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第2章 ミシュバットの妖精王 編

第 82 話 葛藤

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「エル……本当にスレイを残して良かったのかしら? 私も戻りましょうか?」

 岩山の斜面を登り始めると、すぐにレイラがエルグレドに声をかけてきた。エルグレドは振り返らずに答える。

「彼なら大丈夫でしょう……。あまり大人数で残ると、かえって警戒されるかも知れませんし……」

「ねぇ? 何の話ィ?」

 2人の会話が聞こえたエシャーが声をかける。

「あら? エシャーは気付かなかったのね?……お客さんが馬車を見ていたのよ」

「お客さん?」

 今度は篤樹が聞き返した。エルグレドが即座に注意する。

「振り返らないで下さいね。……馬車を停めたあの岩の上から、3~4人の視線を感じていたんです。逆光なので姿までは確認出来ませんでしたが……」

「えっ! それって……」

「襲撃犯ですか?」

 エシャーと篤樹は、振り返って岩の上を確認したい気持ちをグッと堪えてエルグレドに尋ねた。

「さあ……それを確かめるためにも、スレイが残ったんですよ」

「襲ってくれば襲撃犯で確定……襲ってこなければ……ま、今は問題無しってことね」

 レイラが意にも介さないように素っ気無い返事をする。

 そんな……もし襲われたりしたら……スレヤーさんとムドベさんが危ないんじゃ……

「皆さん、もうすぐ『道』に出ますから」

 サキシュが振り返って声をかける。その声を受けるとエルグレドも振り返った。

「すぐ上に『道』があるそうですよ!」

 篤樹とエシャーに、必要以上に大きな声をかける。

「……で? 何体でしたの?」

 斜面を上りながら、レイラが小声でエルグレドに尋ねる。

「……4体確認しました。岩の形状から考えると、それ以上は隠れられないでしょう。確認した4体で全部とみて間違いありません」

「じゃ、スレイだけで充分ですわね」

 2人の会話を聞きながら、篤樹はさっき振り向いた一瞬の間に、エルグレドが岩の上に潜む人影を確認したのだと理解した。

「さあ……ここからは歩きやすくなってますから」

 サキシュは斜面の上部に真っ直ぐに立ち、皆を見下ろし声をかける。すぐにエルグレドとレイラも上りきり、エシャーに続いて篤樹も「道」に辿り着いた。景色を眺めるように見渡しながら、馬車と横の岩を確認してみるが特に異変は感じられない。

「……上手に隠れていますよ。あまりジッと見ないようにして下さいね」

 篤樹の様子に気付いたエルグレドが注意を与える。

「さて……あちらはスレイに任せるとして、私達は本来の目的に集中しましょう」

 エルグレドはそう言うと、サキシュに続いて「道」を進み始めた。篤樹達もその後に従う。

「15分ほど上れば『広場跡』です」

 サキシュの案内通り、岩肌むき出しの蛇行した山道を進むと、ひらけた台地に辿り着いた。

「ここが……ミシュバットの『結びの広場』……?」

 篤樹は目の前に広がる、砂埃の舞う広場を見て唖然とした。昨日、遺跡全体を見渡した時から予想はしていたが、実際に足を運んで来てみるとあまりにも「何も無い台地」に絶望的な気持ちになる。

「何にも……無いね……」

 エシャーも同じ思いを抱いたのか、篤樹の横に立って広場跡を見渡すとポツリと呟いた。

「法暦省の調査隊がある程度の調査を終えてはいますが、とにかく何も発見するには至っていません……。ついて来て下さい」

 エルグレドはそう言うと地図を手に持ち、台地の中央辺りに向かい歩き出した。皆がその後に従う。

「……この辺り……ですね」

 しばらく進み、エルグレドは立ち止まって足下を指差す。

「だいぶ薄れていますが……色粉で線が引いてあるでしょう?」

 篤樹達はエルグレドの指差す地面に近寄った。地面に浅く掘られた溝に、薄っすらとピンク色の粉が溜まっている。溝は台地の中央を囲むようにグルリと円形に続いているようだ。

「この色粉の線から内側が『結びの広場』で、外側が『森』になっていたらしいと地質調査で分かりました。ですからこの線で囲われている中央部が『結びの広場』の中心……という事になりますね」

 一同はエルグレドを先頭に囲い線の内側に足を踏み入れた。
 バスから投げ出されて最初に気がついた広場も、タグアの町の北の広場も、草原が広がり、その周りを木々が取り囲んでいたことを篤樹は思い出す。それに比べ……ここは本当に草1本さえ生えていない砂と岩の台地……

「……これが中央の目印のようですね」

 エルグレドは手に持っていた地図を畳んでしゃがみ込んだ。地面に5cm角程の杭が打ち込まれている。中央の目印を囲むように全員は集まり改めて周囲を見渡した。

「命の欠片も感じられない場所ね……」

 レイラが不快感を込めた声で呟く。篤樹の腕を掴んでいたエシャーも口を開いた。

「……こんな所に……本当に森や草原があったの……?」

「ミシュバットの滅亡期とほぼ同時期に、ここの植物は失われてしまったようですね。その後2000年間……草木は一度も生えていないようです。草木が無いため山全体の保水力も落ちていますから、新しく種が蒔かれても、ここで植物が育つことも無かったのでしょう。呪われた町と同じく、ここは呪われた結びの広場という事ですね……」

「……で? その乾き切った広場でどんな調査を進めるおつもりかしら?」

 レイラが尋ねる。エルグレドはニッコリ微笑んだ。

「とりあえず、アツキ君とエシャーさんの2人には『全方向での入村手順』を試していただこうかと」

 篤樹とエシャーはエルグレドの指示に従い、中央の目印から8方向に向かって5・5・8・5の入村手順を試すことになった。


―・―・―・―・―・―


「エル……これで最後よ。次はどうするおつもりかしら?」

 最後の入村手順を試している篤樹とエシャーを見ながら、レイラがエルグレドに尋ねる。エルグレドも結果は分かっていたようで余裕の表情だ。

「やっぱり『結びの広場』の効力は失われているようですね。それを確認出来ただけでも、心残り無く次の手を考えられます」

「『次の手』? 当てがあるのかしら?」

 レイラはエルグレドが『次の手』を考えている事を初めから分かっていたようだ。笑みを浮かべて互いを見る。

「だいぶ意思の疎通がスムーズになって来ましたね。まあ……あの2人が戻ったらお話しますよ」

「……3……4……5!……はい! ここもダメでしたー!」

 8方向全てで入村手順確認を終えたエシャーが大声で叫ぶ。

「こんな、草も森もとっくに『壊れた』場所で試すだけ無駄だって、レイラが言ってた通りだねー!」

 広場中央に立つエルグレド達の元へ篤樹と並んで戻りながら、エシャーが疲れた声で苦情を訴える。

「はい! お疲れ様でした。これでこの『結びの広場』が、今は全く機能していない跡地に過ぎないと『正式』に確認することが出来ました。ありがとうございます」

 エルグレドはにこやかに2人を迎える。

「この調査で、ここから入村する事は出来ないと分かりましたので、少し調査範囲を変えて探索を行う事にしましょう」

「調査範囲を変更……ですか?」

 警護に同行していたサキシュが、エルグレドの予定外の言葉に動揺する。

「ええ。この『結びの広場跡』をこれ以上調べても、調査隊の結果と大差ない成果しか見込めませんからねぇ」

「いや……しかし……予定変更ならば『上』にまず報告をしなければ……」

「サキシュ上等兵。我々は『エルフの盾』回収のための特別探索隊です。文化法暦省大臣からの特命機関という位置付けですから『上』はビデル閣下だけです。そして、閣下より本件に関する全権を私は委ねられています。この命令は軍部大将権限と同等以上のものですから、私が決めた方針を覆す権限は誰にもありません。もし仮に、この件に関してあなたを罰する者があれば……その者がたとえ軍部大将であっても厳罰を科す権限を私は持っていますからご安心を」

 エルグレドは穏やかな優しい口調で、しかし、絶対的な権威を帯びた者としての力強さを込め若い兵士を諭す。サキシュはただ敬礼をして了解の意を表すしかなかった。

「……それで? 全権を持つ隊長さんが考える次の一手はなぁに?」

 レイラが話を進めさせる。エルグレドは自分の荷物袋の中から小袋を取り出した。その中には木箱が入っており、木箱を開けると一冊の古びた本が出て来た。

「あら?『ミシュバットの不思議』? 珍しい本をお持ちなのねぇ」

 レイラが興味を示す。

「……そうですね。これは写本ですが、600年ほど前のものらしいです。昨夜、法暦省の書庫からお借りして来ました」

「え? 昨日の夜ですか?」

 エルグレドの言葉に篤樹が反応した。

「ええ。ビデル閣下の今回のミシュバ視察はガナブの件だけでなく、省内の指揮系統の乱れ……先ほど聞いたようなミラ様の不審な動きに関しての調査の意味もあったようです。どんな手を打とうかと相談していた折に、昨夜はあのような混乱も起こりましたし……。行方不明のアツキ君を探すという口実で、私も庁舎内を自由に物色させていただきました。特に文化部のミシュバット遺跡調査の機密資料を見させていただこうと思いましてね。で、案の定『まだ』私の元に上がって来ていない資料がいくつも有りましてね……」

 エルグレドさんにまで上がってきてない資料?……ってことは、文化法暦省内の「別の指揮系統」が文化部の中に在るってこと?

 エルグレドは篤樹の察しを肯定するように頷いた。レイラも趣旨を理解しているようだ。

「その『上げられて来ない資料』の中に『扉は王宮跡内にも見つからず』という報告の一文を見つけました。何の『扉』かと気になりましたので、そのキーワードを中心に資料を読み漁《あさ》りましたら……どうやらその『扉』とは、ミシュバット伝説の中に在る『探求者の扉』らしいと分かりました」

「なぁに? その『探求者の扉』って?」

 エシャーが首をかしげて尋ねる。エルグレドは木箱の中の本をそっと取り出すと、自分が挟んでいた付箋のページを開いた。

「『求める者よ。この扉を開け。されば汝の求めるあらゆるものを我はそなたに与えよう』と約束されている扉のことのようですね」

「その本に書いてあるんですか?」

 篤樹はエルグレドの持つ本を覗き込みながら尋ねた。書いてある文字は全く読むことが出来ないが、その「紙」はかなり古いものだと分かる。

「現代語とかなり違う文字が多いので、この部分を見つけるのに朝までかかりましたが……まあ、これが『次の一手』になるのではないかと」

 そう言うとエルグレドは『ミシュバットの不思議』をそっと閉じ、木箱に納め直すと小袋に戻した。

「ちなみにこちら、無断でお借りして来たものですし……そもそも文化部調査隊の方々が私に『隠していた』情報ですので、くれぐれも御内密にお願いしますね……上等兵も」

 呆然と話を聞いていたサキシュも、エルグレドに念を押され背筋を真っ直ぐに伸ばす。

「はい! この件に関する一切の記憶は、たとえ忘却魔法を使わずとも封じ続けます!」

「いや……まあ、当面の間黙っていてくれるだけで結構ですから。……という事で、ミシュバットに関してはまだまだ謎が多いのですが、どうやら『探求者の扉』とやらを巡って文化法暦省を巻き込む王宮内の争いがあるみたいです。しかし、私達にはそんな事は関係有りません。優先事項は何でしょう?」

「え? えっと……ルエルフ村に行く……こと?」

 エルグレドの問いに篤樹がとっさに答える。エシャーも手を上げる。

「はい! エルフの守りの盾を回収して帰ること!」

「……という事で私達はそれらを『求める者』っていうことですわね?」

 レイラがニッコリ微笑んで答える。

「そうです。『求める者よ。この扉を開け』と言われているのですから、開いてみたいと思いませんか? その『扉』を」

 エルグレドがニヤッ! と笑みを浮かべる。

 そう……か……もしかしたらそこで『元の世界』に帰る方法も見つかるかも……

 だが篤樹はその考えを今は言うのをためらった。『元の世界』に帰るために旅をしている。でも『元の世界』に帰ったら……もうエシャーやエルグレド、レイラ、スレヤーとは会えなくなる……

 篤樹は自分の中に大きな葛藤が生まれていることに気が付いていた……
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