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第三章 田島歩
第十九話
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正直な話、不思議な高校生活だと思う。
中学生のときと同じように、高校生としての時間もなんとなく過ぎていくものだと思っていた。みんなが部活に入るから自分も緩そうな卓球部に入って、親の勧めるまま地元の塾に入って、余った時間はゲームをしたり、ネットしたりしていた。
中学生としての生活の中で一番印象に残ったのは、公立高校に落ちたこと。教師が推す中の上くらいの高校を拒否して、親と塾が勧めるままに上の下くらいの高校を受験したらあっさり落ちてしまった。
その二つの高校の間に、偏差値以外にどんな差があったのか、僕にはわからないまま、ただ生ぬるい水面で波に身を任せていたら、明真学園高校に打ち上げられていた。
スポーツでも大した成果を挙げられず、志望校にも落ちたという、そんな敗者の烙印が背中に押されていることに、僕は高校に入学してから初めて気がついた。
「俺、東高落ちた」
「俺も俺も」
明真学園高校の、少なくとも特進科で最初に交わされる会話はどの公立校に落ちたかということだった。普通科は約半分の生徒が明真学園中学校からの内部進学だけれど、特進科は全員が外部生だ。
進学実績を誇示するためという目的が露骨に現れた特別なクラス。二、三番手の公立進学校に落ちた生徒を鍛え、有名大学に送り出す。そんな背景が公然の秘密として知られていることさえ、僕は入学して、クラスメイトの話を聞いてから知った。
そう、僕にとって意外だったことは、世間の中学生というものが結構真剣に志望校を決めているということだった。中学生のとき、友達と少なからずそういう会話をすることもあったけれど、みんなはにかみながらぼそぼそと校名を口にするので、まぁ、裏には親とか塾とかの影があるのだろうと思っていた。
でも、あのはにかみは本音語りの気恥ずかしさを繕うもので、裏にあるのは確かな情熱だったのかもしれない。四月の教室で公立進学校の名前を出す同級生の表情には翳りがあった。僕も寂しげな顔をしてみたけれど、成功したのかはわからない。ただ、初日からそんなことをしている自分が、なにも真剣に考えてこなかった自分が恥ずかしかったから、その恥じらいを隠そうとする気持ちがいい翳りを演出していたはずだと信じている。
「俺? 専願だったけど?」
重い本を強めに閉じてしまったときとか、大きめの物を落としてしまったとき、そこそこ威力のある音に周囲の人々は振り返る。
そして、音を出した本人が申し訳なさそうに苦笑いして、周囲の人々も会釈で答え、元の会話に戻る。祐斗の「専願」発言もなかなかの物音だったはずだ。でも、祐斗は苦笑いの過程をすっ飛ばしたから、僕たちは呆然としたままだった。
「明真の専願? なんで?」
僕の隣にいた男子が、やっとのことでそう言った。初期の座席は出席番号順で、出席番号は名字のあいうえお順で、「田中」のいないこのクラスでは田島と富田が連番だった。
初日だったか二日目だったか忘れてしまったけれど、僕の後ろの富田祐斗と、その隣の男子。そして、僕の隣の男子とで様子見の会話を交わしていた。
「授業料タダだし」
「そんなので学校決めたのかよ」
祐斗はさも当然という顔でこくりと頷く。他の二人が感心と驚嘆の視線を交わしていたので、僕もそれっぽい顔をしておいた。でも、祐斗は慧眼を持っている。
「もしかして、田島も専願?」
「いや、普通に併願だよ」
「そっか、あんま驚いてなかったから、もしかしたらと思ったんだけど」
ちょっと悔しそうに祐斗は笑う。僕も合わせて笑みをつくる。
「そんなわけないじゃん。落ちた時はショックだったよ」
「でも全然、悔しそうじゃないけどな」
「そうかな?」
「そうだよ」
祐斗は笑みを絶やさない。僕も合わせた笑みをつくり続ける。でも心の中では、僕は祐斗に畏れを抱いていた。なんでわかったんだろう、僕が公立受験に本気なんかじゃなかったことを。
そうやって僕と祐斗は出会って、なぜか祐斗と一緒に過ごすことが多くなった。
本当は、あのとき話していた残りの二人、卓球部と山岳部に入った二人とかと一緒にいるべきなんじゃないかと思う。なにをもって「べき」なんて使うべきなのかはわからないけど、人にはそれぞれ居場所があって、それはたいてい指定席なのだ。いつ切符を買ったのかはわからないけど、いつのまにかその切符が手に握られている。「この電車は、全席指定となっております」。どこからかそういう声が聞こえてきて、それはいつのまにか、自分の内側から聞こえてくるようになる。
「富田くんはさ、なんで専願にしたの?」
「親がそうしろって言ったから」
入学当初のわずかな期間、僕は祐斗と二人で昼食を食べていた。祐斗は僕と対極にいるような男子たちからもちょくちょく話しかけられていたけど、なぜかそれを、あえて避けるようにして僕を昼食に誘ってきていた。
それだけじゃなく、ペアをつくれと言われたら、祐斗は僕を探していた。そんなとき、僕ははにかみながら同類の友人たちと別れて祐斗の誘いに乗る。友人たちも、ちょっと気取った顔で、「富田が呼んでるよ」と祐斗に遠慮がちな視線を送りながら僕に言った。
「進路決めるのって、実際そうなっちゃうよね」
自分も親に勧められるがままに受験したわけだから、とりあえず同意しておく。でも、僕は違和感を抱えていた。祐斗は立ち振る舞いが堂々としていて、バドミントン部でもいきなりその実力を見せつけていると評判だ。そういう人は特に、親に流されて進路を決めたりしないと思う。
「そうかな? 俺はみんなが自分の意志で決意したように話すのが羨ましいけど」
そう言って、祐斗は卵焼きを頬張りながら教室を見渡す。もうそろそろ様子見の会話も終わって、グループごとに打ち解けた雰囲気になりつつあった。受験になんて一度も落ちたことのないような、最初からここに入学したかったのだと言わんばかりに、クラスメイトたちは笑顔を振りまいていた。
もちろん、まだ結果を受け入れられていない人もいるだろう。でも、自分ほどではないはずだと僕は思っていた。自分が、なにも自分で決めず、ただ流されるように高校に入ってしまったという事実を僕は受け止めきれずにいた。
「そうかな。結局、自分の決断って言ったって、実際は周りの影響だよ。まだ十五歳なんだし」
僕はそうやってうそぶいた。本当は分かっている。みんな自分で、冷静と情熱を天秤にかけて決意した。でも、「みんなと違っておれは親の言うことに流された」なんて、プライドが邪魔して言えなかった。
祐斗は卵焼きを飲み込み、「うーん」と唸る。
「田島は変わったやつだと思ってたけど、普通になってきたな」
「どういうこと?」
「なんか自分の決断を後悔してる感じ。最初会ったときは、こいつさっぱりした顔してんなと思ったんだけど」
祐斗は鋭いけど鈍い。僕はこの高校に入学して、ようやく後悔という感情を知ったのだ。決断さえしなかったことを後悔しているなんて、さすがの祐斗でも想定外過ぎて気づくまい。
「そりゃ後悔してるよ、って、最初も言ったじゃん」
「いや、最初はそう見えなかったというか。ごめん」
「謝らなくてもいいって。富田くんは後悔してないの?」
「あんまりしてないね。人生そんなもんよ」
にかっと祐斗は笑う。少し前の僕と同じで、祐斗はまだ流されていることにさえ自覚がないのかもしれない。勉強だって、バドミントンだって、多分、誰かに勧められるがままにやっているだけなのだ。僕は愚かにもそう思っていた。
中学生のときと同じように、高校生としての時間もなんとなく過ぎていくものだと思っていた。みんなが部活に入るから自分も緩そうな卓球部に入って、親の勧めるまま地元の塾に入って、余った時間はゲームをしたり、ネットしたりしていた。
中学生としての生活の中で一番印象に残ったのは、公立高校に落ちたこと。教師が推す中の上くらいの高校を拒否して、親と塾が勧めるままに上の下くらいの高校を受験したらあっさり落ちてしまった。
その二つの高校の間に、偏差値以外にどんな差があったのか、僕にはわからないまま、ただ生ぬるい水面で波に身を任せていたら、明真学園高校に打ち上げられていた。
スポーツでも大した成果を挙げられず、志望校にも落ちたという、そんな敗者の烙印が背中に押されていることに、僕は高校に入学してから初めて気がついた。
「俺、東高落ちた」
「俺も俺も」
明真学園高校の、少なくとも特進科で最初に交わされる会話はどの公立校に落ちたかということだった。普通科は約半分の生徒が明真学園中学校からの内部進学だけれど、特進科は全員が外部生だ。
進学実績を誇示するためという目的が露骨に現れた特別なクラス。二、三番手の公立進学校に落ちた生徒を鍛え、有名大学に送り出す。そんな背景が公然の秘密として知られていることさえ、僕は入学して、クラスメイトの話を聞いてから知った。
そう、僕にとって意外だったことは、世間の中学生というものが結構真剣に志望校を決めているということだった。中学生のとき、友達と少なからずそういう会話をすることもあったけれど、みんなはにかみながらぼそぼそと校名を口にするので、まぁ、裏には親とか塾とかの影があるのだろうと思っていた。
でも、あのはにかみは本音語りの気恥ずかしさを繕うもので、裏にあるのは確かな情熱だったのかもしれない。四月の教室で公立進学校の名前を出す同級生の表情には翳りがあった。僕も寂しげな顔をしてみたけれど、成功したのかはわからない。ただ、初日からそんなことをしている自分が、なにも真剣に考えてこなかった自分が恥ずかしかったから、その恥じらいを隠そうとする気持ちがいい翳りを演出していたはずだと信じている。
「俺? 専願だったけど?」
重い本を強めに閉じてしまったときとか、大きめの物を落としてしまったとき、そこそこ威力のある音に周囲の人々は振り返る。
そして、音を出した本人が申し訳なさそうに苦笑いして、周囲の人々も会釈で答え、元の会話に戻る。祐斗の「専願」発言もなかなかの物音だったはずだ。でも、祐斗は苦笑いの過程をすっ飛ばしたから、僕たちは呆然としたままだった。
「明真の専願? なんで?」
僕の隣にいた男子が、やっとのことでそう言った。初期の座席は出席番号順で、出席番号は名字のあいうえお順で、「田中」のいないこのクラスでは田島と富田が連番だった。
初日だったか二日目だったか忘れてしまったけれど、僕の後ろの富田祐斗と、その隣の男子。そして、僕の隣の男子とで様子見の会話を交わしていた。
「授業料タダだし」
「そんなので学校決めたのかよ」
祐斗はさも当然という顔でこくりと頷く。他の二人が感心と驚嘆の視線を交わしていたので、僕もそれっぽい顔をしておいた。でも、祐斗は慧眼を持っている。
「もしかして、田島も専願?」
「いや、普通に併願だよ」
「そっか、あんま驚いてなかったから、もしかしたらと思ったんだけど」
ちょっと悔しそうに祐斗は笑う。僕も合わせて笑みをつくる。
「そんなわけないじゃん。落ちた時はショックだったよ」
「でも全然、悔しそうじゃないけどな」
「そうかな?」
「そうだよ」
祐斗は笑みを絶やさない。僕も合わせた笑みをつくり続ける。でも心の中では、僕は祐斗に畏れを抱いていた。なんでわかったんだろう、僕が公立受験に本気なんかじゃなかったことを。
そうやって僕と祐斗は出会って、なぜか祐斗と一緒に過ごすことが多くなった。
本当は、あのとき話していた残りの二人、卓球部と山岳部に入った二人とかと一緒にいるべきなんじゃないかと思う。なにをもって「べき」なんて使うべきなのかはわからないけど、人にはそれぞれ居場所があって、それはたいてい指定席なのだ。いつ切符を買ったのかはわからないけど、いつのまにかその切符が手に握られている。「この電車は、全席指定となっております」。どこからかそういう声が聞こえてきて、それはいつのまにか、自分の内側から聞こえてくるようになる。
「富田くんはさ、なんで専願にしたの?」
「親がそうしろって言ったから」
入学当初のわずかな期間、僕は祐斗と二人で昼食を食べていた。祐斗は僕と対極にいるような男子たちからもちょくちょく話しかけられていたけど、なぜかそれを、あえて避けるようにして僕を昼食に誘ってきていた。
それだけじゃなく、ペアをつくれと言われたら、祐斗は僕を探していた。そんなとき、僕ははにかみながら同類の友人たちと別れて祐斗の誘いに乗る。友人たちも、ちょっと気取った顔で、「富田が呼んでるよ」と祐斗に遠慮がちな視線を送りながら僕に言った。
「進路決めるのって、実際そうなっちゃうよね」
自分も親に勧められるがままに受験したわけだから、とりあえず同意しておく。でも、僕は違和感を抱えていた。祐斗は立ち振る舞いが堂々としていて、バドミントン部でもいきなりその実力を見せつけていると評判だ。そういう人は特に、親に流されて進路を決めたりしないと思う。
「そうかな? 俺はみんなが自分の意志で決意したように話すのが羨ましいけど」
そう言って、祐斗は卵焼きを頬張りながら教室を見渡す。もうそろそろ様子見の会話も終わって、グループごとに打ち解けた雰囲気になりつつあった。受験になんて一度も落ちたことのないような、最初からここに入学したかったのだと言わんばかりに、クラスメイトたちは笑顔を振りまいていた。
もちろん、まだ結果を受け入れられていない人もいるだろう。でも、自分ほどではないはずだと僕は思っていた。自分が、なにも自分で決めず、ただ流されるように高校に入ってしまったという事実を僕は受け止めきれずにいた。
「そうかな。結局、自分の決断って言ったって、実際は周りの影響だよ。まだ十五歳なんだし」
僕はそうやってうそぶいた。本当は分かっている。みんな自分で、冷静と情熱を天秤にかけて決意した。でも、「みんなと違っておれは親の言うことに流された」なんて、プライドが邪魔して言えなかった。
祐斗は卵焼きを飲み込み、「うーん」と唸る。
「田島は変わったやつだと思ってたけど、普通になってきたな」
「どういうこと?」
「なんか自分の決断を後悔してる感じ。最初会ったときは、こいつさっぱりした顔してんなと思ったんだけど」
祐斗は鋭いけど鈍い。僕はこの高校に入学して、ようやく後悔という感情を知ったのだ。決断さえしなかったことを後悔しているなんて、さすがの祐斗でも想定外過ぎて気づくまい。
「そりゃ後悔してるよ、って、最初も言ったじゃん」
「いや、最初はそう見えなかったというか。ごめん」
「謝らなくてもいいって。富田くんは後悔してないの?」
「あんまりしてないね。人生そんなもんよ」
にかっと祐斗は笑う。少し前の僕と同じで、祐斗はまだ流されていることにさえ自覚がないのかもしれない。勉強だって、バドミントンだって、多分、誰かに勧められるがままにやっているだけなのだ。僕は愚かにもそう思っていた。
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