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乗り越えるべき壁

神経質な皇女 ※No Side※ 【前編】

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____先日の魔力爆発は一体何だったんだっ!?!?

____俺たちの安全は保障されてんだろうなぁっ!?

____魔力に当てられて息子が高熱で倒れてから回復しないんだよっ!何とかしておくれっ!!

……ああもうっ!!うるさいうるさいうるさいっ!!!!

「何やってんのよアンタ達っ!今すぐこの喧しい人達を黙らせなさいよっ!!」

「おっ、落ち着いてくださいませ、サラフィーナ殿下!我々の耳には何も聞こえておりません!」

「アンタ達が聞こえてなくっても、私が聞こえているのよっ!!早くっ!!早く黙らせなさいっ!!」

宮殿の一室にて、帝国第一皇女であるサラフィーナ・ソイリ・アッツォ・ニコ・ハーララは癇癪を起こしていた。両手で耳を抑えてソファに蹲っていた彼女は、彼女に応答した侍女のサーラに向けて、近くにあったティーカップを投げつけた。その起動は狙いを大きく外れてサーラの手前に落ちて大きな音をたてて割れた。サーラは真っ青になって肩をビクつかせる。

帝都学園での魔力爆発の影響は帝都全域に及んでいた。魔力爆発によって帝都周辺の魔力の流れが変わり、体調を崩す人が続出したのだ。実害がなかった人々も、事の詳細を知らないため過度に不安を煽られ、生活が脅かされるのではないかという恐怖に駆られている。そのため帝都学園での魔力爆発が発生してからと言うものの、毎日ように宮殿の正門前には帝都の住民が殺到し、口々に不安や不満を訴えていた。正門から宮殿までには距離がありすぎるため、宮殿内にいる皇族や貴族、その他使用人たちには届いていない。しかし、今日の・・・サラフィーナには、しっかりと内容まで聞き取れていた。

聞きたくない、聞きたくない、とサラフィーナが心の中で唱えていると、次はまた別の声が聞こえてきた。

____今日のサラフィーナ殿下、いつもに増して癇癪が酷いそうよ。乳兄弟ってだけで毎日あの方に付き合わされるサーラは本当に可哀想ね。

____何でも何も聞こえない部屋の中で、ずっと喧しい人達を黙らせろって喚いているんでしょ?怖っ。音に神経質になりすぎて、ついに幻聴まで聞こえ始めたんじゃない?

____有り得る!あの方音に敏感すぎて、最早幻聴が聞こえているレベルだったもんね!遂にあの方も精神を病んで修道院行きかな?

____だと良いんだけど。やっとあの鬼畜皇女殿下の恐怖から解放されるわ。

クスクスと笑い合う侍女たちの声。恐らく部屋の外、サラフィーナの自室から遠く離れた従者の居住室での会話であろう。彼女が陰口を言われるのはいつものことであるが、何時になってもそれに慣れることが出来なかった。彼女の繊細で脆い心は、容赦なく傷つけられる。

サラフィーナの身には、定期的に自身の中に保有する魔力が動揺する期間がやって来る。その期間は通常時よりも彼女の持つ魔力量が増大し、魔法の精度も抜群に跳ね上がるのだ。今日がその期間の初日であり、動揺が一番酷い日である。その上その体質はサラフィーナの心的状態に左右される。ここ数日の環境の激変にストレスを積もらせていた彼女の耳は、いつも以上に色んな音を拾ってしまっていた。

彼女は後天性魔法属性である、千里耳魔法が使える。使えると言うよりは、意識がある時は本人の意思とは関係なしに発動している。言わばロヴィーサ盲目シスター令嬢の真実透視魔法と同じような状態なのである。そのため普通の人なら聞き取れないような小さな音や遠くの声でも、彼女の耳は拾ってしまう。色んな音が無作為に耳に届くため、脳の処理が追いつかず、頭痛と吐き気が込み上げてくる。しかも辛うじて聞き取れた音がこのような自分に対する悪意であることが多いため、余計に精神がすり減らされる。魔法によって聞こえて来る音は、通常の聴覚とは別の器官が働くことで聞き取っているため、耳を塞いでも聞こえてきてしまう。サラフィーナは雑多な音の中で頻繁に聞こえてくる彼女に対する悪意に気が狂いそうになり、周りの人々へ八つ当たりすることで何とか正気を保とうとしているである。

サラフィーナは千里耳魔法を手に入れる前、つまりは生まれた時から耳が人一倍良かった。

物心ついた頃には既に、乳母や侍女たちの立てた小さな物音やヒソヒソ話を聞き取っては、周りの人々を驚愕させていた。もちろん幼い頃の彼女は自分の耳が良いだなんて気づくことなどなく、何故周りの人々がそんなにも驚いているか、彼女は理解出来なかった。しかし彼女はそのことに関してさして気にしてなかった。乳母も侍女たちも、みんな自分に良くしてくれた。成功したらたくさん褒めてくれていたし、彼女が興奮気味に色んな出来事を話すと、とても楽しそうに相槌を打ってくれていた。兄弟姉妹どころか両親とも関わる機会がほとんどなかった彼女にとって、彼ら彼女らが第二の家族のような存在であったのだ。

サラフィーナは第一皇女であるが、年齢としては第三皇子であるカレルヴォ・ラリ・ユッタ・ハーララよりも下であった。皇帝と皇后の間に生まれた第二子であり、第一皇子のエドヴァルド・ユハナ・ハンナマリ・ニコ・ハーララは彼女の同母兄であった。しかし歳が離れており、兄は常に勉学に勤しんでいたため、兄と遊んで貰った記憶などない。異母兄ともなると、尚更関わることなどない。基本的に皇子皇女の教育はその子を産んだ妃がするからである。必然として、血の繋がった家族とは疎遠となっていった。

しかも優秀すぎるを同母兄エドヴァルドに持つサラフィーナは、常日頃から何かと同母兄と比べられた。エドヴァルド殿下ならこんなことが出来た、エドヴァルド殿下ならサラフィーナ殿下の年頃にはもうこういったことが出来た、エドヴァルド殿下は理解出来たのに何故サラフィーナ殿下は理解出来ないのか。勉強やマナーを教えてくれる先生たちはしきりにそんなことを言って、サラフィーナを見下していた。

その上サラフィーナは、紫色の瞳に赤みがかった茶髪という、皇族としては珍しい見目をしていた。その色合いは母方の祖先の遺伝らしいが、父親皇帝にも母親皇后にも似ておらず、一時は母親皇后の不貞の子ではないかと噂されていた。その噂は父親皇帝母親皇后に直接事実を確認し、確かに父親皇帝の子であることを宣言してくれたため収まったが、悪目立ちするその見た目はいつも陰口の対象となっていた。他の皇子達に比べて華がない、地味だ、美しくない、など、例を挙げればキリがないほどの陰口を叩かれていた。

それに対して彼女は何も言えず、ただ俯くばかりであった。同母兄に比べて自分には誇れるものが何もないことはわかっていたし、大人に歯向かうことを本能的に恐れていたからだ。だから彼女はいつもスカートの裾をギュッと握りしめ、貶されることを我慢していた。

本当であれば皇族に対してそのような物言いは許されないことである。しかし彼女が家族から放っておかれていること、そして彼女自身が引っ込み思案で何を言っても言い返したり罰を下してきたりしてこないことを彼らは知っていた。そのため日々の鬱憤のはけ口として、彼女に対して随分と尊大な態度をとっていたのだ。

だからこそ、サラフィーナにとって乳母や侍女たちなどの周囲の人々は、安息地であると言っても過言ではなかった。彼女たちは自分と同母兄を比べて馬鹿にしてこないし、何か出来たらすぐに褒めてくれる。家族として甘えられるのも彼女らだけであったし、自分を家族として愛してくれるのも、彼女らであったのだ。

しかし、現実はそんな彼女を嘲笑った。


* * *


それはある日の、授業の合間に御手洗に行ったサラフィーナが戻ってきて、授業を受けている部屋に入ろうとドアノブに手を伸ばした時のことであった。耳の良い彼女は、部屋の中で行われている先生と侍女たちの会話を耳にした。

____やはりどれをとっても平凡と言いますか。とてもじゃありませんが、あのエドヴァルド殿下の妹君だとは思えませんね。

____やはり先生もそう思いますか?私共もエドヴァルド殿下の妹君ということで、才色兼備な素晴らしい主人を期待していたのですが、蓋を開けてみたら皇族らしくない見目の、ただの子供で。ガッカリしました。

____幼少期の主人の功績はその世話をしている私たちの評価にも関わってくるので、もっと良い成績を残してもらわないと割に合わないのですが。

____そうよねぇ。まあテキトーに話合わせて煽てておけば良い給料が出るから、愛想良く笑ってあげてるけどね。

____私もエドヴァルド殿下を教育した後にサラフィーナ殿下の相手をすると、物足りないと言いますか。つまらないんですよ。

____ああ、あれですか?何でこんなこともわからない?何でそんなことで喜べる?って感じですか?

____まさにそれです。

「……サラフィーナ殿下?どうなさいましたか?お部屋に入られないのですか?」

部屋の中から聞こえてきた会話にサラフィーナが思わず手を止めていると、後ろに控えていた侍女見習いのサーラが不思議そうに尋ねてきた。乳兄弟であるサーラは将来サラフィーナの専属侍女となるべく見習いとして常に行動を共にしていた。サーラは部屋の中での会話が聞こえておらず、中々部屋に入ろうとしないサラフィーナを不思議に思っているようだ。

しかし自分の耳が人並み以上に良いことを自覚していないサラフィーナは、サーラのその言葉が信じられなかった。何故サーラは自分の主の悪口を言っている人達の所へ、平気で戻ろうとするのか。サーラも先生や他の侍女たちと同じことを考えているのではないか。いつも一緒にいて、楽しませてくれるサーラも、自分のことを見下しているのではないか。

どうして。いつもみんなニコニコ笑ってくれて。自分の話を楽しそうに聞いてくれてたのに。全部嘘だったの?

幼いながらに裏切りを経験し、負の感情に囚われたサラフィーナは、その場で気を失ってしまった。


* * *


その後サラフィーナは4日間も高熱で寝込んでしまい、意識が戻った頃には千里耳魔法後天性魔法属性が開花していた。今まで以上に聞こえすぎる耳に異変を感じた彼女は乳母にそのことを伝え、医者に見てもらった。そこで後天性魔法属性と、定期的に魔力が動揺するという体質を発見した、という訳だ。

サラフィーナは自身の魔法と体質を恨まなかった時はなかった。耳さえ良くなければこんなにも神経質にならずに済んだのに、嫌なことを耳にすることもなかったのに。魔力の動揺さえなければ、こんなにも情緒不安定ではなかったはずなのに。だが後天性魔法属性を封印する方法も、自身の体質を変える方法も現段階では存在していない。諦めて付き合っていくしかないのだ。

サラフィーナはソファの上で縮こまって耳を塞いだまま、何かをブツブツと呟く。耳を塞ぐのは気休めでしかないし、自分の声で他の音を紛らわせようとしても、音は彼女の声を貫通して聞こえてきてしまう。多くの人々の不安、不満、怒りなど、一度に様々な負の感情を受け取ってしまい、完全に精神が衰弱してしまっていた。

サーラはそんな主をどうすることも出来ずに、涙目になって見守るしかなかった。サーラにとってサラフィーナは乳兄弟で、大切な家族だ。なのにどうすることも出来ない歯がゆさに、自分の無力さを悔いた。

サーラが自身の唇をギュッと噛み締めたその時、部屋の扉がノックされる音が静かに響いた。

サーラは目を見開いて扉の方を凝視する。今日は誰の訪問予定もなかったはずである上に、荒れに荒れまくっているサラフィーナに使用人たちは誰も近づこうとはしないはずである。一体誰が。皆目見当もつかなかった。

サラフィーナの敏感な耳は例え塞いでいたとしてもその小さな音を聞き逃さず、ビクッと肩を揺らして身体を縮こませたまま扉を睨みつけていた。

部屋の中の2人が困惑する中、ノックの主は2人に断りも入れずに扉を開いた。サーラは呆然としており、それを止めることは出来なかった。

そして扉の先から部屋に入ってきた人物に、またしても驚かされるのであった。

「ご機嫌麗しゅうです~サラフィーナ殿下あ!体調が優れないとのことで~様子を見に来ましたあ!」

その人物は、かつてサラフィーナの前で勝手に歌い出して、クビ寸前にまで追い詰めた近衛騎士であった。
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