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第三章 田島歩
第二十話
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そんな僕たち二人のあいだに、新しいメンバーが入ってきたのは五月の連休明けだった。
出席番号二十八番、橋本くん。
祐斗が地味な異端児だとすると、橋本くんは派手な異端児だ。人生を楽しむ才能に恵まれて生まれてきたといっても過言ではない。
まず顔が整っている。清潔感が大事だとかいうけれど、橋本くんは目がぱっちりくっきりしていて、唇がきれいで、肌が視覚的にもさらさらしている。まるで女子を褒めるときみたいな言い方だけれど、これで正確なのだ。均整がとれていて美しい。それでいて、骨格は男子そのもの。挙動はなよなよしているどころか、どこか武骨さまで感じさせる。でも、しなやかだ。
そして、お喋りも上手い。「軽妙なトークで場を和ませる」なんてテレビの人物紹介でしか使わないと思っていたけれど、その人がいれば場がぱっと明るくなるような存在だった。腹を抱えるような大爆笑を獲ったかと思えば、知的でくすりと笑える冗談も使いこなす。特技も多彩だ。流行のアイドルソングから謎の演歌、バラード、アニメの主題歌までなんでも歌いこなし、芸能人からアニメキャラ、教師、同級生まで、物まねのレパートリーも多い。口笛やちょっとした手品もできる。無一文でニューヨークに放り込まれても大道芸人として食べていけるに違いない。
そんな橋本くんだけど、最初のころは、僕が本来入るべきグループに無理やり入ろうとしていた。平たく言えばクラスの中心的な、僕の主観を交えるならば、なにをやっても許されるような、そんな人たちとは不思議と絡もうとしなかった。そして、女子生徒とも交流しようとしなかった。いつもよりテンションを上げて、ちょっとだけふざけて、すっと引っ込んでしまう。そんな場面を何回も見た。
でも、そんな生活は逆の意味で続かない。僕と同じような人種は、橋本くんが放つ輝かしいトークの前に肩身が狭い。面白くて、思わず笑っちゃうんだけど、脊髄反射的に笑ったあと、理性がそれを引き笑い変えてしまう。僕たちがこんなにはしゃいでいるのはなんだか不自然だし、大きく反応していると、橋本くんの話に乗っていかないといけなくなるかもしれない。急に話を振られても、僕たちには言うべきことが見つからないし、なにかをやれと言われても、誰かを楽しませるような特技は持っていない。
だから、目立たぬよう、橋本くんと目を合わせぬよう、僕たちは理性で笑う。空気が華やかに彩られるほど、それを冷やしてしまうのが怖くなる。強力な才覚と技術で造成された楽しい雰囲気は、ぼくたちにとって爆弾でもある。爆弾をなるべく受け取らないように、そっと遠巻きに見ておきたい。こっちに来るな、渡しに来るな。橋本くんの周囲では、そういう表情が出来上がってしまっていた。
連休明け。そんな橋本くんが祐斗と連れたって教室に入ってきた。手に提げた薄っぺらい通学カバンと、肩に掛けた大きなスポーツバッグと、スポーツバッグに重なるようにして背負われているバドミントンのラケットケース。特進科でバドミントン部はこの二人だけ。
きっと、連休中の練習で仲良くなったに違いないと予測した瞬間、僕の心にはのっぺりとした恐怖が広がった。あの二人が仲良くなったとして、僕はどうなるんだろう。思わず、振り返って同族たちのグループを見る。形ばかりは僕と喋ってくれるけど、祐斗と一緒にいることの多い僕に対して向けられている視線は冷たい。というか、既に別世界の人間として対応されてしまっていた。
「田島じゃん」
横目でそろっと見ていた橋本くんからそう呼ばれて、僕はおっかなびっくり振り向いた。田島じゃん、の一言に、なんであんなにも自信が溢れているのだろう。
「おはよう」
僕は小さく会釈をしながら、消え入りそうな声で挨拶した。おはよう、でさえなにかが間違っているんじゃないかと思ってはらはらする。
「ん、おはよう」
多分、僕の声があまりにも小さかったからだろう。橋本くんはちょっと眉を寄せ、テンションを下げて言った。橋本くんの隣で、祐斗が無表情のまま自分の席の横にバッグをどかりと置いた。橋本くんが肩をすくめる。
「これからよろしくな」
橋本くんは僕に向かって手をひらひらと振りながら、ちょっと下がったままのテンションで自分の席へと歩いていく。僕も胸のあたりに手を上げて、動かしてるか動かしていないかくらいで手を振った。祐斗は着席し、通学カバンから勉強道具をいそいそと取り出している。
「橋本くんと来るの珍しいね」
「一緒に朝練始めたから」
「朝練?」
「うん。部の朝練ないから、走ったり筋トレしたりしようと思って」
「自主的に?」
「うん、自主的に」
祐斗は大きく欠伸をする。僕は腰をひねって振り向く態勢から。股を開いて前後逆に座る態勢へと移行してみる。なんだかこの姿勢のほうがかっこいい気がする。
「部活好きなんだね」
「うん。というかバドミントンくらいしかやることないし」
この頃にはもう、クラスにおける祐斗の評価は、よく分からない変人からとにかくハイスペックな変人へと変わっていた。
特進科を専願だって言うから、祐斗はギリギリで特進科に入れる程度の成績だと思っていたけれど、実際は真逆だった。少なくとも特進科の中ではとびきり頭が良い。
四月の冒頭にいきなり受けさせられた実力テストではとんでもない高得点を獲っていたし、それに、普段の言動を見ていても分かる。授業の内容を理解している人とそうでない人では明らかに違うのだ。
そして、運動神経だって抜群にいい。短距離走でも野球部や陸上部に劣らない記録を出していた。体力テストでも、スポーツ推薦クラスの特待生たちに次ぐ成績。
無能な変人は気持ち悪いだけ。でも、有能ならばその変わった行動や性格すら羨望の的になる。
高校生だというのに祐斗は鉛筆を使っているし、いっさい着崩さない制服は浮いているが似合っているように見える。発言は空気を読まないし、基本的に会話は弾まない。暇なときにすることは「ぼーっとネット見てる」。スマホのゲームはするけど、ハードは据え置き機も携帯機も持っていないし、漫画も基本的に借りたものしか読まない。というか借りられるものはなんでも借りるし、貰えるものはなんでも貰う。ある意味、橋本くんとは真逆の存在だ。
爽やかでもなく面白くもないけど、基本的な能力が頭抜けていて、そのギャップが奇妙な格好良さを感じさせ、同時に笑いも誘う。困ったような笑顔がなんでも許したくなる感じ。
そんなことを考えている自分が、まるで祐斗のことを恋愛的な意味で好きな女子みたいだと自己嫌悪に陥る。実際、僕と祐斗だけで過ごしていた最初期のころ、一部の女子のあいだでは密かにそういう噂も立っていたらしい。
出席番号二十八番、橋本くん。
祐斗が地味な異端児だとすると、橋本くんは派手な異端児だ。人生を楽しむ才能に恵まれて生まれてきたといっても過言ではない。
まず顔が整っている。清潔感が大事だとかいうけれど、橋本くんは目がぱっちりくっきりしていて、唇がきれいで、肌が視覚的にもさらさらしている。まるで女子を褒めるときみたいな言い方だけれど、これで正確なのだ。均整がとれていて美しい。それでいて、骨格は男子そのもの。挙動はなよなよしているどころか、どこか武骨さまで感じさせる。でも、しなやかだ。
そして、お喋りも上手い。「軽妙なトークで場を和ませる」なんてテレビの人物紹介でしか使わないと思っていたけれど、その人がいれば場がぱっと明るくなるような存在だった。腹を抱えるような大爆笑を獲ったかと思えば、知的でくすりと笑える冗談も使いこなす。特技も多彩だ。流行のアイドルソングから謎の演歌、バラード、アニメの主題歌までなんでも歌いこなし、芸能人からアニメキャラ、教師、同級生まで、物まねのレパートリーも多い。口笛やちょっとした手品もできる。無一文でニューヨークに放り込まれても大道芸人として食べていけるに違いない。
そんな橋本くんだけど、最初のころは、僕が本来入るべきグループに無理やり入ろうとしていた。平たく言えばクラスの中心的な、僕の主観を交えるならば、なにをやっても許されるような、そんな人たちとは不思議と絡もうとしなかった。そして、女子生徒とも交流しようとしなかった。いつもよりテンションを上げて、ちょっとだけふざけて、すっと引っ込んでしまう。そんな場面を何回も見た。
でも、そんな生活は逆の意味で続かない。僕と同じような人種は、橋本くんが放つ輝かしいトークの前に肩身が狭い。面白くて、思わず笑っちゃうんだけど、脊髄反射的に笑ったあと、理性がそれを引き笑い変えてしまう。僕たちがこんなにはしゃいでいるのはなんだか不自然だし、大きく反応していると、橋本くんの話に乗っていかないといけなくなるかもしれない。急に話を振られても、僕たちには言うべきことが見つからないし、なにかをやれと言われても、誰かを楽しませるような特技は持っていない。
だから、目立たぬよう、橋本くんと目を合わせぬよう、僕たちは理性で笑う。空気が華やかに彩られるほど、それを冷やしてしまうのが怖くなる。強力な才覚と技術で造成された楽しい雰囲気は、ぼくたちにとって爆弾でもある。爆弾をなるべく受け取らないように、そっと遠巻きに見ておきたい。こっちに来るな、渡しに来るな。橋本くんの周囲では、そういう表情が出来上がってしまっていた。
連休明け。そんな橋本くんが祐斗と連れたって教室に入ってきた。手に提げた薄っぺらい通学カバンと、肩に掛けた大きなスポーツバッグと、スポーツバッグに重なるようにして背負われているバドミントンのラケットケース。特進科でバドミントン部はこの二人だけ。
きっと、連休中の練習で仲良くなったに違いないと予測した瞬間、僕の心にはのっぺりとした恐怖が広がった。あの二人が仲良くなったとして、僕はどうなるんだろう。思わず、振り返って同族たちのグループを見る。形ばかりは僕と喋ってくれるけど、祐斗と一緒にいることの多い僕に対して向けられている視線は冷たい。というか、既に別世界の人間として対応されてしまっていた。
「田島じゃん」
横目でそろっと見ていた橋本くんからそう呼ばれて、僕はおっかなびっくり振り向いた。田島じゃん、の一言に、なんであんなにも自信が溢れているのだろう。
「おはよう」
僕は小さく会釈をしながら、消え入りそうな声で挨拶した。おはよう、でさえなにかが間違っているんじゃないかと思ってはらはらする。
「ん、おはよう」
多分、僕の声があまりにも小さかったからだろう。橋本くんはちょっと眉を寄せ、テンションを下げて言った。橋本くんの隣で、祐斗が無表情のまま自分の席の横にバッグをどかりと置いた。橋本くんが肩をすくめる。
「これからよろしくな」
橋本くんは僕に向かって手をひらひらと振りながら、ちょっと下がったままのテンションで自分の席へと歩いていく。僕も胸のあたりに手を上げて、動かしてるか動かしていないかくらいで手を振った。祐斗は着席し、通学カバンから勉強道具をいそいそと取り出している。
「橋本くんと来るの珍しいね」
「一緒に朝練始めたから」
「朝練?」
「うん。部の朝練ないから、走ったり筋トレしたりしようと思って」
「自主的に?」
「うん、自主的に」
祐斗は大きく欠伸をする。僕は腰をひねって振り向く態勢から。股を開いて前後逆に座る態勢へと移行してみる。なんだかこの姿勢のほうがかっこいい気がする。
「部活好きなんだね」
「うん。というかバドミントンくらいしかやることないし」
この頃にはもう、クラスにおける祐斗の評価は、よく分からない変人からとにかくハイスペックな変人へと変わっていた。
特進科を専願だって言うから、祐斗はギリギリで特進科に入れる程度の成績だと思っていたけれど、実際は真逆だった。少なくとも特進科の中ではとびきり頭が良い。
四月の冒頭にいきなり受けさせられた実力テストではとんでもない高得点を獲っていたし、それに、普段の言動を見ていても分かる。授業の内容を理解している人とそうでない人では明らかに違うのだ。
そして、運動神経だって抜群にいい。短距離走でも野球部や陸上部に劣らない記録を出していた。体力テストでも、スポーツ推薦クラスの特待生たちに次ぐ成績。
無能な変人は気持ち悪いだけ。でも、有能ならばその変わった行動や性格すら羨望の的になる。
高校生だというのに祐斗は鉛筆を使っているし、いっさい着崩さない制服は浮いているが似合っているように見える。発言は空気を読まないし、基本的に会話は弾まない。暇なときにすることは「ぼーっとネット見てる」。スマホのゲームはするけど、ハードは据え置き機も携帯機も持っていないし、漫画も基本的に借りたものしか読まない。というか借りられるものはなんでも借りるし、貰えるものはなんでも貰う。ある意味、橋本くんとは真逆の存在だ。
爽やかでもなく面白くもないけど、基本的な能力が頭抜けていて、そのギャップが奇妙な格好良さを感じさせ、同時に笑いも誘う。困ったような笑顔がなんでも許したくなる感じ。
そんなことを考えている自分が、まるで祐斗のことを恋愛的な意味で好きな女子みたいだと自己嫌悪に陥る。実際、僕と祐斗だけで過ごしていた最初期のころ、一部の女子のあいだでは密かにそういう噂も立っていたらしい。
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