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第3章 エルグレドの旅 編

第 147 話 偽りの英雄

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 翌朝、まだ暁を迎えるより早い闇の中でエグザルレイは目を覚ました。しっかりと体を休ませつつ周囲警戒を張るという特殊な睡眠方法は、グラディー戦士時代から身に付いている。もしも夜中にミッシェルが不審な動きを見せれば、すぐに対応出来る態勢だったが、それも 杞憂きゆうに済んだようだ。彼女は今も少し離れた木の根元で静かに眠りについている。

「思い過ごしでしたか……何か仕掛けてくるのかと思いましたが……」

 エグザルレイは昨夜のミッシェルに感じた不審な気配に対する疑いを拭いきれないまま、しかし、予定を変える必要も無いと判断をし行動を開始する。

 不思議な方でしたね。ミッシェルさん……まあ、補足情報としては僅かでしたが……それなりに楽しい旅でしたよ。

 人の手の入っていない海岸線の森の中を駆け抜けながら、エグザルレイは未だ見ぬ英雄柱への攻撃をシミュレーションする。

 英雄柱……グラディーの法術戦士や各地の法術士を強制的につなぎとめ「力」を奪い続ける「忌まわしき 人柱ひとばしら」……。エグザルレイの脳裏に義兄バロウの姿が浮かぶ。姉のミルカと姪のトルパ……親子3人が 仲睦なかむつまじく過ごしていた日々を奪った新エグデン王国の蛮行…… いくさなのだから仕方が無い、とは到底割り切る事は出来ない。

「……もう……姉さまにもトッパにも会えないですね……」

 エグザルレイは胸の中に沸き立とうとする怒りの熱を冷ますように、あえて脳裏に浮かぶ言葉を口から発した。頭の中だけで考えるより、声に出すことで感情を無駄に 膨張ぼうちょうさせずに済む。怒りの感情は確かに有る。それは攻撃力を高める「力」ともなる。だからそれを捨てる事は正しい選択ではない。だが、怒りや憎しみの感情の火は、コントロールを失えば自らをも焼き尽くすことをアルビで学んだ。

「大丈夫ですよ……ミツキさん」

 法術の師である大賢者ミツキの警告に答えるように、エグザルレイは再び声を発した。心配そうに苦笑いを浮かべるミツキの表情が脳裏に浮かぶ。その横に立つタフカの姿……ハルミラルと共に笑顔を見せている。その笑顔が溶け行き、フィリーの笑顔に変わっていく。出会ったその日から互いを欠け得ない唯一無二の存在として受け入れ合った ひと。「愛」という言葉では表しきれない特別な存在……

「君と一緒なら……空も飛べるんだけどね……」

 エグザルレイはフィリーと飛んだグラディーの空を思い出しながら、足をさらに速めた。

 あの空を……森を……大地を……戦士達を封じるために立てられた忌まわしき 人柱ひとばしら英雄柱えいゆうちゅう」……必ず私の手で終わらせてみせます!

 自分の内にある怒りの炎を、今はコントロール出来ている状態だとエグザルレイは確信した。

 さて……

 ミッシェルの予想よりも早く、1時間半程で目的の「第六英雄柱」を確認出来る岩陰に辿り着いたエグザルレイは身を潜めた。午前6時過ぎ……東の山頂の空を朝の光が照らしているが、未だ太陽の ふちは見えていない。
 メフィリムの情報では警備兵が交代するのは朝6時半……30分間はさらに朝食準備等で、通常の半分以下の警備人員になる。極力戦闘を避けて柱に近づき、柱の かなめとなっている法術士を討ちたいとエグザルレイは考えていた。

 包囲壁魔法はグラディー領を囲むように立てられた20本の英雄柱から発現されている強力な法術だ。英雄柱が連結する形で広域の「壁」を築いている。裏を返せばその一ヶ所を崩すだけで全体の法術は連結が解かれ、「壁」の発現も終わるはずだ。
 強引に正面突破という手もあるが、「柱」も無防備に立てられているワケでは無い。どのような守りが施されているかが定かでない内は、力業での正面攻撃では失敗の確率が高すぎる。

 エグザルレイは岩陰から「第六英雄柱」の施設を改めて確認した。メフィリムの情報通りそれは「要塞」とも言うべき堅固な建物だ。

 捕らえられた法術士達の自由を奪い、その身体から法力を奪う管を挿し、要となるユーゴ魔法院の法術士につないで術を発動させている「英雄柱」。その柱を守り固める外壁が強固なのは、エグザルレイの読み通り一柱でも崩れれば全ての壁が解かれるという脆弱性の表れとも言える。タフカに返した「あの剣」を用いて、激情のままに最大法力を使えば「柱」を外部から要塞ごと消滅させる事も可能だろうが……

「負の感情に支配された攻撃は、守りたいものさえ消し飛ばしてしまいますからねぇ……」

 エグザルレイは自戒の言葉で気持ちを静める。その冷静さが法力を整えたのか、英雄柱の要塞周りの状況が鮮明に確認出来るようになった。警備兵の動き、人数、建物の外観や外装から、その内部配置や侵入ルートがまるで「見て来たかのように」頭の中で描かれていく。
 メフィリムの情報では駐屯兵は60人前後との事だったが、今は確実に100人前後が警護に当たっている事が分かる。それでも20の柱の中でこの「第六柱」がもっとも手薄なのは確かなようだ。しかもこの400年間、ただの一度も誰からも攻撃された事の無い施設ゆえに、警護する者達の危機意識も皆無に等しい。

「さて……始めますか……」

 エグザルレイは岩場の陰からゆっくりと身を出すと、英雄柱に向かい歩き出した。


―・―・―・―・―・―


「おーい、交代だぞー!」

 エグデンの兵士は欠伸を噛み殺しつつ、監視塔の上に立つ兵士に声をかけた。すぐに反応した監視兵が塔の 梯子はしごを降りて来る。

「現在も異常無し。昨日までもこれからも異常無し!」

 地上に降り立った監視兵が「報告」をする。

「数百年間異常無し! 俺達みんなやる気無し! ってな」

 2人は笑ってハイタッチをする。

「早く配属変えが決まって欲しいぜ。こんな辺境の『文化遺産』の警備員なんざ、民間に任せりゃ良いのによぉ」

「しゃあねぇべ。なんてったって『グラディーの悪邪』が化けて出てきちゃ、民間じゃ対応出来無ぇんだし」

 兵士達は交代際の雑談をしながら分かれる。監視塔に上りかかった兵士が、何か思いついたように交代した兵に声をかける。

「次の休憩にゲームやらねぇか? この間の負けを取り戻せるかも知れねぇぞ」

「……」

 同僚の返事が無いのを不審に感じ、兵士は梯子に手をかけたまま振り返った。

「なぁ、どうだ……」

 イメージしていた位置に同僚の姿がない事に、兵士はまず単純に驚く。今の会話の間ならまだ5mも離れていないはず……

「おい!」

 何かがおかしい……そう感じると数段上った梯子を急いで降りる。しかし、兵士は地面に足をつける感触を確認することなく、突然意識を奪われその場で前のめりに倒れた。梯子の裏に左手の人差し指を立てているエグザルレイの姿がある。

「しばらく……あなたも姿を隠していて下さい」

 エグザルレイがそう呟くと兵士の姿がスーッと消えた。兵士の周りの空気中にある水分を使った偏光屈折魔法だ。固定法術なので効果時間は限定されるが、物理的に隠蔽するよりは短期的には優れている。

「では……」

 エグザルレイは「見えなくなった兵士達」を避け、建物の中へ駆け込んでいった。 


―・―・―・―・―・― 


 「英雄柱」を守るために築かれた要塞のような建物だが、長期に渡り外敵からの襲撃などを受けた事の無い気の緩みから、エグザルレイは一切の支障無くすんなりと内部へ侵入出来た。もちろん、途中で5~6人の警備兵には「姿を消してもらった」のだが……

「あれが……」

 建物の中央部に20m四方程の吹き抜けの空間が作られている。
 「英雄柱の間」とでも言うべきその「部屋」は、吹き抜けの3階構造になっていた。英雄柱を囲むように、二階と三階部分には囲み廊下が設けられ、二階の囲み廊下から部屋の中央にある英雄柱の「玉座」に渡り廊下がつながっている。
 その座に1人の人間の姿……大きな背もたれが備えられた「王の椅子」のようなものに座る「男」。長く伸びた髪と髭で顔立ちも判別出来ない。薄汚れた法術士服らしきボロ布をまとったその「男」は、意識があるかどうかも怪しい虚ろな目をしている。エグザルレイは直感的にその「男」を憐れに感じた。

 「英雄柱」として、ユーゴ魔法院のトップクラスの優秀な法術士20人がが選ばれたとピスガから聞いていた。グラディーの悪邪を封じ、エグラシス大陸に平和を築く いしずえとなる志をもって包囲壁魔法を会得し、その務めに殉じる事を選んだ者達だと。しかし今、エグザルレイの目の前に座っている「男」からは、何の意志も感じられない。両腕と両足に挿されている管は、まるで樹の根のように「男」の椅子の下へ垂れ下がり、一つに束ねられ、さらに階下へ伸びている。
 「男」が座す椅子が置かれた中央床下の一階部分には、横たえられた10人の姿が確認出来る。こちらは服さえ着ていない。陰部を隠す程度の小さな布が、申し訳程度に置かれているだけだ。「男」の管はその10人につながれていた。 かなめとなる「男」の法力を増幅させるため連れ去られた法術士達……そのためだけに、生命活動を最低限守られているだけの状態の法術士達……

 想像は出来ていたし、実際に目の当たりにしてもイメージと大差ない「酷い光景」だったが、エグザルレイは大きく息を整え直した。

「呪われた人柱……ですね」

 言葉に発する事で感情の高ぶりを抑える……。そう……私は恨みを晴らすために来たのではない。グラディーの解放のために……やるべきことを……

 エグザルレイは右手を「男」に向け、ゆっくりとその額に狙いを定めた。

 ピーッ! ピーッ!

 突然、背後の扉から 警笛音けいてきおんが鳴り響く。続いて、警備兵達の怒声が聞こえた。

「非常事態だー! 侵入者の可能性! 総員警備ー!」

 慌てふためく兵士達の声と、連呼される警笛音……。「消していた兵達」の意識が戻ったのか、それとも誰かが彼らに「躓《つまず》いた」のか……予定よりもかなり早い段階で異常を察知されてしまったようだった。だが……

「もう、遅いですよ……」

 エグザルレイは意識を「男」に向け直した。

 そう……要であるあの「男」さえ倒せば良い……この 一穴いっけつで……全ての「壁」が崩れるはずだ!

 思いを固めたエグザルレイの攻撃が、僅かに遅れたのは……「男」と目が合ったからに他ならない。目的だけを速やかに果たせば良かったが「男の目」はそれを 躊躇ちゅうちょさせるほどに憐れで、助けを乞う念が こもっていた。

 なぜ……

 ピュバッシュー!

 一秒にも満たない葛藤を振り切り放たれたエグザルレイの攻撃は、オレンジの光を発しながら真っ直ぐ「男」の額に向かい伸びていく。しかし……その法撃は、目的の場所まで届かなかった。

 パァーン!

 激しい衝撃音と共に、エグザルレイの攻撃魔法は「男」の目前で弾かれ四散する。「男」の周りに、瞬時に防御魔法の壁が作られたのだ。

「クッ……」

 エグザルレイは法力を両足に溜め、最速移動で「男」の元へ駆け出した。ミッシェルに言わせれば「ゴブリンのような足の速さ」だ。コンマ数秒の移動の間に「男」を守る防御魔法の強度と、それを突き破るための攻撃魔法の相性・威力を計算する。
 さあ……これで……どうです!

 「男」に駆け寄りながら右腕を伸ばし、そのまま防御魔法を突き抜いて攻撃を加えようとした。しかし「男」の視線は最速移動中のエグザルレイを、しっかりと追って来ている。

 壁のタイプが変わった!?

 エグザルレイは「男」の手前1mほどで足を止め、右腕を急いで引っ込めた。「男」の周囲を囲む防御壁魔法が先ほどのモノとは変わっている。無数の粒子が高速で移動しながら、侵入する者を切り刻もうと狙っているのが分かる。

「なるほど……法術防御と物理防御を瞬時に切り替えられるんですか……。さすがユーゴ魔法院の優秀な法術士……ってことですか」

 完璧な防御に守られた「男」を前にしても、エグザルレイに焦りは無い。だが警備兵達に存在がばれてしまった以上、ここでゆっくりも出来ない。 かなめとなるこの法術士さえ倒せば目的は達せられるはずだ。しかし「男」の周囲を守る防御壁魔法は少々……いや、かなり厄介なもの……。物理攻撃を粉々に切り刻む勢いの壁と法術攻撃を弾き返す壁が瞬時に切り替わる。これでは攻撃どころか近づく事も不可能だ。

「あ……て……れ……」

 有効な攻撃手段を考えるエグザルレイに、「男」が声をかけて来た。その瞳は先ほどと変わらず、憐れみを乞うように弱々しい。

「何ですか?」

 エグザルレイは次の一手が思い浮かばないまま「男」の声に返答する。

「たす……け……れ……し……た……」

 声帯が……壊されている? なぜ……

 「男」が必死に訴えようとしている「思い」を聞き取るように、エグザルレイは意識を集中した。喉の動き、唇の動き、かすかに発せられる「声の欠片」を音声として組み直す。

「助けて……もう……いやだ……死にたい……殺してくれ……頼む……」

「え?……どういう……ことですか? 死にたい……?」

 問いかけたエグザルレイの言葉に反応し、「男」の瞳に一筋の希望の光が灯った。死を懇願する「男」にとって、エグザルレイの攻撃こそが希望の光となっている。

 つまり……この方は……死にたいのに……生きている?

「あなたは『英雄柱』なんでしょう? 自ら志願したと……」

 「男」の目に困惑の色が浮かぶ。あまりにも古い記憶なので忘れてしまったのか? いや……そもそもこの「男」は……

「あなたは……誰なんですか?……伝説の『英雄柱』ではないんですか?」

「半分せいか~い」

 英雄柱の に、聞き慣れた女の声が響いた。

 そういうことでしたか……

「ずいぶん早い到着でしたね、ミッシェルさん」

 エグザルレイは吹き抜けの間の1階に視線を下げ、声をかける。数名の警護兵を引き連れたミッシェルがエグザルレイを見上げ、ニッコリ微笑み立っていた。
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