1 / 1
金色夜叉(こんじきやしゃ)
しおりを挟む
ある高校である。
そこは野球の強豪校である。
野球部は、ほとんど、毎年、確実に、甲子園に出場している。
強豪校に入れば、甲子園に出られるから、将来、プロ野球選手を目指す、中学生は、強豪校に入りたがるので、全国から、野球の強い生徒が、集まるから、高校は、何もしなくても、ますます、強豪校となっていく。
これを、強豪校の、「神の見えざる手」の法則という。
ある年の、野球部である。
初夏の頃である。
三年には、最速160km/hのストレートを、投げられる、エースの富山唯継がいた。
野球部、そして、富山は、去年も、そして、その前年も、甲子園に出場した。
彼は、バッティングも出来て、二刀流、として、一年で、すでに、プロのスカウトに、目をつけられていた。
去年の地区予選の決勝では、富山が、パーフェクトゲームを達成して、しかも、富山の二本のホームランによって、勝ったので、もう、このチームは、富山のワンマンチームだった。
野球部には、かわいいマネージャーがいた。
名前を鴫沢宮といった。
宮は、内心、富山に、憧れていて、将来は、富山と結婚したい、と思っていた。
「富山君。お願い。私と結婚してもらえない?」
とまで、宮は、富山に告白した。
しかし、富山は、
「う、うん。ありがとう。でも、いきなり、言われても、困っちゃうな。少し、考える時間をくれない?」
と、お茶を濁す返事で去った。
そんな、富山の背中に投げかけるように、宮は、いつも、
「わたし、待ーつーわー。いつまでも、待ーつーわー♪」
と、アミンの、歌を歌った。
そんな、二人の姿を、グランドの木陰から、間(はざま)寛一は、さびしそうに見つめていた。
寛一は、宮を熱烈に愛していたからである。
寛一と宮は、幼馴染じみで、幼稚園、小学校、中学校、と、一緒だった。
二人は、大の仲良しで、いつも、一緒に遊んでいた。
子供の頃は、夏は、一緒にプールで、水遊びをし、冬は一緒に雪だるま、を作ったりして、遊んだ。
ふたりは、中学生の時には、将来は、結婚しよう、とまで、誓い合った。
しかし、高校へ入ると、宮の心は、だんだん、富山の方に移り出したのである。
しかし、寛一の宮に対する、想いは、つのる一方だった。
そこで、ある日、寛一は、勇気を出して、宮を呼び出した。
もちろん、熱海の海へ。
「なあに。寛一君。用って?」
宮が聞いた。
「宮ちゃん。君と話すのは久しぶりだね、君は、最近、富山と、ばっかり、付き合っていているね。僕には、全然、口を聞いて、くれないね」
と、寛一が言った。
「だからどうしたの?」
と、あっさりした口調で、宮が聞いた。
宮は、寛一の存在など、全く無いような態度だった。
「宮ちゃん。僕たちは、将来、結婚しようと、中学の時、誓い合ったよね」
と、寛一が、昔の約束を確認するように、言った。
「だから、どうだっていうの?」
宮は、また、あっさりと言った。
「宮さん。愛しています。どうか、僕と結婚して下さい」
と、寛一は、言って、手を差し出した。
ちょうど、ねるとん紅クジラ団のように。
しかし、宮は、プイと、顔を、背けた。
「なんだ。用って、そんなことだったの。嫌よ。私。ラーメン屋の親爺になるような、将来性の無い男なんかと結婚したくないわ」
宮は、非情なことを、いとも、あっさりと言った。
無理もない、といえば、無理もない。
寛一は、しがないラーメン屋の息子で、将来は、父親のラーメン屋を、継ぐことが決まっていたからである。そこらへんは。今時の、女は、現金で、将来性の無い、男より、将来性のある、男と結婚するからである。女子アナが、みんな、年俸3億円以上の、スター、プロ野球選手と、結婚している事実から、見ても、明らかである。
しかし、寛一は、ガーンと、金槌で頭を打たれたような、ショックを受けた。
「ひどい。宮さん。僕たちは、将来、結婚、することを誓い合ったじゃないか?」
と、寛一が声を荒げて言った。
「ええ。誓ったわ。でも、あれは、子供の、遊びじゃない」
と、宮が言った。
「確かに、まだ、あの時は、また子供で、子供の遊びだった、かもしれない。しかし、君は僕を、好いてくれていたし、僕も君が好きだった。子供とはいえ、お互い、本気の誓いだったじゃないか。あの時、以来、僕の君に対する想いは、変わっていないよ」
と、寛一が熱烈な口調で言った。
「そうなの。ありがとう」
と、宮は、素っ気なく言った。
「ところで、君は、今、僕のことを、どう思っているの?」
寛一が聞いた。
「嫌いじゃないわ。今でも、好きよ」
と、宮が淡泊な口調で言った。
「君は、僕と、富山と、どっちの方が好きなの?」
寛一が、さらに聞いた。
「性格では、あなたの方が好きよ。でも、あなたは、ラーメン屋の親爺になるんじゃない。私も、どうせ、ラーメン屋の、仕事を手伝わされるんでしょ。出前とかも、手伝わされるんでしょ。そんなの、嫌よ」
と、宮は、素っ気なく言った。
「宮ちゃん。目を覚ましてくれ。人間の幸せは、金では買えないよ」
寛一は、宮を揺さぶった。
「そんなことないわ。幸せは、金で、買えるわよ。ルイ・ヴィトンも、エルメスも、シャネルも、ブランド物の高級品は、何でも買えるわよ」
と、宮が堂々と言った。
寛一は、目から、ボロボロと涙を流して、泣き出した。
「そうか。宮さん。君と会うのも、もう今日限りだ。もう、僕たちは、一生、会うことは、ないだろう。宮さん。月を見てご覧」
そう言って、寛一は、月を指差した。
お宮も、月を見た。
きれいな満月だった。
しかし、涙に濡れた寛一の目には、月は、曇って見えた。
「宮さん。今日は、1月17日だ。あの月を、よく覚えておいで。一生、忘れないでおくれ。今月今夜の、この月を。そして来年の、今月今夜の、この月を。そして再来年の、今月今夜の、この月も。十年後の今月今夜の、この月も。一生を通して僕は今月今夜の、この月を忘れないよ。忘れるものか。死んでも僕は忘れないよ。いいかい。宮さん、1月の17日だ。来年の今月今夜になったならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから。月が・・・月が・・・月が・・・曇ったらば、宮さん。貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のように泣いていると思ってくれ」
そう言って、寛一は、お宮を蹴飛ばした。
「あーれー」
と、宮は、悲鳴をあげて、熱海の海岸の、砂浜の上に、倒れ伏した。
熱海の砂浜の上に、倒れ伏している、宮を、残したまま、寛一は、去っていった。
学校の、野球部は、甲子園には、当然、出場した。
そして、決勝戦でも優勝した。
これは、ひとえに、富山の、160km/hの、剛速球のストレートと、甲子園での打率6割の、驚異的な、バッティングの、おかげだった。
10月半ばになって、ドラフト会議が行われた。
野球は、チームワークのスポーツだか、プロ野球の各球団は、チームでなく、当然、技術力のある、選手、個人を欲しがる。
富山は、最速160km/hの、ストレートを、投げられるので、当然のごとく、全球団がドラフト一位で彼を指名をした。
くじびきで、富山は、ドラフト一位で、北海道日本ハム・ファイターズに入団が決まった。
秋も深まって、少し肌寒くなりだした11月の下旬のある日のことである。
富山と宮の、二人は、町の小さな教会で、二人だけで、結婚式を挙げた。
高校三年生での、秋の結婚である。
年齢的には、結婚するには、早すぎるが、これは、お宮が、富山に、「富山君。好きよ。好きよ。世界一、愛しているわ。早く結婚しましょう」、と、連日、熱烈に、訴えたからである。
宮が結婚を急いだ理由は、富山が、スター選手になって、自分より、綺麗な、世間で、人気のある女子アナと、結婚したくなる気が起こるのを、おそれて、その前に結婚してしまおう、という計算からだった。
白髪の牧師が聖書を開いて、寛一に向かって、厳かに言った。
「富山唯継。汝、この女を妻として娶り、その健やかなる時も、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも 富めるときも、貧しい時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓うか?」
牧師が言った。
「誓います」
富山は、力強く言った。
次に、牧師は、宮の方へ視線を向けた。
「鴫沢宮。汝、この男を夫とし、その健やかなる時も、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも 富めるときも、貧しい時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓うか?」
牧師が言った。
「誓います」
宮は、厳かに言った。
二人は、エンゲージリングを交換し合った。
これで、二人は、正式に結婚した。
やがて12月になり、冬になった。
そして、年が明け、鴫沢宮、間寛一、富山唯継たち、三年生は、卒業した。
富山は、一億円の、契約金で、北海道の、高級マンションに、移り住んだ。
宮も、富山について、北海道へ、引っ越し、富山の高級マンションに、同居した。
宮は、最高に幸福だった。
(ああ。幸福って、こういうものなのね)
と、エルメスの、ガウンを羽織り、高級ブランデーを、飲みながら、リビングルームのフカフカの、ソファーに、座りながら、宮は、思った。
そして三月に入り、野球では、オープン戦が始まった。
富山は、入団一年目から、一軍での先発ピッチャーとして、レギュラーとなり、スターティング・メンバーに加えられて、活躍した。
○
一方の、寛一、は、父親のラーメン屋で、ラーメン作りの修行に励んだ。
ある日、寛一は、所用があって、東京に出てきた。
寛一は、驚いた。
なぜなら、博多では、当たり前の、豚骨ラーメン店が、東京には、一店舗もなかったからである。
「あんな、旨い豚骨ラーメンを、どうして、東京人は、食べないのだろう?」
寛一にとっては、ラーメンといえば、豚骨ラーメン、だけが、真のラーメンだった。
「よし。東京で、豚骨ラーメンの店を、開いてやろう」
そう寛一は、決意した。
寛一は、世田谷区の環七通り、に、豚骨ラーメン店、「なんでんかんでん」を開いた。
豚骨ラーメンが、東京人の口に、うけるか、どうかは、賭けだった。
しかし、寛一は、東京者は、豚骨ラーメンを食べたことが、ないので、あの旨さを知らないだけで、一度、豚骨ラーメンの旨さを知れば、客は、必ず来る、という絶対の自信を持っていた。
蓋を開けてみると、寛一の予想は的中した。
