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第六章 宮沢瑞姫
第六十一話
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「そりゃあ、寂しいよ。部室棟の裏で、一人で弁当食べてるなんて」
副島先輩は少し腰を曲げながら、その副産物として、顔の位置が少し低くなり、わたしに近くなりながら、穏やかな声のトーンでそう言った。陰口で嘲笑するときのような、「そんな寂しさは、わたしの人生には金輪際関係ない」と突き放したような態度とは真逆の、どこか親しみのある声色だった。
「寂しいですよね」
「うん」
なだらかな、気まずくない沈黙がテーブルを包んでいた。カフェスペースの雑音が、にわかに鮮明なものになる。ひそやかな笑い声、コーヒーカップとソーサーがぶつかる音、ウェイターの足音。
「副島先輩は、なんでこんなことしたんですか?」
副島先輩は遠く窓の外を見た。大通りを自動車が走っている。ガラス越しに見る大通りは、ミュートにしたテレビのようだった。
「お金の力で勝つの、寂しくないですか?」
視線をこちらに戻す副島先輩。
「勝てないことのほうが寂しいよ」
「富田くんに勝てないんですか?」
「分からない。あんまり試合したことないから。五分五分なのかもしれないし、俺が自分の思っている以上に成長してるのかもしれないし、もうあいつの方が強いのかもしれない……俺は確実に勝ちたいんだ。最後の大会に出られる可能性を、少しでも上げたい」
「でも、富田くんが八百長を承諾するとは限りませんよね? 誰かに言いつける可能性だだってある。きっと承諾するだろうって、なんで分かったんですか?」
副島先輩はため息をつき、覚悟を決めた瞳の鈍い光をわたしに見せた。
「あいつの家、相当苦しいはずなんだ」
「どういうことですか?」
わたしはうそぶいた。
「貧乏ってことだよ」
「そう……なんですか」
わたしは何も知らないふり。
副島先輩はこくりと頷く。
「宮沢さん、富田と同じ中学だよね?」
「はい。そうですけど」
「橋を渡ってすぐのところのコンビニわかる?」
「わかります」
「入ったことは?」
「すみません、ないです」
中学校は同じでも、小学校は違う。だから富田くんは徒歩で帰って、わたしは二駅分だけ電車に乗る。中学校の校区の端のコンビニは、見たことはあっても入ったことはない。
「今度入ってみるといいよ」
「どうしてですか?」
「『富田』って名札付けた店員さんがいるから」
「店長さんなんですか?」
反射的にそう言ってしまって、わたしはすぐに後悔した。
「バイトだよ。最近あんまり見ないけどね」
クビになったんですよ、とわたしは心の中で呟く。副島先輩は知らないみたいだ。
「でも、わたしの中学でもそんな話聞かなかったですよ。そんなに近くで誰かの父親が働いてたらバレるんじゃないですか?」
「そんなもんなんだと思うよ。宮沢さんだって、よく行くコンビニの店員の名前が『副島』だったとしても、俺の父親だって思ったりしないでしょ? 富田なんかよくある名前だし」
「じゃあ、なんで富田くんの父親だって分かったんですか?」
副島先輩は薄く笑った。
「面識があったからだよ」
「富田くんと知り合いだったんですか?」
「いや、富田の父親とだけ、一回だけ会ったことがったんだ。近所のコンビニで会う前にね」
近所の、という単語に反応して、わたしの頭に疑問が浮かぶ。
「そういえば、副島先輩はあの橋の近くに住んでるんですか?」
「そうだよ」
「でも、中学校」
「あれ、知らなかった? 俺、エスカレーターなんだ」
「そうだったんですか」
特進科とスポーツ推薦クラスは全員高校受験組だが、普通科は約半分が明真学園中学校からの内部進学だ。
「お金持ちなんですね」
副島先輩は苦笑する。
「エスカレーター組がみんなそうってわけじゃないだろうけど、確かに俺はそうかもね」
私立に通っているからといって、誰もがお金持ちというわけじゃない。それどころか、公立に落ちて仕方なく通っている人が大半で、わたしの両親もいつだって家計が苦しいと言って不満顔をしている。
それでも私立であるからには、正真正銘のお金持ちがしれっと紛れ込んでいる。わたしはそんな人たちが妬ましかった。
「簡単に五十万円用意できてしまうくらいですか?」
「簡単じゃないよ、俺の全財産だからね」
「全財産ですか?」
「ああそうだよ。小学校のときから貯めてきたぶん全部だ。普通の人と比べればはるかに多いってのはわかってる。でも小金持ちくらいだよ、俺は」
「違います。そうじゃないです」
「そんくらいじゃ小金持ちでもないってこと?」
「違います。わたしが聞きたいのは、富田くんとの試合に全財産使うんですかってことです」
副島先輩はきょとんとして、そして、爽やかな笑顔になる。その笑顔には、なんとなく見覚えがあった。試合に勝ったとき、こんな表情をしている副島先輩を遠目に見たことがある気がした。
「それだけの価値はある」
「信じられないです」
「宮沢さんはなんでバドミントンやってるの?」
「……部活とか、やっといた方がいいかなと思って、中学校では緩そうな部活だから入ったんですよ。高校でも適当に続ければいいかって思って入ったら、厳しくて嫌になります」
「女子はちょっとぬるいよ」
「わたしにとってはそれでもです。でも、部活やってるおかげで、教室でもギリギリ喋る人がいますし」
普段、わたしと昼食を食べてくれる友達は、わたしと同じ、女子バドミントン部の日陰者。大所帯だから、同じ部活の同級生でも階層ができてしまう。
副島先輩は少し腰を曲げながら、その副産物として、顔の位置が少し低くなり、わたしに近くなりながら、穏やかな声のトーンでそう言った。陰口で嘲笑するときのような、「そんな寂しさは、わたしの人生には金輪際関係ない」と突き放したような態度とは真逆の、どこか親しみのある声色だった。
「寂しいですよね」
「うん」
なだらかな、気まずくない沈黙がテーブルを包んでいた。カフェスペースの雑音が、にわかに鮮明なものになる。ひそやかな笑い声、コーヒーカップとソーサーがぶつかる音、ウェイターの足音。
「副島先輩は、なんでこんなことしたんですか?」
副島先輩は遠く窓の外を見た。大通りを自動車が走っている。ガラス越しに見る大通りは、ミュートにしたテレビのようだった。
「お金の力で勝つの、寂しくないですか?」
視線をこちらに戻す副島先輩。
「勝てないことのほうが寂しいよ」
「富田くんに勝てないんですか?」
「分からない。あんまり試合したことないから。五分五分なのかもしれないし、俺が自分の思っている以上に成長してるのかもしれないし、もうあいつの方が強いのかもしれない……俺は確実に勝ちたいんだ。最後の大会に出られる可能性を、少しでも上げたい」
「でも、富田くんが八百長を承諾するとは限りませんよね? 誰かに言いつける可能性だだってある。きっと承諾するだろうって、なんで分かったんですか?」
副島先輩はため息をつき、覚悟を決めた瞳の鈍い光をわたしに見せた。
「あいつの家、相当苦しいはずなんだ」
「どういうことですか?」
わたしはうそぶいた。
「貧乏ってことだよ」
「そう……なんですか」
わたしは何も知らないふり。
副島先輩はこくりと頷く。
「宮沢さん、富田と同じ中学だよね?」
「はい。そうですけど」
「橋を渡ってすぐのところのコンビニわかる?」
「わかります」
「入ったことは?」
「すみません、ないです」
中学校は同じでも、小学校は違う。だから富田くんは徒歩で帰って、わたしは二駅分だけ電車に乗る。中学校の校区の端のコンビニは、見たことはあっても入ったことはない。
「今度入ってみるといいよ」
「どうしてですか?」
「『富田』って名札付けた店員さんがいるから」
「店長さんなんですか?」
反射的にそう言ってしまって、わたしはすぐに後悔した。
「バイトだよ。最近あんまり見ないけどね」
クビになったんですよ、とわたしは心の中で呟く。副島先輩は知らないみたいだ。
「でも、わたしの中学でもそんな話聞かなかったですよ。そんなに近くで誰かの父親が働いてたらバレるんじゃないですか?」
「そんなもんなんだと思うよ。宮沢さんだって、よく行くコンビニの店員の名前が『副島』だったとしても、俺の父親だって思ったりしないでしょ? 富田なんかよくある名前だし」
「じゃあ、なんで富田くんの父親だって分かったんですか?」
副島先輩は薄く笑った。
「面識があったからだよ」
「富田くんと知り合いだったんですか?」
「いや、富田の父親とだけ、一回だけ会ったことがったんだ。近所のコンビニで会う前にね」
近所の、という単語に反応して、わたしの頭に疑問が浮かぶ。
「そういえば、副島先輩はあの橋の近くに住んでるんですか?」
「そうだよ」
「でも、中学校」
「あれ、知らなかった? 俺、エスカレーターなんだ」
「そうだったんですか」
特進科とスポーツ推薦クラスは全員高校受験組だが、普通科は約半分が明真学園中学校からの内部進学だ。
「お金持ちなんですね」
副島先輩は苦笑する。
「エスカレーター組がみんなそうってわけじゃないだろうけど、確かに俺はそうかもね」
私立に通っているからといって、誰もがお金持ちというわけじゃない。それどころか、公立に落ちて仕方なく通っている人が大半で、わたしの両親もいつだって家計が苦しいと言って不満顔をしている。
それでも私立であるからには、正真正銘のお金持ちがしれっと紛れ込んでいる。わたしはそんな人たちが妬ましかった。
「簡単に五十万円用意できてしまうくらいですか?」
「簡単じゃないよ、俺の全財産だからね」
「全財産ですか?」
「ああそうだよ。小学校のときから貯めてきたぶん全部だ。普通の人と比べればはるかに多いってのはわかってる。でも小金持ちくらいだよ、俺は」
「違います。そうじゃないです」
「そんくらいじゃ小金持ちでもないってこと?」
「違います。わたしが聞きたいのは、富田くんとの試合に全財産使うんですかってことです」
副島先輩はきょとんとして、そして、爽やかな笑顔になる。その笑顔には、なんとなく見覚えがあった。試合に勝ったとき、こんな表情をしている副島先輩を遠目に見たことがある気がした。
「それだけの価値はある」
「信じられないです」
「宮沢さんはなんでバドミントンやってるの?」
「……部活とか、やっといた方がいいかなと思って、中学校では緩そうな部活だから入ったんですよ。高校でも適当に続ければいいかって思って入ったら、厳しくて嫌になります」
「女子はちょっとぬるいよ」
「わたしにとってはそれでもです。でも、部活やってるおかげで、教室でもギリギリ喋る人がいますし」
普段、わたしと昼食を食べてくれる友達は、わたしと同じ、女子バドミントン部の日陰者。大所帯だから、同じ部活の同級生でも階層ができてしまう。
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