青春の幕間

河瀬みどり

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第四章 高濱弥生

第三十二話

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嫌なことを思い出すと、呼吸が短く早くなって、全身を掻きむしりたくなるような、意味不明なことを叫びたくなるような感覚に囚われる。

わたしにとって、これは一生付き合っていかなければならない慢性病なんだと思う。そう、突然の発作を伴う病気なのだ。

最近はその発作の数も減って、寝る前のベッドの中や一人きりの帰り道で起こるくらいで、学校にいる間は自分がそんな病気であることも忘れかけるくらいだった。

「高濱さん、おはよう」

教室に入った途端、不意に声をかけられた。声の主は教室の入口に近い席に座ってわたしを見上げていた。

「お、おはよう」
「ちょっと音楽の発表で話あるんだけど、いいかな?」

栢原さんはそう言って、わたしの返事を待たずに立ち上がる。

明るい表情に、いつも通りのやり方で親しい友達に話しかけたと言わんばかりの軽快な動き。

でも、栢原さんの瞳は小刻みに震えていて、小さくない緊迫が空気を震わせるのが伝わってきた。いきなり話しかけられてわたしも焦ったけど、栢原さんも緊張している。当たり前だ。わたしは教室に入って、いつも通り窓側の席に行こうとしていた。そこにはわたしがいつも仲良くしている米山よねやま有倫ゆりがいて、いま、有倫も困惑しながらわたしと栢原さんをまじまじと見つめていた。わたしと有倫の目が合って、挨拶をしようとした瞬間に栢原さんが奇襲を仕掛けてきたのだ。

「うん、いいけど」

自分の戸惑いを出さないように、わたしも努めて軽いトーンで答えてみる。親しげに振舞うのはマナーなのだ。

「中庭でみんな待ってるから」

栢原さんは流し目にわたしの横を通りすぎ、ずんずんと廊下を進んでいった。わたしはその背中を追う。

「話ってなんなの?」

追いついてわたしが聞くと、

「下に行ってから」

と、栢原さんは硬い声色で答える。栢原さんは普段から協調を重要視する人だ。そんなに仲良くしてるわけではないけれど、振る舞い方のタイプはなんとなくわかる。栢原さんがこんな態度をとる姿をわたしは初めて見た。

そして、階段を下って中庭に向かうあいだ、わたしは発作に襲われていた、歯を食いしばり、腕に力をこめ、唾を何度も飲んで堪えていた。栢原さんが話しかけてこなかったのは、かえって幸運だったのかも知れない。


わたしが思い出したのは、中学二年生の時の記憶。

三つの小学校から生徒が集まってくる中学校で、わたしはずっと大人しく過ごしていた。三つの小学校からといっても、大半の生徒はある一つの小学校出身で、わたしが通っていた小学校の出身者は二割くらい。三つ目の小学校の出身者は十五人しかいなくて、わたしが中学二年生になるときにはもう廃校が決まっていた。

そんなわけだから、最初は知り合いも少ないし、大規模校出身の人たちはちょっと雰囲気が違っていて、わたしはかなり困惑していた。

でも、一年もすれば、小学校の時とはまた違った交友関係ができあがる。

ちょっとずつ変わっていくみんなの関係性を観察しながら、ちょっとずつ変わっていくみんなの性格を蔑みながら、わたしは鬱憤を溜めこんでいた。

「わたし、やります」

その鬱憤を爆発させてしまったのが、中学二年生の時。文化祭の実行委員を決める学級会議でのことだった。一年生の時は、体育委員でお調子者の男子が周囲に推される形でなっていたけれど、二年三組はそうもいかなかった。学級委員を決めたり、体育祭のリレーの走者を決めるのでも手間取るクラスだった。揉めるのではなく、手間取るのだ。誰も何もやりたがらない。

倦怠感を伴った不気味な沈黙と、珍妙な牽制がクラスに横たわる。担任も学級委員長も積極的に動かず、ただ立候補を待つばかり。

わたしはこういう雰囲気に、つい苛々してしまう。全体の進行が上手くいっていないともどかしい。心臓が波打って、指先がひりひりしてくる。

だから、わたしは立候補した。教室が静まり返る。もとから静かだったのだけれど、不穏な熱気はあった。その熱気さえ波のように引いていくのがわかる。

わたし、やります。そう言って手を挙げた数秒後には、自分がなぜ手を挙げているのか、自分でも分からなくなっていた。衝動的にそうしてしまったのだ。

「あ、じゃあ、高濱さんで」

学級委員長の浅間あさま涼太りょうたが面食らったようにわたしの顔を見つめていた。ぎこちなく黒板に向き、チョークでわたしの名前を書く。筆跡に戸惑いが隠れていない。

「もう一人、立候補はいませんか?」

浅間くんは振り向くと、苦笑いを嚙み殺した表情で教室を見渡す。着席するタイミングを見失ったわたしは、呆然として突っ立っていた。

ここでとるべき行動は、黙って席に着くことだったのだろう。でも、わたしの腹の底からは怒りが沸き上がってきていた。なんなの、さっきの反応は。みんなが困っている場面で、せっかく手を挙げたのに。しかも、一番困ってるのは浅間くんでしょ。

「浅間くん、やったらいいじゃん」

頭に血が上っていた。高熱が出たときのようにくらくらとして、周りなんかまるで見えなくなっていた。わたしに見えていたのは、ただ浅間くんの、驚嘆し、唖然とした表情だけ。

教室のどこからか気だるい拍手が起きて、投げやりな歓迎が彼を後戻りできなくさせた。浅間くんは黙って振り返り、わたしの名前の横に「浅間涼太」と書いた。

そんなクラスだから、文化祭で何をやるのかも、誰がどんな準備をするのかも一向に決まらない。だから、ほとんどのことをわたしと浅間くんで相談して決めた。というか、浅間くんも滅多に意見を出したりしないから、結局、わたしが全部決めた。

わたしがどんなに説いて回っても、ほとんどの人は微妙な笑みを浮かべるだけだった。遠慮がちにサボるなんて表現、奇妙かもしれないけど、その言葉はぴったりだと思った。文化祭までにロクな仕上がりにはならない。わたしは焦燥を募らせていた。

「なんでみんなやらないのかな」

浅間くんと二人きりになった教室で、わたしは浅間くんに気持ちを吐露した。

こんなクラスとはいえ、浅間くんは学級委員長に選ばれた人物だ。呼び止めれば時間をつくってくれる。

放課後の文化祭準備は下校時刻の三十分前に終わっていた。その時刻になれば、「もう帰ろう」という雰囲気がわたしを責め始める。わたしは仕方なく解散を告げ、帰り支度だけは速いクラスメイトたちが続々と教室を去っていった。

先ほどまで四十人近くが作業をしていた教室の空気は湿り気を帯びていて、窓からは夜の住宅街が見える。学校のすぐ横の道路で、新設された街灯が白く光っていた。
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