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第1章 旅立ちの日 編
第 51 話 不測の質問
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「みなさーん! いつまで 惰眠を貪っていらっしゃるの! 朝ですわよー!」
扉を 叩くレイラの声で篤樹は目を覚ます。エルグレドも寝返りを打ち、ガバッ! と起き上がると、そのままベッドサイドの時計を手に持ち時間を確かめた。
「……まったく……まだ6時半にもなっていないじゃないですか……」
「ほらぁ、起きてくださいな。ミーティングを始めましょう!」
エルグレドは不機嫌な表情でベッドを下り、部屋の扉を開く。
「目覚ましはセットしています。6時半にね! 7時から朝食ですから下で後ほど会いましょう!」
「あら? 隊長さんは低血圧? 朝は 御機嫌ななめですわねぇ?」
「後ほど下で!」
エルグレドは扉をバンッ! と閉め、そのままベッドに倒れ込む。再び扉が叩かれた。
「あっ、僕出ます!」
扉ごと攻撃魔法でレイラを吹き飛ばしかねない怒りの 眼差しをエルグレドから感じた篤樹は、急いでベッドから出て行き扉を開く。
「……アッキー……ふぁ……おはよー。散歩に行こぉ……」
まだ眠そうな目をこすりながらエシャーが立っていた。
「あ、おはよう。ちょっと待ってて」
篤樹は部屋に戻ると、急いで服を整え外套を羽織る。
「ちょっと行ってきます。7時に食堂で……」
ベッドで再び横になっているエルグレドに声をかけた。エルグレドは向こう側を向いたまま手を上げ「バイバイ」をする。篤樹はそっと扉を閉めて部屋を出た。
「早いねぇ、エシャー」
「レイラが一時間前から……ふわぁっ……ずっと起こして来たの」
「で、その迷惑姉ェさんは?」
「もう外に出て行ったー」
2人は宿の扉を開く。宿の中では感じなかったが外気は冷たい。寝起きの身体との温度差で篤樹は 身震いをした。
「アッキー、寒いの?」
エシャーは腕が出ている薄手の服で、外套も羽織っていないのに平気そうだ。
「うん。平気なの?」
「う……う~んッと! 平気! スッキリする!」
丘陵地にあるテリペ村の朝は、 霧がかった湿気の多い、少しひんやりした朝の空気に包まれていた。今日も良い天気になりそうだ、と篤樹は肌で感じる。
「7時に食堂でって事だから……あんまり遠くまで行かないでこの辺を散歩しよっか?」
篤樹はエルグレドのこめかみに浮かぶ血管を想像しエシャーに提案する。
「じゃあ、今日はこっちに行こっ!」
エシャーは宿前の道に立ち、右のほうを指差した。「囲い柵」が4ブロックほど先まで見える。1kmも無いな……でも向こうまで行くとさすがに遠いか……篤樹はゆっくり道に出る。
「じゃ、今日は競争無しで、ね」
2人は辺りの村の景色を楽しみながらのんびりと歩き始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「 清々しい朝でしたわ! 素敵な村ですわねぇ!」
食堂のテーブルについたレイラは、食事を運んで来てくれた宿の 女将に上機嫌で声をかけた。女将は嬉しそうに「ええ、ええ」と相槌を打ちながらテキパキとテーブルを整える。
「焼きたてのパンですよ。しっかりお食べくださいな」
カゴに入った、まだ湯気の立つパンの山を運び終えると、女将は台所へ下がった。
「まあ、素敵な朝食ですこと! すっかりお腹も空きましたわ。さ、いただきましょう!」
レイラは上機嫌で食事を始める。 色彩豊かな数種類の新鮮野菜が盛られたサラダ、湯気の立つボイルウインナー、ゆで卵に、カリカリのベーコンが 添えられたスクランブルエッグ、2種類のスープボウルから各自自由に注ぎ分けるカップスープ……レイラは手際よく人数分の皿に取り分けていく。
「あら? 隊長さん。いかがなされたの? ご気分が悪そうですわ?」
エルグレドはテーブルに 片肘をつき、頭を抱えている。
「具合は悪くはありません……ご心配なく……」
明らかに不機嫌な声で答える。朝の散歩から戻り、頭も身体もスッキリしている篤樹とエシャーは顔を見合わせた。
「ね? レイラさぁ……昨日の夜のこと……覚えてる?」
「え? 昨夜? 何か特別なことがあったかしら?」
食事を取り分け終えて着座したレイラは、エシャーの質問を気にもかけずにさっさとサラダを口に運ぶ。
「まあ! シャキシャキ!」
「あ、あのぉ……レイラさん? レイラさんってお酒って飲まれますか?」
レイラはパンに手を伸ばしながら横目で篤樹を見る。
「お酒? 好きよ。あまり飲む機会はないけれどね。なぜ?」
篤樹はエシャーと目配せした。エルグレドは口元に笑みを浮かべながらも、明らかに 不快な声で語りかける。
「昨夜のレイラさんの提案を受け、 探索ルートを変更したんですが……ご提案下さった内容は覚えておいででしょうか?」
「提案?」
レイラはパンをスープに 浸し、口に運ぶとナフキンで指先を 拭きながら答える。
「ええ。『タクヤの塔』へ向かうのも一案ではなくて? と御提案したことなら……結局、どうなさる事に決まったのでしたっけ?」
「ミシュバット遺跡の『結びの広場』を調べた後、そのまま北上して『タクヤの塔』へ行くルートに変更しましたよ。覚えておられませんか?」
エルグレドが引きつった笑顔で 尋ねる。
「まあ、いつの間に……でも 英断ですわ、隊長さん」
レイラは 微笑返しで答えると、スクランブルエッグをレタスで巻いて口へと運ぶ。
「ええ……。『壊れた玄関』を馬鹿みたいに何箇所見て回っても同じですからね」
レイラがキョトンとした目でエルグレドを見る。
「何をおっしゃってるのか分かりませんが、早くいただかないと出発が遅れますわよ、隊長さん」
篤樹とエシャーはエルグレドの顔色を 伺う。微笑みながらレイラを見つめているが、アレは明らかに怒りの感情を 抑えている「笑顔」だと2人は読み取った。
朝食を 兼ねてのミーティングを進め、全員食事を済ませる。食後に食堂のメニュー表に気付いたレイラが提案した。
「あら? 村の特製ドリンクですって。一杯お願いしようかしら? 皆さんもいかが?」
エルグレドの表情に気付いた篤樹とエシャーは、必死でレイラの提案を 阻止した。
―・―・―・―・―・―・―
「無自覚とは驚きました!『森の賢者』が、自分の言動にあれほど無責任だったとは! 私は改めて失望しましたよ!」
エルグレドは馬車の 手綱を握り、前方を見ながら篤樹に 愚痴を聞かせ続ける。過去の偉大なエルフや、森の賢者の伝説をいくつも例に挙げながら……
「先人方の 誉れを貶める愚者ですよ! あれは!」
昨夜の 暴言に加え、今朝のお節介な起床案内にもエルグレドは 随分と御立腹の様子だ。隣に座る篤樹は、ほろの中に座っているレイラにも聞こえてまた 一悶着起こるのではないかと気が気ではない。
しかしそんな心配を他所に、ほろの中ではレイラとエシャーが何やら楽しそうに話をしている。2人の様子を 覗いている篤樹に気付いたレイラが声をかけて来た。
「あなたもこちらにいらっしゃる? 少しお話ししましょうよ」
え? レイラさんから誘ってくれるなんて……
篤樹はエルグレドを見た。エルグレドは前を向いたまま口を開く。
「『しらふのエルフ』からであれば『 賢者』のお話を学べるかも知れませんね。どうぞ。私も『早起き』させていただいたので眠気はありませんから」
エルグレドさん、根に持ってるなぁ……
「じゃあ……」と小さく答え、篤樹はほろの中に移動した。レイラとエシャーが、それぞれ荷台の左右に分かれて向き合う形で座っている。篤樹はどこに座ろうかと一瞬考えた。
「アッキー、ここ!」
エシャーが自分の横の袋をポンポンと叩く。着替えが入れてある袋なのでクッションにもなる。篤樹は袋の上に腰を下ろした。
「レイラさん……あの……エルグレドさん、怒ってますよ?」
篤樹は余計な事かと思いつつ、恐る恐るレイラに声をかける。
「エシャーに聞いたわ。私、隊長さんにヒドイ物言いだったらしいわね」
レイラは楽しそうに微笑みながら答えた。
「ヒドイ物言いっていうか……」
「レイラすごかったよぉ! とってもガラが悪かった! おじい様からお話で聞いた 酔っ払いのドワーフみたいだった!」
「まあ、ドワーフとは失礼ね!……そんなにヒドかったのかしら?」
レイラの問いかけのような 眼差しに、篤樹はウンウンとうなずく。
「僕の世界だと『 絡み 上戸』って呼ばれるタイプの酔っ払いだと思います。言いたい事を言うだけ言って寝ちゃうし……言った内容は覚えてるのに、自分がどんな状態だったかは覚えてないってのは……」
「220年も生きてると色々と 溜まるものなのよ。でも、それを自己昇華出来ないってことは、私もまだまだ若いってことね。 嬉しいわ」
え? 嬉しいんだ、それ。篤樹はレイラの感性に驚いた。
「エルフもね、200歳になる頃にはみんな色んな『 諦め』が身に付いてくるものよ。それを『 悟り』とか『 賢者の思考』なんて言われる方々おられるけど……何だかそれは違う気がするのよねぇ。色んな事が分かって、色んな体験・経験をして……で、『自分の限界・エルフの限界』に気付いた後は、諦めたまま何百年も残りの人生をただ生きるだけなんて……真に『 賢い者』が歩む生き方ではないわ」
レイラは「悟り切ったような笑み」を浮かべながら語る。
「それに私、別にお酒に弱いわけではなくてよ? お酒が入ってると『知らずに』飲んだせいね。意識の準備不足が招いた失態……ということですわ」
悪びれるでもなく「当然の結果」であったようにサラッとレイラは言ってのけた。篤樹はついでに、疑問に思っていたことをレイラに尋ねてみる。
「あの……レイラさんはカミーラ大使の『子ども』だって言われてましたけど……」
「そうよ。ま、エルフの『家族構成』は人間のそれとは違うから……理解は難しいでしょうけどね。私の母のお相手が大使……関係を結んだ頃は、まだ前大使の 補佐役か何かだったらしいけど」
「家族で一緒に暮らしたりしないの?」
エシャーが 訊く。
「エシャーたちルエルフは寿命が人間と同じだから『家族形成』ってものがあるんでしょうけど、エルフは1000年の寿命だからね……成長進度も少し違うのよ。最初の頃の成長は早いわ。人間と同じくらい。自分で狩りが出来るようになるまで10年ほどね。その後、段々成長期間が長くなるのよ。100歳頃に今のあなたたちくらいまで成長し、後はゆっくり……。私が生まれた時の父は300歳くらいね。母はその頃130歳よ。そんな男女が何十年も何百年も一緒にいたいなんて思わないわ。生まれた子どもは一族全体で 育むの。狩りが1人で出来る頃からは、それぞれが自分の人生を歩みだすのが普通のエルフの生活よ」
生きてる期間の長さの違いで、生き方や家族に対する気持ちが全然違うんだなぁ……篤樹は改めて「違う種族」としてレイラを見た。
「そんなんだから、 性欲だとか性関心も低いのよ、エルフは。何と言っても『賢者』ですからね。経験するのも数回で十分って気分になるから、肉体関係を持つ機会は少ないわ。だからエルフはいつまで経っても少数種族のままなのよね」
