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第十四話 チッタゴン作戦

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■1943年(昭和十八年)5月
 ワシントンD.C.

 フランクリン・ルーズベルトとウィンストン・チャーチルは、ワシントンD.C.では三度目となる会談を行っていた。二人が直接会うのは1月のカサブランカ以来となる。

 会談の主題は欧州戦線、具体的にはイタリアの扱いと反攻作戦の時期についてであったが、アジア戦線についての議論も行なわれた。

「では欧州についてはイタリアの脱落を優先する。それで宜しいかな?」

 ルーズベルトが念押しするようにチャーチルに確認した。

「仕方ない、現状の戦力でシチリア攻略と大陸反攻を同時に行うことは無理だと認めよう。D-dayは来年半ばにせざるを得ない」

 チャーチルが渋々といった様子で肯首する。

 この会談で連合国は、ハスキー作戦(シチリア島上陸作戦)は予定どおり7月に実施し、かわりに大陸反攻作戦は来年6月に延期することを決定した。



「ところでアジア方面についてだが……本当に太平洋は米国に任せて大丈夫かね?」

 大陸反攻が遅くなることへのせめてもの意趣返しとばかりに、チャーチルは米国が不甲斐ないせいで英国が迷惑を被っていると仄めかす。

 ガダルカナル島に続いてポートモレスビーも失陥したことで豪州北部も日本の攻撃範囲となっていた。それより問題なのは東南アジアからインドにかけて日本の行動を掣肘する術を失った事だった。

 これまでは中国支援を通して日本を疲弊させ、同時に太平洋方面で日本攻略の足掛かりを築いていくはずだった。だがソロモン海を失いニューギニアが日本の手に落ちた事でその計画が怪しくなっていたのである。

 米軍は低下した士気を少しでも回復しようと、この会談の直前に北太平洋のアッツ島に強襲をかけていた。だがここでも大量のBettyに襲い掛かられて多数の艦船を失い敗退している。当然このこともチャーチルは知っていた。

「太平洋方面は米国が責任をもって挽回する。約束しよう。だが今は中国方面から圧力をかけるしかない。中国への支援物資を増やそう。だから英国にはとにかく支援ルートの確保に全力を尽くしてもらいたい」

 ルーズベルトは憮然とした表情で答えた。

 インドのチッタゴン、アッサム、インパール、そしてビルマを経由するルートは、現状で唯一中国に物資を送り込めるルートである。このため英米はその重要性を認識していた。だがそれは日本も同様だった。



■1943年(昭和十八年)8月
 インド チッタゴン沖
 遣印艦隊旗艦 扶桑

「こんなに楽な戦いじゃ名誉回復にもならんな」

 艦砲射撃の爆炎に包まれるチッタゴンの港をみながら遣印艦隊司令の栗田健男中将はため息をついた。

「まあ、今は陸軍さんを無事に送り届ける、それに専念しましょう。これが終わればいずれ戻れますよ」

 参謀長の小柳冨次少将がそんな栗田を慰める。

 栗田は今でもミッドウェー海戦での失態を責められていた。実際は栗田の責任とは言えず彼への非難は明らかに不当なものであった。

「そうだな。作戦に私情を挟んじゃいかんな。すまなかった」

 小柳の言葉に栗田は素直に謝るとチッタゴンに視線をもどした。



 それはまさに鎧袖一触。そんな戦いだった。いや戦いにもなっていない。

 もともとチッタゴン、というよりベンガル湾に英国は海軍戦力を配備していない。すべてアフリカに引き籠もったままである。そんな所へ戦艦と空母を主力とする大艦隊が殴り込んだのだ。

 遣印艦隊として臨時編成されたその艦隊は、第二戦隊の山城・扶桑と二航戦の隼鷹・飛鷹・龍驤を中心として編成されていた。日本海軍としては二線級だが、コルベットやスループといった警備艦しかない現地の英海軍には抵抗する術などなかった。

 アッサムに展開する英空軍はそれなりに戦力を保有していたが、そもそも対艦装備を持っていない。戦闘機もP-40やF2Aなどの二線級機しかなく二航戦の零戦に歯が立たなかった。



「山城、扶桑ともに規定地点の砲撃が完了しました。目標施設の破壊を確認。敵の反撃もありません」

「撃ち方、止め」

 栗田の命令でこれまで周囲を包んでいた轟音が止み静寂が戻る。栗田は振り返ると扶桑に同乗している陸軍将官に振り返った。

「牟田口中将、お待たせしました。準備整いました」

 遣印艦隊は半日足らずの戦闘で英軍を粉砕すると、随伴する陸軍部隊の司令官、牟田口廉也中将に上陸準備が整ったことを伝えた。

「上陸開始!」

 牟田口の号令で、にぎつ丸、あきつ丸に加え多数の陸軍傭船に分乗した第15軍第18師団の兵員およそ3万名が大発に分乗して廃墟と化したチッタゴンに向かっていく。

 その様子を眺めながら牟田口はため息をついた。

「こんなに楽なら俺も反対しなかったんだがなぁ」

「ん?中将はこの作戦に反対だったのですか?」

 牟田口の独り言を耳にした栗田が尋ねる。

「ああ、聞こえてしまいましたか。すみません。なに、今回の作戦にではありません。去年の話ですよ。当時、軍内でインパールを攻略する作戦が真剣に検討された事がありましてね……」

「中将はその時は反対なさったと」

「ええ、今と情勢が違いましたからね。信じられん事にビルマの山を越えて陸路で攻め入れと言うのですよ」

「えっ?陸路で!?」

「そうです陸路で。あんな道もない密林じゃ補給も何も出来る訳がない。車両も使えません。現地徴発もできない。だから私は無理だと反対したんです。兵が可哀想ですからね」

「なるほど。よく理解できます」

「しかし今回は違います。補給にも移動にも何の心配もない。これなら私も諸手を挙げて賛成しますよ。海軍さんにも感謝しております」

 そう言って二人は笑いあった。



 牟田口が気楽な理由は他にもあった。今回は長期占領を目的としていないためである。上陸した部隊はチッタゴンから北上しインパールを攻略する。だがそこを維持するのは日本軍の仕事ではなかった。

 牟田口はこの扶桑の艦橋にいるインド人、チャンドラ・ボースに向き直る。

「さて。ボースさん。これからも支援は日本政府が責任をもってしっかり行います。あなたの活躍に期待しておりあす」

「ええ、すぐに自由インド政府の宣言を行います。きっと全インド国民が私を支持してくれることでしょう」

 ボースは両手を胸の前で合わせ笑顔で答えた。

 上陸した部隊には日本で訓練されたインド人部隊の姿もあった。彼らはこれからチッタゴンを拠点にインド解放活動を行う予定である。

 お題目はともかく、日本の本音としてはインド東部が混乱し、ここを起点とした援蒋ルートの切断さえできれば彼らの運命がどうなろうと知った事ではなかった。



■1943年(昭和十八年)8月
 カナダ ケベック

 情勢に大きな変化があったため、ルーズベルトとチャーチルは再び会談を行っていた。

 この時、連合国にとっては良いニュースと悪いニュースがあった。

 良いニュースとはシチリア島の攻略成功とムッソリーニの失脚である。これで枢軸国からイタリアがほぼ脱落したことになる。これを受け大陸反攻作戦オーバーロードの実施が決定された。

 悪いニュースとはチッタゴン、インパールの陥落と援蒋ルートの途絶である。これにより中国への支援は絶望的となっていた。



「インドの防衛は英国に任せていたはずだが」

 ルーズベルトが英国の失態をなじる。

「そもそも貴国が太平洋で下手をうたなければ連中がインドに来ることも無かった。我が国はそう認識しているがね」

 チャーチルが応酬する。

「……とにかく、現状では一旦中国方面は諦めるしかない。英国はインドの奪還に努力してくれ」

 ルーズベルトはチャーチルの嫌味に答えず要望だけをのべる。

「努力はするがね。我が国もまずは大陸反攻作戦に注力する必要がある。それに例えインドを奪還しても一度悪化した治安はなかなか収められまい」

 地理的にインド方面は英国独力で対応する必要があるが、今の英国にはその余力が無かった。それにインド全土に広まりつつある独立運動も頭痛の種である。

「太平洋は、日本攻略はどうするつもりかね?」

 逆にチャーチルはルーズベルトに考えを問いただす。

「……2年後に日本を下すというタイムスケジュールは変わらん。だがニューギニア、フィリピン方面からだと手間がかかりすぎる。一旦、戦力を集積して直接日本の本土を叩く。そのつもりだ」

 ルーズベルトは苦々しい表情で答えた。

 当初米国はフィリピン方面から攻め上がる事を計画していた。これは主にマッカーサーの主張によるものである。

 だが日本はこの方面に重防御の爆撃機を大量に展開し防衛体制を構築してしまっている。もしここに手を出すと多数の拠点が連携して爆撃機が寄り集まってくる。攻略は困難を極めると予想された。

 このため米国は、マーシャル・グアム方面から日本本土を直接狙う計画に変更していた。

 当然ながらマッカーサーはこの計画に強硬に反対したが黙殺された。また蒋介石は連合国に見捨てられた事を知り泣き叫んだと言われている。



【後書き】

東南アジアが安全になったので、海路でインパールを攻略しました。これで援蒋ルートは完全遮断です。あとはボース氏に頑張ってもらいましょう。

お分かりと思いますが、本作ではインパール作戦もレイテ沖海戦もありません。なので例の二人も安泰です。

ビルマルートが消えたので中国からの本土爆撃もなくなりました。もっとも既に本作のB-29では無理になってますが。

作者のモチベーションアップになりますので、よろしければ感想をお願いいたします。
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