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第八章 家出息子と反抗期
8-2 孤独の定義
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改めて体温計でも計測してみたら、既に三十八度あった。もう確定だ。朝でこれだと、夜はもっと上がるぞ。昨日のオレより悪いんじゃねえか?
九重がワンテンポ遅れて、ぽろりと吐息混じりに零す。
「熱……」
「ああ、オレのが伝染ったんだな」
そりゃな、あれで伝染らない方がおかしい。身体繋げた上にディープキスだぞ。粘膜感染待ったナシだ。
九重がのそりと布団の上で半身を起こした。
「無理に起き上がんな。水持ってくる。おかゆ、食えるか?」
「花鏡の熱は……」
「お前が吸い取ったお陰で、こっちは下がったよ。天罰だ、あんなことすっから」
キョトンと見上げてくる九重の顔。熱ですっかり邪気の失せた、無垢な表情。――なんか、調子狂うな。
「だから、もういいよ。昨日のことは。お前が暴走するのは今に始まったことじゃねえし。……それでも、傍に居るって約束したからな」
昨日のキスといい、本当にズルい奴だ。素直に謝られちまったら、もう怒るに怒れねーじゃん。
むしろ、オレの方が悪いことした罪悪感が依然としてあるのは、何でだろうな。九重とは別に恋人って訳じゃないんだから、オレが誰に抱かれようと関係ない筈なのに。
……つーか、オレ男だぞ!! そもそも抱かれたくねーよ!!
心中で一人ツッコミした後に、何だか脱力した。我ながら、何でこんなことになってるんだろうな。
「とにかく、九重は今日は学校休みな」
「花鏡は……」
「オレは最近休みがちだったから、流石に今日は行くよ。授業ノート取ってきてやっからさ」
「要らない……お前がいい」
腕を掴まれて、熱い視線でせがまれる。うぅ、やめろ。そんな捨て犬みたいな目で見んな。
「一緒に居てやりてーのは山々だけど、同時に休んだら怪しまれんだろ。 出来るだけすぐ帰って来るから、大人しく寝てろ」
不服そうに唇を尖らせる九重。……何か、熱で幼児化してんな。普段から子供っぽいとこあったけど。
いや、待て。まさか、昨日のオレもこんなだった? うわぁ……。
九重を宥めてキッチンへと向かった。おかゆを作るべく準備を始めたところで、不意に携帯が着信を告げた。――知らない番号。
おや? と思ったが、一応出てみる。すると、甘いバリトンボイスが耳元で囁いた。
『おはよう、トッキー』
「い、五十鈴センパイ!?」
あれ? オレ、番号教えたっけ?
「センパイ、何でオレのスマホの番号知って……」
『トッキーん家泊めてもらうのに緊急時連絡つかないんじゃ不便だからって、教えて貰ったじゃん』
「そうだっけ」
熱で朦朧としてた時だったのか、覚えてねえな……。
『体調の方はどう? 声は大分スッキリしてるみたいだけど』
「あ、お陰様でオレはすっかり」
『オレは?』
「その……九重に伝染ったみたいで」
『へぇ?』
オレが苦笑混じりに答えると、センパイはふと神妙な調子で訊ねてきた。
『昨日、あれから大丈夫だった? レンレンに虐められたりしてない?』
ドキリ。脳内に再生されたのは、勿論昨夜の出来事。
「あ、あーまぁ、大丈夫……です」
『何か煮え切らないね。もしかして、何かあった?』
「いや、本当に! 大丈夫! それよりセンパイの方こそ! オレが使ったベッドで寝たら風邪伝染ったとかは」
『それは無かったけど、昨夜誰か訪ねてきたよ』
「誰か?」
『そう。トッキーが丁度レンレンに連れ去られてった後、インターホン鳴ってさ。ドアスコープで確認したら宅配便とかじゃなくて着物のおじさんだったから、勝手に出ちゃまずい類かと思って居留守使っといたけど。トッキーの知り合い?』
愕然とした。このご時世、着物で出歩いているような時代錯誤なオッサンなんて、そうそう居ないだろう。
「……親父だ」
『え? お父さん?』
間違いない。オレはそう確信した。先刻の夢を思い出す。あれは、この予感だったのか?
何にせよ、五十鈴センパイの対応は正解だった。息子が出ると思ったら別人――しかも、派手なビジュアルの男――が息子が住んでる筈の部屋から出てきたりなんかしたら、おそらく親父は卒倒してた。
アイツ、頭カッチカチだからな。
とりあえず五十鈴センパイに礼を言って、後は二三話をしてから通話を終えた。センパイは今日も学校をサボるけど、明後日の生徒会の定例会議には顔を出す予定だそうだ。
「トッキーに会いたいからね」なんて、ふざけているのか本気なのか、相変わらずイマイチ掴めない人だ。
その後、作ったおかゆを持って九重の元へ戻ると、開口一番「誰と話してた?」と圧を掛けられた。「五十鈴か?」と顰めっ面で。
……もうすっかり、九重の中で五十鈴センパイは警戒対象になっちまったみたいだな。
「そんな嫌ってやるなよ。わざわざ知らせてくれたんだから」
親父が向こうのマンションを訪れた件を話すと、九重は難しい表情をした。
「お前の見舞いか?」
「オレ、風邪引いたこと話してねーし。つか、アイツには連絡先も教えてねーよ。アイツ昔気質の頑固親父だから携帯も使わないし」
母さんとしか連絡取ってないけど、ここ数日はそれも不精してた。
「じゃあ、何の用だ?」
「さぁな。まぁ、どうせろくなことじゃねーだろ」
いつもみたいに「モデルなんてお遊びは辞めて早く実家に帰ってこい」だとか「後継ぎの修行はどうするんだ」とか、そんな所だろう。考えただけで頭が痛くなる。
「まぁ、九重が気にすることはねーよ。親父が説得に来たって、聞く耳持たねーし」
食器をサイドテーブルに配置していると、不意に袖を引かれた。少し不安げな瞳。
「何だよ、九重。安心しろよ。実家に帰ったりはしねーから」
「……本当だな?」
「約束しただろ?」
それでも九重はまだ浮かない表情だ。熱には浮かされてるのにな。
「全く、お前は本当寂しがり屋だな。〝あーん〟してやろうか?」
空気を明るくしようと敢えて揶揄ってみたが、九重は乗ってこなかった。代わりに、ぽつりと神妙に呟いた。
「……寂しいなんて、思ったことも無かったな」
「へ?」
九重は何処か遠くを見るような目をして、天井を仰いだ。
「ずっと独りで居るのが当たり前だったから……寂しいなんて、思ったことも無かった。それがどんな感情かも、知らなかった」
言葉を失った。九重の視線の先には、何も無い。虚空の中、彼には何が見えているのか。あるいは、本当に何も――。
ついと、九重が振り向いた。凪いだ琥珀色の瞳にオレの姿が映り込む。カラコン越しじゃない、黒曜石の瞳。そこには九重が映っていて、合わせ鏡みたいに無限ループしてる。それを眺めて、九重は告げた。
「――お前のせいだ」
文言に反して、責めるような口調ではなかった。むしろ慈しむような……それでいて胸を締め付けられるような、切ない響き。
「……どういう意味だよ」
鼓動が高鳴った。何故か落ち着かない。九重の瞳の中のオレも、動揺を示して揺れていた。見つめ合ったまま暫し九重は無言を返し、それから思い出したように、
「〝あーん〟してくれないのか?」
などと言って、はぐらかした。
「何だよ、元気そうじゃん。自分で食えよ」
肩透かしを食らった気分でオレがむくれてみせると、九重はややいつもの調子を取り戻したようで、不敵な笑みを刻んで見せた。
「さっき、してくれるって言っただろう? 嘘を吐いたのか?」
「うぐっ……いや」
熱を出していても、やっぱり九重の方がうわてだ。結局オレは手ずから奴におかゆを食べさせることになった。
〝あーん〟される側の奴よりも、してる側のオレの方が謎に気恥ずかしいのは何でだろうか。くそっ。
――それにしても。
九重の言葉が、引っ掛かっていた。ずっと独りだったって……そういや、九重はいつからここで一人で暮らしてるんだろう。
