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11.ルナティック

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「アイちゃんは俺の恋人だよ。食糧なんかじゃない」

 ツヴァイがやや語気を強めて言うと、アベルは意外そうに目を丸くした。

「恋人? あの人、人間でしょ? ツヴァイと釣り合わなくない? それに、ツヴァイはあの人とまぐわうのを嫌がってたじゃないか」
「まぐっ……そんなところまで見てたの」

 アベルを窓の外に見つけたのはのことだったので、それもそうかとは思いつつ、ツヴァイは居た堪れなさに目を伏せた。
 それにしても、彼はどうやらアインスのことを人間だと思っているようだ。

(アイちゃんの目が紅くなってたのは気付かなかったのかな)

 確かに吸血鬼が吸血鬼の血を吸うとは普通は思わないだろう。しかし、わざわざ本当のことを教えてやることもないかと思い定め、ツヴァイは言及をやめた。代わりに話を戻す。

「とにかく、パートナーの意見も聞かないと結論は出せない。一回帰らせてもらってもいいかな?」
「え、帰っちゃうの? でも、もう夜も遅いよ」
「平気だよ。吸血鬼の目は暗闇でも見えるし」

 そう言ってツヴァイが腰掛けていたベッドから立ち上がろうとすると、アベルは慌てた様子で止めに掛かった。

「外は寒いし、道も分からないでしょ? やめといた方がいいよ。おれが明日、ツヴァイのパートナーをここに連れてくるから。今夜はここに泊まっていきなよ。ね?」
「でも……」

 ふと腕を掴まれて、ツヴァイはアベルの顔を見た。彼の目は真剣を通り越し、血走って据わっていた。

「そんなこと言って、このまま居なくなるつもりなんだ……。嫌だよ。折角キミを見つけたのに。仲良くなれると思ったのに。行っちゃ嫌だ。行かせない」

 アベルの手指に力が加わる。人狼故かそれは強く、肉にくい込み骨を軋ませる程でツヴァイの心を竦ませた。

「どうしても行くって言うのなら、今ここでキミを……」
「い、痛いよっ、放して」

 ツヴァイが悲痛な声を上げると、アベルはハッとしたように表情を変えた。それから、掴んでいた腕を解放し、申し訳なさげに眉を下げる。

「ごめんね、そんなに強くしたつもりはなかったんだけど……満月の影響かも」

 ごめんね、大丈夫? と心配そうにツヴァイの腕を擦るアベルの眼差しは、今は優しげだ。しかし、ツヴァイの胸中には空寒い風が吹いていた。

(ここは、下手に反抗しない方がいい)

 催眠を発動させることも出来るが、外にはおそらくカインが張っていることだろう。沈黙している他四人の存在も気懸りだし、今は大人しく従っておいた方が良さそうだ。

「……分かったよ。今夜は泊まっていく」

 ツヴァイがそう宣言すると、アベルはぱっと顔を輝かせた。

「本当っ!?」
「ただし、明日はちゃんと俺のパートナーを連れてくること。いいね?」
「うん! 勿論、約束するよ!」

 ぶんぶんと首を縦に振るのと同時に、アベルは尻尾も千切れんばかりに振った。それを見て内心胸を撫で下ろしながら、ツヴァイはどっと疲れを感じていた。

(隙を見て逃げよう)

 その決意を実行に移すことになったのは、アベルが退室して一人になってから、更に夜も更けた頃合いだった。


   ◆◇◆


(そろそろ寝たかな)

 眠った振りをしてベッドに横たわっていた身を起こし、ツヴァイは改めて辺りに気を配った。いつの間にか雪も止んでいたようで、深夜の山荘は静けさに包まれている。
 途切れた雲間からは真円の月が顔を覗かせ、地上の雪に光が反射して眩く照り輝いていた。これなら、吸血鬼でなくても夜目が利きそうだ。

 人狼の紛いもの達は隠れん坊が得意なようで、元より気配を感じさせないものだから、起きているのか寝ているのか判断に困る。
 でも、このまま朝まで手をこまねいている訳にもいかない。ツヴァイは意を決すると、音を立てないように慎重に入口の扉に手を掛けた。

 ツヴァイの言葉を信用したのか、外から鍵の類などを掛けられることはなかったようだ。扉はすんなりと開いた。冷えた夜の森の空気が入り込んでくる。
 満月に照らされた白銀の世界は、思わず嘆息する程に美しい。しかし、そんな感動も打ち消す程の死臭が、この場には漂っていた。

(やっぱり……血の匂いがする)

 最初に目覚めた時から、気になっていた。せ返るような、無数の血液の香り。吸血鬼になってから五感が人間ひとよりも鋭くなったが、殊に血に関しては敏感だ。

 ――このキャンプ場では、過去に人間ひとが何人も死んでいる。

(俺の考えが正しければ、たぶん……)

 周囲に誰の目もないことを確認すると、ツヴァイはロッジの外に足を踏み出した。
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