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第六章 壊れた、小さな世界。
6-7 復讐を誓った天使は悪魔に身を堕とした。
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「ええ、僕もお逢いしたかったですよ」
先程抱いた印象とは真逆の言葉を、四ノ宮は吐いた。オレは驚いて彼の方を見る。相変わらず表情は固いけど、口元には薄い笑みが浮かんでいた。それは軽蔑か、はたまた自嘲か。見ようによっては、真実喜んでいるようにも見える。
男はどう捉えたのか、変わらぬ下衆なニタニタ笑いを顔に貼り付けたまま、四ノ宮の全身に値踏みするような粘ついた視線を向けている。それを遮るように、オレは四ノ宮と男との間に立った。
「四ノ宮……大丈夫か?」
四ノ宮は少し目を丸くしてオレを見上げた。彼が何かを口にするより先に、男が割って入る。
「君は、郁くんのお友達かな? それとも、私と同じく〝客〟かな?」
「客?」
「ああ、知らないのか。郁くんはこう見えて、とても〝いけない子〟でね」
「――さん」
静かに落ち着いた口調で、四ノ宮が男のものらしき名を呼んだ。男はパッと振り向いて、相好を崩した。
「名前を覚えていてくれたのかい?」
「ええ、忘れる訳がありません」
「そうだろうとも。私は君の〝初めて〟の相手だもんね。君も私を忘れられなかったんだね。私も君の身体がどうしても忘れられなくて、ずっと探していたんだよ。……やっと、見つけた」
ゾッとするような執着の瞳。底の方に澱んだ汚泥みたいな欲望が、どろりと凝っている。やばい。コイツは……四ノ宮に近付けちゃ駄目だ。
「四ノ宮、行こう」
「――さん」
「なんだい?」
「折角会いに来てくださったのに、申し訳ありません。今日は友人との先約がありますので、また日を改めてくださいませんか?」
「でも」
「ご安心ください。僕はこの通り、ここに住んでいますから。逃げも隠れもしませんよ」
にっこりと可憐な微笑みを浮かべる四ノ宮の顔と、背後のアパートの間に視線を巡らせて、男はとりあえず納得したらしく頷いた。
「そうか……それもそうだな。急過ぎたよね。それじゃあ、また明日……会いに来るから」
「ええ、お待ちしております。それでは、また明日」
極上の天使のスマイルで手を振って、男を見送る四ノ宮。男は上機嫌に最後までニヤついた笑みを残して、その場は去っていった。
「し、四ノ宮……今の」
「さて、お待たせしました、トキさん。ここが僕の部屋です。少々散らかっていますが、どうぞ」
オレの疑問に構うことなく、四ノ宮はごく普通に扉を開錠してオレを内部に招き入れた。オレは動揺が去らず、今しがた見た男のことを四ノ宮にどう訊ねたものか、そもそも触れてはいけない領域ではないのかと、内心葛藤しながら彼の後に続いて玄関に足を踏み入れた。
オレを入れると、四ノ宮は扉の鍵を入念に閉めた。そうして狭い廊下を進んで、室内へと歩を進める。
「今の男、また来るって……だ、大丈夫なのかよ」
オレはようやく、それだけ訊いた。四ノ宮が振り返る。
「望むところですけど」
「……え? でも何かアイツ、危な」
「傑作でしょう? また僕を抱けると思ってノコノコ阿呆面を下げてやって来たキモ男共のクソ穴に、逆に極太棒をぶち込んでぶっ壊してやるんですよ。求めていたのとは真逆の展開になって、信じられないって顔で絶望に歪むキモ男共の表情……最高に滑稽で快感ですよ?」
息を呑んだ。四ノ宮のベージュの瞳には、先刻一瞬だけ見せた憎悪の光が、狂気と混ざり合いチカチカと瞬いていた。それはまるで、救難信号のように――。
「思い知るといい。僕はもう、何も奪わせない。……奪う側の人間だ!」
――そうか。四ノ宮、お前。
四ノ宮の肩に、手を伸ばした。だけど、その手は届く前に掴まれた。引き倒される。木製の古びた天井、そこにオレが居た。ウインクしてピースサインで笑う、能天気なオレのポスター。
よく見ると、そこだけじゃない。オレの写真が至る所に貼られている。大半は雑誌に載っていたやつだけど、こないだ生徒会室で撮ったものももう現像されて仲間入りしていた。
これをオレに見せる為に、四ノ宮はオレをここに連れてきたのか?
「……トキさん。僕は、貴方に憧れていました」
不意に、穏やかな声音で四ノ宮が語り始めた。
「お金持ちの家の息子で、容姿も良くて、自信家で、皆に好かれて、モデルなんかもやっちゃって……悩みなんか何にも無さそうな顔してて。見てるとすっごいムカつくのに、何でか目が離せなくて」
狭い四畳半の室内。雑多に散らばる物達。黴臭い壁土。毛羽立った畳の目。そして、自分を欲望の捌け口として見てくる、大人達――ここが、四ノ宮の生きる世界。
「僕は、貴方になりたかった」
囁くように零すと、四ノ宮はオレの頬を両手で包み込み、覗き込んだ。――いつもの笑顔。でも何故だかオレには、泣いているように見えた。
「僕の母親は美人でした。だけど、愚かで考えが甘く、ホストに入り込んで金を貢ぎ、風俗に身を堕として――誰が父親かも分からない、客の子を孕みました」
それが、四ノ宮 郁。
「ワンチャン意中のホストの子と言い張れば結婚して貰えると思って産んだけれど、その計画は失敗したようですね。それでも、若く美しい内はまだ良かった。自分の身体には商品価値がありましたから。歳を経る毎に嫌でも加齢で容姿は衰えます。そうなると、段々売れなくなってくる。だけど、愚かな女は男に縋る以外に生きる術を知らず、その上邪魔な幼子まで抱えてしまい、生活は困窮する一方でした」
〝ある時、女は思い付きました。成長する度に自分そっくりに、美しくなる息子。……これは、金になると。〟
「女は幼い息子に自分の客を宛てがい、春を売らせました。息子は母の愛を得る為、嫌なことでも我慢して従いました。幾ら身を尽くしても母親が愛するのは別の男であって、決して自分ではないのだと気付くことも無く――愚かで盲目なのは、母親譲りでしたね」
ククッと、喉の奥で掠れた笑い声を漏らし、四ノ宮は自嘲った。空っぽな、虚ろな笑みだった。
痛い。胸が痛い。じくじくと、内部から蝕まれて少しずつ膿んで溶けていくようで――痛くて、痛くて堪らない。
「四ノ宮……」
呼び掛ける。その頬に、手を伸ばした。今度は触れられた。冷たい、陶器のような肌。
お前にはこれが、必要な行為だったんだな。生きる為に。――心を守る為に。
「いいよ……それなら。幾らでも、ぶつけろよ。お前の痛みも、悲しみも怒りも。全部、オレが受け止めてやるからさ」
お前の気の済むまで、付き合ってやるよ。――オレがそう告げたら、四ノ宮の顔から笑みが消えた。浮かんだのは、驚きでも怒りでもなく、ただひたすらの虚無だった。何処までも深く暗く、飲み込まれそうな程の、闇――。
直後、挿入されたままのプラグが、四ノ宮の手により一層奥まで捻じ込まれた。入り口が押し広げられ、内壁を抉られる痛みと衝撃が駆ける。
「ぁああッ――!?」
「だから、トキさんは気に障るんですよ。お綺麗な顔で、綺麗事ばかり言う。あれだけ甚振っても、ちっとも揺らがない。……何なんですか? ムカつくなぁ」
「しの」
ガッ、と顔を掴まれて前を向かされた。ベージュの瞳と目が合う。虚ろだったそこに、今は僅かに苛立ちの色が浮かんでいた。ままならない怒りが、底には燻っている。
「そんな高い所に居ないで、堕ちて来てくださいよ――僕の所まで」
四ノ宮の頭上、天井からオレが見下ろしていた。ポスターに写る自分の視線から逃げるように、そっと目を瞑る。瞼の裏にタカの顔が映って、それから何故か九重の顔まで見えた。
――ごめんな。
何に対してだかよく分からない謝罪を胸中で零した時、勢いよく服を引き裂かれた。
先程抱いた印象とは真逆の言葉を、四ノ宮は吐いた。オレは驚いて彼の方を見る。相変わらず表情は固いけど、口元には薄い笑みが浮かんでいた。それは軽蔑か、はたまた自嘲か。見ようによっては、真実喜んでいるようにも見える。
男はどう捉えたのか、変わらぬ下衆なニタニタ笑いを顔に貼り付けたまま、四ノ宮の全身に値踏みするような粘ついた視線を向けている。それを遮るように、オレは四ノ宮と男との間に立った。
「四ノ宮……大丈夫か?」
四ノ宮は少し目を丸くしてオレを見上げた。彼が何かを口にするより先に、男が割って入る。
「君は、郁くんのお友達かな? それとも、私と同じく〝客〟かな?」
「客?」
「ああ、知らないのか。郁くんはこう見えて、とても〝いけない子〟でね」
「――さん」
静かに落ち着いた口調で、四ノ宮が男のものらしき名を呼んだ。男はパッと振り向いて、相好を崩した。
「名前を覚えていてくれたのかい?」
「ええ、忘れる訳がありません」
「そうだろうとも。私は君の〝初めて〟の相手だもんね。君も私を忘れられなかったんだね。私も君の身体がどうしても忘れられなくて、ずっと探していたんだよ。……やっと、見つけた」
ゾッとするような執着の瞳。底の方に澱んだ汚泥みたいな欲望が、どろりと凝っている。やばい。コイツは……四ノ宮に近付けちゃ駄目だ。
「四ノ宮、行こう」
「――さん」
「なんだい?」
「折角会いに来てくださったのに、申し訳ありません。今日は友人との先約がありますので、また日を改めてくださいませんか?」
「でも」
「ご安心ください。僕はこの通り、ここに住んでいますから。逃げも隠れもしませんよ」
にっこりと可憐な微笑みを浮かべる四ノ宮の顔と、背後のアパートの間に視線を巡らせて、男はとりあえず納得したらしく頷いた。
「そうか……それもそうだな。急過ぎたよね。それじゃあ、また明日……会いに来るから」
「ええ、お待ちしております。それでは、また明日」
極上の天使のスマイルで手を振って、男を見送る四ノ宮。男は上機嫌に最後までニヤついた笑みを残して、その場は去っていった。
「し、四ノ宮……今の」
「さて、お待たせしました、トキさん。ここが僕の部屋です。少々散らかっていますが、どうぞ」
オレの疑問に構うことなく、四ノ宮はごく普通に扉を開錠してオレを内部に招き入れた。オレは動揺が去らず、今しがた見た男のことを四ノ宮にどう訊ねたものか、そもそも触れてはいけない領域ではないのかと、内心葛藤しながら彼の後に続いて玄関に足を踏み入れた。
オレを入れると、四ノ宮は扉の鍵を入念に閉めた。そうして狭い廊下を進んで、室内へと歩を進める。
「今の男、また来るって……だ、大丈夫なのかよ」
オレはようやく、それだけ訊いた。四ノ宮が振り返る。
「望むところですけど」
「……え? でも何かアイツ、危な」
「傑作でしょう? また僕を抱けると思ってノコノコ阿呆面を下げてやって来たキモ男共のクソ穴に、逆に極太棒をぶち込んでぶっ壊してやるんですよ。求めていたのとは真逆の展開になって、信じられないって顔で絶望に歪むキモ男共の表情……最高に滑稽で快感ですよ?」
息を呑んだ。四ノ宮のベージュの瞳には、先刻一瞬だけ見せた憎悪の光が、狂気と混ざり合いチカチカと瞬いていた。それはまるで、救難信号のように――。
「思い知るといい。僕はもう、何も奪わせない。……奪う側の人間だ!」
――そうか。四ノ宮、お前。
四ノ宮の肩に、手を伸ばした。だけど、その手は届く前に掴まれた。引き倒される。木製の古びた天井、そこにオレが居た。ウインクしてピースサインで笑う、能天気なオレのポスター。
よく見ると、そこだけじゃない。オレの写真が至る所に貼られている。大半は雑誌に載っていたやつだけど、こないだ生徒会室で撮ったものももう現像されて仲間入りしていた。
これをオレに見せる為に、四ノ宮はオレをここに連れてきたのか?
「……トキさん。僕は、貴方に憧れていました」
不意に、穏やかな声音で四ノ宮が語り始めた。
「お金持ちの家の息子で、容姿も良くて、自信家で、皆に好かれて、モデルなんかもやっちゃって……悩みなんか何にも無さそうな顔してて。見てるとすっごいムカつくのに、何でか目が離せなくて」
狭い四畳半の室内。雑多に散らばる物達。黴臭い壁土。毛羽立った畳の目。そして、自分を欲望の捌け口として見てくる、大人達――ここが、四ノ宮の生きる世界。
「僕は、貴方になりたかった」
囁くように零すと、四ノ宮はオレの頬を両手で包み込み、覗き込んだ。――いつもの笑顔。でも何故だかオレには、泣いているように見えた。
「僕の母親は美人でした。だけど、愚かで考えが甘く、ホストに入り込んで金を貢ぎ、風俗に身を堕として――誰が父親かも分からない、客の子を孕みました」
それが、四ノ宮 郁。
「ワンチャン意中のホストの子と言い張れば結婚して貰えると思って産んだけれど、その計画は失敗したようですね。それでも、若く美しい内はまだ良かった。自分の身体には商品価値がありましたから。歳を経る毎に嫌でも加齢で容姿は衰えます。そうなると、段々売れなくなってくる。だけど、愚かな女は男に縋る以外に生きる術を知らず、その上邪魔な幼子まで抱えてしまい、生活は困窮する一方でした」
〝ある時、女は思い付きました。成長する度に自分そっくりに、美しくなる息子。……これは、金になると。〟
「女は幼い息子に自分の客を宛てがい、春を売らせました。息子は母の愛を得る為、嫌なことでも我慢して従いました。幾ら身を尽くしても母親が愛するのは別の男であって、決して自分ではないのだと気付くことも無く――愚かで盲目なのは、母親譲りでしたね」
ククッと、喉の奥で掠れた笑い声を漏らし、四ノ宮は自嘲った。空っぽな、虚ろな笑みだった。
痛い。胸が痛い。じくじくと、内部から蝕まれて少しずつ膿んで溶けていくようで――痛くて、痛くて堪らない。
「四ノ宮……」
呼び掛ける。その頬に、手を伸ばした。今度は触れられた。冷たい、陶器のような肌。
お前にはこれが、必要な行為だったんだな。生きる為に。――心を守る為に。
「いいよ……それなら。幾らでも、ぶつけろよ。お前の痛みも、悲しみも怒りも。全部、オレが受け止めてやるからさ」
お前の気の済むまで、付き合ってやるよ。――オレがそう告げたら、四ノ宮の顔から笑みが消えた。浮かんだのは、驚きでも怒りでもなく、ただひたすらの虚無だった。何処までも深く暗く、飲み込まれそうな程の、闇――。
直後、挿入されたままのプラグが、四ノ宮の手により一層奥まで捻じ込まれた。入り口が押し広げられ、内壁を抉られる痛みと衝撃が駆ける。
「ぁああッ――!?」
「だから、トキさんは気に障るんですよ。お綺麗な顔で、綺麗事ばかり言う。あれだけ甚振っても、ちっとも揺らがない。……何なんですか? ムカつくなぁ」
「しの」
ガッ、と顔を掴まれて前を向かされた。ベージュの瞳と目が合う。虚ろだったそこに、今は僅かに苛立ちの色が浮かんでいた。ままならない怒りが、底には燻っている。
「そんな高い所に居ないで、堕ちて来てくださいよ――僕の所まで」
四ノ宮の頭上、天井からオレが見下ろしていた。ポスターに写る自分の視線から逃げるように、そっと目を瞑る。瞼の裏にタカの顔が映って、それから何故か九重の顔まで見えた。
――ごめんな。
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