オレとアイツの脅し愛

夜薙 実寿

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第九章 水面に立つ波紋

9-2 知らぬ間に萌芽していた感情の名前

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 覗いたダンボール箱の中には、小さな白黒ぶちの子猫が居た。まだ目を開いたばかりじゃないか? ぬいぐるみみたいにふわふわで、よたよたと頼りなく歩いては、甲高い声でミーと鳴く。

「可愛い……っ!!」

 堪らず零すと、五十鈴センパイも「ねー」と同意の声を上げた。
 センパイの相談とは、この子のことだった。近所で捨てられているのを見掛けて思わず拾ってきてしまったそうだが、飼い主が見つかるまで暫くオレのマンションここで預かってもいいか、とのことで。幸い、ここはペット可だし、オレ自身も小動物は好きだし(ていうか、オレは今九重の所に居るし)勿論OKだ。
 そうしたら、今度は折角だし見に来ないか、と誘われた。まだ風邪っぴき中の九重を家で一人待たせているので今日こそは早めに帰りたいところだが、猫の誘惑は強い。どの道会議と撮影で遅れているし、少しだけなら……ということで、寄って行くことにした。

 ――ごめんな、九重。マジですぐ帰るからさ。

 猫の魅力もそうだが、実は少しだけ帰りにくい事情がある。何て言うか……昨日のあれから、やけに九重のことを意識してしまう。
 今朝も様子を見に行った時、顔を見ただけで何か動揺してしまった。これまで、そんなこと無かったよな? 自分で自分が意味不明だ。

 でも、思えば変に意識してたのは、今に始まったことじゃない気もする。ここまで顕著じゃなかったとは思うけど、電車内で守られてた時とか、思い当たる節がない訳でも無くて……。え? つまり、どういうことだ?
 混乱する。とにかく、そんな訳で今九重と顔を合わせるのには、少し心の準備が要る。

「この子、まだ名前付けてないんだー。良かったら、トッキーが付けてあげてよ」
「え? いいのか?」
「どうぞぉ、ちなみに、男の子でーす」

 ふぅむ、男の子か。何か可愛い名前を付けたくなるけど、男の子でも大丈夫そうな名前となると、意外に難しいな……うーん。あんみつ……は女の子だよな。大福……将来太りそうだな。ぜんざい……渋いだろ。
 改めて、目の前の子猫をじっと見つめた。白黒ぶち柄の子猫は、見られて緊張したのか大あくびをした。……可愛いな。あ、胴体の辺りの黒い楕円形の柄……何か、あれに見える。ほら、あれだ。

「おはぎ」

 ドヤ顔で言い放つと、五十鈴センパイも肯いた。

「あーね、柄がね」

 わかってくれた! やっぱ見えるよな、おはぎに!

「今日からキミは〝おはぎ〟だって。よろしくね」

 五十鈴センパイが早速呼び掛けると、〝おはぎ〟はキョトンと首を傾げた。ううぅ、可愛いな。堪らん。

「さ、触ってもいいかな?」
「いいよぉ。って、おれの猫って訳でもないけど」

 許可が出たので、慎重にダンボールの中の子猫に手を伸ばした。
 ふんふんとオレの手の臭いを嗅ぐ〝おはぎ〟。小さな鼻から伸びるお髭が擽ったい。どうやら嫌がられてはいなさそうなので、顎下を指先でそっと撫でた。途端、〝おはぎ〟は気持ち良さそうに目を細めた。はぁぁぁ~、可愛い。
 猫に対峙すると、人間は往々にして変態おじさんみたいになる。これは宇宙の真理だと思う。
 子猫の愛らしさにドロドロに溶かされていると、五十鈴センパイの視線を感じて、ふと思い出した。そういやオレ、結局お礼言えてない。

「センパイ、あの……撮影の件、ありがとうございました」

 たぶん、帰りのもそうだよな? オレが改まった口調で告げると、センパイは、

「ううん。トッキーの助けになれたのなら、良かったよ」

 と優しく微笑んでくれて、何だかホッとした。やっぱり意図的に庇ってくれてたんだな。センパイは、唯一オレと四ノ宮のことを知っているから……。
 そう思うと、気を遣わせてしまって申し訳ない気持ちにもなる。

「ねぇ、トッキー。もしキミが望むのなら、おれがいっくんをトッキーから引き離すことも出来ると思うけど」

 不意の提案に、ドキリとした。センパイのメタリックブルーの瞳が、真剣な光を湛えてこちらを見据えている。
 ……そうだな。オレがセンパイに望めば、センパイはきっとそうしてくれる。強力な後ろ盾を持っているかもしれない人だ。それこそ、どんな手を使っても目的を遂げるだろう。
 だけど、そうなったら――。
 四ノ宮の顔が脳裏に浮かんだ。あの狭いアパートの一室。虚ろなベージュの瞳の奥の、引きずり込まれそうな程に深い闇。

「ん……ありがとう。でも、いいよ。アイツの気が済むまで付き合うって、約束したからさ。何も殺される訳じゃないし、アイツもその内飽きるだろ」

 本当は、このままじゃいけないって、分かってる。でも、いつか来るかもしれない分かり合える日を待たずに、一方的に引き離すような真似だけはしたくない。
 アイツは親や環境に歪まされちまっただけで、本当は純粋な天使なんだと思うから――。
 オレまで見捨てちまったら、アイツは今後一切、誰にも心を開けなくなってしまう気がする。それは……嫌だ。

 今度は、何故か九重の顔が浮かんだ。初めて身体を繋げた夜の、哀しげな表情かお。胸が張り裂けそうになる。――何で、こんなに痛いんだろう。
 センパイが気遣わしげにオレを見ている。いけない。心配させちまってる。物思いを振り切って、オレは出来るだけ明るく笑みを向けた。

「それに、センパイに話聞いて貰って、少し楽になったしさ。まだオレ、大丈夫だ」

 ――大丈夫。まだ頑張れる。
 安心させるように力強く言ってみせると、センパイは眉を下げて小さく笑んだ。

「そっか……。でも、あまり無理はしないでね。辛かったら、相談して? いざとなったら、力になるからさ。話ならいつでも聞くし。何せ、キミといっくんの事情を知っているのは、おれだけだもんね」

 苦笑が漏れる。センパイ、優しいな。ほとんど会ったばかりの後輩に、ここまで親身になってくれるなんて。
 捨てられた子猫を放っておけない人だ。センパイにとってはオレも、〝おはぎこの子〟と同じなのかもしれないな。

「じゃあ、あの……四ノ宮のことじゃないんだけど」
「うん? なぁに?」

 話の流れと、それから場の空気を変える為、オレはセンパイにあることを訊いてみた。

「その……〝恋〟って、どういうものなのかなって」
「恋? 」

 センパイは先程の〝おはぎ〟みたいに、キョトンと目を丸くした。

「何トッキー、早速誰かに恋したの?」
「いや、そういう訳じゃ! ないんだけど! 友達からさ!? 相談されて! オレ、そういうのよくわかんねーし!?」

 焦った。しどろもどろになるオレを、五十鈴センパイは「ふぅん」と含むような眼差しで射抜いてくる。首筋に冷や汗が伝う。いや、何でオレこんなに落ち着かないんだ?
 目を伏せてセンパイの視線から逃れつつ、ボソボソと付け加えた。

「えっと、友達……だと思ってた相手から告白されて。これまでの関係性崩したくねーし、そもそも恋って何だ? って感じで。でも、ずっと宙ぶらりんのまんまも良くねーし、どうしたらいいのか、分かんないっていうか……」
「ああ、タカっち?」
「いや、違っ!! 友達の話な!? 友達の!!」
「はいはい、友達ね」

 ビビった……。五十鈴センパイ、鋭過ぎねえ? 何とか誤魔化せたか?
 センパイは自身の顎に手を遣ると、少し考えながら、ぽつぽつと言葉を紡いだ。

「そうだねぇ……〝恋〟っていうのは、その人の事ばかり四六時中考えちゃってたり、その人の傍に居るだけでドキドキしたり、触れたいとか触れられたいとか思ったりする感情のことかな」
「……」

 ぽわんと脳内記憶が再生された。電車の中、近距離の九重。触れるほど近くに居るのに、触れて来ない手。何処か焦れったい心地で、オレはそれを見つめていた。
 ――いや、いやいや。あれは違うだろ。
 慌てて内心で首を振って、記憶映像を吹き飛ばした。センパイが続ける。

「それから、その人が他の人と親しげにしてるとモヤモヤしちゃう……とかね」
「モヤモヤ……」

 ぽわんぽわん、再び構築される記憶映像。電車のホーム。女の子達にきゃあきゃあ騒がれていた九重。それを見てたら、何かムッとして、モヤモヤして……。
 いや、あれは……オレの方がカッコイイのに、っていう嫉妬だろ? だから、違う。
 でも、九重がこっちを振り向いて笑んだら、今度は何故かホッとした。九重が、女の子達の方じゃなくて、オレの方を見てくれたから――?

 記憶の笑顔が、昨日のそれに重なる。「良かったな」と言って、優しく微笑んだ九重の顔。――心臓が騒いだ。
 いや、は? 待てよ。まさか、これって……。
 ドキドキ、脈打つ鼓動が嫌に主張してくる。
 雷に打たれたような強烈な衝撃。思考回路は一瞬で停止した。
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