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【NL】ハイビターチョコレート
side 泉 涼
しおりを挟む君が好き。頑張り屋さんで、いつも一所懸命で……だけど報われない。可哀想で可愛い、君が好き。
「ごめん。チョコは好きな子のしか受け取らないって決めてるんだ」
花織ちゃんが、またフラれている。
「でも……義理ですよ? いつもお世話になってるお礼ってだけですし、変な意味なんてないですし……それなら」
「それでも、受け取れない。ごめんね」
彼女の必死な嘘も、奴には通じない。頑なな程、実直。それが俺の親友、遠野 浩太だった。
通り掛かった裏庭から聞こえてきた友人同士のやり取り。足を止めずにはいられなかった。
「そうですよね……あたしこそ、困らせてごめんなさいっ! じゃあ」
校舎の角から、花織ちゃんが飛び出してきた。今しがたの明るい声音とは真逆に、泣き出しそうな表情。薄い茶色の大きな目が、俺の姿を認めて更に真ん丸に見開かれた。
「泉先輩っ!?」
俺はとりあえず、空いている方の手を振って笑顔で「やぁ」なんてお気楽に応えてみせた。花織ちゃんは怪訝そうに眉を顰める。
「見てたんですか?」
「見てたっていうか、聞こえたっていうか」
「盗み聞きじゃないですか」
「心外だなぁ。故意じゃなくて、偶然だし?」
「あれ? 涼?」
まさかの浩太が、続いてひょっこりと顔を出した。花織ちゃんの肩が跳ねる。
……マジか、コイツ。普通、気まずくてもう少し時間置くか、反対側から戻るかするだろ。
と思ったけど、浩太は人一倍鈍いんだった。おそらくというか確実に花織ちゃんの〝義理〟という言葉を信じて疑いもしていないんだろう。呑気に声を掛けてくる。
「どうしたんだよ、こんな所で」
「んー、ちょっとね。用事があって。それより仁奈ちゃんが浩太のこと探してたよ?」
「えっ!? 山本さんが!?」
俺の言を受けて、浩太がパッと顔を輝かせた。途端にソワソワし出す。本当、分かりやすい奴。
「早く行ってあげなよ。まだ校舎内に居ると思うよー?」
「分かった! ありがと、涼! あ、桃井さんも、また!」
慌ただしく暇を告げて、浩太が駆け去っていく。後に残された俺と花織ちゃんは、暫しの間どちらも無言でいた。見えなくなるまで好きな人の背中を目で追っていた花織ちゃんは、今どんな気持ちでいるだろう。
項垂れた後頭部に、茜色の夕陽が差す。それが異様に淋し気で、胸を打った。
「またフラれちゃったねー、花織ちゃん」
軽口で、沈黙を破る。
「可哀想に。俺が慰めてあげようか?」
「要りません」
ぴしゃりとした返答。棘のある口調。俺の方は一切見ない。
「にしても、〝義理〟ねぇ……。ちゃんとした告白はしないの? アイツ、鈍いからストレートにいかないと全く伝わらないよ? そうやって、アピール玉砕するの何回目?」
「そんなの……絶対にフラれるって分かってるのに、する訳ないじゃないですか」
「あーね、あの二人の間に割り込む余地なんて無いよねぇ。仁奈ちゃんは本物だよ。俺がちょっかい掛けても、一切靡かなかったもん」
「そんなこと……分かってますよ」
分かっている。それでも、やめられないんだろう。
風が吹いた。二月の風は、春が近いとは考えられない程に寒い。
「ところで、仁奈ちゃんのチョコレート意地悪して隠したのは、だぁれ? 俺が廊下のゴミ箱から見つけ出したら、あの子『これじゃあ、もう遠野くんに渡せない』って泣いてたよ?」
「あたしじゃないです。……今回は」
「ふぅん、新手か。浩太の奴モテるからなぁ」
「……それで、山本先輩はどうしたんですか? 泉先輩、あの人のこと好きなんでしょう? それこそ慰める絶好のチャンスだったじゃないですか」
虚を衝かれた。花織ちゃんは、俺が仁奈ちゃんのことを好きだと思い込んでいる。大事な親友の恋人候補が簡単に他の男に靡いたりしないか、試してただけだったんだけど。
「汚れてたのは外側だけだから、購買で買ってきた新しい包装紙でラッピングし直してあげたよ。あの子が今、浩太のことを探してるのは本当」
「それで、遠野先輩を呼びに?」
「まさか。俺はそこまでお人好しじゃないよ。通り掛かったのは本当に偶然」
「だけど、背中を押したんでしょ? 信じらんない。悔しくないんですか?」
「別に? 俺は仁奈ちゃんのことも浩太のことも好きだから、二人が幸せならそれでいいよ」
間があった。花織ちゃんを見ると、目が合う。大きな薄茶の瞳には、憐れみの色が浮かんでいた。
「泉先輩は、それで幸せなんですか?」
「うん」
花織ちゃんが大仰に溜息を吐いた。渡せなかったチョコレートを持ち上げて、唇を尖らせる。
「あーあ、チョコレート、徹夜で作ったのになぁ」
「手作りなんだ? それじゃあ、俺が貰ってあげよっか? 折角だし」
「嫌ですよ。何で泉先輩なんかに」
「あはは、だよねぇ」
「大体、先輩めちゃくちゃ貰ってるじゃないですか。何ですか、その紙袋の束」
俺の片手を埋めるそれを、彼女が指差す。中身は言わずもがな、大量のバレンタインチョコだ。
「あー、これ? 困るよねぇ、毎年。どうせ捨てちゃうのに」
「捨てちゃうんですか!?」
「そりゃねー。何が入ってるかも分からないのに、食べられる訳じゃないじゃん? でも、捨てたの見つかって泣かれるのも面倒だから、わざわざ直接ゴミ集積所まで持っていくところだったんだよね」
その途中で最前の場面に通り掛かった訳だ。俺の説明を聞いて、花織ちゃんがドン引きする。
「うわ、最低……」
その反応が心地良い。
「そうだよ。俺みたいなドクズに好意を寄せてくる女の子達って、どうかしてるよね。見る目ないと思う。正直、気持ち悪い」
好きなんて言葉、信用出来ない。でも、嫌いに嘘は無いから、花織ちゃんを見ていると安心する。
「泉先輩って……」
花織ちゃんが、何かを言い掛けて口を噤んだ。首を捻って「うん?」と促してみると、なんてことはない。「ひねくれてますよね」と返ってきた。
「今更?」
「そんなんじゃ、一生恋人出来ませんよ? 何か可哀想になってきたんで、あたしのチョコあげましょうか?」
「わ~い、じゃあ貰お」
「あたしのも惚れ薬とか入ってるかもしれませんよ?」
「そんなの入ってたら、花織ちゃんが俺にくれる訳ないもん」
花織ちゃんが振り向かせたいのは、俺じゃなくて浩太なんだから。
「……それもそうですね」
花織ちゃんはそれで納得したようで、小さく頷いた。そのまま、また何処か遠くを見るような目をして、そっぽを向く。もしかしたら、浩太のことを考えているのかもしれない。
その横顔が好きだ。決して俺の方を見ない、萎れた花に似た横顔。……不憫で痛ましくて、愛おしい。
〝俺が好きなのは、仁奈ちゃんじゃなくて、花織ちゃんだよ〟
……なんて、絶対に伝えることはないけれど。
「うわ、なにコレ炭?」
貰ったチョコレートは、真っ黒に焼け焦げた歪なハートの形をしていた。学校一の美少女と名高い花織ちゃんは、実は不器用だ。
「そんなこと言うなら、食べなくていいです!」
「うそうそ、いただきま~す」
憤慨する彼女を宥めて、一口齧った。岩石みたいに固い食感。それでも根気よく舌の上で温めていたら、焦げた塊は次第に溶けて口内に広がっていく。
「ど、どうですか?」
緊張した面持ちで、花織ちゃんが訊ねた。俺は素直に感想を述べる。
「苦い」
恋の味がした。
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