両親とあまり上手くいってないのかなとは思ってたけど、何か事情あんのかな。
改めて九重の家庭が気になったが、軽々に聞けるものでもない。何処かモヤモヤとしたものを抱えたまま、オレは一人で家を出た。
九重がワンテンポ遅れて、ぽろりと吐息混じりに零す。
「熱……」
「ああ、オレのが伝染ったんだな」
そりゃな、あれで伝染らない方がおかしい。身体繋げた上にディープキスだぞ。粘膜感染待ったナシだ。
九重がのそりと布団の上で半身を起こした。
「無理に起き上がんな。水持ってくる。おかゆ、食えるか?」
「花鏡の熱は……」
「お前が吸い取ったお陰で、こっちは下がったよ。天罰だ、あんなことすっから」
キョトンと見上げてくる九重の顔。熱ですっかり邪気の失せた、無垢な表情。――なんか、調子狂うな。
「だから、もういいよ。昨日のことは。お前が暴走するのは今に始まったことじゃねえし。……それでも、傍に居るって約束したからな」
昨日のキスといい、本当にズルい奴だ。素直に謝られちまったら、もう怒るに怒れねーじゃん。
むしろ、オレの方が悪いことした罪悪感が依然としてあるのは、何でだろうな。九重とは別に恋人って訳じゃないんだから、オレが誰に抱かれようと関係ない筈なのに。
……つーか、オレ男だぞ!! そもそも抱かれたくねーよ!!
心中で一人ツッコミした後に、何だか脱力した。我ながら、何でこんなことになってるんだろうな。
「とにかく、九重は今日は学校休みな」
「花鏡は……」
「オレは最近休みがちだったから、流石に今日は行くよ。授業ノート取ってきてやっからさ」
「要らない……お前がいい」
腕を掴まれて、熱い視線でせがまれる。うぅ、やめろ。そんな捨て犬みたいな目で見んな。
「一緒に居てやりてーのは山々だけど、同時に休んだら怪しまれんだろ。 出来るだけすぐ帰って来るから、大人しく寝てろ」
不服そうに唇を尖らせる九重。……何か、熱で幼児化してんな。普段から子供っぽいとこあったけど。
いや、待て。まさか、昨日のオレもこんなだった? うわぁ……。
九重を宥めてキッチンへと向かった。おかゆを作るべく準備を始めたところで、不意に携帯が着信を告げた。――知らない番号。
おや? と思ったが、一応出てみる。すると、甘いバリトンボイスが耳元で囁いた。
『おはよう、トッキー』
「い、五十鈴センパイ!?」
あれ? オレ、番号教えたっけ?
「センパイ、何でオレのスマホの番号知って……」
『トッキーん家泊めてもらうのに緊急時連絡つかないんじゃ不便だからって、教えて貰ったじゃん』
「そうだっけ」
熱で朦朧としてた時だったのか、覚えてねえな……。
『体調の方はどう? 声は大分スッキリしてるみたいだけど』
「あ、お陰様でオレはすっかり」
『オレは?』
「その……九重に伝染ったみたいで」
『へぇ?』
オレが苦笑混じりに答えると、センパイはふと神妙な調子で訊ねてきた。
『昨日、あれから大丈夫だった? レンレンに虐められたりしてない?』
ドキリ。脳内に再生されたのは、勿論昨夜の出来事。
「あ、あーまぁ、大丈夫……です」
『何か煮え切らないね。もしかして、何かあった?』
「いや、本当に! 大丈夫! それよりセンパイの方こそ! オレが使ったベッドで寝たら風邪伝染ったとかは」
『それは無かったけど、昨夜誰か訪ねてきたよ』
「誰か?」
『そう。トッキーが丁度レンレンに連れ去られてった後、インターホン鳴ってさ。ドアスコープで確認したら宅配便とかじゃなくて着物のおじさんだったから、勝手に出ちゃまずい類かと思って居留守使っといたけど。トッキーの知り合い?』
愕然とした。このご時世、着物で出歩いているような時代錯誤なオッサンなんて、そうそう居ないだろう。
「……親父だ」
『え? お父さん?』
間違いない。オレはそう確信した。先刻の夢を思い出す。あれは、この予感だったのか?
何にせよ、五十鈴センパイの対応は正解だった。息子が出ると思ったら別人――しかも、派手なビジュアルの男――が息子が住んでる筈の部屋から出てきたりなんかしたら、おそらく親父は卒倒してた。
アイツ、頭カッチカチだからな。
とりあえず五十鈴センパイに礼を言って、後は二三話をしてから通話を終えた。センパイは今日も学校をサボるけど、明後日の生徒会の定例会議には顔を出す予定だそうだ。
「トッキーに会いたいからね」なんて、ふざけているのか本気なのか、相変わらずイマイチ掴めない人だ。
その後、作ったおかゆを持って九重の元へ戻ると、開口一番「誰と話してた?」と圧を掛けられた。「五十鈴か?」と顰めっ面で。
……もうすっかり、九重の中で五十鈴センパイは警戒対象になっちまったみたいだな。
「そんな嫌ってやるなよ。わざわざ知らせてくれたんだから」
親父が向こうのマンションを訪れた件を話すと、九重は難しい表情をした。
「お前の見舞いか?」
「オレ、風邪引いたこと話してねーし。つか、アイツには連絡先も教えてねーよ。アイツ昔気質の頑固親父だから携帯も使わないし」
母さんとしか連絡取ってないけど、ここ数日はそれも不精してた。
「じゃあ、何の用だ?」
「さぁな。まぁ、どうせろくなことじゃねーだろ」
いつもみたいに「モデルなんてお遊びは辞めて早く実家に帰ってこい」だとか「後継ぎの修行はどうするんだ」とか、そんな所だろう。考えただけで頭が痛くなる。
「まぁ、九重が気にすることはねーよ。親父が説得に来たって、聞く耳持たねーし」
食器をサイドテーブルに配置していると、不意に袖を引かれた。少し不安げな瞳。
「何だよ、九重。安心しろよ。実家に帰ったりはしねーから」
「……本当だな?」
「約束しただろ?」
それでも九重はまだ浮かない表情だ。熱には浮かされてるのにな。
「全く、お前は本当寂しがり屋だな。〝あーん〟してやろうか?」
空気を明るくしようと敢えて揶揄ってみたが、九重は乗ってこなかった。代わりに、ぽつりと神妙に呟いた。
「……寂しいなんて、思ったことも無かったな」
「へ?」
九重は何処か遠くを見るような目をして、天井を仰いだ。
「ずっと独りで居るのが当たり前だったから……寂しいなんて、思ったことも無かった。それがどんな感情かも、知らなかった」
言葉を失った。九重の視線の先には、何も無い。虚空の中、彼には何が見えているのか。あるいは、本当に何も――。
ついと、九重が振り向いた。凪いだ琥珀色の瞳にオレの姿が映り込む。カラコン越しじゃない、黒曜石の瞳。そこには九重が映っていて、合わせ鏡みたいに無限ループしてる。それを眺めて、九重は告げた。
「――お前のせいだ」
文言に反して、責めるような口調ではなかった。むしろ慈しむような……それでいて胸を締め付けられるような、切ない響き。
「……どういう意味だよ」
鼓動が高鳴った。何故か落ち着かない。九重の瞳の中のオレも、動揺を示して揺れていた。見つめ合ったまま暫し九重は無言を返し、それから思い出したように、
「〝あーん〟してくれないのか?」
などと言って、はぐらかした。
「何だよ、元気そうじゃん。自分で食えよ」
肩透かしを食らった気分でオレがむくれてみせると、九重はややいつもの調子を取り戻したようで、不敵な笑みを刻んで見せた。
「さっき、してくれるって言っただろう? 嘘を吐いたのか?」
「うぐっ……いや」
熱を出していても、やっぱり九重の方がうわてだ。結局オレは手ずから奴におかゆを食べさせることになった。
〝あーん〟される側の奴よりも、してる側のオレの方が謎に気恥ずかしいのは何でだろうか。くそっ。
――それにしても。
九重の言葉が、引っ掛かっていた。ずっと独りだったって……そういや、九重はいつからここで一人で暮らしてるんだろう。
両親とあまり上手くいってないのかなとは思ってたけど、何か事情あんのかな。
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