上 下
9 / 11

第九話 ポーツマス強襲

しおりを挟む
『海軍にできるのは、雄々しい死に方を知っていると示し将来の礎となることだけだ』
(They know how to die gallantly and thereby to create the basis for an eventual rebirth in the future)
:ドイツ海軍総司令官 エーリヒ・レーダー



 1944年になるとドイツと連合国との力の差は誰の目にも明らかになっていた。すでに悪化した戦況は覆しようがなく、大陸へ連合軍が上陸するのも時間の問題と見られていた。

 そしてついに連合軍のフランス上陸作戦計画が察知されことで、これを阻止するため最高司令部OKWはドイツ海軍に対し、敵の集結地点であるポーツマスを強襲するよう命じた。

 戦力的に無謀としか言い様のない命令であった。だがこれが最後の戦いになるであろうと考えたドイツ海軍は、欧州最強といわれるK級戦艦を引き連れ全力出撃を決断する。




■1944年5月
 ドーバー海峡 北方海域
 戦艦フリードリヒ・デア・グローセ

 ユトランド沖海戦での不本意な撤退後、再戦を誓ったリュッチェンスであったが、その機会が訪れる事はなかなか無かった。

 連合国は戦力の集積に努めたため攻勢作戦は少なく、唯一の大規模な作戦であった北アフリカ上陸作戦には地理的な問題で関与できなかった。

 もちろんドイツ海軍も戦力の増加に励んだが、戦前の計画どおりに建造するのが精一杯で、連合国との戦力差は開く一方だった。それほどまでにアメリカ参戦後の生産力の差は大きかった。

 結局、ユトランド沖海戦後にドイツが完成できた大型艦は3隻に過ぎない。K級戦艦2隻と大型装甲空母1隻のみである。

 それでも最後に就役しただけあってK級戦艦はドイツ戦艦の集大成ともいえる戦艦であった。H級戦艦の経験を生かし徹底した集中防御と高速を追及している。砲も公称18インチとされていたが実は48センチの巨砲である。まさにドイツだけでなく欧州最強の戦艦であった。



 K級戦艦はH級戦艦の建造を2隻で打ち切って4隻の建造が計画されていたが、戦争に間に合ったのはフリードリヒ・デア・グローセとプリンツレゲント・ルイトポルトの2隻だけである。

 船体まで完成していた3番艦パウル・フォン・ヒンデンブルクは、装甲板生産の不足も相まって空軍空母の損失の穴埋めとして空母に設計変更されてしまった。

 今ではマンフレート・フォン・リヒトホーフェンと名を変え空軍の所有物となっている。4番艦に至っては船台に据えられる事もなく建造中止となっていた。

 一方、ポーツマス周辺に布陣する連合軍については、守護聖人級2隻を擁するイギリス艦隊に加え、モンタナ級2隻を含むアメリカ艦隊も居る事が分かっていた。



 そんな死地に等しいポーツマスに向けて突き進むフリードリヒ・デア・グローセの指揮官席で、リュッチェンスは昏い顔で物思いに耽っていた。

 18インチ砲戦艦である守護聖人級、モンタナ級は当然ながら強敵だが、それ以前のKGV級やライオン級、アイオワ級、サウスダコタ級の実力も侮れない。

 航空攻撃が自動対空砲で完全に無力化される事が分かっていたのだから、せめてヒンデンブルクも戦艦として完成させるべきだった。いや空軍との駆け引きでそれは所詮無理な事だったか……

 こちらの主力はH級戦艦2隻とK級戦艦2隻の4隻にすぎない。

 ユトランド沖で大破したビスマルク級の2隻は、生還はしたものの修理されることなく解体され戦争資材に転用されてしまった。まあ仮に今回の戦いに居たとしても、あの脆さでは役に立たないだろう。

 対する敵は18インチ砲を持つ戦艦だけで4隻はいる。16インチ砲以下の戦艦も含めれば1ダースを軽く超えるだろう。アメリカの戦艦のほとんどが太平洋に拘束されていてすら、この状況だ。まったく笑ってしまうくらいの戦力差だ。

 だが、ドイツ単独でみれば未だに我々海軍が大きな戦力である事は間違いない。それが逆に災いしてドイツはまだ抗戦できると総統は思ってしまっている。

 ここで海軍主力が華々しく戦って、そして消え去ったなら、その幻想も一緒に消えてくれることだろう。そうなればこの馬鹿らしい戦争も早く終わるに違いない。

 命令を拒否し港に引き籠っても敵に磨り潰されるだけ。進むも地獄退くも地獄。ならば威風堂々と行進し、勇者の如く戦い、倒れるだけだ。せめて我々と同数、4隻くらいは地獄への道連れにしたいものだ。

 確率は低いが、一応生還の目はある。

 ポーツマスを襲撃した艦隊はそのままジブラルタルを抜け地中海に逃げ込む手はずになっている。もっとも敵は激しく追撃してくるだろうからフリードリヒ・デア・グローセが最後は盾となって味方を逃がすつもりだが……

 つまり自分の死はすでに決まっているわけだ。



 死ぬと覚悟が定まれば心に余裕が生まれる。昏かったリュッチェンスの口元に自然と笑みが浮かんだ。

「提督、ご機嫌ですね」

 リュッチェンスの表情を見た艦長のパウル・ヴェネッカー少将が話しかけた。

 かつて日本の駐在武官を務め、空母赤城を見学した彼は、帰国後に昇進し今はフリードリヒ・デア・グローセの艦長を務めてる。戦艦の艦長は大佐と相場が決まってるがK級戦艦は巨大で乗員数も多いため例外的に少将が艦長を務めている。

「気分が良いからな。何しろずっと待ち望んでいた戦いだ。気分が悪い訳がなかろう?」

「確かに。敵も大歓迎してくれる様子ですからね」

「ならば我々も失礼のないように挨拶しないとな」

「全くです」

 二人はひとしきり笑いあう。司令と艦長の明るい様子を見て、沈んでいた艦橋の空気も明るくなった。

「間もなくカーレーです。最狭部まであと5マイル(約10キロ)」

 航海士官の報告に二人は顔を引き締める。ポーツマスを襲撃するにはドーバー海峡を通る必要がある。その最狭部であるドーバーとカーレー間はわずか34キロの幅しかない。昨今の戦艦の砲ならば十分射程に入ってしまう距離である。

「心配ない。陸軍が十分砲撃してくれている。敵の攻撃はないはずだ」

 リュッチェンスの言う通り、この作戦に先立ちドーバー周辺は長距離砲で入念に砲撃されていた。事実今の所、敵の攻撃はなかった。

「おそらく敵は海峡を抜けた所に布陣しているだろう」

 敵艦隊は海峡を抜けた所で待ち伏せしている。リュッチェンスらはその様に予想していた。何しろ目的地とルートが分かっているのだ。こんな楽な迎撃作戦などない。このままでは海峡を抜けたそばから完全なT字戦法をくらってしまうだろう。

 だからリュッチェンスらは、海峡を抜ける直前に艦隊を解き、各艦バラバラに突撃する事を計画していた。作戦ともいえない作戦ではあったが、隊列を維持して釣瓶打ちされるよりは多少はマシと思われた。

「各艦の艦長には十分に計画を伝えてあります。本艦が盾になれば艦隊の損害は許容範囲に収まると思われます」

 楽観的な予測ではな。参謀の言葉に頷きつつリュッチェンスは内心で呟いた。



「総統大本営より司令官宛に入電です」

通信士官から報告が入った。リュッチェンスの顔からそれまでの笑顔が瞬時に消え去る。

「本作戦における貴官の勇戦奮闘を期待する。作戦成功の暁には余は貴官の昇進並びに叙勲を約束する。第三帝国総統……以上です」

 リュッチェンスはヒトラーからの電文をまったくの無表情で聞いた。そして一息ついて笑顔に戻ると艦橋の士官らに向き直った。

「さあ、本国と連合国の連中に、本艦とドイツ艦隊の実力を見せつけてやろうじゃないか」

「その通りです!我が海軍に栄光あれ!」

 ヴェネッカー艦長をはじめ士官らが笑顔でリュッチェンスに敬礼した。リュッチェンスも見事な敬礼を返す。それはナチス式ではなく、ドイツ海軍が輝いていた帝政時代の敬礼であった。



 こうしてドイツ海軍最後の誇りを示そうとしていた彼らだっがが、現実は彼らを残酷に裏切る事となる。

 彼らが知らぬ間に時代は変わり、戦艦の時代は既に終わりを告げていたのだった。



【後書き】

 佐藤大輔氏の「レッドサン・ブラッククロス外伝」北の暴風作戦をイメージしています。もっとも囮もなにもない単独突撃なので、状況は坊ノ岬沖海戦の方が近いかもしれません。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

戦神の星・武神の翼 ~ もしも日本に2000馬力エンジンが最初からあったなら

もろこし
歴史・時代
架空戦記ファンが一生に一度は思うこと。 『もし日本に最初から2000馬力エンジンがあったなら……』 よろしい。ならば作りましょう! 史実では中途半端な馬力だった『火星エンジン』を太平洋戦争前に2000馬力エンジンとして登場させます。そのために達成すべき課題を一つ一つ潰していく開発ストーリーをお送りします。 そして火星エンジンと言えば、皆さんもうお分かりですね。はい『一式陸攻』の運命も大きく変わります。 しかも史実より遙かに強力になって、さらに1年早く登場します。それは戦争そのものにも大きな影響を与えていきます。 え?火星エンジンなら『雷電』だろうって?そんなヒコーキ知りませんw お楽しみください。

武蔵要塞1945 ~ 戦艦武蔵あらため第34特別根拠地隊、沖縄の地で斯く戦えり

もろこし
歴史・時代
史実ではレイテ湾に向かう途上で沈んだ戦艦武蔵ですが、本作ではからくも生き残り、最終的に沖縄の海岸に座礁します。 海軍からは見捨てられた武蔵でしたが、戦力不足に悩む現地陸軍と手を握り沖縄防衛の中核となります。 無敵の要塞と化した武蔵は沖縄に来襲する連合軍を次々と撃破。その活躍は連合国の戦争計画を徐々に狂わせていきます。

大日本帝国、アラスカを購入して無双する

雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。 大日本帝国VS全世界、ここに開幕! ※架空の日本史・世界史です。 ※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。 ※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。

暁のミッドウェー

三笠 陣
歴史・時代
 一九四二年七月五日、日本海軍はその空母戦力の総力を挙げて中部太平洋ミッドウェー島へと進撃していた。  真珠湾以来の歴戦の六空母、赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴が目指すのは、アメリカ海軍空母部隊の撃滅。  一方のアメリカ海軍は、暗号解読によって日本海軍の作戦を察知していた。  そしてアメリカ海軍もまた、太平洋にある空母部隊の総力を結集して日本艦隊の迎撃に向かう。  ミッドウェー沖で、レキシントン、サラトガ、ヨークタウン、エンタープライズ、ホーネットが、日本艦隊を待ち構えていた。  日米数百機の航空機が入り乱れる激戦となった、日米初の空母決戦たるミッドウェー海戦。  その幕が、今まさに切って落とされようとしていた。 (※本作は、「小説家になろう」様にて連載中の同名の作品を転載したものです。)

日本が危機に?第二次日露戦争

歴史・時代
2023年2月24日ロシアのウクライナ侵攻の開始から一年たった。その日ロシアの極東地域で大きな動きがあった。それはロシア海軍太平洋艦隊が黒海艦隊の援助のために主力を引き連れてウラジオストクを離れた。それと同時に日本とアメリカを牽制する為にロシアは3つの種類の新しい極超音速ミサイルの発射実験を行った。そこで事故が起きた。それはこの事故によって発生した戦争の物語である。ただし3発も間違えた方向に飛ぶのは故意だと思われた。実際には事故だったがそもそも飛ばす場所をセッティングした将校は日本に向けて飛ばすようにセッティングをわざとしていた。これは太平洋艦隊の司令官の命令だ。司令官は黒海艦隊を支援するのが不服でこれを企んだのだ。ただ実際に戦争をするとは考えていなかったし過激な思想を持っていた為普通に海の上を進んでいた。 なろう、カクヨムでも連載しています。

蒼穹の裏方

Flight_kj
SF
日本海軍のエンジンを中心とする航空技術開発のやり直し 未来の知識を有する主人公が、海軍機の開発のメッカ、空技廠でエンジンを中心として、武装や防弾にも口出しして航空機の開発をやり直す。性能の良いエンジンができれば、必然的に航空機も優れた機体となる。加えて、日本が遅れていた電子機器も知識を生かして開発を加速してゆく。それらを利用して如何に海軍は戦ってゆくのか?未来の知識を基にして、どのような戦いが可能になるのか?航空機に関連する開発を中心とした物語。カクヨムにも投稿しています。

第一機動部隊

桑名 裕輝
歴史・時代
突如アメリカ軍陸上攻撃機によって帝都が壊滅的損害を受けた後に宣戦布告を受けた大日本帝国。 祖国のため、そして愛する者のため大日本帝国の精鋭である第一機動部隊が米国太平洋艦隊重要拠点グアムを叩く。

江戸時代改装計画 

城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
皇紀2603年7月4日、大和甲板にて。皮肉にもアメリカが独立したとされる日にアメリカ史上最も屈辱的である条約は結ばれることになった。 「では大統領、この降伏文書にサインして貰いたい。まさかペリーを派遣した君等が嫌とは言うまいね?」  頭髪を全て刈り取った男が日本代表として流暢なキングズ・イングリッシュで話していた。後に「白人から世界を解放した男」として讃えられる有名人、石原莞爾だ。  ここはトラック、言うまでも無く日本の内南洋であり、停泊しているのは軍艦大和。その後部甲板でルーズベルトは憤死せんがばかりに震えていた。  (何故だ、どうしてこうなった……!!)  自問自答するも答えは出ず、一年以内には火刑に処される彼はその人生最期の一年を巧妙に憤死しないように体調を管理されながら過ごすことになる。  トラック講和条約と称される講和条約の内容は以下の通り。  ・アメリカ合衆国は満州国を承認  ・アメリカ合衆国は、ウェーキ島、グアム島、アリューシャン島、ハワイ諸島、ライン諸島を大日本帝国へ割譲  ・アメリカ合衆国はフィリピンの国際連盟委任独立準備政府設立の承認  ・アメリカ合衆国は大日本帝国に戦費賠償金300億ドルの支払い  ・アメリカ合衆国の軍備縮小  ・アメリカ合衆国の関税自主権の撤廃  ・アメリカ合衆国の移民法の撤廃  ・アメリカ合衆国首脳部及び戦争煽動者は国際裁判の判決に従うこと  確かに、多少は苛酷な内容であったが、「最も屈辱」とは少々大げさであろう。何せ、彼らの我々の世界に於ける悪行三昧に比べたら、この程度で済んだことに感謝するべきなのだから……。

処理中です...