砂時計は、もう落ちた。

夜薙 実寿

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第三章 君にもう一度、恋をする。

3-1 不器用な優しさ

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(FA 小鳥遊 蒼様)

 よく考えてみると、自分は凄く図々しい提案をしてしまったのではないか?
 翌日になって、朱華は鞄の中に二つ分の弁当箱の感触を確認しながら、内心冷や汗を掻いていた。
 だって、手作り弁当を渡すだなんて……何かそれって、

 ――彼女みたいじゃんか。

 そんな己の思考に、大いに狼狽える。叫び出したい程の羞恥に襲われ、思わず足を止めてしまう。成り行きとはいえ、自分はなんて事を言ってしまったのだ!
 しかも、渡して終わりではない。一緒に食べるのだ。昼休み、一緒に、過ごそうというのだ。そんなの、まるで恋人のようではないか!

 ――わぁあああっ!

 声に出さずに内心で喚き散らしながら、頭を抱えて身悶える朱華。途端、すぐ背後から「ひっ!」という引き攣ったような悲鳴が聞こえた。
 見ると、そこには例の同級生三人組の女生徒の内の一人(確か、小林さん)が居た。

 教室の入口に立ち止まったまま、なかなか入室せず突然妙な行動を取り始めた朱華に、彼女は戦慄を覚えたようだ。つまりは、ドン引きだ。距離を取るように腰が引けた姿勢でこちらを窺っている。
 朱華は唐突に現実に引き戻された感覚で、己の痴態に一層恥じ入った。次いで、自分が教室の入口を塞いでしまっていた事実に気が付くと、慌ててその場から半歩横に身体をずらす。

「っわりー、邪魔したな」

 目を合わせるとまた怖がらせてしまう気がしたので、顔を背けて謝罪を述べた。朱華のその対応が意外だったのか、小林さんはキョトンとした表情を浮かべ、それからハッと我に返ると慌て出した。

「う、ううん! 大丈夫!」

 手を左右にぶんぶん振ってみせてから、ピタリと静止し、彼女は不意に真剣な声音で続けた。

「あの……更科さん、何処か具合悪いの? 苦しそうだったけど」

 朱華が悶絶する様がそのように見えたらしい。――心配してくれている。その事実に、朱華は何だか胸がじんと熱くなった。と同時に、申し訳なくもなる。
 まさか先日の自分の言動やらに羞恥して身悶えていただけだなんて、言える訳がない。

「は? 別に、んなんじゃねーし」

 バツの悪さから、またぶっきらぼうな言い方をしてしまった。やべ、と思って小林さんを見ると、案の定彼女はショックを受けたように固まっていた。朱華が焦燥感を得ると、小林さんは誤魔化し笑いを浮かべて、

「そっ、そっか、ごめんね! 私、また余計な事を」

「ごめんね」と、これまでと同じように繰り返しながら、そそくさと教室内に逃げ込もうとする。そんな彼女の背中に、朱華は思わず――。

「ま、待って!」

 呼び止めてしまってから、振り向いた小林さんと互いに硬直した。
 小林さんは驚きから、朱華はほぼ反射的に制止したはいいものの、どう声を掛ければいいのか分からなくて真っ白になってしまった。
 小林さんの見開かれた瞳に、次第に疑問の色が浮かぶ。それがまた余計に朱華の焦りを生む。
 そんな時、砂音の言葉が脳内で響いた。

 ――『喧嘩してもいいから、ちゃんと話そう?』

 そうだ、ちゃんと話そう。自分が思っている事を。

「あ……アリガト。その……気に掛けてくれて」

 小林さんの瞳が更に大きく瞠られた。言えた。素直に言えた。しかし、それ以上は流石にもう堪えきれなくて――彼女の反応を待たずに、朱華は横を擦り抜けるようにして教室内の自分の机まで一目散に逃走した。
 唖然としたままの小林さんの視線を背に感じたが、凄まじい羞恥心からそちらを見る事はもう出来なかった。


 ◆◇◆


 そして、来る昼休み。朱華は緊張から強張った面持ちで、砂音に例の手作り弁当を手渡した。

「ん」
「わぁ、ありがとう朱華ちゃん!」

 青い巾着袋に入ったそれを受け取ると、砂音は期待に漏れずに満面の笑みでもっ‬て、謝意を示した。

「別に、自分の作るついでだし」

 素直な言葉は今朝の勇気で出し尽くしてしまったようだ。あまりにも砂音が嬉しそうにするものだから、朱華はやはり気恥しさから目線を逸らしてしまう。
 場所は昨日と同じく裏庭。砂音は今日は起きていた。朱華が来るのが分かっていたから、待っていてくれたのだろう。
 早速袋から取り出した弁当箱を開いて、その出来映えに賞賛の声を上げる。

「凄い! 色合いが綺麗だね。朱華ちゃんって手先器用だよね」
「それを言ったら、音にぃが不器用なだけだろ」

 学業優秀、スポーツ万能、オマケに眉目秀麗な〝時任君〟だが、昔から変な所が不器用なのと大雑把な所があるのが玉にきずだ。

 逆に朱華は、確かに細やかな手作業は意外に得意だった。ぶっきらぼうで幼少期は男の子のようだった彼女の根っこは、繊細で綺麗好きなのだ。
 相変わらず〝可愛い〟よりも〝カッコイイ〟が好きだし、身体を動かす事もずっと好きだけれど。年頃になればそれなりにオシャレにも興味が湧いてきて、今では彼女は自分で思っているよりも隠れた女子力が高かったりする。

 赤に緑に、色とりどりの副菜を添えた手料理に目を輝かせている砂音を横目に、朱華は気になっていた事を訊ねてみた。

「ていうか、本当に良かったのか? その……カノジョ、とか居たら……他の女の弁当とか、ヤバいんじゃ」

 本来なら昨日聞いておくべきだった事柄だ。勢いで弁当を持ってくるなどと言ってしまったが、もしも砂音に恋人が居たりしたら、確実に相手はお冠になるだろう。
 しかして、砂音はあっけらかんと言い放った。

「居ないよ。彼女なんて」
「へ? マジで?」

 思わず安堵したような声が出てしまった。――いや、何ホッとしてんだ、あたし。あたしに関係ないだろ。
 自問自答している朱華に、砂音は苦笑気味に頷き掛ける。

「恋人は、出来た事がない」

 それはそれで衝撃だった。

「嘘だろ!? 音にぃ、めちゃくちゃモテんのに!?」
「モテるのは千真の方だよ。千真が追い払っちゃうから、皆遠慮してるみたいだけど。千真と歩いてると、皆こっち見るもん」

 ――それはたぶん、千真だけじゃなくて、音にぃも見られているんだと思う。

 喉元まで出掛けたツッコミを、すんでの所で呑み込んだ。

 ――そうだった。音にぃって、ニブチンだった。

 当時彼に惚れていた朱華がいくらアピールを繰り広げた所で(最も、朱華が天邪鬼過ぎてそれも非常に分かりにくいものだった訳だが)まるで気付かれた試しが無かった。
 そんな所も相変わらずなんだな……と、懐古の念と共に何だか脱力した。砂音は何処か自慢げに友人の話を続けている。

「千真って凄くモテるのに、恋愛に興味無いんだって。『女は喧しいから苦手だ』なんて言うんだよ。照れてるだけなんだと思うけどね」

 そういや、初対面時睨まれたな、と朱華は思い出す。あれが……照れている?
 それは絶対に無いだろう。彼の事はまだよく知らないが、それだけは断言出来る気がした。

「そういえば、朱華ちゃんと千真って、少し似てる気がする」
「何処が!?」

 おっと、思わず大きな声が出てしまった。砂音の言うには、こうだ。

「一匹狼な所? 最初会った時、人を寄せつけないって感じだったよ」

 砂音の親友こと一色 千真は、砂音に負けず劣らず顔面偏差値が高い。加えて高身長、頭脳明晰運動神経抜群と、砂音と同じく天が二物も三物も与えてしまった好例だ。
 しかし、砂音と異なったのは、性格だった。千真はどうやら、あまり他者と親しくするのが得意ではないらしい。というか、そのハイスペック具合に嫉妬した周囲の人間達に疎まれ、孤立していたらしい。
 それで、千真本人も余計に意固地になっていったのだろう。

 ――ああ、何か分かった気がする。

 そんな千真にも、砂音はきっと分け隔てなく親身に接したのだろう。それで、千真も砂音にだけは心を開いたのではないか。
 成程、それなら確かに自分と似ている気がしなくもない。妙に納得した心地で、朱華は砂音の話から推測の翼を広げていた。

「その内、二人も会わせてみたいな。きっと仲良くなれるよ」
「……いや、それはどうだろ」

 朱華は再び、先日の千真のあの鋭い眼光を想起していた。似ているからといって、仲良くなれるとも限らない。むしろ、同族嫌悪という現象だってあるのだ。

「つーか、そんだけ仲良いのに、昼休みは一緒じゃないんだな」

 何となく思った事を口にしただけだったのだが、思い掛けず瞬間空気が変わった。あれ? と、砂音の方を確認すると、彼は困ったように眉を下げて微笑わらった。

「千真は心配症だから……あんまり昼寝してるとことか、見せたくないんだ」

 余計な心配を掛けてしまうから、と彼は言うが、朱華は微かに違和感を覚えた。――昼寝しているだけで、何で心配されるんだ?

 朱華からのそれ以上の言及を避けるように、砂音は逆に質問をしてきた。

「朱華ちゃんこそ、俺に付き合って貰っちゃって大丈夫だったの?」

 友達と一緒に昼休みを過ごさなくて良かったのか、との問いに、今度は朱華が言葉を詰まらせる番だった。

「それは……まぁ」

 昨日もぼっち飯しようとしている所を見られた訳だし、今更砂音相手に見栄を張っても仕方ないか、という気になり、朱華はいっそ観念する事にした。

「まだ……ダチとか、居ねえっつーか……その、出来なくて」

 そんな所だけ、昔から変わらない。呆れられたかな、と思って砂音の方をちらりと窺うが、彼は笑ったりなんかしなかった。真摯な瞳でこちらを見詰めていた。
 その瞳に促された気がして、つらつらと朱華は語っていた。

「あたし……こんなだから。目付きも悪いし怖がらせちまうんだよな。昔っからそうだったろ? 音にぃが声を掛けてくれなかったら、あたしもずっと一人だったよ」

 あの日、彼が気に掛けてくれなかったら、きっとずっと独りぼっちのままだった――。
 自嘲気味に零した朱華の言に、しかし砂音は首を捻った。

「そうかな。朱華ちゃんは優しいから、俺が何かしなくても、いずれ普通に友達が出来てたと思うよ」
「はぁ!?」

 またも声を荒らげてしまった。優しい? あたしが?

「何言ってんだよ。優しいってのは、音にぃみたいな奴の事だろ。あたしは優しかなんかねーよ」
「そんな事ないよ、朱華ちゃんは優しい。それが少し表面からは見えにくいだけだよ」

 こんな事があったよね――と、砂音は懐かしむような調子で昔語りを始めた。
 それは、三・四年生の合同林間学校の時。朱華達の通っていた小学校では、当時、一・二年生。三・四年生。五・六年生の組に分かれて、それぞれ別の地域に繰り出す校外学習があった。
 その一環で、朱華と砂音は一緒に山間部に赴いた事があったのだ。

「ハイキングの時、朱華ちゃんあんなに張り切ってたのに、途中から『ダルい、疲れた』って」

 サボるから先に行けと強固に促され、砂音は一度は従ったが、やはり気になって様子を見に戻ってみたのだ。すると――。

「朱華ちゃん、土に穴を掘ってるから、最初は何やってるのかと思ったよ」

 しかし、よく見てみると彼女の傍らには鼬の亡骸があった。途中の道で砂音も見掛けて大きなショックを受けていたから、よく覚えている。
 山道の広い場所だったから、車に轢かれたんだろう、と先生は言っていた。あまり見てはいけない、と。まるで忌避するもののように生徒達をそれから遠ざけて。――思えば、朱華がサボると言い出したのは、そのすぐ後だったのだ。

「朱華ちゃんは、鼬のお墓を作ってあげようとしたんだよね」

 その後、砂音が合流すると朱華は至極驚いた様子を見せて、「帰りも見掛けたら目障りだから、埋めとこうと思っただけだ」なんて言っていたものだが。

「朱華ちゃん……目元が腫れてたから。その鼬の為に、泣いてあげたんだよね」

 だけど、それを指摘したらおそらく彼女は否定するだろうと思ったから、砂音は何も言わずに手伝った。
 二人で鼬のお墓を作って、そこらに生えていた花を摘んで供えて――手を合わせた。

「朱華ちゃんは、優しいよ。見えにくいだけで、きっと、誰よりも」

 だから友達も、心配しなくてもその内きっと自然に出来るよ。――そう話の最後を締め括った砂音の言葉に、朱華は喉の奥を摘まれる想いがした。

 ――そうだった。音にぃはいつも、そうやってあたしを見つけてくれた。

 朱華がどんなに隠しても。彼だけは、いつも朱華の本当の気持ちに気付いてくれた。……ニブチンの癖に。変な所だけは、鋭いんだ。

 ――何で、音にぃには分かっちゃうんだろうなって、不思議だった。

 だから朱華は、そんな彼に恋をしたのだ。
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