50 / 76
第五章 椎名匡貴
第五十話
しおりを挟む
月曜日、火曜日と過ぎて、水曜日の昼休みになった。積極的に寄附するだろうな、と思っていたやつらも、様子見から切り替えたやつらも、既に支払いを済ませた頃合いだった。
なぜそんなことが分かるかというと、俺が一番早くに教室に来ていたからだ。一番早く、というのもこの三日間に関しては語弊があって、高濱、栢原と俺がほぼ同時に来ていた。
登校してから、教室に富田が入ってくるまでの時間、ずっとみんなが金を渡していくのを見ているわけだから、これまで誰が渡してきたか、誰がまだ渡していないか、なんとなく感覚でわかる。
しかも、そこで高濱なり栢原なりとも喋るから、様々な情報を仕入れることができる。
「ヒロミ、どうすんの?」
「あー、金ねぇんだよなー」
俺がヒロミに抑えめの声で聞いて、ヒロミは意に介さず、頭を抱えながら大きめの声でそう返答した。高濱が横目で睨んできて、俺とヒロミ、そしてノブもぺこりと頭を下げる。机を寄せて、弁当をつつくこの時間。当然、教室の逆側の隅には富田たちもいる。
「マジで? お年玉は?」
「俺は使い切るタイプ。しかも、つい先週あれ買っちゃったじゃん。だから金欠」
ヒロミの言う「あれ」とは、新型の携帯音楽プレーヤーとヘッドフォンである。そういえば、そこそこグレードの高いモデルを先週に見せびらかしてきたなということを思い出す。
「ヒロミ、貸そうか?」
そう申し出たのはノブだった。俺も慌てて、
「ノブと折半で貸すよ。利子は一日十パーセントな」
とふざけてみる。ヒロミは眉根を寄せながら、
「いやぁ、悪いよ。親に言ってみる」
「じゃあ、それ無理だったら貸すわ」
ノブが言って、俺も口に白飯を頬張りながら頷いた。
これで支払っていないのは、ノブを除くと、おそらくあと一人。
そう、最後に一人、心底意外な人物が残った。高校生活三年間、おそらくその名前が、どんな形でさえ浮上してくるなどとは思っていなかった人物。それがまた、あの栢原のグループから出てきていた。
その日の放課後、「皆さんのご協力のおかげで、どうにか十分な金額を集めることができそうです。明日の朝で支払いを締めきって、明後日、金曜日に代表者で富田くんに渡そうと思います」とのメッセージが高濱から発せられた。
数人が祝福と激励の反応を寄越して、俺も適当なキャラクターのイラストを選んで送った。ヒロミの親への懇願が間に合わなかったときのために、一万円札を財布に補充する。虎の子だが、仕方がないだろう。
そして、お金を払っていない、最後の一人。それが大きな爆弾になった。
教室には高濱がいて、栢原がいた。
「あと二人だな」
俺は挨拶代わりにそう言って、栢原の机じゃない机に座った。
「ヒロミくんはどうなの?」
高濱が俺に聞く。
「払うってさ。俺らに借金してでも」
「じゃあ、ヒロミくんに言っといて。払わせる雰囲気つくってごめんって。もし本当にダメそうなら、払ったことにするからって」
生真面目な高濱。払ったことにするから、っていう言い方が鼻につくけど、そこが高濱らしい。
「はいよ」
なんだかんだヒロミの親は出すだろう。俺は楽観を言葉に乗せた。
「そしたら、ヒロミくんはいいとして……栢原さん、そっちはどう?」
高濱が遠慮がちな視線と声で栢原に抽象的な問いかけをする。
「話題に出せないよ」
栢原はうつむいて、小声で返事した。
空気が重たくなる。最後にたった一人残った人物は、自らその話をしようとはしない。高濱の顔も、栢原の顔も、同じくらい曇っている。
「おはよう」
そして、噂をすれば影。その人物が、見たこともないくらい不機嫌な表情で現れた。高濱と栢原は無理くりに笑顔をつくりながら、「おはよう、裕子」と返した。俺も「おっす」と軽めに合わせておく。
「椎名くん……」
その人物、石原裕子は俺の姿を見て尻ごみした。
「早いんだね」
「いつもは一番だよ。ここ三日は二人に先越されてるけど」
俺は淡々と事実を説明した。
「そうなんだ」
石原は自らを鼓舞するように語気を強めて言った。そのまま、決して俺の方は見ずに、高濱と栢原に視線を配りながらつかつかと歩み寄ってくる。そして、
「こんなことしていいと思ってるわけ?」
石原は厳しく糾弾する口調で言い放った。
高濱は唖然として、栢原は露骨に顔をしかめて、二人とも言葉を発さなかった。
「こんなことして、富田くんがどう思うかわかんないの?」
石原が言葉を重ねて迫る。俺は仕方なく聞いた。
「どう思うって、どういうことだよ」
石原がようやくこちらを向いた。一瞬だけ卑屈の色を見せた瞳。けれども、すぐに情熱的な意志が宿る。明真学園高校に入って以来、こんな目で見られたのは初めてだ。
「富田くんが、こんなお金受け取ると思うのかってこと」
「逆に受け取らないのかよ」
「うん。受け取らないよ」
石原は冷然と言った。意味わかんねぇよ、という言葉が俺の喉元にまで来て、そこで止まった。しゃくりあげるような音。振り向くと、高濱が顔を真っ赤にして泣いていた。栢原が困惑の表情で「大丈夫?」と語りかける。俺は呆然と立ったまま、栢原と同じく困った顔をしていたと思う。
なぜそんなことが分かるかというと、俺が一番早くに教室に来ていたからだ。一番早く、というのもこの三日間に関しては語弊があって、高濱、栢原と俺がほぼ同時に来ていた。
登校してから、教室に富田が入ってくるまでの時間、ずっとみんなが金を渡していくのを見ているわけだから、これまで誰が渡してきたか、誰がまだ渡していないか、なんとなく感覚でわかる。
しかも、そこで高濱なり栢原なりとも喋るから、様々な情報を仕入れることができる。
「ヒロミ、どうすんの?」
「あー、金ねぇんだよなー」
俺がヒロミに抑えめの声で聞いて、ヒロミは意に介さず、頭を抱えながら大きめの声でそう返答した。高濱が横目で睨んできて、俺とヒロミ、そしてノブもぺこりと頭を下げる。机を寄せて、弁当をつつくこの時間。当然、教室の逆側の隅には富田たちもいる。
「マジで? お年玉は?」
「俺は使い切るタイプ。しかも、つい先週あれ買っちゃったじゃん。だから金欠」
ヒロミの言う「あれ」とは、新型の携帯音楽プレーヤーとヘッドフォンである。そういえば、そこそこグレードの高いモデルを先週に見せびらかしてきたなということを思い出す。
「ヒロミ、貸そうか?」
そう申し出たのはノブだった。俺も慌てて、
「ノブと折半で貸すよ。利子は一日十パーセントな」
とふざけてみる。ヒロミは眉根を寄せながら、
「いやぁ、悪いよ。親に言ってみる」
「じゃあ、それ無理だったら貸すわ」
ノブが言って、俺も口に白飯を頬張りながら頷いた。
これで支払っていないのは、ノブを除くと、おそらくあと一人。
そう、最後に一人、心底意外な人物が残った。高校生活三年間、おそらくその名前が、どんな形でさえ浮上してくるなどとは思っていなかった人物。それがまた、あの栢原のグループから出てきていた。
その日の放課後、「皆さんのご協力のおかげで、どうにか十分な金額を集めることができそうです。明日の朝で支払いを締めきって、明後日、金曜日に代表者で富田くんに渡そうと思います」とのメッセージが高濱から発せられた。
数人が祝福と激励の反応を寄越して、俺も適当なキャラクターのイラストを選んで送った。ヒロミの親への懇願が間に合わなかったときのために、一万円札を財布に補充する。虎の子だが、仕方がないだろう。
そして、お金を払っていない、最後の一人。それが大きな爆弾になった。
教室には高濱がいて、栢原がいた。
「あと二人だな」
俺は挨拶代わりにそう言って、栢原の机じゃない机に座った。
「ヒロミくんはどうなの?」
高濱が俺に聞く。
「払うってさ。俺らに借金してでも」
「じゃあ、ヒロミくんに言っといて。払わせる雰囲気つくってごめんって。もし本当にダメそうなら、払ったことにするからって」
生真面目な高濱。払ったことにするから、っていう言い方が鼻につくけど、そこが高濱らしい。
「はいよ」
なんだかんだヒロミの親は出すだろう。俺は楽観を言葉に乗せた。
「そしたら、ヒロミくんはいいとして……栢原さん、そっちはどう?」
高濱が遠慮がちな視線と声で栢原に抽象的な問いかけをする。
「話題に出せないよ」
栢原はうつむいて、小声で返事した。
空気が重たくなる。最後にたった一人残った人物は、自らその話をしようとはしない。高濱の顔も、栢原の顔も、同じくらい曇っている。
「おはよう」
そして、噂をすれば影。その人物が、見たこともないくらい不機嫌な表情で現れた。高濱と栢原は無理くりに笑顔をつくりながら、「おはよう、裕子」と返した。俺も「おっす」と軽めに合わせておく。
「椎名くん……」
その人物、石原裕子は俺の姿を見て尻ごみした。
「早いんだね」
「いつもは一番だよ。ここ三日は二人に先越されてるけど」
俺は淡々と事実を説明した。
「そうなんだ」
石原は自らを鼓舞するように語気を強めて言った。そのまま、決して俺の方は見ずに、高濱と栢原に視線を配りながらつかつかと歩み寄ってくる。そして、
「こんなことしていいと思ってるわけ?」
石原は厳しく糾弾する口調で言い放った。
高濱は唖然として、栢原は露骨に顔をしかめて、二人とも言葉を発さなかった。
「こんなことして、富田くんがどう思うかわかんないの?」
石原が言葉を重ねて迫る。俺は仕方なく聞いた。
「どう思うって、どういうことだよ」
石原がようやくこちらを向いた。一瞬だけ卑屈の色を見せた瞳。けれども、すぐに情熱的な意志が宿る。明真学園高校に入って以来、こんな目で見られたのは初めてだ。
「富田くんが、こんなお金受け取ると思うのかってこと」
「逆に受け取らないのかよ」
「うん。受け取らないよ」
石原は冷然と言った。意味わかんねぇよ、という言葉が俺の喉元にまで来て、そこで止まった。しゃくりあげるような音。振り向くと、高濱が顔を真っ赤にして泣いていた。栢原が困惑の表情で「大丈夫?」と語りかける。俺は呆然と立ったまま、栢原と同じく困った顔をしていたと思う。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
三姉妹の姉達は、弟の俺に甘すぎる!
佐々木雄太
青春
四月——
新たに高校生になった有村敦也。
二つ隣町の高校に通う事になったのだが、
そこでは、予想外の出来事が起こった。
本来、いるはずのない同じ歳の三人の姉が、同じ教室にいた。
長女・唯【ゆい】
次女・里菜【りな】
三女・咲弥【さや】
この三人の姉に甘やかされる敦也にとって、
高校デビューするはずだった、初日。
敦也の高校三年間は、地獄の運命へと導かれるのであった。
カクヨム・小説家になろうでも好評連載中!
女子高生は小悪魔だ~教師のボクはこんな毎日送ってます
藤 ゆう
青春
ボクはある私立女子高の体育教師。大学をでて、初めての赴任だった。
「男子がいないからなぁ、ブリっ子もしないし、かなり地がでるぞ…おまえ食われるなよ(笑)」
先輩に聞いていたから少しは身構えていたけれど…
色んな(笑)事件がまきおこる。
どこもこんなものなのか?
新米のボクにはわからないけれど、ついにスタートした可愛い小悪魔たちとの毎日。
M性に目覚めた若かりしころの思い出
kazu106
青春
わたし自身が生涯の性癖として持ち合わせるM性について、それをはじめて自覚した中学時代の体験になります。歳を重ねた者の、人生の回顧録のひとつとして、読んでいただけましたら幸いです。
一部、フィクションも交えながら、述べさせていただいてます。フィクション/ノンフィクションの境界は、読んでくださった方の想像におまかせいたします。
努力の方向性
鈴ノ本 正秋
青春
小学校の卒業式。卒業生として壇上に立った少年、若林透真は「プロサッカー選手になる」と高らかに宣言した。そして、中学校のサッカー部で活躍し、プロのサッカーチームのユースにスカウトされることを考えていた。進学した公立の中学校であったが、前回大会で県ベスト8まで出ている強豪だ。そこで苦悩しながらも、成長していく物語。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる