転生ババァは見過ごせない! 元悪徳女帝の二周目ライフ

ナカノムラアヤスケ

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1巻

1-2

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「それはわざわざ付け加えるほどのことか? 当たり前のことだろうに」
『最近の転生者たちは、責任を取れだの特典をつけろだの「ちーと」をよこせだのと好き放題言いますので』
「『ちーと』ってなんだい?」

 聞き慣れない単語に首をかしげる。

『別世界における「並みの者を遥かに超えた超常能力」の別称ですね。あんなの、世界のバランスを崩すだけだというのに、全く。それはともかく、あまり無理はなさらぬように』
「わかったよ。せっかくのご厚意だ、なるべく長生きするよ」

 突っ込みどころの多い相手かみさまだが、それでも色々と手を尽くしてくれたのだ。ぐにその命を手放したら、それこそ天罰が下るというもの。

『では、ラウラリス・エルダヌス。いえ、ラウラリス。新たなるよき人生を――』

 手紙が終わる。そして、最後の一文を読み終えた頃を見計らったかのように、それは形を失って光となり、やがて消滅した。
 手紙を失った手を握り締め、ラウラリスは天を仰いだ。

いきな計らい、感謝するよ。せいぜい楽しませてもらうさ」

 ラウラリスは笑みを浮かべた。
 心からの笑みはいつぶりだろうと、感慨深く思い……
 ふと気がつく。

「――って、ここどこだよ⁉」

 転生ババァの声が高らかに森に響き渡った。


   ◆◆◆


「ふっ」

 ラウラリスは今、森にある自然材料で作り出した弓矢で見事に野ウサギを射貫いぬいていた。
 彼女は皇族の生まれであり、評判はともかく出自は由緒ゆいしょ正しきもの。
 だが、帝国軍をひきいて戦ってきた彼女は、下手な本職よりも遥かに野戦サバイバルの経験が豊富だった。
 手慣れた動きで仕留めたウサギを処理し、またたく間に火をおこしてあぶれば、昼食の出来上がりだ。ウサギ肉の他には森の中で採取できた野草や果物が添えられている。

「宮廷料理人の出す料理も美味うまかったが、こういった野性味あふれる料理ってのも悪くないねぇ」

 ワイルドに焼いたウサギ肉を噛みちぎり、咀嚼そしゃくするラウラリス。ちなみに、ウサギをさばくのに使ったのは、鋭い石。火のおこし方は、木の摩擦を利用した原始的な発火法。
 まさに、サバイバルババァ(外見は少女)である。

「森を歩いてもう三日か。そろそろ人里に着いてくれると嬉しいんだが」

 こよみは不明だが今は暖かい季節であり、森の中には恵みがあふれている。食料には困らず凍える恐れもない。
 だからと言って、この場に住みつこうとは思わなかった。

「ババァは寂しいと死んじまうんだよ」

 皇帝時代は、常に四天魔将の誰かしらとともにいて、普段から気さくに会話をしていたのだ。気軽な会話は、自分たち以外に人の姿がない時に限られたが。
 ラウラリスは実は結構寂しがり屋だったのだ。
 それはともかくとして、この三日間でラウラリスは今のおのれをおおよそ把握できていた。
 肉体の頃は十六歳前後。運よく見つけた湖の水面みなもに映った顔がその頃のものだった。
 傾国の美女と呼ばれる寸前の、誰もが見惚みとれる可憐かれんな顔立ち。
 ただし中身と口調はババァである。
 体力は以前より落ちている。全盛期がこれよりもさらに後だと考えれば、徐々にからだが出来上がっていくのだろう。それでも、昼間に森を歩き続ける程度には力はあった。
 それに、体力の総量はともかく回復力は上がっていた。
 加えて、五感に限ればずっとよくなっている。こればかりは年齢が大きく影響する点だからだ。
 お陰で、誰かがやってきそうな気配を鋭敏に察知することができるし、いざという時には迷わず逃げ出せる。
 危害を加えられそうになった場合、今の装備では心許こころもとないとはいえ、相手を倒せなくはないだろう。かといって倒す時の苦労を考えると、収穫はトントンだ。あえておかすべきリスクではない。
 このババァ、たくましすぎであった。


 ――そこからさらに二日ほど経過。
 いい加減、味つけも何もない、焼いた肉にきしてきた頃だ。

「ようやく、道らしい道に辿たどり着けたね」

 森の中に、明らかに人の手が加わっている一本の道を発見する。それなりに広い幅であり、馬車がすれ違っても問題ない程度の大きさはある。
 この道を辿たどっていけば、いずれは村や町に着けるだろう。

「問題は、どのくらい歩けばいいのかだね」

 また数日間、塩っ気のない肉を食うのかと考えると、少しだけえる。
 塩が欲しいのだ、お塩が!
 これでもかというほどにしょっぱくした塩焼きのお肉が食いたい!
 とはいえ、野戦時には数日間何も口にできない状況もあったため、それを考えれば腹がふくれるだけ贅沢だな、と考え直した。

しお胡椒こしょうぐらいサービスしてもよかったんじゃないかねぇ、神様」

 図々しくもささやかなおねだりである。
 ――すると、ラウラリスの願いが届いたかは不明だが、別の形で叶えられることになる。

「ん?」

 ラウラリスは、前方の茂みに違和感を覚える。

「ん~~~~~~~~?」

 目をらし、しげしげと観察する。

「ん~~~~」

 眉間に小さくしわを寄せ、小首をかしげながら弓に矢をつがえて、弦を引き絞る。

「ん」

 でもって、軽く狙いを定めて矢を放った。
 ――ヒュン…………ブスッ!

「ギャァァァァァァァァァァァッッッ⁉」

 矢が茂みに入り込んだ次の瞬間に、野太い悲鳴があたりに木霊こだました。周囲の木々にとまっていた小鳥が驚いて飛び立つほどだ。

「おお、当たった。私の腕も捨てたもんじゃぁないねぇ」

 おのれの弓の腕をめるラウラリス。
 悲鳴の後、茂みから転がり出るように姿を現したのは、三人の男。
 薄汚れた風貌で動きやすそうな軽鎧けいがいを身につけ、手には剣やおのたずさえている。
 明らかに、単なる通行人という出で立ちではなかった。十中八九じっちゅうはっく、旅人を襲う野盗のたぐいだ。

「はぁ、神様は平和だとは言ったけど、やっぱりこういった馬鹿は消えないもんだ」

 仕方がないと納得はしつつも、初めて遭遇した現地人がこんなきたならしい野郎では落ち込みもする。
 とはいえ、気落ちしてばかりもいられない。

「テメェ、いきなり何しや――」

 ドスリ。
 野盗の一人がラウラリスにいきどおるも、衝撃で言葉を止める。彼が視線を下ろした先にあったのは、おのれの太腿に突き刺さった簡素すぎる一本の矢だった。
 驚きと遅れてやってきた痛みに崩れ落ちる野盗。
 加えて、茂みの中には彼と同じように矢で射られて倒れている男が一人いた。
 ――確かに、彼らは旅人を襲う野盗だった。
 そして彼らからすれば、人気ひとけのない森の街道をたった一人で歩くうら若き乙女は、まさに格好の獲物えもの。たとえ金品が得られなくとも、その極上の肉体を好きにもてあそべると思えばやる気も出る……はずだったようだが。
 それが、ここまで問答無用もんどうむように攻撃されるとは考えもしなかっただろう。

生憎あいにくと、人を見る目は人一倍あるつもりだよ。だからわかるんだよ。あんたらが生粋きっすいのロクデナシってぇのは」

 茂みに隠れ、見えなくてもわかったのだ。
 誰かの悲しみを嘲笑あざわらう者たち。
 かつてのおのれが憎み、そして今なお許せぬ存在と同じ気配がした。
 ――見過ごすことなどできない。

「これまで貴様らが奪ってきたものの代償ツケを払うだけの話だ」

 そこにいるのは、単なるうら若き乙女ではなかった。
 皇帝としての苛烈かれつな人生を経て、鮮烈な死をもって幕を閉じた、ババァのたましいを宿した少女。
 女帝ラウラリスである。
 武器を手にし、素人しろうと相手にいきがっている者など相手にならない。弓の一つあれば――いな、たとえ素手であろうとも、目をつむってでも余裕で勝てる。

「安心しろ、私は慈悲深じひぶかい」

 ニコリと、ラウラリスは笑った。
 気さくなババァ口調ではなく、血にいろどられた覇道はどうを歩んだ女帝の言葉。
 彼女は笑いながら、弓を引き絞った。
 言葉と行動が全くともなっていない。野盗たちは動けなかった。
 彼女は、確かに笑みを浮かべている。けれどもそのからだからにじる女帝の殺気に、からだが硬直してしまっていたのだろう。

「苦しまずに、かせてやろう」

 ――以降、この野盗四人の姿を見た者は誰もいない。



   第二話 町に行くババァ


 物言わなくなった野盗は、街道から少し離れた森の奥に穴を掘って埋めた。放置しておくと、色々と人様の迷惑になる可能性があったからだ。
 った相手は誰であれ、埋めるか燃やす。これをおこたると、回りに回って自分にツケが降りかかってくる。戦場における最低限のマナーだ。
 一仕事を終えたラウラリスは、ブツクサと文句を言いつつ、野盗からった荷物を整理していく。

「塩をよこせってんだい塩を! なんで砂糖なんだ⁉ 肉を甘くしてどうする⁉ ありがたく頂くけども!」

 塩こそ持っていなかったが、野盗たちはラウラリスが求めていたものを一応は所持していた。

かわよろいは……無理か。当たり前っちゃぁ当たり前か。腰回りは緩すぎるし、胸元が窮屈きゅうくつすぎる」

 戦う上では邪魔で仕方がないが、こればかりは生まれ持ったものなのであきらめる。

「それよりも、なまくらとはいえ剣を手に入れられたのは僥倖ぎょうこうだ。こいつがあればとりあえずはなんとかなる」

 腰にたずさえているのは、野盗の一人が持っていた剣だ。欲を言えば彼女が最も力を振るえる武器は別にあるが、こればかりは仕方がない。
 ともあれ普通の剣が使えないわけではないし、あれば心強い。先ほどの野盗なら素手の上に目をつむっていても勝てるが、本職の悪党を相手にすることがあるとするとやはり心許こころもとない。
 それに、この世界の脅威きょういは人間だけではないのだ。
 ここまで遭遇することはなかったが、ラウラリスがかつて治めていた帝国には、人を害する獣がいた。この国にそれがいてもなんらおかしくない。獣相手に素手で戦うのは、少々厳しいだろう。
 できることならやはり、生前に慣れ親しんだものと同じ形の武器が欲しいところだが。それこそ職人に頼み込んで作ってもらうしかないと考えていた。

「ま、この程度の金じゃあ無理だろうけど」

 野盗の持っていた、硬貨らしきもの十数枚ほどをもてあそんだ。ラウラリスの記憶の中にある、どの国家のものとも違う刻印がほどこされている。実際の通貨単位は不明だが、野盗が持っていたのだ。大した額ではないだろう。

「こいつを見る限りじゃ、今は少なくとも、私が生きていた頃よりも後の時代だろう。言葉は通じるみたいだが」

 野盗との会話は一言、二言程度ではあったが、それでも意思の疎通は可能だった。さすがに言語体系まで変わっていたらお手上げだったが、その心配はしなくて済みそうだ。

「あとは、私が読める文字であることを祈るのみだ」

 それさえ問題なければ、どうにかなる。
 人間というのは、意思疎通ができる社会であればどんな場所でだって生きていけるのだ。
 幸いにも、道なりに半日ほど進んだ頃に、馬車と遭遇することができた。
 荷台には大量の物資が積み込まれており、話した限りは行商人ぎょうしょうにんのようだ。
 これが、貴族御用達ごようたしの馬車であれば面倒なことになっていた。二度目の現地人遭遇は幸運に恵まれた。

「ありがとよ、こんな田舎娘を乗せてもらって」
「町に荷を運ぶついでだから構いませんよ」

 礼を言うラウラリスに、馬車の主人である商人はほがらかに笑った。最初こそ見た目にそぐわないラウラリスの口調に妙な顔をしたが、その程度だった。
 商人はにこやかに彼女に言う。

「それに『余裕がある時は善業ぜんごうおこなえ』が家訓でしてね。何かの拍子に回りに回って私自身に得が転がり込むかもしれませんので」
きらいじゃないね、その家訓」
「おや、そうなのですか? 人様が聞くと、大抵は妙な顔をされますがね」

 いついかなる時も善業ぜんごうおこなうべき……大半の人はそう思っているだろう。けれどもラウラリスの考えは違った。

「自分に余裕がない時に人助けなぞしてたら、助けたほうも助けられたほうも結局はロクなことにならないからねぇ」

 身を削ってまで誰かにほどこしをする者を、人は善者と呼ぶのかもしれない。
 だが、その果てに何が待つかをラウラリスは知っているのだ。

「それで、町まではどのくらいなんだい?」

 ラウラリスが尋ねると、商人は微笑んで答える。

「ここからだと、ちょうど明日の昼前後には着きますね。それにしても運がよかったですね、お嬢さん」
「またなんでだい?」
「最近、このあたりを根城にしてる四人組の野盗が出没しているらしいですからね」

 そう言って、商人は馬車の荷台に目を向ける。
 そこには商売道具の品だけではなく、武装した男が二名乗り込んでいる。商人にやとわれた護衛だ。

「お嬢さんも剣をたしなんでいるようですが、相手は四人だ。遭遇しなくてよかったですね」
「はっはっは……安心しな、もうそいつらに悩まされる心配はないからね」

 何しろ、今頃そいつらは土の下で仲良く永眠している。もう誰かを襲ったりすることはないのだ。

「……? それはどういう意味でしょうか」
「こっちの話さ。それよりもさ、私はど田舎の出身でね、昨今の世俗せぞくにゃかなりうといんだよ。よければ色々と教えちゃくれないかね」
「その程度でしたらお安い御用ごようです。町に着くまでの退屈しのぎにもなりますしね」

 ――こうして、ラウラリスはこの時代における一般常識の獲得に成功したのである。


 商人が口にした予定の通り、翌日の正午あたりには町に到着することができた。

「では、もし縁がありましたらご贔屓ひいきのほどを」
「助かったよ。ありがとね」

 荷下ろしがあるということで入り口の手前で商人に別れを告げ、ラウラリスは町の中へと足を踏み入れた。

「……これが、三百年後の町並みか」

 ラウラリスは哀愁あいしゅうと喜びが入り交じった感情で呟いた。
 道中で聞いた商人の話では、今は帝国が滅亡してから三百年。
 それはつまり、おのれの死から三百年が経過したことを意味していた。
 さらに驚くべきことに、ここは旧帝国領の端に位置するようだ。
 まさか、知らずにかつての母国に足を踏み入れていたとは考えもしなかった。

「これも、神様のいきな計らいってやつかねぇ」

 自分は世間知らずの田舎娘という設定にはしたが、おそらくこの町も旧帝国の中央からすれば田舎に違いない。
 けれども――

「悪くない。あぁ、悪くないもんだ」

 ――かつて、自分が生きていた頃の帝国は荒れ果てていた。
 特に、中央から遠く離れた末端の村や町はひどいものだった。
 皇帝として何度か地方への視察には行っていたが、そこに住む人たちの目からは活気が失われ、町そのものが瀕死の状態であった。
 それが、今はどうだ。
 道行く人々の活気に満ちた顔。子供たちが駆け回っている元気な声。明るくにぎやかな通りの様子。
 自分のおこないが、後世にどれほどの影響を与えられたのかはまだわからない。
 それでも、記憶の中とはまるで違う『生きた町』を目にすることができただけでも、新たな生を受けた価値があった。

「本当に、いきな計らいだよぉ」

 ラウラリスは小さく込み上げた目尻の涙をぬぐい、笑った。

「さて、いつまでもこうしちゃいられないねぇ」

 町に着いた以上、ちゃんと人間としての生活を送りたい。
 というか、中身はババァでも女なのだ。しかも外見に至っては、同性異性問わず、道行く人が振り返ってしまう程度には美少女。

「塩焼きお肉もいいが、まずは風呂に入りたいね!」

 食欲と同じくらい清潔感に気を配る程度には、ババァは育ちがよかった。
 何せ、元皇帝である。
 というか、皇帝が森でたくましくサバイバル生活を送れている時点で色々とおかしいのだが、ラウラリスは気にしなかった。
 町に辿たどり着いた。一般常識もある程度仕入れた。
 残る課題は……

扶持ぶちを稼がにゃならんのよ、これが」

 手持ちの硬貨の総額を行商人ぎょうしょうにんに聞いたところ、安い飯だけでも三日間過ごしたら底をつくほどの少額。しかも宿代は含まれておらず、野宿前提のお値段。
 実のところ、ラウラリスは自分で金を稼いだことはない。
 金の管理ならしたことがある。不正経理を見抜いたり、裏金の出所を掴んだりするのは大得意だ。けれども、まっとうに汗水垂らして金を稼ぐという行為には、とんと無縁だった。
 軍隊で働いた経験はあれど、結局あれは税金から給与が支払われる仕組みなのであまり意味がない。
 給料を支払う側ではあったが、労働の対価に給料をいただくというおこないがイマイチピンとこなかった。

「これじゃぁ三日と待たず野生生活サバイバルに逆戻りだよ」

 餓死がしの心配が出てこないあたりが、さすがバイタリティのあふれるババァである。

「どうしたもんかい」

 これでも皇族としての英才教育を受けており、一般教養は高い。
 が、それが即座に金に変わる技能かと問われれば疑問だ。
 金の計算にしたって、田舎から出てきたばかりの娘をやとってくれる店があるかどうか。

「性別出自問わず、うでぷしだけで稼げる職業とかないかねぇ。できれば実入みいりがいい感じで」

 自分で言ってて「ないわぁ」と呟くラウラリス。
 いっそのこと、軍隊に入るか? いや、そもそも兵を募集している場所まで辿たどり着く路銀がないわけで。

「いつの世も、お金に関しちゃ世知辛せちがらいもんだ」

 いよいよとなったらやはり野宿生活か――と半ばラウラリスが覚悟した時だった。

「ま、待って‼」

 女性の悲鳴があたりに響く。
 背後を振り向けば、小脇に荷物を抱えた男と、その後方で男に向けて手を伸ばしている、倒れた女性の姿。
 まさにひったくりの現行犯であった。

「……今世は、この手のやからと縁があるのかねぇ」

 思わずため息を漏らす。
 男は進行方向の先にいる通行人を突き飛ばしながら走る。いきなりのことで誰もが止められずに、驚いたまま見送るしかない。

「どけ!」

 走る先にいるラウラリスに向けて、男が怒鳴どなった。
 仕方がなく、彼女は横に一歩だけからだをずらすと。

「ふんっ」

 ――すれ違いざまに、裏拳を男の鼻面に叩き込んだ。
 走っていた勢いと裏拳の衝撃が正面からぶつかり合い、顔を起点として男のからだが空中で一回転。そのままベシャリと、うつ伏せの格好で地面に落ちた。
 ラウラリスは少しだけ赤くなった手の甲を軽くさすりながら、折れた鼻の穴からダクダクと血を流す男を見下ろす。

「昼間っから悪さしてんじゃないよ」

 夜ならいいわけじゃないけども、とラウラリスはうめく男の足に躊躇ちゅうちょなくかかとを振り下ろす。
『ゴキリ』とにぶい音がした後、男の絶叫が響き渡った。
 見た目だけ少女のあまりの容赦ようしゃのなさに、周囲にいた人間の顔が「うわぁ」と引きつる。
 足をへし折った張本人は、まるで道の途中にある邪魔なゴミを退けただけのような顔だった。
 痛みのあまりに泡を吹いて気絶する男から荷物を取り、ラウラリスは先ほど倒れていた女性のもとに向かう。

「ほら、これはあんたのもんだろう?」
「あ、ありがとうございます!」

 女性はしきりにお礼を言った後、何度も頭を下げて去っていった。ラウラリスは軽く手を振って見送る。

「んで、こいつはどうしたもんかねぇ」

 足元に転がっている盗人ぬすっとの処分に困る。
 帝都であればこの手の不届き者は憲兵けんぺいに突き出せば終わりだ。
 だが、こんな領内の片隅に軍の屯所とんしょがあるかどうか。さすがに捨て置いたままでは通行人の邪魔になる。
 適当な路地の片隅に放り込んでおくか、と男の襟首を掴もうと手を伸ばした。

「おい、そこのお嬢さん」
「ん? 私のことかい?」

 声をかけられてそちらを見やれば、人混みを割って武装した三人の男たちが姿を現した。
 声だけを聞けば野盗と変わらないが、野盗それに比べれば遥かに小綺麗であるし、上等な装備をしている。
 歩く様子を見た限りではあるが、おそらくは戦うことを本職にしているたぐいの人間。女帝時代に養われた経験がそう判断した。


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