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第3章 エルグレドの旅 編
第 112 話 決断の時
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ドンドンドン!
「おいっ! まだか!」
エグザルレイはピスガの指示通り、ミルカが閉じ込められている部屋の扉を力強く叩く。室内で「ガチャガチャ……」と慌てた様子で金属がぶつかり合う音が聞こえ扉が開かれた。
「……何を……あっ……っと……あの……」
部屋の中から顔を見せた兵士がエグザルレイの兵装を確認し 口篭る。どうやら読み通り、こちらのほうが「上位兵」と勘違いしてくれたようだ。
ピスガさんは演技をしろって言ってたな……よし……
「何をやってるんだ? まだか!」
「あ……と……とにかくどうぞ……中へ……」
エグデン兵がエグザルレイを室内に招きいれる。撤収準備という事で兜まで装備しているおかげか、エグデン兵はエグザルレイだと全く気付いていない。エグザルレイは室内に足を踏み入れた。
殺風景な室内……装飾も最低限のものしかない。 天蓋も無いベッドの上にミルカが横たえられている。別れた時と変わらず、心を病み、肉体から精神だけが抜け出てしまったような生気の無い顔……
エグデン兵3人は撤収準備のはずなのに、2人は鎧を脱ぎ下着だけの格好だ。エグザルレイを招き入れた兵も 辛うじて下着の上に鎧を軽く当てているだけ……
……こいつら……何をしてるんだ……?
エグザルレイは不審に思いつつ、再び声をかける。
「何をしていると聞いてる!」
「いや……そのぉ……」
「なんか……ただ殺しちまうのも 勿体無いかなぁって……なぁ?」
「その……どうですか? ご一緒に……」
エグザルレイは男達の様子からようやく事態を飲み込んだ。
こいつら……姉様を……
「我慢ッ!」
兜の中に隠れるピスガが小さく声を上げる。
そうか……作戦が……でも……
「あ……あの……よろしければお先に……俺らはまだ何も……」
ベッドの一番近くにいた兵が 愛想笑いを浮かべながらエグザルレイに提案した。
クソッ! 腹が立つ……でも……演技を……
「……フン……まあいい……俺は最後にしよう。早く終わらせろよ!」
ああ……ごめん! 姉様……絶対に助けますから……
エグザルレイは心の中でミルカに 詫びながら、壁に背中を預けて事を見守る姿勢をとる。兵士達は顔を見合わせ、いやらしいニヤケ顔を見せた。
「あ……そうですかい……じゃあ失礼して遠慮なく……」
「……まあ、イグナの村娘たちよりは楽しめると思いますぜ! 頭はアレですけど、顔と体は、さすが『王女さま』ですからねぇ」
下着姿の2人がミルカのベッドに乗る。もう1人もいそいそと鎧を脱ぎ捨てベッドへと近づく。
「今だ! やれっ!」
兜の中でピスガの声が響いた。その瞬間、エグザルレイの中で 沸点を越えていた怒りが爆発する。
「やめろーっ!」
最後にミルカのベッドに近づいていた兵は、後ろを振り返る間も無く背中からエグザルレイの突き出した剣に 貫かれた。突き通した剣を男の身体から引き抜くと、そのまま男を前方に突き飛ばし、ベッドの上のミルカにのしかかっていた男の頭部にエグザルレイは剣を叩き込んだ。男の頭部は「斬れる」というよりも叩き潰されたように一瞬「剣の形」にへこむ。勢いを落とさずエグザルレイはベッドの左側にいた男に剣を突き立てようとした。だが、男はヨロけてベッドの下に転がり、 這うように手を伸ばすと自分の剣に手をかけた。
「この……」
突然の 襲撃にもかかわらず、一瞬の 間が兵士としての習性を起こす余裕を生む。男は自分の剣を瞬時に 鞘から引き抜き、後方に 退いて自分の間合いを取る。エグザルレイは一度見失った目標を定め直すのに手間取ってしまった。
「テメェ……誰だ!」
兵士は自分の身に起きたこと、一瞬の内に殺された仲間の姿を見て目の前に立つエグデン上級兵が偽者であると判断し、反撃の体勢を固めた。この時点で戦闘経験の決定的な差が出る。
怒りの感情を爆発させた勢いに任せ仕掛けた「戦闘初心者エグザルレイ」は、この一呼吸の間に「自分がやってしまった殺人行為」への意識が向いていた。加えて「相手を怒らせてしまった」という罪悪感……急激に身体の 筋が強張り始める。対する男は戦場経験のある兵士だ。目の前に現れた敵をいかに 討ち取るかを考え、身体も戦闘態勢が整い始める。
「ボサッとするな!」
エグザルレイの兜の中に、ピスガの 一喝が響く。と同時に、ピスガはエグザルレイが敵に向けて剣を突き出している腕を駆け抜け、そのまま戦闘体勢を整えたエグデン兵の顔面目がけ駆け 跳んだ。
予想外の「飛び道具」に対応が遅れたエグデン兵は、自分の顔に向かって飛び込んできた「何か」を払い落とそうと目を閉じ、身をよじる。エグザルレイは強張りかけていた全身の筋を引きちぎるような思いで再起動させた。
「クソッ! 一体……なん……だ……」
エグザルレイに向き直り、戦闘体勢を整えようとしたエグデン兵は、目の前に立つ少年の目を見た。
……なにが……あれ……
エグデン兵は自分の身に起きた「突然の終了」を理解することも出来ないまま、ドサッと床の上に倒れ伏した。横一閃にエグデン兵の喉笛を切り裂いた剣を握り立つエグザルレイは、大きく肩を上下させ呼吸を整える。
「おう! イケたじゃねぇか、エル!」
ピスガはエグデン兵の絶命を確認するように鼻をピクピクさせながらエグザルレイを見上げた。
「突きと 頭割りか……ケパの剣術だな」
え……?
ピスガの声に我を取り戻したエグザルレイは、自分が握り締めている剣の重さに意識が向いた。
重い……手を……離さなきゃ……
しかし剣柄を握り締める手を開くことが出来ない。
重たい……ダメだ……
エグザルレイは剣の「重さ」に引っ張られるように、床に膝をついた。
「おいおい……大丈夫か?」
ピスガが肩まで駆け上ってくる。
「ケガは?」
「……だい……じょうぶ……です」
エグザルレイは目の前に倒れ伏して動かないエグデン兵から視線を移し、ミルカのベッドへ顔を向け直す。ベッド上で上半身を起こすミルカの顔に、エグデン兵の血しぶきが飛び散っている。それでもミルカは目を開いたままブツブツと何かを呟いていた。
……人を……殺してしまった……
エグザルレイは改めて自分の手に目を向ける。
今なら……手離せるかも……
剣柄を握る指先の感覚を意識しつつ、エグザルレイはゆっくり1本ずつ指を開き始めた。
「それをここで捨てるんなら……俺ぁ降りるぜ……」
エグザルレイの思いを察したのか、ピスガが厳しい口調で耳元に囁く。
「初めてだって言ってたな?……で? これで『最後』にしたいってんなら、もう止め無ぇよ……でも、まだまだ続けなきゃ……この先は無ぇんだよ! メソメソ考えてんじゃ無ぇ!」
そう……だ……そうだ……ここから逃げ出さないと!
エグザルレイは再び剣をしっかりと握り締め、それを支えに立ち上がった。
「……ピスガさん……ありがとうございました。助かりました……」
ピスガはエグザルレイの決意が固まったことを確信し、口端に笑みを浮かべる。
「礼はまだ良い……グラディーに着いたら言ってくれ。とにかく脱出だ!……コイツラを本当に誰かが呼びに来る前に……急ぐぞ!」
エグザルレイは剣を鞘に収めた。いつでも再び抜く決心がついた今、手を離す事に 躊躇は無かった。
「姉様……」
半身を起こし呟いているミルカを見つめ、エグザルレイは声をかける。
「……行きましょう……私達が……私と姉様が生きるべき地へ……」
無表情のまま 虚空を見つめるミルカの目に映る自分の姿を見ながら、エグザルレイは自分自身を奮い立たせるように姉を抱え上げた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「……それがエルにとって最初の戦いだったわけね……」
「そう……ですね……」
レイラの問いかけに、エルグレドはうなずきながら答えた。
「初めて……人を 殺めた時の事ですから……あの感触だけは今でもこの手の平に残っていますよ……」
自分の両手を開いて眺めるエルグレドを見てスレヤーが不思議そうに尋ねる。
「そんなモンすかねぇ……俺ぁ、全然覚えて無ぇなぁ……」
