青春の幕間

河瀬みどり

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第六章 宮沢瑞姫

第六十話

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駅構内を出て、わたしたちはごみごみとした繁華街とは逆の、ビジネス街の方角へと歩いていった。

ときどき他人と肩をかすめながら、わたしたち二人は黙って歩いた。気まずい沈黙。

わたしは性格からどう声をかけるべきかわからなかったし、負い目のある副島先輩はもっと分からなかっただろう。

そして到着したのはホテルだった。高層までそびえたつ高級ホテル。泊まったことも値段を調べたこともないので値段なんか知らないけれど、この立地と、見た目と、どこかで耳にしたことのある名前からは間違いなく高級ホテルであるはずだ。

困惑するわたしをよそに、副島先輩は二重の自動ドアに堂々と入っていく。ロビーの床は光沢が出るくらい磨き上げられていて、やたらに高い天井から吊り下がる照明を鏡のように映していた。

いかにも柔らかそうなソファーが並べられ、これもまたぴかぴかに磨かれたテーブルを挟んで年配の方々が談笑している。

副島先輩はソファーの後ろをつかつかと歩き、わたしも恐る恐るついていく。

ロビーを抜けたところに広がっていた空間はカフェスペースだった。やたらに広くて、写真だけ見せられてこちらがロビーだと言われても疑わないだろう。ロビーとは違い、床には落ち着いた色合いのカーペットが敷かれ、小さな丸いテーブルを二つの椅子が挟むか、四つの椅子が囲んでいる。

人はそれなりに多いけれど、安物のカフェとは違い落ち着いた雰囲気だった。

席に着くと、清楚な制服を着用したウェイトレスがメニューを置く。副島先輩は一瞥して、コーヒーの産地として聞き覚えのある地名を口にした。わたしは慌ててウェイトレスを見上げ、「同じもので」と注文する。

「よかったの?」

副島先輩が苦笑しながら聞いて、

「はい」

と、わたしは強がって答えた。

すぐにコーヒーが運ばれてきて、金属製の小さな容器に入ったミルクと角砂糖の瓶もテーブルに置かれた。わたしはほっと胸をなでおろす。

「富田から聞いたの?」

わたしがミルクへ手を伸ばそうとした矢先、副島先輩が聞いてきた。出かけた手がぴくりと止まる。副島先輩は湯気を立てるコーヒーに目をくれようともしない。

「いいえ、富田くんじゃありません」

わたしは小さく首を横に振りながら答える。

「じゃあ、どうやって?」

声は優しいが、眼光は鋭い。

「それは」

わたしは言いよどむ。どうやって知ったのか。その状況について、正直な話はしたくない。

わたしが瞳を右往左往させているあいだに、副島先輩は何も入れていないコーヒーを啜った。

余裕さえ見えるその様子に、わたしは苛立った。立場が逆だ。

わたしは角砂糖を二つ、ミルクをたっぷりコーヒーに入れ、三分の一ほど口に含んでごくりと飲んだ。ミルクのおかげで適度にぬるくなっている。

「そんなことより」

わたしは努めて冷静に、けれども声に迫力が出るように言った。どこまでそれっぽくなったかは分からないけれど。

「うん?」

湯気の立っているカップを前に副島先輩が首を傾げる。

「なんでこんなことしたんですか?」
「俺は宮沢さんがこのことをどうやって知ったか知りたいんだけど」

副島先輩の憮然とした表情。わたしもそれ以上にいかめしくなるように表情をつくる。迫力には自信がないけれども。

「言いませんよ。わたしの質問に答えないんだったら、このこと先生に言いますから」
「言ったらいいじゃん」
「いいんですか?」

思わず普通に聞いてしまう。

「いいよ。こんなこと誰も信じない」

わたしは一瞬、ぐっと押し黙る。確かに、わたしの部活での発言権なんてそんなものだ。一笑に付される光景が容易に想像できる。

「富田くんと一緒に言いに行きます」

富田くんが応じるかは分からないけど。

「五十万円で八百長を仕掛けたって? 証拠もないのに」

副島先輩は冷然としている。わたしはしゅんとなった。副島先輩がコーヒーカップを持ち上げる。わたしも仕方がなく少しだけ液体を啜った。角砂糖を二つ入れても、まだ少し苦く感じる。副島先輩は無表情でブラックコーヒーを飲んでいる。

ここまでやって、こんなところで引き下がるのが嫌だった。慣れない環境で、慣れない人と、慣れない話題で喋って、わたしは妙な高揚に包まれていた。「言ったらいいじゃん」と、悠然と言い放つこの人のことをもっと知りたかった。

クラスメイト達とは違う、いままで出会ってきた人たちとはまるで違う。富田くんは憧れだけれど、副島先輩には共感できるかもしれないと思っていた。堂々と不正を仕掛けて、「こんなこと誰も信じない」とのたまうくらい、卑屈で矮小なところがわたしに似ている気がした。

「わたしがどうやって知ったかを教えたら、副島先輩もどうしてこんなことをやったか教えてくれますか?」
「交換条件になってないよ。俺は宮沢さんがどうやって情報を得たのかどうしても知りたいってわけじゃないし」
「じゃあ、なんでわたしと会おうと思ったんですか? 無視すればいいのに」

副島先輩の顔に、初めて動揺が走ったのをわたしは見逃さなかった。

「わたし、一人でお弁当を食べてたんです」

返事を待たず、わたしはそう切り出した。

「一週間前、副島先輩が部室で富田くんと会ってた日に、部室棟の裏で食べてたんです。そしたら、換気扇のところから二人の話し声が聞こえて、換気扇の下でずっと会話を聞いてました。副島先輩のことは声で分かりましたし、富田くんが部室を出ていくところも見ました」
「寂しいね」

副島先輩はそう呟いた。侮蔑も驚嘆もない、ただ素朴な呟きだった。

「寂しいですか?」

侮蔑も驚嘆もなかったので、わたしは素直にそう聞いた。

誰かの発言に、その人の価値観が現れるとき、それが何かを見下したりするもので、特に、わたしがその要素を持っていると感じるとき、わたしは恥じ入って、頭が混乱して、何も言えなくなってしまう。

そのくせ誰かを心の中で見下して、悪態をつくのは日常茶飯事だ。

けれども、副島先輩の呟きは、「一般的にそれは寂しいことだとされている」というニュアンスだけがそこにある気がした。それは感覚の問題なのだけれど、それでも、副島先輩の言葉は、いままで聞いたどの「寂しいね」とも違って感じられた。
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