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第六章 宮沢瑞姫
第五十九話
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わたしは猛烈に知りたくなった。
あの富田くんが、それが終わってから辞めると伝えている試合。彼が名誉のためだけに臨む試合。その試合を捨ててしまえるような事情。
そして、それを知った副島先輩を、そこにつけ入ろうと思わせる何か。人間を歪ませ、狂わせるものを、わたしは知りたかった。
「お疲れ様です、宮沢です」
わたしは震える手でスマートフォンにそう打ち込んで、送信した。まだ練習中だろうから、当然、返事が来ることはない。
「突然申し訳ありません。今日、どこかでお会いできませんか。相談したいことがあるんです」
どこからこんな勇気が湧いてくるんだろう。わたしの心は、恐怖だけでなく高揚にも支配されていた。直接だろうが、スマートフォンを通してだろうが、誰かと会話するのはいつも恐怖がつきまとう。
でもいまは、こんな挑戦的なことができてしまっている。その理由を、自分と十六年も付き合ってきた自分はよくわかる。相手より優位に立っているからだ。相手の弱みを知っていて、相手がこの誘いに応じざるを得ないと知っているからだ、
「五十万円」
わたしは最後にそうつけ加えた。スマートフォンをポケットにしまって、駅構内にあるファーストフード店に向かう。帰宅部か文化系の部活に所属しているのであろう明真学園の生徒が店内にちらほら見える。
レジは空《す》いていて、飲み物だけを頼んで席に着いた。
もしかしたらクラスメイトがいるかもしれないけれど、これからすることの大きさを考えたら、一人でいるところを見られるくらい気にならなかった。スマートフォンを机の上に置き、カバンから文庫本を取り出して暇をつぶす。
「わかった。場所どこ?」
そろそろ部活が終わる時間だな、という頃合いで副島先輩からそう返事があった。部室で青ざめ、動揺している姿が目に浮かぶ。そうでなければ、普段、ほとんど喋ることがない女子の後輩からの誘いを、二つ返事で受けるはずがない。
「どこでもいいですよ」
わたしの返事は強気だ。実際、わたしには適当な場所なんてわからない。副島先輩が勝手に人目を避けられる場所を選んでくれるだろう。
「だったら、」
数秒待って、副島先輩は意外な場所を指定してきた。郊外にある明真学園高校の最寄駅から電車で三十分ほど、「街に出る」と言えばそこを指す、中心地の駅を指定してきた。
「そんなとこまで行くんですか?」
「人に聞かれたくないから。交通費も出すし。宮沢さんが嫌ならやめるけど」
「いえ、大丈夫です。待ってます」
わたしは決意して席を立ち、店を出てずんずんと大股で改札に向かった。ホームにはちょうど、最も停車駅が少ない電車が来ていた。
一週間前、一人で昼食を摂ったあの日から、わたしは学校を辞めたくて仕方がなかった。マイとの会話にも身が入らない。これまでも心から楽しんだことなんてなかったけど、ふと、どうでもいいと思う瞬間が増えてしまっていた。
どうせ辞めるなら、いや、辞めないにしても、このままは嫌だ。
何か大きな変化が欲しかった。自分にスポットライトが当たるような変化を、いつも待ち望んでいたけれど、いまは渇望していた。誰にも必要とされず、誰からも相手にされない生活がずっと続くのかと思うと。自分の存在が嫌になった。
どうせたいしたことにはならない。わたしは副島先輩の弱みを握っている。ただそれだけだ。そんなことくらい分かってる。
それでも、心のどこかで、こんなちょっとした事件があるたびに、自分が物語の主人公になれるんじゃないかと妄想する。いまはその妄想に身を任せないと、学校に通う気力が失われていくのを止められない気がした。
例えば、副島家や富田家は裏の社会に繋がっていて、バドミントンの試合の結果が、世界の趨勢を決めてしまうような事態になっている、みたいな。
駅に着いて、大量に吐き出される人の群れに紛れて歩き、わたしは待ち合わせの定番スポットで副島先輩を待った。平日でも多くの人が手持無沙汰に誰かを待っている。
さすがに明真学園の制服は見当たらない。わたしはここでも文庫本を広げる。
「もうすぐ駅に着く」
副島先輩からそう連絡があって、わたしは文庫本をカバンにしまった。ほどなくして、副島先輩が現れた。こちらに向かってくる副島先輩と目が合い、副島先輩は速足にわたし近づく。
「ごめんね」
副島先輩はまるで、挨拶するように「ごめんね」と言った。確かに、どう挨拶するか微妙な場面だ。
「いいですよ」
わたしはそれを「待たせてごめんね」の意味で解釈して返事をした。でも多分、副島先輩は別の何かに謝ったのだと思う。
「じゃあ、行こうか」
副島先輩はそう言って、くるりと踵を返した。わたしは頷いて、副島先輩の横に並ぶ。近くに立つと、男子というのは思った以上に背が高くて驚く。
スマートフォン越しには強気に出られたけれども、相手が男子の先輩だと、やはり緊張して落ち着かない。こちらが相手を追い込んでいるはずなのに、わたしはいつも通り萎縮していた。
あの富田くんが、それが終わってから辞めると伝えている試合。彼が名誉のためだけに臨む試合。その試合を捨ててしまえるような事情。
そして、それを知った副島先輩を、そこにつけ入ろうと思わせる何か。人間を歪ませ、狂わせるものを、わたしは知りたかった。
「お疲れ様です、宮沢です」
わたしは震える手でスマートフォンにそう打ち込んで、送信した。まだ練習中だろうから、当然、返事が来ることはない。
「突然申し訳ありません。今日、どこかでお会いできませんか。相談したいことがあるんです」
どこからこんな勇気が湧いてくるんだろう。わたしの心は、恐怖だけでなく高揚にも支配されていた。直接だろうが、スマートフォンを通してだろうが、誰かと会話するのはいつも恐怖がつきまとう。
でもいまは、こんな挑戦的なことができてしまっている。その理由を、自分と十六年も付き合ってきた自分はよくわかる。相手より優位に立っているからだ。相手の弱みを知っていて、相手がこの誘いに応じざるを得ないと知っているからだ、
「五十万円」
わたしは最後にそうつけ加えた。スマートフォンをポケットにしまって、駅構内にあるファーストフード店に向かう。帰宅部か文化系の部活に所属しているのであろう明真学園の生徒が店内にちらほら見える。
レジは空《す》いていて、飲み物だけを頼んで席に着いた。
もしかしたらクラスメイトがいるかもしれないけれど、これからすることの大きさを考えたら、一人でいるところを見られるくらい気にならなかった。スマートフォンを机の上に置き、カバンから文庫本を取り出して暇をつぶす。
「わかった。場所どこ?」
そろそろ部活が終わる時間だな、という頃合いで副島先輩からそう返事があった。部室で青ざめ、動揺している姿が目に浮かぶ。そうでなければ、普段、ほとんど喋ることがない女子の後輩からの誘いを、二つ返事で受けるはずがない。
「どこでもいいですよ」
わたしの返事は強気だ。実際、わたしには適当な場所なんてわからない。副島先輩が勝手に人目を避けられる場所を選んでくれるだろう。
「だったら、」
数秒待って、副島先輩は意外な場所を指定してきた。郊外にある明真学園高校の最寄駅から電車で三十分ほど、「街に出る」と言えばそこを指す、中心地の駅を指定してきた。
「そんなとこまで行くんですか?」
「人に聞かれたくないから。交通費も出すし。宮沢さんが嫌ならやめるけど」
「いえ、大丈夫です。待ってます」
わたしは決意して席を立ち、店を出てずんずんと大股で改札に向かった。ホームにはちょうど、最も停車駅が少ない電車が来ていた。
一週間前、一人で昼食を摂ったあの日から、わたしは学校を辞めたくて仕方がなかった。マイとの会話にも身が入らない。これまでも心から楽しんだことなんてなかったけど、ふと、どうでもいいと思う瞬間が増えてしまっていた。
どうせ辞めるなら、いや、辞めないにしても、このままは嫌だ。
何か大きな変化が欲しかった。自分にスポットライトが当たるような変化を、いつも待ち望んでいたけれど、いまは渇望していた。誰にも必要とされず、誰からも相手にされない生活がずっと続くのかと思うと。自分の存在が嫌になった。
どうせたいしたことにはならない。わたしは副島先輩の弱みを握っている。ただそれだけだ。そんなことくらい分かってる。
それでも、心のどこかで、こんなちょっとした事件があるたびに、自分が物語の主人公になれるんじゃないかと妄想する。いまはその妄想に身を任せないと、学校に通う気力が失われていくのを止められない気がした。
例えば、副島家や富田家は裏の社会に繋がっていて、バドミントンの試合の結果が、世界の趨勢を決めてしまうような事態になっている、みたいな。
駅に着いて、大量に吐き出される人の群れに紛れて歩き、わたしは待ち合わせの定番スポットで副島先輩を待った。平日でも多くの人が手持無沙汰に誰かを待っている。
さすがに明真学園の制服は見当たらない。わたしはここでも文庫本を広げる。
「もうすぐ駅に着く」
副島先輩からそう連絡があって、わたしは文庫本をカバンにしまった。ほどなくして、副島先輩が現れた。こちらに向かってくる副島先輩と目が合い、副島先輩は速足にわたし近づく。
「ごめんね」
副島先輩はまるで、挨拶するように「ごめんね」と言った。確かに、どう挨拶するか微妙な場面だ。
「いいですよ」
わたしはそれを「待たせてごめんね」の意味で解釈して返事をした。でも多分、副島先輩は別の何かに謝ったのだと思う。
「じゃあ、行こうか」
副島先輩はそう言って、くるりと踵を返した。わたしは頷いて、副島先輩の横に並ぶ。近くに立つと、男子というのは思った以上に背が高くて驚く。
スマートフォン越しには強気に出られたけれども、相手が男子の先輩だと、やはり緊張して落ち着かない。こちらが相手を追い込んでいるはずなのに、わたしはいつも通り萎縮していた。
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