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最終話 初めから分かっていた答え
しおりを挟む予想外な砂音の行動に、俺は体当たりするのも忘れて、その場に凍り付いた。驚いたのは菅沼も同じだったようで、目を瞠っている。
――おい、砂音。何してるんだよ。まさか、そいつの言うなりになるつもりか?
菅沼もそう思ったようで、機嫌よく笑みを顔に戻すと、口付けに応じる。あまりの事に、俺は立ち竦んだまま――。
異変が生じたのは、そのすぐ後だった。
「んっ…んん!」
動揺するように喉を鳴らしたのは、菅沼の方だった。なんと、砂音の積極的なキスに、菅沼が押され始めた。……積極的というか、情熱的というか、煽情的というか……。思わず釘付けになり、嚥下した。
淫靡な水音とリップ音、ついでに菅沼の喘鳴が響き渡り……何がどうなっているのかもうよく分からないが、凄まじい舌技が繰り広げられているであろう事だけは、菅沼の反応で分かった。
身を離そうとする菅沼を、砂音は執拗に捕らえて逃がさない。口付けを交わしながら、その手は器用に菅沼の服を脱がしに掛かっている。徐々に菅沼の身体から力が抜けていき……。ついには、その場に頽れた。
今朝見た夢とは、相手は違うが、まるで正反対の結果となった。
開かれたシャツから紅潮した肌を露わにし、腰砕けになって息を荒くしている菅沼の淫らな表情を――砂音は床から拾い上げた自身の携帯カメラで、パシャリと撮影した。
シャッター音に反応して、菅沼がハッとしたように顔を上げる。見上げる菅沼の潤んだ瞳を見据えながら、砂音が告げた。
「すみません、先生……。俺、そっち側じゃないんで。先生の期待には応えられないと思います」
それから、くすりと笑みを零し――。
「それにしても、先生……。遊んでるのかと思ったら、意外にウブなんですね。……可愛い」
綺麗に微笑った。それはさながら、天使のような悪魔の微笑み。怒りか羞恥か、菅沼が一気に顔を赤くする。しかし、もう反撃する余裕は残されていないようで、床にへたり込んだままだ。その脇をすり抜けて、砂音が扉に向かう。
「安心して下さい。先生が今後何もして来なければ、この画像も何処にも流出しませんから。……では、失礼致しました」
解錠しながら、退出の挨拶を投げると、砂音は扉を開けた。――廊下側じゃなくて、俺が居る、化学室側の扉だった。
想定外の顛末に茫然と固まっていた俺は、身を隠す判断が遅れて、あっさりと砂音に見つかってしまった。目が合って、砂音は少し気恥ずかしそうにはにかんだ。
「……ごめん。心配掛けて。もう大丈夫だから」
ここに俺が居る事に、気付いていたのか。
「お前……その」
何と声を掛けていいのか口籠っていると、砂音が苦笑を浮かべた。
「朱華ちゃんに悪いから、これだけはしたくなかったんだけど……効いてくれて良かったよ」
「出来れば、朱華ちゃんには内密にお願いします」と、敬語で神妙に懇願して来る砂音を見ていると、何だかこちらまで気が抜けてきた。
「お前……何か、強くなったな」
これも、あの女のお蔭か。
脱力と共に、ホッとした。今朝見た、あの勝手な夢……あんな事には、絶対にならない。もしも俺が暴走してしまったとしても、その時はきっと、コイツが止めてくれる。
コイツには、もう――。
「俺なんか居なくても、大丈夫だったな」
ぽろり、零す。何故か胸が痛んだ。友の成長は喜ばしい事の筈なのに……。何故、淋しいような気がしてしまうのか。唐突な感傷を気取られないように顔を逸らしていると、砂音は少し考えるように間を置いてから、言った。
「……そんな事はないよ。もしもの時は千真が助けてくれると思ったから、思い切った行動が取れたんだ」
「千真が居てくれたからだよ」――またそんな事を言う。思わず振り返ると、ヘーゼルの瞳が優しくこちらを見つめていた。頬が火照るのを感じる。
「お前って……本当」
――敵わない。そう思った。
顔を隠すように手で覆う俺に、砂音は小首を傾げている。やめろ。そういうあざとい仕草は。俺が照れてるって、絶対気付いてる癖に。
すると、その時。砂音の手の中のスマホが振動した。
「あ、朱華ちゃんからメール。……お弁当の具を作り過ぎたから、千真の分も用意したって。お昼一緒にどうかなってさ」
「……いや、何でカップルの間に割って入らなきゃならねーんだよ。お前ら二人でイチャイチャしてればいいだろ」
「そしたら、千真が一人になるのが、たぶん、朱華ちゃんは放っておけないんだと思うよ。作り過ぎたとか嘘で、絶対初めから千真の分も用意しておいたんだと思うから、乗ってあげて欲しいな」
「……めちゃくちゃ嫁の事理解してんじゃねーか」
溜め息が出る。砂音は相変わらず、マイペースに穏やかに。……いつかみたいに、こう続けた。
「千真、一緒に食べよ?」
――『ご飯は、一人よりも一緒に食べた方が、絶対美味しいよ』
中学の時の面影が重なる。あの時よりも、ずっと伸びた身長。気付けば、同じくらいの目線になっている。――いつかは、追い越される日が来たりするのかもな。
まぁ、いいか。観念した。
この想いは、一生伝える気は無い。墓場まで、持っていく。……俺は。
「お前がいいなら、それでいい」
――お前が幸せなら、それでいい。
【了】
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