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第八章 家出息子と反抗期
8-8 叩き付けた本音
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襖の開かれる音に、オレの鼓動は乱打された。息を詰めて、身を縮める。
「ご苦労さまです」
飯倉さんがスーツマン達に声を掛けた。直後、沈黙が降りる。何かを確認するような間。その後問題なしと判断されたのか、スーツマンの方からも「ご苦労さまでした」と労いの言葉が返ってきた。
そのまま、飯倉さんはワゴンカートを押して室外に足を踏み出す。途中、敷居の段差でオレの身体が跳ねて台にぶつかり、ガタンと音が出た。
「お待ちください」
ぎくぅっ!
呼び止められて、今度は心臓が止まるかと思った。バレた……のか?
戦々恐々、固まっていると、スーツマンはこう続けた。
「食器類の返却は、どのように?」
あ、何だ。違ったっぽい。密かにそっと息を吐く。
「ああ、それならあたしが一時間後に回収に来ますから、そちらさんでは気にして頂かなくて大丈夫ですよぉ」
「畏まりました」
飯倉さんが説明すると、今度こそその場を通された。遠ざかっていくスーツマンSの気配に、オレは張り詰めていた緊張の糸を弛める。
ふーっ、ヒヤヒヤしたぜ……。どうやら、気付かれずに済んだようだな。ワゴンカートのテーブルクロスの下、隠された二段目の狭いスペースにオレは積載されていた。
ここには最初、マネキンが乗せられていた。飯倉さんの娘さんがアパレル業界で働いてるとか聞いたことあるから、娘さんとこから借りたのかもしれない。そいつにオレの服を着せてオレと似たような髪型の金髪のウィッグを被せ、入り口に背を向けた状態で座らせてオレのダミーにした。
それからワゴンの上の料理を全てテーブルに移し、あたかもオレが食事してる風にしといてから、オレ自身はワゴンの中に乗り込んだ。膝を抱えて出来るだけ身を小さくしたが、鞄も持ってきたせいか結構狭い。トランクの中に押し込まれた死体の気持ちって、こんなかな。
飯倉さんに押されて、ワゴンに乗ったまま運ばれていく。テーブルクロスの中だから外の様子は見えないが、たぶん今給仕用昇降機に乗ったとこだ。自動で扉が開閉される機械音がした。
そう、うちは和風家屋に似合わず、エレベーターがある。無駄に家が広いから、諸々運ぶのにあった方が便利だと飯倉さんがリクエストした結果だ。
そこで、周囲の目が無くなったからだろう、飯倉さんがオレに話し掛けてきた。
「トキ坊ちゃん、大丈夫? 何処かぶつけたかしら?」
「ああ、それは一応大丈夫」
「なら良かったわ。これから厨房の方まで向かうから、坊ちゃんは勝手口から外に出るのよ。正面玄関は監視カメラが付いてるから」
門前なら分かるが、敷地内にすらカメラ設置するとか、親父マジで本気だな。でも、良かった。飯倉さんのお陰で、何とか外に出られそうだ。
ポンと到着音がして、再び扉の開閉音。それからは目的地に着くまで、オレも飯倉さんも無言だった。
「さぁ、坊ちゃん。もう出ていいですよ。気を付けて」
飯倉さんに促され、テーブルクロスを捲り、ワゴンを降りる。短時間だったのに、もう身体が痛え。手足が伸ばせるっていいな。……っと、開放感に浸ってる場合じゃない。早い所家から脱出しねーと。
「ありがとう、飯倉さん。助かった」
「いいえぇ、あたしはいつでも奥様とトキ坊ちゃんの味方ですからね。それじゃあ坊ちゃん、お元気で。たまにはお顔を見せてちょうだいね」
剛健な笑みを見せる飯倉さんに改めて謝意を示し、勝手口の木戸から外に出た。実はこの行動がバレてて、スーツマン達と親父が待ち伏せていたり……なんて想像もしたが、それは杞憂に終わった。勝手口の外には中庭と離れに続く小路が広がっているだけで、誰の姿も見当たらなかった。知らず、安堵の息が漏れる。
とりあえず、これで家からは出られたが、今度は敷地内から脱出しなければならない。どうする。正門の方は絶対セキュリティ発動するだろ。かといって裏門も変わらなさそうだ。
オレが昔、こっそり抜け出す用にぶち抜いた穴なんかは流石にもう残ってねーよな。一応、板でそれっぽく隠してはおいたけど……オレが不在の間に見つかってそうな気がする。
そうは思いつつ、一縷の望みを賭けてそちらに向かってみることにした。正門も裏門も関係ない、塀の西側。錦鯉の池を越えて、松やら桜やらの庭木で身を隠しながら進む。
やがて、お目当ての場所に辿り着いた時、それが目に入った。あの板! まだ残ってる! もしかしたら、穴もそのままなんじゃないかと期待を膨らませて近付いた――途端、ガサリと周囲の植え込みの影から、親父とスーツマン達が出現した。
「そこまでだ、鴇真」
「親父……!! 何で!?」
先回りされてた!?
「飯倉さんが大量の洋食を用意していたと聞いて、違和感を覚えてな。お前の好物は和食だろう。大方、クロス付きのワゴンカートで運ぶのに和食では適さないと思ったんだろうが、そのプロ精神が裏目に出たな」
「くっ……」
「ちなみに、そこの穴ならもう塞いである。お前に逃げ道など無い。さぁ、鴇真。観念しろ」
親父の合図で、スーツマン達がじりじりと距離を詰めてくる。塀を背後に追い詰められたオレには、もうどうすることも出来ない。精々、口で足掻くしかない。
「ま、待って! 聞いてくれ! オレ、約束があるんだ!」
「約束?」
「友達が熱出して寝込んでるんだよ! 見舞いに行くって、約束したんだ今日! だから、せめてそれだけでも……!」
必死に訴えかけるも、親父は冷淡に返した。
「そうか、ならばその相手の名を教えろ。私の方から『鴇真は行けない』と連絡を入れよう」
「っ親父!」
「どうした? 言えないのか? 友人が病気だなどという嘘を吐いてまで同情を引き、隙を見て逃げようという魂胆か」
「違う、本当だ! 行かせてくれよ!」
「よしんば嘘でないとしても、その友人というのがどんな人物なのか、怪しいものだ。どうせあのモデル仲間のようなチャラついた若者なんだろう。お前に害を成すような人脈など、無い方が良い。お前も花鏡家の人間なのだから、付き合う相手は慎重に選びなさい」
カチンと来た。オレはいい。なんて言われても。でも、オレの友達のことは――。
「害なのは、どっちだよ」
低い声で零すと、親父はぴくりと眉根を寄せた。オレの雰囲気が変わったのに気付いたんだろう。疑問符で呼び掛けてくる。
「鴇真?」
「いつもオレの邪魔してんのは、親父だろ! あれはダメだこれはダメだって、オレのやること成すこと全部否定して! 挙句の果てに、友達のことまでバカにして!」
「私は、お前の為を思って」
「オレの為じゃなくて、自分の為だろ! 親父は『花鏡家の名に恥じない優秀な跡取り』が欲しいだけだ! オレ自身のことなんて見てやしない! オレは親父の操り人形じゃない!」
「鴇真!」
パンッ、と乾いた破裂音がした。遅れて、頬がじんと熱を帯びる。親父に叩かれたのだと悟り、束の間頭の中が真っ白になった。
視線だけで窺うと、親父はオレ以上に驚いたみたいに固まっていた。叩くつもりはなかったんだろう。己の行動に目を瞠り、オレを張った手を下ろすことも忘れている。普段無表情気味な親父の動揺した様を見ていたら、スッと怒りが吹き飛んだ。代わりに、虚しい寂寥感が心中を満たしていく。
「……オレ、本当は花嫌いじゃないよ」
親父が息を呑む気配が伝わってきた。構わず自身の足元に目を落とし、オレは続けた。
「生けるのだって楽しいし、レッスンだって嫌じゃなかった。ああいうのは、自分のスキルアップの為にやるもんで、決して承認欲求を満たす為のものじゃないってのは分かってる。……でも」
――でもさ、親父。
「アンタ、一度でもオレを褒めたことあったかよ!? オレはただ……アンタに認めて欲しかった!!」
ずっと胸に秘めていた願望。我ながら子供っぽくて、浅ましくて……面と向かって伝えることの出来なかった本音。
それが、今になって殻を割って飛び出した。初めて親父に叩かれたから? オレも動揺してんのかも。激情のままに叫んでぶつけて、そのままスーツマン達の中央を抜けて駆け出した。
スーツマン達がハッとして追い掛けてこようとする気配があったが、親父が「いい」と制止する声を聞いて、それも止む。
「ですが」
「いい、構うな」
そんなやり取りを背に、オレは振り向かずに門に向かった。――ああ、呆れられたかな。遂に、親父に見放されたかも。そう思うと清々する筈なのに、何故か胸がじくじく痛んだ。
門外に出てタクシーを捕まえてタワマンに到着するまでの間も、誰も追っては来なかった。
「ご苦労さまです」
飯倉さんがスーツマン達に声を掛けた。直後、沈黙が降りる。何かを確認するような間。その後問題なしと判断されたのか、スーツマンの方からも「ご苦労さまでした」と労いの言葉が返ってきた。
そのまま、飯倉さんはワゴンカートを押して室外に足を踏み出す。途中、敷居の段差でオレの身体が跳ねて台にぶつかり、ガタンと音が出た。
「お待ちください」
ぎくぅっ!
呼び止められて、今度は心臓が止まるかと思った。バレた……のか?
戦々恐々、固まっていると、スーツマンはこう続けた。
「食器類の返却は、どのように?」
あ、何だ。違ったっぽい。密かにそっと息を吐く。
「ああ、それならあたしが一時間後に回収に来ますから、そちらさんでは気にして頂かなくて大丈夫ですよぉ」
「畏まりました」
飯倉さんが説明すると、今度こそその場を通された。遠ざかっていくスーツマンSの気配に、オレは張り詰めていた緊張の糸を弛める。
ふーっ、ヒヤヒヤしたぜ……。どうやら、気付かれずに済んだようだな。ワゴンカートのテーブルクロスの下、隠された二段目の狭いスペースにオレは積載されていた。
ここには最初、マネキンが乗せられていた。飯倉さんの娘さんがアパレル業界で働いてるとか聞いたことあるから、娘さんとこから借りたのかもしれない。そいつにオレの服を着せてオレと似たような髪型の金髪のウィッグを被せ、入り口に背を向けた状態で座らせてオレのダミーにした。
それからワゴンの上の料理を全てテーブルに移し、あたかもオレが食事してる風にしといてから、オレ自身はワゴンの中に乗り込んだ。膝を抱えて出来るだけ身を小さくしたが、鞄も持ってきたせいか結構狭い。トランクの中に押し込まれた死体の気持ちって、こんなかな。
飯倉さんに押されて、ワゴンに乗ったまま運ばれていく。テーブルクロスの中だから外の様子は見えないが、たぶん今給仕用昇降機に乗ったとこだ。自動で扉が開閉される機械音がした。
そう、うちは和風家屋に似合わず、エレベーターがある。無駄に家が広いから、諸々運ぶのにあった方が便利だと飯倉さんがリクエストした結果だ。
そこで、周囲の目が無くなったからだろう、飯倉さんがオレに話し掛けてきた。
「トキ坊ちゃん、大丈夫? 何処かぶつけたかしら?」
「ああ、それは一応大丈夫」
「なら良かったわ。これから厨房の方まで向かうから、坊ちゃんは勝手口から外に出るのよ。正面玄関は監視カメラが付いてるから」
門前なら分かるが、敷地内にすらカメラ設置するとか、親父マジで本気だな。でも、良かった。飯倉さんのお陰で、何とか外に出られそうだ。
ポンと到着音がして、再び扉の開閉音。それからは目的地に着くまで、オレも飯倉さんも無言だった。
「さぁ、坊ちゃん。もう出ていいですよ。気を付けて」
飯倉さんに促され、テーブルクロスを捲り、ワゴンを降りる。短時間だったのに、もう身体が痛え。手足が伸ばせるっていいな。……っと、開放感に浸ってる場合じゃない。早い所家から脱出しねーと。
「ありがとう、飯倉さん。助かった」
「いいえぇ、あたしはいつでも奥様とトキ坊ちゃんの味方ですからね。それじゃあ坊ちゃん、お元気で。たまにはお顔を見せてちょうだいね」
剛健な笑みを見せる飯倉さんに改めて謝意を示し、勝手口の木戸から外に出た。実はこの行動がバレてて、スーツマン達と親父が待ち伏せていたり……なんて想像もしたが、それは杞憂に終わった。勝手口の外には中庭と離れに続く小路が広がっているだけで、誰の姿も見当たらなかった。知らず、安堵の息が漏れる。
とりあえず、これで家からは出られたが、今度は敷地内から脱出しなければならない。どうする。正門の方は絶対セキュリティ発動するだろ。かといって裏門も変わらなさそうだ。
オレが昔、こっそり抜け出す用にぶち抜いた穴なんかは流石にもう残ってねーよな。一応、板でそれっぽく隠してはおいたけど……オレが不在の間に見つかってそうな気がする。
そうは思いつつ、一縷の望みを賭けてそちらに向かってみることにした。正門も裏門も関係ない、塀の西側。錦鯉の池を越えて、松やら桜やらの庭木で身を隠しながら進む。
やがて、お目当ての場所に辿り着いた時、それが目に入った。あの板! まだ残ってる! もしかしたら、穴もそのままなんじゃないかと期待を膨らませて近付いた――途端、ガサリと周囲の植え込みの影から、親父とスーツマン達が出現した。
「そこまでだ、鴇真」
「親父……!! 何で!?」
先回りされてた!?
「飯倉さんが大量の洋食を用意していたと聞いて、違和感を覚えてな。お前の好物は和食だろう。大方、クロス付きのワゴンカートで運ぶのに和食では適さないと思ったんだろうが、そのプロ精神が裏目に出たな」
「くっ……」
「ちなみに、そこの穴ならもう塞いである。お前に逃げ道など無い。さぁ、鴇真。観念しろ」
親父の合図で、スーツマン達がじりじりと距離を詰めてくる。塀を背後に追い詰められたオレには、もうどうすることも出来ない。精々、口で足掻くしかない。
「ま、待って! 聞いてくれ! オレ、約束があるんだ!」
「約束?」
「友達が熱出して寝込んでるんだよ! 見舞いに行くって、約束したんだ今日! だから、せめてそれだけでも……!」
必死に訴えかけるも、親父は冷淡に返した。
「そうか、ならばその相手の名を教えろ。私の方から『鴇真は行けない』と連絡を入れよう」
「っ親父!」
「どうした? 言えないのか? 友人が病気だなどという嘘を吐いてまで同情を引き、隙を見て逃げようという魂胆か」
「違う、本当だ! 行かせてくれよ!」
「よしんば嘘でないとしても、その友人というのがどんな人物なのか、怪しいものだ。どうせあのモデル仲間のようなチャラついた若者なんだろう。お前に害を成すような人脈など、無い方が良い。お前も花鏡家の人間なのだから、付き合う相手は慎重に選びなさい」
カチンと来た。オレはいい。なんて言われても。でも、オレの友達のことは――。
「害なのは、どっちだよ」
低い声で零すと、親父はぴくりと眉根を寄せた。オレの雰囲気が変わったのに気付いたんだろう。疑問符で呼び掛けてくる。
「鴇真?」
「いつもオレの邪魔してんのは、親父だろ! あれはダメだこれはダメだって、オレのやること成すこと全部否定して! 挙句の果てに、友達のことまでバカにして!」
「私は、お前の為を思って」
「オレの為じゃなくて、自分の為だろ! 親父は『花鏡家の名に恥じない優秀な跡取り』が欲しいだけだ! オレ自身のことなんて見てやしない! オレは親父の操り人形じゃない!」
「鴇真!」
パンッ、と乾いた破裂音がした。遅れて、頬がじんと熱を帯びる。親父に叩かれたのだと悟り、束の間頭の中が真っ白になった。
視線だけで窺うと、親父はオレ以上に驚いたみたいに固まっていた。叩くつもりはなかったんだろう。己の行動に目を瞠り、オレを張った手を下ろすことも忘れている。普段無表情気味な親父の動揺した様を見ていたら、スッと怒りが吹き飛んだ。代わりに、虚しい寂寥感が心中を満たしていく。
「……オレ、本当は花嫌いじゃないよ」
親父が息を呑む気配が伝わってきた。構わず自身の足元に目を落とし、オレは続けた。
「生けるのだって楽しいし、レッスンだって嫌じゃなかった。ああいうのは、自分のスキルアップの為にやるもんで、決して承認欲求を満たす為のものじゃないってのは分かってる。……でも」
――でもさ、親父。
「アンタ、一度でもオレを褒めたことあったかよ!? オレはただ……アンタに認めて欲しかった!!」
ずっと胸に秘めていた願望。我ながら子供っぽくて、浅ましくて……面と向かって伝えることの出来なかった本音。
それが、今になって殻を割って飛び出した。初めて親父に叩かれたから? オレも動揺してんのかも。激情のままに叫んでぶつけて、そのままスーツマン達の中央を抜けて駆け出した。
スーツマン達がハッとして追い掛けてこようとする気配があったが、親父が「いい」と制止する声を聞いて、それも止む。
「ですが」
「いい、構うな」
そんなやり取りを背に、オレは振り向かずに門に向かった。――ああ、呆れられたかな。遂に、親父に見放されたかも。そう思うと清々する筈なのに、何故か胸がじくじく痛んだ。
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