな様子からは想像もできないほど、真剣に金属札を観察していく。持ち込まれた品と依頼の額から、単なる冷やかしではないとわかったからだろう。
二枚の金属札を見つめつつ、店主は口を開いた。
「時に、お嬢さん。なんでこの店を選んだんだ?」
美術品を扱っている店は、町に何軒かある。そしてそれらの中で最も小さく、古ぼけているのがこの店だ。どうせ持ち込むのならば、もっと大きな店を選ぶのが妥当だと思ったらしい。不思議そうな店主に、ラウラリスは平然と答えた。
「だって、あんたが扱ってる品ってのはこの系統だろ」
「……わかるのかい?」
驚いている店主を尻目に、ラウラリスは一度、店内を見回す。
「私はこういうものの専門家じゃないが、無学ってわけでもないんでね。そこそこ目利きはできるんだよ」
ラウラリスがそう言うと、店主が感心したように頷いた。
「その歳にしちゃ、大したもんだ」
「なに、単なる積み重ねだよ」
自嘲をほんの僅かばかり含ませ、笑みを浮かべるラウラリス。魂の実年齢を考慮すると、ラウラリスは目の前の男性よりもかなり年上なのだ。自慢できることではない。
それからしばらくして、男は胸にためていた息を大きく吐き出し、金属札をカウンターに置いた。
ラウラリスはカウンターに両手をつき、真剣な眼差しを向ける。
「で、わかったのかい?」
「お嬢ちゃんだって、おおよその察しはついてんだろ?」
「言っただろ、目利きができるって言ってもそこそこだ。本職からのマジな意見が欲しいんだよ」
肩を竦める店主に、ラウラリスは強い意志を込めてはっきり告げる。
店主はもう一度息を大きく吐き出してから告げた。
「こいつは呪具だな。札の真ん中にある宝石に込められた呪文を、周囲の紋様で制御する類いの代物だ」
「やっぱりね」
今世においては初めて聞いた言葉だが、ラウラリスにとっては馴染みのあるものであった。
呪文という存在を、一言で説明するのは難しい。それでもあえて言い表すならば、『超常現象を人間が操る術』だろうか。そして呪具は、その呪文を発動させるための触媒だ。
ラウラリスがこの骨董品屋を選んだ理由は単純明快。
呪具を扱っている店が、この町ではここしかなかったからだ。
店内の棚に陳列されているのは、一見すれば単なる古びた骨董品。だが、実はそのうちの何点か、ラウラリスが持ち込んだ金属札のような呪具が含まれているのだ。
「こっちの奴は『火の呪文』が込められてる」
店主はラウラリスが襲撃者から奪った金属札を手に取って言う。
店主が中心の宝石を凝視すると、彼の持っているほうと反対側の端に、小さい炎が灯った。
「素人じゃあ、このくらいだな。慣れた奴が使えば、人間を丸ごと焼ける程度の大きさの炎が出せる」
店主の見立ては、ラウラリスが予想していたのと違わないものであった。ラウラリスは数回頷く。そちらはいい。本命はもう一枚のほうだ。
「で、もう片方は?」
「わからん」
「…………おい」
あまりにも簡潔な返答を聞いて、ラウラリスの目が据わる。
ラウラリスから滲み出た静かな怒気に、店主は慌てたように言った。
「す、すまんかった! だが本当にわからんのだ! 同じ呪法者が作ったものだということはわかるが、こっちの札に込められている呪文は、初めて目にするもんだ!」
「それが知りたくて金払ってんだろうが!」
掴みかからんばかりのラウラリスに、店主は悲鳴を上げる。
それから少しして両者が落ち着いた頃、店主は咳払いを一つしてから、改めて口を開いた。
「この札を作った奴は、かなり腕のある奴だ。それは間違いないだろう」
「具体的な効果は?」
「だからわからんと言ってるだろう。ただ……」
「ただ?」
神妙な顔つきになる店主に、ラウラリスは先を促す。
「込められた呪文はわからんが、火の呪文が込められたほうとは比べものにならないほど、精巧にできとる。効果はわからなくとも、出すとこに出せば相当な額で取引されるだろう」
「値段がわかってもねぇ……」
ここまで来て肩透かしを食わされるとは。今度はラウラリスがため息をついた。
まあ、わからないものは仕方がないと、ラウラリスは自らの懐を探る。
「ああ、ついでだ。こいつに見覚えはないか?」
せめてなにかしらの成果をと、ラウラリスは襲撃者の首元から引きちぎったペンダントをテーブルの上に投げ置いた。ラウラリスは完全に投げやりな態度であったが、事は彼女の予想の斜め上を行く。
「……あんた、こいつをどこで手に入れた?」
店主は、先ほどと似たようなことをラウラリスに問う。けれども、言葉に含まれた重みは随分と増していた。
彼は、重々しくラウラリスに告げる。
「獅子の頭に鷲の躰、蛇の尻尾。こりゃ三百年前に滅んだ『帝国の紋章』だ」
ラウラリスがその紋章に見覚えがあるのは、当然といえよう。
なにせ店主が口にした『滅んだ帝国』とは、ラウラリスが前世で統治していた『エルダヌス帝国』に他ならないからだ。
かの帝国が現代において、悪の象徴として語られていることを、ラウラリスは知っている。最後の統治者であるラウラリス当人が、そうなるように仕向けたのだから。
現在までの長きにわたる平和は、二度と帝国のような『悪』が生まれぬよう、世界の各国が努力し協定を結んでいるからである。
そして、この獣の紋章は帝国の紋章。つまり、現代においては『悪』を象徴するものなのだ。
険しい顔をする店主に、ラウラリスは冷静に答える。
「滅んだ帝国の紋章だってのは、私だって知ってるよ。問題は、こいつを呪具の持ち主が首からぶら下げてて、そいつと一緒にいた他の奴らも同じもんを持ってたってことだ」
「……単におしゃれで持ってたってわけじゃなさそうだな。ってなると……嬢ちゃん、面倒な奴らと関わっちまったな」
「ああ、やっぱりか」
眉間のしわを深くした店主に、ラウラリスは平然と返した。
予想はしていたが、やはり名のある集団らしい。それも性質の悪い系の。
「……で、その馬鹿どもは何者なんだい?」
ラウラリスが聞くと、店主は低い声で言った。
「『亡国を憂える者』。文字通り、帝国の滅亡を三百年経った今でも憂い悲しんでいる集団のことだ。そいつらがシンボルとして掲げてるのが、この紋章だ」
名前の響きだけで、もう聞くのが嫌になってきた。だが、聞かないわけにもいくまい。
ラウラリスは己の恥部を晒されたような心境になりつつも、店主に先を尋ねた。
「……具体的にはどんな集まりなんだい?」
「俺も詳しく知ってるわけじゃあないぞ」と前置きをしてから、店主が語り出す。
「帝国最後の皇帝を神のごとく崇拝し、帝国の復活を目論んで、後ろ暗いことをやらかしてるって話だ」
「マジかぁ……………………」
思わずラウラリスは嘆くように天を仰いだ。視線の先には、かびの生えた天井しかなかったが。
「その手の馬鹿が出てこないように、なるべく手は打ってたはずなんだけどねぇ」
ラウラリスが思わずポツリと漏らすと、店主が怪訝そうな顔をする。
「なんだって?」
「……こっちの話だ。気にしないどくれ」
顔を引きつらせるにとどめたラウラリスだったが、内心では頭を抱えて絶叫したいほどであった。
――帝国の末期。
ラウラリスは己が死に帝国の名が消滅した後でも、残された国民たちが過剰に罰を受けぬように様々な策を講じていた。
その中で困難を極めたものの一つが、頑なに帝国の覇権を取り戻そうと目論む、国や軍の上層部の排除であった。
帝国の最上層部の多くは、ラウラリスの腹心である『四天魔将』や、ラウラリス個人に心からの忠誠を誓った者で固められていた。ラウラリス亡き後を託せる者たちだ。
しかし、ラウラリスの計画を知らない者たちは、帝国の滅亡を目前にしても、決して諦めようとしなかった。国家消滅の危機を前にすれば当然ではあろう。
彼らの存在は、ラウラリスが死んだ後の世に必ず影を落とす。あるいは、女帝が死んだ後も戦争を継続しようとする可能性がある。ラウラリスはそう考えていた。
故に、ラウラリスはあらゆる手を使い、そういった過激派を排除していった。
合法的に裁くこともあれば、秘密裏に暗殺を命じたこともある。
あるいは戦場の最前線で戦わせ、討ち死にさせたこともある。
もしかしたら、中にはラウラリスに忠誠を誓っていた者もいたかもしれない。
だが、未来に訪れる平和に影を落とす可能性の芽を摘むために、彼女は容赦なく彼らを葬ったのだ。
その結果、ラウラリスが勇者に討たれた時に、戦争継続を望む声は上がらなかった。
帝国の復活を望む者も、また現れなかった。
だからこそ、今の世の平和があるわけなのだが――
(……討ち漏らしがあったってわけかい)
過去の亡霊がラウラリスの前に姿を現した、ということだ。
「大丈夫か? ちょっと顔色が悪いが」
店主の声を聞いて、思考の海に沈んでいたラウラリスの意識が浮上する。
心配そうな彼に、ラウラリスは苦笑気味に言った。
「……いや、あんたの言う通り、面倒な連中に目をつけられたなと思ってね」
そんな彼女を見て、店主は眉をひそめた。
「なぁ嬢ちゃん。もしかしてこの正体不明の呪具……出所は『亡国を憂える者』なのか?」
「厳密には違うが……ま、そんなところだよ」
今まで得た情報から推測するに、ラウラリスを襲った者たちこそが『亡国を憂える者』。
元々は彼らが呪具の所有者であり、ガマスたちは仕事で、たまたま呪具の所有者を襲ったのだろう。それが巡ってラウラリスの手元に来たわけだ。
店主は、案じるようにラウラリスを見た。
「大丈夫か? 『亡国を憂える者』は、目的のためなら女子どもでも容赦しないらしいぞ」
「なぁに、来るなら返り討ちにするまでさ」
ラウラリスは己が背負う長剣を親指で示す。
可憐な美少女から滲む凄みを少しでも感じたのか、店主はゴクリと唾を呑み込んだ。
「それより、あんたこそ大丈夫なのかい?」
ラウラリスの問いかけに、店主は首を傾げる。
「なにがだ?」
「こんな厄介事の種を店に持ち込んだってのに、案外落ち着いてるからね」
すると、店主は肩を竦めた。
「呪具ってのは、良くも悪くも曰くつきが多いからな。それなりの対処法は身につけてるさ。おっと、あんたの情報は漏らさないから安心してくれ。口止め料はきっちりもらってるからな」
曰くつきのものを取り扱っているからこそ、筋はきっちりと通すということなのだろう。
それにしても予想を遥かに超えて面倒な事態が絡んでいた事実に、ラウラリスの頭が痛くなりそうである。
「『亡国を憂える者』ねぇ……こっちが嘆きたいわ」
もしかしたら、当人たちは滅んだ帝国を本気で憂えているのかもしれないが、元女帝からしてみればたまったものではない。
なにせ、人生の大半を帝国滅亡のために費やしたのだ。
波風立たぬようにいろいろと手を回したのに、完全に余計なマネである。
とはいえ、ラウラリスの死からすでに三百年の月日が流れている。時の移ろいとともに、世界も人も移ろう。なにかしらの問題が噴き出すには、十分すぎる時間だろう。
この三百年間になにが起ころうが、ラウラリスには防ぎようがない。ラウラリスは死んでいたのだから。むしろ、三百年後にこうして問題を目の当たりにできたことが奇跡なのだ。
ならば、この奇跡を活かすしかない。
「この正体不明の呪具を調べられる奴、この町にいるかい?」
ラウラリスが聞くと、店主は首を横に振った。
この店だって、ラウラリスがこの町で最も呪具に詳しいと思ったからこそ選んだ。そんな彼でもわからなかったのだから、その返答も当然だろう。
仕方がないと、ラウラリスは小さく笑う。
「……大方の聞きたいことは聞けたよ。ありがとよ」
「力になれたかどうかは、正直自信ないがな」
「騒ぎにしたくないのは、なにもあんたたちに限った話じゃぁないんだよ」
ラウラリスの表情は天敵を前に怯える小動物ではなく、逆に獲物を狙う肉食獣のようだ。
「堅気の人間を巻き込むのは気が引けるからね。ここでなら、多少は暴れられるってもんだ」
ラウラリスがこの場所に来たのは、男たちから逃げるためではない。男たちを人目につかないところまで誘い込みたかったから。
「関わっちまった以上は、見過ごせない性質でね。洗いざらい吐いてもらうよ」
ラウラリスから発せられる殺気に、男たちはようやく自分たちの過ちに気がついた。
自分たちは獲物を狙う狩人だと思っていたが、本当は自分たちこそがラウラリスに狙われる側であったのだと。
ラウラリスから力尽くで金属札を奪うか、あるいは撤退するか。男たちは判断に惑う。
その気の迷いが仇となった。
――いや、『彼女』の目の前に現れた時点で手遅れだった。
「逃がしゃしないさ」
ラウラリスは長剣を抜くと、一瞬で男たちに肉薄した。彼らがラウラリスの接近に気がついた時には、すでに彼女は剣を振るっていた。
――その後一分足らずで、その場に立っているのはラウラリスだけとなっていた。
「もうちょいと鍛え直さないとね、私も。昔はこの程度、一振りで終えられたってのに」
背中の鞘に長剣をおさめながら、ラウラリスは不満げにボヤく。
彼女の言っていることは決して誇張ではなく、紛れもない事実。全盛期の彼女であれば、剣の一振りだけで相手の身も心も根刮ぎ屈服させることが可能であった。
地に伏している男たちの、命に別状はない。剣で斬られてはいるが、どれもが浅い傷だ。
だが、転がっている彼らの剣は半ばで折れており、彼ら自身も意識を失っている。
新しい躰を手に入れて、数ヶ月が経った。だが、相手を殺さない程度に無力化することはできても、相手の意識を保ったまま、生かさず殺さずの絶妙な塩梅で加減するのはまだ難しい。
「ま、やっちまったもんは仕方がないか」
己の未熟さは一旦棚に上げる。今のラウラリスにとってなによりも重要なのは、謎の金属札だ。
「どうやら、思っていた以上に面倒な代物らしいね」
彼女は肩を落とす。結果的に、面倒事を自ら引き当ててしまった。
今回の人生は自由に生きたい。だから、なるべくしがらみを持たないためにギルドにも所属せず、フリーの賞金稼ぎとなった。
それなのに、しがらみはゴメンだと言いつつも、自分で引き寄せていれば世話はない。
かといって、ここで全てを無視して、再びぶらりと旅を続ける気にもなれなかった。
謎の金属札と怪しげな襲撃者。ここに来てラウラリスは、より強いキナくささを感じ始めていた。
「……こいつらがなにかを持ってりゃいいんだが」
長剣を振るいはしたが、男たちを気絶させたのは蹴りや肘鉄による当て身。
とはいえ打ち込んだ感触からして、並みの人間なら半日は意識を取り戻さないだろう。とても話を聞けるような状態ではない。
だが、なにも手掛かりは男たちの話だけではない。男たちの身元に繋がるようななにかか、金属札に関わるなにかしら、あるいはそのどちらもが見つかれば、大きな手掛かりとなる。
ラウラリスは、男たちの懐をごそごそと探り始めた。
「おぉ、結構持ってるじゃないのさ。今日は実入りが良いねぇ、うひひひひ」
男たちの財布から中身を奪い取るババァ。これは、本人的には襲われたことに対する迷惑料だ。命を奪わなかっただけでもありがたいと思っていただきたい。
……このババァ、悪党の金は自分の金と思っている節がある。
それはさすがに言いすぎだが、少なくとも自分で仕留めた悪党に関しては根刮ぎ奪い取ることに一切の躊躇いを持っていないのは、確実である。
それはともかく、下衆な笑みを引っ込めたラウラリスは、真面目に男たちの懐を検めていく。
「お、こいつは……」
男の懐から出てきたのは、模様こそ大分違うが、彼女の持つものとよく似た金属札であった。
「ああ、こいつはシンプルだ。さすがに私でもわかる」
金属札をひらひらと手で弄びながら、男に気の毒げな視線を向ける。
「なんか悪いことしちまったね。札を切る前に片をつけちまったみたいだ」
ラウラリスが抜き取った金属札は、男にとっては文字通りの『切り札』だったのだろう。
他の男たちも持っていないか探ってみるが、出てきたのはこの一枚のみであった。
「つか、懐に大事にしまってちゃ意味ねぇってのに。札の切り方をわかってない素人ってことか……」
あるいは単なる『お守り』として持っていたのか。
「とりあえず、こいつもいただいておこう」
やっていることは完全に強盗であるが、ラウラリスは気にしない。
それからラウラリスは男の胸元を眺め、そこに提げられているペンダントに目を留めた。見れば、他の男たちも同じペンダントをしている。
路地裏は周囲の建物で日光が遮られ、視界が悪い。ラウラリスは詳しく見ようとペンダントの鎖を引きちぎり、手元に寄せる。
すると、彼女は嫌なものを偶然見つけてしまったように、表情を曇らせた。
「獅子の頭に鷲の躰。でもって蛇の尻尾……か。思わせぶりな組み合わせだねぇ、こいつは」
ペンダントに施されたデザインは、彼女の記憶に色濃く残っているものに酷似していた。
他の男たちのペンダントも、やはり同じデザインだ。
「もう嫌な予感しかしないよ、私は。これ絶対、超絶に面倒なことになってるパターンだ」
ラウラリスはがっくしと肩を落とし、頭を垂れた。できることなら、一刻も早くこの町を出て、今見たことを全て忘れてしまいたい。なにも知らないまま、気楽な旅を続けていたい。
だが、ラウラリスは見過ごせない。
すぐにこの場を去るつもりだったが、どうにかして男たちから話を聞く必要が出てきた。
次にラウラリスが顔を上げた時、気のいい老婆を宿した少女の顔は、そこになかった。
「……骨の一本でもへし折りゃ、嫌でも目を覚ますだろう」
相手が悪党であろうとも、ラウラリスは必要以上に痛めつけることを良しとしない。
けれども必要があるのならば、どれほど残虐な行為も躊躇わない。
己の『善』のために、悪を選んだ女帝がそこにいた。
だが、ここで男たちに幸運が訪れる。
こちらに近づく人の気配を感じ取り、ラウラリスは忌々しげに舌打ちをした。
「……ちっ、時間切れか」
表通りから離れているだけあり、この付近に人気はほとんどない。けれども、全くないわけでもない。まだ太陽も高い位置にある頃であり、誰かが通りかかってもおかしくない。
今ここで男の腕を折れば、その激痛で絶叫が響くのは、火を見るより明らか。たとえ口を塞いだとしても、男が暴れる物音を抑えるには限度がある。不審に思った人が、興味を持ってこちらに来る可能性もある。
その現場を第三者が目撃すれば、なんと思うだろうか。
いくらラウラリスが正当防衛を主張したところで、それを素直に信じてもらえるかは不明だ。
警備隊か自警団か、ともかくこの町の治安維持の組織が出張ってくれば、いよいよ騒ぎが大きくなる。仮にラウラリスへお咎めがなくとも、治安組織に目をつけられる。そうなれば、この件に関して動くことが難しくなるだろう。
人の気配を感じてから数秒の間に、ラウラリスは決断した。
「よし、逃げよう」
最低限の情報は得られた。これ以上を望むのは贅沢というもの。
「命拾いしたな、お前ら」
女帝時代のラウラリスは、帝国軍の総司令官でもあった。当然、表沙汰にできない暗部も知り尽くしている。その中には、人間から情報を絞り尽くす手段も含まれている。
そのため、どのような方法で男たちに情報を吐かせようか、考えていたのだが。
血も涙もない悪逆非道な女帝の威圧に晒された男たちは、意識を失いながらも顔を蒼白にし、苦しげに呻いた。恐らくは、生かさず殺さずの地獄に叩き落とされた悪夢を見ていることだろう。
ラウラリスは、現場に己の痕跡が残っていないか素早く確認すると、その場を去った。
――そのほんの十数秒後、人目を忍んでいちゃこらしようと路地裏に入り込んだ一組のカップルが、倒れた男たちを発見したのだった。
第二話 獣の紋章とババァ
男たちの襲撃があった後、ラウラリスは尾行を気にしながら、比較的質の良い宿に泊まった。
安宿の店員は、職務に対しての意識が低い。平気で泊まっている客の情報を売る。
逆に高い宿の店員は、よほどの相手でない限りは客の情報を外部に漏らそうとはしない。そんなことをすれば宿の評判が下がって客足が遠のき、給料に影響が出るからだ。
ラウラリスが目をつけた宿に身を隠した時点で、彼女への尾行はなかった。
それから二日ほどラウラリスは宿から一歩も出なかったが、誰かが彼女の宿泊している部屋に押し入ってくるようなこともなかった。
この二点から、金属札を狙っていた輩の仲間は、ラウラリスの所在を掴めていないことがわかる。あるいは、宿の店員から情報を引き出せるほど、立場のある輩ではなかったということだろう。
「私の所在を掴みながら、慎重に行動してるって話かもしれないが……」
経験からすると、ああいう者は目の前に餌があれば必ず食いつくタイプだ。でなければ、ガマスを引き渡した日の内に仕掛けてなどこない。
「ま、これ以上は考えても仕方がないね」
考えてもキリがないことは、問題が起こってから対処するのがラウラリスのやり方だ。
そして、ラウラリスは今、とある店の前に立っていた。
行動を起こした彼女が訪れたのは、町の骨董品屋だ。
「邪魔するよ」
店内に一歩足を踏み入れると、埃っぽいにおいが鼻孔を刺激した。陳列棚には壺やら絵画やらが並べられており、店の奥にあるカウンターには壮年の店主が座っている。
「……いらっしゃい」
新たな客が年若い娘だと見て、店主は興味を失ったように視線を逸らし、片肘をつく。
この手の店を利用するのは一部の好事家くらいで、とてもではないがラウラリスのような少女が来る場所ではない。単なる冷やかしとでも思ったのだろう。
ラウラリスに対して、誰もが似たような反応をする。彼女が今持っている長剣を購入した店だってそうだった。もう慣れたものだ。
こういう場合は、さっさと本題に入るに限る。ラウラリスはカウンターの前まで歩くと、その上に二枚の金属札と貨幣が詰まった革袋を置いた。店主はそれを見て、目を丸くする。
「この二枚の金属札を鑑定しておくれ。こっちの袋は鑑定料と口止め料だ」
ラウラリスは淡々と用件を告げた。目をパチクリさせた骨董品屋の店主だったが、はっと我に返ると恐る恐る革袋を手に取り、中身を確認する。そして、改めて大きく目を開いた。相場よりもかなり多い額が、袋の中におさまっていたからだ。
「言っただろう、口止め料も入ってるって。私がこいつの鑑定を依頼したということは、秘密にしてほしい」
「……わかった。約束しよう」
店主は咳払いをし、居住まいを正すと、拡大鏡を取り出して金属札の検分を始めた。
「ほぅ……こいつはなかなか面白い品だな。どこで手に入れたんだ?」
「野盗の親玉と犯罪組織の下っ端からぶん取ってきた」
「はっはっは、そりゃ凄いな」
ラウラリスの説明を冗談だと思ったのか、店主は軽快に笑った。
それから彼は最初の気怠げな様子からは想像もできないほど、真剣に金属札を観察していく。持ち込まれた品と依頼の額から、単なる冷やかしではないとわかったからだろう。
二枚の金属札を見つめつつ、店主は口を開いた。
「時に、お嬢さん。なんでこの店を選んだんだ?」
美術品を扱っている店は、町に何軒かある。そしてそれらの中で最も小さく、古ぼけているのがこの店だ。どうせ持ち込むのならば、もっと大きな店を選ぶのが妥当だと思ったらしい。不思議そうな店主に、ラウラリスは平然と答えた。
「だって、あんたが扱ってる品ってのはこの系統だろ」
「……わかるのかい?」
驚いている店主を尻目に、ラウラリスは一度、店内を見回す。
「私はこういうものの専門家じゃないが、無学ってわけでもないんでね。そこそこ目利きはできるんだよ」
ラウラリスがそう言うと、店主が感心したように頷いた。
「その歳にしちゃ、大したもんだ」
「なに、単なる積み重ねだよ」
自嘲をほんの僅かばかり含ませ、笑みを浮かべるラウラリス。魂の実年齢を考慮すると、ラウラリスは目の前の男性よりもかなり年上なのだ。自慢できることではない。
それからしばらくして、男は胸にためていた息を大きく吐き出し、金属札をカウンターに置いた。
ラウラリスはカウンターに両手をつき、真剣な眼差しを向ける。
「で、わかったのかい?」
「お嬢ちゃんだって、おおよその察しはついてんだろ?」
「言っただろ、目利きができるって言ってもそこそこだ。本職からのマジな意見が欲しいんだよ」
肩を竦める店主に、ラウラリスは強い意志を込めてはっきり告げる。
店主はもう一度息を大きく吐き出してから告げた。
「こいつは呪具だな。札の真ん中にある宝石に込められた呪文を、周囲の紋様で制御する類いの代物だ」
「やっぱりね」
今世においては初めて聞いた言葉だが、ラウラリスにとっては馴染みのあるものであった。
呪文という存在を、一言で説明するのは難しい。それでもあえて言い表すならば、『超常現象を人間が操る術』だろうか。そして呪具は、その呪文を発動させるための触媒だ。
ラウラリスがこの骨董品屋を選んだ理由は単純明快。
呪具を扱っている店が、この町ではここしかなかったからだ。
店内の棚に陳列されているのは、一見すれば単なる古びた骨董品。だが、実はそのうちの何点か、ラウラリスが持ち込んだ金属札のような呪具が含まれているのだ。
「こっちの奴は『火の呪文』が込められてる」
店主はラウラリスが襲撃者から奪った金属札を手に取って言う。
店主が中心の宝石を凝視すると、彼の持っているほうと反対側の端に、小さい炎が灯った。
「素人じゃあ、このくらいだな。慣れた奴が使えば、人間を丸ごと焼ける程度の大きさの炎が出せる」
店主の見立ては、ラウラリスが予想していたのと違わないものであった。ラウラリスは数回頷く。そちらはいい。本命はもう一枚のほうだ。
「で、もう片方は?」
「わからん」
「…………おい」
あまりにも簡潔な返答を聞いて、ラウラリスの目が据わる。
ラウラリスから滲み出た静かな怒気に、店主は慌てたように言った。
「す、すまんかった! だが本当にわからんのだ! 同じ呪法者が作ったものだということはわかるが、こっちの札に込められている呪文は、初めて目にするもんだ!」
「それが知りたくて金払ってんだろうが!」
掴みかからんばかりのラウラリスに、店主は悲鳴を上げる。
それから少しして両者が落ち着いた頃、店主は咳払いを一つしてから、改めて口を開いた。
「この札を作った奴は、かなり腕のある奴だ。それは間違いないだろう」
「具体的な効果は?」
「だからわからんと言ってるだろう。ただ……」
「ただ?」
神妙な顔つきになる店主に、ラウラリスは先を促す。
「込められた呪文はわからんが、火の呪文が込められたほうとは比べものにならないほど、精巧にできとる。効果はわからなくとも、出すとこに出せば相当な額で取引されるだろう」
「値段がわかってもねぇ……」
ここまで来て肩透かしを食わされるとは。今度はラウラリスがため息をついた。
まあ、わからないものは仕方がないと、ラウラリスは自らの懐を探る。
「ああ、ついでだ。こいつに見覚えはないか?」
せめてなにかしらの成果をと、ラウラリスは襲撃者の首元から引きちぎったペンダントをテーブルの上に投げ置いた。ラウラリスは完全に投げやりな態度であったが、事は彼女の予想の斜め上を行く。
「……あんた、こいつをどこで手に入れた?」
店主は、先ほどと似たようなことをラウラリスに問う。けれども、言葉に含まれた重みは随分と増していた。
彼は、重々しくラウラリスに告げる。
「獅子の頭に鷲の躰、蛇の尻尾。こりゃ三百年前に滅んだ『帝国の紋章』だ」
ラウラリスがその紋章に見覚えがあるのは、当然といえよう。
なにせ店主が口にした『滅んだ帝国』とは、ラウラリスが前世で統治していた『エルダヌス帝国』に他ならないからだ。
かの帝国が現代において、悪の象徴として語られていることを、ラウラリスは知っている。最後の統治者であるラウラリス当人が、そうなるように仕向けたのだから。
現在までの長きにわたる平和は、二度と帝国のような『悪』が生まれぬよう、世界の各国が努力し協定を結んでいるからである。
そして、この獣の紋章は帝国の紋章。つまり、現代においては『悪』を象徴するものなのだ。
険しい顔をする店主に、ラウラリスは冷静に答える。
「滅んだ帝国の紋章だってのは、私だって知ってるよ。問題は、こいつを呪具の持ち主が首からぶら下げてて、そいつと一緒にいた他の奴らも同じもんを持ってたってことだ」
「……単におしゃれで持ってたってわけじゃなさそうだな。ってなると……嬢ちゃん、面倒な奴らと関わっちまったな」
「ああ、やっぱりか」
眉間のしわを深くした店主に、ラウラリスは平然と返した。
予想はしていたが、やはり名のある集団らしい。それも性質の悪い系の。
「……で、その馬鹿どもは何者なんだい?」
ラウラリスが聞くと、店主は低い声で言った。
「『亡国を憂える者』。文字通り、帝国の滅亡を三百年経った今でも憂い悲しんでいる集団のことだ。そいつらがシンボルとして掲げてるのが、この紋章だ」
名前の響きだけで、もう聞くのが嫌になってきた。だが、聞かないわけにもいくまい。
ラウラリスは己の恥部を晒されたような心境になりつつも、店主に先を尋ねた。
「……具体的にはどんな集まりなんだい?」
「俺も詳しく知ってるわけじゃあないぞ」と前置きをしてから、店主が語り出す。
「帝国最後の皇帝を神のごとく崇拝し、帝国の復活を目論んで、後ろ暗いことをやらかしてるって話だ」
「マジかぁ……………………」
思わずラウラリスは嘆くように天を仰いだ。視線の先には、かびの生えた天井しかなかったが。
「その手の馬鹿が出てこないように、なるべく手は打ってたはずなんだけどねぇ」
ラウラリスが思わずポツリと漏らすと、店主が怪訝そうな顔をする。
「なんだって?」
「……こっちの話だ。気にしないどくれ」
顔を引きつらせるにとどめたラウラリスだったが、内心では頭を抱えて絶叫したいほどであった。
――帝国の末期。
ラウラリスは己が死に帝国の名が消滅した後でも、残された国民たちが過剰に罰を受けぬように様々な策を講じていた。
その中で困難を極めたものの一つが、頑なに帝国の覇権を取り戻そうと目論む、国や軍の上層部の排除であった。
帝国の最上層部の多くは、ラウラリスの腹心である『四天魔将』や、ラウラリス個人に心からの忠誠を誓った者で固められていた。ラウラリス亡き後を託せる者たちだ。
しかし、ラウラリスの計画を知らない者たちは、帝国の滅亡を目前にしても、決して諦めようとしなかった。国家消滅の危機を前にすれば当然ではあろう。
彼らの存在は、ラウラリスが死んだ後の世に必ず影を落とす。あるいは、女帝が死んだ後も戦争を継続しようとする可能性がある。ラウラリスはそう考えていた。
故に、ラウラリスはあらゆる手を使い、そういった過激派を排除していった。
合法的に裁くこともあれば、秘密裏に暗殺を命じたこともある。
あるいは戦場の最前線で戦わせ、討ち死にさせたこともある。
もしかしたら、中にはラウラリスに忠誠を誓っていた者もいたかもしれない。
だが、未来に訪れる平和に影を落とす可能性の芽を摘むために、彼女は容赦なく彼らを葬ったのだ。
その結果、ラウラリスが勇者に討たれた時に、戦争継続を望む声は上がらなかった。
帝国の復活を望む者も、また現れなかった。
だからこそ、今の世の平和があるわけなのだが――
(……討ち漏らしがあったってわけかい)
過去の亡霊がラウラリスの前に姿を現した、ということだ。
「大丈夫か? ちょっと顔色が悪いが」
店主の声を聞いて、思考の海に沈んでいたラウラリスの意識が浮上する。
心配そうな彼に、ラウラリスは苦笑気味に言った。
「……いや、あんたの言う通り、面倒な連中に目をつけられたなと思ってね」
そんな彼女を見て、店主は眉をひそめた。
「なぁ嬢ちゃん。もしかしてこの正体不明の呪具……出所は『亡国を憂える者』なのか?」
「厳密には違うが……ま、そんなところだよ」
今まで得た情報から推測するに、ラウラリスを襲った者たちこそが『亡国を憂える者』。
元々は彼らが呪具の所有者であり、ガマスたちは仕事で、たまたま呪具の所有者を襲ったのだろう。それが巡ってラウラリスの手元に来たわけだ。
店主は、案じるようにラウラリスを見た。
「大丈夫か? 『亡国を憂える者』は、目的のためなら女子どもでも容赦しないらしいぞ」
「なぁに、来るなら返り討ちにするまでさ」
ラウラリスは己が背負う長剣を親指で示す。
可憐な美少女から滲む凄みを少しでも感じたのか、店主はゴクリと唾を呑み込んだ。
「それより、あんたこそ大丈夫なのかい?」
ラウラリスの問いかけに、店主は首を傾げる。
「なにがだ?」
「こんな厄介事の種を店に持ち込んだってのに、案外落ち着いてるからね」
すると、店主は肩を竦めた。
「呪具ってのは、良くも悪くも曰くつきが多いからな。それなりの対処法は身につけてるさ。おっと、あんたの情報は漏らさないから安心してくれ。口止め料はきっちりもらってるからな」
曰くつきのものを取り扱っているからこそ、筋はきっちりと通すということなのだろう。
それにしても予想を遥かに超えて面倒な事態が絡んでいた事実に、ラウラリスの頭が痛くなりそうである。
「『亡国を憂える者』ねぇ……こっちが嘆きたいわ」
もしかしたら、当人たちは滅んだ帝国を本気で憂えているのかもしれないが、元女帝からしてみればたまったものではない。
なにせ、人生の大半を帝国滅亡のために費やしたのだ。
波風立たぬようにいろいろと手を回したのに、完全に余計なマネである。
とはいえ、ラウラリスの死からすでに三百年の月日が流れている。時の移ろいとともに、世界も人も移ろう。なにかしらの問題が噴き出すには、十分すぎる時間だろう。
この三百年間になにが起ころうが、ラウラリスには防ぎようがない。ラウラリスは死んでいたのだから。むしろ、三百年後にこうして問題を目の当たりにできたことが奇跡なのだ。
ならば、この奇跡を活かすしかない。
「この正体不明の呪具を調べられる奴、この町にいるかい?」
ラウラリスが聞くと、店主は首を横に振った。
この店だって、ラウラリスがこの町で最も呪具に詳しいと思ったからこそ選んだ。そんな彼でもわからなかったのだから、その返答も当然だろう。
仕方がないと、ラウラリスは小さく笑う。
「……大方の聞きたいことは聞けたよ。ありがとよ」
「力になれたかどうかは、正直自信ないがな」
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