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第六章 宮沢瑞姫
第五十三話
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「じゃあ、なんで最初から払うの拒否しなかったんだろう?」
「迷ったんじゃない?」
「払うかどうか?」
「うん。だって、富田くんにとっても修学旅行に行けないのは嫌だってことは事実だろうし」
実果の眉間の皴がさらに深くなる。
「それでも祐斗は受け取らないって思ったんじゃないの?」
「石原さんに言われてそう確信したんだよ。お金を払いつつも、心の中では迷ってたんだと思う。だって、橋本くんはお金持ちだから、恵んでもらって何かするってことが富田くんにとって惨めでプライドを傷つけることだって分かってても、それがどれくらいのものなのかは分からない。みんなと修学旅行に行くことと、お金を恵んでもらわないこと。どっちが富田くんにとって価値があるか、分かんなかったんじゃないかな。だからとりあえず払った」
実果は背中を反らして天井を見上げる。「うーん」と漏れた声は、何かを思い出そうとしている声と、背中を伸ばす際のうめき声を兼ねていた。
「お金もらうときに、『こういうやり方は格好悪くないか?』って、高濱さんが橋本くんに言われたって」
推論が当たっていたようで、わたしは胸をなでおろす。同時に、抑えきれない、秘かな喜びが湧きあがってくる。誰かの心理や行動をぴたりと当てられたときの快感。わたしはそれを堪能しつつも、いつもの疑念に頭を悩ませる。
こういう快感を、他の人は感じていないんじゃないだろうか。自分が異常で、なにか支配欲が歪んだ形で働いているんじゃないかと。だから、この快感も苦悩も、決して表には出せない。
「その高濱さんはなんて答えたの?」
わたしは喜びも苦しさも喉元で押さえて、純粋な関心の表情をつくりだす。
「とりあえず、『みんなで協力して誰かを助けるのはいいことなんじゃない』みたいなこと言ったって。的外れだったんだよね。多分」
「それで十万円渡してくれたの?」
「うん。怒ってるみたいな感じで渡されたって。そういえばさ、橋本くんがなんで払ったのかはなんとなく分かったけど、なんで十万円もくれたのかな」
わたしは表情の仮面の下でにやりと笑う。実果はこういうことを聞いてくれる。わたしはこういうことを喋るのが好きだ。
「友情を示したかったんじゃない?」
「というと?」
実果が横目で続きを促す。
「『お前のためならこれくらいぱっと出せるぜ。だから何も言わずに受け取りな』ってこと」
「それが友情なの?」
「多分、橋本くんの頭の中では。橋本くんは二択で考えてたんだと思う。『一切払わない』か、『めちゃくちゃいっぱい払う』か」
「それで、十万円?」
「それで十万円」
そこはさすがにお金持ちの感覚だな、とわたしは思い、「金持ちの考えはすごいね」と、実果は実際に口にした。
「でもさ、」
実果が続ける。
「橋本くんは『めちゃくちゃいっぱい払う』を自分で選んだわけじゃん。そういうのを後悔しそうな人じゃなさそうなのに、裕子の前では弱気だったんだよね。まるで間違ったことしたみたいに。田島も『流された』って言ってたし」
「石原さんは『わたしは払わない』って言ったんだよね」
「うん。それで、『橋本くんとか田島くんも払わないと思ってた』って。祐斗は受け取るような人じゃないからって」
「じゃあ、橋本くんも田島くんもちょっとびっくりしたんじゃない? そういう、富田くんの自尊心みたいなのに少しでも気を配るのは親友である自分たちだけと思ってたから」
わたしが食い気味にまくし立てて、それでも実果はぎょっとしたりしない。ただ、「うーん」と、初めて疑念が混じった声を漏らした。
「『友達』とか、『親友』とかって、便利なワードだよね。そこまでかなぁと思うけど」
虚を衝かれて、わたしは黙りこくる。羞恥心を思い切りつつかれた。友達なんて全然いないくせに、全てを友情に還元するような発言ばかりだった。反対に、実果には友達がいる。少なくとも教室で喋る友達が三人いて、実果の性格からしたら、今回の件で三人班をどう組むかが決まって良かったなんて思ってるくらいなはずだ。
そう、友達を「切る」のに神経を使うほどたくさんいる。わたしはまた余り物班だろう。富田くんや、橋本くんや、田島くんだって、わたしに比べたら断然、友情のプロだ。しかも、実果と富田くんは付き合ってたんだ。わたしはまた偉そうなことを言って、実果は心の中でわたしを冷笑していたに違いない。
この会話で実果がわたしに抱いた感情を想像すると、恥ずかしさに頭がくらくらしてきた。貧血かもしれない。鏡を見なくても、自分が顔面蒼白だってわかる。どうしよう、一回、トイレに行こうかな。
「あ、わかったかも」
実果が唐突に、ぱっと笑顔を輝かせた。
「どしたの?」
わたしはやっとの思いで返事をする。つばを飲み込んで内臓の動きを抑えこみ、心臓のある場所に手を当てて血液を送れと命令する。
「裕子が最後に言ってたんだよ、『祐斗たち三人は、めちゃくちゃ仲いいはずなのに』みたいなこと」
「うん」
わたしの掠れそうな返事。
「瑞姫、大丈夫?」
さすがに実果も気づいたみたいだ。
「ううん、全然、大丈夫」
こういうとき、わたしは咄嗟にそう返事をしてしまう。昔からそうだった。なんで正直に言えないんだろう。でも、体調不良を訴えることさえ、心配してくれる誰かがいるような人だけの特権であるような気がする。
「そう?」
「うん、続けて」
実果は不審がりながらも、やや声のトーンを落として元の話に戻る。
「裕子がそう言う前から、橋本くんも田島も暗い顔してたから、多分気づいてたんだよ。裕子に言われちゃったのがトドメだったんだ」
実果にしては珍しく、もったいぶって話している。結論によっぽど自信があるに違いない。
「迷ったんじゃない?」
「払うかどうか?」
「うん。だって、富田くんにとっても修学旅行に行けないのは嫌だってことは事実だろうし」
実果の眉間の皴がさらに深くなる。
「それでも祐斗は受け取らないって思ったんじゃないの?」
「石原さんに言われてそう確信したんだよ。お金を払いつつも、心の中では迷ってたんだと思う。だって、橋本くんはお金持ちだから、恵んでもらって何かするってことが富田くんにとって惨めでプライドを傷つけることだって分かってても、それがどれくらいのものなのかは分からない。みんなと修学旅行に行くことと、お金を恵んでもらわないこと。どっちが富田くんにとって価値があるか、分かんなかったんじゃないかな。だからとりあえず払った」
実果は背中を反らして天井を見上げる。「うーん」と漏れた声は、何かを思い出そうとしている声と、背中を伸ばす際のうめき声を兼ねていた。
「お金もらうときに、『こういうやり方は格好悪くないか?』って、高濱さんが橋本くんに言われたって」
推論が当たっていたようで、わたしは胸をなでおろす。同時に、抑えきれない、秘かな喜びが湧きあがってくる。誰かの心理や行動をぴたりと当てられたときの快感。わたしはそれを堪能しつつも、いつもの疑念に頭を悩ませる。
こういう快感を、他の人は感じていないんじゃないだろうか。自分が異常で、なにか支配欲が歪んだ形で働いているんじゃないかと。だから、この快感も苦悩も、決して表には出せない。
「その高濱さんはなんて答えたの?」
わたしは喜びも苦しさも喉元で押さえて、純粋な関心の表情をつくりだす。
「とりあえず、『みんなで協力して誰かを助けるのはいいことなんじゃない』みたいなこと言ったって。的外れだったんだよね。多分」
「それで十万円渡してくれたの?」
「うん。怒ってるみたいな感じで渡されたって。そういえばさ、橋本くんがなんで払ったのかはなんとなく分かったけど、なんで十万円もくれたのかな」
わたしは表情の仮面の下でにやりと笑う。実果はこういうことを聞いてくれる。わたしはこういうことを喋るのが好きだ。
「友情を示したかったんじゃない?」
「というと?」
実果が横目で続きを促す。
「『お前のためならこれくらいぱっと出せるぜ。だから何も言わずに受け取りな』ってこと」
「それが友情なの?」
「多分、橋本くんの頭の中では。橋本くんは二択で考えてたんだと思う。『一切払わない』か、『めちゃくちゃいっぱい払う』か」
「それで、十万円?」
「それで十万円」
そこはさすがにお金持ちの感覚だな、とわたしは思い、「金持ちの考えはすごいね」と、実果は実際に口にした。
「でもさ、」
実果が続ける。
「橋本くんは『めちゃくちゃいっぱい払う』を自分で選んだわけじゃん。そういうのを後悔しそうな人じゃなさそうなのに、裕子の前では弱気だったんだよね。まるで間違ったことしたみたいに。田島も『流された』って言ってたし」
「石原さんは『わたしは払わない』って言ったんだよね」
「うん。それで、『橋本くんとか田島くんも払わないと思ってた』って。祐斗は受け取るような人じゃないからって」
「じゃあ、橋本くんも田島くんもちょっとびっくりしたんじゃない? そういう、富田くんの自尊心みたいなのに少しでも気を配るのは親友である自分たちだけと思ってたから」
わたしが食い気味にまくし立てて、それでも実果はぎょっとしたりしない。ただ、「うーん」と、初めて疑念が混じった声を漏らした。
「『友達』とか、『親友』とかって、便利なワードだよね。そこまでかなぁと思うけど」
虚を衝かれて、わたしは黙りこくる。羞恥心を思い切りつつかれた。友達なんて全然いないくせに、全てを友情に還元するような発言ばかりだった。反対に、実果には友達がいる。少なくとも教室で喋る友達が三人いて、実果の性格からしたら、今回の件で三人班をどう組むかが決まって良かったなんて思ってるくらいなはずだ。
そう、友達を「切る」のに神経を使うほどたくさんいる。わたしはまた余り物班だろう。富田くんや、橋本くんや、田島くんだって、わたしに比べたら断然、友情のプロだ。しかも、実果と富田くんは付き合ってたんだ。わたしはまた偉そうなことを言って、実果は心の中でわたしを冷笑していたに違いない。
この会話で実果がわたしに抱いた感情を想像すると、恥ずかしさに頭がくらくらしてきた。貧血かもしれない。鏡を見なくても、自分が顔面蒼白だってわかる。どうしよう、一回、トイレに行こうかな。
「あ、わかったかも」
実果が唐突に、ぱっと笑顔を輝かせた。
「どしたの?」
わたしはやっとの思いで返事をする。つばを飲み込んで内臓の動きを抑えこみ、心臓のある場所に手を当てて血液を送れと命令する。
「裕子が最後に言ってたんだよ、『祐斗たち三人は、めちゃくちゃ仲いいはずなのに』みたいなこと」
「うん」
わたしの掠れそうな返事。
「瑞姫、大丈夫?」
さすがに実果も気づいたみたいだ。
「ううん、全然、大丈夫」
こういうとき、わたしは咄嗟にそう返事をしてしまう。昔からそうだった。なんで正直に言えないんだろう。でも、体調不良を訴えることさえ、心配してくれる誰かがいるような人だけの特権であるような気がする。
「そう?」
「うん、続けて」
実果は不審がりながらも、やや声のトーンを落として元の話に戻る。
「裕子がそう言う前から、橋本くんも田島も暗い顔してたから、多分気づいてたんだよ。裕子に言われちゃったのがトドメだったんだ」
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