「そりゃあスレイは気付いた時には狂犬人生だったんですもんねぇ」
レイラが 素っ気無く受け流す。篤樹は自分の手を見た。
初めての……殺し……あのタグアの森の中でゴブリンを倒した時は……何だか 成者の剣の「重さ」だけで倒しちゃったから……。感触かぁ……タフカをエシャーと一緒に刺し 貫いたあの時……って事になるのかなぁ……
「……まあ……とにかく、そのすぐ後から私は戦い続けましたからね。姉上を担いで王宮から脱出した時も……イグナ領を抜け、サルカス領に入ってからも……自分自身と姉上を守るために……私は血まみれになりました。よく正気でいられたものだと思います。……ピスガさんが一緒に『戦ってくれた』おかげでしたね……」
エルグレドは懐かしい友を思い浮かべ、温かい表情で目を閉じた。
「……そんなこんなでイグナ王国第13代国王となるべく生まれたエグザルレイ・イグナ王子と、姉であるミルカ・デ・イグナ王女は親に 棄てられ、国を棄ててグラディー族領……反共和制移行ゲリラ軍の地へ逃げ延びて行ったというわけです」
「なんだかさぁ……」
テーブルに載せた両腕に頭を横たえ、エシャーが口を開く。
「まるでさぁ……昔話で聞いた『王子様とお姫様のお話』みたいだねぇ……で、王子様とお姫様は結婚して 末永く幸せになるの!」
ガバッと顔を上げ「どうよ、このハッピーエンドで!」とでも言いた気なドヤ顔を見せる。そんなエシャーに、エルグレドは苦く笑みを向けた。
「……えっとぉ……エシャーさん? 話をちゃんと聞いていましたか? 私と姉様……ミルカ王女は確かに『王子様とお姫様』と呼ばれる地位にありましたけど、母違いとは言え 姉弟だと説明したはずですが……」
「あら、いいじゃない? 母違いの姉弟でも『愛』があれば」
レイラが茶化すようにエシャーを 援護する。エルグレドは頭を抱えた。
「……やめて下さい……そう言う 下衆な話にするのは……ホントに気分が悪くなります」
手の隙間からレイラを 睨むエルグレドの眼は本気で怒っている。レイラはペロッと舌を出して応じた。
「……ごめんなさい……つい……」
「……ったく……大体、私の話はまだまだ『ハッピーエンド』にはなりませんよ。……今だって続いてるんですから……」
「あ! そっか……」
エシャーはついうっかり「昔ばなし」を聞いている気分になっていた。
「あ、ハッピーエンドってわけじゃありませんが……」
エルグレドは一同を見渡し話を続ける。
「姉上については……グラディー領に入ってから面白いことがありましてね……」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
荒れた大地に 土埃を立て、1頭の馬が 疾走している。馬上には外套に身を包むエグザルレイと、彼の前に抱き合うような形で縛り合わされ座るミルカの姿があった。
「さあ! サルカスを抜けたぞ!」
2人の間……ミルカの左肩によじ登ってしがみつき、前方を見つめるピスガが叫ぶ。
「でも……」
エグザルレイは首をひねり、後方の空を確認する。
「まだ追いかけて来てますよ! このままじゃ……馬がもちません!」
疾走する馬の数十m後方の空には、エグザルレイたちを飛びながら追う4体の敵の姿が見えた。
「……あれは…… 鳥人種ですか?」
「違う……あれは……コウモリだな……ま、俺と同じく、元はグラディーの戦士だったヤツラだ」
「コウモリ?」
エグザルレイは前方に障害物が無いのを確認し、もう一度後方の空を見る。確かに……コウモリのようだが……大きい! 人間のようなサイズだ! しかも両手には剣を握っているのが分かる。
「 賢飛鼠種ってヤツだよ。俺ら 賢鼠種とは先祖が同じらしいが……ヤツラは人間サイズにまで成長しやがったんだ」
エグザルレイは間を詰められ始めている事を背後に感じながら、とにかく馬を 操り続ける。しかし、馬の脚力もかなり落ちて来ている事は確実だ。このまま駆け抜けることが無理なら……降りて戦うしかない!
いざという時のために、エグザルレイはミルカと結び合わせている 帯を解こうと片手を結び目にかけた。その時……
ピューン! ピューン!
鼓膜を 刺すような高音が響き、空気が切り裂かれる振動を感じた。
「おっ! 来た来た!」
ピスガが声を上げる。
ピューン! ピューン!
再びあの音が聞こえた。エグザルレイは後方の空を振り返る。そこには、今まさに地面に落下していく2体の追っ手の姿が見えた。その後方には先に地面に落とされ 悶えている2体のコウモリの姿も確認出来る。
「ドウドウ!」
エグザルレイは馬の手綱を引き、速度を緩めた。
「いったい何が……あっ!」
振り返った荒地の岩場に10人ほどの人影が見える。それぞれが手に弓や剣を持っていた。
「言っただろ? グラディー族領に入ったって。そりゃつまり、 防衛隊の戦士達がいるって事だよ!」
ピスガが自分の 戦果のように、誇らしげに説明する。
「……さ、これで本当にひと安心出来るぜ……良かったな……。ようこそ自由の地グラディー領へ!」
ピスガがミルカの左肩の上に2本足で立ち、エグザルレイにウインクをして見せた。
「……つ……着いた……ん……ですね……やっと」
エグザルレイはコウモリ達の「処分」をしているグラディーの戦士達を見つめながら呟いた。
「そういうこった……だから……もう良いんだぜ……王女さまもよぉ……」
え……?
エグザルレイは初めピスガが「王子」と「王女」を言い間違えたのかと思った。しかしピスガはミルカの左耳に顔を向けて語りかけている。
いったい……どういう……
前に抱きかかえていたミルカの両腕から、急に「力」を感じる。その両腕は力を強め、明らかな意思を込めてエグザルレイに抱きついた。
「あ……ね……さま?」
「う……う……ウワー!」
ミルカの口から嗚咽が漏れ、それはすぐに大きな泣き声に変わる。
……は?……なんで……どう……なってるんだ?
グラディー領北方の荒野に、今、抑えに抑えられて来たミルカの感情が爆発し、泣き叫ぶ声として響き渡った。
「おいっ! まだか!」
エグザルレイはピスガの指示通り、ミルカが閉じ込められている部屋の扉を力強く叩く。室内で「ガチャガチャ……」と慌てた様子で金属がぶつかり合う音が聞こえ扉が開かれた。
「……何を……あっ……っと……あの……」
部屋の中から顔を見せた兵士がエグザルレイの兵装を確認し 口篭る。どうやら読み通り、こちらのほうが「上位兵」と勘違いしてくれたようだ。
ピスガさんは演技をしろって言ってたな……よし……
「何をやってるんだ? まだか!」
「あ……と……とにかくどうぞ……中へ……」
エグデン兵がエグザルレイを室内に招きいれる。撤収準備という事で兜まで装備しているおかげか、エグデン兵はエグザルレイだと全く気付いていない。エグザルレイは室内に足を踏み入れた。
殺風景な室内……装飾も最低限のものしかない。 天蓋も無いベッドの上にミルカが横たえられている。別れた時と変わらず、心を病み、肉体から精神だけが抜け出てしまったような生気の無い顔……
エグデン兵3人は撤収準備のはずなのに、2人は鎧を脱ぎ下着だけの格好だ。エグザルレイを招き入れた兵も 辛うじて下着の上に鎧を軽く当てているだけ……
……こいつら……何をしてるんだ……?
エグザルレイは不審に思いつつ、再び声をかける。
「何をしていると聞いてる!」
「いや……そのぉ……」
「なんか……ただ殺しちまうのも 勿体無いかなぁって……なぁ?」
「その……どうですか? ご一緒に……」
エグザルレイは男達の様子からようやく事態を飲み込んだ。
こいつら……姉様を……
「我慢ッ!」
兜の中に隠れるピスガが小さく声を上げる。
そうか……作戦が……でも……
「あ……あの……よろしければお先に……俺らはまだ何も……」
ベッドの一番近くにいた兵が 愛想笑いを浮かべながらエグザルレイに提案した。
クソッ! 腹が立つ……でも……演技を……
「……フン……まあいい……俺は最後にしよう。早く終わらせろよ!」
ああ……ごめん! 姉様……絶対に助けますから……
エグザルレイは心の中でミルカに 詫びながら、壁に背中を預けて事を見守る姿勢をとる。兵士達は顔を見合わせ、いやらしいニヤケ顔を見せた。
「あ……そうですかい……じゃあ失礼して遠慮なく……」
「……まあ、イグナの村娘たちよりは楽しめると思いますぜ! 頭はアレですけど、顔と体は、さすが『王女さま』ですからねぇ」
下着姿の2人がミルカのベッドに乗る。もう1人もいそいそと鎧を脱ぎ捨てベッドへと近づく。
「今だ! やれっ!」
兜の中でピスガの声が響いた。その瞬間、エグザルレイの中で 沸点を越えていた怒りが爆発する。
「やめろーっ!」
最後にミルカのベッドに近づいていた兵は、後ろを振り返る間も無く背中からエグザルレイの突き出した剣に 貫かれた。突き通した剣を男の身体から引き抜くと、そのまま男を前方に突き飛ばし、ベッドの上のミルカにのしかかっていた男の頭部にエグザルレイは剣を叩き込んだ。男の頭部は「斬れる」というよりも叩き潰されたように一瞬「剣の形」にへこむ。勢いを落とさずエグザルレイはベッドの左側にいた男に剣を突き立てようとした。だが、男はヨロけてベッドの下に転がり、 這うように手を伸ばすと自分の剣に手をかけた。
「この……」
突然の 襲撃にもかかわらず、一瞬の 間が兵士としての習性を起こす余裕を生む。男は自分の剣を瞬時に 鞘から引き抜き、後方に 退いて自分の間合いを取る。エグザルレイは一度見失った目標を定め直すのに手間取ってしまった。
「テメェ……誰だ!」
兵士は自分の身に起きたこと、一瞬の内に殺された仲間の姿を見て目の前に立つエグデン上級兵が偽者であると判断し、反撃の体勢を固めた。この時点で戦闘経験の決定的な差が出る。
怒りの感情を爆発させた勢いに任せ仕掛けた「戦闘初心者エグザルレイ」は、この一呼吸の間に「自分がやってしまった殺人行為」への意識が向いていた。加えて「相手を怒らせてしまった」という罪悪感……急激に身体の 筋が強張り始める。対する男は戦場経験のある兵士だ。目の前に現れた敵をいかに 討ち取るかを考え、身体も戦闘態勢が整い始める。
「ボサッとするな!」
エグザルレイの兜の中に、ピスガの 一喝が響く。と同時に、ピスガはエグザルレイが敵に向けて剣を突き出している腕を駆け抜け、そのまま戦闘体勢を整えたエグデン兵の顔面目がけ駆け 跳んだ。
予想外の「飛び道具」に対応が遅れたエグデン兵は、自分の顔に向かって飛び込んできた「何か」を払い落とそうと目を閉じ、身をよじる。エグザルレイは強張りかけていた全身の筋を引きちぎるような思いで再起動させた。
「クソッ! 一体……なん……だ……」
エグザルレイに向き直り、戦闘体勢を整えようとしたエグデン兵は、目の前に立つ少年の目を見た。
……なにが……あれ……
エグデン兵は自分の身に起きた「突然の終了」を理解することも出来ないまま、ドサッと床の上に倒れ伏した。横一閃にエグデン兵の喉笛を切り裂いた剣を握り立つエグザルレイは、大きく肩を上下させ呼吸を整える。
「おう! イケたじゃねぇか、エル!」
ピスガはエグデン兵の絶命を確認するように鼻をピクピクさせながらエグザルレイを見上げた。
「突きと 頭割りか……ケパの剣術だな」
え……?
ピスガの声に我を取り戻したエグザルレイは、自分が握り締めている剣の重さに意識が向いた。
重い……手を……離さなきゃ……
しかし剣柄を握り締める手を開くことが出来ない。
重たい……ダメだ……
エグザルレイは剣の「重さ」に引っ張られるように、床に膝をついた。
「おいおい……大丈夫か?」
ピスガが肩まで駆け上ってくる。
「ケガは?」
「……だい……じょうぶ……です」
エグザルレイは目の前に倒れ伏して動かないエグデン兵から視線を移し、ミルカのベッドへ顔を向け直す。ベッド上で上半身を起こすミルカの顔に、エグデン兵の血しぶきが飛び散っている。それでもミルカは目を開いたままブツブツと何かを呟いていた。
……人を……殺してしまった……
エグザルレイは改めて自分の手に目を向ける。
今なら……手離せるかも……
剣柄を握る指先の感覚を意識しつつ、エグザルレイはゆっくり1本ずつ指を開き始めた。
「それをここで捨てるんなら……俺ぁ降りるぜ……」
エグザルレイの思いを察したのか、ピスガが厳しい口調で耳元に囁く。
「初めてだって言ってたな?……で? これで『最後』にしたいってんなら、もう止め無ぇよ……でも、まだまだ続けなきゃ……この先は無ぇんだよ! メソメソ考えてんじゃ無ぇ!」
そう……だ……そうだ……ここから逃げ出さないと!
エグザルレイは再び剣をしっかりと握り締め、それを支えに立ち上がった。
「……ピスガさん……ありがとうございました。助かりました……」
ピスガはエグザルレイの決意が固まったことを確信し、口端に笑みを浮かべる。
「礼はまだ良い……グラディーに着いたら言ってくれ。とにかく脱出だ!……コイツラを本当に誰かが呼びに来る前に……急ぐぞ!」
エグザルレイは剣を鞘に収めた。いつでも再び抜く決心がついた今、手を離す事に 躊躇は無かった。
「姉様……」
半身を起こし呟いているミルカを見つめ、エグザルレイは声をかける。
「……行きましょう……私達が……私と姉様が生きるべき地へ……」
無表情のまま 虚空を見つめるミルカの目に映る自分の姿を見ながら、エグザルレイは自分自身を奮い立たせるように姉を抱え上げた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「……それがエルにとって最初の戦いだったわけね……」
「そう……ですね……」
レイラの問いかけに、エルグレドはうなずきながら答えた。
「初めて……人を 殺めた時の事ですから……あの感触だけは今でもこの手の平に残っていますよ……」
自分の両手を開いて眺めるエルグレドを見てスレヤーが不思議そうに尋ねる。
「そんなモンすかねぇ……俺ぁ、全然覚えて無ぇなぁ……」
「そりゃあスレイは気付いた時には狂犬人生だったんですもんねぇ」
レイラが 素っ気無く受け流す。篤樹は自分の手を見た。
初めての……殺し……あのタグアの森の中でゴブリンを倒した時は……何だか 成者の剣の「重さ」だけで倒しちゃったから……。感触かぁ……タフカをエシャーと一緒に刺し 貫いたあの時……って事になるのかなぁ……
「……まあ……とにかく、そのすぐ後から私は戦い続けましたからね。姉上を担いで王宮から脱出した時も……イグナ領を抜け、サルカス領に入ってからも……自分自身と姉上を守るために……私は血まみれになりました。よく正気でいられたものだと思います。……ピスガさんが一緒に『戦ってくれた』おかげでしたね……」
エルグレドは懐かしい友を思い浮かべ、温かい表情で目を閉じた。
「……そんなこんなでイグナ王国第13代国王となるべく生まれたエグザルレイ・イグナ王子と、姉であるミルカ・デ・イグナ王女は親に 棄てられ、国を棄ててグラディー族領……反共和制移行ゲリラ軍の地へ逃げ延びて行ったというわけです」
「なんだかさぁ……」
テーブルに載せた両腕に頭を横たえ、エシャーが口を開く。
「まるでさぁ……昔話で聞いた『王子様とお姫様のお話』みたいだねぇ……で、王子様とお姫様は結婚して 末永く幸せになるの!」
ガバッと顔を上げ「どうよ、このハッピーエンドで!」とでも言いた気なドヤ顔を見せる。そんなエシャーに、エルグレドは苦く笑みを向けた。
「……えっとぉ……エシャーさん? 話をちゃんと聞いていましたか? 私と姉様……ミルカ王女は確かに『王子様とお姫様』と呼ばれる地位にありましたけど、母違いとは言え 姉弟だと説明したはずですが……」
「あら、いいじゃない? 母違いの姉弟でも『愛』があれば」
レイラが茶化すようにエシャーを 援護する。エルグレドは頭を抱えた。
「……やめて下さい……そう言う 下衆な話にするのは……ホントに気分が悪くなります」
手の隙間からレイラを 睨むエルグレドの眼は本気で怒っている。レイラはペロッと舌を出して応じた。
「……ごめんなさい……つい……」
「……ったく……大体、私の話はまだまだ『ハッピーエンド』にはなりませんよ。……今だって続いてるんですから……」
「あ! そっか……」
エシャーはついうっかり「昔ばなし」を聞いている気分になっていた。
「あ、ハッピーエンドってわけじゃありませんが……」
エルグレドは一同を見渡し話を続ける。
「姉上については……グラディー領に入ってから面白いことがありましてね……」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
荒れた大地に 土埃を立て、1頭の馬が 疾走している。馬上には外套に身を包むエグザルレイと、彼の前に抱き合うような形で縛り合わされ座るミルカの姿があった。
「さあ! サルカスを抜けたぞ!」
2人の間……ミルカの左肩によじ登ってしがみつき、前方を見つめるピスガが叫ぶ。
「でも……」
エグザルレイは首をひねり、後方の空を確認する。
「まだ追いかけて来てますよ! このままじゃ……馬がもちません!」
疾走する馬の数十m後方の空には、エグザルレイたちを飛びながら追う4体の敵の姿が見えた。
「……あれは…… 鳥人種ですか?」
「違う……あれは……コウモリだな……ま、俺と同じく、元はグラディーの戦士だったヤツラだ」
「コウモリ?」
エグザルレイは前方に障害物が無いのを確認し、もう一度後方の空を見る。確かに……コウモリのようだが……大きい! 人間のようなサイズだ! しかも両手には剣を握っているのが分かる。
「 賢飛鼠種ってヤツだよ。俺ら 賢鼠種とは先祖が同じらしいが……ヤツラは人間サイズにまで成長しやがったんだ」
エグザルレイは間を詰められ始めている事を背後に感じながら、とにかく馬を 操り続ける。しかし、馬の脚力もかなり落ちて来ている事は確実だ。このまま駆け抜けることが無理なら……降りて戦うしかない!
いざという時のために、エグザルレイはミルカと結び合わせている 帯を解こうと片手を結び目にかけた。その時……
ピューン! ピューン!
鼓膜を 刺すような高音が響き、空気が切り裂かれる振動を感じた。
「おっ! 来た来た!」
ピスガが声を上げる。
ピューン! ピューン!
再びあの音が聞こえた。エグザルレイは後方の空を振り返る。そこには、今まさに地面に落下していく2体の追っ手の姿が見えた。その後方には先に地面に落とされ 悶えている2体のコウモリの姿も確認出来る。
「ドウドウ!」
エグザルレイは馬の手綱を引き、速度を緩めた。
「いったい何が……あっ!」
振り返った荒地の岩場に10人ほどの人影が見える。それぞれが手に弓や剣を持っていた。
「言っただろ? グラディー族領に入ったって。そりゃつまり、 防衛隊の戦士達がいるって事だよ!」
ピスガが自分の 戦果のように、誇らしげに説明する。
「……さ、これで本当にひと安心出来るぜ……良かったな……。ようこそ自由の地グラディー領へ!」
ピスガがミルカの左肩の上に2本足で立ち、エグザルレイにウインクをして見せた。
「……つ……着いた……ん……ですね……やっと」
エグザルレイはコウモリ達の「処分」をしているグラディーの戦士達を見つめながら呟いた。
「そういうこった……だから……もう良いんだぜ……王女さまもよぉ……」
え……?
エグザルレイは初めピスガが「王子」と「王女」を言い間違えたのかと思った。しかしピスガはミルカの左耳に顔を向けて語りかけている。
いったい……どういう……
前に抱きかかえていたミルカの両腕から、急に「力」を感じる。その両腕は力を強め、明らかな意思を込めてエグザルレイに抱きついた。
「あ……ね……さま?」
「う……う……ウワー!」
ミルカの口から嗚咽が漏れ、それはすぐに大きな泣き声に変わる。
……は?……なんで……どう……なってるんだ?
グラディー領北方の荒野に、今、抑えに抑えられて来たミルカの感情が爆発し、泣き叫ぶ声として響き渡った。
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『異世界の女神は誘拐犯なんだ』とリヒトに話し、神社の宮司の孫の理人に異世界でも生きられるように日本人ならではの力を授けてくれた。
ここから『異世界でたった1人の日本人、理人の物語』がスタートする
「『異世界でたった1人の日本人』 私達を蔑ろにしチート貰ったのだから返して貰いますね」が好評だったのですが...昔に書いて小説らしくないのでしっかり書き始めました。
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https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394
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