最後の約束

松田 かおる

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最後の約束

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西暦2092年。
「宇宙時代」と呼ばれるようになって早くも数十年が経とうとしていた。
その中でも特に目覚ましい発達を遂げたのが住環境であった。
地球と月の引力の均衡点である、五つの「ラグランジュ・ポイント」には、増え過ぎた人口を宇宙に移住させるために、各ポイントに日、米、欧、露、中の各国がコロニーを建設し、人々はその中で地球上と変わらない生活を送っていた。
その中で、地球から見て月の向こう側にある日本のコロニーでは、ある重大な出来事が起きていた。

「本当に間違いないんだな」
コロニー監視室長は、レーダーが捕えた物体を映し出す画面を見ながら、うなるように尋ねた。
「はい、間違いありません。直径約180kmの小惑星です」
隣にいる管制官が同じく画面を見ながら応えた。
二人が見ている画面には、今まで見たこともない大きな影が映しだされていた。
室長はネクタイを弛めながら、
「もしこれがこのまま向かってきたら…」
室長はその先を言いたくないようだった。
「…間違いなく地球に衝突します」
管制官がそれを引き継ぐように言った。
「…そうか…」
そう言ったきり、室長は口を閉ざした。
その結果どうなるかなどとという事は、いちいち口に出さなくても分かりきっている事だからだ。
しばらくの沈黙の後、室長は口を開いた。
「よし、大至急政府と国連に連絡を取ってくれ」

国連ではすぐに審議が開始され、解決案が模索された。
その結果、もっとも有効な方法として一つの方法が提案された。
一番小惑星に近い日本のコロニーの中に核爆弾を満載し、小惑星にぶつけて爆破、粉砕させる方法だった。
その案は時間的、確率的にも一番効果があるとされ、全会一致で可決された。
小惑星の衝突まであと四ヶ月。
作業は急ピッチで進められた。


「君の瞳に…」
どこかで聞いたようなクサい台詞を吐きながら、達也は思いきり真剣なまなざしでグラスを差し出した。
「やぁねぇ。恥ずかしい」
美幸はそう言いながらも、まんざらでもない感じだった。
クサいせりふを吐かれても、相手によるのかもしれないな、と美幸は思った。
グラスをあわせて、二人はワインを飲み干した。
「でも、いいの達也?もう準備で忙しいんじゃないの?」
達也はにこっと笑いながら、
「いいっていいって。たとえ隕石が落ちてきたって、今の二人の邪魔は出来ないさ」
と言った。
達也のその言葉を聞いて、
「今言うとちょっとシャレにならないわね」
美幸は苦笑しながらそう言った。
達也も苦笑しながら、
「まぁ、本格的に忙しくなるのはもう少し経ってからだな。今はまだ住民の退去作業や何やらで、俺達技術屋の出番はまだ先だからね」
と言った。
「そっか…」
何か浮かない感じで美幸は答えた。
「ン?どうかしたのか?」
その様子を見て、達也は尋ねた。
「だって、今夜でしばらく達也とお別れでしょう?なんだか寂しくって」
「まぁ、住民は今週中に全員退去しなくちゃいけないし、君の準備も始めなくちゃいけないからなぁ」
「それはまぁ、そうなんだけど…」
「それにお別れって言っても、たったの三ヶ月だからさ、あっと言う間だよ」
達也はそう言って、少しでも美幸を元気づけようとした。
それでもやはり、どこか浮かない美幸の表情を見て、達也はちょっと困った顔をしながらポケットから包みを一つ取り出し、美幸の前に置いた。
「開けてごらん」
達也に言われて、美幸はその包みを開けた。
中から出てきたのは宝石箱だった。
「誕生日にはちょっと早いけど、プレゼント」
美幸が開けると、きれいなプラチナ色に輝く指輪が入っていた。
「わぁ…あれ、これ変よ。指輪と台座だけじゃない」
そう言って美幸は指輪をはめた左手を達也の前に出してみせた。
「あぁ、それはお守りみたいなものだな。台座の中身は俺の仕事が終わったら、改めて君にプレゼントするよ。誕生石のダイヤモンド。ちょうどコロニーをぶつける予定の日が君の誕生日だしね。それまで大事に持っててくれよ」
美幸は微笑みながら、
「わかったわ。大事に持ってる」
と言った。
「それじゃ、改めて」
達也がグラスを差し出した。
美幸も微笑んでグラスをあわせる。
涼しい音が響き渡った。


美幸がコロニーから退去して約二ヶ月。地球上の美幸の家。
達也の仕事が終わったら、二人で一緒に住む事になっているアパートだ。
美幸が地球に着いてからは、ほとんど毎週のように達也から手紙が届いていた。
仕事の進み具合、身の回りの事、その他他愛もない事。
はっきり言って、手紙の内容は美幸にとって少しも面白いものではなかったが、その文面からは美幸を心配させまいとする達也の心遣いがにじみ出ていて、それだけでも美幸にとってはとても嬉しい事だった。
美幸はその手紙を見ながら、一日も早く達也が来るのを心待ちにしていた。

それは突然訪れた。
ある日美幸がテレビを見ていた時だった。
今日もトップニュースは小惑星の事だ。
美幸は毎日このニュースを見ながら、
「達也、今日も頑張ってるんだろうな」
と考えていた。
「爆薬設置作業中の日本コロニー内で事故が発生し、作業員に死傷者がでました」
それを聞いて、美幸の表情が曇った。
「まさか…」
そうつぶやきながらニュースを見ていると、よく見慣れた顔がテレビの画面に映っていた。
「死亡したのは、サカモト ヒロアキさん、ミサワ タダシさん、水口 達也さんの三名です」
今ニュースキャスターが言った言葉が、どこか別の世界の事のように感じられた。
一体このキャスターは何を言っているんだろう…
美幸は無意識のうちにそう考えていた。
「…だって、達也はいつも手紙で『早くそっちに行きたい』とか『君に会えるのが楽しみだ』って書いて来てくれたんだよ。達也は今まであたしにウソついた事なんかなかったよ。約束だってちゃんと守ってくれたもん。別れる時だって、指輪に付けるダイヤ、あたしにくれるって言ったもん。達也が約束、破る事なんて、絶対…ないもん…」
誰に言うでもなく美幸はつぶやいていたが、最後は声にならない声だった。
やがて美幸は、
「うわああああああぁぁぁぁん!」
ありったけの声を出して、その場に泣き崩れた。

数日後、美幸は達也の会社に行き、事故の報告と説明を受けた。
会社の人の説明によると、あまりにもひどい事故だったので、達也を初めとする犠牲者の「遺品」と呼べるものは一つも残らなかったそうだ。
会社の重役が『なんともお詫びの申し上げ様もない』と陳謝の意を表わしたが、今更そんな事、美幸にとってはどうでもいい事だった。
いくらお詫びや慰めの言葉を並べられても、達也はもう帰ってこないのだから…

しばらくの間、何も物事を考えずに、ただぼーっとする日が続いた。
なまじ「遺品が何も残らなかった」と言う事が、かえって美幸に淡い期待を持たせがちであった。
もしかしてある日突然、『いやあ、疲れた』と言いながらドアを開けて、まるで何もなかったかのように達也が入ってくるんじゃないか、と。
まるであの事故がなかったかのように作業が滞り無く進んでいる事をニュースで聞かされると、なおさらであった。
しかし数日,数週間と過ぎるうちに、それは美幸の単なる願望でしか無いという事に、少しづつ、そして確実に美幸自身も気づかされていった。
ニュースですべての作業が完了した、と報道された数日後、美幸は誕生日を迎えた。
その日の晩、美幸は独りでささやかな誕生日パーティーを開いた。
いつもよりちょっとお洒落して、ほんのり薄化粧。
テーブルにはケーキと、二人分の料理と食器。そして左手には指輪。
こんな事しても女々しいだけだと美幸は思ったが、それでもそうしないと気分が落ち着かなかった。
シャンパンを抜き、二つのグラスに注ぐ。
グラスを一つ持ち、置いたままのグラスにカチンとあわせる。
最後に達也と別れたあの時と同じような涼しい音が、静かに部屋に響いた。
「独りっきりの誕生日、か…」
シャンパンを一息に飲み干して、もう一杯飲もうとシャンパンのボトルに手を延ばした時、玄関のチャイムが鳴った。
誰だろう、こんな時間に…
そう思いながらドアを開けると、郵便屋が立っていた。
「松下美幸さんですか?小包です」
郵便屋はそう言って、美幸に小包を渡した。
差出人を見ると、そこには達也の名前が記してあった。
その名前を見た瞬間、美幸ははっとして、包みを開いた。
すると包みの中からアンティーク風の箱が一つ現れた。
よく見るとそれはオルゴールだった。
美幸が蓋を開けると、オルゴールが澄んだメロディーを奏で始めた。
<Fly me to the Moon>
美幸が好きな、大昔の曲だった。
蓋を開けたその中には、手紙が一通入っていた。
それを見つけると、美幸は何かに急かされる様にそれを取り出し、封を切った。
中には短い手紙が一通入っていた。


美幸へ
君がこの手紙を読んでいるという事は、俺に何が起こったかは知っているだろうと思う。
だから、今更何があったかという事は言わない。
ただ一つ心残りなのは、最後に君と別れた時の約束を果たせなかった事だ。
それだけが残念でならない。

悲しまないでくれとは言えないが、君ならまだやり直す事ができる。
一日も早く俺の事は忘れて、新しい人生を歩んでほしい。

最後に俺の我がままを一つだけ聞いてくれ。
君にとっては辛い事かもしれないが、俺の最後の仕事を見届けてほしい。
その目でじかに見ても、テレビでもいい、俺がした仕事の結果を君に見てほしい。
それが最後の俺からのお願いだ。

じゃぁ、元気でな。

達也


まるで、『これから旅行に行くので、ちょっと簡単な書き置きを残していく』とでもいうような、簡素な内容だった。
美幸はその手紙をしばらくじっと見ていた。
「…何さ、自分勝手な事言っちゃって」
そう言って手紙を握りしめ、手紙の内容を振り返っていた。
最後に俺の我がままを聞いてくれ、か…達也らしい言い方だな。
そう言えば、もうすぐコロニーが小惑星に接触する時間のはずだ。
美幸はシャンパングラスを持って、ベランダに出た。
今日は新月で夜空に月は見えないが、大体の方向はわかっている。
しばらくその方向を見ていると、核爆弾を満載したコロニーが小惑星に衝突する時間になった。
宇宙空間で、しかも月の向こうで起こった爆発なので、もちろん音は聞こえない。
爆発の瞬間、ちょうど小惑星と地球の間に月が入り、新月で見えない月の輪郭がくっきりと映し出され、その上端に、爆発の光が日の出のように明るく輝いていた。
それはまるで、皆既日食の時に一瞬だけ見せる、「ダイヤモンドリング」の様であった。
美幸はしばらくそれを見ていたが、はっと何かに気付いたように左手を空にかざした。
月の上に輝く光は、差し出した左手の指輪の台座の上で、まるで宝石のようにきらめいていた。
「…なによ、約束が果たせなかっただなんて…達也、ちゃんと約束守ってくれたじゃない」
美幸はそう言って、シャンパンを一口飲んだ。
「…変ね、このシャンパン、しょっぱいよ…」

静まり返った夜空に、オルゴールの澄んだメロディーが広がっていった。
美幸はいつまでも、左手を空に向かって差し出していた。
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