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第十五話 誘導弾
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ガダルカナル島の攻防とそれに続くポートモレスビー陥落以後、太平洋戦線は不気味な静けさを見せていた。米軍に大きな動きはなく、日本軍も豪州北部に嫌がらせの爆撃を行う以外は積極的な行動をしていない。
唯一動きが激しくなったのは潜水艦による輸送路への攻撃であったが、これも海上護衛隊への陸攻と急造海防艦の大量投入により破綻には至っていない。
インド方面では一度だけ英艦隊の大規模な攻撃があったが、チッタゴンに駐留する遣印艦隊と陸攻部隊により難なく撃退している。中国もビルマルートの消滅で支援が完全に途絶えたため以前に比べればかなり落ち着いていた。
だが1944年(昭和十九年)になり米軍が戦力集積を終えると、再び太平洋は騒がしくなった。米艦隊の活動が活発化したのである。しかもそれは以前のヒットエンドラン戦法と異なり、大小10隻以上の空母を基幹とする大艦隊を用いた本格的な反攻作戦であった。
6月、まず最初に攻撃されたのはウェーク島だった。この小さな島に展開する陸攻部隊はいない。このためまともな反撃もままならぬまま守備部隊は航空攻撃と艦砲射撃に蹂躙された。その攻撃は島の形が変わるほどであり守備隊は一人残らず玉砕する結果となった。
上陸した米軍はすぐに滑走路の拡張など基地の整備に着手し、航空部隊を進出させた。
その後7月から8月にかけて今度はマーシャル諸島とギルバート諸島が襲われた。
この方面には第752、第755航空隊の陸攻部隊2中隊が配備されていたため、それらが中心となり敵艦隊に反撃を行った。各部隊には最新型の零式陸攻二三型が行き渡っていたため、日本側は十分に防衛が可能と踏んでいた。
事実、陸攻隊は敵空母3隻撃沈破、その他艦艇の撃破多数の戦果を報告している。これは米側の記録とほぼ一致している。この戦いには1.5トン大型航空魚雷も初めて実戦投入された。
決して小さくは無い戦果である。だがそれと引き換えに、攻撃を行った陸攻部隊はその三分の二を失ってしまった。帰還した機も損傷が酷くほとんど全滅と言ってよい。米側の艦載機に撃墜された機も少なくはないが、損害のほとんどは敵艦の対空砲火によるものだった。
米艦艇の5インチ両用砲はすでにVT信管を備えていたが至近で炸裂しても弾片程度は零式陸攻の脅威ではない。問題はボフォース40ミリ機関砲の方だった。
この機関砲の有効射程は4000メートルほどもあり、直撃すれば如何に重防御を誇る零式陸攻でも耐えられない。雷撃を行った機体はそのほとんどがこの機関砲の餌食となっていた。
この一連の攻撃で、米側は一つの自信を得た。
『Bettyは撃墜できる』という事実である。米軍はこれまで無敵と思われた零式陸攻をはじめて大量に撃墜できたのだ。
FL-1の37ミリ機関砲とボフォース40ミリ機関砲は確実にBettyを撃墜できた。逆に20ミリ機銃と5インチ両用砲は残念ながらBettyに対し効果が低いという事も確認された。
これはマーシャル、ギルバートで初めて入手できた零式陸攻の残骸を調査した結果によっても裏付けられている。
これを受けて米軍はFL-1を強化するとともに、艦載ボフォース40ミリ機関砲の数を更に増やしていく事となる。
一方、日本軍もこの一連の戦いで一つの決断を下した。戦線の縮小である。
今後ふたたび米側が攻めてくる場合、今回のような大艦隊である可能性が非常に高い。これを防ぐには少なくとも航空隊レベルの陸攻部隊を集中投入する環境が必要とわかったのだ。
つまりマーシャルなどの小さな島では防衛は不可能という事である。このため日本はトラックにまで戦線を後退させるとともに、ここに陸攻部隊を集中配備していく事となる。
また、雷撃を行った機体が全滅に等しい被害を受けたことから、敵艦の対空砲火の外側から攻撃できる兵器の必要性を考える者も現れた。
■1944年(昭和十九年)7月
立川 陸軍航空技術研究所
マーシャル諸島、ギルバート諸島で戦ったのは地上部隊も含め全て海軍であった。だがそこで零式陸攻が大損害を受けたという事実は陸軍の航空関係者にも衝撃を与えていた。
「海軍の陸攻部隊がマーシャルで大被害を受けた話はきいているな?」
大森丈夫少佐は同僚の小笠満治少佐を会議室に呼び出すと、内密の相談をもちかけた。
「噂では聞いている。なんでもほとんど全滅したとか」
小笠も深刻な顔で頷く。この陸軍航空技術研究所で大森は機体、小笠はエンジンの開発、審査に携わっている。
そんな彼らが零式陸攻の被害を話題にしているのには理由が有った。陸軍の四式重爆撃機(キ67)は、ほとんど零式陸攻そのものだったからである。
陸軍は九七式重爆の頃から防御にかなり注意を払ってきていた。その思想は百式重爆にも受け継がれている。その後継となるキ67の開発にあたり陸軍は中国で強靭な防御力を見せつけた海軍の零式陸攻に着目した。
そこで陸軍は三菱に対しキ67も零式陸攻並みの防御を求めたところ、逆に零式陸攻の一部仕様を陸軍式にしてはどうかとの提案を受けたのである。
陸軍の一部には海軍と同じという事に反対する者も居たが、零式陸攻は防御力はもちろんのこと、爆弾搭載量や航続距離も陸軍の要求を上回っている。実力も実戦で証明されている。
そして陸軍がもとめた急降下爆撃能力も零式陸攻は難なくこなしてみせた。唯一の欠点は速度が遅いことだが、この点に目をつぶれば合格だった。
海軍も必要資材を陸軍が持つなら問題ないという立場だった。これには万が一の時には共同作戦がやり易くなるという思惑もあったらしい。
ちなみに本機の採用にあたり陸軍の一部からは「なんで爆撃機の方が戦車より重装甲なんだ!」と文句が出て、その後の戦車の開発に影響を与えたという噂もある。
こうした経緯で零式陸攻の装備を陸軍仕様に改めたものが四式重爆撃機として採用されていたのである。それとほとんど同じ機体が大被害を受けたという事実は非常に重大だった。
「例によって海軍は公表しておらんがな。伝手を使って調べたらその通りだった。損害率は7割だそうだ」
「7割!?そんなにもか!?これまでは悪くても5分くらいだったろう?」
「出撃32機に対して未帰還23機。敵機に撃墜されたものもあるが損害のほとんどは敵艦の対空砲火によるものらしい。特に低空で雷撃を行った機体はほぼ全滅だそうだ」
「つまり米軍は零式陸攻、つまり我々の四式を容易に撃墜できる兵器をすでに持っているということか」
「そういうことだ。兵器も分かっている。機関砲だ。口径は40ミリ」
「40ミリ!それはもう戦車砲じゃないか!」
「連中はその機関砲を山ほどフネに積んでいる。損害からみて電探で統制もされているんだろう。有効射程は4000メートルほど。雷撃を試みた機は皆そいつに墜とされた」
緒戦の南方作戦で日本は陸海軍ともにボフォース40ミリ機関砲を鹵獲している。コピー生産も試みられており、その性能は熟知されていた。
「三菱に聞いてみたが、40ミリ相手じゃ逆立ちしても防御は不可能らしい。まあ当然だろうな」
「ならば何もしないとでも?」
小笠が煽る様に大森を横目でにらむ。
「馬鹿な。それは技術者の怠慢だ。そんな不名誉な真似など我々はできん」
大森はかぶりを振って吐き捨てる様に言った。
「ではどうする?考えはあるのか?」
「40ミリ弾なぞ航空機では絶対に防げん。ならばその射程の外から攻撃できればいい」
「4000メートル以上先からか?ロケットなら可能だろうが当たらんぞ」
「ならば当たる様に誘導すればいいだけだ。確か今月、海軍の潜水艦が色々とドイツから持ち帰ったそうだ。それが活用できるかもしれん。なに、真っ先に戦うのは海軍さんなんだ。協力は惜しまんだろう」
こうしてロケットで対空砲火の射程外から攻撃する誘導弾の開発がはじまった。大森と小笠がまとめた計画はちょうどこの頃設置された陸海技術運用委員会で共同開発案件として認められた。
当初は大小2種の案もあったが、発射母機が零式陸攻・四式重爆であるため早期に弾頭重量800キロの大型のみに計画は絞られた。
エンジンとして簡易な固体ロケットも検討されたが、燃焼時間が短いため過酸化水素水を用いるワルター機関が採用された。ただしそれだけでは速度が足りないため突入時の加速用に固体ロケットも併用する。
誘導装置は無線を用いた手動指令照準線一致方式とされたが、この頃実用化された電波高度計を用いる事で高度制御を自動化し、操作者が左右のみの操縦に集中できるように簡略化されている。
なお当時の比例制御方式のみではオーバーシュートで海に突っ込む可能性があったため制御目標高度を段階的に下げる工夫をしている(航空魚雷のPID制御は理論化されていないため適用できない)。
射程は1万メートルほどであるが、誘導のため投下母機は目標の手前4千から5千メートルまで追従する必要があった。この時間は母機が戦闘機に襲われる危険が高かったが、零式陸攻の強靭さと護衛の戦闘機で凌ぐものとされた。
誘導周波数は35~58MHzを18に分割し更にこれを時間で四分割する事で、最大72機の同時投入が可能となっていた。このため同一周波数を使う機は出撃前に時計を正確に合わせる必要があった。
開発はなぜか手隙だった川西航空機が担当し、早くも10月には試作機が完成した。
試験では動作不良により不幸にも温泉旅館に命中するという事故も発生したが、その後に不具合も解消され12月には陸海軍双方で制式化、量産がはじまった。
陸軍では『イ号一型誘導弾』、海軍では特殊攻撃機『桜花』と命名された本兵器は最優先で生産が行われ、米軍の来襲が予想されるマリアナ、トラック方面に集中配備されていった。
また、誘導弾と並行して敵艦の射撃統制レーダーへの対策も必要と考えられた。
レーダー対策については、英国が爆撃の際にアルミ箔片をばら撒いてレーダーを妨害していたというドイツからの情報を元に、既に日本も電探欺瞞紙を導入している。
ただし日本はアルミ資源に乏しいため東南アジアで比較的簡単に調達できる錫を代わりに用いていた。錫箔は脆いため薄紙に貼り付ける形となっている。
当初は袋にいれた欺瞞紙の細片を手でばら撒く形だったが、絡まって塊になって落下してしまう事が多いため現在ではあらかじめ二枚の板の間に欺瞞紙を並べて挟んでおき、それを開いてばら撒く方法がとられている。
だがこの方法では雷撃隊を狙う敵機関砲の射撃統制レーダーを攪乱できない。このため桜花には最終突入時に欺瞞紙をばら撒く装置が追加された。
こうして日本軍はマーシャル方面から徐々に撤退しつつ、出来うる限りの対策を整え米軍の再来襲に備えたのだった。
【後書き】
米軍の反攻作戦が始まりました。
マリアナ・フィリピンルートだとあちこちからワラワラ陸攻が寄ってくるのでカートホイール作戦は諦めました。まっすぐ日本を目指すルートでの攻略となります。マッカーサー涙目……。
日本はボフォース40ミリ機関砲の弾幕を突破するため誘導弾の開発に進みます。
電探欺瞞紙は史実でも1943年から用いられていました。被害を抑える効果があったともいわれてますが実は捜索レーダーを攪乱できた程度でした。射撃管制レーダーに対しては欺瞞紙の長さも短くして射撃エリア内にばら撒く必要があります。
第四次遣独潜水艦の伊29が全ての物資とともに無事に日本に到着したため誘導弾の開発が捗ります。戦況が史実より酷くないので特攻作戦は話も出ません。普通に陸海軍共同開発となりました。
作者のモチベーションアップになりますので、よろしければ感想をお願いいたします。
唯一動きが激しくなったのは潜水艦による輸送路への攻撃であったが、これも海上護衛隊への陸攻と急造海防艦の大量投入により破綻には至っていない。
インド方面では一度だけ英艦隊の大規模な攻撃があったが、チッタゴンに駐留する遣印艦隊と陸攻部隊により難なく撃退している。中国もビルマルートの消滅で支援が完全に途絶えたため以前に比べればかなり落ち着いていた。
だが1944年(昭和十九年)になり米軍が戦力集積を終えると、再び太平洋は騒がしくなった。米艦隊の活動が活発化したのである。しかもそれは以前のヒットエンドラン戦法と異なり、大小10隻以上の空母を基幹とする大艦隊を用いた本格的な反攻作戦であった。
6月、まず最初に攻撃されたのはウェーク島だった。この小さな島に展開する陸攻部隊はいない。このためまともな反撃もままならぬまま守備部隊は航空攻撃と艦砲射撃に蹂躙された。その攻撃は島の形が変わるほどであり守備隊は一人残らず玉砕する結果となった。
上陸した米軍はすぐに滑走路の拡張など基地の整備に着手し、航空部隊を進出させた。
その後7月から8月にかけて今度はマーシャル諸島とギルバート諸島が襲われた。
この方面には第752、第755航空隊の陸攻部隊2中隊が配備されていたため、それらが中心となり敵艦隊に反撃を行った。各部隊には最新型の零式陸攻二三型が行き渡っていたため、日本側は十分に防衛が可能と踏んでいた。
事実、陸攻隊は敵空母3隻撃沈破、その他艦艇の撃破多数の戦果を報告している。これは米側の記録とほぼ一致している。この戦いには1.5トン大型航空魚雷も初めて実戦投入された。
決して小さくは無い戦果である。だがそれと引き換えに、攻撃を行った陸攻部隊はその三分の二を失ってしまった。帰還した機も損傷が酷くほとんど全滅と言ってよい。米側の艦載機に撃墜された機も少なくはないが、損害のほとんどは敵艦の対空砲火によるものだった。
米艦艇の5インチ両用砲はすでにVT信管を備えていたが至近で炸裂しても弾片程度は零式陸攻の脅威ではない。問題はボフォース40ミリ機関砲の方だった。
この機関砲の有効射程は4000メートルほどもあり、直撃すれば如何に重防御を誇る零式陸攻でも耐えられない。雷撃を行った機体はそのほとんどがこの機関砲の餌食となっていた。
この一連の攻撃で、米側は一つの自信を得た。
『Bettyは撃墜できる』という事実である。米軍はこれまで無敵と思われた零式陸攻をはじめて大量に撃墜できたのだ。
FL-1の37ミリ機関砲とボフォース40ミリ機関砲は確実にBettyを撃墜できた。逆に20ミリ機銃と5インチ両用砲は残念ながらBettyに対し効果が低いという事も確認された。
これはマーシャル、ギルバートで初めて入手できた零式陸攻の残骸を調査した結果によっても裏付けられている。
これを受けて米軍はFL-1を強化するとともに、艦載ボフォース40ミリ機関砲の数を更に増やしていく事となる。
一方、日本軍もこの一連の戦いで一つの決断を下した。戦線の縮小である。
今後ふたたび米側が攻めてくる場合、今回のような大艦隊である可能性が非常に高い。これを防ぐには少なくとも航空隊レベルの陸攻部隊を集中投入する環境が必要とわかったのだ。
つまりマーシャルなどの小さな島では防衛は不可能という事である。このため日本はトラックにまで戦線を後退させるとともに、ここに陸攻部隊を集中配備していく事となる。
また、雷撃を行った機体が全滅に等しい被害を受けたことから、敵艦の対空砲火の外側から攻撃できる兵器の必要性を考える者も現れた。
■1944年(昭和十九年)7月
立川 陸軍航空技術研究所
マーシャル諸島、ギルバート諸島で戦ったのは地上部隊も含め全て海軍であった。だがそこで零式陸攻が大損害を受けたという事実は陸軍の航空関係者にも衝撃を与えていた。
「海軍の陸攻部隊がマーシャルで大被害を受けた話はきいているな?」
大森丈夫少佐は同僚の小笠満治少佐を会議室に呼び出すと、内密の相談をもちかけた。
「噂では聞いている。なんでもほとんど全滅したとか」
小笠も深刻な顔で頷く。この陸軍航空技術研究所で大森は機体、小笠はエンジンの開発、審査に携わっている。
そんな彼らが零式陸攻の被害を話題にしているのには理由が有った。陸軍の四式重爆撃機(キ67)は、ほとんど零式陸攻そのものだったからである。
陸軍は九七式重爆の頃から防御にかなり注意を払ってきていた。その思想は百式重爆にも受け継がれている。その後継となるキ67の開発にあたり陸軍は中国で強靭な防御力を見せつけた海軍の零式陸攻に着目した。
そこで陸軍は三菱に対しキ67も零式陸攻並みの防御を求めたところ、逆に零式陸攻の一部仕様を陸軍式にしてはどうかとの提案を受けたのである。
陸軍の一部には海軍と同じという事に反対する者も居たが、零式陸攻は防御力はもちろんのこと、爆弾搭載量や航続距離も陸軍の要求を上回っている。実力も実戦で証明されている。
そして陸軍がもとめた急降下爆撃能力も零式陸攻は難なくこなしてみせた。唯一の欠点は速度が遅いことだが、この点に目をつぶれば合格だった。
海軍も必要資材を陸軍が持つなら問題ないという立場だった。これには万が一の時には共同作戦がやり易くなるという思惑もあったらしい。
ちなみに本機の採用にあたり陸軍の一部からは「なんで爆撃機の方が戦車より重装甲なんだ!」と文句が出て、その後の戦車の開発に影響を与えたという噂もある。
こうした経緯で零式陸攻の装備を陸軍仕様に改めたものが四式重爆撃機として採用されていたのである。それとほとんど同じ機体が大被害を受けたという事実は非常に重大だった。
「例によって海軍は公表しておらんがな。伝手を使って調べたらその通りだった。損害率は7割だそうだ」
「7割!?そんなにもか!?これまでは悪くても5分くらいだったろう?」
「出撃32機に対して未帰還23機。敵機に撃墜されたものもあるが損害のほとんどは敵艦の対空砲火によるものらしい。特に低空で雷撃を行った機体はほぼ全滅だそうだ」
「つまり米軍は零式陸攻、つまり我々の四式を容易に撃墜できる兵器をすでに持っているということか」
「そういうことだ。兵器も分かっている。機関砲だ。口径は40ミリ」
「40ミリ!それはもう戦車砲じゃないか!」
「連中はその機関砲を山ほどフネに積んでいる。損害からみて電探で統制もされているんだろう。有効射程は4000メートルほど。雷撃を試みた機は皆そいつに墜とされた」
緒戦の南方作戦で日本は陸海軍ともにボフォース40ミリ機関砲を鹵獲している。コピー生産も試みられており、その性能は熟知されていた。
「三菱に聞いてみたが、40ミリ相手じゃ逆立ちしても防御は不可能らしい。まあ当然だろうな」
「ならば何もしないとでも?」
小笠が煽る様に大森を横目でにらむ。
「馬鹿な。それは技術者の怠慢だ。そんな不名誉な真似など我々はできん」
大森はかぶりを振って吐き捨てる様に言った。
「ではどうする?考えはあるのか?」
「40ミリ弾なぞ航空機では絶対に防げん。ならばその射程の外から攻撃できればいい」
「4000メートル以上先からか?ロケットなら可能だろうが当たらんぞ」
「ならば当たる様に誘導すればいいだけだ。確か今月、海軍の潜水艦が色々とドイツから持ち帰ったそうだ。それが活用できるかもしれん。なに、真っ先に戦うのは海軍さんなんだ。協力は惜しまんだろう」
こうしてロケットで対空砲火の射程外から攻撃する誘導弾の開発がはじまった。大森と小笠がまとめた計画はちょうどこの頃設置された陸海技術運用委員会で共同開発案件として認められた。
当初は大小2種の案もあったが、発射母機が零式陸攻・四式重爆であるため早期に弾頭重量800キロの大型のみに計画は絞られた。
エンジンとして簡易な固体ロケットも検討されたが、燃焼時間が短いため過酸化水素水を用いるワルター機関が採用された。ただしそれだけでは速度が足りないため突入時の加速用に固体ロケットも併用する。
誘導装置は無線を用いた手動指令照準線一致方式とされたが、この頃実用化された電波高度計を用いる事で高度制御を自動化し、操作者が左右のみの操縦に集中できるように簡略化されている。
なお当時の比例制御方式のみではオーバーシュートで海に突っ込む可能性があったため制御目標高度を段階的に下げる工夫をしている(航空魚雷のPID制御は理論化されていないため適用できない)。
射程は1万メートルほどであるが、誘導のため投下母機は目標の手前4千から5千メートルまで追従する必要があった。この時間は母機が戦闘機に襲われる危険が高かったが、零式陸攻の強靭さと護衛の戦闘機で凌ぐものとされた。
誘導周波数は35~58MHzを18に分割し更にこれを時間で四分割する事で、最大72機の同時投入が可能となっていた。このため同一周波数を使う機は出撃前に時計を正確に合わせる必要があった。
開発はなぜか手隙だった川西航空機が担当し、早くも10月には試作機が完成した。
試験では動作不良により不幸にも温泉旅館に命中するという事故も発生したが、その後に不具合も解消され12月には陸海軍双方で制式化、量産がはじまった。
陸軍では『イ号一型誘導弾』、海軍では特殊攻撃機『桜花』と命名された本兵器は最優先で生産が行われ、米軍の来襲が予想されるマリアナ、トラック方面に集中配備されていった。
また、誘導弾と並行して敵艦の射撃統制レーダーへの対策も必要と考えられた。
レーダー対策については、英国が爆撃の際にアルミ箔片をばら撒いてレーダーを妨害していたというドイツからの情報を元に、既に日本も電探欺瞞紙を導入している。
ただし日本はアルミ資源に乏しいため東南アジアで比較的簡単に調達できる錫を代わりに用いていた。錫箔は脆いため薄紙に貼り付ける形となっている。
当初は袋にいれた欺瞞紙の細片を手でばら撒く形だったが、絡まって塊になって落下してしまう事が多いため現在ではあらかじめ二枚の板の間に欺瞞紙を並べて挟んでおき、それを開いてばら撒く方法がとられている。
だがこの方法では雷撃隊を狙う敵機関砲の射撃統制レーダーを攪乱できない。このため桜花には最終突入時に欺瞞紙をばら撒く装置が追加された。
こうして日本軍はマーシャル方面から徐々に撤退しつつ、出来うる限りの対策を整え米軍の再来襲に備えたのだった。
【後書き】
米軍の反攻作戦が始まりました。
マリアナ・フィリピンルートだとあちこちからワラワラ陸攻が寄ってくるのでカートホイール作戦は諦めました。まっすぐ日本を目指すルートでの攻略となります。マッカーサー涙目……。
日本はボフォース40ミリ機関砲の弾幕を突破するため誘導弾の開発に進みます。
電探欺瞞紙は史実でも1943年から用いられていました。被害を抑える効果があったともいわれてますが実は捜索レーダーを攪乱できた程度でした。射撃管制レーダーに対しては欺瞞紙の長さも短くして射撃エリア内にばら撒く必要があります。
第四次遣独潜水艦の伊29が全ての物資とともに無事に日本に到着したため誘導弾の開発が捗ります。戦況が史実より酷くないので特攻作戦は話も出ません。普通に陸海軍共同開発となりました。
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