醤油ラーメンや、味噌ラーメン、しか、食べたことのない、東京人にとって、豚骨ラーメンは、「?」だった。
しかし、ラーメン好きのグルメ達が、試しに、豚骨ラーメン店、「なんでんかんでん」、に、入って、食べてみると、それは、醤油ラーメンや、味噌ラーメン、とは、比べものにならないほどの、旨いラーメンだった。
口コミ、や、ネットで、話題になり、豚骨ラーメン店、「なんでんかんでん」、は、大繁盛となった。
行列が出来るほど、客が、店に来た。
一日の売り上げが、何と、100万円を、超える大繁盛となった。
一日の売り上げが、100万円を、超えるので、年商3億円という、奇跡的な、ラーメン店となった。
環7通りは、「なんでんかんでん」渋滞とまで呼ばれるようになり、警察官が、常駐して、交通整理をするほどまでになった。
寛一は、これに、自信をもって、豚骨ラーメン店、「なんでんかんでん」を、フランチャイズにしてフランチャイズ・チェーン店舗を、どんどん増やしていった。
「旨い。旨い」
と言って、東京の客達は、豚骨ラーメンを食べた。
ついに、間寛一は、年商600億円の、(株)豚骨ラーメン・チェーン「なんでんかんでんフーズ」の社長となった。
テレビの「マネーの虎」、にも出演した。
○
一方。富山は、入団した、一年目から、日本ハム・ファイターズの、エースとして、活躍した。
北海道日本ハム・ファイターズの、栗山監督も、ドラフトで、たいへんな、逸材を手に入れた、と喜んだ。
今年は、リーグ優勝、間違いなし、と自信を持った。
実際、富山は、ベテラン投手に、ひけをとらない、いや、それ以上の成績であった。
そして、その年、日本ハムは、リーグ優勝し、日本シリーズも、優勝した。
そして、WBSCプレミア12でも、優勝した。
その年の暮れ、富山は、最多賞、最優秀防御率、最高勝率、の三つのタイトルを獲得した。
しかしである。
プロ二年目になって、プロ野球の世界に慣れてくると、160km/hの直球を投げられるのは、オレだけだ、と、慢心の心が起こってきた。そのため、練習では、ランニングもせずに、怠け、夜は、高級クラブで、豪遊していた。
そのため、腕に無理な力が、かかってしまい、右肘の内側靭帯を完全断裂してしまった。
これによって、富山の野球選手生命は、終わってしまった。
富山は、戦力外通告され、無職になった。
プロ野球選手なんてのは、活躍しているうちは、国民的アイドルとして、みなの憧れで、ちやほや、されるが、野球が出来なくなったら、何も残らない。
年収一億といっても、日本の累進課税制度から、翌年には、前年の高額な収入の半分近く、の金額の税金が、課税される。
戦力外通告された、富山には、もう収入は無い。
年収一億が、かえって、災いした。
プロ野球選手は、年収、一億を超す、スター選手でも、戦力外通告された、翌年には、無職になるので、死ぬほど、焦るのである。
なにせ、野球以外は、何も出来ないのだから。
戦力外通告された野球選手は、その後、ほとんど全員、野球解説者や、高校、大学、社会人などの、野球部の監督やコーチなど、野球関係の仕事に就きたい、と思うのだが、そう、おいそれと、簡単には、なれないのである。
なにせ、小学生の頃から、何も考えずに、ただ野球一筋だけに、生きてきたので、自分の技術は凄くても、技術というものの理論や、運動の技術の上達の論理などは、全くわからないので、野球解説者やコーチの、能力など、全く無いのである。
プロスポーツの花形選手なんてのは、ファンにも、球団にも、その人間の、人格が愛されているのではなく、人格とは、全く関係のない、その選手の技術の高さ、だけが、愛されているので、技術が無くなったら、もう誰も、見向きもしなくなるのである。
やけになった、富山は、毎日、酒を飲んでは、グチを、宮にぶつけた。
「お前が、遊んでばかりいて、栄養を考えた食事も作らず、疲れたオレに、マッサージもしないで、贅沢品をやたら買い込んで、贅沢な生活ばかりしてたから、こんなことになってしまったんだ」
と、富山は、宮にあたった。
宮は、連日の、富山の、家庭内暴力(ドメスティック・バイオレンス)に耐えきれなくなって、ついに富山と、協議離婚した。
富山は、絶望的な虚無感におちいり、やけになって、覚醒剤にまで、手を出すようになってしまった。
そして、その噂が、東京地検特捜部に知られて、富山は、覚醒剤の受け取りの、現行犯の場面を警察に、取り押さえられ、富山は、東京地検に、身柄も書類も送検されてしまった。
それが、連日、スポーツ新聞で、スキャンダルとして、報道された。
○
そんな、ある日のことである。
その日は、土砂降りの雨が降っていた。
ある時、宮が寛一の麻布の豪邸に訪れた。
ピンポーン。
「あ、あの・・・」
イヤホンから小さな声が聞こえた。
「はい。どなたですか?」
寛一は聞き返した。
「あ、あの。鴫沢宮です」
と、か細い声が聞こえた。
「はい。少々、お待ち下さい」
寛一は、すぐに玄関に向かった。
そして、すぐに、玄関の戸を開いた。
そこには、忘れもしない、宮がいた。
外は、土砂降りの雨で、宮は、ずぶ濡れだった。
憔悴した顔つきで、玄関の前に、佇んでいた。
「やあ。富山宮さん。久しぶり」
寛一は、笑顔で挨拶した。
「お久しぶりです。寛一さん」
宮も、頭を下げて、丁寧に挨拶した。
「よく来てくれたね。とにかく入りなよ。ずぶ濡れで、寒いだろ」
「はい」
こうして、宮は、寛一の豪邸に通された。
「寒いだろ。風呂に入りなよ」
そう言って、寛一は、宮のために、風呂を沸かした。
宮は、温かい風呂に入った。
温かい湯に浸かっていると、冷え切った体が心地よく温まり、それと、同時に、寛一の、優しさに、疲れ果てていた心も、温まってきた。
かなりの時間、湯に浸かってから、宮は、風呂を出た。
脱衣場には、寛一の用意してくれた、パジャマと、ガウンが、置いてあった。
宮は、寛一の用意してくれた、温かい、パジャマを着て、ガウンを羽織った。
「さあ。座りなよ」
寛一は、宮に、リビングルームの、ソファーに腰かけるよう、促した。
それで、宮は、ソファーに、チョコンと座った。
「ところで用は何?」
寛一が聞いた。
「あ、あの。寛一さん。私と、付き合って頂けないでしょうか?」
「君は、富山の妻なんだろう?」
「別れました」
「そうなの。それで、なぜ、君は、僕と、付き合って、なんて、言うの?」
「あなたが、好きだから」
「だって、君は、ラーメン屋なんか、嫌いなんだろう」
「ごめんなさい。寛一さん。昔。軽はずみなことを、言ってしまって」
宮は泣いていた。
「私、今、ホームレスなんです。もう、三日も何も食べていないんです。このままだと、飢え死にしそうで・・・」
「そうかい。じゃあ。豚骨ラーメンを、作ってあげるよ。食べるかい?」
「お願いします」
「じゃあ、作るから、ちょっと、待ってて」
そう言って、寛一は、厨房に行った。
しばしして、寛一は、戻ってきた。
大盛りの、豚骨ラーメンを持って。
そして、寛一は、豚骨ラーメンを、宮の前に置いた。
「さあ。食べなよ」
寛一が言った。
「ありがとう。寛一さん」
そう言って、宮は、豚骨ラーメンを、貪るように食べた。
「美味しいわ。美味しいわ」
と、言いながら。
宮は、一杯だけでは、足りず、もう一杯、豚骨ラーメンを、食べた。
「寛一さん。どうか、私と、付き合って頂けないでしょうか?」
ラーメンを、食べて、落ち着いた、宮は、言った。
「君は、現金だな」
「ごめんなさい。そうです。私は、軽はずみな女です。しかし、どうか、私を哀れと、思って、見捨てないで下さい」
と、宮は言った。
「君の要求は何なの?」
寛一が聞いた。
「あなたと結婚したいのです。駄目ですか?」
「わかった。僕は、君と結婚しよう」
寛一は、あっさり言った。
「ありがとう。寛一さん」
宮は、嬉しさに涙を流した。
こうして二人は、付き合い出した。
宮は、寛一の、麻布の、豪邸に同居するようになった。
そして、二人は、三ヶ月後、婚姻届けを、市役所に提出して、結婚した。
宮は、鴫沢宮から、富山と結婚して、富山宮となり、そして、富山と離婚して、また、鴫沢宮にもどり、そして、今度は、間寛一と結婚して、間宮となった。
二人は、ハネムーンに、ハワイに行った。
ハワイ諸島には、無数の、無人島があって、寛一は、そのうちの、一つの小さな島を買っていた。
宮は、寛一に、飛行機の中で、寛一の肩に頭を載せて、幸せを噛みしめていた。
(ああ。幸せだわ)
と、お宮は、心の中で思っていた。
二人を乗せた、ジャンボジェット機は、オアフ島の、ホノルル空港に着いた。
寛一は、
「ちょっと、知人に用事があって、今日は、知人の家に泊まるから、君は、一人でホテルに泊まってくれ」
と寛一は、言った。
「はい。わかりました」
お宮は、その晩、ワイキキビーチの前の、豪華な、トランプ・インターナショナル・ホテルに一人で泊まった。
ホテルの大きな窓からは、美しいワイキキビーチが、見えた。
しかし、寛一が、いないのが、さびしかった。
翌日になった。
寛一が、お宮の泊まっているトランプ・インターナショナル・ホテルにやって来た。
「宮さん。僕は、ハワイ諸島の中にある、小さな島を買って、持っているんだ。行ってみるかい?」
「わあ。島を持ってるなんて、素敵。ぜひ、行ってみたいわ。ぜひ、行ってみたいわ」
「じゃあ。行こう」
そういうことで、二人は、ワイキキビーチから、モーターボートで、出航した。
風を切る心地よさに、お宮は、最高の幸福を感じていた。
お宮は、セックス・アピールの目的で、アクアドレスの極めてセクシーな、リゾート・ビキニを着ていた。
だだっ広い、大海原の中を、一隻のモーターボートが、青い海原をかき分けて、疾走していった。
しばしして、一つの、小さな島が見えてきた。
「あれが、僕の島さ」
寛一は、そう言った。
それは、小さな、横須賀の猿島くらいの大きさだった。
「面積は、0.055km2で、海岸線長は、1.6kmの、おもちゃのような、小さな島さ」
と、寛一は言った。
島には、小さな、簡易に、即席で、作られたような桟橋があって、寛一は、モーターボートを桟橋につけた。
二人は、島に上がった。
「寛一さん。どうして、こんな島を買ったの?」
お宮が聞いた。
「ふふふ。さあ。何のためかな?」
寛一は、思わせ振りな顔つきと、口調で、笑った。
「この島には、何があるの?」
お宮が聞いた。
「何も無いさ。ただ、あそこに、テントの道具があるから、それを組み立ててみな」
寛一は、そう言って、指差した。
島の、砂浜には、組み立て式の、テントがあった。
(こんな、殺風景な小さな島に、テントを張って、キャンプみたいたことをして、何が面白いのかしら?)
お宮は、疑問の目で、テントを見た。
その時。
バルルルッ。
モーターボートのエンジンがかかる音がした。
お宮は、咄嗟に、後ろを振り返った。
「寛一さん」
寛一は、いつの間にか、お宮から、離れて、モーターボートに乗っていた。
モーターボートは、桟橋から、少し離れて、海の中に、浮かんでいた。
お宮は、あせって、寛一の方へ走った。
「あっ。寛一さん。どうするの?」
宮が聞いた。
しかし、モーターボートは、桟橋から、離れているので、お宮は、モーターボートに乗ることが出来ない。
お宮は、桟橋の上から、モーターボートに乗っている、寛一の近くに行った。
「お宮さん。僕は、オアフ島にもどる。君は、ここで暮らしな」
「ええっ。どうして、そんなことをするの?」
「だって、君は、島を持っているなんて、素敵、と言ったじゃないか」
「それは、そうだけど・・・。何時間したら、ここに、来てくれるの?」
「さあね。それは、わからないな。まあ、色々と用事があるから、三日は来れないな」
「そ、そんなあ」
宮の困惑する顔を余所に、寛一は、モーターボートを走らせて、去っていった。
あとには、お宮だけが、さびしい島にポツンと、一人、残された。
○
お宮は、途方に暮れた。
寛一が、何を考えているのか、分からなかったからである。
(いつ、寛一さんが、やって来てくれるのだろう?)
寛一は、少なくとも、三日は来ないよ、と言った。
では、今日から、三日間は、この、さびしい島で過ごさねばならない。
なので、お宮は、ともかく、テントを張ることにした。
テントの、道具の中に、なぜだか、大きな金庫があった。
一体、ここは、ハワイ諸島の、どこら辺なのだろう。
テントは、一人、やっと、横になれる程度の小さな物だった。
お宮は、金庫の中を開けてみた。
すると、そこには、札束が、詰まるほど、一杯あった。
百万円が、白いテープで、一つの単位のように、まとめられていて、それが、30個、つまり、三千万円、あった。
そして、テントの中には、レトルトパックの、カレーが、6袋あった。
それと、ノート、シャープペンシルがあった。
お宮は、札束を置いていった、寛一の心が分からなかった。
(なぜ、寛一さんは、札束など置いていったのかしら?)
お宮は、しばし、迷っていた。
宮には、寛一が、なぜ、テント用具と、金のたくさん、入った金庫を、置いて、去っていったのか、その理由が、どうしても、わからなかった。
ここは、どんな島なのだろう、と、お宮は、島を一周してみた。
何も無い。
林の中にも、入ってみたが、特に、何も無い。
しかし。ハワイ諸島とはいえ、だんだん、日が暮れてきて、ビキニ姿だけでは、少し、肌寒くなってきた。
しかも、宮のビキニは、アクアドレスの、女の性器の部分を隠すだけの、セクシーな、ビキニで、保温のためとしての、着物としての役目は、ほとんど無かった。
しかも、その時、パラパラと、スコールが降ってきた。
お宮は、テントの中に入った。
食料も無く、水も無い。
食べ物も、水も無いと、わかると、無性に、腹が減ってきた。
しかも、テレビも、スマートフォンも無い。
(ああ。お腹がすいた。何でもいいから、何か食べたいわ)
お宮は、一人で、そう呟いた。
それで、お宮は、仕方なく、レトルトパックのカレーを、1袋、切って、食べた。
日が暮れて、真っ暗になった。
(ああ。お母さん。お父さん。寛一さん)
そう呟きながら、お宮は、縮こまって、横になった。
腹は減っていたが、精神的、肉体的な疲れから、お宮は、ウトウトし出した。
そして、眠りに就いた。
しかし、いつ、寛一が来てくれるのか、わからず、不安で、しかも、ビキニだけで、寒くて、熟眠など、とても出来なかった。
○
翌朝、お宮が、目を覚ますと、ちょうど日の出の頃だった。
ハワイ諸島の緯度は北緯20°くらいで、台湾と同じくらいであるが、海洋性気候のため、湿気がなく、暖かい。
お宮は、浜辺へ出てみた。
浜辺は、美しいが、今の、お宮にとっては、飢え死にしないために、島を脱出することが、何より、先決だった。
ここは、ハワイ諸島の中なのだから、島々を通る船が、この島を見つけてくれるかもしれない。さらに、飛行機も、ハワイ諸島の、島々を行き来することも、あるのだから、飛行機が、この島を見つけてくれるかも、しれない。
それで、お宮は、林の中の、木の枝を折って、それで、浜辺に、大きく、SOSと書いた。
こうすれば、この島の上空を通りかかった、飛行機が、見つけてくれるかも、しれない。
お宮は、何だか、ロビンソン・クルーソーになったような気持ちになった。
金庫の中には、一冊のノートと、シャープペンがあった。
なので、宮は、毎日、日記をつけた。
寛一は、三日は来ない、と言った。
ならば、三日後には、来てくれるのかもしれない。
なので、お宮は、レトルトパックのカレーを、一日、2袋だけ、食べることにした。
レトルトパックのカレーは、1袋、100gで、200Kcalしかない。
○
そうして三日、経った。
お宮が、浜辺で、船が通るのを待っていると、遠くから、一隻の、モーターボートが、遠くから、やって来た。
だんだん、島に、近づいてくるにつれ、それに乗っているのが、寛一だと、わかった。
しかし、お宮は、三日三晩、ほとんど、飲まず、食わず、の状態なので、走り出す体力が無かった。
寛一は、モーターボートを、桟橋に、つけると、お宮の所に、やって来た。
「やあ。お宮さん。元気だったかい?」
寛一が聞いた。
「元気じゃないわ。お腹は減るし、夜も、眠れないし・・・。いつ、あなたが、来てくれるのか、どうかも、わからないし。不安と、心細さで、死にそうなほど、辛かったわ。今日は、私を、オアフ島に、連れ返してくれるために、助けに来てくれたのね?やっぱり、寛一さん、って、優しいわ。私、嬉しいわ」
お宮は、嬉しそうに、そう言った。
しかし、寛一は、黙っていた。
「いや。宮さん。僕は、今日、君を、オアフ島に、連れて帰るために、ここに来たんじゃないよ」
そう、寛一は、冷たい、突き放した、言い方で、言った。
「寛一さん。じゃあ、何のために、やって来たの?」
お宮が、寛一の眼を覗き込んで、聞いた。
しかし、寛一は、黙っていた。
「ところで宮さん。お腹は減っていないかい?」
寛一が、唐突な質問をした。
「それは、お腹、減っているのに、決まっているわ。三日間、ほとんど、何も食べていないんだもの。お腹が減って、もう死にそうだわ」
宮が言った。
「じゃあ、何か、食べたい?」
寛一が聞いた。
「もちろんよ。寛一さん。お願い。お腹が減って、死にそうなの。何か、食べさせて」
お宮は、目に涙を浮かべて、訴えた。
「でも。三日間、何も食べていないから、ウェストが、細くなって、プロポーションが良くなったじゃない」
寛一は、宮の訴えと全く関係のない、そんな意地悪なことを言った。
「寛一さん。お願い。意地悪なこと、言わないで。何か、食べさせて」
お宮は、目に涙を浮かべて、訴えた。
寛一は、麻袋の中から、缶詰を取り出した。
さばの味噌煮の缶詰が、10缶、あった。
「お腹が減っただろう。じゃあ。これを、売ってあげるよ。ただし、一缶、100万円だよ。高くて、嫌なら、別に、買わなくてもいいよ」
寛一は、そう言った。
宮にとっては、背に腹は変えられない。
「か、買います」
お宮は、シクシク泣きながら、テントの中の、金庫から、百万円札の束を、10枚、合計1千万円、取り出して、寛一に渡した。
「よし。じゃあ、売ってあげるよ」
そう言って、寛一は、お宮が、差し出した、百万円の札束を十枚、つまり、1千万円、受け取った。そして、代価として、10缶の、さばの味噌煮の缶詰を、お宮に渡した。
「寛一さん。私。寛一さんが、来てくれなかったら、死んでしまう、という不安に、発狂しそうなほど、悩まされていました。寛一さんが、来てくれて、すごく、嬉しいです」
と、お宮は、泣きながら、言った。
だが、寛一は、何も言わずに、黙っていた。
お宮は、10缶の、さばの味噌煮の缶詰を、受けとって、それを見て、ゴクリと、生唾を飲み込んだ。
しかし、缶詰があっても、缶切り、が無ければ、食べられない。
「あ、あの。寛一さん」
お宮が、ためらいがちに言った。
「何?」
寛一は、極めて淡泊な口調で聞き返した。
「あ、あの。缶切り、を、貸して貰えないでしょうか?」
お宮が、聞いた。
「ああ。そうだったね」
寛一は、そう言って、缶切り、を取り出した。
「これが欲しいかね?」
寛一が聞いた。
「ええ」
お宮が答えた。
「それじゃあ。売ってあげるよ。ただし、缶切り、一つ、百万円だ。どうだね。買うかい?」
寛一が聞いた。
「か、買います」
お宮は、シクシク泣きながら、金庫から、百万円札を、取り出して、寛一に渡した。
「よし。じゃあ、売ってあげるよ」
そう言って、寛一は、お宮が、差し出した、百万円の札束を、受け取り、そして、交換として、缶切りを、お宮に渡した。
缶切り、を、受け取った、お宮は、急いで、さばの味噌煮の缶詰を、開けて、ムシャムシャと、貪るように、さばの味噌煮を食べた。
あまりにも、腹が減っていたので、お宮は、続けざまに、もう、一缶、さばの味噌煮の缶詰を食べた。
「ありがとう。寛一さん」
お宮は、泣きながら言った。
さばの味噌煮の缶詰を、二缶、食べただけでは、まだ、物足りなかったが、お宮の不安は、寛一が来てくれないのでは、ということが、大きかったので、目の前に、寛一がいる、ということが、お宮の不安を、かなり和らげていた。
「寛一さん。どうか、私を、モーターボートで、オアフ島に、連れていってください?」
お宮が必死に訴えた。
「いや。今日は、僕は、一人で、帰りますよ」
と、寛一は、冷たく、突き放した。
「ええー。そ、そんなー。で、ては。一体、いつ、私をオアフ島に、連れ戻してくれるのですか?」
お宮が聞いた。
「さあ。それは、わからないな」
寛一は、意地悪なことを、淡泊な口調で言った。
「ひどいわ。寛一さん。もう意地悪は、しないで」
お宮は、シクシク泣きながら、言った。
寛一は、ニヤニヤ笑っている。
「宮さん。南国といっても、夜は、毛布が無いと、寒いだろう?」
と、泣いている宮に、寛一は、言った。
「ええ」
宮は、肯いた。
その通りだった。
南国といっても、スコールもあるし、風も吹く。
アクアドレスのリゾート・ビキニだけでは、寒いし、毛布が無いと、寝る時、心もとない。
ビキニだけで、寝ると、寝ている間に、体力を消耗してしまう。
実際、宮は、テントの中で、寝た、三日間は、睡眠が浅く、十分な、睡眠を、とれず、レム睡眠で、悪夢ばかり見て、寝ても、精神と体力を、消耗するばかりで、疲れるだけだった。
「じゃあ、宮さん。毛布をあげるよ」
そう言って、寛一は、宮の前に、毛布を一つ、差し出した。
「ありがとう。寛一さん」
宮は、嬉しくなって、毛布に手を伸ばした。
その時、寛一が、毛布を、サッと、引っ込めた。
「ああっ」
宮は、小さな声を上げた。
「この毛布もタダじゃない。一枚、百万円だよ。買うかい?」
寛一が聞いた。
「ええ。買います」
お宮は、ポロポロ涙を流して、泣きながら、寛一に、百万円の札束を渡した。
それで、寛一は、その対価として、
「はい。では、あげるよ」
と言って、お宮に、毛布を渡した。
「じゃあ。またねー」
寛一は、まるで、中学校の生徒が、別れ際に挨拶するような、軽い口調で、言うと、サッと、モーターボートに飛び乗った。
バルルルルッ。
寛一は、モーターボートのエンジンを駆けた。
「ああっ」
うろたえる、お宮を残して、寛一のモーターボートは、青い、海原を掻き分けて、去っていった。
そして、ついに、寛一のモーターボートは、視界から、なくなった。
お宮は、ガックリと、肩を落とした。
今度、いつ、寛一が来てくれるのかは、わからないのである。
お宮は、それから、1日に、さばの味噌煮の缶詰を、2つだけ、食べて、過ごすことにした。
寛一が、今度、いつ、来るのか、わからないからだ。
百万円で買った、ただの普通の毛布は、助かった。
毛布が、こんなにも、有り難い物だということを、お宮は、あらためて知った。
お宮は、出来るだけ体力を消耗しないように、テントの中で、一日中、毛布にくるまって過ごした。
お宮は、あまりの、寂しさから、一人で、シャーリーンの、「愛はかげろうのように」を歌った。
シャーリーンの、「愛はかげろうのように」の、歌が、何だか、今の自分の気持ちに、ふさわしいように、思えたからである。
しかし、一人で歌うと、余計、さびしくなって、お宮は、また、ポロポロ涙を流して泣いた。
この世の、全てのことが、虚しいように、お宮には、感じられた。
お宮は、ただただ、生きていられることの、素晴らしさを、それを、失いかけて、初めて、知り始めた。
寛一が来てくれることだけを、ただただ、毎日、祈った。
三日後のことである。
モーターボートの音がしたので、お宮は、テントから出た。
寛一が操縦する、モーターボートが、海原をかき分けて、やって来た。
「ああ。寛一さん」
お宮は、涙が出るほど、嬉しかった。
さばの味噌煮の缶詰も、ちょうど、昨日、食べつくして、もう、食べ物は、何も無かった。
寛一は、モーターボートを、桟橋につけた。
そして、寛一は、モーターボートを降りると、お宮の方に向かって、無人島の砂浜を歩いた。
「ああ。寛一さん。来てくれてありがとう。私。嬉しいわ」
お宮は、そう言った。
お宮は、今回も、また、寛一が、少しの食糧を、持ってきた、のだと、思った。
もう、お宮は、生きていられるだけで、生きていられることの幸せを、痛感していた。
「宮さん。君は、昔、幸福は、金で買える、と言ったよね。今でも、君は、幸福は、金で買えると思うかい?」
寛一が聞いた。
「思わないわ。富山さんと、結婚した後には、お金持ちになれたわ。欲しい物は、何でも買えたわ。でも、欲しい物を手に入れても、もっと、高級な物が、欲しくなって、それが手に入らないと不満だったわ。人間の欲望って、とどまることがないのね。だから、いつも、不満だったわ」
「では。今、君は、何が欲しい?」
「何でもいいから、食べ物が欲しいわ。でも、欲を言えば。日本に帰って、普通の安アパートに住みたいわ。超高級フランス料理じゃなくてもいいわ。働いて、お腹をすかせて、松坂牛などの、ブランドものでなくても、キャビアや、フォアグラでなくても、安くてもいいから、食べ放題の焼肉や、ラーメンや、カレーライスなどを、腹一杯、食べたいわ。それと、温かい、普通の、布団が欲しいわ。それだけだわ」
「ふむ。そうか。それを聞いて、安心したよ。それじゃあ、今日、モーターボートで、君を連れて、オアフ島に帰るよ。そして、日本に帰るよ。僕は、君が、そう言ったら、君を、オアフ島に、そして、日本に、連れて帰ろうと、思っていたんだ」
寛一は、そう言った。
「ほんとう?ありがとう。寛一さん。信じられないわ」
お宮は、ポロポロと、嬉し涙を流していた。
「日本に帰ったら、どうする?こんな、意地悪をした、僕とは、離婚する?」
「いえ。あなたと、暮らしたいわ。あなたのおかげで、私は、人間にとっての、本当の幸せ、というものを、知ることが出来たんですもの」
お宮は、涙を流しながら、言った。
「そうか。じゃあ、もう、こんな無人島からは、帰ろう。そして、日本に戻ろう」
「ありがとう。寛一さん」
寛一は、お宮を、モーターボートに乗せた。
そして、エンジンを駆けた。
バルルルルッっと、強い、エンジン音が鳴った。
宮は、寛一と、オアフ島に帰った。
オアフ島では、見る物、食べる物、全てが、宮には、新鮮だった。
そして、一週間ほど、オアフ島で過ごした後、寛一と日本に帰った。
宮は、寛一から、豚骨ラーメンの作り方を、習った。
半年で、宮は、豚骨ラーメンの作り方を、完全に覚えた。
宮は、2011年の、3月11日に、起こった、東日本大震災の、福島の相馬町の、仮設住宅街に、豚骨ラーメン「なんでんかんでん」の、店を開きたいと、寛一に言った。
寛一は、快諾した。
宮は、なんでんかんでん相馬店の、店長になった。
店長といっても、厨房で、朝から夜まで、汗水流して、豚骨ラーメンを作った。
寛一は、環七通りの、「なんでんかんでん」の店での、豚骨ラーメン、作りの仕事で忙しかった。
なので、寛一とは、籍を入れたまま、しばらく別居という形の夫婦生活になった。
きれいな女店長と、おいしい、博多の豚骨ラーメン店が出来た、ということで、相馬町および、近くの人が、多くやって来た。
店に来る客が多いので、おおいに町の活性化になった。
次に、宮は、宮城県、福島県、岩手県の、東日本大震災で、甚大な被害を受けた、漁港の町に、次々と、豚骨ラーメン「なんでんかんでん」の、チェーン店を作っていった。
JR東日本も、東北の地方のテレビや、メディアも、その宣伝を大々的にした。
そのおかげで、店は、大繁盛となった。
それによって、東北に観光に来る客が、どんどん増えていき、ついに、東日本大地震の被害前の状態にまで、福島、宮城、岩手の三県は、奇跡的な復興を遂げた。
宮は、ラーメン作りの経験のある者を募集して、豚骨ラーメンの、作り方を伝授した。
そして、その人を店長にした。
それを、東北に、新しくつくった、チェーン店、全てで、やった。
それが、全て、終わると、宮は寛一のいる東京にもどった。
お宮と寛一は、仲むつまじく、幸福に暮らしている。
平成28年3月5日(土)擱筆
そこは野球の強豪校である。
野球部は、ほとんど、毎年、確実に、甲子園に出場している。
強豪校に入れば、甲子園に出られるから、将来、プロ野球選手を目指す、中学生は、強豪校に入りたがるので、全国から、野球の強い生徒が、集まるから、高校は、何もしなくても、ますます、強豪校となっていく。
これを、強豪校の、「神の見えざる手」の法則という。
ある年の、野球部である。
初夏の頃である。
三年には、最速160km/hのストレートを、投げられる、エースの富山唯継がいた。
野球部、そして、富山は、去年も、そして、その前年も、甲子園に出場した。
彼は、バッティングも出来て、二刀流、として、一年で、すでに、プロのスカウトに、目をつけられていた。
去年の地区予選の決勝では、富山が、パーフェクトゲームを達成して、しかも、富山の二本のホームランによって、勝ったので、もう、このチームは、富山のワンマンチームだった。
野球部には、かわいいマネージャーがいた。
名前を鴫沢宮といった。
宮は、内心、富山に、憧れていて、将来は、富山と結婚したい、と思っていた。
「富山君。お願い。私と結婚してもらえない?」
とまで、宮は、富山に告白した。
しかし、富山は、
「う、うん。ありがとう。でも、いきなり、言われても、困っちゃうな。少し、考える時間をくれない?」
と、お茶を濁す返事で去った。
そんな、富山の背中に投げかけるように、宮は、いつも、
「わたし、待ーつーわー。いつまでも、待ーつーわー♪」
と、アミンの、歌を歌った。
そんな、二人の姿を、グランドの木陰から、間(はざま)寛一は、さびしそうに見つめていた。
寛一は、宮を熱烈に愛していたからである。
寛一と宮は、幼馴染じみで、幼稚園、小学校、中学校、と、一緒だった。
二人は、大の仲良しで、いつも、一緒に遊んでいた。
子供の頃は、夏は、一緒にプールで、水遊びをし、冬は一緒に雪だるま、を作ったりして、遊んだ。
ふたりは、中学生の時には、将来は、結婚しよう、とまで、誓い合った。
しかし、高校へ入ると、宮の心は、だんだん、富山の方に移り出したのである。
しかし、寛一の宮に対する、想いは、つのる一方だった。
そこで、ある日、寛一は、勇気を出して、宮を呼び出した。
もちろん、熱海の海へ。
「なあに。寛一君。用って?」
宮が聞いた。
「宮ちゃん。君と話すのは久しぶりだね、君は、最近、富山と、ばっかり、付き合っていているね。僕には、全然、口を聞いて、くれないね」
と、寛一が言った。
「だからどうしたの?」
と、あっさりした口調で、宮が聞いた。
宮は、寛一の存在など、全く無いような態度だった。
「宮ちゃん。僕たちは、将来、結婚しようと、中学の時、誓い合ったよね」
と、寛一が、昔の約束を確認するように、言った。
「だから、どうだっていうの?」
宮は、また、あっさりと言った。
「宮さん。愛しています。どうか、僕と結婚して下さい」
と、寛一は、言って、手を差し出した。
ちょうど、ねるとん紅クジラ団のように。
しかし、宮は、プイと、顔を、背けた。
「なんだ。用って、そんなことだったの。嫌よ。私。ラーメン屋の親爺になるような、将来性の無い男なんかと結婚したくないわ」
宮は、非情なことを、いとも、あっさりと言った。
無理もない、といえば、無理もない。
寛一は、しがないラーメン屋の息子で、将来は、父親のラーメン屋を、継ぐことが決まっていたからである。そこらへんは。今時の、女は、現金で、将来性の無い、男より、将来性のある、男と結婚するからである。女子アナが、みんな、年俸3億円以上の、スター、プロ野球選手と、結婚している事実から、見ても、明らかである。
しかし、寛一は、ガーンと、金槌で頭を打たれたような、ショックを受けた。
「ひどい。宮さん。僕たちは、将来、結婚、することを誓い合ったじゃないか?」
と、寛一が声を荒げて言った。
「ええ。誓ったわ。でも、あれは、子供の、遊びじゃない」
と、宮が言った。
「確かに、まだ、あの時は、また子供で、子供の遊びだった、かもしれない。しかし、君は僕を、好いてくれていたし、僕も君が好きだった。子供とはいえ、お互い、本気の誓いだったじゃないか。あの時、以来、僕の君に対する想いは、変わっていないよ」
と、寛一が熱烈な口調で言った。
「そうなの。ありがとう」
と、宮は、素っ気なく言った。
「ところで、君は、今、僕のことを、どう思っているの?」
寛一が聞いた。
「嫌いじゃないわ。今でも、好きよ」
と、宮が淡泊な口調で言った。
「君は、僕と、富山と、どっちの方が好きなの?」
寛一が、さらに聞いた。
「性格では、あなたの方が好きよ。でも、あなたは、ラーメン屋の親爺になるんじゃない。私も、どうせ、ラーメン屋の、仕事を手伝わされるんでしょ。出前とかも、手伝わされるんでしょ。そんなの、嫌よ」
と、宮は、素っ気なく言った。
「宮ちゃん。目を覚ましてくれ。人間の幸せは、金では買えないよ」
寛一は、宮を揺さぶった。
「そんなことないわ。幸せは、金で、買えるわよ。ルイ・ヴィトンも、エルメスも、シャネルも、ブランド物の高級品は、何でも買えるわよ」
と、宮が堂々と言った。
寛一は、目から、ボロボロと涙を流して、泣き出した。
「そうか。宮さん。君と会うのも、もう今日限りだ。もう、僕たちは、一生、会うことは、ないだろう。宮さん。月を見てご覧」
そう言って、寛一は、月を指差した。
お宮も、月を見た。
きれいな満月だった。
しかし、涙に濡れた寛一の目には、月は、曇って見えた。
「宮さん。今日は、1月17日だ。あの月を、よく覚えておいで。一生、忘れないでおくれ。今月今夜の、この月を。そして来年の、今月今夜の、この月を。そして再来年の、今月今夜の、この月も。十年後の今月今夜の、この月も。一生を通して僕は今月今夜の、この月を忘れないよ。忘れるものか。死んでも僕は忘れないよ。いいかい。宮さん、1月の17日だ。来年の今月今夜になったならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから。月が・・・月が・・・月が・・・曇ったらば、宮さん。貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のように泣いていると思ってくれ」
そう言って、寛一は、お宮を蹴飛ばした。
「あーれー」
と、宮は、悲鳴をあげて、熱海の海岸の、砂浜の上に、倒れ伏した。
熱海の砂浜の上に、倒れ伏している、宮を、残したまま、寛一は、去っていった。
学校の、野球部は、甲子園には、当然、出場した。
そして、決勝戦でも優勝した。
これは、ひとえに、富山の、160km/hの、剛速球のストレートと、甲子園での打率6割の、驚異的な、バッティングの、おかげだった。
10月半ばになって、ドラフト会議が行われた。
野球は、チームワークのスポーツだか、プロ野球の各球団は、チームでなく、当然、技術力のある、選手、個人を欲しがる。
富山は、最速160km/hの、ストレートを、投げられるので、当然のごとく、全球団がドラフト一位で彼を指名をした。
くじびきで、富山は、ドラフト一位で、北海道日本ハム・ファイターズに入団が決まった。
秋も深まって、少し肌寒くなりだした11月の下旬のある日のことである。
富山と宮の、二人は、町の小さな教会で、二人だけで、結婚式を挙げた。
高校三年生での、秋の結婚である。
年齢的には、結婚するには、早すぎるが、これは、お宮が、富山に、「富山君。好きよ。好きよ。世界一、愛しているわ。早く結婚しましょう」、と、連日、熱烈に、訴えたからである。
宮が結婚を急いだ理由は、富山が、スター選手になって、自分より、綺麗な、世間で、人気のある女子アナと、結婚したくなる気が起こるのを、おそれて、その前に結婚してしまおう、という計算からだった。
白髪の牧師が聖書を開いて、寛一に向かって、厳かに言った。
「富山唯継。汝、この女を妻として娶り、その健やかなる時も、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも 富めるときも、貧しい時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓うか?」
牧師が言った。
「誓います」
富山は、力強く言った。
次に、牧師は、宮の方へ視線を向けた。
「鴫沢宮。汝、この男を夫とし、その健やかなる時も、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも 富めるときも、貧しい時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓うか?」
牧師が言った。
「誓います」
宮は、厳かに言った。
二人は、エンゲージリングを交換し合った。
これで、二人は、正式に結婚した。
やがて12月になり、冬になった。
そして、年が明け、鴫沢宮、間寛一、富山唯継たち、三年生は、卒業した。
富山は、一億円の、契約金で、北海道の、高級マンションに、移り住んだ。
宮も、富山について、北海道へ、引っ越し、富山の高級マンションに、同居した。
宮は、最高に幸福だった。
(ああ。幸福って、こういうものなのね)
と、エルメスの、ガウンを羽織り、高級ブランデーを、飲みながら、リビングルームのフカフカの、ソファーに、座りながら、宮は、思った。
そして三月に入り、野球では、オープン戦が始まった。
富山は、入団一年目から、一軍での先発ピッチャーとして、レギュラーとなり、スターティング・メンバーに加えられて、活躍した。
○
一方の、寛一、は、父親のラーメン屋で、ラーメン作りの修行に励んだ。
ある日、寛一は、所用があって、東京に出てきた。
寛一は、驚いた。
なぜなら、博多では、当たり前の、豚骨ラーメン店が、東京には、一店舗もなかったからである。
「あんな、旨い豚骨ラーメンを、どうして、東京人は、食べないのだろう?」
寛一にとっては、ラーメンといえば、豚骨ラーメン、だけが、真のラーメンだった。
「よし。東京で、豚骨ラーメンの店を、開いてやろう」
そう寛一は、決意した。
寛一は、世田谷区の環七通り、に、豚骨ラーメン店、「なんでんかんでん」を開いた。
豚骨ラーメンが、東京人の口に、うけるか、どうかは、賭けだった。
しかし、寛一は、東京者は、豚骨ラーメンを食べたことが、ないので、あの旨さを知らないだけで、一度、豚骨ラーメンの旨さを知れば、客は、必ず来る、という絶対の自信を持っていた。
蓋を開けてみると、寛一の予想は的中した。
醤油ラーメンや、味噌ラーメン、しか、食べたことのない、東京人にとって、豚骨ラーメンは、「?」だった。
しかし、ラーメン好きのグルメ達が、試しに、豚骨ラーメン店、「なんでんかんでん」、に、入って、食べてみると、それは、醤油ラーメンや、味噌ラーメン、とは、比べものにならないほどの、旨いラーメンだった。
口コミ、や、ネットで、話題になり、豚骨ラーメン店、「なんでんかんでん」、は、大繁盛となった。
行列が出来るほど、客が、店に来た。
一日の売り上げが、何と、100万円を、超える大繁盛となった。
一日の売り上げが、100万円を、超えるので、年商3億円という、奇跡的な、ラーメン店となった。
環7通りは、「なんでんかんでん」渋滞とまで呼ばれるようになり、警察官が、常駐して、交通整理をするほどまでになった。
寛一は、これに、自信をもって、豚骨ラーメン店、「なんでんかんでん」を、フランチャイズにしてフランチャイズ・チェーン店舗を、どんどん増やしていった。
「旨い。旨い」
と言って、東京の客達は、豚骨ラーメンを食べた。
ついに、間寛一は、年商600億円の、(株)豚骨ラーメン・チェーン「なんでんかんでんフーズ」の社長となった。
テレビの「マネーの虎」、にも出演した。
○
一方。富山は、入団した、一年目から、日本ハム・ファイターズの、エースとして、活躍した。
北海道日本ハム・ファイターズの、栗山監督も、ドラフトで、たいへんな、逸材を手に入れた、と喜んだ。
今年は、リーグ優勝、間違いなし、と自信を持った。
実際、富山は、ベテラン投手に、ひけをとらない、いや、それ以上の成績であった。
そして、その年、日本ハムは、リーグ優勝し、日本シリーズも、優勝した。
そして、WBSCプレミア12でも、優勝した。
その年の暮れ、富山は、最多賞、最優秀防御率、最高勝率、の三つのタイトルを獲得した。
しかしである。
プロ二年目になって、プロ野球の世界に慣れてくると、160km/hの直球を投げられるのは、オレだけだ、と、慢心の心が起こってきた。そのため、練習では、ランニングもせずに、怠け、夜は、高級クラブで、豪遊していた。
そのため、腕に無理な力が、かかってしまい、右肘の内側靭帯を完全断裂してしまった。
これによって、富山の野球選手生命は、終わってしまった。
富山は、戦力外通告され、無職になった。
プロ野球選手なんてのは、活躍しているうちは、国民的アイドルとして、みなの憧れで、ちやほや、されるが、野球が出来なくなったら、何も残らない。
年収一億といっても、日本の累進課税制度から、翌年には、前年の高額な収入の半分近く、の金額の税金が、課税される。
戦力外通告された、富山には、もう収入は無い。
年収一億が、かえって、災いした。
プロ野球選手は、年収、一億を超す、スター選手でも、戦力外通告された、翌年には、無職になるので、死ぬほど、焦るのである。
なにせ、野球以外は、何も出来ないのだから。
戦力外通告された野球選手は、その後、ほとんど全員、野球解説者や、高校、大学、社会人などの、野球部の監督やコーチなど、野球関係の仕事に就きたい、と思うのだが、そう、おいそれと、簡単には、なれないのである。
なにせ、小学生の頃から、何も考えずに、ただ野球一筋だけに、生きてきたので、自分の技術は凄くても、技術というものの理論や、運動の技術の上達の論理などは、全くわからないので、野球解説者やコーチの、能力など、全く無いのである。
プロスポーツの花形選手なんてのは、ファンにも、球団にも、その人間の、人格が愛されているのではなく、人格とは、全く関係のない、その選手の技術の高さ、だけが、愛されているので、技術が無くなったら、もう誰も、見向きもしなくなるのである。
やけになった、富山は、毎日、酒を飲んでは、グチを、宮にぶつけた。
「お前が、遊んでばかりいて、栄養を考えた食事も作らず、疲れたオレに、マッサージもしないで、贅沢品をやたら買い込んで、贅沢な生活ばかりしてたから、こんなことになってしまったんだ」
と、富山は、宮にあたった。
宮は、連日の、富山の、家庭内暴力(ドメスティック・バイオレンス)に耐えきれなくなって、ついに富山と、協議離婚した。
富山は、絶望的な虚無感におちいり、やけになって、覚醒剤にまで、手を出すようになってしまった。
そして、その噂が、東京地検特捜部に知られて、富山は、覚醒剤の受け取りの、現行犯の場面を警察に、取り押さえられ、富山は、東京地検に、身柄も書類も送検されてしまった。
それが、連日、スポーツ新聞で、スキャンダルとして、報道された。
○
そんな、ある日のことである。
その日は、土砂降りの雨が降っていた。
ある時、宮が寛一の麻布の豪邸に訪れた。
ピンポーン。
「あ、あの・・・」
イヤホンから小さな声が聞こえた。
「はい。どなたですか?」
寛一は聞き返した。
「あ、あの。鴫沢宮です」
と、か細い声が聞こえた。
「はい。少々、お待ち下さい」
寛一は、すぐに玄関に向かった。
そして、すぐに、玄関の戸を開いた。
そこには、忘れもしない、宮がいた。
外は、土砂降りの雨で、宮は、ずぶ濡れだった。
憔悴した顔つきで、玄関の前に、佇んでいた。
「やあ。富山宮さん。久しぶり」
寛一は、笑顔で挨拶した。
「お久しぶりです。寛一さん」
宮も、頭を下げて、丁寧に挨拶した。
「よく来てくれたね。とにかく入りなよ。ずぶ濡れで、寒いだろ」
「はい」
こうして、宮は、寛一の豪邸に通された。
「寒いだろ。風呂に入りなよ」
そう言って、寛一は、宮のために、風呂を沸かした。
宮は、温かい風呂に入った。
温かい湯に浸かっていると、冷え切った体が心地よく温まり、それと、同時に、寛一の、優しさに、疲れ果てていた心も、温まってきた。
かなりの時間、湯に浸かってから、宮は、風呂を出た。
脱衣場には、寛一の用意してくれた、パジャマと、ガウンが、置いてあった。
宮は、寛一の用意してくれた、温かい、パジャマを着て、ガウンを羽織った。
「さあ。座りなよ」
寛一は、宮に、リビングルームの、ソファーに腰かけるよう、促した。
それで、宮は、ソファーに、チョコンと座った。
「ところで用は何?」
寛一が聞いた。
「あ、あの。寛一さん。私と、付き合って頂けないでしょうか?」
「君は、富山の妻なんだろう?」
「別れました」
「そうなの。それで、なぜ、君は、僕と、付き合って、なんて、言うの?」
「あなたが、好きだから」
「だって、君は、ラーメン屋なんか、嫌いなんだろう」
「ごめんなさい。寛一さん。昔。軽はずみなことを、言ってしまって」
宮は泣いていた。
「私、今、ホームレスなんです。もう、三日も何も食べていないんです。このままだと、飢え死にしそうで・・・」
「そうかい。じゃあ。豚骨ラーメンを、作ってあげるよ。食べるかい?」
「お願いします」
「じゃあ、作るから、ちょっと、待ってて」
そう言って、寛一は、厨房に行った。
しばしして、寛一は、戻ってきた。
大盛りの、豚骨ラーメンを持って。
そして、寛一は、豚骨ラーメンを、宮の前に置いた。
「さあ。食べなよ」
寛一が言った。
「ありがとう。寛一さん」
そう言って、宮は、豚骨ラーメンを、貪るように食べた。
「美味しいわ。美味しいわ」
と、言いながら。
宮は、一杯だけでは、足りず、もう一杯、豚骨ラーメンを、食べた。
「寛一さん。どうか、私と、付き合って頂けないでしょうか?」
ラーメンを、食べて、落ち着いた、宮は、言った。
「君は、現金だな」
「ごめんなさい。そうです。私は、軽はずみな女です。しかし、どうか、私を哀れと、思って、見捨てないで下さい」
と、宮は言った。
「君の要求は何なの?」
寛一が聞いた。
「あなたと結婚したいのです。駄目ですか?」
「わかった。僕は、君と結婚しよう」
寛一は、あっさり言った。
「ありがとう。寛一さん」
宮は、嬉しさに涙を流した。
こうして二人は、付き合い出した。
宮は、寛一の、麻布の、豪邸に同居するようになった。
そして、二人は、三ヶ月後、婚姻届けを、市役所に提出して、結婚した。
宮は、鴫沢宮から、富山と結婚して、富山宮となり、そして、富山と離婚して、また、鴫沢宮にもどり、そして、今度は、間寛一と結婚して、間宮となった。
二人は、ハネムーンに、ハワイに行った。
ハワイ諸島には、無数の、無人島があって、寛一は、そのうちの、一つの小さな島を買っていた。
宮は、寛一に、飛行機の中で、寛一の肩に頭を載せて、幸せを噛みしめていた。
(ああ。幸せだわ)
と、お宮は、心の中で思っていた。
二人を乗せた、ジャンボジェット機は、オアフ島の、ホノルル空港に着いた。
寛一は、
「ちょっと、知人に用事があって、今日は、知人の家に泊まるから、君は、一人でホテルに泊まってくれ」
と寛一は、言った。
「はい。わかりました」
お宮は、その晩、ワイキキビーチの前の、豪華な、トランプ・インターナショナル・ホテルに一人で泊まった。
ホテルの大きな窓からは、美しいワイキキビーチが、見えた。
しかし、寛一が、いないのが、さびしかった。
翌日になった。
寛一が、お宮の泊まっているトランプ・インターナショナル・ホテルにやって来た。
「宮さん。僕は、ハワイ諸島の中にある、小さな島を買って、持っているんだ。行ってみるかい?」
「わあ。島を持ってるなんて、素敵。ぜひ、行ってみたいわ。ぜひ、行ってみたいわ」
「じゃあ。行こう」
そういうことで、二人は、ワイキキビーチから、モーターボートで、出航した。
風を切る心地よさに、お宮は、最高の幸福を感じていた。
お宮は、セックス・アピールの目的で、アクアドレスの極めてセクシーな、リゾート・ビキニを着ていた。
だだっ広い、大海原の中を、一隻のモーターボートが、青い海原をかき分けて、疾走していった。
しばしして、一つの、小さな島が見えてきた。
「あれが、僕の島さ」
寛一は、そう言った。
それは、小さな、横須賀の猿島くらいの大きさだった。
「面積は、0.055km2で、海岸線長は、1.6kmの、おもちゃのような、小さな島さ」
と、寛一は言った。
島には、小さな、簡易に、即席で、作られたような桟橋があって、寛一は、モーターボートを桟橋につけた。
二人は、島に上がった。
「寛一さん。どうして、こんな島を買ったの?」
お宮が聞いた。
「ふふふ。さあ。何のためかな?」
寛一は、思わせ振りな顔つきと、口調で、笑った。
「この島には、何があるの?」
お宮が聞いた。
「何も無いさ。ただ、あそこに、テントの道具があるから、それを組み立ててみな」
寛一は、そう言って、指差した。
島の、砂浜には、組み立て式の、テントがあった。
(こんな、殺風景な小さな島に、テントを張って、キャンプみたいたことをして、何が面白いのかしら?)
