56 / 464
第1章 旅立ちの日 編
第 51 話 不測の質問
しおりを挟む
「みなさーん! いつまで 惰眠を貪っていらっしゃるの! 朝ですわよー!」
扉を 叩くレイラの声で篤樹は目を覚ます。エルグレドも寝返りを打ち、ガバッ! と起き上がると、そのままベッドサイドの時計を手に持ち時間を確かめた。
「……まったく……まだ6時にもなっていないじゃないですか……」
「ほらぁ、起きてくださいな。ミーティングを始めましょう!」
エルグレドは不機嫌な表情でベッドを下り、部屋の扉を開く。
「目覚ましはセットしています。6時半にね! 7時から朝食ですから下で後ほど会いましょう!」
「あら? 隊長さんは低血圧? 朝は 御機嫌ななめですわねぇ?」
「後ほど下で!」
エルグレドは扉をバンッ! と閉め、そのままベッドに倒れ込む。再び扉が叩かれた。
「あっ、僕出ます!」
扉ごと攻撃魔法でレイラを吹き飛ばしかねない怒りの 眼差しをエルグレドから感じた篤樹は、急いでベッドから出て行き扉を開く。
「……アッキー……ふぁ……おはよー。散歩に行こぉ……」
まだ眠そうな目をこすりながらエシャーが立っていた。
「あ、おはよう。ちょっと待ってて」
篤樹は部屋に戻ると、急いで服を整え外套を羽織る。
「ちょっと行ってきます。7時に食堂で……」
ベッドで再び横になっているエルグレドに声をかけた。エルグレドは向こう側を向いたまま手を上げ「バイバイ」をする。篤樹はそっと扉を閉めて部屋を出た。
「早いねぇ、エシャー」
「レイラが一時間前から……ふわぁっ……ずっと起こして来たの」
「で、その迷惑姉ェさんは?」
「もう外に出て行ったー」
2人は宿の扉を開く。宿の中では感じなかったが外気は冷たい。寝起きの身体との温度差で篤樹は身震いをした。
「アッキー、寒いの?」
エシャーは腕が出ている薄手の服で、外套も羽織っていないのに平気そうだ。
「うん。平気なの?」
「う……う~んッと! 平気! スッキリする!」
丘陵地にあるテリペ村の朝は、 霧がかった 湿気の多い、少しひんやりした朝の空気に包まれていた。今日も良い天気になりそうだ、と篤樹は肌で感じる。
「7時に食堂でって事だから……あんまり遠くまで行かないでこの辺を散歩しよっか?」
篤樹はエルグレドのこめかみに浮かぶ血管を想像しエシャーに提案する。
「じゃあ、今日はこっちに行こっ!」
エシャーは宿前の道に立ち、右のほうを指差した。「囲い柵」が4ブロックほど先まで見える。1kmも無いな……篤樹はゆっくり道に出る。
「じゃ、今日は競争無しで、ね」
2人は辺りの村の景色を楽しみながらのんびりと歩き始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「 清々しい朝でしたわ! ステキな村ですわねぇ!」
食堂のテーブルについたレイラは、食事を運んで来てくれた宿の 女将に上機嫌で声をかけた。女将は嬉しそうに「ええ、ええ」と相槌を打ちながらテキパキとテーブルを整える。
「焼きたてのパンですよ。しっかりお食べくださいな」
カゴに入った、まだ湯気の立つパンの山を運び終えると、女将は台所へ下がった。
「まあ、美味しそうな朝食ですこと! すっかりお腹も空きましたわ。さ、いただきましょう!」
レイラは上機嫌で食事を始める。 色彩豊かな数種類の新鮮野菜が盛られたサラダ、湯気の立つボイルウインナー、ゆで卵に、カリカリのベーコンが 添えられたスクランブルエッグ、2種類のスープボウルから各々自由に注ぎ分けるカップスープ……レイラは手際よく人数分の皿に取り分けていく。
「あら? 隊長さん。いかがなされたの? ご気分が悪そうですわ?」
エルグレドはテーブルに 片肘をつき、頭を抱えている。
「具合は悪くはありません……ご心配なく……」
明らかに不機嫌な声で答える。朝の散歩から戻り、頭も身体もスッキリしている篤樹とエシャーは顔を見合わせた。
「ね? レイラさぁ……昨日の夜のこと……覚えてる?」
「え? 昨夜? 何か特別なことがあったかしら?」
食事を取り分け終えて着座したレイラは、エシャーの質問を気にもかけずにさっさとサラダを口に運ぶ。
「まあ! シャキシャキ!」
「あ、あのぉ……レイラさん? レイラさんってお酒って飲まれますか?」
レイラはパンに手を伸ばしながら横目で篤樹を見る。
「お酒? 好きよ。あまり飲む機会はないけれどね。なぜ?」
篤樹はエシャーと目配せした。エルグレドは口元に笑みを浮かべながらも、明らかに 不快な声で語りかける。
「昨夜のレイラさんの提案を受け、 探索ルートを変更したんですが……ご提案下さった内容は覚えておいででしょうか?」
「提案?」
レイラはパンをスープに 浸し、口に運ぶとナフキンで指先を 拭きながら答える。
「ええ。『タクヤの塔』へ向かうのも一案ではなくて? と御提案したことなら……結局、どうなさる事に決まったのでしたっけ?」
「ミシュバット遺跡の『結びの広場』を調べた後、そのまま北上して『タクヤの塔』へ行くルートに変更しましたよ。覚えておられませんか?」
エルグレドが引きつった笑顔で 尋ねる。
「まあ、いつの間に……でも 英断ですわ、隊長さん」
レイラは 微笑返しで答えると、スクランブルエッグをレタスで巻いて口へと運ぶ。
「ええ……。『壊れた玄関』を馬鹿みたいに何箇所見て回っても同じですからね」
レイラがキョトンとした目でエルグレドを見る。
「何をおっしゃってるのか分かりませんが、早くいただかないと出発が遅れますわよ、隊長さん」
篤樹とエシャーはエルグレドの顔色を 伺う。微笑みながらレイラを見つめているが、アレは明らかに怒りの感情を 抑えている「笑顔」だと2人は読み取った。
朝食を 兼ねてのミーティングが進み、全員食事を済ませる。食後に食堂のメニュー表に気付いたレイラが提案した。
「あら? 村の特製ドリンクですって。一杯お願いしようかしら? 皆さんもいかが?」
エルグレドの表情に気付いた篤樹とエシャーは、必死でレイラの提案を 阻止した。
―・―・―・―・―・―・―
「無自覚とは驚きました!『森の賢者』が、自分の言動にあれほど無責任だったとは! 私は改めて失望しましたよ!」
エルグレドは馬車の 手綱を握り、前方を見ながら篤樹に 愚痴を聞かせ続ける。過去の偉大なエルフや、森の賢者の伝説をいくつも例に挙げながら……
「先人方の 誉れを貶める 愚者ですよ! あれは!」
昨夜の 暴言に加え、今朝のお節介な起床案内にもエルグレドは随分と 御立腹の様子だ。隣に座る篤樹は、ほろの中に座っているレイラにも聞こえてまた 一悶着起こるのではないかと気が気ではない。
しかしそんな心配を 他所に、ほろの中ではレイラとエシャーが何やら楽しそうに話をしている。2人の様子を 覗いている篤樹に気付いたレイラが声をかけて来た。
「あなたもこちらにいらっしゃる? 少しお話ししましょうよ」
え? レイラさんから誘ってくれるなんて……
篤樹はエルグレドを見た。エルグレドは前を向いたまま口を開く。
「『しらふのエルフ』からであれば『 賢者』のお話を学べるかも知れませんね。どうぞ。私も『早起き』させていただいたので眠気はありませんから」
エルグレドさん、根に持ってるなぁ……
「じゃあ……」と小さく答え、篤樹はほろの中に移動した。レイラとエシャーが、それぞれ荷台の左右に分かれて向き合う形で座っている。篤樹はどこに座ろうかと一瞬考えた。
「アッキー、ここ!」
エシャーが自分の横の袋をポンポンと叩く。着替えが入れてある袋なのでクッションにもなる。篤樹は袋の上に腰を下ろした。
「レイラさん……あの……エルグレドさん、怒ってますよ?」
篤樹は余計な事かと思いつつ、恐る恐るレイラに声をかける。
「エシャーに聞いたわ。私、隊長さんにヒドイ物言いだったらしいわね」
レイラは楽しそうに微笑みながら答えた。
「ヒドイ物言いっていうか……」
「レイラすごかったよぉ! とってもガラが悪かった! おじい様からお話で聞いた 酔っ払いのドワーフみたいだった!」
「まあ、ドワーフとは失礼ね!……そんなにヒドかったのかしら?」
レイラの問いかけのような 眼差しに、篤樹はウンウンとうなずく。
「僕の世界だと『 絡み上戸』って呼ばれるタイプの酔っ払いだと思います。言いたい事を言うだけ言って寝ちゃうし……言った内容は覚えてるのに、自分がどんな状態だったかは覚えてないってのは……」
「220年も生きてると色々と 溜まるものなのよ。でも、それを自己昇華出来ないってことは、私もまだまだ若いってことね。 嬉しいわ」
え? 嬉しいんだ、それ。篤樹はレイラの感性に驚いた。
「エルフもね、200歳になる頃にはみんな色んな『 諦め』が身に付いてくるものよ。それを『 悟り』とか『 賢者の 思考』なんて言われる方々もおられるけど……何だかそれは違う気がするのよねぇ。色んな事が分かって、色んな体験・経験をして……で、『自分の限界・エルフの限界』に気付いた後は、諦めたまま何百年も残りの人生をただ生きるだけなんて……真に『 賢い者』が歩む生き方ではないわ」
レイラは「悟り切ったような笑み」を浮かべながら語る。
「それに私、別にお酒に弱いわけではなくてよ? お酒が入ってると『知らずに』飲んだせいね。意識の準備不足が招いた失態……ということですわ」
悪びれるでもなく「当然の結果」であったようにサラッとレイラは言ってのけた。篤樹はついでに、疑問に思っていたことをレイラに尋ねてみる。
「あの……レイラさんはカミーラ大使の『子ども』だって言われてましたけど……」
「そうよ。ま、エルフの『家族構成』は人間のそれとは違うから……理解は難しいでしょうけどね。私の母のお相手が大使……関係を結んだ頃は、まだ前大使の 補佐役か何かだったらしいけど」
「家族で一緒に暮らしたりしないの?」
エシャーが 訊く。
「エシャーたちルエルフは寿命が人間と同じだから『家族形成』ってものがあるんでしょうけど、エルフは1000年の寿命だからね……成長進度も少し違うのよ。最初の頃の成長は早いわ。人間と同じくらい。自分で狩りが出来るようになるまで10年ほどね。その後、段々成長期間が長くなるのよ。100歳頃に今のあなたたちくらいまで成長し、後はゆっくり……。私が生まれた時の父は300歳くらいね。母はその頃130歳よ。そんな男女が何十年も何百年も一緒にいたいなんて思わないわ。生まれた子どもは一族全体で 育むの。狩りが1人で出来る頃からは、それぞれが自分の人生を歩みだすのが普通のエルフの生活よ」
生きてる期間の長さの違いで、生き方や家族に対する気持ちが全然違うんだなぁ……篤樹は改めて「違う種族」としてレイラを見た。
「そんなんだから、 性欲だとか性関心も低いのよ、エルフは。何と言っても『賢者』ですからね。経験するのも数回で十分って気分になるから、肉体関係を持つ機会は少ないわ。だからエルフはいつまで経っても少数種族のままなのよね」
篤樹は「お 姉ェ 様」の赤裸々なエルフ 性分析を聞きながら、段々恥ずかしくなって視線をそらす。
「そういえば、私の村の子どもも少なかった! 周りはみんな年上か年下だったもん」
エシャーは特に気にせずに 身上を語る。
「だから……アッキーが来た時、 驚いたけど嬉しかったんだ! 友だちが出来たって!」
そう言うと篤樹の右手を握り、頭を肩に寄せる。篤樹は慌ててその手を除けて立ち上がる。
「な、なんか飲み物無かったけ?…… 喉渇いたなぁ」
「あ、そこの箱に水筒入ってるよ」
エシャーがレイラの横の箱を指差す。篤樹は指された箱から水筒を取り出し、急いで一口飲んでむせる。
「なあにアッキー! 汚ったなーい!」
エシャーが笑いながら 茶化して来る。レイラはニヤニヤと篤樹を見ていた。あ、なんか嫌な視線だなぁ……篤樹は姉が意地悪を言う瞬間の表情を思い出した。案の定、レイラが口を開く。
「ねえ、エシャー? あなたたちは結婚するの?」
「え? 誰と?」
エシャーがキョトンとした顔でレイラに聞き返す。篤樹は馬車の 揺れと緊張でその場にヘナヘナと腰を下ろした。
「あなたとアツキよ。仲良いんでしょ?」
な、なんだ? 急に何を言い出すんだこの人は!
篤樹は言葉を失った。恐る恐るエシャーに視線を向けると、エシャーは大きな目をさらに大きく見開いてジッと篤樹を見ている。ほら! ヤバイって!
「うーん、分かんない……『結婚』とか。でも、お母さんとお父さんは『結婚』してたし、楽しそうだったから……私も『結婚』はしたいなぁ。でもまだよく分かんないよ。ね? アッキー」
エシャーはまるで「どこに遊びに行くの?」と親から 訊かれた子どものように軽く答える。レイラはサッとエシャーと篤樹の顔を見比べてフフフッと笑う。
篤樹も、ここは何か言わないと! と口を開いた。
「そ、そうですよ! 分かりません! 何にも! ぼ、僕は今……まだこの世界の事も何にも分からないし……『向こう』に帰れるのか帰れないのかとか……そ、それに『守りの盾』の事とかもあるし!……大体、まだ1週間しか経って無いんですよ。僕とエシャーが出会って!」
そうだ。まだ1週間……たった1週間しか経ってないんだ。あの事故で「こっちの世界」に来て、エシャーと出会って……村が襲われて……
レイラはいつになく「温かい目」を篤樹に向け微笑んだ。
「そうね。『まだ』分からないわよねぇ……」
意味深な強調をつけるレイラを、篤樹はジト目で睨む。
「でも仲良しだよ、ね?」
エシャーは2人とは少しズレた感覚で篤樹との「仲良し」をアピールする。
そりゃ……命の恩人だし、同じ年の友だちだし、嫌いなワケ無いし……
篤樹はウンウンと同意の 頷きを返した。レイラは「面白いおもちゃ」を手に入れたかのように、満足げな笑みを浮かべる。
「レイラさん! ちょっと良いですか!」
御者台からエルグレドがレイラを呼ぶ声が聞こえた。レイラは「あら? 珍しい……」とでも言うように 片眉を上げ、立ち上がると荷台前方に移動する。
「あら?」
エルグレドが理由を述べる前に、レイラは 事態を 把握した。
「かなり……強いのが来そうですわね?」
前方の空に真っ黒な 雨雲が広がり始めているのが見える。
「今日はもう少し進みたかったんですが……馬の雨除けも作らないといけないので……シートとロープを準備しておいて下さいますか。 適当な場所まで行って止めますから。この時間だと……今夜はそのままそこで野宿になります。2人にも手伝ってもらって下さい」
レイラがほろの中に戻ると、篤樹が尋ねた。
「何でした?」
「ちょっと 激しい雷雨になりそうよ。準備をするからお手伝いをよろしくね」
篤樹とエシャーはほろの前方の開きへ顔を向ける。真っ黒な雲が前方の空一面に広がり、 稲光を交えながらグングンこちらに近づいて来ていた。
扉を 叩くレイラの声で篤樹は目を覚ます。エルグレドも寝返りを打ち、ガバッ! と起き上がると、そのままベッドサイドの時計を手に持ち時間を確かめた。
「……まったく……まだ6時にもなっていないじゃないですか……」
「ほらぁ、起きてくださいな。ミーティングを始めましょう!」
エルグレドは不機嫌な表情でベッドを下り、部屋の扉を開く。
「目覚ましはセットしています。6時半にね! 7時から朝食ですから下で後ほど会いましょう!」
「あら? 隊長さんは低血圧? 朝は 御機嫌ななめですわねぇ?」
「後ほど下で!」
エルグレドは扉をバンッ! と閉め、そのままベッドに倒れ込む。再び扉が叩かれた。
「あっ、僕出ます!」
扉ごと攻撃魔法でレイラを吹き飛ばしかねない怒りの 眼差しをエルグレドから感じた篤樹は、急いでベッドから出て行き扉を開く。
「……アッキー……ふぁ……おはよー。散歩に行こぉ……」
まだ眠そうな目をこすりながらエシャーが立っていた。
「あ、おはよう。ちょっと待ってて」
篤樹は部屋に戻ると、急いで服を整え外套を羽織る。
「ちょっと行ってきます。7時に食堂で……」
ベッドで再び横になっているエルグレドに声をかけた。エルグレドは向こう側を向いたまま手を上げ「バイバイ」をする。篤樹はそっと扉を閉めて部屋を出た。
「早いねぇ、エシャー」
「レイラが一時間前から……ふわぁっ……ずっと起こして来たの」
「で、その迷惑姉ェさんは?」
「もう外に出て行ったー」
2人は宿の扉を開く。宿の中では感じなかったが外気は冷たい。寝起きの身体との温度差で篤樹は身震いをした。
「アッキー、寒いの?」
エシャーは腕が出ている薄手の服で、外套も羽織っていないのに平気そうだ。
「うん。平気なの?」
「う……う~んッと! 平気! スッキリする!」
丘陵地にあるテリペ村の朝は、 霧がかった 湿気の多い、少しひんやりした朝の空気に包まれていた。今日も良い天気になりそうだ、と篤樹は肌で感じる。
「7時に食堂でって事だから……あんまり遠くまで行かないでこの辺を散歩しよっか?」
篤樹はエルグレドのこめかみに浮かぶ血管を想像しエシャーに提案する。
「じゃあ、今日はこっちに行こっ!」
エシャーは宿前の道に立ち、右のほうを指差した。「囲い柵」が4ブロックほど先まで見える。1kmも無いな……篤樹はゆっくり道に出る。
「じゃ、今日は競争無しで、ね」
2人は辺りの村の景色を楽しみながらのんびりと歩き始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「 清々しい朝でしたわ! ステキな村ですわねぇ!」
食堂のテーブルについたレイラは、食事を運んで来てくれた宿の 女将に上機嫌で声をかけた。女将は嬉しそうに「ええ、ええ」と相槌を打ちながらテキパキとテーブルを整える。
「焼きたてのパンですよ。しっかりお食べくださいな」
カゴに入った、まだ湯気の立つパンの山を運び終えると、女将は台所へ下がった。
「まあ、美味しそうな朝食ですこと! すっかりお腹も空きましたわ。さ、いただきましょう!」
レイラは上機嫌で食事を始める。 色彩豊かな数種類の新鮮野菜が盛られたサラダ、湯気の立つボイルウインナー、ゆで卵に、カリカリのベーコンが 添えられたスクランブルエッグ、2種類のスープボウルから各々自由に注ぎ分けるカップスープ……レイラは手際よく人数分の皿に取り分けていく。
「あら? 隊長さん。いかがなされたの? ご気分が悪そうですわ?」
エルグレドはテーブルに 片肘をつき、頭を抱えている。
「具合は悪くはありません……ご心配なく……」
明らかに不機嫌な声で答える。朝の散歩から戻り、頭も身体もスッキリしている篤樹とエシャーは顔を見合わせた。
「ね? レイラさぁ……昨日の夜のこと……覚えてる?」
「え? 昨夜? 何か特別なことがあったかしら?」
食事を取り分け終えて着座したレイラは、エシャーの質問を気にもかけずにさっさとサラダを口に運ぶ。
「まあ! シャキシャキ!」
「あ、あのぉ……レイラさん? レイラさんってお酒って飲まれますか?」
レイラはパンに手を伸ばしながら横目で篤樹を見る。
「お酒? 好きよ。あまり飲む機会はないけれどね。なぜ?」
篤樹はエシャーと目配せした。エルグレドは口元に笑みを浮かべながらも、明らかに 不快な声で語りかける。
「昨夜のレイラさんの提案を受け、 探索ルートを変更したんですが……ご提案下さった内容は覚えておいででしょうか?」
「提案?」
レイラはパンをスープに 浸し、口に運ぶとナフキンで指先を 拭きながら答える。
「ええ。『タクヤの塔』へ向かうのも一案ではなくて? と御提案したことなら……結局、どうなさる事に決まったのでしたっけ?」
「ミシュバット遺跡の『結びの広場』を調べた後、そのまま北上して『タクヤの塔』へ行くルートに変更しましたよ。覚えておられませんか?」
エルグレドが引きつった笑顔で 尋ねる。
「まあ、いつの間に……でも 英断ですわ、隊長さん」
レイラは 微笑返しで答えると、スクランブルエッグをレタスで巻いて口へと運ぶ。
「ええ……。『壊れた玄関』を馬鹿みたいに何箇所見て回っても同じですからね」
レイラがキョトンとした目でエルグレドを見る。
「何をおっしゃってるのか分かりませんが、早くいただかないと出発が遅れますわよ、隊長さん」
篤樹とエシャーはエルグレドの顔色を 伺う。微笑みながらレイラを見つめているが、アレは明らかに怒りの感情を 抑えている「笑顔」だと2人は読み取った。
朝食を 兼ねてのミーティングが進み、全員食事を済ませる。食後に食堂のメニュー表に気付いたレイラが提案した。
「あら? 村の特製ドリンクですって。一杯お願いしようかしら? 皆さんもいかが?」
エルグレドの表情に気付いた篤樹とエシャーは、必死でレイラの提案を 阻止した。
―・―・―・―・―・―・―
「無自覚とは驚きました!『森の賢者』が、自分の言動にあれほど無責任だったとは! 私は改めて失望しましたよ!」
エルグレドは馬車の 手綱を握り、前方を見ながら篤樹に 愚痴を聞かせ続ける。過去の偉大なエルフや、森の賢者の伝説をいくつも例に挙げながら……
「先人方の 誉れを貶める 愚者ですよ! あれは!」
昨夜の 暴言に加え、今朝のお節介な起床案内にもエルグレドは随分と 御立腹の様子だ。隣に座る篤樹は、ほろの中に座っているレイラにも聞こえてまた 一悶着起こるのではないかと気が気ではない。
しかしそんな心配を 他所に、ほろの中ではレイラとエシャーが何やら楽しそうに話をしている。2人の様子を 覗いている篤樹に気付いたレイラが声をかけて来た。
「あなたもこちらにいらっしゃる? 少しお話ししましょうよ」
え? レイラさんから誘ってくれるなんて……
篤樹はエルグレドを見た。エルグレドは前を向いたまま口を開く。
「『しらふのエルフ』からであれば『 賢者』のお話を学べるかも知れませんね。どうぞ。私も『早起き』させていただいたので眠気はありませんから」
エルグレドさん、根に持ってるなぁ……
「じゃあ……」と小さく答え、篤樹はほろの中に移動した。レイラとエシャーが、それぞれ荷台の左右に分かれて向き合う形で座っている。篤樹はどこに座ろうかと一瞬考えた。
「アッキー、ここ!」
エシャーが自分の横の袋をポンポンと叩く。着替えが入れてある袋なのでクッションにもなる。篤樹は袋の上に腰を下ろした。
「レイラさん……あの……エルグレドさん、怒ってますよ?」
篤樹は余計な事かと思いつつ、恐る恐るレイラに声をかける。
「エシャーに聞いたわ。私、隊長さんにヒドイ物言いだったらしいわね」
レイラは楽しそうに微笑みながら答えた。
「ヒドイ物言いっていうか……」
「レイラすごかったよぉ! とってもガラが悪かった! おじい様からお話で聞いた 酔っ払いのドワーフみたいだった!」
「まあ、ドワーフとは失礼ね!……そんなにヒドかったのかしら?」
レイラの問いかけのような 眼差しに、篤樹はウンウンとうなずく。
「僕の世界だと『 絡み上戸』って呼ばれるタイプの酔っ払いだと思います。言いたい事を言うだけ言って寝ちゃうし……言った内容は覚えてるのに、自分がどんな状態だったかは覚えてないってのは……」
「220年も生きてると色々と 溜まるものなのよ。でも、それを自己昇華出来ないってことは、私もまだまだ若いってことね。 嬉しいわ」
え? 嬉しいんだ、それ。篤樹はレイラの感性に驚いた。
「エルフもね、200歳になる頃にはみんな色んな『 諦め』が身に付いてくるものよ。それを『 悟り』とか『 賢者の 思考』なんて言われる方々もおられるけど……何だかそれは違う気がするのよねぇ。色んな事が分かって、色んな体験・経験をして……で、『自分の限界・エルフの限界』に気付いた後は、諦めたまま何百年も残りの人生をただ生きるだけなんて……真に『 賢い者』が歩む生き方ではないわ」
レイラは「悟り切ったような笑み」を浮かべながら語る。
「それに私、別にお酒に弱いわけではなくてよ? お酒が入ってると『知らずに』飲んだせいね。意識の準備不足が招いた失態……ということですわ」
悪びれるでもなく「当然の結果」であったようにサラッとレイラは言ってのけた。篤樹はついでに、疑問に思っていたことをレイラに尋ねてみる。
「あの……レイラさんはカミーラ大使の『子ども』だって言われてましたけど……」
「そうよ。ま、エルフの『家族構成』は人間のそれとは違うから……理解は難しいでしょうけどね。私の母のお相手が大使……関係を結んだ頃は、まだ前大使の 補佐役か何かだったらしいけど」
「家族で一緒に暮らしたりしないの?」
エシャーが 訊く。
「エシャーたちルエルフは寿命が人間と同じだから『家族形成』ってものがあるんでしょうけど、エルフは1000年の寿命だからね……成長進度も少し違うのよ。最初の頃の成長は早いわ。人間と同じくらい。自分で狩りが出来るようになるまで10年ほどね。その後、段々成長期間が長くなるのよ。100歳頃に今のあなたたちくらいまで成長し、後はゆっくり……。私が生まれた時の父は300歳くらいね。母はその頃130歳よ。そんな男女が何十年も何百年も一緒にいたいなんて思わないわ。生まれた子どもは一族全体で 育むの。狩りが1人で出来る頃からは、それぞれが自分の人生を歩みだすのが普通のエルフの生活よ」
生きてる期間の長さの違いで、生き方や家族に対する気持ちが全然違うんだなぁ……篤樹は改めて「違う種族」としてレイラを見た。
「そんなんだから、 性欲だとか性関心も低いのよ、エルフは。何と言っても『賢者』ですからね。経験するのも数回で十分って気分になるから、肉体関係を持つ機会は少ないわ。だからエルフはいつまで経っても少数種族のままなのよね」
篤樹は「お 姉ェ 様」の赤裸々なエルフ 性分析を聞きながら、段々恥ずかしくなって視線をそらす。
「そういえば、私の村の子どもも少なかった! 周りはみんな年上か年下だったもん」
エシャーは特に気にせずに 身上を語る。
「だから……アッキーが来た時、 驚いたけど嬉しかったんだ! 友だちが出来たって!」
そう言うと篤樹の右手を握り、頭を肩に寄せる。篤樹は慌ててその手を除けて立ち上がる。
「な、なんか飲み物無かったけ?…… 喉渇いたなぁ」
「あ、そこの箱に水筒入ってるよ」
エシャーがレイラの横の箱を指差す。篤樹は指された箱から水筒を取り出し、急いで一口飲んでむせる。
「なあにアッキー! 汚ったなーい!」
エシャーが笑いながら 茶化して来る。レイラはニヤニヤと篤樹を見ていた。あ、なんか嫌な視線だなぁ……篤樹は姉が意地悪を言う瞬間の表情を思い出した。案の定、レイラが口を開く。
「ねえ、エシャー? あなたたちは結婚するの?」
「え? 誰と?」
エシャーがキョトンとした顔でレイラに聞き返す。篤樹は馬車の 揺れと緊張でその場にヘナヘナと腰を下ろした。
「あなたとアツキよ。仲良いんでしょ?」
な、なんだ? 急に何を言い出すんだこの人は!
篤樹は言葉を失った。恐る恐るエシャーに視線を向けると、エシャーは大きな目をさらに大きく見開いてジッと篤樹を見ている。ほら! ヤバイって!
「うーん、分かんない……『結婚』とか。でも、お母さんとお父さんは『結婚』してたし、楽しそうだったから……私も『結婚』はしたいなぁ。でもまだよく分かんないよ。ね? アッキー」
エシャーはまるで「どこに遊びに行くの?」と親から 訊かれた子どものように軽く答える。レイラはサッとエシャーと篤樹の顔を見比べてフフフッと笑う。
篤樹も、ここは何か言わないと! と口を開いた。
「そ、そうですよ! 分かりません! 何にも! ぼ、僕は今……まだこの世界の事も何にも分からないし……『向こう』に帰れるのか帰れないのかとか……そ、それに『守りの盾』の事とかもあるし!……大体、まだ1週間しか経って無いんですよ。僕とエシャーが出会って!」
そうだ。まだ1週間……たった1週間しか経ってないんだ。あの事故で「こっちの世界」に来て、エシャーと出会って……村が襲われて……
レイラはいつになく「温かい目」を篤樹に向け微笑んだ。
「そうね。『まだ』分からないわよねぇ……」
意味深な強調をつけるレイラを、篤樹はジト目で睨む。
「でも仲良しだよ、ね?」
エシャーは2人とは少しズレた感覚で篤樹との「仲良し」をアピールする。
そりゃ……命の恩人だし、同じ年の友だちだし、嫌いなワケ無いし……
篤樹はウンウンと同意の 頷きを返した。レイラは「面白いおもちゃ」を手に入れたかのように、満足げな笑みを浮かべる。
「レイラさん! ちょっと良いですか!」
御者台からエルグレドがレイラを呼ぶ声が聞こえた。レイラは「あら? 珍しい……」とでも言うように 片眉を上げ、立ち上がると荷台前方に移動する。
「あら?」
エルグレドが理由を述べる前に、レイラは 事態を 把握した。
「かなり……強いのが来そうですわね?」
前方の空に真っ黒な 雨雲が広がり始めているのが見える。
「今日はもう少し進みたかったんですが……馬の雨除けも作らないといけないので……シートとロープを準備しておいて下さいますか。 適当な場所まで行って止めますから。この時間だと……今夜はそのままそこで野宿になります。2人にも手伝ってもらって下さい」
レイラがほろの中に戻ると、篤樹が尋ねた。
「何でした?」
「ちょっと 激しい雷雨になりそうよ。準備をするからお手伝いをよろしくね」
篤樹とエシャーはほろの前方の開きへ顔を向ける。真っ黒な雲が前方の空一面に広がり、 稲光を交えながらグングンこちらに近づいて来ていた。
10
お気に入りに追加
78
あなたにおすすめの小説
異世界に召喚されたが「間違っちゃった」と身勝手な女神に追放されてしまったので、おまけで貰ったスキルで凡人の俺は頑張って生き残ります!
椿紅颯
ファンタジー
神乃勇人(こうのゆうと)はある日、女神ルミナによって異世界へと転移させられる。
しかしまさかのまさか、それは誤転移ということだった。
身勝手な女神により、たった一人だけ仲間外れにされた挙句の果てに粗雑に扱われ、ほぼ投げ捨てられるようなかたちで異世界の地へと下ろされてしまう。
そんな踏んだり蹴ったりな、凡人主人公がおりなす異世界ファンタジー!
日本列島、時震により転移す!
黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。
くじ引きで決められた転生者 ~スローライフを楽しんでって言ったのに邪神を討伐してほしいってどゆこと!?~
はなとすず
ファンタジー
僕の名前は高橋 悠真(たかはし ゆうま)
神々がくじ引きで決めた転生者。
「あなたは通り魔に襲われた7歳の女の子を庇い、亡くなりました。我々はその魂の清らかさに惹かれました。あなたはこの先どのような選択をし、どのように生きるのか知りたくなってしまったのです。ですがあなたは地球では消えてしまった存在。ですので異世界へ転生してください。我々はあなたに試練など与える気はありません。どうぞ、スローライフを楽しんで下さい」
って言ったのに!なんで邪神を討伐しないといけなくなったんだろう…
まぁ、早く邪神を討伐して残りの人生はスローライフを楽しめばいいか
【しっかり書き換え版】『異世界でたった1人の日本人』~ 異世界で日本の神の加護を持つたった1人の男~
石のやっさん
ファンタジー
12/17 13時20分 HOT男性部門1位 ファンタジー日間 1位 でした。
ありがとうございます
主人公の神代理人(かみしろ りひと)はクラスの異世界転移に巻き込まれた。
転移前に白い空間にて女神イシュタスがジョブやスキルを与えていたのだが、理人の番が来た時にイシュタスの顔色が変わる。「貴方神臭いわね」そう言うと理人にだけジョブやスキルも与えずに異世界に転移をさせた。
ジョブやスキルの無い事から早々と城から追い出される事が決まった、理人の前に天照の分体、眷属のアマ=テラス事『テラスちゃん』が現れた。
『異世界の女神は誘拐犯なんだ』とリヒトに話し、神社の宮司の孫の理人に異世界でも生きられるように日本人ならではの力を授けてくれた。
ここから『異世界でたった1人の日本人、理人の物語』がスタートする
「『異世界でたった1人の日本人』 私達を蔑ろにしチート貰ったのだから返して貰いますね」が好評だったのですが...昔に書いて小説らしくないのでしっかり書き始めました。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
転生社畜、転生先でも社畜ジョブ「書記」でブラック労働し、20年。前人未到のジョブレベルカンストからの大覚醒成り上がり!
nineyu
ファンタジー
男は絶望していた。
使い潰され、いびられ、社畜生活に疲れ、気がつけば死に場所を求めて樹海を歩いていた。
しかし、樹海の先は異世界で、転生の影響か体も若返っていた!
リスタートと思い、自由に暮らしたいと思うも、手に入れていたスキルは前世の影響らしく、気がつけば変わらない社畜生活に、、
そんな不幸な男の転機はそこから20年。
累計四十年の社畜ジョブが、遂に覚醒する!!
天日ノ艦隊 〜こちら大和型戦艦、異世界にて出陣ス!〜
八風ゆず
ファンタジー
時は1950年。
第一次世界大戦にあった「もう一つの可能性」が実現した世界線。1950年4月7日、合同演習をする為航行中、大和型戦艦三隻が同時に左舷に転覆した。
大和型三隻は沈没した……、と思われた。
だが、目覚めた先には我々が居た世界とは違った。
大海原が広がり、見たことのない数多の国が支配者する世界だった。
祖国へ帰るため、大海原が広がる異世界を旅する大和型三隻と別世界の艦船達との異世界戦記。
※異世界転移が何番煎じか分からないですが、書きたいのでかいています!
面白いと思ったらブックマーク、感想、評価お願いします!!※
※戦艦など知らない人も楽しめるため、解説などを出し努力しております。是非是非「知識がなく、楽しんで読めるかな……」っと思ってる方も読んでみてください!※
積みかけアラフォーOL、公爵令嬢に転生したのでやりたいことをやって好きに生きる!
ぽらいと
ファンタジー
アラフォー、バツ2派遣OLが公爵令嬢に転生したので、やりたいことを好きなようにやって過ごす、というほのぼの系の話。
悪役等は一切出てこない、優しい世界のお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる