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第五章 椎名匡貴
第四十話
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朝早くに来る理由は簡単だ。誰よりも先に来ていれば、友達との会話に最初から参加できるし、クラスの様子だって掴める。
昔から家族で一番早く目が覚める性質だったし、中学の時は朝練のある部活に入ってたから、幸い早起きはそんなに辛くない。母親を起こして、着替えて、顔を洗って、髪をセットして、軽く朝食を食べて家を出る。高校に入ってから電車通学になったから、車内で寝ることもできる。郊外へと向かう電車は空いていて、眠りの質もそこそこに良い。
クラスで一番に登校するくらい早起きをしているといったって、スポーツ推薦で入学しているやつらにはかなわない。俺が正門をくぐるころには、野球部やサッカー部の掛け声が朝の空に響いている。凝ったデザインの豪勢な校舎には安っぽい垂れ幕がかかっていて、推薦で生徒を集めている部活が地方大会で活躍していることを喧伝していた。
そんな中で目立っているのは、俺の中で目立っているだけかもしれないけど、一番端っこに垂らされた、「バドミントン部 男子団体戦 冬季県大会三位入賞」という文字だった。
正直言って、バドミントン部がそれなりに強くたってべつに話題にもならないし、スポーツ推薦なしで県大会三位はすごいことなのだろうけど、所詮、バドミントンはバドミントンだ。
それでも俺がその垂れ幕に注目していたのは、バドミントン部に富田と橋本が所属しているから。「なんでバド部に入ったの?」と誰かが聞いたとき、「バドミントンが好きだから」と富田は答え、「中学でも入ってたから、惰性で」と橋本は答えていた。
正門から学校の敷地に入って、中庭へと続く石畳の道を少し進んでみる。特進科の生徒なら誰でも知っていて、普通科の生徒にもまぁまぁ知られていて、スポーツクラスの生徒にはほとんど知られていない、もう一つの朝練。本人たちが「自主特訓」と呼んでいる練習が中庭で繰り広げられている。バドミントン部の富田と橋本、それに、卓球部の田島。今日も懲りずに、三人は声を出して筋トレをしていた。
引き返して昇降口に入ると、ちょうど階段を上っていく女子の後ろ姿が見えた。多分だけど、うちのクラスの栢原だ。細身じゃないけど、後ろから見るとちょっとエロいシルエットをしている。もちろん、判断材料はそれだけじゃなくて、髪型とか、制服の着こなしとか、スカートの絶妙な長さを総合的に判断してだけど。
俺が一番じゃないなんて珍しい日もあるもんだ、と一瞬思ったけれど、そういえば今日は高濱が早く来るはずだということも同時に思い出した。昨日、急に妙なことをやりだしたのだ。確か、富田が修学旅行に行けないからお金を集めようとか。栢原もお金を渡すために早く来たのだろう。
わざとゆっくり靴を履き替えて、わざとゆっくり階段を上った。栢原には何となく話しかけづらかった。栢原から漂う不可解な雰囲気は、この特進科を象徴している。俺にはそう思えて仕方がない。
明真学園高校特進科。公立高校に落ちて流れ着いた先にあったこのクラスには、初日から違和感があった。
普通の人間にとって、何事でも初日というものには独特の緊張感が付きまとう。クラスどころか、通う学校まで変わっての初日なんてなおさらだ。様子見をしながら、少しずつクラスの雰囲気を掴んでいく過程の、その滑り出しの日に、ほとんどの生徒はある程度の特別な緊張感を胸に秘めてきている。
それは、みんなの動作から、表情から、びんびんと伝わってくる。
でも、それは「普通の人間にとって」だ。コミュニケーションというものにだって、天才とか名人とか、そういう称号を与えるべき人物が存在していて、そういう人々は「初日」をものともしない。憶測に過ぎないけれど、自分に自信があって、躊躇いってやつを感じないんだと思う。自分が喋れば、みんなが湧く。友達の輪の中心で、自分の感性を、抑えもせず、脚色もせず、剝き出しに喋っていても、人生を難なくこなしてきた人たち。
そういう人たちにとって、どういう態度をとる「べき」か、何をどう喋る「べき」かを決めるための様子見なんて概念は理解不能だろう。あるがままに振舞っていれば、それが他の人の考える「べき」にぴったりと当てはまっていくのだから。
初日、いや、二日目、三日目くらいまで、俺の違和感の種はまさにそこにあった。様子見の雰囲気は分かる。でも、ちょっと行きすぎじゃないか? そろそろ、というか、本来は初日から、抜きんでた天才や名人が一人、二人はいて、そいつらが雰囲気をつくっていって、様子見勢もその影で、その雰囲気に沿いながら自分たちの世界を形成していく。それがセオリーだったはずだろ?
出席番号の関係で近くの席になったやつと、やはり様子見トークを繰り広げていた俺の胸の内で、よからぬ野望が膨らみ始める。
主役になりたい。そういう気持ちはずっとあった。べつに、いつもそんなに端役だってわけじゃないけど、髪型も、服装も、話の面白さも、全てが別格の主役たちに憧れる気持ちはあった。家に帰って、自分があいつらになって、男子も女子も関係ない盛り上がりの中心にいる姿を妄想する日も、正直あった。
そして、ごくたまに、自分が面白おかしく振舞えた日なんかがあったら、その場面を繰り返し思い返してはにやついていた。そんな気持ちを心に秘めていたから、公立も私立も、学校行事が盛んで、賑やかそうなところを選んだ。冷静に考えると、賑やかになるのはどのみち一部の生徒だけなのに。あのときは妄想が爆発していた。
昔から家族で一番早く目が覚める性質だったし、中学の時は朝練のある部活に入ってたから、幸い早起きはそんなに辛くない。母親を起こして、着替えて、顔を洗って、髪をセットして、軽く朝食を食べて家を出る。高校に入ってから電車通学になったから、車内で寝ることもできる。郊外へと向かう電車は空いていて、眠りの質もそこそこに良い。
クラスで一番に登校するくらい早起きをしているといったって、スポーツ推薦で入学しているやつらにはかなわない。俺が正門をくぐるころには、野球部やサッカー部の掛け声が朝の空に響いている。凝ったデザインの豪勢な校舎には安っぽい垂れ幕がかかっていて、推薦で生徒を集めている部活が地方大会で活躍していることを喧伝していた。
そんな中で目立っているのは、俺の中で目立っているだけかもしれないけど、一番端っこに垂らされた、「バドミントン部 男子団体戦 冬季県大会三位入賞」という文字だった。
正直言って、バドミントン部がそれなりに強くたってべつに話題にもならないし、スポーツ推薦なしで県大会三位はすごいことなのだろうけど、所詮、バドミントンはバドミントンだ。
それでも俺がその垂れ幕に注目していたのは、バドミントン部に富田と橋本が所属しているから。「なんでバド部に入ったの?」と誰かが聞いたとき、「バドミントンが好きだから」と富田は答え、「中学でも入ってたから、惰性で」と橋本は答えていた。
正門から学校の敷地に入って、中庭へと続く石畳の道を少し進んでみる。特進科の生徒なら誰でも知っていて、普通科の生徒にもまぁまぁ知られていて、スポーツクラスの生徒にはほとんど知られていない、もう一つの朝練。本人たちが「自主特訓」と呼んでいる練習が中庭で繰り広げられている。バドミントン部の富田と橋本、それに、卓球部の田島。今日も懲りずに、三人は声を出して筋トレをしていた。
引き返して昇降口に入ると、ちょうど階段を上っていく女子の後ろ姿が見えた。多分だけど、うちのクラスの栢原だ。細身じゃないけど、後ろから見るとちょっとエロいシルエットをしている。もちろん、判断材料はそれだけじゃなくて、髪型とか、制服の着こなしとか、スカートの絶妙な長さを総合的に判断してだけど。
俺が一番じゃないなんて珍しい日もあるもんだ、と一瞬思ったけれど、そういえば今日は高濱が早く来るはずだということも同時に思い出した。昨日、急に妙なことをやりだしたのだ。確か、富田が修学旅行に行けないからお金を集めようとか。栢原もお金を渡すために早く来たのだろう。
わざとゆっくり靴を履き替えて、わざとゆっくり階段を上った。栢原には何となく話しかけづらかった。栢原から漂う不可解な雰囲気は、この特進科を象徴している。俺にはそう思えて仕方がない。
明真学園高校特進科。公立高校に落ちて流れ着いた先にあったこのクラスには、初日から違和感があった。
普通の人間にとって、何事でも初日というものには独特の緊張感が付きまとう。クラスどころか、通う学校まで変わっての初日なんてなおさらだ。様子見をしながら、少しずつクラスの雰囲気を掴んでいく過程の、その滑り出しの日に、ほとんどの生徒はある程度の特別な緊張感を胸に秘めてきている。
それは、みんなの動作から、表情から、びんびんと伝わってくる。
でも、それは「普通の人間にとって」だ。コミュニケーションというものにだって、天才とか名人とか、そういう称号を与えるべき人物が存在していて、そういう人々は「初日」をものともしない。憶測に過ぎないけれど、自分に自信があって、躊躇いってやつを感じないんだと思う。自分が喋れば、みんなが湧く。友達の輪の中心で、自分の感性を、抑えもせず、脚色もせず、剝き出しに喋っていても、人生を難なくこなしてきた人たち。
そういう人たちにとって、どういう態度をとる「べき」か、何をどう喋る「べき」かを決めるための様子見なんて概念は理解不能だろう。あるがままに振舞っていれば、それが他の人の考える「べき」にぴったりと当てはまっていくのだから。
初日、いや、二日目、三日目くらいまで、俺の違和感の種はまさにそこにあった。様子見の雰囲気は分かる。でも、ちょっと行きすぎじゃないか? そろそろ、というか、本来は初日から、抜きんでた天才や名人が一人、二人はいて、そいつらが雰囲気をつくっていって、様子見勢もその影で、その雰囲気に沿いながら自分たちの世界を形成していく。それがセオリーだったはずだろ?
出席番号の関係で近くの席になったやつと、やはり様子見トークを繰り広げていた俺の胸の内で、よからぬ野望が膨らみ始める。
主役になりたい。そういう気持ちはずっとあった。べつに、いつもそんなに端役だってわけじゃないけど、髪型も、服装も、話の面白さも、全てが別格の主役たちに憧れる気持ちはあった。家に帰って、自分があいつらになって、男子も女子も関係ない盛り上がりの中心にいる姿を妄想する日も、正直あった。
そして、ごくたまに、自分が面白おかしく振舞えた日なんかがあったら、その場面を繰り返し思い返してはにやついていた。そんな気持ちを心に秘めていたから、公立も私立も、学校行事が盛んで、賑やかそうなところを選んだ。冷静に考えると、賑やかになるのはどのみち一部の生徒だけなのに。あのときは妄想が爆発していた。
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