74 / 76
第七章 富田祐斗
第七十四話
しおりを挟む
ネット越しに副島先輩を見ながら、俺は淡々とシャトルを拾い、サーブの定位置に戻る。何も特別なことはない。そんな涼やかな振る舞いをするのが、こういう場面でのやり方だ。
次のラリーでも、俺は徹底的に副島先輩のバックハンド側の奥を狙った。ここまで極端な作戦を徹底すれば、さすがの副島先輩も、不器用ながら戻る速度を緩め始めた。馴れない幅のステップに生じるぎこちなさと躊躇い。
その瞬間を見逃さず、俺は先ほどまで狙っていた場所とは対角線、副島先輩のフォア側のネット前にシャトルを落とす。慌てて駆け込み、崩れた態勢で追いつく副島先輩。
それでも、容易にはスマッシュできない返球だった。俺はもう一度、バックハンド奥狙いを続けた。副島先輩はまたじりじりと戻らなくなっていく。その様子も正直だ。戻らないふりをしてネット際を誘い、一気に前に出るとか、そういうことはできない人なのだ。
ここだ、というタイミングで、俺はもう一度ネット前にシャトルを運ぶ。今度は決まった。二十一―二十。こちらのマッチポイント。
ちょうど俺がラケットでシャトルを拾おうとしたとき、高濱や歩のいる場所から、井口先生の怒号が聞こえてきた。シャトルを掴んだままそちらを見ると、特進科のクラスメイトたちはじりじりと後退を余儀なくされている。
彼らは俺の貧しさに気づいているのだろうか。なんとなくだけれど、最初からみんな気づいていて、それでいて黙ってくれていたような気がした。
情熱的で、一生懸命で、表裏がなく、俺を蔑んだりしない特進科のクラスメイトたち。それは、まさに奇跡のようなクラスだった。
悪ふざけが嫌いで、真剣なおふざけが好きな美晃、自分から目立とうとはしないけれど、実は無気力でも根暗なわけでもなく、その努力と勇気でいつも俺たちを驚かせる歩。一緒にダンスを踊ったことは、一生忘れられないだろう。自分のためではなく、誰かを笑わせるため、感動させるために一生懸命になったことなど初めてだった。
あの時ばかりは、確かに、俺たち三人の心が通じ合っていたと思う。高校生活でそんな友達ができるなど思ってもみなかった。
見上げれば、実果が手すりをこれでもかと掴み、目に涙を浮かべてこちらを見ている。彼女ができるなど、もっと思ってもみなかった。
次の一点を獲れば、試合は決まる。でもまだ、諦めることだってできる。脳裏をよぎった妹の顔から、俺は心の目をそむけた。五十万円が存在しない妹の修学旅行、そして、家族との生活。伸びていく想像を、俺は頭を振って忘却の彼方へと押しやった。
「ごめん」
誰にも聞こえないように、小さく呟いて、俺はサーブの構えに入る。
みんなが応援してくれた試合。美晃が、そして実果が見ている試合。ここで一人だけ、卑怯者になるわけにはいかない。俺は何を血迷っていたのだろう。自分を支えてくれたもの、バドミントンや、友人たちを裏切るわけにはいかない。そんなこと、当たり前じゃないか。
俺が選択したのはショートサーブ。副島先輩の頭は「奥に奥に」作戦で一杯のはずで、やはり意表を突かれたのか副島先輩はすこしつんのめりながら前に出て返してきた。真ん中やや奥にシャトルは上がってくる。
俺は二歩下がってラケットを高々と掲げる。チャンスボールだけれど、副島先輩はレシーブも上手い。普段なら、この距離から一発で決まるということはないだろう。それでも、と俺は考えていた。あれだけ斜め奥への揺さぶりをかけた後だ。特殊な作戦への意識が強いに決まっている。
いま、副島先輩が前後左右にそれだけ意識を強めているのなら、俺の打つべきコースは一つだ。
シャトルを迎えるため、俺は天井を見上げた。その瞬間、白い光に目が眩む。
バドミントンをしていると時々、照明にシャトルが重なり、距離感が分からなくなることがある。光が眩しいばかりか、自分で自分の影にすっぽりと覆われるシャトルは、輪郭がうっすらと見えるだけ。頼れるのは自分の直感だけ。あれくらいの勢いで打ちあがったシャトルは、これくらいの場所に、これくらいで落ちてくるだろう。そのときだけ降りてくる、バドミントンの神様の囁きに従うしかない。
俺は目を細めて、ほとんど目をつむった状態でラケットを思い切り振り下ろした。きっと当たると思ったし、当たらなければそれでもいいと思った。
シャトルは副島先輩に向けて真っすぐ飛んでいく。胸を射抜くような軌道のシャトルに、副島先輩の反応は遅れた。決して予測などせず、真ん中に立って均等に意識を持っているいつもの副島先輩なら難なく返しただろう。
けれども、不慣れにもこちらの狙いを読もうとしていた副島先輩は、真っすぐやってくるシャトルにただ当てることで精いっぱいだった。俺はスマッシュを打った勢いでそのままネット前まで迫り、手ごろな位置にふわりと上がったシャトルを叩いて最後の得点を決めた。
次のラリーでも、俺は徹底的に副島先輩のバックハンド側の奥を狙った。ここまで極端な作戦を徹底すれば、さすがの副島先輩も、不器用ながら戻る速度を緩め始めた。馴れない幅のステップに生じるぎこちなさと躊躇い。
その瞬間を見逃さず、俺は先ほどまで狙っていた場所とは対角線、副島先輩のフォア側のネット前にシャトルを落とす。慌てて駆け込み、崩れた態勢で追いつく副島先輩。
それでも、容易にはスマッシュできない返球だった。俺はもう一度、バックハンド奥狙いを続けた。副島先輩はまたじりじりと戻らなくなっていく。その様子も正直だ。戻らないふりをしてネット際を誘い、一気に前に出るとか、そういうことはできない人なのだ。
ここだ、というタイミングで、俺はもう一度ネット前にシャトルを運ぶ。今度は決まった。二十一―二十。こちらのマッチポイント。
ちょうど俺がラケットでシャトルを拾おうとしたとき、高濱や歩のいる場所から、井口先生の怒号が聞こえてきた。シャトルを掴んだままそちらを見ると、特進科のクラスメイトたちはじりじりと後退を余儀なくされている。
彼らは俺の貧しさに気づいているのだろうか。なんとなくだけれど、最初からみんな気づいていて、それでいて黙ってくれていたような気がした。
情熱的で、一生懸命で、表裏がなく、俺を蔑んだりしない特進科のクラスメイトたち。それは、まさに奇跡のようなクラスだった。
悪ふざけが嫌いで、真剣なおふざけが好きな美晃、自分から目立とうとはしないけれど、実は無気力でも根暗なわけでもなく、その努力と勇気でいつも俺たちを驚かせる歩。一緒にダンスを踊ったことは、一生忘れられないだろう。自分のためではなく、誰かを笑わせるため、感動させるために一生懸命になったことなど初めてだった。
あの時ばかりは、確かに、俺たち三人の心が通じ合っていたと思う。高校生活でそんな友達ができるなど思ってもみなかった。
見上げれば、実果が手すりをこれでもかと掴み、目に涙を浮かべてこちらを見ている。彼女ができるなど、もっと思ってもみなかった。
次の一点を獲れば、試合は決まる。でもまだ、諦めることだってできる。脳裏をよぎった妹の顔から、俺は心の目をそむけた。五十万円が存在しない妹の修学旅行、そして、家族との生活。伸びていく想像を、俺は頭を振って忘却の彼方へと押しやった。
「ごめん」
誰にも聞こえないように、小さく呟いて、俺はサーブの構えに入る。
みんなが応援してくれた試合。美晃が、そして実果が見ている試合。ここで一人だけ、卑怯者になるわけにはいかない。俺は何を血迷っていたのだろう。自分を支えてくれたもの、バドミントンや、友人たちを裏切るわけにはいかない。そんなこと、当たり前じゃないか。
俺が選択したのはショートサーブ。副島先輩の頭は「奥に奥に」作戦で一杯のはずで、やはり意表を突かれたのか副島先輩はすこしつんのめりながら前に出て返してきた。真ん中やや奥にシャトルは上がってくる。
俺は二歩下がってラケットを高々と掲げる。チャンスボールだけれど、副島先輩はレシーブも上手い。普段なら、この距離から一発で決まるということはないだろう。それでも、と俺は考えていた。あれだけ斜め奥への揺さぶりをかけた後だ。特殊な作戦への意識が強いに決まっている。
いま、副島先輩が前後左右にそれだけ意識を強めているのなら、俺の打つべきコースは一つだ。
シャトルを迎えるため、俺は天井を見上げた。その瞬間、白い光に目が眩む。
バドミントンをしていると時々、照明にシャトルが重なり、距離感が分からなくなることがある。光が眩しいばかりか、自分で自分の影にすっぽりと覆われるシャトルは、輪郭がうっすらと見えるだけ。頼れるのは自分の直感だけ。あれくらいの勢いで打ちあがったシャトルは、これくらいの場所に、これくらいで落ちてくるだろう。そのときだけ降りてくる、バドミントンの神様の囁きに従うしかない。
俺は目を細めて、ほとんど目をつむった状態でラケットを思い切り振り下ろした。きっと当たると思ったし、当たらなければそれでもいいと思った。
シャトルは副島先輩に向けて真っすぐ飛んでいく。胸を射抜くような軌道のシャトルに、副島先輩の反応は遅れた。決して予測などせず、真ん中に立って均等に意識を持っているいつもの副島先輩なら難なく返しただろう。
けれども、不慣れにもこちらの狙いを読もうとしていた副島先輩は、真っすぐやってくるシャトルにただ当てることで精いっぱいだった。俺はスマッシュを打った勢いでそのままネット前まで迫り、手ごろな位置にふわりと上がったシャトルを叩いて最後の得点を決めた。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました
フルーツパフェ
大衆娯楽
とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。
曰く、全校生徒はパンツを履くこと。
生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?
史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。
【R18 】サイクリングサークルの特別課外レッスン
まみはらまさゆき
青春
高校時代までを勉強漬けで犠牲にしてきた友之は、サークル勧誘のお姉さんがタイプだったという理由だけで、現役部員はそのお姉さんひとりというサイクリングサークルに入部してしまう。
基礎体力のトレーニング、自転車整備、テント設営・・・そんな日常のレッスンの末に迎えた、ゴールデンウィークの長距離サイクリング。そこで、お姉さん部長からの特別レッスンが・・・?
※作者は自転車系はもちろん、サークルや部活動とは無縁に過ごしてきました(中・高時代に図書委員をしていたくらい)。だからサークル内の描写について「?」と思われる方もいるかも知れませんが、「こういうサークルもあるんだ」と目をつむってください。多様性の時代だから。
女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。
矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。
女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。
取って付けたようなバレンタインネタあり。
カクヨムでも同内容で公開しています。
幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。
スタジオ.T
青春
幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。
そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。
ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。
私たち、博麗学園おしがまクラブ(非公認)です! 〜特大膀胱JKたちのおしがま記録〜
赤髪命
青春
街のはずれ、最寄り駅からも少し離れたところにある私立高校、博麗学園。そのある新入生のクラスのお嬢様・高橋玲菜、清楚で真面目・内海栞、人懐っこいギャル・宮内愛海の3人には、膀胱が同年代の女子に比べて非常に大きいという特徴があった。
これは、そんな学校で普段はトイレにほとんど行かない彼女たちの爆尿おしがまの記録。
友情あり、恋愛あり、おしがまあり、そしておもらしもあり!? そんなおしがまクラブのドタバタ青春小説!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる