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第4話 タバコ一本分の決断と…
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-1-
自分で言うのもなんだけど、やっぱり開発部はあたしに一番向いている部署だと思う。
プログラムの解析やエラーチェック、時には簡単なプログラムの開発まで、開発部で仕事を始めて一ヶ月も経たないうちに、あたしは色々な仕事をこなして行った。
もちろん、都築さんが次々に新しい事をさせてくれたおかげもあったけど。
そのおかげで、あっという間にあたしは他のメンバーと比べても見劣りしない仕事をこなせるようになって行った。
最近では、他の開発部のメンバーがあたしに質問をしてきたり、アドバイスを求めてくるようにもなった。
そんな感じで仕事をしていくうちに、少しずつではあるけど、プログラムの中心部分にかかわるような仕事も増えていった。
そして二月ほど経ったある日、社内報の取材があたしのところにやってきた。
どうやら、わが社初の女性開発部員に取材をしたいらしい。
別に断る理由もないので、取材に応じてみた。
インタビュアーの広報部員は、開発部門に移るまでのいきさつ(どうやらこれが一番の目玉らしい)、今の環境について感じる事、将来の事…
ありきたりと言えばありきたりな取材を受けた。
そしてさらにその次の月、社内報が出来上がってきたので、目を通してみた。
『わが社のシンデレラ・ガール そのサクセス・ストーリー』
なんてタイトルがついて、あたしの取材記事が載っていた。
…しかしまぁ、よりにもよって「シンデレラ」とは。
いくらなんでも大げさじゃないかしら。
だいたい「ガール」なんて歳でもないし。
半分あきれながら社内報を見ていると、
「よっ、シンデレラ」
と、都築さんがあたしに声をかけてきた。
「やめてくださいよ、そういうのー」
あたしがふざけてふくれてみせると、都築さんは笑いながら、
「しかしまぁ、ずいぶんと派手に紹介されたもんだな」
と言った。
「そうですね。 いくらなんでもこれは、ねぇ…」
あたしがちらっと社内報を見ると、都築さんは「仕方ないよ」と言った感じの表情を見せて、
「ま、そのうち落ち着くだろうから、しばらくの辛抱だ」
と言った。
「…で? 話はそれだけですか?」
まさかこれだけのためにわざわざあたしの席まで来るわけがないから、あたしは聞いてみた。
すると都築さんはちょっと真顔になって、
「話があるんだ、ちょっと来てくれないか」
と言った。
-2-
フロアの隅っこにある喫煙室に、あたしと都築さんは二人きりでいた。
昨今の喫煙事情のせいか人がいないことも多く、最近は隠れた密談場所となっていたりする。
「話って…?」
あたしが聞くと、都築さんは、
「いいかな?」
といって、胸ポケットからタバコを取り出した。
あたしが頷くと、都築さんはタバコに火をつけて一服。
しばらく黙っていたけど、やがて口を開いた。
「まだこれは誰にも話していないんだが、近々ある大きなプロジェクトが始まる」
「…はい」
「そこで、君にお願いしたいのは…」
そこまで聞いて、あたしは予感がした。
まさかとは思うけど…
「君に、このプロジェクトのリーダーを引き受けてもらいたい」
…やっぱり。
ある程度予想していたとはいえ、さすがに息を呑んだ。
いくらなんでも、まだ開発部に配属されて半年にもならないあたしなんかより、もっと他にふさわしい人物がいるんじゃ…
それにそう言うのは都築さんがやればいいんじゃ…
あたしは素直にその事を都築さんに言った。
すると都築さんは、
「いや、僕は別のプロジェクトで当分出向になる。 だからこのプロジェクトを任せられるのは君しかいないと、僕は思っている」
と言い切った。
「でも…」
反論しようとすると、都築さんは、
「初めて君を見たときから、僕にはわかったよ」
などと、まるでプロポーズみたいな台詞を言った。
「君がコーディング・リストの中からエラーを見つけたときの事、覚えてるだろ?」
もちろん覚えている。 忘れるはずがないわ。
あのおかげで今のあたしがここにいるんだから。
あたしがうなずくと、都築さんは続けた。
「君は僕らが一日かかっても見つけられなかったエラーを、いとも簡単に見つけてしまった。 君には悪いが、はじめ僕は何かの偶然だろうと思った」
「偶然ですよ、本当に」
あたしが答えると、都築さんは首を振って、
「いや、偶然じゃない。 その後のエラー修正の手際よさを見る限り、君の力は普通じゃないと直感した」
と言った。
「そんな… 買いかぶりすぎです」
あたしがそう言うと、
「そんな事はない、と僕は思うんだけどな…」
と、都築さんはやんわりと否定した。
「日頃の君の仕事ぶりを見ていれば良くわかる。 君の実力は相当なものだ。 今まで次から次へと新しい仕事をやらせても、君は完璧にこなしてきた」
「…」
「しかも最近は、君のところに質問に来たり、アドバイスを求めに来る連中が増えているじゃないか。 それが君の実力を知る、何よりの証拠だ」
「…」
「ウチの連中は、確かに軽い部分もある。 だが仕事に関しては、絶対に妥協しない。 君のところに行くのも、決して『女の子と話をしたいから』なんていう軟派な理由じゃない。 本当に君なら力になると思っているからこそ、君のところに行くんだ」
「…」
「どうだろう、これでも君はまだこの話を引き受けないか?」
真剣な表情で、都築さんは聞いてきた。
「…少し、考えさせてくれますか?」
あたしが言うと、都築さんはタバコをもみ消して、
「いいよ、これが終わるまでなら」
そう言って、新しいタバコに火をつけた。
タバコの煙とにおいに包まれながら、あたしは考えた。
…あたしにつとまるだろうか…
…あたしなんかに…
でも、これはあたしに巡ってきた、またとないチャンスなのよ。
自分を試す、最大のチャンスじゃない。
これを活かさないでどうするの?
しっかりしなさい、奈緒。
…よし、決めた。
あたしは顔を上げると、都築さんに向かって言った。
「わかりました、やります」
都築さんはそれを聞くと、にっこり笑って火を点けたばかりのタバコをもみ消した。
-3-
それからあたしは、都築さんからリーダーとして仕事をするためのレクチャーをみっちりと受けた。
メンバーの管理,スケジューリング,そして客先との交渉ノウハウ…
ありとあらゆるテクニックやノウハウを、文字通り「たたき込まれた」。
それらを全てあたしがモノにしたのとほとんど同じタイミングで、新しいプロジェクトが正式に発表された。
そしてあたしは都築さんが言った通り、プロジェクト・リーダーに任命されて、都築さんは他のプロジェクトのため、外部に出向して行った。
さぁ、これから先は、もうあたしひとりの力でやって行くしかなくなった訳よね。
責任重大だけど、とにかくやるしかないわ。
本当にここが正念場ってやつよね。
色々と教えてくれた都築さんやあたしを引っ張ってくれた葛城部長のためにも、キチンと仕事をやり遂げなくちゃ。
よし、とりあえずは景気付け。
今夜あたり加奈子を誘って、「打ち入り会」でもやろうかしら。
早速内線電話で総務の加奈子に電話をかけて、お誘いをかけてみた。
そしたら加奈子は、
「…うん、いいよ…」
という返事をくれた。
何となく加奈子の声に元気がなかったのは気のせいかな…
-4-
「仕事、辞めようかな、って…」
久しぶりに会った加奈子、どうも元気がないので問いただしてみたら、こんな返事が返ってきた。
「え… どうしてそんな…」
思わずあたしは聞き返してしまった。
そしたら加奈子は、グラスに口をつけると、
「なんだかさ、仕事が嫌になってきちゃって…」
と答えた。
「嫌に?」
「そう」
加奈子はあたしが総務からいなくなった後の出来事を聞かせてくれた。
あたしがいなくなった後、次長の「ターゲット」が、どうやら加奈子に変わったみたいで、事あるごとに加奈子を標的にしているらしかった。
ほんの小さなミスでも、「だから女は」とか「これだから女は」とか、とにかく加奈子を目の仇のようにしているらしかった。
「…そんな事されてまでしてる仕事なのかな、って、最近思うようになってね」
「でも、それで辞めちゃったら、あんた、負けた事になっちゃうのよ」
「…それは解ってる。 だけど、わたしはあんたみたいに特別な技術もないし、できる事と言えば、次長の言葉じゃないけど、『お茶くみと雑用』くらいしかないし…」
「…」
「だから、さ。 このまま自分ができる『お茶くみと雑用』で今の仕事を続けて、毎日毎日次長のヤツにいじめられるくらいだったら、いっその事、って思うのよ…」
「でも…」
そこまで言って、あたしは言葉につまってしまった。
加奈子が泣いている。
あの気の強い加奈子が…
そんなに追い詰められてたんだ…
あたしは何も言えず、黙って加奈子の横顔を見ていた。
しばらくして、加奈子がペーパーナプキンで目もとを拭うと、
「…ごめん。 せっかくの席なのにね…」
加奈子はこっちを向き直ると、ちょっと無理気味の笑顔をみせた。
「ううん、いいよ…」
そのまましばらく沈黙が続いた。
そして、加奈子がぽつりと口を開いた。
「やっぱり、奈緒はすごいよね」
「…そう?」
「そうよ。 だって、いくら次長にはねられても、何度も何度も異動願い出しに行って、でも結局、思い通りに開発部に異動になって…」
「それは偶然よ」
「『シンデレラ・ガール』。 悪い上司にいじめられていたシンデレラは、開発部長の眼鏡にかなって、見事開発部での仕事につく事ができましたとさ。 めでたしめでたし」
「加奈子…」
「…ごめん。 言い過ぎた」
「ううん、気にしてない」
「正直、わたしはあんたに嫉妬してたかもしれない。 わたしはなにもできないで総務で単調な仕事の毎日。 それに引き換え、奈緒は…」
「…」
「でもそれは、結局わたしの勝手な思い込みなのよね。 自分で何をしようともしないで、ただ他人の幸せを妬むだけ。 それこそシンデレラの意地悪お姉さんとおんなじ」
「…」
「奈緒は奈緒なりに頑張ってるんだから、それを妬むのは筋違いってやつよね」
「…そんな事ないよ…」
あたしはこんな返事しかできなかった。
「ホントにごめん。 なんだか変な雰囲気になっちゃったね」
「…」
「ま、とりあえず飲も」
加奈子はそう言って、グラスの中身を一気に飲み干した。
加奈子が退職届を出した事を総務の社員から聞かされたのは、それから一週間後だった。
自分で言うのもなんだけど、やっぱり開発部はあたしに一番向いている部署だと思う。
プログラムの解析やエラーチェック、時には簡単なプログラムの開発まで、開発部で仕事を始めて一ヶ月も経たないうちに、あたしは色々な仕事をこなして行った。
もちろん、都築さんが次々に新しい事をさせてくれたおかげもあったけど。
そのおかげで、あっという間にあたしは他のメンバーと比べても見劣りしない仕事をこなせるようになって行った。
最近では、他の開発部のメンバーがあたしに質問をしてきたり、アドバイスを求めてくるようにもなった。
そんな感じで仕事をしていくうちに、少しずつではあるけど、プログラムの中心部分にかかわるような仕事も増えていった。
そして二月ほど経ったある日、社内報の取材があたしのところにやってきた。
どうやら、わが社初の女性開発部員に取材をしたいらしい。
別に断る理由もないので、取材に応じてみた。
インタビュアーの広報部員は、開発部門に移るまでのいきさつ(どうやらこれが一番の目玉らしい)、今の環境について感じる事、将来の事…
ありきたりと言えばありきたりな取材を受けた。
そしてさらにその次の月、社内報が出来上がってきたので、目を通してみた。
『わが社のシンデレラ・ガール そのサクセス・ストーリー』
なんてタイトルがついて、あたしの取材記事が載っていた。
…しかしまぁ、よりにもよって「シンデレラ」とは。
いくらなんでも大げさじゃないかしら。
だいたい「ガール」なんて歳でもないし。
半分あきれながら社内報を見ていると、
「よっ、シンデレラ」
と、都築さんがあたしに声をかけてきた。
「やめてくださいよ、そういうのー」
あたしがふざけてふくれてみせると、都築さんは笑いながら、
「しかしまぁ、ずいぶんと派手に紹介されたもんだな」
と言った。
「そうですね。 いくらなんでもこれは、ねぇ…」
あたしがちらっと社内報を見ると、都築さんは「仕方ないよ」と言った感じの表情を見せて、
「ま、そのうち落ち着くだろうから、しばらくの辛抱だ」
と言った。
「…で? 話はそれだけですか?」
まさかこれだけのためにわざわざあたしの席まで来るわけがないから、あたしは聞いてみた。
すると都築さんはちょっと真顔になって、
「話があるんだ、ちょっと来てくれないか」
と言った。
-2-
フロアの隅っこにある喫煙室に、あたしと都築さんは二人きりでいた。
昨今の喫煙事情のせいか人がいないことも多く、最近は隠れた密談場所となっていたりする。
「話って…?」
あたしが聞くと、都築さんは、
「いいかな?」
といって、胸ポケットからタバコを取り出した。
あたしが頷くと、都築さんはタバコに火をつけて一服。
しばらく黙っていたけど、やがて口を開いた。
「まだこれは誰にも話していないんだが、近々ある大きなプロジェクトが始まる」
「…はい」
「そこで、君にお願いしたいのは…」
そこまで聞いて、あたしは予感がした。
まさかとは思うけど…
「君に、このプロジェクトのリーダーを引き受けてもらいたい」
…やっぱり。
ある程度予想していたとはいえ、さすがに息を呑んだ。
いくらなんでも、まだ開発部に配属されて半年にもならないあたしなんかより、もっと他にふさわしい人物がいるんじゃ…
それにそう言うのは都築さんがやればいいんじゃ…
あたしは素直にその事を都築さんに言った。
すると都築さんは、
「いや、僕は別のプロジェクトで当分出向になる。 だからこのプロジェクトを任せられるのは君しかいないと、僕は思っている」
と言い切った。
「でも…」
反論しようとすると、都築さんは、
「初めて君を見たときから、僕にはわかったよ」
などと、まるでプロポーズみたいな台詞を言った。
「君がコーディング・リストの中からエラーを見つけたときの事、覚えてるだろ?」
もちろん覚えている。 忘れるはずがないわ。
あのおかげで今のあたしがここにいるんだから。
あたしがうなずくと、都築さんは続けた。
「君は僕らが一日かかっても見つけられなかったエラーを、いとも簡単に見つけてしまった。 君には悪いが、はじめ僕は何かの偶然だろうと思った」
「偶然ですよ、本当に」
あたしが答えると、都築さんは首を振って、
「いや、偶然じゃない。 その後のエラー修正の手際よさを見る限り、君の力は普通じゃないと直感した」
と言った。
「そんな… 買いかぶりすぎです」
あたしがそう言うと、
「そんな事はない、と僕は思うんだけどな…」
と、都築さんはやんわりと否定した。
「日頃の君の仕事ぶりを見ていれば良くわかる。 君の実力は相当なものだ。 今まで次から次へと新しい仕事をやらせても、君は完璧にこなしてきた」
「…」
「しかも最近は、君のところに質問に来たり、アドバイスを求めに来る連中が増えているじゃないか。 それが君の実力を知る、何よりの証拠だ」
「…」
「ウチの連中は、確かに軽い部分もある。 だが仕事に関しては、絶対に妥協しない。 君のところに行くのも、決して『女の子と話をしたいから』なんていう軟派な理由じゃない。 本当に君なら力になると思っているからこそ、君のところに行くんだ」
「…」
「どうだろう、これでも君はまだこの話を引き受けないか?」
真剣な表情で、都築さんは聞いてきた。
「…少し、考えさせてくれますか?」
あたしが言うと、都築さんはタバコをもみ消して、
「いいよ、これが終わるまでなら」
そう言って、新しいタバコに火をつけた。
タバコの煙とにおいに包まれながら、あたしは考えた。
…あたしにつとまるだろうか…
…あたしなんかに…
でも、これはあたしに巡ってきた、またとないチャンスなのよ。
自分を試す、最大のチャンスじゃない。
これを活かさないでどうするの?
しっかりしなさい、奈緒。
…よし、決めた。
あたしは顔を上げると、都築さんに向かって言った。
「わかりました、やります」
都築さんはそれを聞くと、にっこり笑って火を点けたばかりのタバコをもみ消した。
-3-
それからあたしは、都築さんからリーダーとして仕事をするためのレクチャーをみっちりと受けた。
メンバーの管理,スケジューリング,そして客先との交渉ノウハウ…
ありとあらゆるテクニックやノウハウを、文字通り「たたき込まれた」。
それらを全てあたしがモノにしたのとほとんど同じタイミングで、新しいプロジェクトが正式に発表された。
そしてあたしは都築さんが言った通り、プロジェクト・リーダーに任命されて、都築さんは他のプロジェクトのため、外部に出向して行った。
さぁ、これから先は、もうあたしひとりの力でやって行くしかなくなった訳よね。
責任重大だけど、とにかくやるしかないわ。
本当にここが正念場ってやつよね。
色々と教えてくれた都築さんやあたしを引っ張ってくれた葛城部長のためにも、キチンと仕事をやり遂げなくちゃ。
よし、とりあえずは景気付け。
今夜あたり加奈子を誘って、「打ち入り会」でもやろうかしら。
早速内線電話で総務の加奈子に電話をかけて、お誘いをかけてみた。
そしたら加奈子は、
「…うん、いいよ…」
という返事をくれた。
何となく加奈子の声に元気がなかったのは気のせいかな…
-4-
「仕事、辞めようかな、って…」
久しぶりに会った加奈子、どうも元気がないので問いただしてみたら、こんな返事が返ってきた。
「え… どうしてそんな…」
思わずあたしは聞き返してしまった。
そしたら加奈子は、グラスに口をつけると、
「なんだかさ、仕事が嫌になってきちゃって…」
と答えた。
「嫌に?」
「そう」
加奈子はあたしが総務からいなくなった後の出来事を聞かせてくれた。
あたしがいなくなった後、次長の「ターゲット」が、どうやら加奈子に変わったみたいで、事あるごとに加奈子を標的にしているらしかった。
ほんの小さなミスでも、「だから女は」とか「これだから女は」とか、とにかく加奈子を目の仇のようにしているらしかった。
「…そんな事されてまでしてる仕事なのかな、って、最近思うようになってね」
「でも、それで辞めちゃったら、あんた、負けた事になっちゃうのよ」
「…それは解ってる。 だけど、わたしはあんたみたいに特別な技術もないし、できる事と言えば、次長の言葉じゃないけど、『お茶くみと雑用』くらいしかないし…」
「…」
「だから、さ。 このまま自分ができる『お茶くみと雑用』で今の仕事を続けて、毎日毎日次長のヤツにいじめられるくらいだったら、いっその事、って思うのよ…」
「でも…」
そこまで言って、あたしは言葉につまってしまった。
加奈子が泣いている。
あの気の強い加奈子が…
そんなに追い詰められてたんだ…
あたしは何も言えず、黙って加奈子の横顔を見ていた。
しばらくして、加奈子がペーパーナプキンで目もとを拭うと、
「…ごめん。 せっかくの席なのにね…」
加奈子はこっちを向き直ると、ちょっと無理気味の笑顔をみせた。
「ううん、いいよ…」
そのまましばらく沈黙が続いた。
そして、加奈子がぽつりと口を開いた。
「やっぱり、奈緒はすごいよね」
「…そう?」
「そうよ。 だって、いくら次長にはねられても、何度も何度も異動願い出しに行って、でも結局、思い通りに開発部に異動になって…」
「それは偶然よ」
「『シンデレラ・ガール』。 悪い上司にいじめられていたシンデレラは、開発部長の眼鏡にかなって、見事開発部での仕事につく事ができましたとさ。 めでたしめでたし」
「加奈子…」
「…ごめん。 言い過ぎた」
「ううん、気にしてない」
「正直、わたしはあんたに嫉妬してたかもしれない。 わたしはなにもできないで総務で単調な仕事の毎日。 それに引き換え、奈緒は…」
「…」
「でもそれは、結局わたしの勝手な思い込みなのよね。 自分で何をしようともしないで、ただ他人の幸せを妬むだけ。 それこそシンデレラの意地悪お姉さんとおんなじ」
「…」
「奈緒は奈緒なりに頑張ってるんだから、それを妬むのは筋違いってやつよね」
「…そんな事ないよ…」
あたしはこんな返事しかできなかった。
「ホントにごめん。 なんだか変な雰囲気になっちゃったね」
「…」
「ま、とりあえず飲も」
加奈子はそう言って、グラスの中身を一気に飲み干した。
加奈子が退職届を出した事を総務の社員から聞かされたのは、それから一週間後だった。
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