15 / 76
第二章 栢原実果
第十五話
しおりを挟む
夢心地の時間が過ぎて、まだ夢を見ているように浮足立ったまま、わたしはステージを離れ、部室棟の近くにやってきた。
祐斗と待ち合わせの時間にはまだかなり早いけど、教室に戻る気にもならなければ、瑞姫に会う気にもなれなかった。
ただぼーっとして、テニス部の部室のドアに寄りかかっていた。
やたらにお金がかかっている部室棟の白い外壁を、夕陽がぴかぴかに照らしている。
片付けも終盤にさしかかっているのだろうか、校舎の窓からは次々と明かりが消え、下校する生徒たちの喧騒が遠くに聞こえてきた。
吹き込む風の冷たさに、わたしは手をさすって温めた。
祐斗と会うのがとても怖かった。手ごろ? 普通の男子よりは? 冗談じゃない。あんなの、一番「できる」「目立っていい」人たちだけがしていいことだ。特進科のなかでも、いかにも高校デビューですよってやつらとは違う、本物なんだと思った。半端にいきがった態度と、突き抜けきれないファッションなんか、所詮まがいもの。祐斗たちは、何をやっても馬鹿にされなくて、誰かを楽しませるアイデアと技術がある、雲の上の人たち。
でも、もしそんな人と付き合えたら。そう考えると、自然と顔がほころんでくる。トップなんだ。誰にも手を出せない、羨望を集める人間になれる。
「あれ、栢原さんもう来てたの?」
校舎の端にある出口から男子用の制服を着た祐斗が歩いてくる。わたしの瞳に映っているのは、もう文化祭を一緒に回った祐斗じゃなかった。心の中に、自分たちとは違う人種と喋るときの感覚が蘇ってくる。変に思われないように、なるべく、なるべく、普通の反応。
「ううん。いま来たとこだよ」
「そっか。じゃあ、えっと、一緒に帰るんだったっけ?」
「うん。いい?」
「べつにいいよ」
にこりと笑って、祐斗はわたしの隣に並ぶ。いい感じだ。相手の返事の一言一言が気になって、わたしの言葉や態度に、祐斗が気を悪くしていないかって思うと、怖い。でも、緊張はしなかった。これだけ遠い人と、一緒に歩いてる。友達、そう、友達ってだけでもすごい。まるで本の中の世界のようだった。
「ステージすごかったね」
「見てたの? 恥ずかしいな」
「すごく面白かったよ」
祐斗は気恥ずかしそうに頭をかく。
「美晃がどうしてもって言うからさ」
「橋本くんが考えたの?」
「俺じゃ思いつかないよ」
「でも、踊りは一番上手かったと思うよ」
褒め言葉。間違ってないといい。いけ。
「ありがと。じゃあ、来年もやろっかな」
まんざらではない表情の祐斗。よっしゃ。
わたしたちは文化祭の感想を語らいながら、あるいは、普段の学校生活の話をしながら、駅までの短い道のりを歩いて行った。本当にイケてる人は、誰とでも分け隔てなく接するというけれど、それはこういうことなんだな、と祐斗と喋っていると思う。
そう、平凡な受け答えだって、あの大観衆を惹きつけた人と話していると思うと、自分の思考、自分の感覚が自分を酔わせてしまうのだ。
でも、いまこそ、わたしの心は平静を失わない。酔い始めた自分を、醒めた目で見る自分もいる。この人はわたしと一緒じゃない。でも、付き合いたい。見てろよ、真奈美。いや、裕子も麻里奈も。みんなを超えて、一気に特別になるんだ。
そしてなにより、見てろよ、ママ。わたしがどんなに本棚を充実させたって、まるでそんなもの存在しないかのように振舞って、普通の女子高生っぽいことばっかり話題にあげて、にやにやしながらわたしをそっちに誘導していく。
親戚の前でも、「部活頑張ってて」とか「普段は服の話ばっかりしてる」なんてわたしを紹介するママ。食卓でも、「最近あれするのが流行ってるんでしょ?」なんて、テレビで見た最近の女子高生についての浅い知識を出してきて、否定したらすごく不機嫌になって、でも、でも、を続けて強引に肯定させようとする。
だから、わたしはもう、嘘でも最初から肯定してあげる。そうすると、「実果ったら仕方ないわね」みたいな感じで、最近の女子高生に世話を焼く母親感をにやつきながら出してくる。だから、ここで見せてやるんだ。読書中毒でも、あんたの旦那よりよっぽどいい彼氏がいるよって。
ぶくぶくと膨らんでくる欲望を、わたしは抑えられなかった。
そして、いまならいける気がした。祐斗は上機嫌だ。駅が近づいている。駅前の大きな交差点。右手には隣の駅に続く道が見えた。川をまたぐ大きな橋がかかっていて、川面は夕闇混じりの神秘的な空を映していて、通行人はいなかった。
「富田くん、どうやって帰るの?」
「俺? 徒歩だけど」
「どっち向き?」
「あっち。橋わたってすぐ左に行ったら家あるから。栢原さんは電車?」
奇跡だ、わたしは手をぎゅっと握りしめる。
「電車だけど、わたしも隣の駅まで歩いていい?」
「まぁ、いいけど」
祐斗は橋に向かって方向転換する。わたしも隣に並んで歩きだす。肩を寄せて、指先で祐斗の手の甲にちょんと触れてみる。祐斗に特段の反応はなし。
わたしはあえて、橋の中心まで黙って歩いてみた。祐斗もなにも言わない。わたしは黙ったまま足を止める。一歩行き過ぎた祐斗も止まる。
「栢原さん、どしたの?」
「あのね」
心臓がどきどきして、熱いものが身体じゅうを駆け巡る。でも、そんな浮ついたものに、誰かが恋とでも呼びそうなものに、わたしは支配されてない。冷静で事態を俯瞰している自分もいる。すましたを顔して、「祐斗が彼氏なんだ」なんて言う自分を想像しながら、わたしは告白した。
祐斗は黙っている。でも困ってる表情じゃない。これまでの人生で一番緊張した瞬間だった。冷たい風が、熱い頬を撫でていく。お願い、お願い。
「ありがとう。俺でよければ」
わたしは思わず祐斗の手を握った。よし、よし、よし、勝った。優越感、誇らしさがこみ上げてくる。涙まで出てきた。
「栢原さん? 大丈夫?」
祐斗は狼狽した様子でおろおろとそう聞いた。うん、大丈夫。わたしは元気だよ。いままでの人生で一番元気な瞬間だ。
祐斗と待ち合わせの時間にはまだかなり早いけど、教室に戻る気にもならなければ、瑞姫に会う気にもなれなかった。
ただぼーっとして、テニス部の部室のドアに寄りかかっていた。
やたらにお金がかかっている部室棟の白い外壁を、夕陽がぴかぴかに照らしている。
片付けも終盤にさしかかっているのだろうか、校舎の窓からは次々と明かりが消え、下校する生徒たちの喧騒が遠くに聞こえてきた。
吹き込む風の冷たさに、わたしは手をさすって温めた。
祐斗と会うのがとても怖かった。手ごろ? 普通の男子よりは? 冗談じゃない。あんなの、一番「できる」「目立っていい」人たちだけがしていいことだ。特進科のなかでも、いかにも高校デビューですよってやつらとは違う、本物なんだと思った。半端にいきがった態度と、突き抜けきれないファッションなんか、所詮まがいもの。祐斗たちは、何をやっても馬鹿にされなくて、誰かを楽しませるアイデアと技術がある、雲の上の人たち。
でも、もしそんな人と付き合えたら。そう考えると、自然と顔がほころんでくる。トップなんだ。誰にも手を出せない、羨望を集める人間になれる。
「あれ、栢原さんもう来てたの?」
校舎の端にある出口から男子用の制服を着た祐斗が歩いてくる。わたしの瞳に映っているのは、もう文化祭を一緒に回った祐斗じゃなかった。心の中に、自分たちとは違う人種と喋るときの感覚が蘇ってくる。変に思われないように、なるべく、なるべく、普通の反応。
「ううん。いま来たとこだよ」
「そっか。じゃあ、えっと、一緒に帰るんだったっけ?」
「うん。いい?」
「べつにいいよ」
にこりと笑って、祐斗はわたしの隣に並ぶ。いい感じだ。相手の返事の一言一言が気になって、わたしの言葉や態度に、祐斗が気を悪くしていないかって思うと、怖い。でも、緊張はしなかった。これだけ遠い人と、一緒に歩いてる。友達、そう、友達ってだけでもすごい。まるで本の中の世界のようだった。
「ステージすごかったね」
「見てたの? 恥ずかしいな」
「すごく面白かったよ」
祐斗は気恥ずかしそうに頭をかく。
「美晃がどうしてもって言うからさ」
「橋本くんが考えたの?」
「俺じゃ思いつかないよ」
「でも、踊りは一番上手かったと思うよ」
褒め言葉。間違ってないといい。いけ。
「ありがと。じゃあ、来年もやろっかな」
まんざらではない表情の祐斗。よっしゃ。
わたしたちは文化祭の感想を語らいながら、あるいは、普段の学校生活の話をしながら、駅までの短い道のりを歩いて行った。本当にイケてる人は、誰とでも分け隔てなく接するというけれど、それはこういうことなんだな、と祐斗と喋っていると思う。
そう、平凡な受け答えだって、あの大観衆を惹きつけた人と話していると思うと、自分の思考、自分の感覚が自分を酔わせてしまうのだ。
でも、いまこそ、わたしの心は平静を失わない。酔い始めた自分を、醒めた目で見る自分もいる。この人はわたしと一緒じゃない。でも、付き合いたい。見てろよ、真奈美。いや、裕子も麻里奈も。みんなを超えて、一気に特別になるんだ。
そしてなにより、見てろよ、ママ。わたしがどんなに本棚を充実させたって、まるでそんなもの存在しないかのように振舞って、普通の女子高生っぽいことばっかり話題にあげて、にやにやしながらわたしをそっちに誘導していく。
親戚の前でも、「部活頑張ってて」とか「普段は服の話ばっかりしてる」なんてわたしを紹介するママ。食卓でも、「最近あれするのが流行ってるんでしょ?」なんて、テレビで見た最近の女子高生についての浅い知識を出してきて、否定したらすごく不機嫌になって、でも、でも、を続けて強引に肯定させようとする。
だから、わたしはもう、嘘でも最初から肯定してあげる。そうすると、「実果ったら仕方ないわね」みたいな感じで、最近の女子高生に世話を焼く母親感をにやつきながら出してくる。だから、ここで見せてやるんだ。読書中毒でも、あんたの旦那よりよっぽどいい彼氏がいるよって。
ぶくぶくと膨らんでくる欲望を、わたしは抑えられなかった。
そして、いまならいける気がした。祐斗は上機嫌だ。駅が近づいている。駅前の大きな交差点。右手には隣の駅に続く道が見えた。川をまたぐ大きな橋がかかっていて、川面は夕闇混じりの神秘的な空を映していて、通行人はいなかった。
「富田くん、どうやって帰るの?」
「俺? 徒歩だけど」
「どっち向き?」
「あっち。橋わたってすぐ左に行ったら家あるから。栢原さんは電車?」
奇跡だ、わたしは手をぎゅっと握りしめる。
「電車だけど、わたしも隣の駅まで歩いていい?」
「まぁ、いいけど」
祐斗は橋に向かって方向転換する。わたしも隣に並んで歩きだす。肩を寄せて、指先で祐斗の手の甲にちょんと触れてみる。祐斗に特段の反応はなし。
わたしはあえて、橋の中心まで黙って歩いてみた。祐斗もなにも言わない。わたしは黙ったまま足を止める。一歩行き過ぎた祐斗も止まる。
「栢原さん、どしたの?」
「あのね」
心臓がどきどきして、熱いものが身体じゅうを駆け巡る。でも、そんな浮ついたものに、誰かが恋とでも呼びそうなものに、わたしは支配されてない。冷静で事態を俯瞰している自分もいる。すましたを顔して、「祐斗が彼氏なんだ」なんて言う自分を想像しながら、わたしは告白した。
祐斗は黙っている。でも困ってる表情じゃない。これまでの人生で一番緊張した瞬間だった。冷たい風が、熱い頬を撫でていく。お願い、お願い。
「ありがとう。俺でよければ」
わたしは思わず祐斗の手を握った。よし、よし、よし、勝った。優越感、誇らしさがこみ上げてくる。涙まで出てきた。
「栢原さん? 大丈夫?」
祐斗は狼狽した様子でおろおろとそう聞いた。うん、大丈夫。わたしは元気だよ。いままでの人生で一番元気な瞬間だ。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/essay.png?id=5ada788558fa89228aea)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/youth.png?id=ad9871afe441980cc37c)
ほつれ家族
陸沢宝史
青春
高校二年生の椎橋松貴はアルバイトをしていたその理由は姉の借金返済を手伝うためだった。ある日、松貴は同じ高校に通っている先輩の永松栗之と知り合い仲を深めていく。だが二人は家族関係で問題を抱えており、やがて問題は複雑化していく中自分の家族と向き合っていく。
無敵のイエスマン
春海
青春
主人公の赤崎智也は、イエスマンを貫いて人間関係を完璧に築き上げ、他生徒の誰からも敵視されることなく高校生活を送っていた。敵がいない、敵無し、つまり無敵のイエスマンだ。赤崎は小学生の頃に、いじめられていた初恋の女の子をかばったことで、代わりに自分がいじめられ、二度とあんな目に遭いたくないと思い、無敵のイエスマンという人格を作り上げた。しかし、赤崎は自分がかばった女の子と再会し、彼女は赤崎の人格を変えようとする。そして、赤崎と彼女の勝負が始まる。赤崎が無敵のイエスマンを続けられるか、彼女が無敵のイエスマンである赤崎を変えられるか。これは、無敵のイエスマンの悲哀と恋と救いの物語。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/youth.png?id=ad9871afe441980cc37c)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/youth.png?id=ad9871afe441980cc37c)
【完結】碧よりも蒼く
多田莉都
青春
中学二年のときに、陸上競技の男子100m走で全国制覇を成し遂げたことのある深田碧斗は、高校になってからは何の実績もなかった。実績どころか、陸上部にすら所属していなかった。碧斗が走ることを辞めてしまったのにはある理由があった。
それは中学三年の大会で出会ったある才能の前に、碧斗は走ることを諦めてしまったからだった。中学を卒業し、祖父母の住む他県の高校を受験し、故郷の富山を離れた碧斗は無気力な日々を過ごす。
ある日、地元で深田碧斗が陸上の大会に出ていたということを知り、「何のことだ」と陸上雑誌を調べたところ、ある高校の深田碧斗が富山の大会に出場していた記録をみつけだした。
これは一体、どういうことなんだ? 碧斗は一路、富山へと帰り、事実を確かめることにした。
ファンファーレ!
ほしのことば
青春
♡完結まで毎日投稿♡
高校2年生の初夏、ユキは余命1年だと申告された。思えば、今まで「なんとなく」で生きてきた人生。延命治療も勧められたが、ユキは治療はせず、残りの人生を全力で生きることを決意した。
友情・恋愛・行事・学業…。
今まで適当にこなしてきただけの毎日を全力で過ごすことで、ユキの「生」に関する気持ちは段々と動いていく。
主人公のユキの心情を軸に、ユキが全力で生きることで起きる周りの心情の変化も描く。
誰もが感じたことのある青春時代の悩みや感動が、きっとあなたの心に寄り添う作品。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/youth.png?id=ad9871afe441980cc37c)
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる