戦神の星・武神の翼 ~ もしも日本に2000馬力エンジンが最初からあったなら

もろこし

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第二話 ライセンス契約

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■1934年(昭和9年)
 米国コネチカット州
 ハートフォード
 プラット&ホイットニー本社

 応接室のテーブルを挟んで、白人と日本人が向かいあって座っていた。

「こちらが貴社の求めるライセンス契約の提案書です。きっとご満足頂けると思います」

 白人の男、P&W社のゼネラルマネージャーであるカールトン・ウォードが書類を差し出す。その顔はとてもにこやかビジネススマイルだった。

「ありがとうございます。拝見します」

 日本人は軽く頭を下げて書類を受け取ると、黙ってその内容を吟味しはじめた。

 小柄な体躯ながら異様に鋭い眼光を持つ日本人、三菱重工発動機部門の部長である深尾淳二は、この日新たな空冷エンジンのライセンス生産契約を結ぶためP&W社を訪れていた。



 本来、三菱重工は空冷ではなく液冷エンジンの方を得意とする会社であった。

 1917年のイスパノ・スイザV8/V12エンジンのライセンス生産を皮切りに、1932年にはユンカースV12エンジンも加え、三菱は着々と液冷エンジンの経験と実績を積み上げてきていた。

 それを足掛かりに三菱はイスパノ・スイザV12エンジンの高出力化に取り掛かった。だがそれは惨憺たる結果に終わった。



 技術が日進月歩で急速に進化している時代である。エンジンの材質や構造も日々新しいものが生み出され、燃料にも徐々に高オクタン価が要求されるようになってきている。

 それをただ闇雲に圧縮と回転数を上げただけで高出力を狙っても、どこかに無理が出るのは当然の結果だった。

 三菱の開発したイスパノ・スイザ650馬力新エンジンは、ピストンやバルブの焼き付きや溶損、クランク折損が多発した。そのエンジンを搭載した八九式艦上攻撃機も事故が多発し、とうとう海軍から『使用に堪えず』の烙印を押されてしまう体たらくである。

 この失敗を契機に陸海軍からのエンジン受注は激減してしまった。そしてついにはライバルである中島飛行機のエンジンを生産して糊口を凌ぐような有様にまで落ちぶれてしまう。



 そんな状態の発動機部門の部長に今年就任したのが深尾だった。昨年に発動機部門に異動して以来、深尾はずっと自社の技術レベル、内外の技術動向を念入りに調査していた。

「このままではウチは潰れる」

 調査の結果そう結論付けた深尾が下した決断が、『液冷エンジンからの撤退、空冷エンジンへのリソース集中』だった。

 だが、その空冷エンジン技術すらも三菱は遅れていた。

 ライバルの中島飛行機は既に何年も前からブリストル社やライト社のライセンスを取得し、空冷エンジン分野でも三菱より遙かに先行している。

 これに追いつき、追い越すためには三菱も中島飛行機と同様に有力な海外メーカーと空冷エンジンのライセンス契約を結び、最新技術を学ぶ必要があった。


 この当時、空冷エンジンで世界の先端を行っているのは英国ブリストル・ドイツBMWなどの欧州メーカーであった。だがブリストルは既に中島と関係を持ち、BMWらドイツ系メーカーはこの当時日本に対して冷たく非協力的だった。残るはフランスのメーカーだが最近は凋落しつつあり魅力が薄い。

 逆に米国メーカーは新興ながら狙い目だった。

 米国ではライト社・P&W社が有力だが、世界恐慌の影響で軍事、航空郵便契約がキャンセルされたため、どちらも経営が厳しく従業員を大量解雇するなど青息吐息の状態だった。

 だがライト社の方は中島が既にライセンス契約を結んでしまっている。となれば三菱に残された相手はP&W社しかなかった。



「どうですかな?貴社の要望どおりと思いますが……」

 黙って提案書を読み込む深尾の様子に不安を感じたのか、ウォードが心配そうに声をかけた。

「ん?ああ申し訳ありません。概ね問題ないと思います。細部は本社に持ち帰って吟味させて頂きますが……おそらく契約を結ばせて頂く事になるでしょう」

「そうですか。安心しました」

 ウォードはあからさまにホッとした様子をみせた。そしてならばと、もう一冊の提案書を取り出す。

「これは?」

 受け取った深尾は怪訝な顔をする。それには、『R-1860ライセンス生産提案書』と記載されていた。深尾が契約を結ぼうとしていたのはR-1690である。R-1860 はそれより一回り大きなエンジンだった。


◇P&W R-1690
 ホーネットエンジン
 形式:単列9気筒星型
 ボアxストローク
 :155.6mmx161.9mm
 排気量:27.7L

◇P&W R-1860
 ホーネットBエンジン
 形式:単列9気筒星型
 ボアxストローク
 :158.8mmx171.4mm
 排気量:30.54L


「R-1690は我が社が胸を張ってお勧めできる良いエンジンですが、貴社もこのエンジンだけで今後すべてのニーズを賄う訳ではないでしょう?」

「まあ……それはもちろん、そのつもりですが……」

「そうでしょう!ならばこちらのエンジンもきっと貴社のお役に立つはずです。もし2機種同時にご契約頂けるならライセンス料のご相談にも乗りましょう!技術者の派遣も検討します。どうか前向きにご検討ください!」

 ウォードが身を乗り出して深尾を説得する。確かに三菱発動機部門の将来を考えると、戦闘機用といえるR-1690だけでなく、爆撃機用の大型エンジンの足掛かりとなりうるR-1860は魅力的と言えた。

 実はP&Wとしても売り込みたいのはR-1860の方であった。多少出力は大きくても直径の大きなR-1860より米国の顧客は同程度の出力でより小型のR-1830ツインワスプエンジンを好んだ。それでR-1860の販売は伸び悩んでいたのである。

◇P&W R-1830
 ツインワスプエンジン
 形式:複列14気筒星型
 ボアxストローク
 :139.7mmx139.7mm
 排気量:29.98L

 事実、この後R-1830ツインワスプエンジンはベストセラーとなり米陸海軍で幅広く使用される事になる。それに比べR-1860ホーネットBエンジンはほとんど使用される事が無かった。

 ちなみにこの時点ではR-1830は最新エンジンであったため、政府の輸出許可が降りず三菱に対してライセンス提案が出されることは無かった。



 結局、深尾はR-1690とR-1860の両方のライセンス契約を結ぶ決断をした。そして三菱はR-1690を明星、R-1860を炎星としてライセンス生産を開始した。



 この2機種のエンジンは、この後の三菱発動機のエンジン開発に非常に大きな影響を及ぼす事となる。R-1690/明星の構造はA8(後の金星エンジン)の参考とされ、R1860/炎星は、十試空冷800馬力発動機を経てA10(後の火星エンジン)へと繋がっていく。

◇十試空冷800馬力発動機
 形式:複列14気筒星型
 ボアxストローク
 :160mmx170mm
 排気量:47.83L

 特にR1860/炎星で大径ボアの経験・知見を得て、P&Wのエンジニアから直接の指導も得られたことは、大出力エンジンの開発において非常に大きなアドバンテージとなったのである。



【後書き】

史実で三菱はR-1690のライセンス契約だけを結びました。

エンジンの設計は、ボアxストロークの選択が基本となります。

史実の十試空冷/A10(火星)では経験が無いため仕方なく失敗作の液冷650馬力と同じ150mm x 170mmを選択しましたが、本作では実績のあるR-1860を入手したため160mm x 170mmに変わりました。

160ミリという大径ボアの燃焼制御は技術的にハードルが高いのですが、P&Wの技術と支援、そして次話で登場する技術で克服する予定です。

参考までに史実の十試空冷の仕様は下記でした。本作ではこれより排気量が1割以上アップしています。

◇十試空冷800馬力発動機
 (史実)
  形式:複列14気筒星型
  ボア x ストローク
  :150mm x 170mm
  排気量:42.04L

まだ課題は色々ありますが、これで2000馬力エンジンへの取っ掛かりができました。

作者のモチベーションアップになりますので、よろしければ感想をお願いいたします。
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