篤樹は「お 姉ェ様」の赤裸々なエルフ 性分析を聞きな、段々恥ずかしくなって視線をそらす。
「そういえば、私の村の子どもも少なかった! 周りはみんな年上か年下だったもん」
エシャーは特に気にせずに 身上を語る。
「だから……アッキーが来た時、 驚いたけど嬉しかったんだ! 友だちが出来たって!」
そう言うと篤樹の右手を 握り、頭を肩に寄せる。篤樹は 慌ててその手を 除けて立ち上がる。
「な、なんか飲み物無かったけ?…… 喉渇いたなぁ」
「あ、そこの箱に水筒入ってるよ」
エシャーがレイラの横の箱を指差す。篤樹は指された箱から水筒を取り出し、急いで一口飲んでむせる。
「なあにアッキー! 汚ったなーい!」
エシャーが笑いながら 茶化して来る。レイラはニヤニヤと篤樹を見ていた。あ、なんか嫌な視線だなぁ……篤樹は姉が意地悪を言う瞬間の表情を思い出した。案の定、レイラが口を開く。
「ねえ、エシャー? あなたたちは結婚するの?」
「え? 誰と?」
エシャーがキョトンとした顔でレイラに聞き返す。篤樹は馬車の 揺れと 緊張でその場にヘナヘナと腰を下ろした。
「あなたとアツキよ。仲良いんでしょ?」
な、なんだ? 急に何を言い出すんだこの人は!
篤樹は言葉を失った。恐る恐るエシャーに視線を向けると、エシャーは大きな目をさらに大きく見開いてジッと篤樹を見ている。ほら! ヤバイって!
「うーん、分かんない……『結婚』とか。でも、お母さんとお父さんは『結婚』してたし、楽しそうだったから……私も『結婚』はしたいなぁ。でもまだよく分かんないよ。ね? アッキー」
エシャーはまるで「どこに遊びに行くの?」と親から 訊かれた子どものように軽く答える。レイラはサッとエシャーと篤樹の顔を見比べてフフフッと笑う。
篤樹も、ここは何か言わないと! と口を開いた。
「そ、そうですよ! 分かりません! 何にも! ぼ、僕は今……まだこの世界の事も何にも分からないし……『向こう』に帰れるのか帰れないのかとか……そ、それに『守りの盾』の事とかもあるし!……大体、まだ1週間しか経って無いんですよ。僕とエシャーが出会って!」
そうだ。まだ1週間……たった1週間しか経ってないんだ。あの事故で「こっちの世界」に来て、エシャーと出会って……村が襲われて……
レイラはいつになく「温かい目」を篤樹に向け微笑んだ。
「そうね。『まだ』分からないわよねぇ……」
意味深な強調をつけるレイラを、篤樹はジト目で睨む。
「でも仲良しだよ、ね?」
エシャーは2人とは少しズレた感覚で篤樹との「仲良し」をアピールする。
そりゃ……命の恩人だし、同じ年の友だちだし、嫌いなワケ無いし……
篤樹はウンウンと同意の 頷きを返した。レイラは「面白いおもちゃ」を手に入れたかのように、満足げな笑みを浮かべる。
「レイラさん! ちょっと良いですか!」
御者台からエルグレドがレイラを呼ぶ声が聞こえた。レイラは「あら? 珍しい……」とでも言うように 片眉を上げ、立ち上がると荷台前方に移動する。
「あら?」
エルグレドが理由を述べる前に、レイラは 事態を 把握した。
「かなり……強いのが来そうですわね?」
前方の空に真っ黒な 雨雲が広がり始めているのが見える。
「今日はもう少し進みたかったんですが……馬の 雨除けも作らないといけないので……シートとロープを準備しておいて下さいますか。 適当な場所まで行って止めますから。この時間だと……今夜はそのままそこで野宿になります。2人にも手伝ってもらって下さい」
レイラがほろの中に戻ると、篤樹が尋ねた。
「何でした?」
「ちょっと 激しい雷雨になりそうよ。準備をするからお手伝いをよろしくね」
篤樹とエシャーはほろの前方の開きへ顔を向ける。真っ黒な雲が前方の空一面に広がり、 稲光を交えながらグングンこちらに近づいて来ていた。
扉を 叩くレイラの声で篤樹は目を覚ます。エルグレドも寝返りを打ち、ガバッ! と起き上がると、そのままベッドサイドの時計を手に持ち時間を確かめた。
「……まったく……まだ6時半にもなっていないじゃないですか……」
「ほらぁ、起きてくださいな。ミーティングを始めましょう!」
エルグレドは不機嫌な表情でベッドを下り、部屋の扉を開く。
「目覚ましはセットしています。6時半にね! 7時から朝食ですから下で後ほど会いましょう!」
「あら? 隊長さんは低血圧? 朝は 御機嫌ななめですわねぇ?」
「後ほど下で!」
エルグレドは扉をバンッ! と閉め、そのままベッドに倒れ込む。再び扉が叩かれた。
「あっ、僕出ます!」
扉ごと攻撃魔法でレイラを吹き飛ばしかねない怒りの 眼差しをエルグレドから感じた篤樹は、急いでベッドから出て行き扉を開く。
「……アッキー……ふぁ……おはよー。散歩に行こぉ……」
まだ眠そうな目をこすりながらエシャーが立っていた。
「あ、おはよう。ちょっと待ってて」
篤樹は部屋に戻ると、急いで服を整え外套を羽織る。
「ちょっと行ってきます。7時に食堂で……」
ベッドで再び横になっているエルグレドに声をかけた。エルグレドは向こう側を向いたまま手を上げ「バイバイ」をする。篤樹はそっと扉を閉めて部屋を出た。
「早いねぇ、エシャー」
「レイラが一時間前から……ふわぁっ……ずっと起こして来たの」
「で、その迷惑姉ェさんは?」
「もう外に出て行ったー」
2人は宿の扉を開く。宿の中では感じなかったが外気は冷たい。寝起きの身体との温度差で篤樹は 身震いをした。
「アッキー、寒いの?」
エシャーは腕が出ている薄手の服で、外套も羽織っていないのに平気そうだ。
「うん。平気なの?」
「う……う~んッと! 平気! スッキリする!」
丘陵地にあるテリペ村の朝は、 霧がかった湿気の多い、少しひんやりした朝の空気に包まれていた。今日も良い天気になりそうだ、と篤樹は肌で感じる。
「7時に食堂でって事だから……あんまり遠くまで行かないでこの辺を散歩しよっか?」
篤樹はエルグレドのこめかみに浮かぶ血管を想像しエシャーに提案する。
「じゃあ、今日はこっちに行こっ!」
エシャーは宿前の道に立ち、右のほうを指差した。「囲い柵」が4ブロックほど先まで見える。1kmも無いな……でも向こうまで行くとさすがに遠いか……篤樹はゆっくり道に出る。
「じゃ、今日は競争無しで、ね」
2人は辺りの村の景色を楽しみながらのんびりと歩き始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「 清々しい朝でしたわ! 素敵な村ですわねぇ!」
食堂のテーブルについたレイラは、食事を運んで来てくれた宿の 女将に上機嫌で声をかけた。女将は嬉しそうに「ええ、ええ」と相槌を打ちながらテキパキとテーブルを整える。
「焼きたてのパンですよ。しっかりお食べくださいな」
カゴに入った、まだ湯気の立つパンの山を運び終えると、女将は台所へ下がった。
「まあ、素敵な朝食ですこと! すっかりお腹も空きましたわ。さ、いただきましょう!」
レイラは上機嫌で食事を始める。 色彩豊かな数種類の新鮮野菜が盛られたサラダ、湯気の立つボイルウインナー、ゆで卵に、カリカリのベーコンが 添えられたスクランブルエッグ、2種類のスープボウルから各自自由に注ぎ分けるカップスープ……レイラは手際よく人数分の皿に取り分けていく。
「あら? 隊長さん。いかがなされたの? ご気分が悪そうですわ?」
エルグレドはテーブルに 片肘をつき、頭を抱えている。