お宮は、疑問の目で、テントを見た。
その時。
バルルルッ。
モーターボートのエンジンがかかる音がした。
お宮は、咄嗟に、後ろを振り返った。
「寛一さん」
寛一は、いつの間にか、お宮から、離れて、モーターボートに乗っていた。
モーターボートは、桟橋から、少し離れて、海の中に、浮かんでいた。
お宮は、あせって、寛一の方へ走った。
「あっ。寛一さん。どうするの?」
宮が聞いた。
しかし、モーターボートは、桟橋から、離れているので、お宮は、モーターボートに乗ることが出来ない。
お宮は、桟橋の上から、モーターボートに乗っている、寛一の近くに行った。
「お宮さん。僕は、オアフ島にもどる。君は、ここで暮らしな」
「ええっ。どうして、そんなことをするの?」
「だって、君は、島を持っているなんて、素敵、と言ったじゃないか」
「それは、そうだけど・・・。何時間したら、ここに、来てくれるの?」
「さあね。それは、わからないな。まあ、色々と用事があるから、三日は来れないな」
「そ、そんなあ」
宮の困惑する顔を余所に、寛一は、モーターボートを走らせて、去っていった。
あとには、お宮だけが、さびしい島にポツンと、一人、残された。
○
お宮は、途方に暮れた。
寛一が、何を考えているのか、分からなかったからである。
(いつ、寛一さんが、やって来てくれるのだろう?)
寛一は、少なくとも、三日は来ないよ、と言った。
では、今日から、三日間は、この、さびしい島で過ごさねばならない。
なので、お宮は、ともかく、テントを張ることにした。
テントの、道具の中に、なぜだか、大きな金庫があった。
一体、ここは、ハワイ諸島の、どこら辺なのだろう。
テントは、一人、やっと、横になれる程度の小さな物だった。
お宮は、金庫の中を開けてみた。
すると、そこには、札束が、詰まるほど、一杯あった。
百万円が、白いテープで、一つの単位のように、まとめられていて、それが、30個、つまり、三千万円、あった。
そして、テントの中には、レトルトパックの、カレーが、6袋あった。
それと、ノート、シャープペンシルがあった。
お宮は、札束を置いていった、寛一の心が分からなかった。
(なぜ、寛一さんは、札束など置いていったのかしら?)
お宮は、しばし、迷っていた。
宮には、寛一が、なぜ、テント用具と、金のたくさん、入った金庫を、置いて、去っていったのか、その理由が、どうしても、わからなかった。
ここは、どんな島なのだろう、と、お宮は、島を一周してみた。
何も無い。
林の中にも、入ってみたが、特に、何も無い。
しかし。ハワイ諸島とはいえ、だんだん、日が暮れてきて、ビキニ姿だけでは、少し、肌寒くなってきた。
しかも、宮のビキニは、アクアドレスの、女の性器の部分を隠すだけの、セクシーな、ビキニで、保温のためとしての、着物としての役目は、ほとんど無かった。
しかも、その時、パラパラと、スコールが降ってきた。
お宮は、テントの中に入った。
食料も無く、水も無い。
食べ物も、水も無いと、わかると、無性に、腹が減ってきた。
しかも、テレビも、スマートフォンも無い。
(ああ。お腹がすいた。何でもいいから、何か食べたいわ)
お宮は、一人で、そう呟いた。
それで、お宮は、仕方なく、レトルトパックのカレーを、1袋、切って、食べた。
日が暮れて、真っ暗になった。
(ああ。お母さん。お父さん。寛一さん)
そう呟きながら、お宮は、縮こまって、横になった。
腹は減っていたが、精神的、肉体的な疲れから、お宮は、ウトウトし出した。
そして、眠りに就いた。
しかし、いつ、寛一が来てくれるのか、わからず、不安で、しかも、ビキニだけで、寒くて、熟眠など、とても出来なかった。
○
翌朝、お宮が、目を覚ますと、ちょうど日の出の頃だった。
ハワイ諸島の緯度は北緯20°くらいで、台湾と同じくらいであるが、海洋性気候のため、湿気がなく、暖かい。
お宮は、浜辺へ出てみた。
浜辺は、美しいが、今の、お宮にとっては、飢え死にしないために、島を脱出することが、何より、先決だった。
ここは、ハワイ諸島の中なのだから、島々を通る船が、この島を見つけてくれるかもしれない。さらに、飛行機も、ハワイ諸島の、島々を行き来することも、あるのだから、飛行機が、この島を見つけてくれるかも、しれない。
それで、お宮は、林の中の、木の枝を折って、それで、浜辺に、大きく、SOSと書いた。
こうすれば、この島の上空を通りかかった、飛行機が、見つけてくれるかも、しれない。
お宮は、何だか、ロビンソン・クルーソーになったような気持ちになった。
金庫の中には、一冊のノートと、シャープペンがあった。
なので、宮は、毎日、日記をつけた。
寛一は、三日は来ない、と言った。
ならば、三日後には、来てくれるのかもしれない。
なので、お宮は、レトルトパックのカレーを、一日、2袋だけ、食べることにした。
レトルトパックのカレーは、1袋、100gで、200Kcalしかない。
○
そうして三日、経った。
お宮が、浜辺で、船が通るのを待っていると、遠くから、一隻の、モーターボートが、遠くから、やって来た。
だんだん、島に、近づいてくるにつれ、それに乗っているのが、寛一だと、わかった。
しかし、お宮は、三日三晩、ほとんど、飲まず、食わず、の状態なので、走り出す体力が無かった。
寛一は、モーターボートを、桟橋に、つけると、お宮の所に、やって来た。
「やあ。お宮さん。元気だったかい?」
寛一が聞いた。
「元気じゃないわ。お腹は減るし、夜も、眠れないし・・・。いつ、あなたが、来てくれるのか、どうかも、わからないし。不安と、心細さで、死にそうなほど、辛かったわ。今日は、私を、オアフ島に、連れ返してくれるために、助けに来てくれたのね?やっぱり、寛一さん、って、優しいわ。私、嬉しいわ」
お宮は、嬉しそうに、そう言った。
しかし、寛一は、黙っていた。
「いや。宮さん。僕は、今日、君を、オアフ島に、連れて帰るために、ここに来たんじゃないよ」
そう、寛一は、冷たい、突き放した、言い方で、言った。
「寛一さん。じゃあ、何のために、やって来たの?」
お宮が、寛一の眼を覗き込んで、聞いた。
しかし、寛一は、黙っていた。
「ところで宮さん。お腹は減っていないかい?」
寛一が、唐突な質問をした。
「それは、お腹、減っているのに、決まっているわ。三日間、ほとんど、何も食べていないんだもの。お腹が減って、もう死にそうだわ」
宮が言った。
「じゃあ、何か、食べたい?」
寛一が聞いた。
「もちろんよ。寛一さん。お願い。お腹が減って、死にそうなの。何か、食べさせて」
お宮は、目に涙を浮かべて、訴えた。
「でも。三日間、何も食べていないから、ウェストが、細くなって、プロポーションが良くなったじゃない」
寛一は、宮の訴えと全く関係のない、そんな意地悪なことを言った。
「寛一さん。お願い。意地悪なこと、言わないで。何か、食べさせて」
お宮は、目に涙を浮かべて、訴えた。
寛一は、麻袋の中から、缶詰を取り出した。
さばの味噌煮の缶詰が、10缶、あった。
「お腹が減っただろう。じゃあ。これを、売ってあげるよ。ただし、一缶、100万円だよ。高くて、嫌なら、別に、買わなくてもいいよ」
寛一は、そう言った。
宮にとっては、背に腹は変えられない。
「か、買います」
お宮は、シクシク泣きながら、テントの中の、金庫から、百万円札の束を、10枚、合計1千万円、取り出して、寛一に渡した。
「よし。じゃあ、売ってあげるよ」
そう言って、寛一は、お宮が、差し出した、百万円の札束を十枚、つまり、1千万円、受け取った。そして、代価として、10缶の、さばの味噌煮の缶詰を、お宮に渡した。
「寛一さん。私。寛一さんが、来てくれなかったら、死んでしまう、という不安に、発狂しそうなほど、悩まされていました。寛一さんが、来てくれて、すごく、嬉しいです」
と、お宮は、泣きながら、言った。
だが、寛一は、何も言わずに、黙っていた。
お宮は、10缶の、さばの味噌煮の缶詰を、受けとって、それを見て、ゴクリと、生唾を飲み込んだ。
しかし、缶詰があっても、缶切り、が無ければ、食べられない。
「あ、あの。寛一さん」
お宮が、ためらいがちに言った。
「何?」
寛一は、極めて淡泊な口調で聞き返した。
「あ、あの。缶切り、を、貸して貰えないでしょうか?」
お宮が、聞いた。
「ああ。そうだったね」
寛一は、そう言って、缶切り、を取り出した。
「これが欲しいかね?」
寛一が聞いた。
「ええ」
お宮が答えた。
「それじゃあ。売ってあげるよ。ただし、缶切り、一つ、百万円だ。どうだね。買うかい?」
寛一が聞いた。
「か、買います」
お宮は、シクシク泣きながら、金庫から、百万円札を、取り出して、寛一に渡した。
「よし。じゃあ、売ってあげるよ」
そう言って、寛一は、お宮が、差し出した、百万円の札束を、受け取り、そして、交換として、缶切りを、お宮に渡した。
缶切り、を、受け取った、お宮は、急いで、さばの味噌煮の缶詰を、開けて、ムシャムシャと、貪るように、さばの味噌煮を食べた。
あまりにも、腹が減っていたので、お宮は、続けざまに、もう、一缶、さばの味噌煮の缶詰を食べた。
「ありがとう。寛一さん」
お宮は、泣きながら言った。
さばの味噌煮の缶詰を、二缶、食べただけでは、まだ、物足りなかったが、お宮の不安は、寛一が来てくれないのでは、ということが、大きかったので、目の前に、寛一がいる、ということが、お宮の不安を、かなり和らげていた。
「寛一さん。どうか、私を、モーターボートで、オアフ島に、連れていってください?」
お宮が必死に訴えた。
「いや。今日は、僕は、一人で、帰りますよ」
と、寛一は、冷たく、突き放した。
「ええー。そ、そんなー。で、ては。一体、いつ、私をオアフ島に、連れ戻してくれるのですか?」
お宮が聞いた。
「さあ。それは、わからないな」
寛一は、意地悪なことを、淡泊な口調で言った。
「ひどいわ。寛一さん。もう意地悪は、しないで」
お宮は、シクシク泣きながら、言った。
寛一は、ニヤニヤ笑っている。
「宮さん。南国といっても、夜は、毛布が無いと、寒いだろう?」
と、泣いている宮に、寛一は、言った。
「ええ」
宮は、肯いた。
その通りだった。
南国といっても、スコールもあるし、風も吹く。
アクアドレスのリゾート・ビキニだけでは、寒いし、毛布が無いと、寝る時、心もとない。
ビキニだけで、寝ると、寝ている間に、体力を消耗してしまう。
実際、宮は、テントの中で、寝た、三日間は、睡眠が浅く、十分な、睡眠を、とれず、レム睡眠で、悪夢ばかり見て、寝ても、精神と体力を、消耗するばかりで、疲れるだけだった。
「じゃあ、宮さん。毛布をあげるよ」
そう言って、寛一は、宮の前に、毛布を一つ、差し出した。
「ありがとう。寛一さん」
宮は、嬉しくなって、毛布に手を伸ばした。
その時、寛一が、毛布を、サッと、引っ込めた。
「ああっ」
宮は、小さな声を上げた。
「この毛布もタダじゃない。一枚、百万円だよ。買うかい?」
寛一が聞いた。
「ええ。買います」
お宮は、ポロポロ涙を流して、泣きながら、寛一に、百万円の札束を渡した。
それで、寛一は、その対価として、
「はい。では、あげるよ」
と言って、お宮に、毛布を渡した。
「じゃあ。またねー」
寛一は、まるで、中学校の生徒が、別れ際に挨拶するような、軽い口調で、言うと、サッと、モーターボートに飛び乗った。
バルルルルッ。
寛一は、モーターボートのエンジンを駆けた。
「ああっ」
うろたえる、お宮を残して、寛一のモーターボートは、青い、海原を掻き分けて、去っていった。
そして、ついに、寛一のモーターボートは、視界から、なくなった。
お宮は、ガックリと、肩を落とした。
今度、いつ、寛一が来てくれるのかは、わからないのである。
お宮は、それから、1日に、さばの味噌煮の缶詰を、2つだけ、食べて、過ごすことにした。
寛一が、今度、いつ、来るのか、わからないからだ。
百万円で買った、ただの普通の毛布は、助かった。
毛布が、こんなにも、有り難い物だということを、お宮は、あらためて知った。
お宮は、出来るだけ体力を消耗しないように、テントの中で、一日中、毛布にくるまって過ごした。
お宮は、あまりの、寂しさから、一人で、シャーリーンの、「愛はかげろうのように」を歌った。
シャーリーンの、「愛はかげろうのように」の、歌が、何だか、今の自分の気持ちに、ふさわしいように、思えたからである。
しかし、一人で歌うと、余計、さびしくなって、お宮は、また、ポロポロ涙を流して泣いた。
この世の、全てのことが、虚しいように、お宮には、感じられた。
お宮は、ただただ、生きていられることの、素晴らしさを、それを、失いかけて、初めて、知り始めた。
寛一が来てくれることだけを、ただただ、毎日、祈った。
三日後のことである。
モーターボートの音がしたので、お宮は、テントから出た。
寛一が操縦する、モーターボートが、海原をかき分けて、やって来た。
「ああ。寛一さん」
お宮は、涙が出るほど、嬉しかった。
さばの味噌煮の缶詰も、ちょうど、昨日、食べつくして、もう、食べ物は、何も無かった。
寛一は、モーターボートを、桟橋につけた。
そして、寛一は、モーターボートを降りると、お宮の方に向かって、無人島の砂浜を歩いた。
「ああ。寛一さん。来てくれてありがとう。私。嬉しいわ」
お宮は、そう言った。
お宮は、今回も、また、寛一が、少しの食糧を、持ってきた、のだと、思った。
もう、お宮は、生きていられるだけで、生きていられることの幸せを、痛感していた。
「宮さん。君は、昔、幸福は、金で買える、と言ったよね。今でも、君は、幸福は、金で買えると思うかい?」
寛一が聞いた。
「思わないわ。富山さんと、結婚した後には、お金持ちになれたわ。欲しい物は、何でも買えたわ。でも、欲しい物を手に入れても、もっと、高級な物が、欲しくなって、それが手に入らないと不満だったわ。人間の欲望って、とどまることがないのね。だから、いつも、不満だったわ」
「では。今、君は、何が欲しい?」
「何でもいいから、食べ物が欲しいわ。でも、欲を言えば。日本に帰って、普通の安アパートに住みたいわ。超高級フランス料理じゃなくてもいいわ。働いて、お腹をすかせて、松坂牛などの、ブランドものでなくても、キャビアや、フォアグラでなくても、安くてもいいから、食べ放題の焼肉や、ラーメンや、カレーライスなどを、腹一杯、食べたいわ。それと、温かい、普通の、布団が欲しいわ。それだけだわ」
「ふむ。そうか。それを聞いて、安心したよ。それじゃあ、今日、モーターボートで、君を連れて、オアフ島に帰るよ。そして、日本に帰るよ。僕は、君が、そう言ったら、君を、オアフ島に、そして、日本に、連れて帰ろうと、思っていたんだ」
寛一は、そう言った。
「ほんとう?ありがとう。寛一さん。信じられないわ」
お宮は、ポロポロと、嬉し涙を流していた。
「日本に帰ったら、どうする?こんな、意地悪をした、僕とは、離婚する?」
「いえ。あなたと、暮らしたいわ。あなたのおかげで、私は、人間にとっての、本当の幸せ、というものを、知ることが出来たんですもの」
お宮は、涙を流しながら、言った。
「そうか。じゃあ、もう、こんな無人島からは、帰ろう。そして、日本に戻ろう」
「ありがとう。寛一さん」
寛一は、お宮を、モーターボートに乗せた。
そして、エンジンを駆けた。
バルルルルッっと、強い、エンジン音が鳴った。
宮は、寛一と、オアフ島に帰った。
オアフ島では、見る物、食べる物、全てが、宮には、新鮮だった。
そして、一週間ほど、オアフ島で過ごした後、寛一と日本に帰った。
宮は、寛一から、豚骨ラーメンの作り方を、習った。
半年で、宮は、豚骨ラーメンの作り方を、完全に覚えた。
宮は、2011年の、3月11日に、起こった、東日本大震災の、福島の相馬町の、仮設住宅街に、豚骨ラーメン「なんでんかんでん」の、店を開きたいと、寛一に言った。
寛一は、快諾した。
宮は、なんでんかんでん相馬店の、店長になった。
店長といっても、厨房で、朝から夜まで、汗水流して、豚骨ラーメンを作った。
寛一は、環七通りの、「なんでんかんでん」の店での、豚骨ラーメン、作りの仕事で忙しかった。
なので、寛一とは、籍を入れたまま、しばらく別居という形の夫婦生活になった。
きれいな女店長と、おいしい、博多の豚骨ラーメン店が出来た、ということで、相馬町および、近くの人が、多くやって来た。
店に来る客が多いので、おおいに町の活性化になった。
次に、宮は、宮城県、福島県、岩手県の、東日本大震災で、甚大な被害を受けた、漁港の町に、次々と、豚骨ラーメン「なんでんかんでん」の、チェーン店を作っていった。
JR東日本も、東北の地方のテレビや、メディアも、その宣伝を大々的にした。
そのおかげで、店は、大繁盛となった。
それによって、東北に観光に来る客が、どんどん増えていき、ついに、東日本大地震の被害前の状態にまで、福島、宮城、岩手の三県は、奇跡的な復興を遂げた。
宮は、ラーメン作りの経験のある者を募集して、豚骨ラーメンの、作り方を伝授した。
そして、その人を店長にした。
それを、東北に、新しくつくった、チェーン店、全てで、やった。
それが、全て、終わると、宮は寛一のいる東京にもどった。
お宮と寛一は、仲むつまじく、幸福に暮らしている。
平成28年3月5日(土)擱筆
0
お気に入りに追加
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
ホワイトデーには返してもらうぜ、オレの身体を!
矢的春泥
ライト文芸
バレンタインデーに彼女から心のこもったチョコを貰った。
チョコを食べると彼女の心がオレの頭の中に入ってきて、オレの心が追い出されてしまった。
仕方なく、心の抜けた彼女の身体に入ったオレ。
このホワイトデーには返してもらうぜ、オレの身体を!
獣人の里の仕置き小屋
真木
恋愛
ある狼獣人の里には、仕置き小屋というところがある。
獣人は愛情深く、その執着ゆえに伴侶が逃げ出すとき、獣人の夫が伴侶に仕置きをするところだ。
今夜もまた一人、里から出ようとして仕置き小屋に連れられてきた少女がいた。
仕置き小屋にあるものを見て、彼女は……。
そんなに妹が好きなら死んであげます。
克全
恋愛
「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。
『思い詰めて毒を飲んだら周りが動き出しました』
フィアル公爵家の長女オードリーは、父や母、弟や妹に苛め抜かれていた。
それどころか婚約者であるはずのジェイムズ第一王子や国王王妃にも邪魔者扱いにされていた。
そもそもオードリーはフィアル公爵家の娘ではない。
イルフランド王国を救った大恩人、大賢者ルーパスの娘だ。
異世界に逃げた大魔王を追って勇者と共にこの世界を去った大賢者ルーパス。
何の音沙汰もない勇者達が死んだと思った王達は……
僕の愛するその人は、
氷上ましゅ。
恋愛
人とは違うセクシャリティを持った人の話。
LGBTの中にはあてはまらないのでそれは期待しないで頂きたい。
人形偏愛症(ピグマリオンコンプレックス)の主人公が自分の「愛」を貫く話。
気分が悪くなったらブラウザバック推奨。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる