青春の幕間

河瀬みどり

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第三章 田島歩

第二十七話

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「複雑だねぇ」

げっぷともため息ともとれるように息を吐きだしながら、橋本くんは目を細めた。ニュアンスを共有できている、と僕は確信したけれど、次になにを言うべきかわからず、とりあえず缶ジュースに口をつけた。

運動後なので、必要以上に甘く感じられる。液体が口の中でゆっくりと温まるの感じてから僕は飲み込んだ。

「俺のことも美晃って呼んでよ」

橋本くんは悪戯っぽく笑う。「悪戯っぽく笑う」なんてことができる男は、世界にいったい何人くらいいるんだろう。

少なくとも、僕が出会ったのは橋本くんが初めてだ。

アイドルの写真集に載っていそうな、少女漫画のヒーローのような、そんな笑顔。ただ格好いいだけでなく、歌って踊れて冗談も冴える。

無理だ、と僕は思った。橋本くんを「美晃」と呼ぶなんて無理だと思った。
僕は顔を動かさないまま、休憩所を目の動きで見渡す。
僕と橋本くんが並んで座っていると、他の人にはどう見えているのだろう。
祐斗がいないと余計に強く対照される気がして、僕は肩を縮こまらせた。

「いや、橋本くんは橋本くんだよ」
「ふーん」

不満そうに口を尖らせる橋本くん。申し訳ないけれど、「美晃」呼びを強制されてはかなわない。

いまだって教室でどう思われているのか分からないのに、そのうえ名前で呼び合ったりなんかしたら、クラスメイトの視線に耐えられないだろう。

「橋本くんは最初から『祐斗』って呼んでたの?」

僕は少しずつ話題を変えようと試みる。

「そうだけど」
「勇気あるね。最初から名前で呼ぶのすごくない?」
「まぁ、仲良くなりたかったから」
「祐斗と?」
「祐斗と」
「なんでまた?」

僕は四月当初のことを思い出していた。使い古された高校デビューという言葉を体現したような、それでも、僕には手の届かないグループもいる。

特進科では、橋本くんがただ一人それを超越した、本当に格好いい存在だったけど、無理くり「お前はそこじゃないだろ」という集団に入ろうとしていた。

そして、五月の連休明け、突然に仲良くなっていた二人。

そんなに難しい質問だとは思えないけれど、橋本くんは心持ち顎を引き、うーん、と唸った。

ややあって、正面に向かってぼそっと呟く。聞こえなかったので僕が聞き返し、橋本くんは多分、もう一度同じ言葉を口にした。

「田島はなんで明真に来たんだ?」
「親の言うとおりにしてたらここに来ちゃったよ」
「他に行きたい学校とかなかったのか?」

橋本くんの家に行ったときの、祐斗と橋本くんの会話が思い出される。僕は苦い思い出を嚙みつぶしながら答えた。

「なかったよ。公立も親に勧められるがままに受けた」
「祐斗は誤解してるんだな」
「そうだね」

誤解を訂正しなかったことを咎められるかと思ったが、橋本くんは眉さえも動かさず、やはり聞き取りづらい、橋本くんらしくない声で呟いた。

「後悔してないか?」
「明真に来たこと?」

橋本くんは小さくこくりと頷く。

「明真に来たことは後悔してないよ。いい学校だと思うし、それに、こういう夏休みも過ごせてる」

心臓の鼓動が早くなって、血が上ってくるのを感じた。理由は分かっている。こういうことを素直な言葉にするのは気恥ずかしい。

「でも、みんながちゃんと学校を選んでた話を聞いたときは後悔した。後悔したというか、愕然とした。自分はなにも考えてこなかったなぁって」
「中学生の自分がちゃんと考えて選んだとしたらって、想像したことある?」

そう聞かれて、僕は人差し指でこめかみを軽く掻くより仕方がなかった。

「ないなぁ。そんなんだからダメなんだろうね。でも、あのとき真剣に考えても、きっと同じ結果だと思う。高校生活で特にこれをやりたいってことなんかなかったから、多分、『考えなきゃ』って思ったって、模試の結果と高校の偏差値ランキングを突き合わせて、このへんだなってとこを適当に選んで、それを親に言っただけだと思う。うちの親は多分、それに文句言わないし。というか、おれがあんまりにも考えてなかったから親がいろいろ調べてくれてたのかも」

自分で話していて、自分で情けなくなる。結果は同じ。
でも、誰かの言うことに従ったときと、自分で決めたときには、決定的な差がある。

四月初旬の数日間、クラスメイトの表情には、公立高校に落ちた悔しさや、それを拭おう、吹っ切ろうとする笑みは浮かんでいたけれど、誰かに何かを押し付けられたという感情や、自分の決断じゃなかったんだという言い訳は見当たらなかった。

自分で決めるべきだったんだ、それが普通だったんだなどということに驚き戸惑っているのは僕だけだっただろう。

そして、もしこれから過ごす明真学園での生活が面白くなかったら、輪をかけて、取り返しのつかない後悔に苛まれるんじゃないかと恐れていたのなんて、きっと僕だけだろう。

しかも、あの時点では、つまらない高校生活というのが僕の予想だったのだ。
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