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第1話 花の女子高生、前世は魔王です。

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「ふざけるな!」

 それは、いつも怒号から始まります。

「こんなの、勝ち逃げじゃないか! させるものか!」

 どこか痛みを帯びて震える、男性の声。薄らと目を開くと、間近にその持ち主の顔がありました。
 ツンと跳ねたオレンジ色の短髪。眼光鋭いコバルトブルーの瞳がこちらを見下ろしています。けれど、その表情は判然とはしません。私の視界が、やや霞みがかっている所為です。

 視界同様に、私の意識もぼんやりと宙を漂うように散漫で。加えて、ひどく寒いのです。
 ただ一点、背中の辺りだけがじんわりと温かくて、私はその温もりを縋るように追うのですが、それもやがて薄れてきてしまいます。
 全ての感覚が紗幕に覆われたみたいに遠のく中、最後にあの人の声だけが響きました。

「お前がどこに逃げても、絶対に見つけ出す! 決着が付くまで、俺は絶対に諦めない! 何度でも何度でも、俺はお前の前に現れる……待っていろ!」

 そこで、世界が暗転しました。
 次に目を開いた時、私は自室のベッドの上でした。星空柄の遮光カーテンの隙間からは、細く日の光が差し込んでいます。窓の外からは雀の鳴き声もしました。
 朝です。残念ながら嫌な寝汗と乱れた呼気により、今日も清々しいものにはなりませんでしたけれど。
 熱い吐息の塊と共に、零しました。

「……また、あの夢」

 そう、夢を見ていたのです。
 幼い頃より幾度も繰り返し見た、同じ夢。
 それは、睡眠時に決まって見るというものでもなかったのですが、ここ数日は立て続けにこの夢で覚醒を迎えていました。
 その意味するところは分かりませんが、あれが何なのかは理解しています。なので、両親にも誰にも相談したことはありません。必要がないからというのも、そうですが……。

「おはよう、真桜まおちゃん。今日の朝ご飯はホットサンドよ。好きな具を選んでちょうだいね」
「父さんは、スクランブルエッグとベーコンにしたぞ。母さんの作るスクランブルエッグは、本当に最高だ」

 リビングに降りた私を出迎えたのは、のほほんとした中年の男女二人。私の両親です。真桜というのが、私の名前。苗字は夜見野やみの。夜見野 真桜。この春から、花の女子高生になりました。

「おはようございます。父、母。それでは、私も父と同じ具にします」

 私が挨拶を返すと、両親は一層嬉しげに顔を綻ばせました。母が張り切ってベーコンに胡椒を振ったからでしょうか、私は不意に鼻がむずむずして、急いで手で口元を押さえました。けれど、くしゃみは止められず。「くちん」と小さく音を漏らしてしまうと、途端に二人が顔色を変えました。

「大変だ! 真桜、寒いのかい!?」
「まぁ、なんてこと! 風邪かしら。学校お休みする!?」

 大慌ての両親に、私は瞬く間に毛布に包まれ、体温計を口に突っ込まれてしまいました。
 ……これです。見ての通り、彼らは一人娘である私に甘々つ、過保護なのです。変な夢の事など話そうものなら、きっと過度に心配して病院に連行されかねません。
 私は体温計を口から引き抜きながら、努めて平静に告げました。

「大丈夫です、二人とも。胡椒で鼻がくすぐられただけです」
「そう? でも……」
「本日もすこぶる元気です。風邪のかの字もありません」

 ほら元気、と二人を安心させるようにガッツポーズを取ってみせます。本当は笑顔を見せてあげられれば一番なのですが、どうも私の表情筋は固くて、感情に反していつも微動だにしてくれません。
 それでも、両親は納得してくれたようです。安堵の笑みを浮かべてから、改めて私の朝食に取り掛かってくれました。耳を切り落とした食パンに具を乗せてホットプレートでサンドしながら、母が上機嫌に訊ねてきます。

「どう? 真桜ちゃん。高校は楽しい?」
「……はい。問題ありません」

 ほんの数秒答えに詰まってしまいましたが、幸い二人はそのについて特に疑問には思わなかったようです。

「そう、それは良かった。真桜ちゃん、こんなに可愛いんだもの。すぐにクラスの人気者になっちゃうわよね」
「そうだ、真桜はこんなに可愛いんだ。変な男に言い寄られてやしないか? 困った奴が居たら、すぐに父さんに言いなさい。父さんが追い払ってやろう」

 熱の入った父の申し出に「大丈夫です。何事もありません」と返しつつ、私はとりあえず内心でホッとしていました。
 彼らに話せないのは、実は夢のことだけではないのです。


   ◆◇◆


 登校後、下駄箱を覗き込んだ私は、早速その異変に気が付きました。
  ――上履きがありません。
 どうやら、またやられたようです。小さく息を吐き、脱いだ革靴をビニール袋に入れて鞄にしまい込みました。前回は革靴の方を隠されたので、その予防策です。
 今度からは上履きも持ち帰るようにした方が良さそうですね。

 廊下からこちらの様子を窺っていた女子三人組が、互いに内緒話をするていでこそこそと、それでいて敢えてこちらに聞かせる音量で会話を始めました。

「見てよ、あの能面女。まぁたノーリアクション」
「つまんないのー」
「余裕アピールむかつく! うちらのこと完全に舐めてるよね」

 同じクラスの麗城れいじょう 雷華らいかさんと、その友人(取り巻きともいいます)の二人です。私は、学校で彼女らから嫌がらせをされています。
 こんなこと絶対、煮詰めた砂糖並に甘いあの両親には言えません。ショックで倒れてしまうか、はたまた学校に殴り込みにでも来かねませんから。

 やれやれといった心境で、私はとりあえず靴下のまま校内に足を踏み入れました。上履きを無くしたと報告して、職員室で来客用のスリッパを借りましょう。
 一応「おはようございます」と挨拶をして三人組の前を通り過ぎようとすると、私を転ばせようと麗城さんの取り巻きが足を伸ばしてきました。反射的にそれをひょいと避けると、今度は舌打ちが飛んできました。

「生意気!」

 わざと引っ掛かって溜飲を下げさせてあげた方が良かったのでしょうか。難しいです。
 私が真剣に思慮を巡らせ始めた、その時でした。

「見つけた!!」

 突如、横合いから大音量の声が響き渡りました。その場の誰もがハッとして振り返ると、そこに居たのは白い詰襟を着た男子生徒でした。うちの学校は男女共に黒のブレザーですから、明らかに他校の制服です。
 しかしながら、それよりも私の目をみはらせたのは、彼の容貌でした。

 ツンと跳ねた、派手なオレンジ色の短髪。キリリと吊り上がったコバルトブルーの瞳の、精悍な顔立ちの――。
 息を呑みました。その顔は、いつもの夢に出てくるあの人、そのものでした。ほんの少し記憶よりもあどけなさがありますが、面影があるなどというレベルではない一致具合です。
 彼は大股でこちらにズカズカと歩み寄ってくると、私の顔を真っ直ぐに見据えて、

「やっと、見つけたぞ! アーク・ノダイマ・オーギュスト・エル・ドラシア(以下略)! 人呼んで、魔王アーク! 約束通り、お前を追ってきた! さぁ、前世からの決着を付けるぞ!」

 そう叩き付けるように宣告する声も、確かにあの人――勇者、ユート・クェン・ザクリートそのものなのでした。
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