「具合は悪くはありません……ご心配なく……」
明らかに不機嫌な声で答える。朝の散歩から戻り、頭も身体もスッキリしている篤樹とエシャーは顔を見合わせた。
「ね? レイラさぁ……昨日の夜のこと……覚えてる?」
「え? 昨夜? 何か特別なことがあったかしら?」
食事を取り分け終えて着座したレイラは、エシャーの質問を気にもかけずにさっさとサラダを口に運ぶ。
「まあ! シャキシャキ!」
「あ、あのぉ……レイラさん? レイラさんってお酒って飲まれますか?」
レイラはパンに手を伸ばしながら横目で篤樹を見る。
「お酒? 好きよ。あまり飲む機会はないけれどね。なぜ?」
篤樹はエシャーと目配せした。エルグレドは口元に笑みを浮かべながらも、明らかに 不快な声で語りかける。
「昨夜のレイラさんの提案を受け、 探索ルートを変更したんですが……ご提案下さった内容は覚えておいででしょうか?」
「提案?」
レイラはパンをスープに 浸し、口に運ぶとナフキンで指先を 拭きながら答える。
「ええ。『タクヤの塔』へ向かうのも一案ではなくて? と御提案したことなら……結局、どうなさる事に決まったのでしたっけ?」
「ミシュバット遺跡の『結びの広場』を調べた後、そのまま北上して『タクヤの塔』へ行くルートに変更しましたよ。覚えておられませんか?」
エルグレドが引きつった笑顔で 尋ねる。
「まあ、いつの間に……でも 英断ですわ、隊長さん」
レイラは 微笑返しで答えると、スクランブルエッグをレタスで巻いて口へと運ぶ。
「ええ……。『壊れた玄関』を馬鹿みたいに何箇所見て回っても同じですからね」
レイラがキョトンとした目でエルグレドを見る。
「何をおっしゃってるのか分かりませんが、早くいただかないと出発が遅れますわよ、隊長さん」
篤樹とエシャーはエルグレドの顔色を 伺う。微笑みながらレイラを見つめているが、アレは明らかに怒りの感情を 抑えている「笑顔」だと2人は読み取った。
朝食を 兼ねてのミーティングを進め、全員食事を済ませる。食後に食堂のメニュー表に気付いたレイラが提案した。
「あら? 村の特製ドリンクですって。一杯お願いしようかしら? 皆さんもいかが?」
エルグレドの表情に気付いた篤樹とエシャーは、必死でレイラの提案を 阻止した。
―・―・―・―・―・―・―
「無自覚とは驚きました!『森の賢者』が、自分の言動にあれほど無責任だったとは! 私は改めて失望しましたよ!」
エルグレドは馬車の 手綱を握り、前方を見ながら篤樹に 愚痴を聞かせ続ける。過去の偉大なエルフや、森の賢者の伝説をいくつも例に挙げながら……
「先人方の 誉れを貶める愚者ですよ! あれは!」
昨夜の 暴言に加え、今朝のお節介な起床案内にもエルグレドは 随分と御立腹の様子だ。隣に座る篤樹は、ほろの中に座っているレイラにも聞こえてまた 一悶着起こるのではないかと気が気ではない。
しかしそんな心配を他所に、ほろの中ではレイラとエシャーが何やら楽しそうに話をしている。2人の様子を 覗いている篤樹に気付いたレイラが声をかけて来た。
「あなたもこちらにいらっしゃる? 少しお話ししましょうよ」
え? レイラさんから誘ってくれるなんて……
篤樹はエルグレドを見た。エルグレドは前を向いたまま口を開く。
「『しらふのエルフ』からであれば『 賢者』のお話を学べるかも知れませんね。どうぞ。私も『早起き』させていただいたので眠気はありませんから」
エルグレドさん、根に持ってるなぁ……
「じゃあ……」と小さく答え、篤樹はほろの中に移動した。レイラとエシャーが、それぞれ荷台の左右に分かれて向き合う形で座っている。篤樹はどこに座ろうかと一瞬考えた。
「アッキー、ここ!」
エシャーが自分の横の袋をポンポンと叩く。着替えが入れてある袋なのでクッションにもなる。篤樹は袋の上に腰を下ろした。
「レイラさん……あの……エルグレドさん、怒ってますよ?」
篤樹は余計な事かと思いつつ、恐る恐るレイラに声をかける。
「エシャーに聞いたわ。私、隊長さんにヒドイ物言いだったらしいわね」
レイラは楽しそうに微笑みながら答えた。
「ヒドイ物言いっていうか……」
「レイラすごかったよぉ! とってもガラが悪かった! おじい様からお話で聞いた 酔っ払いのドワーフみたいだった!」
「まあ、ドワーフとは失礼ね!……そんなにヒドかったのかしら?」
レイラの問いかけのような 眼差しに、篤樹はウンウンとうなずく。
「僕の世界だと『 絡み 上戸』って呼ばれるタイプの酔っ払いだと思います。言いたい事を言うだけ言って寝ちゃうし……言った内容は覚えてるのに、自分がどんな状態だったかは覚えてないってのは……」
「220年も生きてると色々と 溜まるものなのよ。でも、それを自己昇華出来ないってことは、私もまだまだ若いってことね。 嬉しいわ」
え? 嬉しいんだ、それ。篤樹はレイラの感性に驚いた。
「エルフもね、200歳になる頃にはみんな色んな『 諦め』が身に付いてくるものよ。それを『 悟り』とか『 賢者の思考』なんて言われる方々おられるけど……何だかそれは違う気がするのよねぇ。色んな事が分かって、色んな体験・経験をして……で、『自分の限界・エルフの限界』に気付いた後は、諦めたまま何百年も残りの人生をただ生きるだけなんて……真に『 賢い者』が歩む生き方ではないわ」
レイラは「悟り切ったような笑み」を浮かべながら語る。
「それに私、別にお酒に弱いわけではなくてよ? お酒が入ってると『知らずに』飲んだせいね。意識の準備不足が招いた失態……ということですわ」
悪びれるでもなく「当然の結果」であったようにサラッとレイラは言ってのけた。篤樹はついでに、疑問に思っていたことをレイラに尋ねてみる。
「あの……レイラさんはカミーラ大使の『子ども』だって言われてましたけど……」
「そうよ。ま、エルフの『家族構成』は人間のそれとは違うから……理解は難しいでしょうけどね。私の母のお相手が大使……関係を結んだ頃は、まだ前大使の 補佐役か何かだったらしいけど」
「家族で一緒に暮らしたりしないの?」
エシャーが 訊く。
「エシャーたちルエルフは寿命が人間と同じだから『家族形成』ってものがあるんでしょうけど、エルフは1000年の寿命だからね……成長進度も少し違うのよ。最初の頃の成長は早いわ。人間と同じくらい。自分で狩りが出来るようになるまで10年ほどね。その後、段々成長期間が長くなるのよ。100歳頃に今のあなたたちくらいまで成長し、後はゆっくり……。私が生まれた時の父は300歳くらいね。母はその頃130歳よ。そんな男女が何十年も何百年も一緒にいたいなんて思わないわ。生まれた子どもは一族全体で 育むの。狩りが1人で出来る頃からは、それぞれが自分の人生を歩みだすのが普通のエルフの生活よ」
生きてる期間の長さの違いで、生き方や家族に対する気持ちが全然違うんだなぁ……篤樹は改めて「違う種族」としてレイラを見た。
「そんなんだから、 性欲だとか性関心も低いのよ、エルフは。何と言っても『賢者』ですからね。経験するのも数回で十分って気分になるから、肉体関係を持つ機会は少ないわ。だからエルフはいつまで経っても少数種族のままなのよね」
篤樹は「お 姉ェ様」の赤裸々なエルフ 性分析を聞きな、段々恥ずかしくなって視線をそらす。
「そういえば、私の村の子どもも少なかった! 周りはみんな年上か年下だったもん」
エシャーは特に気にせずに 身上を語る。
「だから……アッキーが来た時、 驚いたけど嬉しかったんだ! 友だちが出来たって!」
そう言うと篤樹の右手を 握り、頭を肩に寄せる。篤樹は 慌ててその手を 除けて立ち上がる。
「な、なんか飲み物無かったけ?…… 喉渇いたなぁ」
「あ、そこの箱に水筒入ってるよ」
エシャーがレイラの横の箱を指差す。篤樹は指された箱から水筒を取り出し、急いで一口飲んでむせる。
「なあにアッキー! 汚ったなーい!」
エシャーが笑いながら 茶化して来る。レイラはニヤニヤと篤樹を見ていた。あ、なんか嫌な視線だなぁ……篤樹は姉が意地悪を言う瞬間の表情を思い出した。案の定、レイラが口を開く。
「ねえ、エシャー? あなたたちは結婚するの?」
「え? 誰と?」
エシャーがキョトンとした顔でレイラに聞き返す。篤樹は馬車の 揺れと 緊張でその場にヘナヘナと腰を下ろした。
「あなたとアツキよ。仲良いんでしょ?」
な、なんだ? 急に何を言い出すんだこの人は!
篤樹は言葉を失った。恐る恐るエシャーに視線を向けると、エシャーは大きな目をさらに大きく見開いてジッと篤樹を見ている。ほら! ヤバイって!
「うーん、分かんない……『結婚』とか。でも、お母さんとお父さんは『結婚』してたし、楽しそうだったから……私も『結婚』はしたいなぁ。でもまだよく分かんないよ。ね? アッキー」
エシャーはまるで「どこに遊びに行くの?」と親から 訊かれた子どものように軽く答える。レイラはサッとエシャーと篤樹の顔を見比べてフフフッと笑う。
篤樹も、ここは何か言わないと! と口を開いた。
「そ、そうですよ! 分かりません! 何にも! ぼ、僕は今……まだこの世界の事も何にも分からないし……『向こう』に帰れるのか帰れないのかとか……そ、それに『守りの盾』の事とかもあるし!……大体、まだ1週間しか経って無いんですよ。僕とエシャーが出会って!」
そうだ。まだ1週間……たった1週間しか経ってないんだ。あの事故で「こっちの世界」に来て、エシャーと出会って……村が襲われて……
レイラはいつになく「温かい目」を篤樹に向け微笑んだ。
「そうね。『まだ』分からないわよねぇ……」
意味深な強調をつけるレイラを、篤樹はジト目で睨む。
「でも仲良しだよ、ね?」
エシャーは2人とは少しズレた感覚で篤樹との「仲良し」をアピールする。
そりゃ……命の恩人だし、同じ年の友だちだし、嫌いなワケ無いし……
篤樹はウンウンと同意の 頷きを返した。レイラは「面白いおもちゃ」を手に入れたかのように、満足げな笑みを浮かべる。
「レイラさん! ちょっと良いですか!」
御者台からエルグレドがレイラを呼ぶ声が聞こえた。レイラは「あら? 珍しい……」とでも言うように 片眉を上げ、立ち上がると荷台前方に移動する。
「あら?」
エルグレドが理由を述べる前に、レイラは 事態を 把握した。
「かなり……強いのが来そうですわね?」
前方の空に真っ黒な 雨雲が広がり始めているのが見える。
「今日はもう少し進みたかったんですが……馬の 雨除けも作らないといけないので……シートとロープを準備しておいて下さいますか。 適当な場所まで行って止めますから。この時間だと……今夜はそのままそこで野宿になります。2人にも手伝ってもらって下さい」
レイラがほろの中に戻ると、篤樹が尋ねた。
「何でした?」
「ちょっと 激しい雷雨になりそうよ。準備をするからお手伝いをよろしくね」
篤樹とエシャーはほろの前方の開きへ顔を向ける。真っ黒な雲が前方の空一面に広がり、 稲光を交えながらグングンこちらに近づいて来ていた。
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