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乗り越えるべき壁
神経質な皇女 ※No Side※ 【後編】
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「……凄い人ね……」
「そうですね~最近は終日あんな感じです~」
サラフィーナは宮殿の建物から出て、宮殿の正門前に殺到する人々の姿を、並木の影から覗いていた。サラフィーナの後ろをついてきていたサムエルは、サラフィーナの震えた呟きに対し、何て事なしに答える。サラフィーナはサムエルの煽りに乗せられて啖呵を切って飛び出したが、実際に人々の姿を見てしまうと、怖気付いてしまった。そもそもサラフィーナは元来、人前に出るのが苦手な引っ込み思案である。そんな彼女が混沌とした人々の前に出るだなんて、恐怖以外の何者でもない。
「……あの人たちの前に立って、私が話をするのね……」
「殿下が嫌ならあ、別の方法を選んでも良いんですよ~」
「……いえ、何の才能もない私に、他に出来ることなんて無いわ」
サラフィーナは少しでも緊張を和らげるために、両手を胸の前でギュッと握りしめて深呼吸を繰り返した。だがいくら脳に酸素を送っても、頭が回らない。これだけ緊張したのは、人生で初めてかもしれない。
サラフィーナは不安がる人々を、言葉で落ち着かせる道を選んだ。今起きている問題を実際に解決するのは、他の優秀な皇族貴族たちに任せれば良い。サラフィーナは人々の精神的な支えになろうと思ったのだ。それが何も持たないサラフィーナが、唯一出来ることなのだ。
「……そもそも、私の声が彼らに届いてくれるかしら。今まで大声を出す機会なんてなかったもの」
「さあ?それは殿下次第ではないでしょうかあ」
「……貴方、あれだけ煽っておいて本当に他人事ね」
サラフィーナが皮肉を言っても、サムエルは何処吹く風だ。全く、目の前の男は自分を苛立たせる天才である。サラフィーナはそう溜息をついた。
サラフィーナはもう一度深呼吸をして、昔の記憶を辿った。
* * *
それはまだサラフィーナが後天性魔法属性を開花する前のこと、珍しく同母兄のエドヴァルドと2人でお茶会をしていた時のことである。どういった流れでそんな話になったかは忘れたが、サラフィーナはふと疑問に思ったことを兄に聞いた。
「遠くまで声を届ける方法?」
「そうよ。とおくからだと、サラのこえがきこえないってサーラがいってたの」
「こら、自分のことは『サラ』じゃなくて、『私』だよ。サーラと似てて、分かりにくいでしょ」
「……ごめんなさい、おにいさま」
サラフィーナがしゅんとすると、兄はフッ……と微笑んででサラフィーナの頭をぽんぽんと撫でた。サラフィーナはその手の温かさに目を細める。
「ちゃんと反省してて偉いね。話を戻すけど……そうだね。フィーナは風魔法に適正があるから、フィーナの声を風に乗せて飛ばせば良いと思うよ」
「かぜにのせるの?」
サラフィーナはきょとんとした。兄はにっこり笑って話を続ける。
「そうだよ。風は色んなものを運んでくれるからね。フィーナの声も、きっと届けてくれるよ」
「それって、どうすればいいの?」
「そうだな……いっぱい魔法の練習をして、風を自由に操れるようにならなくちゃいけないよ。そのためにはいっぱい頑張らなくちゃいけない。大変なことだよ」
「ええ~!たいへんなこと、いや!」
サラフィーナはぶすっと頬を膨らませた。幼いサラフィーナは、努力することが嫌いであった。兄は困り眉でもう一度、宥めるようにサラフィーナの頭を撫でた。
「でも、仕方ないことだよ。私たちは普通にしてても、声を遠くまで届けることは出来ないんだ。それを可能にするには、相応の努力が必要だよ」
「……おにいさまのいってること、むずかしくてぜんぜんわからないわ」
「……そっか。でもね、フィーナ。このことは絶対心のどこかで覚えておいてね。いつかフィーナの役に立つから」
「んん……はーい」
サラフィーナは納得のいかない表情だが、兄の言う事には素直に従う子供であった。兄は不機嫌なサラフィーナに苦笑いをするのであった。
* * *
今まで忘れていた、過去の思い出。何故今更になって思い出したかはサラフィーナにもわからなかった。しかし、このタイミングでそのことを思い出せたことはサラフィーナにとって好都合であった。
サラフィーナはゆっくりと目を閉じ、自分の中の魔力の流れに集中した。サラフィーナはそこまで魔法が上手ではないし、魔力量もそこまで多くない。だからこそ、失敗する訳にはいかなかった。
今の彼らは混乱しており、サラフィーナが普通に話しかけても話を聞いてくれないだろう。まずは彼らを落ち着かせるべきである。
そして、人々を落ち着かせるのに一番手っ取り早い方法と言えば。
十分に魔力の流れを感じ取ったサラフィーナはゆっくりと瞼を開け、大きく息を吸った。そして頭の中で風に声を乗せるイメージをし、歌い出した。
それは先程サムエルがサラフィーナに対して歌った、聖歌であった。
そしてサラフィーナは歌いながら、一歩ずつ正門に向かって前に進む。サラフィーナの歌声に驚いたのか聞き惚れたのか、人々は口々に訴えるのをやめ、サラフィーナの方に視線を向ける。
その場は静寂に包まれ、サラフィーナの歌声だけが響いた。初めての感覚にサラフィーナはドキマギしながらも、自分の心を落ち着かせるためにも歌い続けた。
サラフィーナは、自分の歌声がいつもと違うと感じていた。まるで自分の歌が、国中に響き渡っているようで、ふわふわした。だけど開放感があって、嫌な気がしない。むしろ何だか、楽しくなって来ていた。
これだけのびのびと歌を歌ったのは何時ぶりだろうか。少なくともサラフィーナが千里耳魔法を開花させてからは無かったはずだ。
ああ、やっぱり。歌うって楽しい。
そんなサラフィーナの純粋な気持ちは歌に乗り、益々の輝きを放った。
* * *
「……?この歌声は……」
ヴァルヴィオ子爵領へと向かう道中、昼食をとるために馬車を降りていたエルネスティの耳に、聞き慣れた聖歌が聞こえてきた。凛とした清涼感のある歌声に、思わず聞き惚れる。
「……どなたの歌声でしょうか」
「……これは、サラフィーナじゃないか?」
「サラフィーナ姉上ですか?」
エルネスティのすぐ側にいたカレルヴォの言葉に、エルネスティは目を丸くして聞き返した。カレルヴォも驚きの表情で頷く。
「ああ。サラフィーナが幼かった頃、一度だけアイツの歌声を聞いたことがある。あの頃に比べて少し大人びているが、間違いなくアイツだ」
そう断言するカレルヴォの横顔には、懐古する気持ちが感じられた。エルネスティは今のサラフィーナしか知らないが、きっと幼かった頃はもっと普通の少女であったのだろうということは、カレルヴォの様子からわかった。
「……良い歌声ですね」
「……ああ」
エルネスティはカレルヴォの情緒を邪魔しないように、一言だけ静かに呟いた。それに対してカレルヴォは、小さく肯定するだけだった。
* * *
「……おや?今日はこの辺りで聖歌隊の演奏会でも開催されているのかい?」
サルメライネン伯爵邸の一室にてサルメライネン伯爵とエドヴァルドと対談していたパレンシア侯爵は、聞こえてきた歌声に会話を止めてサルメライネン伯爵に尋ねた。サルメライネン伯爵は訝しげに首を横に振る。
「いや、そんな予定は聞いていない。そもそもこの辺には教会や劇場などはないから、あったとしてもここまで聞こえて来るはずがないのだが」
「聞く限りじゃ歌声は一人のようだ。広場で歌の練習でもしているのだろうか」
「……聖歌を自主的に練習するような人に、心当たりはないが……」
パレンシア侯爵とサルメライネン伯爵が顔を見合わせて首を傾げる中、エドヴァルドは驚きのあまり、紅茶を飲もうとしていた手が止まっていた。
「……この歌声は恐らく、フィーナ……サラフィーナのものかと」
「サラフィーナ殿下ですか?」
「はい。間違いないでしょう」
気を取り直したエドヴァルドは、手に持っていたカップをテーブルに置き、にっこりと微笑んだ。心做しか上機嫌なエドヴァルドに、サルメライネン伯爵は疑問を深める。
「サラフィーナの歌声は美しいでしょう?私は彼女の歌声が好きでした。ある日を境にぱったりと歌わなくなってしまったので残念に思っていましたが……久々に聞いてもやはり、素晴らしいですね」
「え、ええ。この歌声が素晴らしいものであることには同意しますが、何故我々はサラフィーナ殿下の歌声が聞こえるのでしょうか?確かサラフィーナ殿下は帝都の宮殿にいらしたはずでは」
「ええ、宮殿にいるでしょうね。恐らく、風魔法を使って歌を遠くまで届けているのでしょう」
「ほう、サラフィーナ皇女は魔法でそのようなことができるのですな」
「ええ。才能に溢れた、自慢の妹です」
エドヴァルドのその言葉に、サルメライネン伯爵は目を丸くした。エドヴァルドとサラフィーナの兄妹仲はさほど良くなかったはずである。社交界でも漏れ聞こえてくる噂でも、この兄妹について触れられることはほとんどなかった。それほど互いに没干渉であるという訳だ。そんなエドヴァルドから、妹自慢が聞けるとは思ってもいなかった。
サルメライネン伯爵がエドヴァルドをしげしげと見つめていると、エドヴァルドはどこか遠くを眺めながら、ポツリと呟いた。
「……あの言葉、覚えててくれたんだね、フィーナ」
サルメライネン伯爵はその言葉を聞き取ることが出来なかったが、それはどこか懐かしむような、慈愛に満ちた声のように聞こえたのであった。
* * *
「おや、この歌声は……」
ハーララ帝国とベイエル王国の国境付近の森の中にて、ベイエル国王に謁見をしに向かうシーウェルトとアルットゥリは、シーウェルトの側近であるマールテン・メンノ・フェルベルネと顔合わせをしていた。マールテンはベイエル王国内の道案内をするために派遣されていた。
彼らがこれからの大まかな流れについて確認している中、ふと聞こえてきた歌声に会話が止まり、シーウェルトが先程の言葉を呟いて振り返ったのだ。マールテンや護衛の近衛騎士たちも同様に、突如聞こえてきた歌声に驚いているようだった。
ただアルットゥリだけは、別の意味でも驚いているようであった。
「この歌声はサラフィーナの……何故アイツが……」
「おや、アルットゥリ皇子。この声に聞き覚えが?」
「……ええ。僕の異母妹にあたる、サラフィーナのものかと」
「サラフィーナというと確か、第一皇女だったか?」
「ええ。幼い頃は良く歌ってたから、僕も覚えている。でもアイツ、最近じゃ滅多に歌わないんだ。しかもアイツは今、帝都の宮殿にいるはず。何でここまで聞こえてきているんだ……?」
アルットゥリは不思議そうに帝都のある方角へ振り返っている。シーウェルトはふむ、と考え込む素振りを見せた後、アルットゥリの方を見た。
「何かの魔法を使っているのではないか?サラフィーナ皇女の適正魔法属性は何だ?」
「確か風属性だったはず……」
「なら風に声を乗せているのかもしれんな」
「なるほど……にしても、サラフィーナにそんな能力があったとは……」
シーウェルトの言葉に納得したアルットゥリは、顎に手を添えてブツブツと何かを呟きながら考え込んでしまった。シーウェルトは一度アルットゥリから視線を離し、他の人達の反応を見た。みな、サラフィーナの美しい歌声に聞き惚れているようだった。
しかしシーウェルトはふと、マールテンの様子がおかしいことに気づいた。聞き惚れていると言うよりは、呆然としているような、どことなく遠くを見ているように見受けられたのだ。気になったシーウェルトは、マールテンに話しかける。
「……どうした?マールテン。随分と呆然としているようだが」
「……いえ。この歌声、どこかで聞き覚えがあるような気がして……」
「ん?お前がサラフィーナ皇女の歌声を聞く機会など、これまで無かっただろう?」
「ええ。ですからこの歌声を懐かしく思う自分が不思議で……」
マールテンは自身の両手を握ったり緩めたりするのを見ながら、首を傾げた。シーウェルトの言う通り、マールテンはサラフィーナの歌声を聞いた事などなかった。誰かの歌声と酷似しているのだろうか。
「……まあ、気の所為でしょうね」
「……それもそうだな」
2人は考えても答えは出てこないと判断し、マールテンの勘違いであったと結論付けた。これから先、彼らがこのことでもう一度思案することはないだろう。
2人の頭上では、影が僅かに揺らぎ、木の葉が静かにかさり……と音をたてるのであった。
* * *
「この歌声はどなたのかしら……声質的にサラフィーナ姉様かしら」
宮殿の離れにある塔の、地下へ続く薄暗く肌寒い石階段にて、ある少女がぽつりと呟く。少女が手に持つロウソクの炎が、少女の呟きに応えるように揺らめく。
この少女はよく、地味で影が薄いと言われている。何でも影で「忘れられる皇女」と揶揄されているとか何とか。少女本人はその話を聞いても、何とも思わなかったが。むしろ影が薄いことで、面倒事に巻き込まれなくて済んでいるため、万々歳である。
「……まあ、あの姉様が頑張っていらしているなら、私も出来る限りのことをしなくてはね」
階段を降りた先にある重い扉を、門番である騎士に開けてもらい、少女は躊躇なく中に入っていく。少女の目の前には、冷め冷めとした石造りの空間に、無機質な鉄格子。そしてその牢屋の中に囚われている____
「ご機嫌麗しゅう、第二皇妃殿下。面と向かって話すのは、何気に初めてですね」
拘束具をつけられた、第二皇妃の姿があった。
「そうですね~最近は終日あんな感じです~」
サラフィーナは宮殿の建物から出て、宮殿の正門前に殺到する人々の姿を、並木の影から覗いていた。サラフィーナの後ろをついてきていたサムエルは、サラフィーナの震えた呟きに対し、何て事なしに答える。サラフィーナはサムエルの煽りに乗せられて啖呵を切って飛び出したが、実際に人々の姿を見てしまうと、怖気付いてしまった。そもそもサラフィーナは元来、人前に出るのが苦手な引っ込み思案である。そんな彼女が混沌とした人々の前に出るだなんて、恐怖以外の何者でもない。
「……あの人たちの前に立って、私が話をするのね……」
「殿下が嫌ならあ、別の方法を選んでも良いんですよ~」
「……いえ、何の才能もない私に、他に出来ることなんて無いわ」
サラフィーナは少しでも緊張を和らげるために、両手を胸の前でギュッと握りしめて深呼吸を繰り返した。だがいくら脳に酸素を送っても、頭が回らない。これだけ緊張したのは、人生で初めてかもしれない。
サラフィーナは不安がる人々を、言葉で落ち着かせる道を選んだ。今起きている問題を実際に解決するのは、他の優秀な皇族貴族たちに任せれば良い。サラフィーナは人々の精神的な支えになろうと思ったのだ。それが何も持たないサラフィーナが、唯一出来ることなのだ。
「……そもそも、私の声が彼らに届いてくれるかしら。今まで大声を出す機会なんてなかったもの」
「さあ?それは殿下次第ではないでしょうかあ」
「……貴方、あれだけ煽っておいて本当に他人事ね」
サラフィーナが皮肉を言っても、サムエルは何処吹く風だ。全く、目の前の男は自分を苛立たせる天才である。サラフィーナはそう溜息をついた。
サラフィーナはもう一度深呼吸をして、昔の記憶を辿った。
* * *
それはまだサラフィーナが後天性魔法属性を開花する前のこと、珍しく同母兄のエドヴァルドと2人でお茶会をしていた時のことである。どういった流れでそんな話になったかは忘れたが、サラフィーナはふと疑問に思ったことを兄に聞いた。
「遠くまで声を届ける方法?」
「そうよ。とおくからだと、サラのこえがきこえないってサーラがいってたの」
「こら、自分のことは『サラ』じゃなくて、『私』だよ。サーラと似てて、分かりにくいでしょ」
「……ごめんなさい、おにいさま」
サラフィーナがしゅんとすると、兄はフッ……と微笑んででサラフィーナの頭をぽんぽんと撫でた。サラフィーナはその手の温かさに目を細める。
「ちゃんと反省してて偉いね。話を戻すけど……そうだね。フィーナは風魔法に適正があるから、フィーナの声を風に乗せて飛ばせば良いと思うよ」
「かぜにのせるの?」
サラフィーナはきょとんとした。兄はにっこり笑って話を続ける。
「そうだよ。風は色んなものを運んでくれるからね。フィーナの声も、きっと届けてくれるよ」
「それって、どうすればいいの?」
「そうだな……いっぱい魔法の練習をして、風を自由に操れるようにならなくちゃいけないよ。そのためにはいっぱい頑張らなくちゃいけない。大変なことだよ」
「ええ~!たいへんなこと、いや!」
サラフィーナはぶすっと頬を膨らませた。幼いサラフィーナは、努力することが嫌いであった。兄は困り眉でもう一度、宥めるようにサラフィーナの頭を撫でた。
「でも、仕方ないことだよ。私たちは普通にしてても、声を遠くまで届けることは出来ないんだ。それを可能にするには、相応の努力が必要だよ」
「……おにいさまのいってること、むずかしくてぜんぜんわからないわ」
「……そっか。でもね、フィーナ。このことは絶対心のどこかで覚えておいてね。いつかフィーナの役に立つから」
「んん……はーい」
サラフィーナは納得のいかない表情だが、兄の言う事には素直に従う子供であった。兄は不機嫌なサラフィーナに苦笑いをするのであった。
* * *
今まで忘れていた、過去の思い出。何故今更になって思い出したかはサラフィーナにもわからなかった。しかし、このタイミングでそのことを思い出せたことはサラフィーナにとって好都合であった。
サラフィーナはゆっくりと目を閉じ、自分の中の魔力の流れに集中した。サラフィーナはそこまで魔法が上手ではないし、魔力量もそこまで多くない。だからこそ、失敗する訳にはいかなかった。
今の彼らは混乱しており、サラフィーナが普通に話しかけても話を聞いてくれないだろう。まずは彼らを落ち着かせるべきである。
そして、人々を落ち着かせるのに一番手っ取り早い方法と言えば。
十分に魔力の流れを感じ取ったサラフィーナはゆっくりと瞼を開け、大きく息を吸った。そして頭の中で風に声を乗せるイメージをし、歌い出した。
それは先程サムエルがサラフィーナに対して歌った、聖歌であった。
そしてサラフィーナは歌いながら、一歩ずつ正門に向かって前に進む。サラフィーナの歌声に驚いたのか聞き惚れたのか、人々は口々に訴えるのをやめ、サラフィーナの方に視線を向ける。
その場は静寂に包まれ、サラフィーナの歌声だけが響いた。初めての感覚にサラフィーナはドキマギしながらも、自分の心を落ち着かせるためにも歌い続けた。
サラフィーナは、自分の歌声がいつもと違うと感じていた。まるで自分の歌が、国中に響き渡っているようで、ふわふわした。だけど開放感があって、嫌な気がしない。むしろ何だか、楽しくなって来ていた。
これだけのびのびと歌を歌ったのは何時ぶりだろうか。少なくともサラフィーナが千里耳魔法を開花させてからは無かったはずだ。
ああ、やっぱり。歌うって楽しい。
そんなサラフィーナの純粋な気持ちは歌に乗り、益々の輝きを放った。
* * *
「……?この歌声は……」
ヴァルヴィオ子爵領へと向かう道中、昼食をとるために馬車を降りていたエルネスティの耳に、聞き慣れた聖歌が聞こえてきた。凛とした清涼感のある歌声に、思わず聞き惚れる。
「……どなたの歌声でしょうか」
「……これは、サラフィーナじゃないか?」
「サラフィーナ姉上ですか?」
エルネスティのすぐ側にいたカレルヴォの言葉に、エルネスティは目を丸くして聞き返した。カレルヴォも驚きの表情で頷く。
「ああ。サラフィーナが幼かった頃、一度だけアイツの歌声を聞いたことがある。あの頃に比べて少し大人びているが、間違いなくアイツだ」
そう断言するカレルヴォの横顔には、懐古する気持ちが感じられた。エルネスティは今のサラフィーナしか知らないが、きっと幼かった頃はもっと普通の少女であったのだろうということは、カレルヴォの様子からわかった。
「……良い歌声ですね」
「……ああ」
エルネスティはカレルヴォの情緒を邪魔しないように、一言だけ静かに呟いた。それに対してカレルヴォは、小さく肯定するだけだった。
* * *
「……おや?今日はこの辺りで聖歌隊の演奏会でも開催されているのかい?」
サルメライネン伯爵邸の一室にてサルメライネン伯爵とエドヴァルドと対談していたパレンシア侯爵は、聞こえてきた歌声に会話を止めてサルメライネン伯爵に尋ねた。サルメライネン伯爵は訝しげに首を横に振る。
「いや、そんな予定は聞いていない。そもそもこの辺には教会や劇場などはないから、あったとしてもここまで聞こえて来るはずがないのだが」
「聞く限りじゃ歌声は一人のようだ。広場で歌の練習でもしているのだろうか」
「……聖歌を自主的に練習するような人に、心当たりはないが……」
パレンシア侯爵とサルメライネン伯爵が顔を見合わせて首を傾げる中、エドヴァルドは驚きのあまり、紅茶を飲もうとしていた手が止まっていた。
「……この歌声は恐らく、フィーナ……サラフィーナのものかと」
「サラフィーナ殿下ですか?」
「はい。間違いないでしょう」
気を取り直したエドヴァルドは、手に持っていたカップをテーブルに置き、にっこりと微笑んだ。心做しか上機嫌なエドヴァルドに、サルメライネン伯爵は疑問を深める。
「サラフィーナの歌声は美しいでしょう?私は彼女の歌声が好きでした。ある日を境にぱったりと歌わなくなってしまったので残念に思っていましたが……久々に聞いてもやはり、素晴らしいですね」
「え、ええ。この歌声が素晴らしいものであることには同意しますが、何故我々はサラフィーナ殿下の歌声が聞こえるのでしょうか?確かサラフィーナ殿下は帝都の宮殿にいらしたはずでは」
「ええ、宮殿にいるでしょうね。恐らく、風魔法を使って歌を遠くまで届けているのでしょう」
「ほう、サラフィーナ皇女は魔法でそのようなことができるのですな」
「ええ。才能に溢れた、自慢の妹です」
エドヴァルドのその言葉に、サルメライネン伯爵は目を丸くした。エドヴァルドとサラフィーナの兄妹仲はさほど良くなかったはずである。社交界でも漏れ聞こえてくる噂でも、この兄妹について触れられることはほとんどなかった。それほど互いに没干渉であるという訳だ。そんなエドヴァルドから、妹自慢が聞けるとは思ってもいなかった。
サルメライネン伯爵がエドヴァルドをしげしげと見つめていると、エドヴァルドはどこか遠くを眺めながら、ポツリと呟いた。
「……あの言葉、覚えててくれたんだね、フィーナ」
サルメライネン伯爵はその言葉を聞き取ることが出来なかったが、それはどこか懐かしむような、慈愛に満ちた声のように聞こえたのであった。
* * *
「おや、この歌声は……」
ハーララ帝国とベイエル王国の国境付近の森の中にて、ベイエル国王に謁見をしに向かうシーウェルトとアルットゥリは、シーウェルトの側近であるマールテン・メンノ・フェルベルネと顔合わせをしていた。マールテンはベイエル王国内の道案内をするために派遣されていた。
彼らがこれからの大まかな流れについて確認している中、ふと聞こえてきた歌声に会話が止まり、シーウェルトが先程の言葉を呟いて振り返ったのだ。マールテンや護衛の近衛騎士たちも同様に、突如聞こえてきた歌声に驚いているようだった。
ただアルットゥリだけは、別の意味でも驚いているようであった。
「この歌声はサラフィーナの……何故アイツが……」
「おや、アルットゥリ皇子。この声に聞き覚えが?」
「……ええ。僕の異母妹にあたる、サラフィーナのものかと」
「サラフィーナというと確か、第一皇女だったか?」
「ええ。幼い頃は良く歌ってたから、僕も覚えている。でもアイツ、最近じゃ滅多に歌わないんだ。しかもアイツは今、帝都の宮殿にいるはず。何でここまで聞こえてきているんだ……?」
アルットゥリは不思議そうに帝都のある方角へ振り返っている。シーウェルトはふむ、と考え込む素振りを見せた後、アルットゥリの方を見た。
「何かの魔法を使っているのではないか?サラフィーナ皇女の適正魔法属性は何だ?」
「確か風属性だったはず……」
「なら風に声を乗せているのかもしれんな」
「なるほど……にしても、サラフィーナにそんな能力があったとは……」
シーウェルトの言葉に納得したアルットゥリは、顎に手を添えてブツブツと何かを呟きながら考え込んでしまった。シーウェルトは一度アルットゥリから視線を離し、他の人達の反応を見た。みな、サラフィーナの美しい歌声に聞き惚れているようだった。
しかしシーウェルトはふと、マールテンの様子がおかしいことに気づいた。聞き惚れていると言うよりは、呆然としているような、どことなく遠くを見ているように見受けられたのだ。気になったシーウェルトは、マールテンに話しかける。
「……どうした?マールテン。随分と呆然としているようだが」
「……いえ。この歌声、どこかで聞き覚えがあるような気がして……」
「ん?お前がサラフィーナ皇女の歌声を聞く機会など、これまで無かっただろう?」
「ええ。ですからこの歌声を懐かしく思う自分が不思議で……」
マールテンは自身の両手を握ったり緩めたりするのを見ながら、首を傾げた。シーウェルトの言う通り、マールテンはサラフィーナの歌声を聞いた事などなかった。誰かの歌声と酷似しているのだろうか。
「……まあ、気の所為でしょうね」
「……それもそうだな」
2人は考えても答えは出てこないと判断し、マールテンの勘違いであったと結論付けた。これから先、彼らがこのことでもう一度思案することはないだろう。
2人の頭上では、影が僅かに揺らぎ、木の葉が静かにかさり……と音をたてるのであった。
* * *
「この歌声はどなたのかしら……声質的にサラフィーナ姉様かしら」
宮殿の離れにある塔の、地下へ続く薄暗く肌寒い石階段にて、ある少女がぽつりと呟く。少女が手に持つロウソクの炎が、少女の呟きに応えるように揺らめく。
この少女はよく、地味で影が薄いと言われている。何でも影で「忘れられる皇女」と揶揄されているとか何とか。少女本人はその話を聞いても、何とも思わなかったが。むしろ影が薄いことで、面倒事に巻き込まれなくて済んでいるため、万々歳である。
「……まあ、あの姉様が頑張っていらしているなら、私も出来る限りのことをしなくてはね」
階段を降りた先にある重い扉を、門番である騎士に開けてもらい、少女は躊躇なく中に入っていく。少女の目の前には、冷め冷めとした石造りの空間に、無機質な鉄格子。そしてその牢屋の中に囚われている____
「ご機嫌麗しゅう、第二皇妃殿下。面と向かって話すのは、何気に初めてですね」
拘束具をつけられた、第二皇妃の姿があった。
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そんなアリスティア十八歳に急な婚約が持ち上がった。アリスティアの双子の姉、アナイス・セレスト・カサンドル。アリスティアとは違い金の御髪の彼女は侯爵家で大変かわいがられていた。そんなアナイスに、とある同盟国の公爵家の当主との婚約が持ちかけられたのだが、アナイスは婿を取ってカサンドル家を継ぎたいからと男であるアリスティアに婚約を押し付けてしまう。アリスティアとアナイスは髪色以外は見た目がそっくりで、アリスティアは田舎に引っ込んでいたためいけてしまった。
アリスは自分の性別がバレたらどうなるか、また自分の呪われた黒を見て相手はどう思うかと心配になった。そして顔合わせすることになったが、なんと公爵家の執事長に性別が即行でバレた。
公爵家には公爵と歳の離れた腹違いの弟がいる。前公爵の正妻との唯一の子である。公爵は、正当な継承権を持つ正妻の息子があまりにも幼く家を継げないため、妾腹でありながら爵位を継承したのだ。なので公爵の後を継ぐのはこの弟と決まっている。そのため公爵に必要なのは同盟国の有力貴族との縁のみ。嫁が子供を産む必要はない。
アリスティアが男であることがバレたら捨てられると思いきや、公爵の弟に懐かれたアリスティアは公爵に「家同士の婚姻という事実だけがあれば良い」と言われてそのまま公爵家で暮らすことになる。
一方婚約者、二十五歳のクロヴィス・シリル・ドナシアンは嫁に来たのが男で困惑。しかし可愛い弟と仲良くなるのが早かったのと弟について黙って結婚しようとしていた負い目でアリスティアを追い出す気になれず婚約を結ぶことに。
これはそんなクロヴィスとアリスティアが少しずつ近づいていき、本物の夫婦になるまでの記録である。
小説家になろう様でも2023年 03月07日 15時11分から投稿しています。

BLR15【完結】ある日指輪を拾ったら、国を救った英雄の強面騎士団長と一緒に暮らすことになりました
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ある日、配達の為に下町を歩いていたら指輪が落ちていた。見覚えのある指輪だったので届けに行くと…。
国を救った英雄(強面の可愛い物好き)と出生に秘密ありの痩せた青年のお話。
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皆様のおかげで、奨励賞をいただきました。ありがとう御座いました。

【完結】テルの異世界転換紀?!転がり落ちたら世界が変わっていた。
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最後まで書き終わっているので、確認ができ次第更新していきます。7万字程の読み物です。
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