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第4章 陰謀渦巻く王都 編

第 165 話 激震

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「アッキー! 起きなよぉ、朝だってばー!」

 突然のベッドの揺れと自分の名を呼ぶ声に、篤樹は あわてて目を開いた。

「じ、地震? え……何?」

 目の前にあるエシャーの大きな瞳に気づき、頭の中で必死に現状把握に努める。

「ねえ! アッキーが最後だよぉ。スレイがご飯を早く食べ終えて欲しいって言ってるよ!」

 篤樹のベッドの上にエシャーはペタンと座り、ベッドを揺らしながら声をかけ続ける。

 あ……そうか……もう……朝なんだ……

「分かってるよ……聞こえてる……」

 叩き起こされたことが不快というより、夢も見ないほど深く落ちていた眠りから無理やり引き上げられた事で、 しびれた感覚がジワジワと包む 身体からだと意識を不快に感じながら篤樹は目を閉じた。

「ねぇ、ほら! 目を閉じないで!」

 エシャーが両手で篤樹の 両頬りょうほおを叩くように包む。

「わかったってば! 起きるよ……起きてるよ!」

 夜中3時過ぎにスレヤーと共に2階へ上がり、自分の宿部屋に入った。ベッドに入った後、一切眠る努力を経ずに寝付いたのだろう。おかげで、気分的には目を閉じた直後に起こされたような、何とも損した気分だった。

「今…… 何時なんじなの?」

 ようやく「現実世界に在る自分」を自覚すると、篤樹はエシャーに尋ねる。

「もう8時過ぎてるよ……あっ!」

 家の外で馬のいななきが聞こえ、エシャーはパッとベッドから飛び降り窓辺に向かう。

「エルー! もう行くのぉ?」

 窓枠から顔を出し、エシャーは外に声をかける。

 エル……グレドさん? こんな時間から?

 篤樹もベッドからモソモソと下り始めた。

「軍部と法歴省に報告書を出してくるだけです。9時半までには戻りますから。アツキくんは……」

「あ……おはようございます!」

 篤樹はエシャーの横から顔を出して挨拶をする。馬に またがっているエルグレドが2階を見上げていた。法歴省職員の制服を着た男も2人、馬に跨り待機している。予備馬を引いてエルグレドを迎えに来たのだろう。

「あ、ようやく起きましたか。エシャーさんに起こしてもらって正解でしたね。じゃあ、準備を済ませておいて下さい」

 エルグレドはそう言って手を振ると、手綱を操って道路へ出て行った。2人の職員も一緒に去っていく。その様子を見送りながら篤樹はエシャーに尋ねた。

「……俺、何回か起こされたの?」

「エルとスレイが何回か上がってたよ。でも2人ともちょっと声をかけただけで諦めてたみたい。起こして上げるのを、何でためらうんだろうね?」

 そっか……あの人たちなら「今日くらいもう少しゆっくり……」、なんて気を遣ってくれたのかも知れないな……

 篤樹は窓枠から顔を引っ込めると、全身で大きく伸びをした。自然に大きな欠伸も出る。

「なぁにアッキー、熊みたーい!」

 エシャーがキャッキャと笑う。

「いや……何だかさ……すごく身体中が痛くって……」

 何でだろうかと考える必要も無い。昨日は朝から、慣れない乗馬とミシュバット遺跡でのタフカとの遭遇……絶対死の魔法で心停止していた兵士達の蘇生を手伝ったり、 はるかや妖精王の子ども達と一緒に遺跡地下からの脱出劇をやったり、妖精王タフカとの死闘を繰り広げたり……これまで使ったことの無いような筋肉までフル活動させた1日だったのだから、その疲労と緊張の反動が出るのも当然だ。

 でも……俺だけ?

「エシャーは……身体大丈夫? 痛くない?」

「え? 何が? 傷?」

 エシャーはパッとシャツをめくり上げ、左脇腹を見せた。

「うん、もう全然平気だよ。さすが妖精の治癒魔法だよねぇ。傷跡まで完全に消えちゃった!」

 嬉しそうに笑顔を見せる。篤樹は一瞬、どう対応しようかと固まってしまう。妹や姉のおかげで、女子の肌を見ることにそれほど抵抗は無かったのだが……何だかちょっと……

「あっ……そ……そう? へぇ……凄いね……妖精の魔法って……」

 引き続き思い出したように傷跡の有無を調べているエシャーから顔を背け、篤樹は声をかける。

「じゃ……下りるよ。エシャーは食べ終わったんだろ?」

「ん? うん! とっくに。さ、行こっ!」

 エシャーは篤樹の右手を握ると、軽く駆け足気味に引っ張った。つられる様に篤樹も早足で廊下に出て階段を降りる。

「あら? アッキー。やっとお目覚め?」

 ちょうど階段を上ろうとしていたレイラが、上り口に立っていた。

「おはようございます……すいません……寝坊しちゃって……」

「いいのよ。深く眠れるのも若さの証しだわ。エルなんか5時には起きて仕事してたのよ。さすが『ご高齢者』よねぇ」

 レイラはすれ違いに笑いながらそう言うと、階段を上っていく。

「せっかちな隊長さんが、9時半には出発するから引き払う準備をしておくようにって言ってたわよぉ」

 階段の上からレイラの声だけが2人を追いかけて来た。

「知ってるぅ! さっきも言われたー!」

 エシャーが上を向いて答える。

「おう! アッキー、おはようさん! 少しは寝れたかよ?」

 リビングに入ると、前掛けをしたスレヤーがパンを載せた皿を持って台所から現れた。

「おはようございます。すいません、遅くなって……」

 篤樹は椅子を引き、食卓に着きながらスレヤーに挨拶をする。

「まあ、昨日あんだけの事があったんだから、本当なら今朝くらいゆっくりでもとは思ってたんだがよ。引き払う準備もあるし……すまねぇな」

 そう言うと、サラダボウルとジュースの入った陶器のピッチャーを篤樹のそばに寄せてくれた。エシャーはサッサと台所から自分用のカップを手に戻って来る。

「私ももう一杯飲むねー」

「おう! 片付けちゃってくれや」

 スレヤーは台所に戻りながらエシャーに声をかけた。

「注いであげるね」

 エシャーは自分のカップと篤樹のカップを並べ、ピッチャーからジュースを注ぎ分ける。

 リビングの窓枠からは、全ての窓板が外されていた。開いた窓から朝の空気と共に、陽の光に暖まり始めた草木の香りが室内に運び込まれて来る。
 台所から、スレヤーが洗い物をしている音がカチャカチャと聞こえ、2階に上がったレイラのハミングが窓の外から聞こえて来る。 

 少し焦げ目のついた温かいトーストにバターを載せると、ゆっくり乳黄色の油液が広がっていく。スレヤーの焼き立てのパンも好きだが、篤樹は焼き目を付けたトーストのほうがさらに好きだった。表面のシャクッとした噛み応えと中のモチっとした食感は、元の世界で食べ慣れた食パンとは全く違う味わいに感じる。

 取り分けられていたしっとり感のあるスクランブルエッグをトーストに載せ食べていると、卵がひと かたまり「ポロっ」とテーブルの上に落ちてしまった。

「あ、アッキー。子どもみたい!」

 その様子を隣で見ていたエシャーがケラケラと笑う。

「うっさいなぁ……ちょっとこぼしただけじゃん……」

 篤樹は恥ずかしそうにそう言いながら、こぼした卵を指でつまんでパッと口に入れた。エシャーは嬉しそうにニコニコしながら篤樹を見つめつつジュースを飲んでいる。篤樹はトーストの最後の一片を口に入れ終わった。

「良かったぁ!」

「ん? にゃにが?」

 口をモグモグとさせながら篤樹が尋ねる。

「んー? 何かさぁ……せっかく会えたドウキュウセイのハルカちゃんとも、また離れちゃったし……昨日の夜のエルの話に出て来たお友だちとかもさ……アッキーちょっと落ち込んでた気がしてさ……」

 あ……気にしてくれてたんだ……

「なかなか起きて来ないし……具合悪いのかなって……ちょっと心配してたの。でも良かった! しっかり朝ごはんも食べられたし!」

 エシャーが心から嬉しそうな笑顔を見せる。

「大丈夫だよ。遥は遥で妖精王探しに行ったんだし、それにアイツら……妖精達も一緒なんだから心配ねぇよ。俺も……やらなきゃなんない事あるんだから……元気だよ」

 篤樹も笑顔でエシャーの思いに応えた。

 ふと、今まで聞こえていた音が止まる。スレヤーが洗い物の手を止めた? レイラさんの歌声が止まった? 篤樹は不意に訪れたほんの数秒の静けさに違和感を覚える。

……何かが……聞こえる……

「隠れろ!」

「逃げてー!」

 台所と2階からほぼ同時に、スレヤーとレイラの叫び声が響く。その叫びの終りに、まるで地下鉄の電車が近づいて来るような音を篤樹は聞いた。一瞬後———

 カタカタ……ガタガタ……ドンッ!

 ゴーッという地響きが急激に迫り、突然、下から突き上げるような激しい衝撃と揺れが篤樹達のいる建物を襲った。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「よお……。いつまでこのまんまのつもりなんだ?」

 ガザルは 桟橋さんばし突端とったんで 胡坐あぐらを掻いて座ったまま、眼前に広がる湖面を見つめ語りかけた。

「なあ? 居るんだろ?」

 湖神の結界領域に広がる無限の湖面は、まるで鏡面のように静まっている。ガザルは舌打ちをして立ち上がると ふちまで歩み寄った。

「なぁ? ダンマリは無しだぜぇ『せんせい』」

 湖面にさざ波が立つ。ガザルはその変化を確認すると、口の端に笑みを浮かべた。

「ねぇ、『せんせい』。ここから出してよ」

 ガザルは声色を変える。湖面のさざ波は動揺するように渦を巻き始めた。

「僕、ここで独りぼっちのまま……『せんせい』からも見捨てられたまま過ごさないとならないの?」

 湖面の小さな渦が一か所に集まり、2m円ほどの渦を作る。渦の中心……水中から光の球が浮かび上がって来た。その光球が、人の形に整い始める。

「ガザル……」

 湖神……小宮直子が苦渋の表情で湖面に立ち、ガザルの名を呼ぶ。

「ようやっとお出ましかよ!」

 ガザルは人を小馬鹿にする笑みを口元に浮かべ、燃えるような怒りの視線を直子に向ける。

「あなたのことは……聞いたわ……」

「へぇ、そうかい! さすが『湖神様』だなぁ。こんな巣に引き籠ってても『あっち』の事が分かるなんてな!」

 ガザルは直子を睨みつけたまま悪態をつく。

「分かってるんなら話も早い。ほら、とっととこっから出せよ!」

 右腕を伸ばし、攻撃魔法の態勢を直子に向け、ガザルは怒鳴る。

「無駄よ。ここでは……」

「知ってるよ! てめぇの巣の中じゃ法術が抑え込まれるんだろ? ちゃんと覚えてるさ『せんせい』の言ったことはよぉ!」

 直子は悲しそうな視線でガザルを見つめた。

「ごめんなさい……あなたを……出して上げるべきじゃなかった……」

「うるせー!」

 ガザルの口元から笑みが消える。

「あんたが『外』にだしてくれたおかげで、色々貴重な経験が出来て俺ぁ感謝してんだぜ? そんな憐れむような眼で俺を見るんじゃねぇよ!」

 攻撃魔法を打ち出せない苛立ちを込め、ガザルは右足で桟橋の上板を激しく踏み壊した。だが、砕け散った板は結界の修復効果により、すぐ元通りになる。

「ごめんなさい……」

 直子は重ねて詫びを口にするが、それは「謝罪」というよりも「断り」を入れるためのものだった。

「『最後』まで……私とここに一緒にいましょう……」

「冗談じゃねぇ!」

 ガザルはイライラとした態度で、桟橋の上を行ったり来たりしながら応じる。

「あんたと2人っきり、こんな場所で『最後』を見るために生きてんじゃねぇよ! 外に出せよ! 責任を感じてるってんなら、俺に自由を与えろよ! なあ?!」

「無理よ!」

 直子は 毅然きぜんとした声で応じた。

「無理よ……『アイツ』の誘いに負けてしまったあなたを……もう外には出せない……」

 ガザルは足を止め、直子に視線を向ける。

「『サーガの実』のことか? へっ!『アイツ』のほうがあんたより、何倍も俺の事を分かってくれてたぜ! 本当に必要な『力』を俺にくれたんだからなあ! テメェみてぇな役立たずの『神様』じゃなく、『アイツ』こそ本物の『神様』だぜ!」

 直子は悔しそうに唇を噛みしめる。

「どうせ今のあんたじゃ俺を『最後』までここにつないでおくのは無理だろ?『力』の無駄遣いはやめて『あのガキ』のとこに行ってやったほうが良いんじゃねぇか?」

 直子が鋭い視線をガザルに向ける。

「誰の……事を言ってるの?」

 直子は精一杯の 威嚇いかくを声に込めて睨む。だが、ガザルは意に介さない様子で薄く笑みを浮かべ答えた。

「『あれ』なんだろ?『アイツ』が言ってた『最後のガキ』ってのは。世界の終りを招く最後のチガセ……なんつったっけ?……カガアツ? アツカ?」

「……何のこと……わからないわ」

  狼狽うろたえる直子の様子を楽しむように、いやらしい笑みを浮かべガザルは続ける。

「アツキだ! そうそう、カガワアツキ!」

 直子はビクッと身を震わせた。

「俺をこんなとこに閉じ込めやがった、あのクソガキだよ! 知ってんだろうが!」

 直子は口を固く結ぶ。

「ここにいるのは暇だったからよぉ、色々考えてみたんだ。『何事もよく考えれば分かる』って教えてくれたよなぁ?『せんせい』の言葉通りだったぜ! 奴が持ってた首輪っかの『渡橋の証し』に込められたあんたの力、強い思い入れ……ピンと来たぜ? あのガキが『アイツ』の言ってた『最後のチガセ』だってなぁ!」

 ガザルの叫びに呼応するように、湖面に波が立つ。直子は「ハッ!」と周りを見渡す。その表情には、明らかな焦りの色が見えた。

「もう黙って! あなたをここからは出さないわ!『最後』をここで迎えるのよ!……私と一緒に……」

 直子は再び光球の姿に戻り、湖中へ沈み始めていく。ガザルはその姿を見ながら薄笑いを浮かべた。
 直子の姿が完全に沈むと、ガザルは桟橋の突端に大の字に寝転がり空を見上げる。見上げた視線の先……「果て」の見えないはずの湖神の特別空間に「裂け目」が広がり始めていた。

 間違いねぇな……湖神の「力」は弱りきってやがる。もう少しの辛抱か……
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