シグマの日常

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BE a friEND

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 住宅に囲まれた裏路地。その誰も通らないような行き当たりで、七緒は立ち止まり、向き直った。そして俺と視線を合わせ、真っ直ぐな瞳で、

「志津馬さん。すみませんでした」

 深く、自分に罰を与えるように頭を下げた。
 俺は努めて冷静に、

「それはいいです。俺の方こそ、意地の悪い事を言ってすみませんでした」
 と言い、礼を返す。謝るということは、悠が何を話したかわかっているのだろう。もちろん自分が何をしたのかも。しかし聞きたいのは謝罪ではない。
「それよりも、訊きたいことがあります。……突然で、驚くかもしれませんが」

「はい」

 返事と同時に顔を上げたのを確認して、質問した。

「俺が談話部に入部を決めたあの日の放課後、何をしていたか思い出せますか?」
 全く脈絡のない問。それは予想通りの反応を然らしめる。

「志津馬さんが入部するって言ってくれた日の放課後ですか? えっと……。ど、どうして……」

 その疑問に淡々と答えた。
「いえ、少し気になることがあって、それを解消するためです」

 しかし彼女は、

「はあ……」

 質問の真意を計りかねている様子。

 繰り返し質問した。
「どうです? あの日の放課後、何をしていたか思い出せますか?」
 と訊くと明らかに言いにくそうに、

「えっと、その……。あの日は……。……本当にすみません。実は私、志津馬さんを尾けていたんです」

 視線を逸らし、腕をつかむ。

「俺を勧誘するためでしょう。でも俺とぶつかってしまい、気絶させてしまった。そのあと、俺を第二会議室に運んだ。そうですね?」

「はい……すみません」

 さらにうつむいてしまう。気落ちしているところ悪いが、こちらは小さくとも希望のある回答をもらい、少し気分が和らいだ気がした。
「ありがとうございます。これで俺の気になっていたことはおそらく解消されました」

 彼女は顔を上げ、

「は、はい……」

 納得がいかないのだろう、少しだけ疑る表情を見せる。

「あ、あの……気になっていたことというのは……」

「実は……、七緒さんを、二重人格、もしくは多重人格ではないかと疑っていたんです。失礼なことですが」
 謝ります、と頭を下げて意を示した。すると、

「ど、どうしてですか……?」

 不安そうに訊いてくる。無理もない。

「性格が著しく変わったように見えたからです。……どうですか? 七緒さんは、自分を二重人格、もしくは多重人格だと思いますか?」
 そう訊くと、多少動揺しながらも、

「い、いえ……。思いません。確かにあり得ないくらいおかしなこともしましたけど、あれは……」

 口ごもってしまった。部長の時のことを言おうとしたのだろう。

「もういいですよ。わかってますから」
 言葉を継ぐと、

「ご、ごめんなさい……」

 また下を向いてしまう。
 それを見て思った。

 人は誰しも役者だ。古人がそう表現したように。ドラマツルギーでいうパフォーマー。時間、場所、相手によって仮面を選び取り、被り分ける。この世界はそれの繰り返し。自我に目覚めた時から終わりまで。舞台裏に戻れるのは独りの時か、眠る時だけ。しかるに、観客は巨万といる。それも至る所に。役者は多くの役を演じ分けなければならない。何度も、何度も。終幕まで只管に。それはある意味、心を殺す行為だ。自分の首を絞めるような行為だ。薬や毒を使ってゆるやかに自殺していくのに似ている。それもそのはず、役は自分自身ではないのだから。仮面は本当の顔ではないのだから。自分でない誰かを演じ続ければ、自分を見失ってしまう。自分が自分でなくなってしまう。仮面を被り続けていれば、本当の顔がわからなくなってしまう。しかし、そんなことは露知らず、あるいは無視して、観客や舞台は演じ続けることを強いてくる。精神は擦り切れ、感覚さえも麻痺しかけているというのに。心も体も、悲鳴を上げ続けているというのに。そして、束の間の退場は短く、幕間はすぐに終わりを迎えてしまう。動かなくなるまで踊り続けろ、とでも言うように。
 それは幸せなことだろうか? 真に願うことだろうか? 確かに役割は重要だろう。役割を熟すには、演じなければいけないこともある。世の中は役を演じることで回っている、そういうことだろう。だが、その考えはおかしい。――役を演じる? ――仮面を被る? ……それはもう、諦めではないか。希望はないから諦観している、と言っているようなものではないか。それでは、自分を殺す、と言っているも同じ。自ら息を止め、死のうとしていることと同じだ。
 人は役者だ、という言葉は、結果を表現したに過ぎない。結果ゆえの表現であり、結果あってこその表現。その表現は後に作られたものであって、先に存在するべきものではない。
 人は、そんなものに縛られていてはならないのだ。
 そんなものに縛られた世界では、個人が介在する余地など、ありはしないのだから。

 自分を殺さなければ、成り立たない世界。
 殺さなければ、自由のない世界。
 そんな世界に、自由はありはしない。
 それゆえに。

「俺は、ありのままの部長が好きです。自由で、奔放で、自分を飾らない部長が好きです。でも、俺は七緒さんのことも知りたい。落ち着いていて、教養のあるお淑やかな七緒さんも知りたいんです。……俺は、どっちのあなたも好きになりたい。だから――」


 ありのままに。思ったことを。


 できるかぎり。自分と相手が、嘘をつかなくていいように。


 心の底から出た気持ちを、言葉にする。


「――だから、部長。もっと気軽に、話しませんか?」
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