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第二章 栢原実果
第十八話
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準急に乗って、わたしの家の最寄り駅で降りて、駅前のドーナツ店に入る。わたしはドーナツ二個とカフェオレを、田島はドーナツ一個とコーヒーをトレイに乗せて対面の席に座った。背中を丸め、なめるように値札を見て一番安い商品を注文する田島はやっぱりかっこ悪かった。好みで選べよ、ドーナツくらい。
「で、相談なんだけどさ」
そう言いながら、わたしは左右に視線を走らせ、万が一にも知り合いがいないことを確認する。
「うん」
ずずず、と田島がコーヒーを飲みながら言う。コップの縁を両手で、掴むというよりつまみながら持ち上げている。熱すぎるの苦手なら、冷めるまで待ちなよ。
「祐斗に振られた」
うっ、という声を喉の奥から出しつつ、田島が口をきゅっと閉じた。ややあってごくんと飲み込む。噴き出さなかったのは偉いぞ。
「マジで?」
マジで、自体は使い込まれた表現で、声色はちゃんと「マジで」になってるんだけど、やっぱり田島が言うとちょっと可笑しい。なんというか、顔が追いついてない。どことなく幼さがあって、剃り残したひげがちょぼんと出ている。
「マジで」
「なんで?」
「親父がクビになったから、だってさ」
田島の目に光が宿って、もう一回、あの考え込む仕草になる。顎に手を当てて、今度はうつむかずに横に視線を送っている。視線の先はトイレの扉だけど。
「うーん」
そのままの姿勢で目を細め、田島は唸った。
「なにが、『うーん』なの?」
「いや、なんでもない。祐斗、それ以外になんか言ってた?」
光が増している。言葉に意志が乗っている。ちょっと理屈っぽい感じが鼻につくけど、なにか考えがあるみたいだ。
「えっとねぇ」
わたしは祐斗との会話を思い出しながら一部始終を打ち明けた。そのまま言うと惨め過ぎるので、ちょっとずつプライドが傷つかないほうに寄せて話す。
「祐斗がなぁ」
長い話のあと、田島はコーヒーの水面を見つめながら呟いた。田島が祐斗のことを「祐斗」呼ぶのも、ちょっと気になる。調子乗ってる似非やんちゃ男子たちも祐斗のことは「富田」って呼ぶから、田島は「富田くん」くらいで十分なのだ。といっても、わたしは「祐斗」から脱落するんだけど。来週からなんて呼べばいいんだろう。
「わたし、本当はなんで振られたんだと思う?」
田島は目を細め、カップを持ち上げてずじゅりとコーヒーを飲んだ。五月だというのにのにささくれだっている唇が少し濡れる。
「祐斗が言った通りの理由だと思うよ。栢原さんに迷惑かけたくないからだと思う」
「わたしは祐斗の彼女でいたいのに? 彼女はいたほうがよくない?」
「そういうの、祐斗はよく分かんないんだよ。そういう打算はしないタイプだし。栢原さんと違って」
わたしはむっときた。打算。それは事実だけど、田島に言われたくない。なんで田島が美晃くんと祐斗のグループにいられるのか分かんないけど、田島は明らかに甘い汁を吸っている。本当に、どうやったらそんだけ祐斗に気に入られるんだろう。
「打算じゃないし、ショックだったよ」
わたしは柄になく唇を尖らせて言ってみる。
「おれもショックだよ」
憮然とした表情の田島。
「なにが?」
「まだそのこと、祐斗に言われてないから」
「彼女振ったってこと?」
首を横に振る田島。
「親父が失業して、生活が苦しいってこと」
「わたしには言ってくれたよ」
ちょっとだけ優越感を覚えつつそう口に出してしまった自分が癪に障る。なんで田島と争ってるんだよ。
「それは振るためでしょ」
田島が憎たらしく笑う。歯の隙間にドーナツの粉がねちょっとなって挟まってる。
「ねぇ、田島。祐斗のことどれくらい知ってる?」
イエス、ノーのクエスチョンじゃないのに、田島はもう一度首を横に振った。
「なんも知らない。いまだに祐斗のことは分からないんだ。うすうすそういう家庭なんじゃないかとは思ってたけど」
「そういう家庭?」
「あんまり普通じゃないっていうか、貧乏っていうか。だから、父親の失業もすんなり受け入れながら涼しい顔して学校来てるんだと思うんだけどね」
「そうなの?」
「栢原さん気づいてると思ってたんだけど。なんかそういうの敏感そうだし」
言われてみればそうかもしれないとは思う。
でもさ、そうだとは思わないじゃん。運動部の男子の私服なんていつも同じでもそんなもんだって言うし、確かに遠足のときとか男子はみんなそんな感じだし。お小遣いだってそんなにないから高校生のデートなんてそもそもお金かけないし。瑞姫が言ってた、ユニフォームとかラケットの話だって、こだわってるだけだと思うじゃん。だって祐斗はバドミントン強いんでしょ? 強い人が頑なにそうするってことは、それはそういうことなんだよ、きっと。
わたしがふてくされた表情をしていると、田島は急におたおたとし始める。
「ごめん、栢原さん」
「いいよべつに。田島のほうが祐斗と一緒にいるのは事実だしさ。でもさ、男子からしたら普通なの? なんというか、父親がクビになったから彼女振るってことは」
田島は表情を曇らせる。目が卑屈な動きをする。
「親父がクビになったことないからわかんないけど、おれなら自分から振ったりはしないかな」
「じゃあなんで祐斗はわたしのこと振るの?」
「多分、特別なんだよ。感覚が違う。祐斗は別のところで戦ってるんだよ。いつもそうだ」
田島はわたしの方ではなく、トイレの扉のほうを見ている。わたしはドーナツの最後の欠片を口に入れ、もぐもぐさせながら田島に言ってやった。
「田島、彼女いたことあんの?」
顎を引いて、せわしなく動く瞳に卑屈さが増していく。露骨だな。
「ないよ」
かすれるように、呟くように、田島は言った。
「帰ろっか。今日はありがと」
田島は無言でうなずいた。
ドーナツ店を出て、田島は駅へ、わたしは自宅へと向かう。
祐斗と別れたことなんてすぐにばれるだろう。来週のことを思うと、足取りが重い。わたしはこんなに大事な勝負を戦っているのに、話題が彼女のことになるとちょっと自慢げになる祐斗を、戦友だとさえ思っていたのに。祐斗は一体、何と戦っているんだろう。
「で、相談なんだけどさ」
そう言いながら、わたしは左右に視線を走らせ、万が一にも知り合いがいないことを確認する。
「うん」
ずずず、と田島がコーヒーを飲みながら言う。コップの縁を両手で、掴むというよりつまみながら持ち上げている。熱すぎるの苦手なら、冷めるまで待ちなよ。
「祐斗に振られた」
うっ、という声を喉の奥から出しつつ、田島が口をきゅっと閉じた。ややあってごくんと飲み込む。噴き出さなかったのは偉いぞ。
「マジで?」
マジで、自体は使い込まれた表現で、声色はちゃんと「マジで」になってるんだけど、やっぱり田島が言うとちょっと可笑しい。なんというか、顔が追いついてない。どことなく幼さがあって、剃り残したひげがちょぼんと出ている。
「マジで」
「なんで?」
「親父がクビになったから、だってさ」
田島の目に光が宿って、もう一回、あの考え込む仕草になる。顎に手を当てて、今度はうつむかずに横に視線を送っている。視線の先はトイレの扉だけど。
「うーん」
そのままの姿勢で目を細め、田島は唸った。
「なにが、『うーん』なの?」
「いや、なんでもない。祐斗、それ以外になんか言ってた?」
光が増している。言葉に意志が乗っている。ちょっと理屈っぽい感じが鼻につくけど、なにか考えがあるみたいだ。
「えっとねぇ」
わたしは祐斗との会話を思い出しながら一部始終を打ち明けた。そのまま言うと惨め過ぎるので、ちょっとずつプライドが傷つかないほうに寄せて話す。
「祐斗がなぁ」
長い話のあと、田島はコーヒーの水面を見つめながら呟いた。田島が祐斗のことを「祐斗」呼ぶのも、ちょっと気になる。調子乗ってる似非やんちゃ男子たちも祐斗のことは「富田」って呼ぶから、田島は「富田くん」くらいで十分なのだ。といっても、わたしは「祐斗」から脱落するんだけど。来週からなんて呼べばいいんだろう。
「わたし、本当はなんで振られたんだと思う?」
田島は目を細め、カップを持ち上げてずじゅりとコーヒーを飲んだ。五月だというのにのにささくれだっている唇が少し濡れる。
「祐斗が言った通りの理由だと思うよ。栢原さんに迷惑かけたくないからだと思う」
「わたしは祐斗の彼女でいたいのに? 彼女はいたほうがよくない?」
「そういうの、祐斗はよく分かんないんだよ。そういう打算はしないタイプだし。栢原さんと違って」
わたしはむっときた。打算。それは事実だけど、田島に言われたくない。なんで田島が美晃くんと祐斗のグループにいられるのか分かんないけど、田島は明らかに甘い汁を吸っている。本当に、どうやったらそんだけ祐斗に気に入られるんだろう。
「打算じゃないし、ショックだったよ」
わたしは柄になく唇を尖らせて言ってみる。
「おれもショックだよ」
憮然とした表情の田島。
「なにが?」
「まだそのこと、祐斗に言われてないから」
「彼女振ったってこと?」
首を横に振る田島。
「親父が失業して、生活が苦しいってこと」
「わたしには言ってくれたよ」
ちょっとだけ優越感を覚えつつそう口に出してしまった自分が癪に障る。なんで田島と争ってるんだよ。
「それは振るためでしょ」
田島が憎たらしく笑う。歯の隙間にドーナツの粉がねちょっとなって挟まってる。
「ねぇ、田島。祐斗のことどれくらい知ってる?」
イエス、ノーのクエスチョンじゃないのに、田島はもう一度首を横に振った。
「なんも知らない。いまだに祐斗のことは分からないんだ。うすうすそういう家庭なんじゃないかとは思ってたけど」
「そういう家庭?」
「あんまり普通じゃないっていうか、貧乏っていうか。だから、父親の失業もすんなり受け入れながら涼しい顔して学校来てるんだと思うんだけどね」
「そうなの?」
「栢原さん気づいてると思ってたんだけど。なんかそういうの敏感そうだし」
言われてみればそうかもしれないとは思う。
でもさ、そうだとは思わないじゃん。運動部の男子の私服なんていつも同じでもそんなもんだって言うし、確かに遠足のときとか男子はみんなそんな感じだし。お小遣いだってそんなにないから高校生のデートなんてそもそもお金かけないし。瑞姫が言ってた、ユニフォームとかラケットの話だって、こだわってるだけだと思うじゃん。だって祐斗はバドミントン強いんでしょ? 強い人が頑なにそうするってことは、それはそういうことなんだよ、きっと。
わたしがふてくされた表情をしていると、田島は急におたおたとし始める。
「ごめん、栢原さん」
「いいよべつに。田島のほうが祐斗と一緒にいるのは事実だしさ。でもさ、男子からしたら普通なの? なんというか、父親がクビになったから彼女振るってことは」
田島は表情を曇らせる。目が卑屈な動きをする。
「親父がクビになったことないからわかんないけど、おれなら自分から振ったりはしないかな」
「じゃあなんで祐斗はわたしのこと振るの?」
「多分、特別なんだよ。感覚が違う。祐斗は別のところで戦ってるんだよ。いつもそうだ」
田島はわたしの方ではなく、トイレの扉のほうを見ている。わたしはドーナツの最後の欠片を口に入れ、もぐもぐさせながら田島に言ってやった。
「田島、彼女いたことあんの?」
顎を引いて、せわしなく動く瞳に卑屈さが増していく。露骨だな。
「ないよ」
かすれるように、呟くように、田島は言った。
「帰ろっか。今日はありがと」
田島は無言でうなずいた。
ドーナツ店を出て、田島は駅へ、わたしは自宅へと向かう。
祐斗と別れたことなんてすぐにばれるだろう。来週のことを思うと、足取りが重い。わたしはこんなに大事な勝負を戦っているのに、話題が彼女のことになるとちょっと自慢げになる祐斗を、戦友だとさえ思っていたのに。祐斗は一体、何と戦っているんだろう。
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