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第7話 一目、貴方に会いたかった。

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 次に気が付いた時、目を開くと勇者の顔がいきなり真上にあったものだから、私は度肝を抜かれました。

「起きたか。気分はどうだ?」

 なんと、私は勇者の膝枕で寝かされている状態でした。あまりのことに慌てて上体を起こすと、はらりと布が落ち、見るとそれは勇者がいつも身に付けている外套マントでした。
 どうやら、勇者が布団代わりにそれを私に掛けていたらしいのです。

「済まない。寝所まで運んでやりたかったのだが、流石に城の者に見咎められそうだったのでな」

 場所は、決闘の間のままでした。私は信じられない心地で零しました。

「……もう帰ったのかと思いました」
「目を覚ました時、一人では心細いだろう。風邪の時などは特に」

 絶句しました。この人は、本当にどこまで甘いのか。

「貴方のお人好しっぷりには呆れましたね。人間ではあるまいし、風邪など引きません。少し、魔力を放出し過ぎただけです」
「魔力を? 俺が来る前に誰かと一戦交えていたのか?」
「違います。魔王のお仕事です。魔座石まくらいしに魔力を注いだ直後だったのです」

 って、私は何を話しているのでしょう。敵相手に。

「魔座石……魔族が魔法を行使する際に使用しているあれか。その辺の事情は詳しくはないが、いくら職務といえど、倒れるまで無理をするものではないぞ。身体を壊しては元も子もない。もう少し己を労われ」
「……何故、貴方に説教をされなければならないのですか。貴方は私の親か何かですか」
「親。そうだ、お前の親御もどうかと思うぞ。息子にこんなに無茶をさせて」
「――居ません」
「何?」

 聞き取れなかったのか、勇者が怪訝げに返してきました。私は床に目を落として、続けました。

「親は、居ません。私が魔王に選ばれたのは、赤子の時でしたから。城に預けられて、そのまま……一度も会っていません。なので、居ないも同然です」
「……そうか」

 すると、勇者が萎れた声を出すものだから、思わず振り仰ぐと、彼は表情までもしゅんと消沈していました。

「……何故、貴方がそんな顔をするんですか」
「済まない」

 済まないって、何です。……何だか、調子が狂います。
 そうです。私も何故、こんなに余計な事ばかり喋ってしまっているのでしょう。勇者があまりにも普通に話しかけてくるものだから……。

 彼は思案顔で暫し黙した後、改めて意を決したように切り出しました。

「なぁ、魔王。お前は何か認識違いをしているようだ。先程言っていたな? 俺達人間こそが魔族を脅かしているのだと。それは一体、どういう意味なのだ?」

 なんだ、またその話ですか。白々しい。

「そのままの意味ですよ。貴方方人間が、魔座石を奪取する為、魔族に攻撃を仕掛けているのでしょう?」
「待て、何だそれは。そんな出鱈目でたらめを一体誰から聞いた?」

 あまりに真剣な表情で詰め寄られて、私は半ば気圧されました。

「大臣ですが……」
「大臣が……魔王、お前は騙されている。その大臣こそが、おそらく人類滅亡を謳っているのだろう。お前は利用されているんだ」
「何を馬鹿な……私が、敵である貴方の言葉を信じるとでも? さぁ、今日はもうお行きなさい。余計な事を話し過ぎました。私と貴方は敵同士。元来こうして会話をすること自体がおかしいのです」
「魔王!」
「出て行きなさい。決闘が長引き過ぎていると、そろそろ大臣達にも怪しまれます」

 その後も勇者は物言いたげでしたが、私は酷く困惑していて……とにかく、その場から追い出すのに精一杯でした。

 勇者の言うことと、大臣の言うこと。どちらが正しいのか。それは、考えるまでもなく臣下を信じるべきなのでしょうけれど――。
 私の心は、どうにも落ち着きませんでした。

 以降も、勇者は何度も必死に私に訴えかけてきました。
 目を覚ませと。お前は騙されているのだと。毎度ズタボロのよれよれになって尚、立ち上がるのです。その姿を目にして、私は次第に大臣達への疑念を強めていきました。

 そうして、ある日。本当の事を確かめようと、城を抜け出したのです。
 両親の元から引き離されてより、城の外に出たのは、それが初めてのことでした。

 私がこの目で見た真実は――それは、残酷なものでした。
 

   ◆◇◆


「――ぅ、ぉう」

 頭上から、声が聞こえてきました。切羽詰まったような、どこか痛みを堪えるような、切なく震える声。
 この声は――。

 薄らと目を開くと、間近にその持ち主の顔がありました。
 ツンと跳ねたオレンジ色の短髪。眼光鋭いコバルトブルーの瞳。……ああ、やっぱり貴方でしたか。

「魔王! どうしたんだ、何故こんな所に倒れている!? この傷……誰にやられた!? 何があった!?」

 私が意識を取り戻したのを見て取ると、勇者は矢継ぎ早に質問を飛ばしてきました。焦ったような、怒っているような、真剣な表情。

「……ゅう、しゃ」
「何だ!?」

 私は、そっと勇者の頬に手を伸ばしました。まるで自分の身体ではないみたいに、ひどく腕が重くて、緩慢な動作でした。
 束の間、触れて――そのまま手が下がっていってしまいそうになったのを、途中で勇者が掴んで留めてくれました。熱い掌。
 ずっと背中が温かかったのは、どうやら私が勇者の腕の中に居たからのようです。

「……貴方の言う通りでした」

 城を抜け出して、この目で見極めようとした真実。それは、ひどく残酷なものでした。
 人間狩り――魔族が、人間を狩っていたのです。魔法の使えない人間を、自分達よりも劣る種と蔑み。自分達魔族こそがこの世界を統べる頭首となるのだと、息巻いて。

「貴方の言葉が、真実ほんとうでした。私は……私は愚かでした。私の魔力は……軍事利用されていました。何も知らずに、私は……ずっと、人間の命を奪うことに、加担していたのです」
「魔王……」

 私はいわゆる飾り物。大臣達にとって、都合良く操れる傀儡かいらいの王でした。

 彼らに言われるままに、ただ祈りの間で冷たい魔座石に寄り添い、魔力を注ぎ続けるだけの存在。
 私自身、その役割に疑問を持つこともありませんでした。それが私の当たり前でしたし、使命感すら抱いていました。
 私の力で、国民達が救われる――本気で、そう思っていたのです。

 私の両親は、うの昔に大臣達の手によって、落命していました。
 彼ら両親の存在が、私の操作の邪魔になると踏んだのでしょう。私がずっと会いたいと願っていた彼らは、もうこの世のどこにも居なかったのです。
 そんなことも知らずに、私は――。

「無知は、罪です……。私は、貴方と出会うまで、何も自ら知ろうとはしませんでした……王たる存在でありながら、真実から目を逸らし、甘言に踊らされ……思考停止した。……酷い、怠慢です」
「魔王。分かった。分かったから、もう喋るな。傷が深い。血が止まらない」
「……大臣、達に……逆らったのです。なんの、贖罪にも……なりはしないけれど……私は、魔族の蛮行を、止めたか……っ」

 喉の奥に蓋が被さったようになり、言葉が遮られました。咳き込んでそれを吐き出すと、どろりとした感触が口元を伝います。――おそらく、血。
 私の身体のあちこちは、もう壊れてしまっているようです。

「魔王っ!」

 勇者が、私を呼びます。――気遣わしげな声。
 そう、貴方は……仇敵である私にすら、優しさを向けられる人でしたね。

 私は、魔族の蛮行を止めたかった。けれど、返り討ちに遭って、この様です。
 魔座石に注ぎ込んだ私の魔力。それを利用した、魔導兵器。あれらに、私は敗れたのです。自分で自分の魔力に負けたのです。笑えない話です。全く愚かな道化でした。

 この傷では、きっと助からない。私はこのまま死ぬ――。
 そう思った時に、脳裏に浮かんだのは。勇者……貴方の顔でした。
 自然と足が動きました。貴方の居る場所が、何となく分かるような、そんな不思議な感覚になったのです。

 辿り着く前に倒れてしまったのに――貴方は、私を見つけてくれたのですね。

「勇者……最後に一目。一目、貴方に会いたかった」

 どうしても、それだけは伝えたかったのです。
 ここで、私は生まれて初めて、微笑わらいました。だって、貴方が泣きそうな顔をしていたから。
 ――大丈夫ですよ。
 私は貴方に出会えて、幸いでした。だから、そんな顔をしないで。

 触れた指先から、貴方の熱が伝わってきます。私は何だか安心して……その瞬間、ふっと意識が遠くなるのを感じました。

「ふざけるな!」

 強い言葉に、刹那引き戻されるようにして、閉ざしていた瞼を押し開きます。
 勇者が怒っている――どうにもならない運命に。どうにも出来ない自分自身を叱咤するように。

「こんなの、勝ち逃げじゃないか! させるものか!」

 私の命を繋ぎ止めようと、彼は必死に何かをしようとしてくれています。その気配だけは伝わってきますが、私にはもう、彼が何をしているのかは分かりませんでした。……見えないのです。貴方の顔も、もう見えません。

「死ぬな、魔王! まだ俺との決着が付いていないだろう! まだ、話す事が沢山あるだろう!」

 意識は徐々に闇に蝕まれて、深い所に沈み込んでいきます。
 ――寒い。ひどく寒いのに、ただ一点、貴方の触れた部分だけが、温かくて。
 私はその温もりを縋るように追うのですが、それもやがて薄れてきてしまいます。
 全ての感覚が紗幕に覆われたみたいに遠のく中、最後にあの人の声だけが響きました。

「お前がどこに逃げても、絶対に見つけ出す! 決着が付くまで、俺は絶対に諦めない! 何度でも何度でも、俺はお前の前に現れる……待っていろ! お前を独りでは、終わらせない!」

 そこで、世界が暗転しました。
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